My life as a cat
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2003年08月31日(日) バスでゆらゆら京都へ出発

「全て君に任せる」と言うので高速バスのチケットを取ってあったのに、それがわかると「新幹線に乗りたかった」とわがままを言う。「君はこんな選択肢があることは教えてくれなかった」と言う。あ〜あいつもこうだよと無視して汗を拭いながら東京駅へ向かった。昼の12時頃出発。京都に着くのは夕方7時くらい。わたしにとっても初めての高速バス。どんなものかなぁと思っていたけれど、想像していたより良いバスだった。わたし達の席は2階の一番前。景色が良く見えるけれど、やはり彼には窮屈。喜んでいたのは最初だけだった。

途中で富士山が見えると思ったのだけれど、曇っていたので何も見られなかった。だけど途中で浜名湖を見たときはとても喜んでいた。バスは何度かパーキングで止まり、10分の休憩時間がある。10分といったら結構短いのでわたしはちょっと降りて見回すくらいだけど、ここでも彼はマイペースぶりを発揮し、「もう行こうよ」と言っているのになかなか来てくれず、バスの運転手さんがわたし達を待っていた。はぁ、ごめんなさい、、、。

夕方になり夕暮れに染まる京都の町が見えてきたときはとても嬉しかった。わたしにとっても高校の修学旅行以来。しかも修学旅行はなんだか縛られてて全然面白くなかったのだ。

7時頃に京都駅に到着。京都の駅ビル大きいな。右も左もわからずとりあえず、旅館のくれた地図を頼りに人に聞いたりした。外国人がけっこういたけれど彼らも大変なようだ。わたしと彼がバス停に並びながら歩いて旅館まで行けるかどうかと揉めていたら、後ろに並んでいたサラリーマン風の男性が理解していたらしく「あの、、、歩くのは無理だと思いますよ」と教えてくれた。京都在住の彼がそう言ってるのに彼はまだ「いや、歩いていける」と言いはった。(結局後でわかったことは頑張れば歩けるということなんだけれど)バスに乗ると、スペイン人らしき女性二人がわたしに確認するように色々と道を聞いてきたけれど、わたしも初心者で教えてあげることができない。バスの中のバス停表示は日本語のみだし彼らにはさぞかし大変だろうなぁと思ったら力になってあげたかったけれど、いい加減なことを教えてもいけないのでやめておいた。

旅館は賀茂川のすぐ近くにあった。激安な旅館だったので心配していたのだけれど、いたって普通の旅館だった。しかもわたし達の部屋は7階で京都の夜景が部屋から一望でる。素泊まりで予約したので時間を気にする必要もない。シャワーを浴びて、散歩がてらに夕飯を食べようということになった。夜の賀茂川付近を歩いた。ふと普通のお寿司屋さんのようなルックスなのだけれど回転寿司というお店を見つけた。ちょっと試しに3,4皿食べてみようということになりそこに入った。ネタはとてもよく、沢山食べてもらいたいという戦略なのかシャリがとても小さかった。それからゆっくり酒を飲もうと賀茂川沿いにあるカジュアルな感じの料亭へ。わたしは京都のおばんざい(お惣菜)にトライしてみたかったので何品かオーダーしたのだがビックリ。料理の一品一品は500円〜900円なのだけれどすっごく小さい。「パースに住んで大皿料理に慣れてしまったわたしの感覚がおかしいのか?」と何度も見つめたけれど、いややはり小さい。彼は「見えない」とまで言って殆ど食べなかった。味的にはさっぱりしていて美味しかった。まぁ雰囲気を楽しむところなんだろうな。この時この賀茂川に面した良い雰囲気の個室からホームレスがゴミ箱を漁っているのが見えて彼の顔がとても複雑になった。


2003年08月30日(土) デパ地下探検

これと言って予定がなかったのでうちの近所をふらふらした。まずは千葉SOGOへ。マーティンには駐車場がくるくる渦巻いているのもエキサイティングのようで「アンビリーバブル!」とはしゃいでいた。

そして一度は連れて行かなければと思っていたデパ地下へ。色んな見た目の良い食べ物があるので彼はご満悦。試食もできるので、何でも一度は食べてみたい彼にはピッタリ。食べながらデパ地下を周った。それにしてもわたし達が驚いてしまったのは過剰包装。わたしはすっかり忘れていて、AUSのなんともあっさりした包装に慣れていたのですごいなぁと思ってしまった。マーティンはもともとそんな習慣はないらしいので嫌がっていた。
「コロッケ一つください。すぐ食べるんでちょっと袋に入れてくれればいいです」
と言っても、パックに入れてテープで止めて、箸ををつけてまたまた包み紙に包んでビニールに入れたり、、、。本当に何も要らないといってもしつこくつけてくる。丁寧で繊細な日本という感じだけれど、わたしはどうもこういうのは嫌いだなぁ。マーティンはおこわとサラダを買ってむしゃむしゃ食べていた。デパ地下はかなり気に入ったようだ。

それからスモール秋葉原と密かにわたしが命名した千葉のとあるストリートへ。このストリートには電気屋さんが4,5 件並んでいる。日本はヘッドホンが安いと言って買っていた。15分もいれば充分なこの電気屋さんに1時間くらい居座り、わたしは退屈気分でひたすら待っていた。

わたしが好きなカフェお茶を飲んで、マスカルポーネチーズケーキも食べて最後にユニクロに連れて行った。Tシャツ大好きなマーティンは喜んでたくさんのTシャツを買い込んで15000円近く払っていた。ユニクロで15000円ってけっこう沢山買っているはず。それからの日本滞在ではずっとユニクロのTシャツを着ていた。


