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2005年01月31日(月) |
「切ない」という感情 |
去年帰国した時に友達が言った。「テレビで見たんだけどね、欧米人とかって"切ない"っていう感情がないんでしょ?」と。どうなんだろうか。それからことあるごとにそれについて考えることになった。
日本人の両親を持つけれど欧米育ちで日本語よりも英語のほうが得意という日系人の友達に聞いてみた。すると「あるよ。"Depress"というのかな」とのこと。辞書を引いてみると「意気消沈」とか「元気をなくさせる」とでていた。広辞苑で"切ない"を引いてみると「圧迫されて苦しい。胸が締め付けられる思いでつらい」などとでていた。そうそう。意気消沈とか元気がないのと"切ない"は違う。わたしは日本人なので切ない感情というのはすごくある。
これについて時々考えるようになってから半年経つけれど、答えはわからない。マーティンは味噌汁やヒジキの煮物を普通に食べるガイジンであるし、社会のことについて話すときは視点が違っても最終的な意見はお互いに共感できるものであることが多い。それなのにどうしても"切ない"とかいう極繊細な感情表現を解かってもらえていないのでないかと感じてわたし達の間にすごく距離を感じることがある。でもそれはわたしが青い目から感情が読み取りにくいように、彼もわたしのブラウンの目から感情を読み取りにくいだけなのかもしれないとも思う。
でも欧米の映画に中に彼らが"切ない"表情をするのを見ることがある。彼らだって胸が締め付けられることはあるはずだ。
結論は今のところ「英語にはピッタリ該当する言葉がないだけなのではないか?」ということ。"Sad"も"Hurt"もいまいち違うように感じる。でも欧米人にもきっと切ない気持ちはあるのではないかと思う。それでは何故それに該当する言葉がないのか?とまたスタートラインに戻ってしまうのだけれど。。。。
久々にわたしのパースの中の小さな小さな交友関係総出で飲みに繰り出した。明日日本へ帰ってしまうHachiさんも合流して。日本人ギャル(?)ばかり5人という構成のこの会はなかなかの酒豪揃いなのでとりあえずはワインを3本買ってイタリアンレストランへ。関西人の実態という話題から始まり、「毛」の話へ。この「毛」に対するガイジンと日本人の執着どころが違うのでこの話題はなかなか尽きない。なかなか笑える話題が多く、ワインもグッドチョイスだったのでご機嫌でぐいぐいと飲んでしまった。
2軒目はカフェでもう一杯。ここのハウスワインが良くなくて一揆に悪酔いしてきた。わたしは昨日プールで泳ぎまくってスカッとしていたせいか妙に気分が良くてまだまだ飲みたい気分だったのだけれど、仕事帰りのコもお迎えのBFに夜更かしをさせているコもいたのでお開きとなった。
2005年01月26日(水) |
去年と同じAustralia Day |
今年もいつもどおりのAustralia Dayがやってきた。若者はBBQにビールで国旗を振り回し朝から大騒ぎ。余所者のわたし達は日中はひっそりと身を潜め日が暮れるころのそのそと花火を見るために坂を下りサウス・パースのリバーサイドまで歩いた。日本の夏と違うのは湿気がないことでカラっとした夜風が気持ち良い。去年と変わらない花火を静かに眺めて坂を上って帰った。
2005年01月25日(火) |
East Perthへ一泊旅行 |
以前HPを通して知り合ったHachiさんがパースへやって来てうちからバスで10分のEast Perthのコンドミニアムに友達とステイしているというので遊びに行った。わたしも泊まれるとのことだったのでパジャマや化粧品も持って。帰るのが億劫になって成り行きで泊まってしまうのと違ってきちんと用意して泊まりに行くのはどんなに近い場所でも小旅行のようでわくわくする。East Perthはパースシティから徒歩も可能な場所でパースの中でも都会という感じで背の高いフラットやツーリスト向けのコンドミニアムが多い。日本では都会暮らしは気がすすまないわたしもパースの都会なら問題なし、East Perthのアパートメント暮らしもいいなぁと思ったりする(ミケは嫌だというだろうけど)。ベランダから見上げる空はクリアで星もくっきりと見える。
