My life as a cat
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2013年08月29日(木) フランス人男性観察記

やっと初デートしてきた。パーティーで会ったのは1ヶ月半前で、わたしの旅行やらあちらの海外出張が重なって、メル友と化していたけど、やっと実現した。わたしの中のフランス人男性のイメージを全く壊さない意志の激しいところのある人ではあるけど、出会ってから毎日夜な夜なメールを交換したのだし、旅行中ヨーロッパからラゲッジを盗まれたとメールしたら、誰よりも心配してくれたしで、やっぱり一度はゆっくり二人で会ってみたかった。はじめは8月の終わりの週末という約束だったのだが、急きょフランスに戻ることになってしまったからと、平日の夜は忙しいというわたしのために、わざわざ会いに来てくれたのだった。激しくて面食らうことも多いが、こういう律儀なところが愛らしい。

デートはすごく楽しかった。お互いにカルチャーショックが大きくて、フランス人が大好きな″討論″がはずんだ。まぁ、まずもって、あちらはフランスが世界の中心だと思っていて、″フランス人的感覚を持っている人″を″国際感覚がある人″と呼ぶのだ。とんでもない間違いである。そして、好きと嫌いを両極端にあからさまに表現しなければ、真のコミュニケーションを得られないと思っている。初めてデートした日本人女性は美しくて、頭もよかったが、常にNeutral(中立的)で、それが退屈で、結局彼女のことを何も理解できずに終わったのだそうだ。あまり親しくない人との会話ではNeutralでいることこそが、大人の、しかも国際的なコミュニケーションではなかろうか、とわたしは思うのだが。そしてセックスは何よりも重要で、それなしに男女関係は成り立たないと思っているらしい。英語でも″Make Love″と呼ぶくらいで、欧米ではやっぱりセックスは愛を作り出すのに重要不可欠ということなんだね。ただし、軽々しいとか、手が早いとかいうわけではないと思う。彼いわく、フランス人の″デート″の定義にはセックスも含まれるが、アメリカ人と違うところはExclusive(独占的)ということらしい。同時期に何人もとデートを重ねたりはしないのだそうだ。

次のデートの約束もしてしまったのだが、何せあちらの仕事の予定はあてにならないので、実現するのかどうか。。。でももっと色々覗いてみたいねぇ、フランス人の生態。

以上、夏休みの子供の昆虫観察記ならぬ、夏休みの大人のフランス人男性観察記でした(笑)。


2013年08月09日(金) ラマダンまっただ中のドバイへ

チェコとアブダビ間はチェコ航空での移動。ヴェジタリアンミールの用意がない航空機に乗るのは初めてだった。しかし!これから乗り継ぎついでに訪れるドバイはラマダンの真っ最中。ここで食べ逃したら、まずいだろうと、肉々しい機内食を飲み込むように胃に流し込んだ。

エティハド航空を利用すると、アブダビ空港からドバイ中心地までの無料のシャトルバスに乗れる。観光客も公共の場では物を口にするのは慎むようにと聞いたので、水の補給はトイレの個室でこっそりとやる。

ドバイまでは70分くらい。ひらすら荒野を走る。たま〜に、モスクが見えたりもする。




ドバイマリーナモールに降ろされる。モールの中は静まり返っていて、殆ど人がいないが、見かけるのは白人のみだ。スーパーマーケットなども覗いてみたが、品揃えはオーストラリアと同じで、客はやはり白人ばかり。

おなかが空いたのでホテルの中にあるMazinaというアフリカ系の店員が多数を占めるレストランでランチバッフェを食べた。品揃えが豊富で、客はみんなお金持ちっぽい雰囲気だ。しかし、土足でやってきた野良猫のような観光客のわたしにもとても丁寧に応対してくれる。プロフェッショナルだね〜。

これはドバイマリーナモールのオーナメント。




さて、おなかを満たしたらちょっと観光しよう、とタクシーに乗り込み、カードが使えるかと聞いたら、ドバイのタクシーはキャッシュのみだという!そんな〜、とまたモールに戻り、両替した。わたしは女一人旅の道中タクシーに乗るのが気が進まない。両替所にいたお兄さんにアトランティスまで歩いていけるのかと聞くと、

「歩いて1時間くらいだけど、何せ暑いから生きて帰れないだろう、お願いだからタクシーに乗っていってくれ」

と懇願された。ちゃんとメーターのあるナショナルタクシーに乗り、アトランティスへ。タクシーから降りた途端その湿気と熱気に気絶しそうになり、あの両替所のお兄さんに感謝した。