2003年08月29日(金) 霧降高原と東照宮

朝8時、部屋にペンションの人から電話が入り、朝ごはんの用意が出来た、と起こされた。マーティンはこういう日本形式に慣れていないので
「ここは監獄か!僕は囚人じゃないぞ!」
と怒っていた。夫婦二人でやってるような小さなペンションでばらばらに食べられるのも大変なので仕方がないのではないかと思い、
「とにかく食べるんならちゃんと来てね。」
と言い残しトロトロしている彼を置いて先に下りた。わたし達以外はちゃんと時間通りに来て朝食を摂っていたのにマーティンだけ30分遅れてきて居心地が悪かった。が、お得意の一揆食いで5分とかからず平らげて部屋に戻っていった。

霧降高原まで登った。やっぱりこういう時は4WDの車が欲しい。わたしの馬力の無い車ではなかなかハード。マーティンは車の中でひたすら広大な山並に感動した。














料金所近くになると牧場が見えてくる。色々な種類の牛がいる。ベジタリアンになる前は気に留めたこともなかったけれど、牧場では牛に触れるスペースと串焼きを買うお店などが隣り合っている。それでも人々は牛を触りながら串焼きをおいしいと言って食べる。やはり屠殺の現場を見ないことにはこの牛が肉になると想像するのは難しいのかもしれない。なんだか嫌な想像ばかり過ってしまう。マーティンもあまり楽しんでいる様子でないのですぐに引き返した。

日光市内に戻る途中で野生の猿がたくさんいた。マーティンはわたしの母に注意されたこともすっかり忘れて、車から降りてカメラを向けていた。幸い猿は臆病で逃げてしまって離れたところから彼を観察していたので良かった。

それから最後に東照宮へ。この時間日光といえどもけっこう暑くて元気に走り回る彼を横目にわたしは木陰で休んだ。

猿の写真がうまく撮れなかったのが心残りで「もう一回行こうよ」と誘われたが、これ以上日光を出るのが遅くなると通勤渋滞に巻き込まれそうなので諦めてもらい、2時くらいには日光を出た。


2003年08月28日(木) 日光へ

海外では日光の猿は有名なようでみんなこれを見たがる。猿は猿でも冬に猿が天然の温泉に入っているというのが有名なようだ。マーティンも日本といったら一番に猿のことを言い始めた。

ということで日光へ。母親は彼性格を読んでとても心配し、
「猿に食べ物あげちゃだめだよ。触ろうとしちゃ駄目だよ。」
と朝から何度も注意していた。うちから日光は近いもので順調に進めば車で3時間。

まずはいろは坂。途中の明智平の展望台で泊まるとまずはマーティンはトンボの写真を撮り始めました。
「トンボなんて珍しい?」
「珍しくないけど、日本のトンボはフレンドリー。ヨーロッパのはね、近づくと逃げちゃうから写真撮れないの」
フレンドリーなトンボって、、、、。きっと彼にしか解からない世界なんだろう。屋台にはSmoked Eggがあった。わたしの家で沢山のウコッケイという鶏を飼っているので、
「これ、にわとりの卵?それともウコッケイ?」
などと聞いて、店の人に
「ベジタリアンなんですか?」
ととんちんかんな巻き返しをくらっていた。

いろは坂を越えたら中禅寺湖が見えた。わたしは勝手にあひるのボートのチケットを買った。マーティンはすごく喜んでいて、近くまできてクルーザーではなくアヒルだと知ってとてもショックを受けた。結局ブーブー言われながらアヒルをこいだ。彼には小さすぎたようだ。

次は竜頭の滝。車を止めて、ハイキングコースを歩いて登っていくと看板があった。
「7月31日に親熊がバス停にでました。注意してください」
振り返るとすぐ後ろにバス停があり、恐くなって足早に引き返した。熊も恐いけど、もっと恐いのは「マーティンが熊に遭遇」すること。

















最後に戦場ヶ原。ここのお土産屋さんでもマーティンはとても楽んだ。イナゴの佃煮を見つけたのだ。Oh Poor Guysとつぶやきながらカメラを向け激写。なぜだかドライフルーツなども沢山買い込んで戦場ヶ原のベンチに座って「すっごいヘルシー」と言いながらガツガツ食べていた。

そしてペンションへ。これは霧降高原に向かう途中にある。部屋は小さいけれど清潔で夕飯はフランス料理。ワインもついてきた。野菜を使った料理が殆どで抵抗無く食べられた。あとは久々に湯船に浸かって寛いだ。日光の澄んだ空気の中で入るお風呂は気持ちいいものだ。


2003年08月27日(水) 鎌倉・横浜

鎌倉・横浜へ。

まずは鎌倉。小町通は食べ物屋さんがたくさんあって歩いているとついつい買って食べてしまう。マーティンは早速、露西亜亭というレストランを見つけて入ることになった。小さな小さなレストランでメニューはボルシチとピロシキくらいしかない。わたしはロシア料理はこれといって好きでもないし、暑くてとてもボルシチなんて気分にはなれないのでやめておいた。店の女の人が丁寧に丁寧に煮込んでいる。わたし達の後から 3人のお客さんが入ってきて
「わ〜なつかしい。わたしが子供の時ここでボルシチ食べたんです。久々にここを通ったらなつかしくなって来てみました」
と言った。26年同じように続けてるんだそうだ。わたしとほぼ同じ歳なのかぁ。でも変わらず続けるってすごい。変わらない良さと向上することの良さを使いわけるのって結構難しかったりする。一口もらったらこれといって味は何の変哲もないボルシチだったけれど、女の人の丁寧な言葉遣いや行動からなんだか伝わるものがあって、気に入った。