シャンパンやワインを飲んでベランダで夕涼みをして(今日は満月っぽかった)、わたしにあてがってくれたダブルベッドで1人で大の字になって寝た。
遅めの朝に目が覚めると、Hachiさんは一生目を覚まさないのではないかと思う程熟睡していたので勝手に自分でコーヒーを入れてベランダにでて本を読んだ。空は快晴でベランダから下の通りを見下ろすとアジアの都市ほどではない大人しめな朝の慌ただしい喧騒がある。
どうにか昼前には朝食を済ませ、フェリーに乗ってスワンリバーを渡り、South Perthへ向かった。Hachiさんはパースのカフェめぐりが好きなのでジェッティの前のカフェに入った。パースのカフェの良さはスペースがワイドで禁煙ということなど。日本の都心のカフェのように隣のテーブルが妙に近く、ギュウギュウに詰め込まれた人々の話し声がうるさくて、すぐ前にいる相手に大きな声で話さなければならないということもなく、分煙でも隣あっているので結局服にタバコの匂いが染み付いてしまうとか煙を吸わされながらSweetsを突付ついて気分が悪くなるとかオープンテラスに座ったものの、目の前の通りは車が排気ガスをボンボンだして走っているなんてこともない。
夜にはマーティンも合流してイタリアンレストランへ行き、ワイン片手にピザやパスタを頬張った。マーティンはこのレストランはいまいちと言ったけれど短期滞在のHachiさんが美味しいと言っていたのでそれで良しとしよう。
わたしには他人が言うには「ある種の強さ」があって、でもそれは本当は「強さ」なんかじゃなくて他人を信用しきって裏切られてしまうことに対する恐怖心なのか、自分でもよく解からないのだけれど、他人に依存してしまうことは稀なので基本的に1人なのだと思っていて、だからこの人がいなければ生きられないとかいうことはあまり思わなくて、例えば誰かと別れなければならない時、どちらかというと「淋しい」という感情よりも「またどこかで会えたらいいなぁ」というポジティブな感情のほうが先に立つ。だからわたしは今まで知り合った大抵の人との別れ方は自分の心情的にはあっさりしたものだった。
今日は明日ここを発ってしまう高校の同級生のお別れ会を彼女の住むシェアハウスでした。食事はわたしが担当。洋食が好きな彼女の為に頑張ってパスタを打ち、ほうれん草とリコッタチーズを入れたラビオリを、醤油系が好きな他のメンバーには人参餃子と玄米ごはん、ピリ辛キュウリの漬物、黒豆ベジバーグ、などを作った。メンバーはコリアンの男の子二人と日本人の女の子3人。わたし達3人はガブガブワインを飲み、コリアン二人はマグカップのお茶を啜っていて全く飲まない。シェアハウスのオーナーのコリアンボーイは机に向かってではなく路上で覚えたのだろう発音も言い回しもSounds naturalな日本語を話し、ギャグまで言うのが可笑しかった。そしてわたしの知る典型的コリアンらしくカラオケ大好きで早くカラオケに行こうとお腹が満たされるとさっさとテーブルの上の食べ物を片付けられてしまった。カラオケボックスではコリアンの二人によるミニライブ状態で発音よくバンバン日本のポップスを熱唱し素晴らしい!と感動していると、ところどころ「いつか」が「いちゅか」とかになっていてズッコケさせられた(笑)
彼女とは1年前にここで再会した。わたしを訪ねてここに来たわけではなく、ここに来ることが決まってからわたしがここにいるのを聞きつけて連絡をくれたのだった。7年も連絡をとっていなかった友達からの突然「そっちにいくから」とのメールに驚きそわそわしながら空港に向かえに行った。が、空港の出口で再会した彼女は変わっていなくて拍子抜けした。再会したばかりの時はなつかしいとかそんな風にしか感じなかった。けれど、大人になってから知り合った友達と10代を一緒に過ごした友達とは何か違って、彼女に対してはわたしの感覚が10代に戻ってしまって子供のようなところを恥ずかしげもなく見せてしまえるのだ。それが海外で親も親戚もいなくて頼れるごくわずかな人間にまで少しだけ気を張っていたわたしにとても安心感を与えてくれた。だから前述のわたしはあっさり覆され、2ヵ月後には日本でまた会えるのに彼女がパースを去ることがあまりにも淋しかった。そして28歳で?と言われるかもしれないけれど、わたしは確実に自分が少し若い頃より気が弱くなってしまったと感じる。
