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| 2013年07月31日(水) |
小さなザルツブルグの町を散歩する |
ザルツブルグの町は色とりどりの紫陽花に彩られていた。アナベルは一番のお気に入り。
ミラベル庭園(Mirabell Garten)を歩いた。これが��The sound of music″のドレミの階段。希望に満ちた子供達の輝かしい歌声が甦ってくるようだ。
マリアと子供達が歌い跳ねながらくぐったバラのトンネル。
ミラベル庭園を抜けるとすぐにザルツアッハ川(Saltzach)に当たる。
旧市街のメインストリート。お土産屋が軒を連ねていて、趣味の良いものは見当たらない。あの名物モーツアルトクーゲルンもあちらこちらに売っている。日本ではマジパンはあまりうけないので買わない。
おなかがすいたので、イタリア人がやってる屋台でピッツァを買った。�爛泪襯殴蝓璽燭両紊縫�リーブ乗せて!�爐藩蠅鵑世蕕拭舛�さん丸ごと粒のブラックオリーブを乗せてくれた。そしてマルゲリータのお金しかチャージしない。��Are you sure?"と尋ねたが��That's fine"と言う。トイレにはお金を取るトイレおばちゃんがいて、レストランでは紅茶の葉にお湯を足すのも¢50などとメニューに書かれている。アジアのレストランのように、�爐曚蕁△拭舛鵑箸�食べ�爐箸任盡世Δ茲Δ法▲董璽屮襪力討膨缶N舛�置かれていて、醤油もソースも好きなだけかけられるという家庭的な安心感をくれるところはなく、ヨーロッパは��Nothing is free�爐叛,泙靴討い襪茲Δ妨�えた。久々にこの�爐拭舛鵑箸�食べ(イタリア人だからBuon appetite!だね)�爐鮓世辰討發蕕辰燭茲Δ覆△燭燭�さを感じた。コシの強い生地を窯焼きにしたピッツァは美味しかった!
おなかを満たしたところで、一発奮起してホーエンザルツブルグ城(Festung Hohensalzburg)まで歩いて上ることにした。こんな細い坂道をくねくねとゆっくり上る。
何かのアーチ。パリと由縁があるのかな。
これがお城の足元からのぞむザルツブルグの町。地元の子達らしい学生カップルがここから町を眺めながら楽しそうにおしゃべりにふけっていた。
坂道を下りて町に戻る。路地で遊ぶ子供達。おねえちゃんが吹いたシャボン玉を片っぱしから割っている。クロエちゃんが2才になるまでに飽きてしまった遊びに4才くらいの人間の子達が夢中になるとは。。。。
シュターツ橋(Staats Brucke)には南京錠が沢山かけられている。恋人達が名前を書いて、鍵をかけて、鍵を川に捨てるとその恋は永遠になるといわれるそうだ。
夕暮れの町にカラスのフィギアで飾りたてたトラムが走っていた。
| 2013年07月30日(火) |
ザルツブルグへの旅路 |
ミュンヘンでラゲッジごと盗難にあい、その中にはあれこれとプリントアウトしたこの旅の資料とパソコンが。。。。辛うじて手元にあったミュンヘン―ザルツブルグ間の電車のオンラインチケットの控えを握りしめて電車に乗った。ザルツブルグへはRJと呼ばれる普通列車で一時間半。普通列車と行ってもその間3駅くらいしか止まらなくて新幹線くらいの快適さで、€19。つくづく日本の新幹線は高すぎると思う。安ければもっと気軽に利用する。この列車は本来予約などしなくても乗れるようだが、前もってオンラインで購入すると割引があるし、混み合った窓口に並ぶ必要もないので、オンライン予約がおすすめだ。そして控えを必ずプリントアウトしていったほうがいいと思われる。見た目で判断したのだが、列車内でチケットの確認に回ってきた時に決してハイテクな雰囲気でない怪しい機械でオンラインチケットの控えのコードを読み取っていた。ミュンヘンの駅の改札口は切符なしでスルーできる。運が良ければメトロなどはただ乗りできてしまうということ。しかし抜き打ちで捕まった時にはこっぴどい目に合うと聞いたことがある。わたしはオンラインチケットの控えを持たず、このハイテクでない読み取り機がちゃんと動かず、もうオンラインで支払を済ませたと言ってもろくに調べてもらえず、すぐに発砲すると噂のドイツ警察に引き渡されたりすることを想像して、ぞっとした。
