DiaryINDEX|
past|
will
先日から二期のスタートに向けてちょこちょこと移動などの内示も出て、事業部がざわめいていたけれど、晴れて今日で一期が終る。
新人と移動者で固められたデキの悪いわたしのグループはこんな日もみんな余裕の無い表情で働いていたが、わたしはデキのいいスッキリ顔の隣のチームに誘われ、パッと飲みに行くことにした。ヒンヤリとした夜の空気の中をとことこと歩き、指定されたダイニング・バーに到着すると湯葉鍋が湯気をあげていた。うわぁ〜!っとなんだか幸せがこみ上げて「早く日本酒ちょうだい!」と呻いて彼らに笑われながら湯葉鍋をつついた。これぞ日本の幸せだ。遅れていったのでお腹を満たしているうちに1次会が終了。2次会はみんなが「ババアの店」と呼び本当の名前を知らない「昭和チック」なスナックへ。店に入ると本当に"ババア"がでてきて面食らった。みんなは疲れ知らずで大騒ぎし、わたしは上司にタクシー代をもらったもののぐったり疲れたので1人こっそりと抜けてきてしまった。スーツを着込んだ酔っ払いを縫ってとぼとぼと歩いた。
この会社(そしてそれを取り巻く業界)は本当にバブリー。わたしが社会にでる時には既に不況・就職難などと言われていたからこんなすごいお金の使い方をする会社を見たことがなかった。この会社以外のところで勤務経験のある人々は同様にそう言う。受付嬢は特殊なルートで連れてこられたキレイな女性を高い賃金で雇っているし、事務も女性はルックスが問われるらしい。キャリアウーマンタイプの人間だったらそれを知ってきっと怒っただろうが、腰掛のわたしは「どうりでキレイな人が多いと思ったよ」と肩を落としただけだった(幸い仕事の出来ない女性というのがいないから能力もそこそこ見ているのではないかという希望はあるけれど)。みんな給料がいいので一等地に家を構えていい車に乗っていい生活をしている。トップの営業マンのボーナスなど目が飛び出してしまうような金額だし。営業マンがとってくる一つの契約の額が大きいだけに、彼らの金銭感覚もかなり麻痺してしまうらしい。
Slow Lifeなどと言っているわたしがこんな雰囲気のところに身を置いてやってくるのは心とのギャップが激しくて落ち着かない部分もあったけれど、一度「バブリー」な日本社会を見られたことは良い体験だったかもしれない。
数ヶ月前、事業部にひらりと届いたある青年の英語で書かれた大学の卒業証明証と履歴書。人事課に頼まれてほんのちょっと訳を手伝ったので彼がカリフォルニアの大学を卒業したことと在日韓国人であることを知っていた。
そして数週間前、その彼が入社してきた。背がスラリと190cmもある好青年風。履歴書だけでちょっと興味を持っていたわたしはますます興味をそそられ話しかけてみると、とても気さくで素直な人で、年も同じだったことから会話もはずんだので今度酒でも飲みながらゆっくり話そうと口約束をした。
彼は入社したばかりでかなり忙しそうだし、会社でもなかなか顔を合わせるチャンスもなくて本当に口約束で終ってしまいそうだなぁと思っていたのだけれど、あちらも楽しみにしてくれていたようでやっと都合がついて会えることになった。
毎度お馴染みの仲良しの女の子の同僚(イタリア留学経験あり)も参加し、3人で留学話や一応韓国人である彼の家族の話、彼も興味深々の会社の内情やおもしろ人物の話題でかなり盛り上がり、お酒もすすんでしまった。わたしも「毎度の同僚」もこの事業部にきてから、ほんの少し男性不振に陥っていた。それはどうしても「女は女」という事業部の方針が染み付いてしまっているせいかフレンドリーな男性がいなかった。普通に信頼してあれこれ話せるただの友達が欲しかった。こんなに沢山の男性に囲まれて仕事しているのに、彼らが「男だから」という理由で人間付き合いが阻まれるというのはあまりにも淋しいと思っていた。彼はやはり学生時代をアメリカで過ごしたせいか、パースの男友達がしてくれたように男女の区別なしに接してくれてそこにわたしは妙に安心や親近感をもったのかもしれない。とにかく一緒にいてコンフォタブルだと感じた。残り少ない日本での生活の最後の最後に初めてできた「男友達」だった。