海の上のアトランティスから電車に乗ろうと駅へ行く。インド系の駅員さんがとても細かく説明してくれて、さらにホストのごとく一緒に電車に乗り込みガイドしてくれて、写真まで撮ってくれた。ドバイに着いた瞬間から今まで味わったことのない「不思議な空気」を感じていたが、あらゆることが理解に苦しむ。

ちなみにオイルの安いドバイではタクシーがとても安くて、その価格からすると電車は割高に感じる。




これが海に浮かぶヤシの形の人口島パームジュメイラの中。ハリウッドスターなどに購入されるというが、この家々も映画のセットのような生活感を感じさせない味気ない見た目だ。




こんな気候的に厳しい町にこんな現代的な高層ビルが立ち並んでいるという光景があまりにも不自然な感じがする。いや、これだけではなく、ドバイというところは何もかもが不自然な違和感を覚えさせる。




向こうに見える三日月型のホテルがバージュアルアラブ。

さて、電車を降りるとインド人のホストはちゃんと出口まで見送ってくれた。笑顔の可愛いお兄さんだったな。

そして、外に出ると、また激しい熱気にすぐに眩暈がしてきた。そこでタクシーのドアを開けられるがままにその助手席に乗り込んでしまった。乗ってすぐにしまった!と思った。黄色がちゃんとメーターのあるナショナルタクシーで、白は文字通り白タクでメーターがない。しかも、運転手はいやらしい目つきで助手席のわたしをなめまわすように見て、腕や手に触ってくる。最初はシラリとよけていたのだが、

″Oh.... Are you shy? Don't be shy"

と言われ頭に血が昇った。ここが個室のタクシーの中じゃなかったらひっぱたいていただろう。しかし、抑えて抑えて、控えめに言ってやった。

″I am not shy at all. I just hate you touching me. You do not touch me again"

結婚するまで女に触ることのできない宗教を持つ国の男が、外国人の女をつかまえてお触りを楽しむのだろう。しかしわたしは客だ。バカにされすぎだろう。ひとつの神を盲信して、人間として不自然な戒律や禁忌を守ろうとするあまり、その抜け道として思いついたのが外国人を触ることなんて、本末転倒だ。将来観光を財源にしようとしているドバイにとって、こういう問題を排除しなければ、やがて大きな損失になるだろう。

観光する気ももうすっかり失せていた。「もうあそこで停めて」、とすぐそばのビルを指さした。で、「いくら?」と聞くと、最初に言った目的地の半分も来ていないというのに同額の30ディルハムだという。お触りを楽しんだ挙句にお金までぼったくるのか、とその厚かましさに腹が立ったが、歯向かって、口論して、殺されて、砂漠の中に捨てられてしまうなんてことになったら大変だ。とりあえず、車が止まるまでの我慢だと自分に言い聞かせ、素直に30ディラハムで頷いておいた。そして、車が停まるやいなや、ドアを開け、いつでも逃げられるように半身外に乗り出してから一揆に反撃にでた。ペンと手帳を取り出し、

″So your name is **...., and your plate number is ****...., and you touched me... "

などと意味ありげにひとりで勝手に頷きながら手帳に書き込んでいくと、次第にあちらが動揺しはじめた。

″Are you sure you charge me 30 AED?"

と念を押すと、

″.... maybe 25....."

と下がった。

″Isn't 20 more than enough?"

と言うと、もうそれでいいと引き下がりそそくさと去っていった。後で、ドバイの人にこの話をしたら、

″He could go to jail"

などと言っていた。もしかしたらお触りの罪はそれくらい重いのかもしれない。

プラハのような人々の暮らしとその長い歴史が固い石畳にさえ染み込んだような町を歩いてきたばかりなのだ。何もかもが、ただただ真新しくて、味気ないドバイの町ではエメラルドグリーンの水にさえもときめきを感じなかった。まぁ、乗り継ぎでもなければ、わざわざ来なかっただろうから、ざっと見学できたのは良い体験だった。