人生って不思議。ある日突然旅のみちづれができたり失ったり。。。だから楽しいんだって思うことにしなくちゃねっ。
朝起きて外を見ると空が奇妙な色をしていて、ただの曇り空ではなくどんよりとした雲に街中が覆われているような感じだった。先週、北東で発火したBushfireの煙だった。空気の乾燥したオーストラリアの山火事は悲惨。瞬く間に燃え広がる。ブッシュに住む動物達は逃げ惑っているだろう。逃げることができてももう焼け野原となったブッシュで食料が不足する。自然発火ではなく放火犯がいるとの見方が強いようで、これは許し難い。
わたしは最近はほとんど問題なかった低血圧に久々に見舞われて、夕飯を作るのもだるくて、市販のバーモントカレーのルーでJapanese Curryを作ることにした。久々に食べたら子供の頃に好きだったなつかしい味がしてムショウに日本が恋しくなった。
「完璧な自分」を求め、さらにそれを人に誇示したい人はたまにちょっと恐い。心の奥底で密かに自覚している自分のネガティブな側面を認めることが許せなかったるするのではないだろうか。だから人に偶然痛いところを突かれてしまった時、過剰に反応し、時に攻撃的になり、咄嗟に自分のネガティブな側面を正当化して覆すことや、相手を見下すことで自分を無理やり納得させる。昨日はそんな人のために嫌な思いをしてちょっと眠れなかった。
だから早く起き上がって清々しい朝の空気を吸いこんだら、それでもわたしには意志を尊重してくれる人々が周囲にたくさんいる。だから昨日のことは忘れようと思った。
今日はまたいい天気。外を歩くのが気持ちいい。バスをキャッチしてシティへ行き、友達と3人ランチ&ワインのつもりが、夜まで長引いてしまった。インディアンレストラン→パブ→イタリアンレストランとハシゴ。この友達のうちの1人は高校の同級生で、卒業から10年も経っている今、パースでピザを齧りながら当時わたし達の身の周りで起きていたことを話しているのががなんとも不思議な気分で、世界がとても小さく感じてしまう。10年前はこんな場面は夢にも思わなかった。
すごく良い気分で帰宅してネットを徘徊して、日本猿薬殺や津波被害を装った詐欺が世界で横行していることに胸を痛めた。人間の気持ちは一生こんな風にUP&Downを繰り返さなければならなくて、世の中はぴたりと平和になることもまず不可能で、それでも自分はその中で何かを選んで折り合いをつけて生きていかなければならない。たまに世の中が本当にわからなくなってしまって、あらゆることを見失って失望してしまうけれど、世の中の悪事に悲しんでも、だからといってそれによって自分が不幸になるべきではない。まず自分自身を強く保たなければ。そんな結論をだして、今日は昨日の分もぐっすり寝ようと布団に潜り込んだ。
2005年01月16日(日) |
コインランドリーの日曜日 |
M家には洗濯機がないので、シーツやバスタオルなどの大きな物を洗うときはコインランドリーへ行く。ランドリーの待ち時間はマーティンが唯一わたしと駐車場でバドミントンを楽しんでくれる時。大きい彼はあまり動かず、手だけを動かしているのだが、わたしはへぇへぇいいながら走りまくり。疲れてきたら近くのベジタブルショップでわたしはナッツ入りのチョコレートを、マーティンはグリーンピースを生で食べるのが定番。彼のほうがわたしよりよほどベジタリアン(特にフルータリアンのような)素質があると思う。
何度見ても泣けてしまうこと。
犬は宇宙になんて行きたがらない。
21世紀、プローブができた今、