鶴岡八幡宮はあいにく工事中で見ることができなかった。それでもマーティンは池の鯉や亀の写真をたくさん撮ってとても楽しめたようだ。実は自転車大好きな彼が鎌倉の駅に着いてすぐに駅前のレンタサイクル屋さんを見つけてしまい、サイクリングする!と言いだして、わたしは何だか体がだるくて嫌だったので、じゃぁ後で、と言い、忘れっぽい彼が忘れてくれることが狙いだったのだ。狙い通り
「じゃぁそろそろ横浜行こうか!中華街で何か食べようか!」
と言ったらすっかり忘れた様子で
「うん!」
と言ってくれてほっとした。彼が思い出さないように足早に鎌倉の駅を去った。














横浜へ着きチャイナタウンへ。これはマーティンが初めてみるちゃんとした大きなチャイナタウン。Oh!とちょっと感動があったようだった。
「何食べたい?」
「鯉」
さっき鎌倉で沢山写真を撮っていたのでてっきりペットとして鯉が大好きなんだと思っていたのでかなりショック。結局高級なレストランに入ってしまい、鯉をオーダーするハメに。よくよく聞いてみるとスロバキアでは鯉はとても高級品で、クリスマスなんかに食べるらしいのだ。普段から食べられるようなものではないそうだ。そして出てきた鯉がとてもまずい味付けでマーティンも
「すっごい気持ちが悪い」
と言い出し、わたしも一切れ食べて気持ちが悪くなった。これは鯉がわるいんじゃなくて調理法、味付けの問題。鯉もそうだけれど最近中華料理があまり好きなほうではなくなってしまった。なんだかとても油っこく感じるのだ。年をとったのか。結局大好物の杏仁豆腐だけモリモリ食べて店をでた。マーティンはレストランの前に見本として出してある、食べ物のオブジェクトがとても好きでまたたくさん写真を撮っていた。確かに海外のレストランの前にはこんなものはない。そのまま石川町を歩き、坂を登り、港の見える丘公園へ。マーティンはあまり普通の人が好むようなところは好まないので、こういう夜景とか見せてもきっと駄目だろうなと思っていたが、案外レインボーブリッジを見て
「あぁこれが噂の橋かぁ、結構大きいな」
と喜んでいた。

そして家路に着く前に家に電話をすると父がでて
「マーティンが帰ってきたら一緒に飲もうと思って飲まずに待ってた」
と言う。かわいそうな父。当人はそのころ既に中華街でビールガブガブ飲んでたというのに。


2003年08月26日(火) 飲んで寝てるだけ

とは今日一日のマーティンのこと。まぁ疲れてるのはわかるしホリデーなんだからそれでもいいのかもしれないけれど、彼が行きたいというので色々調べたりしたんだから観光して欲しいと思ったりする。とにかく今日は本人が寝ていたいというし、わたしは銀座に用があったので彼を家に残して一人で銀座に向かった。それにしても彼はすぐに疲れてしまう。1日10時間くらいは寝てるのに、寝足りないとか言うし、出かけて7時間くらい経つともう疲れたと言い始める。ちょっと幻滅しているところに銀座で汗をかきながらスーツを着て歩いてる会社員や電車で熟睡している会社員を見ると日本人男性は強い!素晴らしい!と思ってしまうが、まぁ彼にだって日本人男性には見られない良いところもあるから仕方ない。それにしてもわたしの周りの日本人男性はどんなに残業続きの毎日でも「疲れた」と何度も口にだしたりはしなかったなぁ。疲れやすいのは仕方ないとしてあまり連発するのはやめて欲しい。

わたしは銀座に行ってすぐに用事を済ませて、たまたま近くにいた妹に電話して待ち合わせ、一緒に昼ごはんを食べた。最近テレホンカードとか買う人ってやっぱりいないのだろうか。わたしがコンビニで「テレホンカードください」と言ったら店員があたふたし探し始めて、そのうち店長呼んできてみんなであたふたしてて大変な騒ぎになっていた。妹とマーティンは大丈夫かねぇと噂をしていたら妹の携帯がなった。父から。
「マーティンが起きてきたから、一緒に飲んでるんだけどさぁ、、、、、」
と言われてピンと来た。言葉が通じないのでコミュニケーションがとれず、間がもたないんで電話してきたのだ。無理矢理マーティンを電話に出してわたしと喋らせる。
「お父さんがね、○○作ってくれて食べたんだぁ。超おいしいよ」
などと言っている。
「それは良かったね。疲れててもちゃんと飲めるんだね」
と厭味を言って電話を切った。それから2時間後、妹はそのままバイトに行くというので駅で別れて母親と一緒に帰宅した。すると、なんと父とマーティンのの顔つきが完璧におかしい。
「何本ビール飲んだの?」と詰め寄ると人差し指を一つ出す。嘘つき!と言おうとしてそれが嘘ではないことに気づいた。なんと二人で1箱飲んでいたのだ。父はマーティンに秋刀魚の塩焼きや彼の大好物のタコの刺身、お新香を食べさせていた。二人でどうやってコミュニケーションとってたのかと聞くと「ひたすら見つめあってた」
と言う。父は彼がきれいに秋刀魚を食べることに驚いて自分と同じ匂いを感じたようだ。二人でグデングデンに酔っていて、何だかわたしは腹立たしくなった。
「あなたはそうやって飲んでるほうが観光するよりいいんでしょうね」
「そんなことないよ。これからどこかに行こう」
「どこに?」
「どこかに飲みに行こう」