ミュンヘンとザルツブルグの間は美しい山間の風景が続く。しかし、美しい景色に酔いしれている暇はなく、旅の資料を全て失い、リカバリー対策を考えなければならなかった。辛うじてザルツブルグに予約した宿の名前を覚えていた。隣の席に座っていたアイスランド出身でザルツブルグ在住だという好青年に話すと、i-phoneでホテルまでの道を調べて、方向が同じだから一緒に行こうと言ってくれた。彼がラゲッジを盗まれたことを一緒に悔しがってくれたことと、人生で初めてアイスランド人などという人口の小さな国から来た人と話すという体験をしたことが嬉しくて、少し気も晴れた。
ザルツブルグの駅を降りて歩き出すと、あちらこちらにわたしの大好きな紫陽花が咲き誇っていた。
無事にホテルに到着して、事情を話すと、アラーム時計を貸してくれたり、この先の旅路に必要な情報をプリントアウトしてくれたりした。やっぱり世の中は圧倒的に良い人のほうが多いのだと気をとりなおした。
| 2013年07月29日(月) |
夏のミュンヘンを散策 |
日本へ来た欧米人がよく、�狹点�が地上に出ているのが美しくない�爐隼愿Δ垢襦�ドイツ人の知人に至っては�爛疋ぅ朕佑呂修Δい�uglinessに耐えられない�爐噺世辰討い拭�最もこの人はそれをドイツ人を称える意味ではなく、�狷�本人は寛容である�爐箸いξ磴┐忙箸辰討い燭里世�。オーストラリアなどでもお金をかけて電線は地中に埋められている町が多い。ここミュンヘンでも地上にある電線のようなものは、トラムのケーブルだけだった。「町の景観」に対する美意識は欧米を見習いたいとわたしはつくづく思う。
路地裏ではみんなテラスでキレのいい夏の風をビールと共に味わっている。
夏を楽しんだ証のようにしっかり日焼けした肌にこんなワンピースをさらりと着こなす老女。粋ですね!こんな老女になりたい。
マリエン広場(Marienplatz)まで来ると新市庁舎の時計台の前にすごい人だかりが。なにやら正午になると時計台のからくり人形が動き出すという。あと5分。せっかくなので見ていくことにした。感想は・・・・別に見なくてもいいかな。
予定していたおもちゃ博物館(Spielzeugmuseum)へ。スタイルのいいお姉さま方達ですね。
1920年代頃に工場のラインで生産されていたクマさんたちのようだ。
ピノキオみたいなのがいるけど、おでこにほくろがある。
マリエン広場の噴水。ここの水がすっごい冷たい。腕や脚に冷水をかけたら気持ちよかった。
お姉さんと愛犬がホテルから出てきた。ドイツでは殆どのホテルでペットと一緒に泊まれるらしい。しかしこの犬、ワイマラナーという猟銃犬らしいのだが、でかい。お姉さんの身長170�僂�らい。犬は立ち上がったら250�僂呂△襪世蹐Α�
フラウエン教会(Frauenkirche)。
聖ペーター教会(St.Peterskirche)の展望台に昇る。人がすれ違うことができないような小さな木の階段を上っていく。こんな天気のいい日は綺麗に町が一望できる。歴史を刻んだ町並が美しい。
さて、ザルツブルグに移動しようとホテルに預けておいたラゲッジを取りに帰ると、小さいほうのラゲッジがホテルのラゲッジルームから盗まれていた。ホテル始まって以来初めてだという。この中にはパソコンとあと事前にあれこれと調べてプリントアウトしておいた旅の資料が入っていた。i-phoneのバッテリーをチャージするケーブルも・・・。頭の中が真っ白になった。不幸中の幸いは次に乗る電車のe-チケットの控えが手元にあったことだ。
監視カメラもついていたので、割り出して捕まえようと思えばできるのだろうけど、そこまでしてくれる見込みは薄いね。もう戻ってはこないでしょう。警察への被害届けはホテルの人が出すというので、とにかく予約してあった電車に乗った。
| 2013年07月28日(日) |
早朝のミュンヘンを歩く |
早くベッドに入ったものの、ずっと通りの喧騒が聞こえていて、静かになったのは朝の5時。新宿などもそうだが、ハブのような役割を果たす大きな駅の周辺はドラッグディーラーやら酔っ払いやらが集まって治安を乱すのはどこも変わらないようだ。
まだ日が昇る前の薄暗い街をイギリス庭園(Englischer Garten)に向かって歩いた。土曜の早朝。道ですれ違うのは昨夜から家に帰っていないのであろうへろへろハング・オーバー族か、きりりと自転車に乗ったりジョギングしたりのヘルス・コンシャス族の二極である。年齢は関係なく、その人の人生に対する姿勢のみが運命の別れ道らしい。
トラムももう走ってる。
ゆっくり30分も歩くとイギリス庭園に着いた。こんな早朝から小川の前に寝転んでピクニックを楽しむカップルなどもいる。朝型カップルかぁ、一緒に早起きして一緒に何かするっていいね、すごく羨ましい!