台風が最後のか細く残っていた夏をさらっていってしまったように急に空気が冷たくなった。わたしは銀座へ出て、落ち着いたグリーンの石がついたピアスとカーキ色のアイシャドウ、かなり控えめなローズ色の口紅を買った。洋服売り場も見たけれど、今年は「秋」だからと言って色味が暗いものばかりではなくて、白やターコイズブルーなど、大好きな色が夏に引き続き、素材感だけを秋に変えて出回っている。
1年間に4度も大きな変化が来る日本は楽しい。コンビニに並んだ新作のチョコレート、居酒屋のメニューに増える栗やキノコの料理、近所の人が分けてくれるイチジク。日本の社会に馴染めないのだと落ち込んでも、四季の変化は気持ちの変化も運んでくれる。
ビル全体での未訓練者を対象に防災訓練があった。おやつの時間に放送が入る。新人君が隊長となり代表でヘルメットを被り、水や非常食の入ったリュックを背負い、会社の名前の入ったプレートを掲げ、その隊長を先頭に非常階段をみんなで降りていく。わたしは26階なので大変。
ビルの前まで辿り着くと大勢人がいた。こんな都会のど真ん中のスーツを着込んだ人々の防災訓練とはなんだか不思議な雰囲気。そしてちゃんと真面目にヘルメットを被っているのは外国人。さすが、危機に対する意識は強いと見た。地震を体験できる「地震車」なるものも停車していて、行列ができていた。
しかしこんな新しいビルなのにまったく非常階段の作りが悪い。換気扇が無いので埃が立って咽てしまいそうな悪い空気が立ち込めているし、他の階から非常階段へ出ようドアを開けると階段を降りている人にぶつかってしまう。結局非常事態など起こらないという想定で作られているに違いない。第一26階から下まで降りるのに10分近くかかってしまう。本当に非常事態を想定したらもっと早く安全に逃げられる方法があるはずだ。結局この訓練により「階下のレストランで火事でも起きたら助からない」ということを悟った。
2005年09月19日(月) |
季節の変わり目の3連休 |
待ちに待った3連休。隔週で土曜日も出勤しているわたしにとっては2連休でも嬉しいのに3連休とは最高。といえども前もって計画を立てる余裕もなくよろけながら突入したこの連休。初日にゆっくり起き上がると体が重い。季節の変わり目のせいなのだろうか。図書館へ本の返却をして、銀座のBig Cameraへマーティンへの誕生日プレゼントを見に行って、洋書売り場でレイモンド・カーヴァーの短編集を買い、バブルティーを飲んで、近所の大好きなパン屋さんでクロワッサンを食べて、DVDを観て、海外の友達に送ろうとCDを焼いて、、、、こんな風にいつもと同じ特筆すべきことのない連休だった。
でもこの連休に考えたことを2つ。
「デザートは別腹」は動物の本能を失った人間ならではの不健康の兆候ではないか?ベジタリアンになってから自然と「別腹」を持たなくなった。野生動物と同じ。お腹が空いたら食べる。満たされたらもう要らない。美味しいものは好きだけれど、執着はない。
「勉強することの大切さ」を実感。実は連休中にストレスを貯めた父にちょっと嫌な思いをさせられた。ストレスの原因は恐らく職場でのこと。けれど父は自分の年を考えると安易に「転職」などとは言えないようだ。そして年だけでなく、実際わたしにもそれは父には容易ではないと思える。高度経済成長期に社会人になった父の時代は面接へ行くとその場で握手されるというくらい仕事が溢れていたという。そのせいだろうか、真面目に働いてきたことは認めるけれど、「能力向上」の為の努力はあまりなかったのではないかと思う。景気が悪くなって本当に必要なことを突き詰めていったら学歴や資格はただのExtraであるということに社会は気付いた。だからやっぱり今、そしてこれから必要になるのは「本当に能力を持っている」ことだろう。そして「能力を持つこと」は社会人をリタイアした人にも放棄した人にも決して邪魔にはならない。
近頃、仲良しの同僚は「噂」に悩まされている。仕事上置かれたポジションの都合で、彼女はわたしと同様、女性よりも男性と飲みに行く機会のほうが多い。しかもわたしと違って、素直で付き合いのいい彼女は誘ってくれれば二つ返事で出て行くので定時以降も付き合いに忙しい。が、これが噂好き達の標的になったようで、ただでさえ自分は組織の一員という意識の強い彼女を不安に陥れているらしい。わたしは組織の中にいても仕事以外での人との調和など無視して暮らしているし、自分の好きな人以外が自分をどう思おうと気にしないし、ましてやつまらない噂話に飛びつくような人々は小さな世界で小さなことに囚われて無限大に広がる世界を見ることの出来ない可哀想な人々なのだと哀れむだけ。仮に彼女が飲みに行っている全ての男性と関係を持っていようが仲良しのわたしにでさえ関係のない話ではないか。