わたしは怒った。しかし両親は
「可哀想じゃない。彼はわたし達がいるから何か言い分があってもあなたに逆らうことができないだろうから許してあげなさい」
と言う。なんだか一人ぼっちになった気分だったのでバイトを終えた妹を迎えに駅まで行き味方につけた。二人で
「本当にヤツはしょうもないよ。それにしてもヤツはすっかり家に馴染んじゃってわたし達よりあの家の子供みたいだよね」
と話しながら帰ると両親が一階で、彼が二階で、3人して居眠りしていた。妹と顔を見合わせて
「本当にいい親子だね、この3人」
と苦笑した。


2003年08月25日(月) 東京案内

フリーパスを買って電車に乗り、東京案内。マーティンは電車の中に沢山広告がぶら下ってることさえエキサイティングのようで写真を撮っていた。高校生でも女の子が前に立つと即座に席を譲ってあげる。これが彼らの文化なんだそうだ。へぇ、女性にとっては嬉しい文化だけど、わたしが50歳くらいのスーツを着てる男性なんかに席を譲ってもらうのってかなり恐縮しちゃうな。彼は電車の中で寝ている人が多いことにも驚いていた。

まずは銀座へ。わたしも久々に大好きな街、銀座を歩くのがとても嬉しかった。マーティンは暑いので
「日向を歩かずに日陰を歩いて」
などとわがままぶりを発揮。
「5秒ならいいけど、10秒だと頭が痛くなる」
などと言うんで、
「じゃーあなたは日陰選んで歩きなよ。また後で会おう。じゃあね」
と置いて行ったら
「ごめんなさい」と謝りながら着いてきた。まずはずっと前から連れて行くと約束していたお寿司屋さんへ。ここは値段も高くなくてとてもネタがいいのだ。とはいえわたしはおとといもお寿司を食べたし、もともと大の寿司好きではなかったのであまり食べる気がしなかった。でも飛行機が恐いマーティンはもう二度と日本に来ることはないだろうから仕方ない。パースでは食べられないネタを選んであげた。彼はこのお寿司屋さんをとても気に入ったようでビジネスカードを手に取っている。何のために?と聞いたら
「また来るときのために。もしかしたら他の友達と来るかもしれないでしょ?」
なんてあり得ないようなことを言っていた。また今日もこの時点でビールを飲んでしまった。銀座を歩いて、わたしも大好きな和風雑貨のお店に行った。そこは色々な陶器が置いてあってとても楽しいところ。マーティン、わたしにちょっと似てる人形を"Michellina"と名付けて購入していた。いつか SUBARUのアウトバックという車を買ったら助手席に乗せてあげるんだそうだ。乗りたくないなぁ、運転下手だし。

そして秋葉原に移動することに。銀座のレストランでビールを飲んでから銀座を去り、そして秋葉原の駅のキオスクでまたビールを買ってキオスクの前でガブガブ飲んでいる。彼は日本の缶ビールの起こして倒すという蓋を自分で開けられず、必ずか弱い女の子のように「開けて」と頼んでくる。きもいねぇ。そしてやっと電化製品を見に。まずは普通の日本人向けのところに。オタッキーMは店員に質問攻め。この間に入っての通訳は激務だった。でも秋葉原には外国人向けのお店もけっこうあるので不自由しない。秋葉原に連れて行ったら彼は住み着いてしまうんじゃないかと懸念したけれど、もっとすごいのを想像してたこと、大好きな任天堂のゲームの英語版があまり見つけられなかったことから、思ったほどでもなかった。

そして最後は渋谷へ。マーティンはこういうところ嫌いなんじゃないかと思っていたら案外
「夜の渋谷ライフはきっと楽しいね。僕は会社が終わったらいつも渋谷で飲みたい」
と言っていた。

あちこち周って二人ともへとへとになった。やっぱりパースでのスローライフに慣れてしまったわたし達には東京はヘビーだ。ぐったり疲れて夕飯は適当に買って家で食べようと彼が日本で初めて覚えたコンビニ、セブンイレブンでビールやらおつまみやら色々買って帰った。わたしの部屋で飲もうかと思ったけれど、父が一階にいて、恐らく彼と飲みたいだろうと察したので誘ったら「もう飲めないけど、一杯だけのんじゃおっかなー」
と言ってビールを出してきた。キッチンで3人でだらだらと飲んだ。父はいい飲み仲間ができてしまって彼が帰る時は淋しがるだろうなぁ。


2003年08月24日(日) 南房州一周ドライブ

に出かけた。わたしの家は千葉の東京湾側。まずは内陸部を突き抜けて勝浦まで出る。そこから湾岸沿いをぐるっと一周して家路に着く計画。1日ドライブにはちょうど良い距離だ。マーティンは田舎が好きなので勝浦に出る前の山道をとても良いところだと言っていた。途中に大多喜城を見ると、将軍はまだ住んでいるのか、などと聞いてきた。

勝浦は懐かしい匂いがして子供の頃の夏休みを思い出した。干物屋でマーティンはタコの干物とキスの骨煎餅を買った。またまた
「これでビールがあれば最高だ」
と言いながら。日本のおじさんとなんら変わりなし。














グランブルーのサントラのCDを聞きながら海岸沿いを走ると気分はリビエラ海岸、またはシシリー。が、マーティンは、超つまらない音楽としてCDを変えてしまう。途中で車を止めて写真を撮りながら千倉まで来た。千倉によく行ったカフェがあり、ランチをそこでとることになった。久々に来て気づいたことはここはベジタリアンとは程遠いミータリアンレストランだということ。千葉は田舎だからかもしれないけれど、日本語を出来ない人にはとても不便。メニューも写真がついてなければ読めない。マーティンはもちろんこの時点でビールを飲み始めていた。