もう犬は宇宙に行かなくてもよくなったけれど、
いや、本当ははじめから犬が行く必要などなかった。
人間の興味のために犠牲になるべきではなかった。
彼女の存在を忘れたくない。
日本では車で家の周りをスピーカーで何か歌いながら徘徊しているものといえば「い〜しやきいも〜〜や〜きいも〜」とか「青森産100パーセントリンゴジュース(赤いほっぺの青森訛りのお兄ちゃんに何度も買わされた)」とか、「ちり紙交換」とか「さ〜おだけ〜」だけれど、なんとマーティンの育ったスロヴァキアでは「毛皮買います。動物の毛皮買います」らしい。毎日来るからには提供してる人がいるということなのだけれど、これ、着古した毛皮のコート買いますとかいう意味じゃなくって、死んだ動物や殺した(食用に)動物を主に引き取っていくということだ。小学生だった彼はある日猫が車に轢かれて死んでいるのを発見したら毛皮回収車がやってきて「僕が見つけた猫の死体」と言ったら、おじさんは彼にバゲッドが20本くらい買えるほどのお金を渡し、その死体を持ち帰ったそうだ。彼の友達の家でも庭で飼育しているウサギの肉を食べ、毛皮はおじさんに渡していたという。が、誰も彼がその毛皮を何に使用しているのか知らないらしい。
閉店間際のスーパーマーケットのレジ周辺には10人くらいの人がいた。わたし達は1人で片手で赤ちゃんを抱えながら買い物をしている小柄なアボリジニ女性の後ろに並んだ。赤ちゃんの顔から父親は白人だということは想像がつく。そして彼女は銀行のカード(こちらは直接それで払うことができる)で支払いをしようとしていた。ほんの少しの食料品とおむつとティッシュ。が、彼女の銀行口座には充分なお金が入っていなかった。おむつを諦めた。そしてレジ係がもう一度打ち直した。が、それでも彼女の口座のお金では足りなかった。袋から今度はティッシュを取り除く。彼女もレジ係のおねんさんも不機嫌だった。周囲は静まり返りみんなそのやりとりを横目で見ていた。レジ係がもう一度打ち直した。それでも足りなかった。もう一度袋の中を見て何かを諦めなければならない。が、この時見ていた周囲の人達が堪えきれず一斉に「いくら足りないのか?」などと聞き始めた。たったの20セントだった。そしてみんな一斉にポケットをさぐり彼女のために小銭を出した。結局横のレジに並んでいた中国系の若い女の人が足りない20セントを彼女のために払った。アボリジニ女性はにこりともせずにThanksと一言彼女に言い、腕に抱えた子供を落とすのではないかというほど足早に歩きその場を去った。
今日はなんとか食料は買えたけれど、明日の食料やおむつ代はどうするのだろうと想像したら胸が痛かった。そして不機嫌な母親が育てる無邪気な青い目をした子供はこれからどう育っていくのだろう。親の放つ空気は子供に伝染する。帰り道マーティンは彼女に咄嗟におむつ代をあげなかったことを少し悔やんだ。過去に白人がアボリジナル達にしたことは明らかに悪行だったけれど、今日、多くの人が彼女を助けようとしたことが嬉しかった。世の中冷たい人間ばかりじゃないから、どうか、機嫌よく笑って子供を育ててあげて欲しい。
今年は冷夏なのだろうか。平年に比べて涼しくて過ごし易い。今日も朝からいい天気。切った大根を天日に干して友達と週に1度のランチ&ワインに出かけた。白ワインを買って、ちょっと裏通りのインディアンレストランへ。3種類のベジタリアンカレー、ヨーグルトのサイドディッシュ、コンデンスミルクのデザートなどが入っているプレートと、ガーリックナンとレンズ豆のパテをオーダー。ベジタリアンでもチョイスの多いインド料理は楽しい。友達にこのインドっぽい内装とわたしが妙に似合っていると言われた。わたしはなぜかそんなことをよく言われる。友達いわくインド人っぽいという意味ではなくて自分がその時々いる場所に溶け込むのが得意なのだそうだ。
朝ごはんを食べないのでランチのワインではちょっと酔うのが早い。ふらりと3軒先のカフェまで歩いて入った。ここの若いウエイターはちょっと可笑しかった。
私 : バナナシェイク、less sugarって出来る?