公園の中にずんずんと入っていくと、ビール瓶やらピッツァのボックスとタバコの吸い殻があちこちに散乱している。キャリア志向で、海外に出て、真面目にコツコツとやるタイプのドイツ人しか知らなかったわたしには、こんないい加減にゴミを散らかすような人間が沢山いるということがかなりイメージダウンだった。わたしの知る人々が母国をあまりよく言わないのはこういうところから来ているだろうか。
さて、突如サーファーが出現する。
海のないミュンヘンでは、このように小川の一瞬激流になるところでサーフィンを楽しむらしい。ちなみにこれも禁止という看板があった。もうドイツにもお堅くて規則をきっちり守るタイプの人間など希少動物となったのだろうか。
公園を出て、来た道と違う道を通ってホテルに戻ることにした。その道すがら、こんな立派な建物が、朝日の中堂々とそびえたっていた。ガイドブックがなかったので、これが何かは解らない。
そして、これも何か解らないが、ここは花が沢山植えられていて、何かの庭園のようだった。これを撮った後、ここに写っている男性が近寄ってきて、写真を撮ってやろうと言う。片手にビール瓶を持っている。何も期待しなかったが、3枚撮ってくれた写真はどれもピンボケだった。
さて、たっぷり歩いておかなもすいた。ホテルの裏の小さなベーカリーに入った。プレッツェルだけでもこんなに色んな種類がある。どれも食べてみたいけど、ひとつ食べたらおなかにずっしりくる重さだ。
結局チーズのやつにした。生地はもちろんだが、このチーズもちょっと癖があってすごく美味しい。やっぱりドイツのパンは最高だね。
| 2013年07月27日(土) |
Unbelievable!! |
信じられない!!!ミュンヘンに到着して、空港から中央駅近くのホテルに向かうS-Bhan(電車)の中で、ばったり知り合いに会う。こんな偶然ってあり?わたしはミュンヘン初めてだし、知り合いなんてひとりもいない。彼はドイツ人だけど、ミュンヘン在住じゃない。こんな偶然そうあるものじゃないでしょ。あぁ、本当にびっくりした〜。
さて、中央駅に降りると、昼から酔っ払って転がってるアル中みたいなローカルが多いことよ。目つきの危なくて身なりが汚い人ばっかり。人生の中で知り合った数人の真面目なドイツ人達の中に酒や飲酒を毛嫌いする人が数人いたが、この風景を見て彼らのその思考の出所を理解した。
あたりをざっと一周してソーダ水とプレッツエルを買って宿に戻った。冷房のない安宿ながら、窓を全開にすると夏のいい風と通りのざわめきが聞こえてきて快適。ミュンヘンの夏は気温が上がっても湿度が低いのでしょう、不快な暑さではない。そして本場のプレッツエルは美味しい。バリエーションもとても豊富で、ハーブが入ってたり、チーズが乗ってたり。帰国したら美味しいプレッツエル作りの練習をしようと決めた。午後8時半。まだ外は明るい。長旅で疲れていたのでしょう、おなかを満たしてベッドに横になり、酔っ払いの奇声を聞いていたら、すぐに寝入ってしまった。
(写真:市庁舎の時計台)
| 2013年07月26日(金) |
Abu Dhabiに到着 |
夏休み。今、アブダビの空港にいる。新しくてきれい。トイレにシャワーがついていたので、服を脱いで全身水浴びしてしまおうかとも思ったが、ものすごい水圧が強いので大事なところを洗い流すにとどまった。ビデなんかより、余程使いやすい。いいね、これ。そしてトイレの脇にはモスクと書かれた小部屋があって、絨毯が敷いてある。そこにいた女性に寝てもいいかと聞いたら、にっこり笑ってどうぞ、と言うのでぐうぐう寝て、目が覚めたら信者が隣でお祈りしてた。祈ってる人のとなりで寝てるってどうなのかしら。。。。しかし、ハブ空港と呼ばれるだけあって、電話やPCのバッテリーもチャージできるし、フリーwifiもあって乗り継ぎの待ち時間は快適だ。
これからミュンヘンへ飛びます。
