My life as a cat
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2018年05月28日(月) コートダジュールの一日

婚姻のための書類は揃った。さて、月曜の朝いちばんに提出しようではないか。市役所は9時に開く。8時50分。

「さて、そろそろ行きますか」

とわたし。

「え?早すぎるよ」

と相方。

「9時に開くってことは・・・ビズしてチャットしてカフェ飲んで・・・担当者の機嫌損ねないようにカフェの後くらい・・・9時30分に到着するように行こう」

なんてこった。そういうのは9時に開くとは言わないんだけどな。近所のスーパーも9時に開くが、開店と同時に行くと野菜も果物も到着してないか、陳列されてないかのどちらか。だから毎日10時以降に行く。La Postへ行く時も同じような会話をした。8時45分に開くなら9時に行こうという相方。いや、ちゃんと時間通りに開くはずだというわたし。じゃぁ、確認してみようじゃないかと開局5分前に張っていた。なんと時間ぴったりに開いた。"Bravo!"。ってわたしの国では当たり前なんですけどね・・・。窓口にひとりしかいない小さな局だが、このお姉さんは律儀で信頼がおける。一度山道をドライブしているのを見かけた時も見通しの悪いカーブで必ずホーンを鳴らしてスピードを落としていた。当たり前と思うようなことだが大半の人はやらない。だから交通事故が多い。

9時30分、担当者のオフィスに入る。この担当者は悪い人間ではなさそうだが、人と喋るのが苦手なようだ。こちらの聞いたことには答えてくれるが、逆に聞かなかったことは一切説明してくれない。以前彼女と机を並べて仕事していたというクリスティーヌが口をきいてくれなかったらどうなっていたことか。結婚式の予約を取りに行った日は大雪。書類提出の日は雨。心にどんより暗雲たちこめる。しかし、書類を見せるとあっさりとOKが出た。あちらはもう終わりの体制に入っていたが、右も左もわからないわたし達は食い下がった。

「あの当日は予約の時間より早く行って準備とかあるんですか?何時に行けばいいんですか?」

「時間通りでいいですよ・・・というか、みんな遅れてくるんで時間通りに始まった試しがないですけど」

・・・・。
自分の結婚式に遅刻するっていったいどんなだい。

しかし、彼女が口下手なことは逆に幸運だったのかもしれない。口うるさく書類にダメ出しされたりすることもなく、式の通訳のことも事前にスクリプトをもらって、当日は友人の英語通訳ということでOKが出た。

やったー!あとは30分程度で済むという結婚式を挙げれば成立。ふたりで小躍りしながら市役所を去った。

家に帰り先週末に越した内装全てが新しい新居で洗濯機をまわす。ホースがきちんと接続されていなくて、床が水浸しになった。形状的にきちんと接続するのは無理そうだ。なんという杜撰さ。

午後、新居にインターネットのプロバイダが工事に来ることになっていたが待てども暮らせども来ない。夜になっても来ない。プロバイダのカスタマーサポートに問い合わせると、曖昧な答え。ひとつだけ確かなことは翌週にならないと再予約は取れないとのことだった(ところが翌日工事の技術者から連絡があった。

「明日の午後行けることになったから、ちゃんと家に居てね」

どの口が言ってるんだい。もう笑ってしまうよ)

夕飯の買い物へでる。プロモの製品を籠に入れいつものおねえさんに会計してもらう。レジのモニターをじっと覗き込むと、

「これ、今プロモで、ほらちゃんと値引きされてるからね」

と誇らしげに指さして見せる。"・・・・ト、ト、Très bien"と答える以外にない。このスーパーでは釣り銭間違えたり表示価格とレジの価格が違ったり、とにかくよくそんなことがあって、わたしが"間違ってる"とか指摘するものだから、ちょっと気をつけてくれてるのだろうが、プロモとうたった商品がちゃんと値引きされるとか当たり前なんだけどなぁ。あぁ、本当に無邪気。