砂漠に太陽が堕ちていくところはちょっと幻想的。




2013年08月08日(木) 燦々と陽のそそぐプラハ

朝8時。夜更かしのプラハの町は、ろくに休みもせず、朝から活発に動いている。




ヴルタヴァ川に降りて、水辺の鳥達をぼんやり眺めた。最高に贅沢な朝だ。″プラハの春″という小説に出てきた一節を思い出す。

「悲しいことも嬉しいことも全てヴルタヴァに」

革命や戦争に翻弄されてきた人々の色んな思いがこの川に流されたのでしょう。プラハの町にはそんな輝かしくて、悲しくて、痛い、様々な歴史が刻まれながら生きながらえた逞しい美しさを感じる。




ハートのシェイプだ。愛し合ってるね〜。




散歩途中のカップルが餌付け用に持ってきたパンを分けてくれたので、投げてみる。この元気いっぱい食べ盛りのチビッ子は大人に紛れて、一生懸命パンを追う。でもやっぱり脚が短いからすぐに横取りされてしまう。それでも絶対諦めない。その必死な姿が本当に愛らしかった〜。ちょっと贔屓して近くに落ちるようにパンを投げてあげたら見事獲得してた。

メトロに乗り、再度カレル橋にやってきた。これは旧市街広場側の橋塔。元は通行料を取る料金所のつもりで作ったそうだ。




橋の上にはこういった聖人像が何体も並んでいる。こんな橋は本当に珍しい。




旧市街地広場の天文時計台。




この辺りの土産屋はどこも同じようなものをまちまちの値段で売っていて、現金で買うならマケるなどというところばかりで、ちょっとうんざりしていたところ、変わったアクセサリーを売るお店を見かけたので入ってみた。ゆっくりゆっくりと丁寧に話す老紳士が出てきて、あれこれと説明してくれる。この店は、まだ有名でない駆け出しのアーティストをサポートするために開かれたのだという。だから量産でない、ひとつひとつ手作りなのだ。すごく気になるピアスがあったのだが、価格がやや気になる。普段なら買ってしまうくらいの価格だが、盗難にあって、帰国したらパソコンなども買わなくてはならない、と考えるとちょっとセーブしなければという気が働く。

「ちょっと高いな。。。」

と呟くと、

「そう思う?」

と心配そうに顔を覗き込むので、慌てて、

「そういう意味じゃないの!ひとつひとつ手作りで労力もすごくかかっているのが判るし、何よりもすごく素敵。ただわたしの経済状況ではちょっと高いなという意味なの」

と弁解した。

心をこめて物作りに励む人、そしてそれを支援する人、わたしはそういう人々を支える消費者になりたいっていつも思っている。結局、購入は諦めたけど、量産のたたき売りで、物の魂が死んでいるようなお店ばかりの旧市街で、とても美しいものを見つけたという良い気分になった。




路地をあるいているとポテトケーキが売られていた。これ過去のボーイフレンドのお母さんが教えてくれたレシピがあって、今でも寒い日などによく作っているわたしの大好物のひとつ。このめちゃくちゃ不機嫌なお兄さんに、

「ゼミアコベープラツキでしょ!」

と話しかけたら、

「その通り。で、買うの!」

とうざがられた。″写真撮らして〜″と頼むと″勝手にしやがれ″っという雰囲気でハエを追い払うような手振りをされた(苦笑)。暑さでかなり嫌になってると見た。ほら笑って、笑って、スマーイル!と言ってあげたくなるような写真だ。

さて、今度はトラムに乗って、丘の上のプラハ城に登る。入口には微動だにしない人がいた。大変なお仕事だね、フィギュアか何かに交代してもらうことはできないのかな(笑)。




城内の建築は歴史と迫力のあるものが多々あるが、写真に収めると大したことなく見えるので、ここに載せるのはやめておこう。

城内におもちゃ博物館があった。




カレル橋から城を見上げるのもいいが、城から見下ろす城下町も絶景だ。




気球に乗ってる人々が。こんな天気の日はさぞかし気持ちいいだろう。




プラハ城は巨大で、トラム乗り場まで帰る頃にはもうぐったりだった。カフェに座りこみ、アイスのブラックコーヒーを作って欲しいと交渉した。普通に″アイスコーヒー″というとミルク入りでバニラアイスが乗ってきてしまうのだ。アイスのブラックコーヒーという飲み物を見たことのない人々が多いため、伝え方に気を付けないと″そんなもんはない!″と一蹴されて終わることもあるので、″アイスのブラック″などとは言わず、″グラスにアイスキューブを入れて、ホットのブラックコーヒーを注ぐ″と言うと変だ!と疑いながらもやってくれたりする。交渉成立。アイスブラックコーヒーを飲むことが出来た。


プラハの町が日暮れていく頃、よたよたと荷物を取りにホテルに戻った。ホテルの近くのケーキ屋さんにクルテクケーキがあった。食べられるのか、この色!?