| 2013年07月20日(土) |
Une vie de Chat |
新宿ピカデリーにて、フランスのアニメ「パリ猫ディノの夜」を観た。とにかくイラストが愛らしくて、アニメ好き、猫好きにはひたすら胸キュンの70分(短い!)だった。冷静に評価するならストーリーは極めて単純明快ハリウッド的で、宮崎駿のような予想外な展開はないから、70分くらいで完結するのがベストかと思う。フランス人のアニメ好きも有名だが、日本にはなにせ宮崎という大物がいる。勝てないでしょう。そういえば同映画館で封切りになった「風立ちぬ」を観ようと人だかりが出来ていた。
夜に友人と六本木で落ち合って、ヒルズの隣のブラッセリー "Le Duc"ので軽く飲んだ。テラス席は軽食しか置いていないお店だが、良い食材を使って、真剣に作っているのが窺える。サンドイッチもポテトチップス(自家製で温かい)も、デザートに食べたチョコレートケーキもどれもとても味が良かった。パリでステイしたモンマルトルのホテルの裏のブラッセリーを彷彿させる雰囲気もいいね。
すっかりフランスずいた帰り道、先日のパーティーでメルアドを交換したフランス人の方々にメールをしてみたりした。夏だというのに、キレのいい風が吹いていて、気持ちのいい夕べだった。
(写真:思いがけず、この映画を観た人全員に、猫印のJanatのティーバッグプレートのお土産をくれた。こういう物って自分では買わないけど、もらったら嬉しい。ちょっとした贅沢品だ)
二日前、農園のスイカの葉の下に3匹の野うさぎが産み落とされているのを発見した。ビアトリクス・ポターの描くピーターラビットと同じ鳶色一色のやつ。スイカはカラスに盗られないようにネットをかけてあったので、安全と思ってお母さんうさぎがその下に産み落としたのでしょう。賢い。うさぎも増えれば農園に被害をもたらすのでしょうけど、趣味でやってるここの主は呑気なもので、
「うさぎはいい人間が解るんだ」
と得意気で、暑かろうと、傘を立てかけてあげたりしていた。
その日に激しい夕立があって翌朝にはもうみんな姿を消していた。農園は人間がうろうろと歩き回っているし、危険を察知してお母さんが3匹を連れて引っ越したのでしょう。野良猫もいるし、弱肉強食の世界で逃げ足を鍛えて育っていくのでしょう。
ほんの一瞬のふれあいだったが、この出来事はこの野うさぎを見た人々に野生動物との共生について考える時間をもたらした。オフィスに戻り、あぁだこうだと色んな意見が飛び交った。ほんの一瞬の出来事が必ずしも小さな出来事とは限らないのだ。
日記のタイトルに一期一会。。。とタイプして、ふと何の気なしに日頃使っているこの言葉の明確な意味が知りたくて、googleしてみた。なんと美しい思想なのでしょうか。
一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来することわざ。『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』と言う意味の、千利休の茶道の筆頭の心得である。平たく言えば、これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい、ということである。- Wikipediaより
| 2013年07月13日(土) |
All you need is LOVE |
森美術館で「LOVE展」を見てきた。アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生まで〜というふれこみのとおり、クラシックからモダンまで、LOVEをコンセプトにした作品が展示されている。