途中から夏休みで日曜日でつい先日まで寒かったせいなのかすごくヘビーな渋滞にはまってしまった。でもマーティンは助手席からおりて歩きながら写真を撮れたから良かったらしい。確かに普段車で来てもストップできないような場所で止まれからたまには渋滞も役にたつ。

夕方に木更津で仲良しの女友達と彼女の男友達と4人で待ち合わせをして花火を見に行った。小さい花火大会だと聞いていたけれど近くで見ることが出来るからけっこう良い。マーティンは花火よりも花火のそばを通る飛行機に興味を示し、またまた友達におかしな人ね、と言われた。終ってから居酒屋へ。この友人は英語を喋るのでマーティンもとても楽しそうだった。彼女は仕事でヨーロッパに行くことが多かったのでドイツやスロバキアのサウナやビールの話、ヨーロッパの話で盛り上がっていた。

沢山飲んで(Mだけ)いい気分で家路に着いた。途中でトイレに行くといったのでコンビニで降ろして、"トイレ貸してください"という日本語を教えた。繰り返しながら店に入って行き、店員を目の前にしたら何も言わずに勝手にトイレに入ってしまった。後で
「だってトイレのドア開いてたもん。きっと入っていいっていうサインだよ」と言い訳していた。


2003年08月23日(土) マーティン飛行機に乗る

日本に無事到着。久々に湿気のある空気に触れてあぁ日本だと感じる。マーティンは暑いのをいいことに水代わりにビールを飲んでいる。これからの2週間どうなることやら。

金曜の夜、家をでる30分前にやっとマーティンが重い腰を上げて旅支度を始めた。間に合うのか、とドキドキしていると更に追い討ちをかけるように、なんと、
「僕はやっぱり飛行機が恐いよ。家にステイするべきかもしれない」
などと独り言を言い始めた。わたしは京都の旅館などを全部予約してあったので今更キャンセルなんて、、、と心臓がバクバクしはじめたけれど、無視。「そろそろタクシー呼んで。」
と言ったら、まだブツブツいいながらそれでもなんとかタクシーを呼んだ。

マーティン青ざめながら飛行機に乗り込む。運悪くとても古い飛行機。個別のモニターもなくて、彼の大好きな任天堂のゲームも楽しめない。顔色は余計悪くなった。そのムードは伝染し、食事の時間以外はぴりぴりして口論などした。

朝の9時半、日本に到着。マーティンはママを驚かすのだと成田で早速国際電話のカードを購入していた。父と妹が迎えにきていた。マーティンは妹に向かって開口一番に「キツネ!」などと言った。3人でパースでキツネを見たのを思い出したのだろう。空港のビルから駐車場に出て外の咽返るようなモワっと蒸し暑い空気に触れたら日本だ〜ととても胸に懐かしさがこみ上げた。成田から家まで車で1時間弱。マーティンは家までの景色を見て自分のヨーロッパの実家に似てると言って喜んでいた。また走っている日本人の新しくて綺麗に磨かれた車も彼には物珍しくとても興奮していた。車の中では緊張もほぐれたのか、くだらないことばかり言っていた。父も相手が外国人なのでちょっと面白かったのか、いつもはわたしの男友達と喋りもしないのに、昼ごはん何食べたい?などと聞いた。
「ネコ」
、、、、、。

そんな風にして家に向かい、着くなりマーティンは父に対していつものいい加減ぶりを発揮してしまった。父がそばを食べるか?と聞いたら、食べるというのでそばを茹でてくれたのに、その間に寝てしまい、できあがったので起こすと一言「要らない」と言う。父に「要らないって」とわたしが伝えるとぽかんと口を開けていた。後で彼が起きたときにその話をすると
「なんで起こしてくれなかったの?君のお父さんに失礼なことしちゃったな」などと言った。いっつもこんなんだ。

少し休んで夜に家族と叔父が経営している寿司屋に出かけた。家族が玄関で待っているのに、彼がなかなかトイレからでてこない。どうやら初めての全自動トイレで遊んでいたようだ。

叔父に彼はツナ軍艦が好きと話したら特別に作ってくれた。ツナ軍艦は普通の寿司屋のメニューにはないことを知っているので、
「パースのツナ軍艦に味が近いです」
などと訳のわからない褒め言葉を言っていた。彼と父はとっても似ている。酒とシーフードと海が大好きで、朝しか歯磨きしないのに歯が綺麗で虫歯一つ無い。そして酒を飲んでからパソコンをする。何から何まで、、、。この二人はいきなり息があってしまったようで、父は良い飲み仲間が出来たとばかりに大喜びだった。マーティンもビールを大ジョッキ4杯も飲んで、お寿司もガツガツ食べていた。両親が彼はどれくらい飲み食いするのかと聞いたら、
「お寿司は最高で56ピース、ビールは学生の時は大ジョッキ10杯のんだけれど、今は5杯しか飲めません」
などと答えていた。5杯しかって、、、。叔父と叔母は彼が出せば何でも食べるので喜んで色々な食べ物を出してきて
「これも食べるのか?じゃぁこれはどうだ?」
なんてやられて、上野動物園に来たばかりのパンダのようだった。彼も楽しそうで
「あんなトイレは見たことがなくて、すっごく楽しい。僕は未来を描いた映画を見てるみたいだったよ」
と両親にトイレのことを褒めちぎった。(ちなみに5人前頼んだお寿司、4人前Mが平らげて両親を心配させた)

家に帰ってからも蚊取り線香を見ては母に
「ネコ焼いてるの?」
とかおかしなことを言っていた。両親は「
おかしな子ね」
と言って彼を気に入ったようだった。


2003年08月22日(金) 帰国します

昨日はマーティンの友達であり元上司でもあるエリックの家にミケを連れて行った。ミケは緊張してチーズハウス(彼女の家)にこもったまま出てこなかったけれどエリックの家は一番下はキッチンとリビングで中段はバス、トイレ、一番上のフロアがベッドルームという縦長のいかにも猫が喜びそうな造り。一通り家を見学させてもらってからついでもらったワインを飲んでちょうどほろ酔いになったころミケとお別れしてきた。これ以上飲んだら号泣してたに違いない。

家に帰ってきてドアを開けるといつもニャーニャーないて出迎えてくれるミケがいない。夜寝るときにわたしのお腹の上に乗ってるミケがいない。朝もご飯欲しさに泣くミケがいない。家の中が静まり返っていて思った以上に彼女の存在は大きかったのだと実感した。今頃チーズハウスで寝てるのかなぁ。

なにはともあれ、今夜成田に向かいます。
See you then!