これでプラハと、そしてヨーロッパとお別れ。空港へはメトロの終点まで行き、そこからバスに乗る。メトロ終点駅のバス停で夕陽を背にして立っていると、向こうからものすごくタイプな見た目の男の子が歩いてきた。わたしは人生で殆ど見ただけでタイプなどと思ったことがないので、ドキドキとしながらマジマジ見てしまった。夕陽に染まる青い瞳があまりにも綺麗だった。

バスが到着すると、その男の子がずんずんとこちらに近寄ってきた。声をかけられそうな雰囲気だった。″ヤバい!運命だ!″などと勝手に焦っていると、
ニコリと笑って、

″May I help you?"

とわたしのラゲッジを指さした。言葉に詰まりニッコリ笑い返すと、わたしのラゲッジを軽々と持ち上げ、バスに積み込んでくれた。

″Thanks a lot"

と礼を言うのがやっとで、話す勇気はなかった。もしやこれで飛行機の中で隣合せということもあるかも!?と淡い期待を抱いたのも束の間、わたしと同じターミナルで降りなかった・・・・(号泣)

2013年08月07日(水) 愉快なプラハの夜

ブラチスラヴァからプラハまでは電車で約4時間。やや荒涼とした景色の中をひたすら走る。たまに、窓から見えるひまわり畑に心がときめく以外は特に変わり映えがない。電車は8人くらいずつで座れる個室になっていて席は自由席だ。この間は年頃もわたしと同じであろう身長2mはありそうな巨大なスウェーデン紳士二人と個室をシェアした。二人はトラベルメイトであちこちと周遊しているという。日本から来たというと、″日本は確か2年前だったよな″″そうだ、そうだ″とそんな調子だった。

この紳士達は、電車がプラハに到着すると、ひょいっと自分のラゲッジを頭上の棚から取り出して、電車の外に置いてから、また戻ってきて、わたしのラゲッジも出してくれた。日頃東京の電車の中で妊婦やお年寄りを押しのけて我先に!と席を確保するような余裕のない男達を見ているのだ、彼らを見るわたしの目がうっとりしてしまうのも仕方ない。

さてプラハ中央駅に着いたらまずツーリストインフォメーションに駆け込み、地下鉄マップとシティマップを手に入れる。かつて″チェコ・スロヴァキア″だったからって、″プラハとブラチスラヴァ″が″東京と大阪″のようなものだろうと思っていると驚く。プラハは圧倒的に大きくて、発達していて、プラハが東京だとしたら、ブラチスラヴァは那覇のような感じだ。

さっそくメトロに乗ってホテルに向かう。メトロは″赤・青・黄色″の3本しかなくてとてもシンプル。ニュースで見たのだが、″出会い専用車両″というのが存在するらしい。乗ってみたいけど、こういうのって欧米の傾向からして、ゲイとお年寄りのたまり場になってそうなイメージが・・・。どうなのかしら、実際!?




プラットホームの壁面はこんなメタリックなのもある。パリでもそうだったが、駅によってプラットホームの壁のデザインが違うのはすごくいい。電車がそのホームに入って窓からその壁を見て駅が判るって便利だもの。それに何より見ていて楽しい。

さて、メトロに乗って周囲を観察する。犬も普通に乗っている。犬アレルギーの人はいないのか、またはそれだけ犬が人権ならぬ犬権を得ているのか。そして女性の服装が今まで回ってきたところに比べたら明らかに女性らしくて可愛らしい。ドイツやオーストリアの女性はその人自身は綺麗だが、服装がフェミニンではなく、何よりも立ち振る舞いがガサツであった。男達も公共の場で女がいかにも″女″と振る舞うことを望まないのだろうが、可愛くてセクシーな女の子を見て、お手本にして洋服を買うのが好きなわたしとしては、そういう楽しみを得られなかった。

さてリバーサイドのホテルに荷物を降ろしたら、予約してあったマリオネット劇の時間が迫っていたので、地下鉄に飛び乗り、カレル橋付近のセンター街へ向かった。道が迷路のようでなかなか目的地に辿り着けない。付近のお店の人などに聞くも、人相の悪い店員が多くて、不穏な空気を感じる(後で知ったのだが、この辺りの土産屋はロシアンマフィアに仕切られているということだ、もっとも店員はマフィアというよりチンピラ風だ。もちろんまともなお店もあるので、そういう事実は非常に不利だ)。

