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父が夕方ひったくりを目の前で見たと興奮気味に帰ってきた。高速道路の側道の下でバイクに乗った二人組の男が30代くらいの自転車に乗っていた女性の手からバックを奪おうとしてもみ合っていて、そこに通りかかった父ともう一人の男性が駆け寄って行った時には既に遅くてバックはひったくられてしまい、自転車から転げ落ちた女性は傷だらけで、スーパーで買ったばかりの食料品があたりに散乱していたそうだ。父は走り去るバイクを見たものの、バイクのナンバーは捻じ曲がっていたのでナンバーも記憶しておくことができなかったということだ。
わたしもパースで夜中に泥棒がガラスを割って侵入してきてお気に入りのバック、財布、アクセサリーも盗られてしまった。全ての持ち物に思い入れや思い出があったからくやしくてたまらなかった。目の前の小銭欲しさに人の思い出の品までも奪っていく。許しがたい行為だ。せめてバッグだけでも彼女に帰りますように。
囚人一人当たりにかかる費用一ヶ月で21万円!とあるテレビ番組で言っていた。21万あったら普通の人が普通の暮らしをできるではないか。犯罪を犯すのはやめましょう。罪償いさえも善良市民の税金を使わなければならないのですよ。
しかし税金といえばオーストラリアの税金はとても高くて所得に応じて税率が30%、40%、50%と変わっていく。そうして集めた税金を怠けて働かない若者に簡単にあげてしまう。社会保障が厚いことはある面ではとてもいいけれど、問題も多い。善良な勤め人であるマーティンにそれを理不尽だと思わないかと訪ねたところ素晴らしい回答が得られた。「僕は高い税金を取られても、良質な会社、そして良質なプロジェクトに入って働けば自分をバリューアップできるんだ。いくら国がお金をくれてもボンヤリと脳みそを腐らせるのは損だ」ということだ。拍手!
2003年10月26日(日) |
日本とオーストラリア |
親戚の家の前を通りかかると叔父が車を掃除していたので、ほんの少し立ち話をした。寿司屋を経営している叔父はヤクザの親分のようなルックスと裏腹にとても心配性で慎重な人でわたしがパースに行っている間も何かにつけて「アボガドの寿司なんて犬も食わねぇよ。こっちには本物の大トロがあるから帰って来い」などと言っていたのだ。今日もわたしが11月にあちらに戻ることを聞きつけていたようで、「やっぱり日本は暮らし易いだろ!」と肩を叩かれてしまった。まぁこんな風に心配してくれる人がいるというのは嬉しいことだ。どちらがいいかと言われたらわからない。西オーストラリアの広大な自然と青い空とストレスの無いのびのびした暮らしが好き。けれど東京の文化レベルの高さや四季の変化も繊細な町並みも好き。けれどいいとこどりでは暮らせない。
2003年10月25日(土) |
小泉総理がやって来た |
わたしが住んでいる田舎町に小泉総理が日産のプレジデントに乗りやって来たらしく母親が見たと言う。なんでも駅前はすごい人だかり、みんな携帯のカメラで写真を撮るのに夢中、誰が演説を聞いていたのだ!という状態だったらしい。知性も理性もうすいのよ、こういう田舎町は。
コイズミをコイジュミと真顔で発音するマーティンに言わせると彼のルックスは海外でも評判がいいとのことだ。確かに日本の総理大臣にしては垢抜けている。
前田京子さんのレシピで石鹸作りをしてみることにした。マルセイユ石鹸とはその名の通りフランスのマルセイユが発祥の地で、オイルのうち72パーセントがオリーブオイルというのが定義のようだ。前田さんのレシピは着色や香り付けも自然のものを使う。例えば、オレンジ色にしたければ、パプリカのパウダーを入れてみたり、緑色にしたければほうれん草の茹で汁を使ったり。わたしはコーヒーを使って薄い土色で無香料のものと、着色はしない、シンプルな生成り色でグレープフルーツの精油で香り付けしたもの2種類を作ることにした。油はオリーブオイルと椰子油とギー(インド料理に使われる)を使う。石鹸作りは分量や温度や時間さえ間違えなければ難しくはないもの劇薬の苛性ソーダを使うのでかなり危険。猫達を部屋から追い出し、ゴーグルをしてタオルで顔を覆って慎重に、慎重に、、、。種をしこんだら後は切り分けて熟成するのをひたすら待つだけ。使えるのは1ヶ月半以降になる。石鹸作りは楽しい!