入るなり目にしたのは、本物の蝶々がハートの板に貼り付けられたもの。この蝶々の死をアイロニーととるか、作品になることで永久の美を手に入れたととるかは見る人次第というような説明がされていた・・・・けど、わたし、どんな説得力のある説明があっても、生きるか死ぬかの生存競争の世界で生きる動物の息の根を人間の芸術のための犠牲にするというのが耐えられない。愛らしいピンクのハートの板に逃げようともがく蝶々を貼り付けていく作者の姿を想像して、その不気味さに血の気がひいた。これについては同行した友人が強く共感してくれたのが救いだった。
気に入ったのは、愛の言葉をマイクに語りかけると、その言葉がそのままスクリーンに映し出されて、機械が歌を作って唄いだすもの。「クロエちゃん」とマイクに語りかけたら、ちゃんとスクリーンにクロエちゃんという文字になって、歌ができてきた。
「沖縄問題」の裏側にある米兵と地元の女達の写真は印象的だった。第二次世界大戦が終戦してから20年、日本にもアメリカにも属さず無法地帯となった沖縄で生まれ育った作者。5歳の女の子が米兵にレイプされ、殺され、死体が捨てられる。それでもどこの国の法律も適用されず、事件は闇に葬り去られ、犯人である米兵はただアメリカに帰り、普通に暮らす。しかしそんな不条理な米軍統治下にありながらも、沖縄の女達は米軍御用達のバーで働き、米兵と戯れ、恋に落ちる。その時代の社会における弱い女性の立場という理不尽さに抗わず、女だからこそ出来ることをしてそこに生きる道を見出していく。そういう女にしかできない類のたくましさに胸をえぐられた。
全体的にはグロテスクなものが多かったが、しかし石灰藻で作ったというマリア像は美しかった。
| 2013年07月07日(日) |
When You Wish upon a Star |
忙しくも充実した一週間だった。一週間の出来事とメモをまとめて書いておこう。
月曜日
先週末にとうもろこしを半分に切ろうと思いっきり菜っ切り包丁を振り落として指まで切るという事件があり、包帯を代えてもらいに病院へ。先日と違うドクターだったが、カルテにちゃんと"とうもろこし"云々と書かれていたので、すぐに"とうもろこしの患者"とわかってくれたようだ。日本の鋭い包丁は人間の指くらい簡単に落とせてしまうのだろうから、気をつけなければ。指を落とさなかったのは不幸中の幸いだ。母に
「結婚指輪をはめようとしたら左手の薬指がないなんてがっかりだものね」
と冗談を言ったら、
「そんな予定あるの?」
と切り替えされた。いやぁ、左手の薬指まだ残ってますよ、どなたか!(笑)
火曜日
アメリカからひょっこりと帰ってきた同僚に、
「何かいいことあったの? 綺麗になったね。なんだかすごい幸せそうじゃん」
と言われた。すごい、解るんだ。顔に出てるんだね。佐藤伝さんの本に出会って、生活の中で湧き出す感情の管理の仕方を学んだからだろう。日中、太陽の下でしっかり悩んで、迷って、苦しみぬく。でも夜はもう考えない。だからよく眠れる。よく眠れるから気持ちが安定していて幸せなのだ。良いことも悪いこともなんでも起こるのが人生だもの。感情をうまく管理して強く生き抜きたいものです。
彼と一杯飲る。夜に酒を飲んでふらふらするのも気持ちのいい季節だ。
水曜日
母と秋葉原・上野をぶらぶらした。母は、上野公園で得体の知れないパフォーマンスをしている人を見ては、一生懸命やってるから、と100円玉をあげていた。おばちゃんはマイペースだ。しかし、まだ一緒に歩く体力があってよかった。あと何年こうやって一緒に散歩できるだろうか、と思うと胸に堪えるものがある。
木曜日
ランチにお米を食べ過ぎたせいで、午後に睡魔に襲われた。内線で電話してきた同僚に眠たいと訴えると、5秒後にカフェイン3倍とか書かれたタブレットを持って現れた。飲んでみろ、飲んでみろと促されて、一粒だけ飲んだが、全く効かず。眠い午後をやり過ごした・・・のだが、夜に目が冴えて一睡もできなかった。
金曜日