夜、リュカが帰宅する。頼んでおいた電話をかけてくれたかと訊ねる。

「今日は電話は電波がなくて繋がらなかった。このところなんでかほぼ電波がないの。電話会社に電話かけようにも何せ電波がないから」

・・・・。

こうしてあるコートダジュールの典型的な一日は暮れていく。


2018年05月26日(土) 地球の歴史の中の一瞬の午後

図書館のクリスティーヌがランチに招いてくれた。

「特別何か用意したりしない気軽な招待だからね」

と庭の野菜とハーブとBIOの飼料で育てた鶏の卵なんかをテラスの鉄板でちゃっちゃっと炒めて出してくれる。新鮮そのもの。最高ではないか。美味しい料理を頂きながら、日頃図書館では話さない色んな話をした。宗教のことや人生のこと。彼女は厳格なカトリックの家で育てられた。自ずと周囲はみんなカトリックだ。洗礼を受けないと天国に行けないと教え込まれた。

「神様はもっと気前がよくて、ちゃんと生きた人は天国に行かせてくれると思うわ」

家族や友人には言えないが、宗教を持たないわたしだから打ち明けられるのだろう。

「なぜみんな死や死後のことを恐れるのかしら。どんな生命も地球の歴史の中をたった一瞬通り過ぎるだけなのに」

うんうん、わかる。わたしには死のことすら自然の中のたった一コマみたいに感じる。まして死後のことなんて想像しようとも思わない。どうして人は孤独死することや酷い姿で死ぬことを恐れるのか。どうやって死ぬかよりどうやって生きるかということのほうが余程重要なのに。わたしは死んでしまうその時までどうやって楽しく生きていくかだけを考えていたい。

あれこれあれこれと喋りながらゆっくりゆっくりチーズ、デザート、カフェ・・・とフルコースをやっていて、気付いたらもう夕飯の時間。実に6時間かけてランチを食べていたことになる。クリスティーヌとは生まれも育ちもまったく違うが、とても似たフィーリングを持っていると思うことがよくある。わたし達の共通点は多感な若い時に悩み抜いたことではないか。他人の目に映る"苦労人"というわけではない。でも世界のあらゆることに納得できず、どうしてそうなるのか、と自分なりの答えを探して悩んで彷徨い歩いたことだ。そしてある日を境にぱっと世界が明るくなって、何が起きても自分なりの答えをすぐに見つけられるようになる。"地球の歴史の中をたった一瞬通り過ぎるだけ"なのにどうしてそんなに悩んだのか。いや、真剣に悩み抜いたからこそ、そんなあまりにも素朴な生死観に行きつくのだろう。


2018年05月23日(水) 夏支度

"The Big day"のための"A Big day"。マルセイユの日本領事館に依頼していた婚姻のための書類の受け取りにニースへ。昨日は通常通り動いていた電車が今日に限ってストライキで終日運休。仕方なく早朝にニースに到着する代替のバスに乗る。8時半にニースに到着したって開いてるのはカフェくらい。ひとまずカフェでゆっくり朝食を摂る。

駅からジャンメドサン通りをジグザグ歩きながら夏のサンダルを物色する。途中で素敵な服を見つけて試着してみたりして2時間かけてマセナ広場に到着。広場でランチを摂りながら人々の足元を観察。街をちょっと離れればデコボコの石畳の道が多いからだろう、ヒールのある靴など履いてる人はいない。みんなスニーカーかペタンコのサンダル。それにしても見た目25歳以下の若者のファッションの個性のなさはどうしたことか。制服かっていうくらいみんなスリム・パンツにスニーカー。ムスリムも多いからなのか、スカートを履くティーネイジャーなど一度も見たことがない。個性のある装いをしているのは見た目30歳以上か外国人観光客のどちらかだ。ここで謎となるのはこんな風でも若者向けのお店にはスカートやワンピースなどフェミニンな服が普通に売られている。カルツェドニア(Calzedonia)というチェーン店では冬の間どかんっとタイツが売られていて、若者が購入している。あなた達、それいつ履くの?と聞きたくなって、ふと頭に浮かぶ。そうだ、夜だ。わたしは夜出歩かないから知らないだけであって、夜になるとスカートにタイツなんかに履き替えて出かけるのかもしれない。

