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will
オーストラリアといえばウールが有名。羊の毛を刈るのを観光客に見せたりするようなこともしていて、これは一見何もないように感じるけれど羊達は本当はとても可哀そうなのだ。まず餌に毛が多くなるような薬品を混ぜられているので暑い暑い夏にも毛がたくさん生えすぎてしまう。すると虫が沸き出して皮膚病になる。毛を刈られ続けて生きて、老いて毛が取れなくなれば屠殺所行きで食肉になる。もっと悲惨なのは中東で行われる宗教的な行事のために船で送られること。この際にギュウギュウ詰め船に詰められて窒息死や病気で30パーセント近くが到着するまでに死ぬ。そこで生き残ってももっと悲惨なことが待っている。その行事は生きたままの羊の首に何度もナイフを刺して殺すのだ。
今朝、HWYを走っていたら、羊をギュウギュウに詰めたトラックを見てしまった。屠殺所に向かうのか港から中東に送られるのか、、。悲しいけれどわたしには助けてあげられる力はない。せめて長く苦しまないように祈るばかりだ。
2003年05月29日(木) |
The Cook,The Thief,His Wife,And Her Lover |
夜中に急に映画がみたくなって、マーティンの棚に入っていたこのDVDを見ることにした。ヨーロッパ映画で、有名どころではティム・ロスなんかが出演している。初めから何もかもが奇抜。舞台のセット、衣装(全てジャン・ポール・ガルチエによるデザインらしい)、そして音楽。
レストランにお金を収めさせているマフィアのようなアルバートという男は妻にも他人にもむやみに暴力をふるい、とにかく素行が悪い。毎日高級レストランへトラックに自分のこだわりの(?)食材を入れて持ち込み、それを調理させ理屈をこねながらほおばる。妻は彼にうんざりしているけれど暴力的な彼から逃げることができなかった。が、ある日、いつものようにアルバートと食事をしていると近くの席にかけていたマイケルと目が合いそのまま恋に落ちてしまう。それから妻はレストランでトイレに行くと言っては席を立ち、マイケルとキッチンなどで密会を続けるのだが、ある日アルバートに知られてしまう。
と、ここまではどこにでもあるような話なのだが、ここからが面白い。そして最後の度肝を抜くようなシメが見もの。映像や音や人の動き、どれをとっても胸がドクドクするような迫力がある。"デリカテッセン"や"The city of lost children"を好きな人には楽しめる映画ではないだろうか。
家の近くにある橋の上でバスを乗り換える。その橋はたくさんのストリートがぶつかる地点にあって、信号待ちの車が止まる。その車の窓拭きをしてお金を稼ぐ子供達がいる。殆ど毎日、朝から、晩まで。彼らは純白人の子供ではない。顔つきは殆ど白人だけれどどこか色の浅黒さなどアボリジニの面影を残している。
200年前、白人がこの国に入ってくるまでこの国に住んでいた先住民アボリジニはその後表の世界から抹殺されてきた。虐殺され、住む場所を奪われ、時には研究用として死体をドイツに送られたりした。彼らと白人を5回も交配させればアボリジニの特徴は消えて白人になるということを知った上での「同化政策」というものも行われていた。
現在オースラリア政府は彼らに謝罪の為に給付金を出しているけれど、お金だけでは全てを解決に向かわせることはできない。自由になった今でも白人と肩を並べて働くアボリジニは見かけない。働く場所が無いのか、働く気がないのかは分からない(両方かもしれない)。まず教養がない。ここパースで起きる犯罪(盗みや暴力など)も彼らによるものが多い。シティに行けば、仕事もせず給付金で酒を飲んで虚ろな目つきで喧嘩をするアボリジニがいる。悲しい過去には同情するけれど現在彼らによって治安が乱されているのは事実だ。
橋の上の子供達はまだ小学生から中学生くらいだろうか。この橋の上での窓拭きは安全なものではないし、無理やり窓を拭いてもらっても小銭をあげるどころが気分が悪い人もいるだろうから褒められる仕事でもない。けれど彼らは日差しの強い夏の間もずっと屋根もないその場所で朝から晩まで汗を流して働いている。このオーストラリアで小学校、中学校に行かないというのも少し心配だけれど、少なくとも彼らは「お金は働いた代償としてもらえるものだ」ということを認識している。彼らに明るい未来があるといいと思う。
スーパーマーケットに買い物に行き、お菓子を抱えてマーティンを探すと一本の殺虫剤を見て固まっていた。みるとイモムシの絵が。彼の顔があまりにも真剣なのでしばらく見守っていると、そばで品出しをしていた店員に「なんでこれが必要なのかなぁ。イモムシは何も悪いことしないじゃないかー。なんでかなぁ。」と話しかけてる。店員は苦笑いしていた。