2003年08月21日(木) 日本の英語教育

もらったチケットで英語のクラスに行ってきた。受付でアポイントメントをとると「先生は今日遅れるみたい」と言われた。そして少し遅れて先生の登場。「ごめん、昨日飲みすぎちゃって」などと言っている。パースだな、ここは。

ティーチャーのジェフは一見ちょっとふざけた人だが日本語検定1級を取り(それが入学の条件)、日本の大学を普通の日本人と同じように出たという優秀な人。どうやって日本語を習得したかというと奥地の和食レストランの厨房で日本人と共に3年間英語を使わずに働き続けたんだそうだ。もちろん少しは机の上に教科書を広げての勉強もあったそうだが、殆どは日本人と喋り続けて習得したという。

1限目はわたし一人だけだったので「何やりたい?」と聞かれて、う〜ん、、、、アカデミックなのより、もっと使えるものをとリクエストした。例えば"That's life"は「しょうがないよ」という意味だけれど、これを"That's the way cookie crambles"なんて言い方も出来る。クッキークランブルスはもうどうにも扱えないからというような意味でそうなるのだそう。一段落ついたところで「そういえば昨日やったことで解からないところがあって、、、」と言って質問したら「あぁそれさぁ、TOEICとか受ける予定がないなら忘れていいよ。だってこんなの誰も使わないよ」と言われた。やっぱりそんなものなのか。日本でひとつの目安とされている英語のスキルをつけることは文章を書いたり本を読んだりするところでは役立っているけれど、教育課程でもうちょっと海外でいきなり使えるようなものを教えたらいいのにと思う。子供だってしゃべるようになってから小学校へ言って字を書いたりするのに。先生にそんなことを言ったら「その通りだね。僕は日本の色々な高校に行ってそこで感じたことは先生が英語喋れないんだよね。だから生徒に教えられないでしょ。それに彼らが教えてるのは僕らのおばあちゃんくらいの世代が使う古い英語だよ。最近はそんなに使わない表現ばかり教えてるよ。」ということだった。そういえばわたしが英語を教わった先生も海外で生の英語に触れて暮らしたことがあるとかそんな人ではなかったなぁ。そういうことが簡単に出来るような時代じゃなかったのだろうけれど。


2003年08月18日(月) チャウシェスクの子供達

今日はカローラとお別れの日。ひとりで青空の下車を走らせ、レンタカーショップへ返却し、マーティンが仕事を終えて迎えに来るのをカフェで本に熱中しながら待っていた。

読んでいたのは佐藤雅彦と竹中平蔵の「経済ってそういうことだったのか会議」。株や通貨、税金のことなどを誰にでもわかるような易しい言葉で対談形式で説明されている。その中にルーマニアのチャウシェスクの子供達の話が出てきた。80年代のルーマニア、大統領は「国力はすなわち人口なり」と言って4人以上子供を生まない女性の堕胎と避妊を禁止し、子供をたくさん生んだ人には税金をかけるどころか反対に奨励金をだした。すると子供を育てられないような貧しい家庭でも奨励金欲しさにどんどん子供を生む。そしてある日突然共産党政権が崩壊。お金をもらえなくなってただ沢山の子供を抱えた家庭は一揆に子供を捨て始める。そして佐藤雅彦が映画の撮影でブカレストのホテルに泊まった時に、窓から見えるピザハットの路上に小さな女の子が膝を伸ばして座り込み、自分の足をベット代わりにして幼い弟を寝かせていたという話。経済政策と貧しい家庭の犠牲になったわたしと同年代の子供達。生れるとろこを選べない彼らに今、温かい寝床があればいいな。


2003年08月16日(土) カローラに乗って

昨日借りたカローラはなかなか乗り心地が良い。愛車のフィアット・プントしか運転したことがなかったから、乗り比べてはじめて日本車のクオリティの高さを感じる。

今日はワイナリーが点在しているスワン・ヴァレー(Swan Valley)までドライブ。クーラーのある車に乗ったことのないマーティンは大して暑くもないのに窓を閉めきってクーラーを効かせ、嬉しそうに「今日はアメリカン・チャイルドの気分だな。Let's go Hungry Jacks!(ジャンクフード屋)僕はダブルチーズバーガー!」と騒いでいた。

窓の外に広がる牧場には牛や馬や羊などがのんびりと草を食べて昼寝している。マーティンは車を停めて近くで彼らを見たいといいだしたのだが、わたしはいずれ殺される運命にある彼らの目を見るのが恐かった。結局民家の前に停車し、ミルク用に飼われている牛を見た。牛が4頭と鶏が数羽放されている。彼女が名前を呼ぶと牛が走ってくる。彼女の家の庭にはレモンの木やみかんの木があってこんな暮らしも悪くないと思った。