食後のカフェが終わる頃、購入するものを決めて、来た道を戻った。リネンのオールインワンと麦藁のサンダル。

買い物を終えてやっと駅前のIBISホテルへ。本来マルセイユまで出向いて書類を受け取らなければならないのだが、年に2度ニース出張サービスというものがあって、タイミングがよければそこで受け取れる。ホテルのコンフェレンス・ルームは日本人と日本語と日本の細やかな空気で埋められていた。領事館の人々は親切だ。広尾のフランス大使館の殺伐とした空気を知る人ならば、みんな天使が舞い降りてきたような気になるだろう。書類は何事もなく(この"何事もなく"がこちらにいるとひどくありがたみがある)きっちりと揃った。問題は"何事もなく"を期待できない国に生まれた相手だ。郵便が届かないだの、連絡がつかないだの、ヴァカンス中だの・・・って大丈夫なんだろうか。

帰りのバスまでまだ時間がある。"アラブ通り"とわたしが呼んでいるアラブ系のマーケットの並ぶ通りでスイカを買って、バス停の前でもう一杯のカフェを飲んでやっと帰りのバスに乗った。カフェ3杯も飲んだ長い一日。ひとまず"婚姻のための書類収集"というプロジェクトは片付いた。

海、山、トマト料理、白桃に長い夜。夏はすぐそこ。待ち遠しい。


2018年05月19日(土) Vivre à la campagne

山の上で暮らしているというリュカの仕事仲間の家に招待された。山の中腹で車を停める。この先は4駆でなければ登れないというので徒歩で登る。急な山の斜面を10分程登ると羊達が出迎えてくれる。続いて馬、ポニー、鶏に猫や、犬がうじゃうじゃいっぱい・・・・。ペットがいっぱいいるとは聞いてたが、とにかく賑やか。動物達に出迎えられてから更に5分程で彼らの邸宅に到着する。敷地の巨大さに反して邸宅はこじんまりとした山小屋風。"フレンチ・カントリー"なインテリア雑誌の中の世界がここにあり。家主が説明しながら中を案内してくれる。彼らの手作りがぎっしり詰まっていてとにかく愛らしいものばかり。そして愛らしいだけではなく、自然との調和を考慮した工夫もあちらこちらに見られる。自然光を取り入れるための天窓、防寒対策にアルミを張り巡らした天井。建物の外にあるトイレは用をたしたらトイレット・ペーパーを脇のボックスに捨て、穀物のもみ殻をかけるというもの。階段も石壁も全て何年も何年もかけて夫婦二人で作り上げたというそれはそれは愛のいっぱい詰まった家なのだった。沢山の犬や猫は亡くなった患者さんから引き取ったりとかそんな事情で増えていったらしい。










































にょき。ラマが顔を出す。

「誕生日に旦那がプレゼントしてくれたの」

・・・・。なんでラマ?かちかちのバゲットを顎を横に動かして噛み砕いていた。




ランチはバーベキューだと焚火で何かを焼いていた。あぁ、サツマイモを持参すればよかったと後悔。ティラミス、チーズ・ケーキ、レユニオンのラムのカクテル、ひよこ豆のサラダ、フルーツ・サラダ。どれもとっても美味しかったが中でも旦那さんの手作りのマヨネーズは格別。みんなは肉に付けて、わたしはバゲットに塗って、すぐに売り切れてしまった。美味さの秘訣はやっぱりのびのび暮らす鶏の新鮮な卵なんだろうか。













ゲームをしながらゆったり午後を過ごし、陽が沈む前に山を下る。帰り道、今日のバーベキューは彼らの羊だったとリュカが悲しそうに教えてくれた。

現代人の田舎暮らしは自然が好き、動物が好き、うまく共生したいというアイデアの下には成り立たない。自然や動物と格闘していく気がないわたしやリュカのような人間は、町中の小さなアパルトマンで小さく暮らすほうがよほど自然に優しくしているような気でいられる。





2018年05月17日(木) ”夢のような”モロッコの旅

朝のマルシェで空豆、さやいんげん、グリーンピースと緑色の豆ばかり買い集めて、ランチにリゾットを作った。新玉ねぎをオリーブ・オイルで炒めたら米を入れ、白ワインをどぼどぼ。さっと蒸発させる。塩をする。ただのお湯を少しずつ注ぎながら煮て、仕上がる3分前に豆を全部投入。バターとパルミジャーノで仕上げる。子供の頃、初夏に食卓にあがる塩茹でしただけの空豆の匂いは暑くなって匂い始めた足みたいで苦手だった。この発酵したような臭さとパルミジャーノを合わせるとなんとも魅力的な芳香となると知ったのは、大人になってイタリアの空豆料理に出会ってから。今では空豆を食べながらこれからやってくる夏に思いを馳せるのは年中行事だ。

