My life as a cat
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2008年12月26日(金) イヴの淡いゆめ

朝10分で作るので大したものは入らないけど、良いお弁当箱に詰めるだけで食べ物は格段に美味しくなるようだ。

以前、アレックスの泊まる宿に予約の電話を入れると、職人気質のようなおじさんが面倒くさそうにピックアップした。
「名前は?アレックス?ってガイジンなの?ガイジンは時間に来なかったり、夜騒いだり困るんだよね。その友達大丈夫なの?」
なんて失礼な!彼はそんな人じゃありません!!と憤慨すると、まだ部屋のタイプも指定してないのに、勝手に洋室と決定された。

ところが、本人が到着すると掌を返したようにがんばって英語を話し、とてもフレンドリーだと言う。しかし、夜に電話を入れるとアレックスが蚊のなくような声でピックアップする。具合でも悪いのかと聞くと、オヤジに小声で喋れとたしなめられているからだと律儀にお約束を守っているらしい。なんて健気な。

今日で仕事納め。クリスマスもなく働いたけれど、イヴの日には会社帰り、越冬用のジャケットを買いに出た。ちょっと休もうとファーストフード店に入り、ぼんやりコーヒーを飲んでいたら、隣で中学生の男女がひとつのフレンチ・フライをシェアしながら(男の子がさっと財布を出し、オレが出す!と得意げだった)楽しそうに、これから何時間でもそこで喋っていそうな雰囲気で笑いあっていた。ほっかりと心が温かくなり、帰り道、今度生まれ変わったらあぁいう青春の時間が欲しいと考えながらうとうと眠ってしまった。


2008年12月21日(日) ホンネとタテマエ

気づけば12月も下旬。近頃は定時で上がれるようになってきたものの、会社帰りに飲んで帰るほどの余裕はない。断りずらい状況の中参加することになった忘年会も日付を間違えて当日に知るというお疲れぶり。平日は目がまわっているものの、先週末は久々に友人と会い、豊洲を散歩してヤクンカヤトーストを食べて(久々にKOPIも飲んでハッピーでした!)、居酒屋で酒を飲み、スパニッシュパブでレッドワインと梯子して、それでも遊び足らず、丸の内のシャンパンゴールド色とかいうデコレーションを見に行った。友人が日本人の"ホンネとタテマエ"の区別がつかないと言うが、その本人の言動にも確かにわたしはホンネとタテマエを感じている。外国人が何もかもストレートに表現するかといったらそんなことはない、程度の差だろう。しかし日本人(特に女の子)に食べ物をあげると何でも"きゃー!美味しいです〜!"と言われては張り合いがない。先日、隣の席のオネエサン(ずっと年上なのだが、そう呼ぶように命令されている)に手作りのお菓子をあげたら、お礼のつもりか、伝言板にこんなカキコミを見つけたのよ、とにやにやしながらケータイを差し出す。

「いっつもいっつも手作りのお菓子を持ってきて、本人はよく気の利く女のつもりなんでしょうけど、まずくてもそう言えないし困るんです!」

もうオネエサンどころが意地悪婆さんと呼びたいところだが(笑)、彼女とは会話の9割ジョークという愉快な同僚だ。お土産についてくる包装紙などで折り紙を折ってあげたりすると、いらないわよ!などと言う割にはみんなに見せてしっかりデスクの上に飾ってあったりするちょっとカワイイオバチャン、いえいえオネエサンなのだ。

「本当は自分が書きこんだんじゃないですか?」

と言ったら、

「そんなに意地悪婆さんじゃないわよ!」

とわたしのホンネをしっかり読みとったようだった。


2008年12月07日(日) 日雇い労働を考える

晴天で空気のきりりと冷えた良い週末だった。銀座や上野をぶらぶらとして、美味しいものを食べて(刀削麺やイタリアンのコース、前菜のりんごとさつまいものサラダとライスコロッケ美味しかったな)、新しいNikeを履いてサイクリングにも出かけた。マーヴはテレビで精神科医が一日3つその日に起こった良い出来事を書きだすと精神に良いと話していたので、それを実践したら、不思議と本当にハッピーになったと言う。何を書いたのかと訊ねたら、全部わたしのことだった。わたしが仕事が楽しい、日本の生活が楽しくなったということがハッピーだという。それは彼への執着が薄れたことを意味しているというのに。