それからメディテラニアン・レストラン(Mediterranean Restaurant)へ入った。ワインの試飲をして気に入ったものをグラスに注いでくれる。色々な種類のディップやオリーブ、フリッター、フライドチーズが乗ったプレートをオーダーしそれをつまみにチビチビと飲んだ。ヘルシーな素材がソルティでオイリーに味付けされていてワインと抜群の相性。もう一杯飲みたかったけれどドライバーなので我慢した。窓の外に一面広がる青と緑の世界を眺めながら、綺麗な空気の中で牛や鶏や犬猫を飼って果物や野菜を作って昼真っからワインを飲んでチーズかじって、海で泳いでみたり、サイクリングしたり、、、と思いをめぐらせこんな暮らしも悪くないともう一度思った。


2003年08月15日(金) いい加減な恋愛アドバイザー

朝、PCを立ち上げたらアメリカ人の男友達が話しかけてきた。日本人のGFを失ってしまってから浮かない毎日を酒を飲んで紛らわせていたのだけれど、最近立ち直って、日本語の勉強を始めたと言う。「何で?」と聞くと「**県(元GFが住んでる所)で働きたい」と言う。「未練たらたらね」と言ったら、「でも最近もう駄目だって解かったの。」と言うのでテキトーに「じゃぁもう忘れたら?ほら、**ちゃん(共通の女友達)てあなたのタイプじゃない?小柄だし」なんて言ったら「Ummmmmm,,,,,,」といいつつ、そのうち「そうだ、僕はもう前の恋は忘れるぞ」なんていい始めて「そうそう頑張れ」と言ってチャット終了。

それからわたしはシティへ行ってレンタカーを借りた。国際免許を取ったもののあまり使う機会がなかったので運転してみたかったのだ。こちらの道路は日本と同じ左側通行だけれど微妙に交通ルールが違うので一人で運転して帰るのは恐くてマーティンにレンタカーショップまで来てくれるように頼んだ。夕方、仕事を終えてきた彼の車の後に引っ付いて家まで帰りそれから彼を助手席に乗せて夕飯を食べにヴェトナミーズレストランに向かった。

そして入り口のドアを開けた瞬間目にしたものはアメリカンボーイとわたしがいい加減に名前をだしてしまった日本人の友達!彼女はまだ英語を全然喋れなくて彼が片言の日本語を喋っている。彼女は「今日いきなり誘われたの」と恥ずかしそうに俯いている。彼女が英語をできないのをいいことに彼に「本当行動速いね」と言ったら「うん、速過ぎた」といいながら照れ笑いをしていた。レストランは混んでいてなかなか席につけなくて入り口で5分くらい待たされたので彼らを観察していたら←超悪、二人ともやりにくそうにしていたのだが、彼はもう自分の出来る限りの優しさを尽くして皿に取り分けてあげたり、お茶をついであげたりしていた。わたしがニヤニヤしてたら彼に目で"Go away"と言われたような気がしたので諦めた。彼も彼女も良い友達なのでいい加減なアドバイスしちゃったけど、うまく行けばいいな。


2003年08月14日(木) 山羊飼いの夫婦

新婚ホヤホヤの女友達と長電話。些細な日常の出来事を報告しあう。彼女の家では香港出身の旦那さんの趣味で山羊を飼っていてその話は面白い。草食動物というのはグルメで草でも良質な部分しか食べないと言うけれど、やはり彼らの山羊もそうらしい。背の高い草は真ん中の部分だけを、薔薇の花は大好物で、ちょっと彼女の家にはみ出してきた隣家の薔薇の花を全部食べてしまったという。紙は食べないらしい。そして子供の頃から飼って名前など呼んでいれば自分の名前を認識して呼べば走ってきたりするくらいの愛嬌はあるようだ。それでもとにかく餌が大変。自分の庭の草は食い尽くされ、人の家の草をもらってきても好まない草は食べないで手に負えなくなりフリーで人にあげて手放してしまったというのがこの話題の終結。旦那さんは今度はニワトリを飼いたがってるそうだ。


2003年08月13日(水) のんびりサイクリング

目が覚めると青空が広がっていたのでサイクリングを楽しみながらシティへ行くことにした。わたしの家からシティは近いものでどんなにとろとろと往復しても1時間くらい。しかもわたしの家からサイクルパスにすぐ入れて、そこに入ってしまえば川沿いを走りシティまで一直線。塩分多めのおにぎりを2つ食べて昆布茶を飲んで出発!

坂道をくだりサイクルパスに入る。今日のような天気の日はサイクリングを楽しむ人が沢山いるがわたしのように普通のパンツにセーター着てたらたらと走っているような人は一人もいない。みんなちゃんとサイクリング(競輪?)用のユニフォームを着て真剣にペダルをこいでいる。沢山の人に抜かされながらマイペースに水辺の色々な種類の鳥を眺めながら進んだ。今日はスワン・リバーでマリンスポーツを楽しむ人も沢山でている。シティに着いてバブルティを飲んでちょっと休んでまたよろよろと引き返した。

夕方友達がくれたシチューのルーがあったので冷蔵庫の中の野菜とハーブを何でもぼんぼんと投げ込んで煮込んでいるとマーティンが帰ってきたので自転車でシティに行ったことを話すと興味がなさそうだった。「ふ〜ん。自転車日本に持って帰ってもいいよ」というので「え?いいよ。すぐにまたパースに帰ってくるかもしれないしそうしたらまた持ってこなきゃいけないじゃん」と言うと「君は帰ってこないような気がする、きっと僕はミケと二人で暮らすんだ」と哀しげに言う。「絶対帰ってくるよ」とも言えないので放っておいた。どうも日本に行く日が近づいたら飛行機に乗るのが恐いこともあってナーバスになっているようなのだ。