ボーイ・フレンドとモロッコでヴァカンスを過ごしていた図書館のクリスティーヌが帰ってきた。もう夢みたいな素敵な時間を過ごしたわ、とうっとり語ったのはこんな話だった。

「もう到着した瞬間から観光客からなんとかお金をまきあげたいような人がうじゃうじゃ着いてくるのよ。で、わたし達はそのうちのひとりとあれこれ話して、彼のおすすめだというレストランへ行ったのよ」

え!?そんな怪しい感じの現地人に着いていったの!?で?

「で、なかなか美味しいモロッコ料理を食べたわ」

会計とか大丈夫だったの?

「ちょっと高めだったけど、まぁ許容範囲内かな。でね、食後のお茶を飲んでたらね、その男がアタッシュケースを開けてジュエリーを見せるの。あなたのお母さんへの土産にどうかって。でも、如何にも安そうな代物なのよ」

で?

「わたし言ったわ。"こんな如何にも安そうなジュエリーお母さんにあげられないわよ"って」

言ったの!?それで?

「そしたらその男ニヤりと笑って"まぁ、確かにそうだね"ってアタッシュケースを閉じたわ」

そんなあっさり認めちゃったのか。なんかヘンテコな展開。

「でも、今度は靴を出してきたのよ。すごい素材もよくて素敵な靴なんで欲しくなったわ。でも価格を聞くと100ユーロだという。まさか、確かに素材も良いし素敵だけどそれはふっかけすぎだと言ったら結局70ユーロでいいとひきさがったんで購入したのよ」

・・・・。

「それからその男が色んなところに案内してくれたわ。結局わたし達もすごく楽しい時間を過ごすことができたから20ユーロ渡してお礼を言って別れたの」

日頃から創意に満ちたクリスティーヌのことは面白い人と一目置いているのだが、こんなまやかしみたいな人々も"夢みたい"なヴァカンスの思い出を形成する材料にしてしまえるなんて改めて尊敬する以外にない。わたしはこんな隙あらばお金をまきあげようとするような人とは絶対うまくディールできないからすぐに逃げるだろう。それを余裕で交わし、結局楽しい時間を過ごしたなんて結論に持っていけちゃう彼女はわたしよりずっと人生で得をしているだろう。物事は見る角度次第でどんなものにも変わっていくもの。わたしも得なほうをとりたいけど、でもやっぱりこんな人々とはディールできないな。


2018年05月15日(火) ニャンとも 小さな便り、大きな便り

砂糖不使用のアップルパイを焼いた。油は50gに抑えて、水を60g、中力粉170gと全粒粉30gにアレンジ。全粒粉入りだから空腹も満たしてくれるし、何より砂糖を使わないのに満足の甘さ。フランスの林檎は味がしっかりしていてパリっとしているというのも秘訣かもしれない。林檎は蕎麦粉ともよく合うから次回は全粒粉を蕎麦粉に変えて焼いてみようか。

休日は外食しがちでバターや砂糖やクリームたっぷりのお菓子を食べてしまうから、平日は果物とか野菜や穀物の甘みだけでできる体に優しいお菓子が欲しい。"砂糖不使用"とうたっていてもみりん、ハチミツ、メープルシロップなんかを使ったものが多くて、そういうのはわたしの意図とちょっと違う。なかなか納得のいく"砂糖不使用"のレシピには巡り合えない。

日本ではパラパラ漫画というのがブレイクしているらしい。何気なくクリックした動画に大号泣。ニャンとも 小さな便り、大きな便り。外で嫌なことがあって突っ伏している女の子にそっと触れる猫の手。あぁ、クロエちゃんも辛い時こうやって慰めてくれたなぁ、とか思い出してぼろぼろ泣いた。どんなに忙しくても絶対に怠ってはいけないのは小さな生命の発する声に耳を澄ますこと。小さな生命は毎日毎日全身から色んな感情を発しているのだから。

