My life as a cat
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2015年10月30日(金) 殻を割って、一皮剥けて

嫌でもどうしても毎日関わらないわけにいかない仕事絡みの人。″嫌だ″という感情は思われたほうではなく、思ったほうが損をする。そう解っていても気付くと″嫌だ″という気持ちに支配されていたりする。自分が潰れてしまわないように、相手を徹底的に自分の記憶や視界から排除するトレーニングをした。理論で解っていても、そう簡単にはいかない。思い悩んでいた時に秋元ユキさんのサイトに巡り合った。″スピリチュアル″という言葉はなんとなく少し敬遠してしまうけど、彼女の言葉のひとつひとつは科学的根拠のある宇宙の仕組みのように思えた。それからすごく心が軽くなった。そして今日、嫌だと思っていた相手が話しかけてきたとき、余計なことまで話すことはしなかったが、にっこり笑って相槌をうってあげることができたとき、自分が一皮剥けたように嬉しく思った。相手が仕事絡みなら問題だって殆ど仕事絡みで話し合えば解決するようなさっぱりした問題も沢山ある。でも話してももう無理だと思った時、自分の中から「不快さを抹消すること」こそが一番の解決策だ。

秋の恒例行事、栗の渋皮煮を作って、最後に残ったシロップを使ってパウンドケーキを焼いた。バターは使わず菜種油にして、胡桃、シードミックス、クランベリー、イチジクなどをたっぷり入れて栄養満点。そしてこのケーキのハイライト、カボチャの種。これはそんじゃそこらのやつじゃない!なぜなら、自分でカボチャから取り出したものだから。これってものすごい労力。綿の中から種を取り出して何日も日干しして、カラカラに炒ってからひとつひとつ殻を割って中の種を取り出す。カボチャを食べる度にやっていたのだが、パウンドケーキに使えるくらいの量が溜まるまで相当かかった。しかし、カボチャの種ってとても美味しい。捨ててしまうのはもったいない。もっと簡単にいかないかなぁ。


2015年10月22日(木) レッド・パプリカの底力

のろのろ転職活動。こちらも慎重だが、企業だって慎重。なかなか決まらない。そもそも、面接へ行くのにも会社を休んだりしなければならないので、応募だって厳選している。最近はそういう社会人のために1次面接を電話で済ませてくれるところも多い。あちらがこちらを審査しているように、こちらだってあちらをあれこれと窺っている。とある憧れの企業の電話面接では、良い意味で面食らった。本当に経験やこれからのビジョンのことのみで、質問の内容はこれからわたしがどう企業の仕事と関われるかだけにフォーカスされていた。外資であるということだけで、すでに海外進出を果たしているということであり、生半可にやってる企業では成し得ない。恐らく入社したらライザップの如く″結果にコミットする″のみという厳しい現実が待っているのだろう。

それにしても、日系・外資のこだわりはないが、日本人の面接官は人事のプロでないことが多く、私情に流されて興味本位でプライベートなことまで聞いたりすることが多々ある。″会社が家族″のような仲良しな雰囲気も悪くないが、家族になれるか見定められるような面接は嫌いだ。会社はドライに仕事をこなす場所でいい。気の合う仲間を見つけられればそれはラッキー。初めは面接慣れしていないから、嫌な質問をされた時の対処法を知らなかった。でもこれから罰を受ける囚人ではないのだし、いや囚人だって黙秘権があるではないか。明らかにおかしな質問にはこう返すことにした。

「その質問は業務とどう関わってくるのですか」

ちょっとこの人はキツイと思われるのかもしれないが、こちらだって自分を守るのに必死なのだ。

またまた″ラ・ベットラ″の落合務シェフのレシピに挑戦。簡単。美味い。感激。だってパプリカをを皮が黒く焦げるまでゆっくり焼いて、皮を剥いだら(この時点で美味しい予感むんむんの匂いが立ち込める)、オリーブオイル少々とフードプロセッサーにかけて、フライパンにかけて生クリームを加えてパスタと和えるだけ。仕上げにパルミジャーノチーズと胡椒を振って完成。パプリカだってピーマンの仲間だから、この甘さは想像しなかったけど、焼くと本当に甘い野菜だということがわかる。見た目がウニ・クリームみたいなのも好きだな。(1人前の分量:パプリカ1個:生クリーム50奸