やっとのことで小さな劇場に辿り着いた。子供と大人が半々くらいだった。大人も普通にマリオネット劇を楽しむなんて、可愛いお国柄だと思ったが、きっとそれは過去のことで、今は観光客しか来ないのかもしれない。




題目は″Don Giovanni"。正直、マリオネットが可愛いというだけで、30分もすると飽きてきた。楽しんでいる人も沢山いたので、人それぞれだろう。

マリオネット劇の鑑賞を終えて外に出るともう22:00。それでも旧市街の広場の周りは依然賑わっている。




観光客も地元の人もこんな風に夜遅くまでカフェで冷たいドリンクや、タバコ、水タバコ、ビールを楽しんでいる。不思議と道でよれよれしている酔っ払いなどは見ない。




迷路の路地を適当に歩いてヴルタヴァ川(ボヘミアの川よモルダウよ〜♪のモルダウ川のこと)のほとりに出た。夏の夜の川風が心地良い。川の向こうにライトアップされ聳え立つプラハ城の壮大なことよ。ただただこの景観に圧倒される。




カレル橋を渡る。これはカレル橋のプラハ城側の門。




夜の23:00。プラハの長い夜は静まらない。ホテルに戻る途中で、掃除のプロが巨大な掃除機を石畳の道にかけているのを見た。こんな歴史のある古い建物の多い町を汚くしていると、たちまち気持ちの悪い印象を与える町となるだろ。プラハの町は古い歴史を丁寧に大事に保存している、そんな印象を持った。





2013年08月06日(火) 朝日の燦々と降り注ぐブラチスラヴァを歩く

窓を開け放つと夏の夜風が気持ち良くて、よく眠れた。

バスルームに″For a healthy environment" という見出しのこんなプレートが貼られていた。




ホテルの部屋には、客にちょっとした贅沢な気分を味あわせるために余計にタオルを置いてくれていているけれど、やっぱり使用しなければ、洗わずに済み、水や洗剤を節約できるわけだ。だから紛らわしい置き方をしないで、使用したタオルはくしゃっと投げておいて、使用しないものはそれが解るように放置して欲しいということだ。ごもっともです。

ホテルで朝食を摂って、朝のブラチスラヴァを散歩した。

八百屋の女将はダルそうにコーヒーを啜っている。変わった果物は特に見当たらない。




丘の上にあるブラチスラヴァ城に行ってみることにした。トラムもあるが、旧市街から歩いても余裕だ。入口付近までくると守衛(?)の立つ小屋がある。なんでハート型とかにくり抜いてあったりするのかしら。可愛いのでパシャリ。




入口もなんだか愛嬌あるわ〜。




ここが城のゲート。




ブラチスラヴァ城から見下ろす町とドナウ川。朝日の燦々と降り注ぐブラチスラヴァを見下ろすと、歴史の波に翻弄され、それが時には人々の生活を脅かし、心に暗い影を落としたなどとは想像できない。しみじみ過去のボーイフレンドのことを思う。愛国心とまでいかなくても、わたしはそれなりに自分の母国を誇りに思ってきた。だから彼が母国の話になると急に口数が少なくなって、しまいには口をつぐんでしまうことが辛かった。その胸中にどんな思いがあるのか、どんなふうに育ったのか、どんな暮らしをしてきたのか、過去のことは知る由もなかったし、両親の住む母国に全く執着がないという感覚が日本人のわたしにはとてつもなく哀しく思えた。国籍がまた違うところにあるという複雑さも彼の生活を難しくしていたのかもしれない。

「人々は空腹を満たせるけど、ただそれだけ。貯金したり、ヴァカンスにでる余裕はない」

というぶっきらぼうな説明から想像するしかなかった。共産主義体制下の中で海外に出る自由もなく育ち、大人になる頃それが崩壊して、やっと国外へうまく移民した。どうしてももう母国に帰りたくなくて、悪いことなど何ひとつしていない真面目な勤め人だったというのに、イミグレーションをくぐることはおろか、空港に寄り付くのも恐かったのでしょう。豊かな国から来たわたしにはそんな事情を理解するのに長い時間がかかってしまった。別れてから、あの時解ってあげられればよかったと思うことにぶち当たるたびに、胸が締め付けられるのです。