世界で知られる日本のポップカルチャーというものには日本人として目を背けたくなるよな幼稚なものも多い。こういうものこそ世界に出て行って欲しいものだが、やっぱり"I have a pen・・・"みたいな身のないもののほうがインパクトが強いのだろうか。


2018年05月13日(日) 小さな秘密

菓子パンと呼ばれるようなものにはあまり興味がないのだが、こちらに来てちょっと気に入っているものがある。クロワッサン・オ・ザマンド(Croissants aux amandes)。ただでさえバターたっぷりのクロワッサンにナイフを入れ、アーモンドのプラリネをたっぷり挟んで、更に上にもたっぷりのプラリネとアーモンドスライスを乗せて焼くというカロリーを想像したくもないパン。どこのブーランジェリーでも大抵は置いている定番。同様にパン・オ・ショコラ・オ・ザマンド(Pain au chocolat aux amandes)もあるのだが、こちらはアーモンド・プラリネの旨味がチョコレートの甘さに殺されてしまっているようでいまいちだと思う。近所のブーランジェリーではパン・オ・ショコラ・オ・ザマンドは毎日売られているが、クロワッサン・オ・ザマンドは休日にぽろりと気まぐれに売られる。今日はそのぽろりに出くわしたのでラッキー・デイ!と買ってきて、ひとり秘密の花園でピクニックを楽しんだ。他人と調和して暮らす温かみを愛しく感じることもあれば、煩わさを感じてひとりでひたすら好き勝手に生きていた日々を恋しく思うこともある。たまにこうやって自分のこと意外何も考えずに買い物をして、体に悪いとか考えないで舌の喜ぶものを食べて、ごろごろ寝転んで、飽きるまで読書に耽る時間は大切にしている。人に言えないような悪いことは何もしてなくても、なんとなく報告したくない。小さな秘密を持つことで気が軽くなる。こんなお安い秘密相手も知りたくもないかもしれないが(苦笑)。


2018年05月12日(土) Promenade du Soleil

リュカの旧友とマントン(Menton)のカジノ前で待ち合わせ。待ち合わせ時間から10分ほど過ぎた頃、10mほど先に一台のバイクが停まり、何やら長い紙に包まれた物を抱えた男性がこちらに向かってくる。

「アンジェロだ。なんか手に持ってるよ。バゲットか?」

ざわざわしてるとわたしのほうへピンポイントで向かってくる。ビズを交わしてからにょきっと翻した手に握られていたのは白い薔薇だった。3人のマドモワゼルに1本ずつ薔薇を手土産にやってきたのだった。

「でた〜!!ラテン・ラヴァーだ!!」

とみんなに冷やかされてもイタリア人のアンジェロは当然といった澄ました顔で歩き出した。ラテン・ラヴァーは本当にみんなチョコレートや花をプレゼントするのが大好き。これをもらって喜ばない女性はなかなかいないだろう。時期がくれば枯れて、食べてしまえば跡形もなく無くなってしまうというのが一瞬でカッと甘く燃え尽きるラティーノのノリを反映しているようで面白い。

静かな裏手のイタリアン・レストランのテラス席でピッツァやパスタを楽しんだ。食後に"ヴェッキオ・アマーロ・デル・カーポ(Vecchio Amaro del Capo)"というカラブリアのハーブ酒をお店からのサービスで頂いた。養命酒が好きな人なら気に入るだろう味。こういう味、すごく好き。太陽ばかりがじりじりと照り付けて平地もなく農産物にも恵まれずない不毛の土地。貧しくてうらぶられたような場所、と聞いた。そこに根をはって暮らす人々には生活が重くのしかかってそうは見えないのかもしれないが、外側から見れば太陽と青い海の煌めく美しい場所。"うらぶられた場所"で潮風に吹かれて太陽とわずかな水だけを頼りに強く根を張るハーブを思って、一揆に喉に流し込んだら腹の奥から力が沸くような気がした。

食後はプロムナード。ビーチは肌を焼く人からもう泳ぐ人まで賑わっている。沢山歩き、ジェラートを食べた。リュカの友人はみんな医療関係の仕事に就く人ばかりで、そのせいか本当に穏やかで気が優しく気性にむらのない安定した人ばかりだ。