医学の発達には動物実験はつきものとされていてその上にわたし達は生かされている。電極を頭に刺される猿、脳を開けられる猫、、、生きたまま切り刻まれ、無残な姿で死んで行き、そのまま冷凍され捨てられる。至って健康、薬すら相当のことがないと服用しないわたしはそれらに対して複雑な気持ちを抱えている。けれど化粧品の為の動物実験は絶対にNO!と断言する。ウサギの目を瞬きが出来ないようにして固定して目に擦り込んで安全性を確認しなければならないマスカラ、ウサギに食べさせなければならない口紅、そんな物は要らない。
動物の犠牲の上に生かされる人間のペットの存在もある。パースに獣医学の質の高さで有名な大学がある。そこで勉強している知人が「わたしは今までに何匹マウスを殺したか分からない」と言っていた。この学部では犬を飼育していて、当番制で散歩をさせなければならなくて、やはりそんなことをさせていれば情が移り、犬の性質から言って人間を疑わない彼らはすぐになつくことだろう。けれどその犬はある日、動物実験の為に使われるのことになる。そういう辛い試練を乗り越えなければ獣医になれないのだろうか?
けれど世の中に明らかに無駄な動物実験がはびこっていることは確かで絶対に改善できるはずなのだ。動物実験された製品をボイコットすることで意思表明をしよう。
来年から社会人にならなければならないのにバイトに明け暮れ就職活動も全くしていない妹と両親は毎日のように口論している。妹の大学は文系で勉強したことを就職に活かすのは難しいようだし、まず本人も何を目指してよいのか解からないようだ。
毎日同じ口論の繰り返しで一歩も前進しないこの件に関して先日母から「おねえちゃんから言ってやって」と言われてしまった。わたしはこういうときちょっと複雑になる。妹のぐうたらにも呆れるけれど、母がこのぐうたらな妹を作ったと思う節もある。わたしと妹は5歳離れているので、けっこう頭脳には差があり、大抵のことは「おねえちゃん、面倒見てあげなさい」「おねえちゃんなんだからやってあげなさい」と言われて育ってきた。そのうちわたしは何でも自分で勝手に決めててきぱき調べて行動するような人間に、妹は優柔不断で決断は他人に委ねて何か行動しようにも情報収集力もなく人任せな人間になってしまった。これが悪循環でこんな妹を両親はますます心配し、「さっちゃん(妹)はそんなことしちゃ駄目」とか「さっちゃんには出来ないよ」と色々行動を制限してきた。わたしが一人でふらっと海外旅行に出かけてしまうことには何も言わなくても、妹が一人で飛行機に乗ってパースにいるわたしを訪ねてくるときも猛反対したくらいだ。
妹に「とりあえず就職してみて合わなければ転職するなり他の道を考えてみればいいじゃん。何もやらないでダラダラしてたらもったいないよ」と何度か言った。それから妹は一つだけ内定をもらってきたのだけれどそこで働くには遠くに行かなければならず一人暮らしをすることになる。これがまた母親には心配で「さっちゃんがそんなことできるわけ無いよ」と言う。わたしはついにきれてしまい「親が子供に"出来ない"、"出来ない"っていうべきじゃないよ。そうやって暗示かけると本当に何も出来なくなっちゃうんだよ。一人暮らしでも何でもさせてみればいいじゃん。やる前から出来ないなんていうから本人だって怖気づいて"わたしはどうせ出来ない"って思っちゃうんだよ」と言ったら、母はしばらくわたしと口をきかなかった。でも謝る気はなかった。だって誰だって最初から出来ることなんてあまりないし、失敗して学ぶことだって沢山あるから。わたしだって一人暮らしを初めてした時は洗えない服まで洗濯機に突っ込んでお気に入りの服を縮ませてしまったりした。けれどそうやって覚えてきたのだ。
以前働いていた会社の上司はわたしがこんなことをやりたいが難しそうだと話すと「まぁね。でもそれは本人次第。やってみなきゃわからないよ」と言ってくれた。わたしはその言葉にとても勇気をもらった。そして今でもその言葉は何か新しいことをはじめる時に不安に駆られる心を励まし続けている。思い起こしてみればわたしの周囲には彼のような大人が沢山いた。だから母親にも妹にそんなことを言って欲しくない。