2003年08月12日(火) バブル・ティー日和

日本に帰ったら食べられないもの。
"美味しいベトナム料理"とバブルティ。

わたしのお気に入りのテイストはココナツwithミルク+ジェリー。パースにはバブルティ屋さんが沢山あるけれど店によってすごく味が違うので自分好みのバブルティに出会うまで探索してきたけれど、最近しっくりくるのを見つけた。場所はキムチハウスの前。

春のぽかぽかした陽気の中で飲む格別おいしいバブルティを片手にシティをのんびり散歩する。通りかかった靴屋さんで見かけたベージュのサンダルを買って初夏が来ることに胸を躍らせた。


2003年08月11日(月) 春の匂い

8月になってパースに青空が戻ってきた。夜はまだ寒いものの、日中は暖かく、東京でいう3,4月というくらいの気候。

今日も空が綺麗に晴れていたのでバスに乗ってUWA(University of Western Australia)というパースでは一番レベルが高いと言われている大学の敷地内をぐるっと見学してきた。その他の大学も見たことがあるけれど、この大学はちょっとだけ「伝統ある」という雰囲気で一番好き。真っ青な芝生の上を歩くと濃い新緑の匂いがした。春の匂いだ。近くのカフェでアイスコーヒーを飲んでいるとおばあさんが乳母車をひいて入ってこようとしているのが見えた。すぐにさっと近くにいたUWAの学生らしい男の子が立ち上がりドアを開けてあげていた。こちらの若い子ってそういうところよく出来ている。

気持ちがいいのでバス停一個分余分に歩いて家路についた。明日はどこへ行こう。


2003年08月09日(土) お別れ鍋パーティ

わたしの帰国にともない鍋パーティーを開いてもらった。今日のメンバーの国籍はばらばら。鍋は台湾スタイルで卵の黄身とサーサージャーと呼ばれる茶色いオイリーな調味料をミックスして作ったタレで食べる。わたしにはちゃんとヴェジタリアン用のサーサージャーを用意してくれた。

以前このメンバーで集まった時はみんな恋人がいたのだけれど今はパタパタとお別れしてしてしまったようで切ない話が飛び交っていた。国籍の違うもの同士の恋愛は、住むところの問題や親の反対、家庭同士の文化の違いなどから一筋縄には行かない。日本人のGFがいたマレーシアンの男の子は彼女の親にガイジンだという理由で好まれずそれが別れに繋がったという。わたしは同じ日本人として、親に反対されたら諦めがつくなんてちょっと情熱がないのでは?と思って、彼にそう言ってみると「でも親は親なんだ。僕だって親が反対したら諦めるかもしれない」と言われてしまった。やっぱり中国系は親が絶対なのか。しかしわたしが自分がガイジンだからという理由で相手の親に反対され、相手がじゃー諦めると言ったら、それはそれは幻滅するだろうな。

ワインを飲んで沢山喋り、お別れの時間が来てしまった。アメリカ人の男の子は「きっとまた会えるよ。僕が日本に行ったら六本木案内してあげるからね」と言ってくれた(笑)。確かに六本木なんて案内してもらう側だ。マーティンが迎えに来ると「いいね〜、仲良くて」とお別れ組に羨望の眼差しを向けられてしまい、少し申し訳ない気持ちになった。"Keep in touch!"と言ってオージー式にハグをして車に乗りこんだ。


2003年08月08日(金) パースのエコ事情

こちらのスーパーマーケットでは、お客さんからビニール袋を回収して、それをリサイクルして丈夫なプラスチック製の買い物袋を作りそれを2ドルで売っている。しかしそんなことをやりはじめたのはつい最近だと言う。日本ではわたしが中学生の頃既にそんなものは出回っていた。遅すぎるのではないか?と思うがここは土地が広いせいかゴミを出すことに無鈍着。マーケットではやたら袋を小分けにして入れてくれるし、レストラン、カフェなどでは紙ナプキンをやたらと付けてくれる。ゴミの分別はたったの2種類。リサイクル出来る物も殆ど埋めてしまうようだ。

人々の意識には個人差があって、比較的お年寄りがバッグ持参で買い物しているのを見かける。わたしもバッグ持参で買い物に行き、もらった余計な紙ナプキンは取っておいて本当に必要な時に使うようにしている。

先日タスマニアのある町ではビニール袋は無料であげないことに決めたらしい。欲しい人はいくらか出して買わなければならない。そうなると人々はきちんと買い物バッグを下げてくるようになるのではないか。


2003年08月02日(土) 樺太へ旅行?

HISへ行き、マーティンの日本行きチケットの代金を払ってきた。2週間くらいは旅行するつもりなのでわたしは色々サーチ&レザベーションしなければならない。どこへ連れて行こう。とりあえず、彼は歴史が大好きなので京都は欠かせない。初心者のわたし達は鴨川あたりをぶらついて清水寺や金閣寺、銀閣寺というコースかな。本人の希望も聞いてみると「え〜っと、まず京都、広島、沖縄、北海道、樺太は必須だな」という答えが。樺太?パスポート必要じゃない。ぶつぶつ言っていると「樺太をロシアにゆだねてはいけない。彼らは経済状況からして砂漠を作るのが得意なんだから。日本にゆだねればもっと綺麗で富んだ町を築けるよ。日本は買い取るくらいのお金はあるんだろう」などと熱く主張している。樺太への旅行がどんなものか調べてみると錆びれている。マーティンに見せると「すごいね、錆びれてるね」と言うので「でしょーこんなところに行かなくてもさぁ」と言おうとしたら先手をうって「これは絶対行くべきだよ!」と言われてしまった。そうだったか、、、、。


Michelina |MAIL