「ねぇ、毎日体の不自由な人々と一緒にいて苛立ったりすることはないの?」

とリュカに聞いたことがある。

「ないよ。ストレスを感じることはあるけど、苛立つことはない。患者自身が一番自分自身に苛立ってるんだから、僕は絶対に患者には怒らないって決めてるから」

みんな心にこう誓っているのかもしれない。わたしのような言葉の不自由なストレンジャーにも本当に優しく接してくれる。フランス語のマシンガン・トークにはまだ参加できないけど、とても楽しい一日だった。

今夜はモナコ・グランプリ。ラテン・ラヴァーは渋滞に巻き込まれる前にとバイクを飛ばして去って行った。



ハーバーから臨む旧市街。



パースでも春になるとあちこちに咲いていたボトル・ブラッシュ。



ジャン・コクトー美術館の外にあるベンチ。





2018年05月11日(金) フランスでアトリエ・タタンのチーズケーキを作る

日本人がいうところの"チーズケーキ"はフランスではなかなか見ない。そもそもその材料となるクリームチーズというものはパンに塗って食べるものという認識しかないようで、KIRIのようなやたら柔らかいものしか売っていない。Philadelphiaはあるが、フランス人用なのか柔らか過ぎて、これでチーズケーキを焼くとエアリーなのが出来上がる。フォークが刺さらないような固いのが好みだから満足が行かない。イタリアでも探してみたが、やはりどれも柔らか過ぎる。もうそれならクリームチーズを作ってみようではないか、と材料を買いに走る。が、ここでもまた問題が。そこらへんで普通に出回っている生乳の脂肪分は最高3.6%程度、生クリームは30%(これは泡立てるのも大変)だ。仕方ない、これでやってみようと挑戦。生乳、生クリーム、フロマージュブランを合わせて40℃まで温めてレモン汁を入れる。が、うんともすんとも分離しない。もっと脂肪分が高い物を使えばこれで分離するのだろうか。仕方なく50℃まで上げる。とこの辺りで分離し始めた。結局60℃まで上げて布で濾してぎゅっと絞った。1ℓの生乳と200mlの生クリーム、大さじ2のフロマージュブランから出来たクリームチーズ200g。温かいクリームチーズを味見しながら、特に美味しくないし思ったほど沢山出来なかったとがっかりして冷蔵庫にしまった。

ところが翌日冷蔵庫で冷えたクリームチーズをもう一度口に入れて驚いた。しっとりクリーミーでとびきり美味しいチーズとなっているではないか。「アトリエ・タタンのチーズケーキ」を作ってみよう。クリームチーズとマスカルポーネとサワークリームとバニラビーンズ。サワークリームというものはこちらで見かけない。フロマージュブランで代用。全部混ぜて焼くだけ。焼きたてのふわふわを冷蔵庫に入れてまた一晩。

こうしてなんとか出来上がったチーズケーキは好みのフォークがなかなか刺さらないのとは違うが、かといってエアリーというわけではない。ほろほろと手で崩れるがしっとりクリーミーで目を見張る美味さだった。

チーズ作りで出来る副産物のホエイ(乳清)はちょっと酸っぱいポテトスープに使う。どことなくチーズ風の香りが漂うぽってり濃厚なスープ。チーズケーキでエネルギーを使い果たしたので、夕飯はパンとスープだけという"ハイジの山小屋風"とした。


2018年05月05日(土) Troc Vert

図書館のクリスティーヌが主催する"緑の交換"イヴェントへ出かけた。食べ物と緑を持ち寄ってみんなでシェアしましょうというもの。

日本へ行くのが夢だというリュカの友人の13歳の娘さんとスモーク・サーモンとアヴォカドの手毬寿司をお重いっぱい握る。折り紙に包んだ青紫蘇の種(こちらではShiso VertとかBasilic Japonaisなどという名前で稀に売られている)には手書きで青紫蘇ジェノベーゼ・ペストのレシピを添える。身を食べて種を土に埋めたらすごい勢いで芽を出した赤パプリカの苗は折り紙で折った鉢植えに入れる。準備完了。

到着するとテーブルの上にはピサラディエ、キッシュ、素朴なパウンドケーキ、シャンパンとフランスらしき食べ物が並んでいた。そこへどんっとお寿司を出すとみんながわぁ〜っと寄ってきた。5歳くらいの男の子は彼には大きすぎる手毬寿司を口に入れ、次の瞬間目をまん丸に見開いて、

"C'est qui?"