2003年10月16日(木) |
スローフードに憧れない世代 |
となりの家のおばあちゃんが分けてくれた自作のピーナッツでピーナッツ豆腐を作ろうと母とテレビを見ながらこつこつと殻を剥いていた。二人一時間かけて2カップ分しか剥けない。わたしは「すっごいスローフードだね。こんなに苦労して作るピーナッツ豆腐はさぞかし美味しいだろうね」と楽しんでいたのだけれど母はただ黙々と剥きながら母の実家で昔飼っていた牛の話をはじめた。
祖父は家で常に6頭〜10頭くらいの乳牛を飼っていた。機械を使うと牛が痛がって啼くので、祖父は椅子に座り居眠りしながらも手で絞っていた。朝になるとミルクを回収する業者が来て自分の家の分を残して出荷する。牛は放し飼いで、何度か逃げだして村中大騒ぎになったこともあった。牛が死んでしまうと解体して村中の人にお裾分けして食べるのだが、ギシギシでとても不味い。牛達は手で乳搾りをする祖父になついていたけれどある日祖父はこんな生活をやめて働きにでることを決め、牛を手放すことになった。業者が引き取りに来ると牛達はトラックに乗るのを脚を突っ張って嫌がり涙を流して泣いたそうだ。
昔の農家はこうやって自分達が口にいれるものと密接に暮らしてきた。けれど生まれた時からもうファーストフードもコンビニもファミレスもあってスーパーに行けばなんだってきれいにパックに詰められているわたしの世代はその食べ物が自分の口に入るまでの過程を知らない。だから大人になるころにはこの便利さに飽き飽きしてしまいスローフードなどというものに憧れゆっくりと時間をかけて全部はじめから作ってみたいと思うようになる。けれど母の世代は逆であって、不便なことを嫌がらないまでも楽しむこともあまりないようだ。
2003年10月15日(水) |
愛車のフィアットプント号 |
今日もまた別の中古車センターが愛車の査定にきた。
それにしてもわたし自身はこの車にかなりの愛着があるので手放すと考えると淋しい限り。免許をとって見た目だけで選んで購入した初めての車だった。色(黄色のボディに青いルーフ)やベルトーネのデザイン"b"マークがボディについているのも自慢だった。体があまり丈夫でなく気まぐれな娘だったが、それでもあちこちへ旅を共にした。夏の夜や春の日中にはオープンにして海岸線を走った。
思い出に浸っていると中古車屋さんが「女性だと別れを惜しんで車を引き取りに行くと泣いてしまう方がいるんですよ」と言う。あぁわたしも泣いてしまうかも。泣いてしまった女性にそのお兄さんは「忘れ物は思い出だけですか?」を決め台詞を残して車を引き取るそうだ。
千葉までドライブして買い物をしてきた。京都の陶器屋さんが出している店舗で和食器を物色。はぁ陶器って値段と質がちゃんと比例していて息を飲むような素敵なものは息を飲むような値段がつけられている。季節によって雰囲気の違うものがでてくるのは四季の変化のある日本ならではでこれが地中海性気候のパースにはない良いところだ。うっすらとすすきの絵が掘られた複雑なクリーム色の長皿を購入した。
夕方家に帰ると中古車販売店のお兄さんが愛車の査定に来た。ついた値段によっては売ってしまおうと考えている。世間話をしていたら彼が仕事でロスに行ったときの話になり、「現地の事務所にいる日本人はもうアメリカ人ぽくなっちゃっててあんまりせかせか働かないんですけど、僕なんかはもう話がつかなかったらまずいなんて思っちゃって、休みもらっても仕事に走っちゃうんですよ。日本人の癖なんでしょうね」などと言っていた。彼の爪の垢を煎じてマーティンに飲ませたら少しは働きものになるかしら。休日まで働けとはいわないけれど毎日定時に引き上げてくる働き盛りの男の口から「もう働きたくない」とか聞くのは日本人のわたしには辛い。
このところ、日本の嫌なところばかりが目に付いてうんざりしていたけれど、今日は少し日本の良いところに出会えた。
