My life as a cat
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2018年09月29日(土) サンレモの夜

コート・ダジュールへ越してきてちょうど一年。愛猫を生命の危険にさらしているという不安と罪悪感で張り裂けそうな気持で到着した一年前のこの日のことは忘れるはずもない。でも一年経った今、そうして連れてきた愛猫と一緒に寝て、一緒に起きて、一緒に日向ぼっこをしてる。毎日毎日"一緒に来てくれてありがとう"とお礼を言いながら。

クリスティーヌが記念にどこでも好きなところへ連れていってくれるというので、サンレモの"Spacca Napoli"というピッツェリアをリクエストした。夕暮れ時の地中海沿岸をイタリア側に向かってドライブ。夜の街に繰り出す人々の喧噪、薄闇にともるバルの灯、夕陽に染まる地中海は、これからやってくる長くて素敵な夜を予感させて心が躍る。

「わたしも夜の始まりの薄闇はすごく好き。でもどこか不安になったり寂しくなったりする時間でもあるわ」

とクリスティーヌ。たしかにひとりで見つめていたらそんな気持ちになるかもしれない。

レストランはいつも予約しないと入れないくらい混んでいて、並んでいる人もいたりする。昨日電話でイタリア語で頑張った予約はちゃんととれていた。

マリナーラ4ユーロ、マルゲリータ5ユーロ、ティラミス4ユーロという本場価格。ワインは1種類だけという潔さ。ここはワインの蘊蓄など垂れる場所ではない、ピッツァを味わったらさっさと退場してくださいというようなメッセージと受け取った。悪くない。ピッツァと魚介のフリトゥーラを摂りながらわいわいとお喋り。ぎゅうぎゅうにテーブルを詰められて、隣の席とかなりくっついていたものの、結局サンレモ出身という家族と和気あいあいと話して、食べ物をシェアしたりした。クリスティーヌ曰く、

「イタリアってこういうところが好き。コート・ダジュールはもっと鼻高々な雰囲気でこんなシーンはないわ」

ということだ。

ピッツァを食べたらサンレモの港を散歩。どこかから流れてくる音楽、若者達のから騒ぎ、少し冷たい初秋の夜の空気、港にともる灯、目に映るもの全てが美しかった。それもこれもここへわたしを連れてきてくれたリュカとクリスティーヌが一緒だからかもしれない。夏の間ずっと具合の悪いお母さんの看病に追われていたクリスティーヌとも久々にゆっくり喋ることができて本当に楽しかった。わたしは自分の人生をよりよく創造することに真剣な人が好きだ。彼女のアイディアには多々インスパイアされる。わたしとは違った角度で人を見ているところも面白い。例えば隣人のドミニクについて。わたしは彼のことを表面的な生活ぶりだけを見て小さなことに囚われない海のような心の大きな人だと思っていたのだが、クリスティーヌに言わせればこうだ。

「あなたの結婚パーティーの時彼はあなたの料理をすごく褒めていたじゃない。それも素材の食感や色にまで細やかに言及してなぜいいのかと褒めていたわ。わたしはなんて繊細な心を持った男の人なのかと感動したわ」

あぁ、言われてみれば。彼女はこうやっていつも新しい発見をくれる。

日本の家族が恋しくて空を見上げて心の中で泣きべそをかいているような日があっても、わたしは少しずつここがホームだと思えるようになっている。


2018年09月27日(木) 波を待って




物事がうまくいかないと感じても、世の中の全てには海と同じように波があるのだと考えると楽になる。自分の力ではどうにもならないことは沢山あって、そんな時は静かにその場で波が帰ってくるのを待つだけ。あたふたと走り回って波に呑まれて溺れてしまわぬように。

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週末祖母永眠。享年100歳。歩けないこと以外は悪いところは何もなくて、力尽きる数日前までちゃんと食べていた。そして眠るようにすーっと亡くなったそうだ。息子である父はただ感慨深く

「長く生きてくれてよかったなぁ」

と呟いただけだった。理想の死だと思う。"老衰"という死にかた。誰も泣きわめいたり、ショックを受けたりしない。みんな自然のことなのだと受け入れて、人々の心の片隅に思い出となって生き続ける。できることなら自分の死もそうありたい。

(写真:いつかのコテスロー・ビーチで撮った)