先週イラン人が大量のピスタチオを抱えてオフィスにやってきて、食べ飽きたのでビスケットにした。殻をとって薄皮を剥くとアヴォカドの子供のような身がでてくる。それをグラインドして、小麦粉、砂糖とサラダ油と混ぜて焼くだけ。シンプルながらリッチな味わいのビスケットの出来上がり。紅茶と良く合う。

テレビで解雇された派遣労働者が集って"許さん!"などとやっているのを見たが、年齢が大分いっているので驚いた。"派遣労働"ということに対する見解がわたしやわたしの周囲の人間とは随分ギャップがあるのではないか。サンジャポでも、どこかの弁護士さんが、
「好きで派遣をやってる人はいない。みんな社員になりたいけど仕方なく派遣をやっている。」
と言っていたが、それは違うんじゃないか。他にやりたいことがあるけど、それで食べて行くのが難しい人や、まだやりたいことがわからない人、特に今の20代などはひとつの会社に一生腰を据えるなどという考えはないだろう。会社の為に全力を尽くしますというのもない。そこまで"会社"に依存する気がないのだ。だから日雇いで良しとする。社員にならないかという誘いを必ずしも喜んで受けるわけではない。派遣労働の短所ばかりが取り上げられて問題視されているように見受けられるが、うまく利用できれば、とても良い雇用形態となるのではないか。例えば自分も含め、友人を見ていても忙しくて忙しくて家に帰れないという人間ばかりだ。一方どこかで職を失って路頭に迷っている人がいるらしい。うまく仕事をシェアできれば片や定時に家に帰れる、片や仕事ができる。同じ能力を持っているかというのは問題だけれど、日雇い形態で必要なところに必要なだけ労働力を持ってくるというのでいいんじゃないのかな。その日雇い労働者がクビ切り許さん!と言いはじめたら、今度は企業が迂闊に人間を雇い入れなくなってもっと就職難になっていくのではないかと思ったりする。どうなんでしょうか。


2008年12月03日(水) You are what you eat

本職も忙しいが、休日になると叔父の商売の手伝いに借り出されて、看板娘!?というかただのウエイトレスもしくはキッチンハンドとなって、休むことなく働いている。しかし、ちょっとでも脳を休めるたら本職で学習したことをすっかり忘れてしまいそうだから、しばらくはこの状態のほうがよかろうね。

ウエイトレスをして、どうしても我慢ならないのは綺麗に着飾った女達がテーブルの上をぐちゃぐちゃにしたまま平気で帰っていくことだ。酔っ払いのおじさんなら諦めつく。どうしたらあちこちに皿や食べ物を散らかせるかわからない。先日はわたしと同年代くらいの子連れ夫婦がやってきて、子供が投げた油揚げを拾って皿に戻すこともなく、テーブルの上にこぼした天つゆに布巾をかけることもなく帰っていった。わたしは母親のきちんとセットされた髪とピカピカの爪と化粧を見てムショウに気分が悪くなった。わたしにだって日本の良い心は多少なりとも残っている。片付けはウエイトレスの仕事でしょ、というごもっともな権利の主張が割り切れない。

先日は友人と銀座で遊んできたのだが、あの辺りのデパートのトイレに、
「トイレットペーパーのお持ち帰りはご遠慮ください。」
などと書かれているのに面食らった。

しかし、「生活」をおろそかにしていることはどんなに着飾っても出てきてしまうものだ。よくマーヴが"You are what you eat"と言ったが、まさにそれだ。


Michelina |MAIL