W : う〜ん。。。トライすることは出来るけど。
私 : じゃぁ、それにする。
W : マンゴースムージーとかはどう?
私 : わたしはバナナシェイクが飲みたいの
W: 。。。。 、でもスムージーとか美味しいよ。
私 : ううん、バナナシェイク。
W : パッションフルーツスムージーは?
私と友達 :(日本語で)ホントは最初からバナナシェイクLess Sugarなんて出来ないって確信していたに違いない!
私 : じゃぁ、Iced Coffeeでいいや。
W : (嬉しそうに)Less Sugarね!
潔く出来ないと言えばいいのに。
アニマルライツのVideoを見てもう一度強く誓ったこと。
毛皮は買いません。
動物実験によって"安全性"が確認された
"危険"な化粧品は買いません。
健康を心がけます。
薬は出来る限り飲みません。
肉は食べません。
動物を捨てません。
ペットショップの犬猫は買いません。
サーカスは見ません。
動物実験好きの心理学者の本は読みません。
命の尊さを顧みない利己主義者に協力しません。
母親からメールが来た。携帯電話から頑張って打った様子が窺える。内容はただ挨拶程度のものなのだけれど文章もちょっとおかしい。常識的で世間体が良いことを美徳とする母はもっと若い頃はそんな間違いはしなかった。これは30手前のわたしに親ももう若くはないと見せ付けられているようでなんだか切なくなった。親に世話になってもわたしは何も返していない。
去年帰国した時に幼馴染が連れて来た彼女の赤ちゃんを嬉しそうに抱っこする母を見て何もしてあげられない自分に落ち込んだ。でもだからといって自分の意志を犠牲にして生きることもできない。
ただただこんな娘ですみませんと心の中で謝るのみ。
空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか
私は美人で、頭も悪くないし、体もいいし、幼い時から、廻りの人に気をつかって、随分尽す性だし、今は、その延長で世界のために、と自分の出来るだけはしているのだから、自分では何もコンプレックスを感じていない。
それがこれだけ悪口をいわれてきた、というのはどういうことなのだろう。・・・ 中略・・・
ヨーコのアートなぞというけれど、それは嵐の中を歩いた足跡みたいなもので、ふりかえってみる気はしない。その時、そういう歩きかたをしなくてはならなかった、ということなのだろう。
何か、あなたがそこから得ることがあれば、ありがたい、と思うけれど、得ることがなければ、どんなご立派なアートでも、仕様がないんじゃないか、と思う。
リンゴが気から落ちるだけでインスピレーションを得る人間と取っ組んでいるんだから。そういう次元ではアートなんて無駄な努力なのかもしれない。
空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか。私はただ私でありたい、と思って暮らしてきただけた。その私であるということが、そんなに怒りをうけるのだったら、人間社会はこわい、と思う。
自分では、自分のいい子ぶりにウンザリしているくらいで、片親をなくしたショーンのために、と思って、万事低姿勢で自重しているわけだが、本当は世界に向かって、バカヤローと叫びたいのが本音だ。
(1984年10月 ニューヨークにて オノ・ヨーコ"ただの私"より)
21世紀の日本には目に見える露骨な男女差別などなくって、わたしは女性であることで不当な扱いを受けているなどと感じたこともないから、そういうことには無関心だけれど、それは過去に闘ってくれた人々のおかげなのだとありがたく思う。オノ・ヨーコは嵐の中で勇敢に闘ったけれど、母親になると今度は子供を守るために自重の姿勢を取る。わたしにもきっと母性があるので、自分の子孫を守りたいと自然に思う。だから自分の子孫が生き易い社会へと導かなければならない。自分に忠実に歩くことは時々簡単じゃなくって、向かい風に煽られて吹き飛ばされそうになってしまうとき、この本でオノ・ヨーコが自分を生きようとする女性達を「姉妹」と表現したように、わたしは彼女の姉妹なのだと思ってみると少し力が沸いてくる。
2005年01月06日(木) |
ぶらり、Fremantle |
今日は早起き。なぜならマーティンが朝の会議に遅れないように起こさなければならないから。彼を時間通りに朝の会議に赴かせるには周囲のほうが苦労してるのだ。上司であり友達でもある人もわざわざ電話をかけてきた。「会議忘れてないよね?大ボスもうここにいるからくれぐれも時間には遅れないで来てね」ですって。こんな念押しの電話をもらうなんて会社の問題児なのに違いない。