2018年09月23日(日) 秋の足音

近所の人が山で採ってきたシャンピニョンを分けてくれた。日中は半袖で過ごせても秋の気配は着々と忍び寄っているのだな。ここでは"Coulemelle"といって日本ではカラカサタケというものらしい。生では香りはないが、焼くと匂ってくる。バター醤油でいただいた。野生のシャンピニョンなんてすごい贅沢。リュカは"肉じゃないのに肉っぽい"という見た目と食感がそうとう気に入ったらしい。

「よし、僕らもシャンピニョン狩りに山へ登ろう!」

「いいよ。わたしもちょうど栗の木探したかったから」

ということで、自宅の目の前に聳え立つ山に登った。地元の慣れた人々は、必ずバスケットを持参する。そうして摘んだ物を入れて歩けば、自然とそこら中に菌がばらまかれてまた生えてくるんだそうだ。2時間ほどで頂上まで登りつめたら休憩。町を見下ろしながら熱いカフェを飲む。しみじみここへ来てよかったと思った。この町が好き。1年暮らしてそう思う。暮らしは町の中心を流れる川のせせらぎと共にある。いつでも山を歩けていつでも地中海を見られる。いつでもイタリアへパスタを食べに行ける。美味しい野菜や果物が豊富に採れる。空気が美味しい。人々はとても良くしてくれる。友達と呼べる人もできた。ここへ来るためのビザを申請した時に書かされたモティヴェーション・レターに"一年を通じて南仏の四季を味わいたい"と書いた。それも十分過ぎるくらい味わい尽くした。18歳の時に手に取ったピーター・メイルの"A year in provence"の世界はまだここに健在していたのだった。

結局リュカは食べられそうな気がしないシャンピニョンをごっそり狩り、わたしは一本たりとも栗の木を見なかった。4時間山を歩き回った心地良い疲れで寝床に就くやいなやぱったりと眠りに落ちた。


2018年09月19日(水) Tarte aux abricots

憧れのタルト・オ・アブリコを焼いた。なぜ憧れかと言われたら日本では乾燥させたものしか見たことがなかったから。乾燥させたものも十分大好きで、あんみつには絶対杏子を追加でトッピングしていたっけ(あぁ、みはしのあんみつ食べたいなぁ)。こちらでもブーランジェリーなんかでタルト・オ・アブリコを見ると飛びついていた。アブリコのオレンジ色とか熟した月のような見た目もすごくそそられるんだよな。いつか自分で焼いてみたい。そう思っていたら今朝マルシェで美味しそうな生のアブリコを見かけて、決めた。今日だ、焼くぞ。バスケットいっぱいにアブリコを買ってきた。1/3ほどの量をコンフィチュールにする。皮は剥かないで種を取り出し、更に種の中から杏仁を取り出す。あぁ、これアマレットの良い香り。実と杏仁をプロセッサにかけてから煮る。わたしのコンフィチュールはたいてい糖度20%。そしてあまり固く煮詰めない。日持ちはしないが、果物の味を存分に味わえる。最後にアマレットのリキュールを加えて火を止める。タルト生地、アーモンドクリーム、最後に半分に切ったアブリコを乗せてオーブンへ。焼き上がりの熱々に水で緩めたコンフィチュールを塗って完成。家中広がるアブリコの香りに心がとろける。

クロエちゃんは相当アブリコの香りが気に入ったらしく、アブリコの入ったバスケットにずっと頬ずりして離れない。そのうち手など突っ込み始めて、しまいにはあちこちに転がして遊んでいた。わたし達が熱々のタルト・オ・アブリコを頬張ている横で、魚に生のアブリコを混ぜたのをムシャムシャムシャと食べていた(後で調べたら猫にアブリコは与えないほうが良いらしかった)。


2018年09月15日(土) 天使の時間




イタリアのリグーリア州サヴォーナ県にある海辺の小さな町アラッシオ(Alassio)を訪れた。車を停めて辺りを散策する。ビーチに石が敷き詰められているフレンチ・リビエラとは違ってこちらは砂浜。歩きやすいのはいいが、水が濁っている。まだ海水浴をする人々で賑わっている。イタリア在住の友人とここでおちあって海沿いのシーフードレストランでランチにした。わたしはフリットゥーラ(frittura)をとった。