「わたしもそう思えたら楽なのにな。でも無理だよぉ、、、」とランチのパスタをフォークに絡めたままもてあそんでため息をついている彼女に「世界は広いからこの組織の人とうまくやれなくたってまだどこかに快適な場所があるはずだからそんなに考えなくても大丈夫よ」と言ってみたものの、そう考えられないから悩んでいるのではないかと自分で突っ込みをいれてみたりして一向に前に進まない。
そんな矢先、わたしも仲良くしている営業マンとのことについて女性の先輩から注意を受けた。あなたはいいけれど、営業マンは女の子と仲良くしているのを見られて成績があがらなければ女にうつつを抜かしているからなんて言われかねないからもう少し考えてあげてなどという内容だった。確かにこの事業部はそんなくだらないことを言い出すヘンテコ人間が多い。納得はしたものの、彼女の中にちょっと女の嫉妬のようなものが見えて気持が悪くなった。古カブ女性の中には男性が自分よりも新参者に興味を示すという「あたりまえのこと」を好まない人もちらほらといる。その先輩はもっとさっぱりとした格好いい人だと思っていただけにこんな女々しいところもあったのかとちょっとがっかりした。
この事業部は良くも悪くも古い日本の体質を引きずっている。事業部のボスは事業部の人間を「家族」のように捉えている。だから200人もいる社員の一人一人と汲まなく会話をし、長所、短所、性格を把握している。男の子は厳しく育て、女の子は可愛がって愛情を注ぐ。家族に隠し事は無用。私生活にまで踏み込まれそうになることが鬱陶しくもあり、私生活での問題も一緒になって考えてくれるのが心強くもある。
マンションの隣の住人の顔を見たことがないなんていう都会暮らしは淋しいといいつつも私生活がつつぬけな田舎暮らしは鬱陶しい。誰も自分を気に留めないのは淋しいといいつつもでもやっぱり噂されるのは鬱陶しい。
2005年09月12日(月) |
先進国に生きるわたし達 |
朝から電車の中で見かけた日本郵船の広告にほんの少し地球の裏側のことを考えさせられた。
そんな朝にまたいつものごとくアナログな上司に必要とは思えない大量のコピーを依頼された。アナログ人間は紙が手元に無ければ落ち着かない。電子データでは駄目なのだ。でもほんのちょっと目を通して捨てられる真っ白なコピー用紙を見るといつも胸が痛む。今日はなおさら。地球の裏側には紙のノートを使えない子供達がいるのに、、、。今日こそ反抗してやろう。上司に尋ねた。「本当に、本当に必要なんですか?」しどろもどろになった上司は「2部コピー」と言ったのを撤回し、「1部でいい」と言った。ほらね、無駄の無いように最初からよく考えてから依頼してよっ、と心の中で呟いた。
先日ポルトガル人の友人がブラジルの話をしていた。そこにある沢山のファームと家畜。けれどそれは現地の人々の食料ではない。それは先進国に輸入されるもの。子供達が靴下を何十にも丸めたサッカーボールで遊ぶような国。
先進国のお金欲しさにかけがえの無い自国の自然を切り売りしてしまう途上国。そんなことには気付く暇のないこのコンクリートの街に暮らす「教養のある」人々。神様、途上国に教育を、先進国に道徳を。
2005年09月10日(土) |
Cantare! Mangiare! |
上司がよく出入している会社の客が経営するイタリアンレストランへ同僚と3人で行ってみることになった。職場を出てタクシーを拾い、発展しはじめたばかりの真新しいエリアに到着。わかりにくいところにそのレストランはあった。
上司が連絡を入れておいてくれた為、席に着くとすぐに「お酒はサービスいたしますのでどんどん飲んでください」と言われ、「太っ腹!」と感激半分、悪いなぁという遠慮半分。あちらが選んでくれた白ワインはあっさりしていて美味しい。前菜にピザにパスタ。何を食べても美味しい!と感激。ゆっくりと美味しいものを体に通しながら、日々の会社での小さな笑い話をして沢山笑う。自分がここにいるのが不思議だった。半年前は静かな部屋でパンを焼いて、スワンリバーの夕暮れを心待ちにしていたのに、今は考える時間も足りないくらい忙しい日々の中で小奇麗に着飾って、スーツを着た人々に囲まれて、季節も感じない人工的な景色の中で頻繁に時計を見て暮らしている。わたしはまるで2人の自分がいてパースと東京という二つの地で別々に生きているように感じてしまう。