そしてわたしは友達とフリーマントルへランチをしに行った。午前の街は清々しくて気持ちが良い。白ワインを買ってイタリアンレストランへ。この白ワインを飲んでいくうちに二人して頭痛に見舞われた。アルコール度数13度というWAワインにしては低いものを選んだのに、すごく悪酔いしてしまい、足取りも怪しくなった。"今日のワインは選択ミスだねー"といいながら港のフィッシンチップス屋さんでアイス・コーヒーを飲んだ。そして青々と芝生が茂った広場の木陰でお喋りをした。ここへ初めて来た時に芝生に寝転がって真っ青な空を見上げながら午後を過ごせるような暮らしは本当に贅沢だと思っていた。今でこそ当たり前のようにそれをしているけれど。
野生の感覚はGreat!わたしが動物が大好きな理由の一つは彼らの生まれ持った習性や感覚が素晴らしいから。人間は明らかに色々な知識や情報を得すぎて何か一番大事なことに盲目だったり勘が働かない場合が多い。だから有名ブランド品のタグを質の悪いバッグに縫い付けてもらえば良質な物を手に入れた気分で満足できる。でも動物達は違う。常に感覚や勘で自分にとって大事なものだけを直視して生きる。動物は食べ物の消費期限など見なくても食べられるものとそうでないものを舌で選り分けられる。感覚よりも知識が先に立って本質を見極められない人間に比べて、感覚だけが頼りの動物には誤魔化しがきかない。わたしは人間だけれど、こんな風に生きたいといつも思っていた。だから自分の感覚にじっと耳を澄ましてみる。するとこんなに無駄な情報にまみれてしまった人間でも案外自分の本質から発せられる声が聞こえてくる。そして世の中のあらゆる音にも耳を澄ましてみる。。。本来人間もこうやって鋭い感覚を培っていけば自分で津波が来るのを察知できる動物なのではないかと思ったりする。
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激しい津波被害の公園、動物死がいは皆無、スリランカ
2004.12.30
Web posted at: 19:30 JST
- CNN/REUTERS/AP
コロンボ──スマトラ島沖で発生した地震による津波で、大きな被害を受けたスリランカ南部のヤラ国立公園では、動物の被害がほとんど見られず、死がいはこれまでほとんど見つかっていない。公園の関係者は、動物は異常を察知し、津波が襲う前に避難したのではないかと推定している。
ヤラ国立公園は、スリランカ最大の動物保護区で、200頭のアジアゾウをはじめ、ワニやイノシシ、水牛、猿のハヌマンラングールなどが生息している。また、アジアで最もヒョウの生息数が多いことでも知られる。
26日の地震で、ヤラ国立公園には津波が押し寄せ、約200人が死亡。このうち、約40人は外国人観光客で、日本人複数も含まれている。
しかし、津波の被害が甚大(じんだい)だったのに、動物の死がいは、ほとんど見つかっていない。同国立公園の副園長は29日、ロイター通信に対し、「不思議なことだが、動物の死がいは、ウサギ1匹も確認されていない。動物たちは、災害を感じられるんだと思う。何が起こるか知っていたのだ」と推測している。
AP通信のカメラマンも、空軍のヘリコプターに乗り込んで、ヤラ国立公園上空から観察したが、ゾウや水牛、シカの群れは見えるものの、死がいはまったく発見できなかったとしている。
津波で全壊した公園内のホテルで働く従業員も、「人間の遺体は見かけたが、動物の死がいはまだ見ていない。恐らく、予知したのではないか」と話している。
2005年01月04日(火) |
Stranger Than Paradise |
いつも製菓用にお酒を買うボトルショップではいつもわたしの英語が通じない。何故かというと酒はRとLの着く名前が多い上に普段そんなに耳にすることも自分が使うことも無いのでどう発音していいのかもいまいち分からない。なので適当にトライしてみる。最初は日本人風に、それでも通じなければ英語っぽく、それでもダメなら最後から2番目の音を強調してイタリアンっぽく。。。(笑)先日手こずったAmarettoに続き、今日欲しいのはRum。またRが入ってるよ。やれやれ。
わたし : Hi Can I have a small Rum ,please.