友人がいつも連れてくる6歳と3歳の娘ちゃんふたりは真のエンジェル。バービー人形のような細くて柔らかな髪の毛と青い目。おねえちゃんのエルマは人懐っこくて、イタリア語ができないわたしには学校でちょっと習った英語で話してくれる。いもうとのセレーナは独立心が強くてなんでもひとりでやりたがって、手助けすると機嫌を損ねる。男の子ふたりのお父さんのアントニーはこのエンジェルにめろめろ。

「女の子も欲しかったんじゃない?」

「とんでもない。いつかオレのようなイタリア男なんか連れて帰ってきたら嫉妬で狂うに違いないもん。男ふたりで良かった」

と、そのうち嬉しそうに息子のガール・フレンドの写真を出してきた。

食後に車でチェルヴォ(Chervo)という小さな村に移動して散策した。細い細い中世の路地を歩いて教会に抜けたとことで、ちょうど結婚式を終えたカップルが拍手喝采の中外へ出てきた。目に映る純白のドレスとその向こうの青い海に見惚れているとエンジェルに手を引かれた。

「ねぇ、ジェラート食べようよぉ」

すぐそこのカフェに入りジェラートを食べる。セレーナの髪を結い直して"Bella Bella"と言うと満面の笑みを返してくれる。大人達は教会の中を見学に行き、わたしはエルマと夢中で結婚式で投げられたハートの形の紙吹雪を拾い集めた。縁起も良さそうだし、何かのペーパークラフトに使おう。

夢中で泳ぐ犬達、純白ドレスの花嫁、エンジェルのような子供達、空の青と溶け合ってしまうような水平線、目に映るもの全てに心が溶かされてしまうひたすら甘い時間だった。

2018年09月06日(木) パーネ・カラザウ

夏もヴァカンスも8月にぱったり終わり新年度が始まった。朝晩はすっかり涼しくなって、薄いブランケットをもう一枚ベッドに乗せた。夕飯後の散歩にはもう出られない。町からも観光客はぱったり減ってマルシェもカフェも妙に大きな空間に見える。

アトリエも始まった。今週は収穫祭で売り出す料理をせっせと作っている。ネット上にはないこの地域の長老だけが知っているような郷土菓子のレシピなんかもでてきて面白い。しかし、共同で使っているナイフのキレの悪さといったらない。手が疲れて仕方がない。日本ほどナイフであれこれ刻む習慣がないから誰も気にしない。次回から自分のを持参しよう。

クリスティーヌも図書館を開けた。フランス語学習に付き合ってくれるというので、頑張って通う。

ヴァカンスに出ていたこの町の人々も帰ってきた。サルディーニャに家を持っている隣人のドミニクが島からあれこれ持ち帰ってきてくれた。その中にはわたしがリクエストしたパーネ・カラザウ(Pane Carasau)も。サルディーニャの羊飼いが移動しながら食べるのに携帯するパリパリに乾燥させたクラッカーのような薄いパン。

「ただのパンだよ」

と彼は言うが、わたしの頭の中にはいつか読んだこんなストーリーと共にある。ミラノで働くサルディーニャ出身のナースの話。都心で忙しく働いている娘を思って島から母親が送ってくれるこのパンをパリパリと折ってブリキ缶に入れて携帯し、仕事の合間お腹がすいた時、寂しくなった時に食べる。その瞬間に故郷の風景が目の前に広がる・・・というような。

まずはそのまま食べる。粉と塩とオリーブオイルだけでなぜこんなに美味しいのか。いや、素朴だからこそ美味しいのか。次はパーネ・フラッタウ(Pane Frattau)にしてみる。お湯にくぐらせたパーネ・カラザウ、トマト・ソース(ハーブ数種類、にんにく、唐辛子にケッパーも入れた)、パルミジャーノと順番に乗せる。これを3,4枚分繰り返す。最後にポーチドエッグを乗せる。ポーチドエッグが面倒なので温泉卵を作ったのだが、乗せるのを忘れた。でもこれだけで十分美味しいので卵は要らない。ただパーネ・カラザウはお湯にくぐらせずパリパリのまま食べるほうが美味しいという結論に至った。島からやってきた本物を食べてみたので、次回は自分で焼くことに挑戦しよう。


Michelina |MAIL