2015年10月14日(水) Bayonne土産

バイヨンヌから大量のチョコレートが届いた。ここはバスクの一都市でフランスのチョコレート発祥の地と言われているところ。数日前に住所を教えたので、チョコレートが届くのは知っていたのだが、箱を開けてびっくり。薔薇の花びらが散らされているではないか。さすが、フランス男だねぇ。ショコラティエで購入したらしい大量のチョコレートの中にはブーケの形をした袋の中に花びらのようにバラエティに富んだチョコレートが入っているものなどあった。夕暮れ時のパリの街角の花屋から幸せそうに花を抱えて出てきた男性を思い出す。これから恋人なりお母さんなり、はたまたお祖母ちゃんなりを訪ねるのでしょう。そしてハグとキスをして花を渡すのでしょう。そんな甘い光景を思い浮かべてにやりとした。日本人男性が行った先々で紙袋に入った菓子折を抱えてきてそのままぶっきらぼうに手渡されるのもいいけどね。″気持ちが見える″ということがやっぱり一番大事なのね。

コーヒーを淹れて、まだ見ぬバスクの海に思いを馳せながら頂いた。カカオの味を殺さないようにしているのでしょう、どれも甘さが控えめでとても上品なお味。ガッツガッツと労働に励んだ一日の終わりに、思いがけずうっとり素敵な夜を過ごした。


2015年10月11日(日) 初恋のきた道

夕飯にきのこと炒り卵の餃子を作って、「初恋のきた道」を観た。15年も前に映画館で観た時のことをよく覚えている。その時″仲良しだった″(愛を語りあったりするわけでなくただ毎日一緒にいた・・・今思えばお互いすごく好きだった)男の子とあちこち歩き回ってさんざん遊んだ日の夜、渋谷のBUNKAMURAへ辿り着いた。隣の劇場では「花様年華」が上映されていて、不倫か初恋かとあれこれ論議の挙句初恋を選んだのだった。わたし達はもう疲れていたせいなのだろう。映画に感情移入することなくまぁまぁという感想を残しただけだった。

改めて観たらすごく切ない映画で、泣けた。生まれ育った村しか知らず、自分の美貌すら自覚のない18歳の少女(チャン・ツィ)が町からやってきた小学校の教師に恋をする。少女の美しさと裏腹にこの教師の見た目がひたすら良識のある素朴な青年風なのがいい。映画の中の全てがとても清貧で美しい。陶器のお直し屋が村にやってきたり、壊れた機織りを直し直し使ったり、少女のハンテンには継接ぎがしてあったり。暮らしが素朴で雑念がなくて、だから恋も一直線。きのこ餃子を抱えて、町に連れ戻される先生の馬車を懸命に走って追いかけるシーン、一面山吹色の秋の美しい背景も相まって本当に切なかった。この初恋には「母をたずねて三千里」的な壮絶なストーリーはない。少女は先生のいる町まで続くその道を歩きはじめるも途中で倒れて村長に連れ戻される。そういうスケールの小さなところにもこの恋のあまりにもの幼さが映し出されていてよかった。

映画の中のきのこ餃子は具はきのこだけで蒸しあげていたのだが、わたしのは炒り卵入りで焼いてみた。美味しかったけど、きのこだけの水餃子のほうがよほどあの切ないシーンにしっくりくるね。


2015年10月08日(木) 魔法の塩

昔々、背が低くててっぷりとした体躯の絵に描いたようなイタリア人のマンマがいた。大きな鍋で煮込んだトマトソースを大きな木べらで両手を使ってわっしわっしとかきまぜる姿がここまでピンとくる人は他に知らない。そのマンマがわたしにリゾットを作ってくれるという。米とワインと何かのスープストックだけのラフなもので、それはシャンパン色に仕上がっていく。塩を指でつまんでパラパラと振り入れる。

「わたしには魔法の塩があるから、なんでも美味しく作れるんだ」

分厚い大皿にこれでもかというような量を盛りこみ、大きなボウルにたっぷり卸されたパルミジャーノチーズと共にドンッと出される。

たっぷりとチーズをふりかけ、アツアツをひとくち。おいしい!