カフェで休憩。ブラチスラヴァのカフェ文化は新しいのだろうか。パリのカフェなんかは老舗です、どすこいっ!みたいな貫禄を感じたが、ブラチスラヴァなんかは新入りです、どうぞよろしく、ぺこり!という雰囲気のものばかりだ。客もいまいち板についていない感じだ。




ホテルに戻り、ざっと荷物を纏めた。さて、ちょっと面白い偶然があった。ブラチスラヴァ出身の過去のボーイフレンドがオーストラリアで買ってくれたサングラスをずっと愛用していたのだが(もう10年になるか)、そろそろ寿命だったのだろう、ここでポッキリ折れてしまった。

「オーストラリアでブラチスラヴァ出身の男に購入され、最期には日本に持ち込まれたサングラスは、10年の月日を経て、その生涯をブラチスラヴァで終え、そこに骨を埋めた」

ちょっと面白い話だ。

さて、ブラチスラヴァ中央駅までやってきた。本当にこの駅が他国へ行く電車が走る駅なのか?という感じだが、新しもん勝ちみたいな日本の感覚がおかしいだけかもしれない。ここからチェコのプラハに向かう。





2013年08月05日(月) しみじみと感じ入るブラチスラヴァの長い夜

船着き場から旧市街に向かって歩く。町の随所に終わりに近づいたコデマリが咲いていて、落ちた花びらが粉雪のようにアスファルトに舞い落ちていた。




ウイーンから来ると、その町のイメージカラーや建物の色の野暮ったさを感じる。旧市街を抜けてホテルに向かう。ホテルの窓からの眺め。




ホテルは安宿でも高級でもない至って普通のを選んだが、レセプションに3人も身なりをきっちり整えた長身のイケメンが立っていて面食らった。なんとなく見ていると、この国ではホテル勤務はなかなかステイタスが高いのではないかと想像してしまう。そしてあまりにものイケメンににっこりスマイルを送られたりすると、詐欺師なのではないかと変に疑ってしまったりする。




荷物を降ろして、旧市街を歩く。船着き場から旧市街を見た時は″野暮ったい″と思ったが、この小さな迷路の町を歩くと″愛らしい″とたちまち愛着が湧いてくる。




こんな小さな路地におみやげ屋さんが軒を連ねている。どこも品ぞろえが同じだが、価格はまちまちだ。




町のあちらこちらにこのようなお茶目なオブジェがある。

ここは人生で初めて真剣に付き合い、何年も一緒に暮らした人の故郷だ。こんな小さな町からやってきた人と、極東の小さな島国からやってきたわたしが南半球で知り合って、何年も一緒に暮らした。人生の可能性は無限大、とつくづく思う。そして別れて何年も経つのに、別れてから見聞きしたもので初めて相手の文化を理解するということがお互いに多いようだ。

彼は頭が固く随分と″難しい人″だったが、いたるところに茶目っ気があった。町を見るにつれて、彼の言動の出所を今更ながら理解していった。




パブで夕飯を。これも彼がベジタリアンのわたしに作ってくれた郷土料理とぴったり同じだった。フライドマッシュルームとカマンベールチーズとオニオンリング。それにしてもパブのテラスに吹き込む、夏の夜の風の心地良いことよ。ぼんやり道行く人を眺めて過ぎていく自堕落な時間。これこそヴァケーションのありかただね。




21:30。パブを出てまた町を練り歩く。陽はまだ完全に落ちていない。まだまだみんな長い夏の夜を愉しんでいる。





2013年08月04日(日) フンデルトヴァッサー・ハウス、そしてドナウ川を下る

「植物と共に生きてこそ人間は、よりよい生活を送ることができる」と訴えた建築家のフンデルトヴァッサー、そしてその思いを買って彼に公共住宅の建設を依頼した市長、出来上がったのは従来の公共住宅という地味なイメージを覆すフリーダムに満ちたものだった。批判の声もあがったが、市民には受け入れられて、入居希望者が殺到したそうだ。




屋上には溢れんばかりの緑があるのでしょう。先に回った焼却場には見物客はいなかったが、ここは大盛況。美術学生の校外学習やら観光客で賑わっていた。




家の中はどんな風になっているのだろう。色とりどりのお菓子の家みたい。ここが自宅なんて言えたら素敵。




あらゆる細部にもデザインが施されている。




もうひとつ、このすぐ近くにクンストハウス(Kunsthaus)という彼の作品の美術館があり、それも観たかったがもう時間切れ。トラムでドナウ川沿岸まで出て、ここから水上バスでドナウ川を下って、スロバキアのブラチスラヴァを目指す。遊覧船での越境は人生初体験。