夜中にトイレに起きて、普通に階段を降り、上がろうとしたら腰がガクガクでで激痛が走った。一度やったら癖になるというぎっくり腰だ。人生二度目。なんとかベットに戻り、朝になって母を呼んでコルセットなどを持ってきてもらった。這うように歩き、靴下も母に履かせてもらった。どっちが年寄りなんだかわからない。
じっとしていてもつまらないので頑張って図書館に行った。車の乗り降りだけでも腰が曲がらず一苦労。本棚につかまってなんとか歩き本を探した。
好物のドーナツを食べても美味しいとは思えない。バラエティー番組を見て笑うと腰に激痛が走る。いつもなら初めの10分くらいで解かってしまうほど得意なサスペンスの犯人当ても勘が冴えなくて、ずっと犯人だと思っていた女が無実だと後半30分に知りショックを受けた。人間って体の中にたった一つ正常ではないところがあるというだけで、こんなにも生活に支障を来たすんだわ。もう今日は寝ることにしよう。
2003年10月09日(木) |
My little cat |
昨日日記を書く前に確かにわたしが部屋のドアを閉めた時、ミュン(黒猫)とクーちゃん(茶白)は確かにわたしの部屋にいた。それが、日記を書き終えてさぁ寝ようと思いPCをオフにして振り返るとミュンがいない。窓も全部閉まっている。ベッドの下にも押入れの中にもどこにもいない。
猫というのは人間が必死で自分を探す姿を見て楽しんでいるようなところがある。以前飼っていたミーヤという白いチンチラがいなくなった時、その時のルームメイトと隣の家のお父さんと息子まで巻き込んでみんなでパジャマで懐中電灯を手に探し歩いた。30分くらい経って一同が途方に暮れた頃、木の上でわたし達が必死に探しているのを勝ち誇った顔で見下ろしているミーヤを発見した。一堂拍子抜けだった。
ミュンもどこかで焦っているわたしを笑ってみてるんだわと半分思いながらももしかしたら消えちゃったのかもしれないと悲しくなってきた。ゴミ箱の中も見た。そしてまさかなぁと思いながら小さな引き出しを開けると靴下にまぎれてスヤスヤ寝ているミュンがいた。はぁ、、、こんな所に入れるのはミュンミュンだけだよ〜と胸をなでおろして小さな暖かい体を抱きしめて寝た。
ずっと楽しみに観ていたドラマ「青い鳥」の再放送が終ってしまった。このドラマは確か5年くらい前に放送されていたもので、長野県の清澄に再婚のため東京から引っ越してきた母子が平凡な駅員だった豊川悦司と出会い、大きく運命が変わってしまうお話。わたしはこのドラマに出てくる「子供の孤独な心」のようなものに弱い。子供が「わたしは誰にも愛されていない」なんて言うところがあるのだけれど、子供にそう感じさせてしまうのって本当に酷だと心がずきずきと痛んでしまう。
このドラマのロケーションというのが八ヶ岳のほうで、高原に登って星を観るシーンなどが多く、子供の頃家族で犬も連れてよくいった長野への旅行で見た星空を思い出させる、とにかくロケーションとトヨエツがこの上なく素敵なドラマだ。
ところで「青い鳥」じゃなくて「黒い鶏」の話。先日近所にどうも捨てられてしまった様子の黒いウコッケイが一羽だけいて、我が家には既にウコッケイが数羽いるので何羽でも大差ない、うちで飼ってあげようよと言っていたのだけれど、今日そのウコッケイがカラスに食べられてしまったと聞き、ショックを受けた。近所のおじさんがその野良のウコッケイを不憫に思って毎日餌をあげたらすごくなつくようになったのだそうだが、いつものようにおじさんが行くと沢山のカラスに囲まれていて既に食べられている途中だったのだそうだ。おじさんもとてもショックを受けていた。
実家には3匹の猫がいる。
一匹目がミュンという黒猫(2歳のメス)で2年前の秋、黒猫三匹で土手で泣いていたところを近所に住んでいる猫好きの家族に保護され、そこからわたしの家にやってきた。そして一年後去勢するのが遅れてしまい子供を産んでしまった。
それが二匹目で黒と白の縞模様のリンちゃん(メス 1歳)。
そして三匹目が今年の春、母と妹が犬の散歩をさせている時に「置いていかないで、僕も一緒に暮らしたいの」とすごい勢いで泣きながら走って着いてきてしまった茶白のクーちゃん(オス 6ヶ月)。