店員 : You can get in the butcher next door.
Butcher(肉屋)? いくらわたしがStrangerでもボトルショップでLambがないかとは尋ねないぞ。
わたし : Not Lamb, I want a Rum,,,(←言ってる本人もLambとRumの区別がついていない)
結局このStrangerに困った店員の女性はわたしに紙とペンを差し出した。そしてやっとRumがでてきて「ごめんね。理解できなくて」と謝られてしまった。たまにオージーは人が良いと思うときがある。発音できてないのはこちらのほうなのにあちらが聞き取れないことを謝ってくることがある。そしてわたしは自分が発音出来てないのに「もう結構です!」とちょっとむっとしてターンしてしまうこともある。
(写真:いつものCOMOの坂道)
日本人の女友達と3人、それぞれのパートナーを連れての飲茶の会。スイスフレンチ、チャイニーズ(from 香港)、ジャーマンと国際色豊かな会となった。それぞれの国の言語や文化という話題を囲んでちょこちょこと箸を動かした。日本人にはちょっと複雑な構造になっているスイス人の使う言語の話や中国語の話はとても興味深かった。どこも構造的には日本の標準語と東北弁のような感じ。このスイスフレンチの彼はスイスジャーマンも話せるらしいのだけれど、それは標準ジャーマンではないのでマーティン会話した時に彼がマーティンを理解してもマーティンは彼を理解しないということだ。
そしてそれぞれの国の愛の叫び方を、
やっぱり"Je T'aime"っていいなー。甘すぎる響き。
フランス語やイタリア語はもっとすごいらしいのだけれど、英語でも日本語に直訳してしまうと、とても愛想の良いというかちょっと甘い表現がある。そしてそれは日本人があまり口にしない表現だったりする。
2005年01月01日(土) |
New year on the beach |
あけましておめでとうございます。
初詣には行きましたか?
わたしは年越しそばを食べましたが、
暑いのでざる蕎麦です。
そしてカウントダウンはシャンパンをポーーン!と開けたものの、
疲れてすぐに寝てしまいました。
そして今日も普通に夕暮れ時にビーチへ繰り出し、
少し泳いでから岩場を長距離歩きました。
そして沢山喋りました。
わたしは強い政治的信念を持ってしまった為、
人との関わりが難しく思える時があります。
良いことは少数でも理解者を見つけた時、
とても深く解かりあえるような気がしてその人と出会えたことを
本当に嬉しいと思えることです。
理解者とはわたしとまさしく同じ意見を持った人という意味ではなくて、
わたしの意志を受け止めて尊重してくれる人のことです。
でも、たまにこんな信念を持たなければ
もっと気楽に生きられるのにと思うけれど、
冷静になるとやっぱりわたしは信念を持たずに生きることは
楽でも空虚だと思えるので孤独になっても
それを捨てずに持ち続けることを決心します。
とりとめもなくマーティンにそんなことを話した後、
「ところで君は将来何になりたいの?」
と聞くので
「わたしの理解者の奥さん」
という回答をしたら、
「そんな強い政治的意見を持ってるなら
もっと大きなこと言うのかと思った。。。
そのチグハグなところが君の可笑しいところだ。ワッハッハ」
とすごい勢いで笑われました。
こんな3度目の暑いNew Yearでした。
それでは今年もよろしくお願いします。