堤防にはカフェがオープンしていたりする。6月に洪水でドナウ川が氾濫して死者を出したなんて話が嘘のようだ。




気温は高いが湿度が低いので風が肌にきりりと気持ちいい。船のデッキに席を取った。

ウイーンが遠ざかっていく。″おまけのウイーン″というつもりで来たのだが、その整然とした美しい都会ぶりに驚き、大変良い印象を持った。いつかまたじっくり観光しに帰ってきたい。




ウイーンを離れると遊覧船はぐんぐんと加速する。時速60匳个擦襪里自慢だというアナウンスをしていた。それにしてもこんな贅沢な夏の夕涼みがあるだろうか。きりりと冷えたホワイトワインでも飲みながら、この粋な川風を満喫したいものだが、何せデッキ席はものすごい強風で、ペットボトルの水さえ飲まぬようにと注意を受けた。




ウイーン − ブラチスラヴァ間は遊覧船でおよそ70分。その間のおよそ50分くらいはこのような単調な景色だ。電車のほうが安くて早いらしいが、季節は夏。ヨーロッパの貴重な太陽の降り注ぐ日に、その陽に当たらない手はない。これは正しい選択だった。




スロヴァキアが見えてきた。ここはブラチスラヴァの旧市街から見てドナウ川の対岸の地域のようだ。




ここから10分程で、ついに見えた!ブラチスラヴァのトレードマーク、ブラチスラヴァ城。




時刻は18:00前。まだまだ陽が落ちない。今夜ばブラチスラヴァで長い夜を満喫してここに泊まる。

2013年08月03日(土) ベートーヴェンの小径をなぞる

トラムで市内中心から30分、ハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)という小さくて静かな町にたどり着く。ここは難聴となり生きる希望を失ったベートーヴェンが一度は死のうと遺書を残したところだ。気候にも恵まれて、散歩を愉しむには最高の日だ。小川沿いに続くベートーヴェンの散歩道を歩く。




この辺りは閑静な住宅地になっていて、犬や子供を連れたマダムの散歩道となっているようだ。ゆっくりと歩くこと20分、ベートーヴェンの像にたどり着く。




ここで銅像の脇のベンチに座って一休みしたら、ブドウ畑の看板の矢印のとおりに道を折れて、今年取れた新酒を出す居酒屋の連なるホイリゲ(Heuriger)の町へと向かう。




小さな石の階段を昇って振り返るとブドウ畑が広がっていた。目の前のブドウ畑のブドウの木には人の名前が入ったプレートが提げられている。ここでブドウの木を育ててもらって家庭で自家製のワインでも造るのだろうか。




う〜ん、どこかで聞いた名前!?まさかね。。。

ここからは閑静な住宅地の路地を町に向かって降りていく。歩くこと10分、ホイリゲの町の中心に出る。




たっぷり歩いておなかもぺこぺこ。どこかのホイリゲでランチを摂ることにした。しかし、昼から営業しているホイリゲは数少ないとのことだ。開いていてもメニューを見せてもらうと肉肉肉で食べられそうになかったりする。




犬と散歩していたマダムが"Martin's sepp"なら野菜もいっぱいあるというので、助言に従った。




中庭は静かで平穏。鳥のさえずりが聞こえる。




ランチはバッフェでサラダ・肉・チーズ・パスタ・パン。。。と本当に色んな種類のものが並んでいた。日本を出てから野菜不足に陥りなんとなく具合が悪くなりかけていたのだが、ここでもりもり野菜を食べると、走ってウイーンの中心地まで帰れるのではないかというくらい、みるみると力が湧いてきた。ワイン一杯とコーヒーも飲んで€16なり。ワインは特筆すべき味ではないように思うけど、この雰囲気を味わうのが醍醐味でしょう。満足です!