しかし、食べていくうちに気付いて、ガス台の脇にどっさり置かれている″魔法の塩″とやらを舐めてみた。その正体は紛れもなく″Ajinomoto″であった。時は21世紀。イタリアでもスロウフードは絶滅の危機に瀕しているのだろうか。とびっきりの食材できちんと手順を踏むのに、その仕上げに必ず″魔法の塩″を振りかけてしまうマンマを見ながら切なくなった。

しかし、これはホンモノのわたしの″魔法の塩″のお話。数年前から初夏のヒコイワシが出回る時期にアンチョビを作っている。イワシの処理をして、粗塩をたっぷりとまぶしてハーブや粒胡椒を乗せ冷蔵庫に置いておく。50日後、イワシから水分がでて身がしまっている。そのたっぷりと粗塩とイワシのエキスを含んだ水分こそが、ひしお(ナンプラー)。イワシは一度洗い流して、皮やヒレを拭き取ってオリーブオイルと共にビン詰めして熟成させる。ひしおは別にビン詰めして取っておく。

これが冷蔵庫の奥に行ってしまって、その存在をすっかり忘れてしまっていたのだが、ふと見つけて使い始めた。野菜炒めやパスタなどの塩として使うと、マンマミーア!、一瞬にして驚くほど料理の旨みが増す。市販のナンプラーより何倍も旨い。殆どの料理は野菜だけでこなしているけれど、さっと味を調えたい時など重宝する。これはわたしが手間暇かけて作った″魔法の塩″だ。


2015年10月04日(日) 究極のグルメ

「田舎風バジルペースト」を作った。見た目は地味であまり見栄えがしないけど、食べて納得、さすが″ラ・ベットラ″の落合務シェフのレシピ。これは彼が働いていたキャンティのレストランの賄い料理として作られていたものだそうだ。良いレストランなんかだと、表で出してる気取った料理よりも、生活感溢れる賄い料理のほうがよほど魅力的だったりする。バゲットの白い部分だけをミルクに浸したもの、にんにく、バジルの葉、松の実を細かくチョップして、パルミジャーノとオリーブオイルを混ぜてペーストにする。ここでは松の実やパルミジャーノはお高いのでコストは嵩むが、味が価格に見合ってるので文句なし。家でゆっくり寛ぐ週末はこういう贅沢もありね。美味しかったぁ。

しかし、何食べても美味しいなぁ。栗おこわに栗の渋皮煮、梨は朝食にそのまま食べて、ランチに余ったのを摩り下ろして冷麺のタレにしたり、椎茸は焼いて醤油とバター、イチジクはやっぱりそのまま食べるのが一番好きだな。畑ではフィノッキオというフェンネルの仲間の野菜を収穫した。フェンネルと違って、茎の部分を食べるのだそうだ。セロリ系の匂いがする。リゾットを作ってみようかと思う。″オヤジ″達は興味本位で珍しいものは何でも種撒いてみたりするけど、絶対自分達は先に食べず、わたしが毒味をし、うまい調理法を見つけてだして、伝授するとおそるおそるやっと口にいれてみるのだ。

ベッドの中で美味しい物の話をつらつらと書いているのだが、おなかがすいているのだ。思うところあって最近は″美味しい物を食べるため″に間食をやめ、とにかく良く歩いている。時間がきたからという理由だけで食べるという惰性食いのようなのもやめた。どんな美味しいものもおなかが空いてなければ大して美味しく感じない。次の食事を夢に見るくらいしっかりおなかをすかせて真剣に食事に臨む。これは究極のグルメだ。朝何を食べたか思い出せないという人がいる。わたしも以前はそういうことがあった。でも今思えばそれは惰性食いしていたからだろう。夢にまでみてやっとありついた食べ物のことはしっかり覚えているものだ。習慣を見直してから体重が減り、食費も減った。そして食べる楽しみは倍増した。


Michelina |MAIL