と、わたしの顔を凝視し、場を沸かせた。彼は相当気に入ったようで、その後しばらくお寿司の前から動かなかった。お寿司も持参した緑もものの10分くらいで片付いてしまった。シャンパンを飲みながらケーキを齧り、バンドの演奏を見物し、おしゃべりし、帰りに誰かの持ち込んだマジョラムとセージの鉢植えをもらってきた。

こういうイベントは面白いと思うが、主催するクリスティーヌには多々悩みがあるらしい。

「自分は何も持参せずただ食べて緑を持ち帰ってしまうような人もいる。欲張って根こそぎ持ち帰ってしまう人もいるし。あまりにも酷ければ注意するけど、ポリスのようにはなりたくないし。持ち込んだ数だけ持ち帰れるようにチケットを配ろうかとも考えたけど、そんなことをしはじめると"環境保護と人々の交流"という当初の目的からずれていってしまうように感じるし、、、」

どこでも同じね。東京でもこういうイベントに何度か参加したが、必ずこういう人が出て主催者を悩ませていた。持ち込むものの選択も首を傾げてしまうような人がけっこういた。会場中に匂いを放つ大根の酢漬け、炊いただけの玄米、切り落としカステラのお徳用パック、、、、。首を傾げたのはわたしだけではないという証拠にそれらは誰も手を付けず、会場にいつまでも取り残される。そういうものを持ち込む人がおかしな人かといえばそういうわけではなくて喋ってみれば本当に普通の良い人なのだ。食べ物に興味がなくてただ自分がいつも食べてるものを持ってきたという雰囲気であった。人の常識というものに任せてうまくいけばいいが、常識は人の数だけ存在するものだけに、やっぱりポリスが必要になってしまうんだろう。

(写真:今日のにゃんこ。ça sent bon!)


2018年05月03日(木) 買い物の途中で

コートダジュールの春。ちょっと買い物にでるだけでも心が躍る。自然探索ガイド″Randoxygène"(このガイド、自然探索が好きな人にはうってつけ。Web上でも見られるがわたしはオフィスデツーリズムで冊子をもらって、それを片手に山歩きを楽しんでいる)はPays Côtier(地中海沿岸の地域)、Moyen Pays(中間地域)、Haut Pays(標高の高い地域)と区分けされていて、そのMoyen Paysに区分けされているこの地域ではPays Côtierより一足遅れて本格的な春がやってくる。鉢植えに蒔いたハーブもいっせいに芽を出した。



どこもかしこも新緑が美しい。



路上のマルシェの品揃えは春めいて、カフェ・テラスは新聞を広げる地元の人、地図を広げるツーリスト、休憩中のサイクリストと賑わっている。通りでただただ日向ぼっこする人達も。



この赤紫色の花はハナズオウというらしい。この辺りではあちこちに咲いている。白いほうはジャスミンの一種のようだ。藤の花もあちこちで見かける。フランス人は花の部分をフリットにして食べたりもすると聞いたので齧ってみた。大抵の食用の花がそうだが特に味はない。″食感″を味わうものなのだろう。



ツーリストで賑わう表側の喧噪から離れて静かな裏側へまわるとこの教会はちょっと違う顔を見せてくれる。ここはいつも独占できるわたしの秘密の花園。

ランチは家にずっと置いてあったトマトが完熟になったのを見計らってトマトのパスタにする。イタリアの長靴の踵にあるサレント半島辺りではパスタにしばしば全粒粉を混ぜるのだそうだ。オレキエッテとマッケローニを打ってトマトと新玉ネギとバジルのソースで和える。全粒粉のパスタは合わせるソースが難しいと感じて敬遠していたが、こんなフレッシュ・トマトを使ったやさしい味のソースとはよく馴染むものなのだな。






Michelina |MAIL