三匹とも人間になついているけれど、特になついているのはやはりミュンとクーちゃん。クーちゃんは保護したばかりの時、四六時中喜んで喉をゴロゴロ鳴らしていて病院で先生が聴診器を当ててもゴロゴロしていて「お腹の音が聞こえない」と言われたくらいだったそうだ(笑)。今でも近寄るだけで喉を鳴らして喜んでいる。
わたしの経験から捨てられたとか野良猫だった経験のある猫ほどよくなつく。リンちゃんは生れた時から飼い猫だったので箱入り娘のように恐がりやさんで人間に媚びない。野良猫だった猫にはその記憶があってまた置いていかれたら嫌だという感情があるのではないだろうか。猫は過去なんてあっさり忘れて生きる動物のように見えるけれど、いつもお腹を空かせていた悲しい記憶というのは残っているものなのではないかと思う。
部屋の整理をして不要な物をヤフーオークションで売ってしまうことにした。つくづくオークションっていいシステムだと思う。「こんな物欲しがる人いるの?」と思っても日本全国見回せばどこかに必ずいるのだ。もう自分にとっては不要で捨てる以外に思いつかないような物をリサイクルできるのは嬉しい。
と出品する傍ら眺めていたら片岡鶴太郎が描いたスズメの墨絵がついた和風のランチョンマットがあって欲しくなったのでお気に入りに入れておいた。オークションの終了は夜の9時。
夕方の6時ごろ母が台所にいて、わたしはパソコンの前にいた。そして何気なく「お母さん、鶴ちゃんって絵うまいんだね、知らなかったよ。今日の夜鶴ちゃんが描いたイラストがついたランチョンマットをオークションで落とすんだ」と話しかけたら「ふ〜ん、どれどれ」と普段近寄ってこないのに、たまたま近寄ってきて写真を見た。そして「あ!それうちにある!」と言い、戸棚をガサガサと探しはじめたらあった!ピッタリ同じものが。すごい、なんて偶然なんだろう。
秋晴れが続いていて気持ちがいい。今日もいつもと変わらず読書に耽っていた。今読んでいるのは世の中の常識とされているエコ活動が本当に意義のあるものなのかを分析した「エコロジー幻想」という本。いまいち説得力に欠ける。でも一つだけ車での移動は電車やバスでの移動に対し一人当たり6倍のエネルギーを使うので田舎暮らしは環境に良くないんだという箇所には納得。
夜に今日が誕生日のマーティンに一言電話をしようとコンビニにプリペイドカードを買いに車を走らせた。日本は全部道路になってしまうのではないかというくらい実家の周りにもどんどん新しい道路が出来ている。このコンクリートの下には出口を失って死んでしまった虫や幼虫が眠っているのだな。あぁあらゆるところでエコではない。
マーティンは誕生日に何をやっているのかと聞いてみれば、いつもどおり40kmサイクリングに出かけていたようだ。彼ならば不便極まりないわたしの実家に住んでも自転車で暮らせそう。さすが、エコジャーマン。
2003年10月02日(木) |
僕が肉を食べないわけ |
ポリティカルなヴェジタリアンは必ず読んでる(?)ピーター・コックスの著書を遅ればせながら読んだ。原文がどうかは知らないけれど和訳されたものがとっつきにくく読みにくい。
肉食の弊害や動物の権利、環境汚染や自然破壊などについて。ヴェジタリアンより、肉食をする人のほうが圧倒的に心臓病やガンなどので命を落とす確率が高いそうだ。原因は人間の体の構造があまり肉食に向いていない草食動物寄りだから肉を食べるという不自然なことを繰り返すことでこういった弊害が起きるということ。狂牛病も草食動物である牛の餌に肉をまぜて与えた(しかも共食い)ことが原因だったと考えると納得できる説だ。そして人々が普通に肉を口に出来るのは屠殺所での出来事が封印されているからで屠殺所の職員はヴェジタリアンが多いという。
この本にはヴェジタリアンレシピものっていてイギリス人である著者のレシピとは思えないほどアジアの食材が上手に使われていてどれも美味しそうだった。今度試してみたい。そして最後におや?と思ったのはこの本の訳者がピーター・コックスが「レシピを聞いただけで吐き気がしてしまう」という魚肉ハム・ソーセージを作る会社で働いていたということ。