同僚が結婚祝いにもらったというカードを見せにやってきた。そのカードには1年半前、会社の敷地内で鳴いていたところを、彼が餌付けして、里子に出した猫の写真が貼りついていた。何度か越冬したらしい子猫のような小さな体の成猫だったが、今ではすっかり栄養の行き渡った大きな猫になっていた。よかった、よかった、とふたりしてうるうるしてしまった。
土曜日
MORIVAコーヒーというチェーンのカフェに入ってみた。フェアトレードのコーヒーを出すとかうたっているので、もう少し環境への配慮なども期待してたのだが、紙のカップでコーヒーを出されてがっかりした。紙カップでコーヒーなんてピクニックやキャンプの時だけにして欲しい。美味しいコーヒーはちゃんとしたカップから、ですよ。
夜にパーティへ。シャイで、真面目で、良識があって、英語を話して、国際的ユーモアの通じるフランス人もいるところにはいるのだ、と解ったことが収穫であった。陽気で愉しい夜だった。
日曜日
夜になってやっとエアコンを入れたら、日中のびていたクロエちゃんが、やったー!待ってましたー!という表情で一目散にエアコンの真下に走って行って横たわっていた。毛皮着てるんだもの、暑いよねぇ。"暑い"のひとことも言わずに耐えてたんだろうね、なんて健気なのでしょう。
窓の外に星は見えるけど、天の川は見えない。ちゃんと願い事をして、眠りにつくことにしよう。
ずっと若い頃は
"結婚したら一人前"
などというような言葉をばかばかしいと思っていたけれど、それは一理あるなぁ、と感じる今日この頃だ。
"Born Free(邦題:野生のエルザ)"という映画がある。ケニヤに住む白人カップルが野生のライオンの子を保護して、実の子のように育てていく話で、実話ベースだ。人間と野生動物がその生きるべき場所という常識を覆して、共生して、深い愛情で結ばれていくうということがとても興味深く、感動的で、大好きな話なのだが、その原作となった本のレビューにこんな一文を見つけた。
"自分の愛情を無批判に受け入れる弱い立場の存在のみを認める幼稚な性格"
これは、ライオン"エルザ"の母役であるジョイに対する批判だ。ジョイが、パートナーや使用人にはさほど愛情を注がなかったということで、こういう批判に至ったようだ。彼女は何度も流産していて、その湧き出しては行き先を失ってしまう母性の矛先が、ライオンでも犬でも猫でも鳥でも、か弱き者に向けられるというのは、わたしにはとても自然に思える。だから、ジョイへの批判自体には賛同しない。でも、この一文だけをとったら、それはすごく自分のことを指摘されたようでぐさっとくる言葉だった。わたしは大いにそんなところがあると自認している。人間は言葉を持っていて、それは時にわたしを幸せにして、それでもその次の瞬間には矢のように飛んできたりもする。そういうことがとても恐くて、人との付き合いが億劫になってしまうことが多々ある。人と真剣に向き合って共生していくことは、動物と共生することよりはるかに難しい。
"恋多き女"とは、世間ではどちらかといえば褒め言葉のように使われているようだが、わたしはそうは思わない。恋多き女になることなんて、簡単でしょう。それよりも自分が決めた一人の人間と真剣に向き合って、その関係をより良いものにしていこうと試行錯誤することのほうがよほど難しいもの。そういう人間関係に対する努力の積み重ねが人を人間として成熟させるのではないだろうか。結婚や結婚生活を全て妥協と惰性で運用している人々はこの限りではないが、結婚生活をより良いものにしようと努力している人々は、やっぱり一人前の成熟した人間なのだと思う。
わたしも職場とか友人との間でも自分の意見はしっかり言うけれど、その中でも黙っていたほうがいいことって必ずある。それは正しいか正しくないかという基準でははかれない。人の心にどう響くかというのが基準だ。正しくても言わないほうがいいことをぐっと呑み込んだ時、自分は大人になった、と感心する。一人前でなくても、さなぎぐらいには成長しているみたいだ。