お腹が満たされたところで、チーズの盛り合わせやデザートまで出していただいた。最初から最後まで抜け目無く美味しかった。ハードに働いた1週間の締めくくりにふさわしい夜。帰りはほろ酔いで駅まで歩いて解散した。美味しいもの、楽しい仲間、太っ腹のオーナー、素敵な夜に感謝。
2005年09月09日(金) |
Portuguese |
長い間音信の途絶えていたポルトガル人の友人カップルから突然「日本に行くから」というメールが来て、懐かしさに浸る間もなく、彼らは日本に到着した。
わたしが働くビルの下で待ち合わせて再会。旦那も奥さんも3年前と変わっていない。日本が大好きな彼らだからさすがにトラディショナルな和食も飽きているだろうと銀座一丁目のいつもの創作和食をだす居酒屋へお連れした。
わたしと旦那さんは日本酒、奥さんはジュースで乾杯。料理はわたしが適当にオーダーした。生湯葉とアヴォカドの刺身、生ウニのオムレツ、カマンベールチーズと栗のかき揚げ、キノコのホイール蒸し、クリームスープのうどん明太子入、サーモンといくら入りの石焼き炒飯、、、日本語が読めないがために写真つきメニューの置いてある店しか入れないし、どうしても名前の知っているものしかオーダーできなくて、、、という彼らは次々運ばれてくる面白いアイディアの創作料理に"Great!"と感嘆の嵐でとても喜んでくれた。現在イギリス在住の彼らはイギリスの食文化の貧しさを悲嘆していたので、余計日本人の食に対するセンスの良さに魅せられているようだ。彼らがイギリスから旅行にでる近隣の国とその国の言語について、ポルトガルと日本の歴史上の接点(本当に天麩羅はポルトガル人が運んできたのか)などという面白い話題で盛り上がり、酒に弱い奥さんも気分が乗ってきたらしくわたし達と一緒に日本酒を飲んで、一層元気になったところで店内が混んできたので移動することになった。
お勘定をしようと財布を取り出すと、2人が「前回払ってもらったから今回はわたし達に払わせて」と言う。前回って3年前、、、。「律儀」という言葉は日本人の辞書にしかない言葉なのではないかと半分思っていたけれど、それは誤解だったと思った。彼らが欧米人的な大らかさに加えて日本人的な繊細さも兼ね備えた人達だからこそ、付き合いやすいのかもしれない。
カフェに移動しても話は尽きなくて、だんだん夜が深くなっていった。話し疲れた頃2人はステレオから流れてくるアストラッド・ジルベルトの"イパネマの娘"を一緒に口ずさみ、こんなロマンティックでスウィートなことを歌っているのだと訳してくれた。そしてまた今度は南米の話題に、、、今夜は一晩で世界中を旅した気分。
事業部のボスに逆らえる人はいない。ボスの言うことは絶対であり、ボスの指令ならば細部まで要望に沿って忠実にこなす。ボスのみならず、位の下の者は黙って上に従うのみというのがこの事業部の掟。年功序列などは全く無く完全実力主義。営業成績だけが全て。それで自分の地位が決まる。それは正に猿の世界。
ボスがトップに上り詰めるまでの経歴を知る人々は「アイツは営業の鬼」と口を揃えて言うほどだし、わたしから見ても貪欲で根性のある人なので尊敬はしている。
けれど、わたしが女だからなのか、営業をしているわけではないからなのか、わたしはボスの言うことは"絶対忠実に"とか、ボスのためならどんなに効率の悪いことでも喜んでなどとは思えない。ボスの指令でもあまりにも効率の悪いことならば事情を話してボスの納得するような代替案を提案してみる。が、それは男性陣に言わせれば「Michellinaさんは恐いもの知らず」ということになるらしい。彼らは絶対にそんなことは言えないという。確かにボスに物申すのは恐れ多い。けれどボスも効率の悪いことは会社のためにはならないから全く聞き入れてくれないというようなことはない。ボスがワンマンというよりもどちらかというと男性陣がびくびくし過ぎるのでは?とわたしはたまに彼らにイライラする。