昼間のこの町はシエスタの習慣のある地のように静かだ。体調が整ったところで、足取りも軽く、またトラムに乗って中心地に戻る。

2013年08月02日(金) ウイーンのシュピッテラウ焼却場

朝にザルツブルグを発ち、ウイーンに向かった。




こんな景色の中を2時間半電車はひたすら走る。




ユーロの電車は安くて快適だ。電車のトイレにはトイレおばちゃんはいない。ラゲッジや自転車を置くスペースもあるし、このようにテーブルのある席もある。

道中、雨雲を見かけたが、ウイーンに着くと見事に晴れ渡っていた。ウイーンでの時間はかなり限られているので、綿密に計画を練った。資料は盗まれたスーツケースの中だったが、綿密に計画したおかげで、降りるべき駅の名前などを暗記していた。シェーンブルン宮殿などももちろん見たかったが、あの規模だとそれだけで半日使ってしまいそうだし、今回の旅はヨーロッパの都市を随分まわるとなると、どの都市も城の観光となるのだろうということでウイーンでは違うものを見ることにした。




これは絶対見たかった!シュピッテラウ(Spittelau)の駅前にドカーンと聳え立つフンデルトヴァッサー(Hundertwasser)がデザインしたゴミ焼却場。おもちゃみたいに愉快で楽しい。




窓もひとつひとつデザインが違う。




正門。




オフィス。




この塔はなんだろう。




焼却場のすぐ脇にはドナウ川が流れている。わたしは嬉々として写真を撮りながら見物していたが、他に誰ひとり見物している人はいなかった。




さてここからトラムに乗って今度はベートーヴェンが散歩を楽しんだというベートーヴェンの小径(Beethovengang)へ向かう。

2013年08月01日(木) 世界遺産のザルツカンマーグートを巡る

朝8時。ザルツブルグ中央駅から世界遺産のザルツカンマーグート(Salzkammergut) に向けてバスに乗り込んだ。バスは山間の小さな村の長閑な景色の中をひたすら走る。揺られること45分。ザンクトギルゲン(Sankt Gilgen)という湖畔に広がる小さな町に到着。




この美しい湖の色よ。この船着き場のチケット売り場にて、遊覧船と登山鉄道の往復がセットになったコンビチケットなるものを購入。バラで買うより少しだけ安い。




この船着き場のすぐ隣にモーツアルトの生家がある。何歳までそこで暮らしたのか知らないが、生まれて初めて見た景色がこのエメラルドに輝く湖だ。もうその生い立ちが天才音楽家への第一歩だったのではないかと思わずにいられない。




遊覧船がヴォルフガング湖(Wolfganggasse)を走る。ザンクトギルゲンの町が遠ざかっていく。船のデッキに出てこの景色とこの空気の中で飲むコーヒーの美味しいことよ。




これは夏の林間学校のようなものらしい。子供達がアクティビティに精を出している。




こんな水上コテージの別荘のような家が立ち並んでいる。リッチだなぁ。オーストリアの失業率はたった4%なのだそうだ。こんなのんびりした雰囲気でガツガツ働いている様子もないのに、失業率が低いなんてすごく豊かな国だ。そういえばホームレスというものをまだ一度も見ていない。




遊覧船で45分。教会が目印のザンクトヴォルフガング(Sankt Volfgang)の町に到着。




ここからは″The sound of music"にも登場した登山鉄道でシャーフベルク(Schafberg)に登る。1700m程度なのでそれほど高くはない。




緑と青ばかりの景色。宝石だね。こんな景色を前にしたらみんなマリアみたいに手を広げて歌いたくなるでしょ。

The hills are alive with the sound of music
With songs they have sung for a thousand years
The hills fill my heart with the sound of music
My heart wants to sing every song it hears..........

健康でこんなところまでやって来られたことに感謝。




さて、山頂の終着駅までやってきたのはいいが、雲がかかっていて何も見えない。ハイキングを楽しむ雰囲気でもないので、とりあえずはレストランでランチを摂ることことにした。価格は意外に良心的だ。明らかに子供だとわかる男の子がオーダーを取りに来るので聞いてみると、夏の間2ヶ月間ワークエクスペリエンスをしなければならないのだそうだ。控えめでシャイでとても可愛い男の子だった。

アプフルシュトルーデルはどこで食べても美味しい。ほんの少し砂糖を加えて煮たリンゴとレーズンを薄いパイ生地に包んで焼いただけの素朴さ。まずくなりようがない。




日本人のオジサマは絶対やらないだろうファッションセンス。バッタもカマキリもカメレオンも尻込みするね。さすがラティーノである。




来た道を下っていく。夏の間、牛達は高原に放牧されるのだそうだ。




そしてまたこの遊覧船で同じ道を引き返した。ザルツブルグの町に戻ったのは夕方4時頃。バス・遊覧船・登山鉄道と実に色々なものに乗った旅だった。明日は音楽の都ウイーンへ出発だ。

Michelina |MAIL