今日もボスがわたしがやっている仕事の進捗状況を纏めて欲しいと男性社員に頼んだようで彼からわたしに指示がでた。わたしは大まかなところをリストアップし、プリントアウトして、後は時間も紙も無駄なのでパソコンの画面上でチェックしてもらってくださいと言い彼に渡すと、彼は「そんなことは言えないからどうしても最後までやって欲しい」と青ざめながら頼んできた。わたしはちょっとイライラして「ボスは実力があるからボスなのだし偉いと思って尊敬しているけれど、だからってどんなに効率が悪くてもボスの言うことなら何でもやりますなんてわたしは思わないよ。」と言うと彼は余計青ざめて「・・・そうですか・・・でも・・・・やっぱり・・・お願いします」と懇願された。わたしは会社に人生を捧げますなんていう気はないから効率が悪かろうと本当はどうでもいい。ただそのスタイルに同調しないという自分の意見を言ったまでだと彼に告げ、黙々と仕上げにかかりながら考えた。
でもこれは自然なのではないだろうか。強い猿がボスになって上に立ち統治する。そしてこれといって力を持たない猿は強いボスに着いていく。または自分もいつかボス猿になろうと上を目指す。強いボス猿が統治できなければ誰が統治するのか。また強いボス猿が尊厳をなくしてしまったらあらゆることがうまく廻らない。そう考えたら「異常」だと思っていたこの事業部の在り方が実は一番「自然」に近い形だったのではないかと思えてきた。わたしはきっとこれからも彼らのようには考えられない、けれど男性の世界がこう在ることで地球はうまく廻るのかもしれないと思った。
朝から晩まで、田舎から都会まで歩いているとティッシュと一緒に配られる英会話スクールの広告。配っているのは普通の学生アルバイトのような若者。たまにティッシュが欲しくてもらうけれど、広告はちらりと見るだけ。
が、今日、銀座を黙々と足早に歩いていると突然目の前に広告が差し出され"Are you interested?”と言われた。思わず立ち止まり横を見ると白人男性2人が英語を喋りながら広告を配っていた。これは新しいのではないか? 日本で語学に興味がある人は自分が練習した言葉を試せる場に不自由していることが多い。そこに道で話しかけてくる特にあやしくもない普通の英会話教室の広告を手にした外国人。これは明らかに日本人が配るよりも入校させられる確率が高いのではないか?
表参道のイタリアンレストランで開催された異業種交流会というものに初参加。世の中はカネコネカネコネ、、、やっぱりコネはあるにこしたことがない。こういった会は異業種の人達と名刺を交換して気楽におしゃべりをしながら交流を深め、何か機会があればうちでお願いしますといった感じで人脈を作るのを目的としているらしい。とはいえ、異業種の人々と何を話せばいいのか解からない。はじめに紹介された化粧品会社の人達などは本当に困ってしまい、間つなぎにワインを随分飲んでしまった。その時点で疲れてしまい、腰掛けて、黙々食事に夢中になっていると同年代くらいの男性が名刺を持って寄ってきた。彼はヘッドハンターをしているらしい。これはなかなか興味のあるところだったので随分とつっこみを入れてかなり盛り上がってきた。やはりまだ日本では「転職」することがあまりポジティブなものと捉えられていないところがあり、ハンティングすることも難しいし、まずハンターの需要は外資企業で賄われているそうだ。
気持ちもノッてきたところでもう少しワインを飲もうとカウンターへ行くと、バーテンダーはイタリア人だったのでヘタなイタリア語で話しかけてみた。するとさすがイタリア人男性(!?)、今度ダンスしに行かないか?とすぐにビジネスカードの裏に自分の携帯の番号を書いて渡してきた。「こんなところで働いていたらわたしと休み合わないでしょ?」と言ったら、土日休みだと言う。やっぱりさすがイタリア人だと思った。ってわたし何してるんだ、お店の人間(それでも異業種だけど)と名刺交換してどうする! と会に戻り、最後はIT関係の仕事をしているアメリカ育ちの日系人男性と話して終わり。わたしのように中途半端に海外生活の経験のある人間は日本社会が息苦しいと感じたりしてギャップに悩まされるけれど、彼のような人間は逆に全てが真新しくて楽しいと思うらしい。
あまり名刺交換をするような場所に行くことはないので、なんとも言えない不思議な後味がしたが、日本社会に参加していることをまじまじ実感させられた夜だった。