彼は虫が大好きで蚊をはじめゴキブリやハエなども決して殺すことはない。時々真剣な顔でどんなに虫が素晴らしい生き物かを語る。"世界が全滅しても虫だけは生き残れるって言われてるんだよ"とか"広島に原爆が落とされた時人間よりも何よりも虫が一番早く広島に帰って来たんだよ"とか。そういわれると確かに素晴らしい気もするけれど、、、。
そういえばわたし小さい頃、夏休みにカブトムシを捕まえて飼っていたのだけれど大人になってからあまり見なくなった。わたしが成長して小さいものに目が行きにくくなったのか、本当にカブトムシがいなくなってしまったのかわからない。蛍もすっかり消えてしまった。みんなどこへ行ってしまったのだろう。
以前パースのある大学の中の語学学校に2ヶ月ほど通った。学校が始まって一週間も経たない時、バス停でたまたま会ったクラスメイトのアブデュ(from サウジアラビア)と喋っていた。その時に彼が27才で独身だということを聞いた。"一人でシティに行く"と言うと"May I help you?"と言うので、"No thanks it's ok"と答えた。バスに乗ってからもしつこく同じことを言ってくるので"変な人"と思っていた。
そして次の日からアブデュの攻撃が始まった。まずは熱い熱いラブレター攻撃。全くタイプではないので断ろうと思っていたが、その間にも彼の積極的なアプローチはエスカレートする。授業は2人1組とか4人1組とかになってやることが多いのだが、わたしのパートナーはいつも彼。アクセントが強すぎて理解に苦しむみ、彼はいつもわたしに色々教えてくれるのだけれど9割型は間違いで、しかもネイティブの先生にまで英語を教えてしまうというおかしな人だった。そのうちパートナーを組んで授業中にまで机の下でラブレターを渡してくるようになった。困ったなぁと思い、わたしの意志を伝えると怒り出してしまう。でも彼は諦めない様子で熱い思いを伝えてきてはわたしが断り、彼が怒り出し、、、を繰り返した後、もう彼とは話さなくなってしまった。
しばらくして、同じクラスの男の子達が「アブデュは40歳で4人の妻が居て、それぞれの妻との間に一人当たり4人の子供がいるから計16人」なんて話してるのを聞いた。わたしが"え?わたしは27歳で独身って聞いたよ"と言うと男の子達は笑い転げ"騙されたんだよ。あんなふけ顔の27歳いるか?"なんて言う。確かに、、。彼は女性にはそう嘘をついていたようだ。サウジアラビアは4人まで妻を持てるようなのだが、4人妻が居ながらわたしにアプローチしてきたってことは、、、わたしが承諾したら愛人となるのだろうか?不思議な人だ。
今日、中東系の人とすれ違って不意にこんな話を思い出したのだ。
(写真:その頃Water fordに住んでいた)
2003年05月22日(木) |
スーパーマーケットに見るオージー気質 |
冬も近づいてきてスーパーマーケットの野菜の品揃えも微妙に変わってきた。コーンの安売りはしなくなって、今はジャパニーズパンプキンやキノコ類が増えてきたえり、柿なんかも出てきた。今日の夕飯はズッキーニとマッシュルームのパスタグラタンにするつもりで野菜を買いに夕方のマーケットに出かけた。
レジに並んでいると40代くらいの女性客がレジを打った後に"この冷凍グリーンピース1kgも入ってるんだー。やっぱり500gのやつが欲しいな"と言い出した。レジのお姉さんは露骨に嫌な顔をして、ヘルプの人を呼んで変えてくるように言いつけた。その間にも列は長くなる。そしてレジを打ち直したりするのがまた遅い。これが日本だったらレジのお姉さんは顔を赤らめて急ごうとしたり"お待たせしました"なんて後ろの人の番になったら言うのだろうけれど、こちらはそんなことはまずない。そもそも待つ客も無反応だし、レジのお姉さんも"わたしのせいじゃないわー"という雰囲気でシラッとしている。そして500gのグリーンピースが来て、やっと動くと思ったら、今度は何かのんびり話している。客を待たせることに嫌悪するのは日本人だけなのかもしない。
それにしても本当に肉好き国民だ。レジに並んだ人のカート(カゴじゃなくてカートで買い物!)の中を覗くとみんな大きな肉の塊が入っている。サイダーやミルクも大好き。オージーの買い物カートの中を見ているとそれだけでおなかいっぱいになってしまう。
朝から雨が降ったり晴れたりが繰り返されていた。パースの気候は気分屋だ。
夕方用事があってマーティンとシティへ行った。たった2分で用事は済みせっかくここまで来たんだからどこかに行こうということになりスビアコに向かった。車の中で"わたしはレンガ造りの建物が好きだ"という話をしているとマーティンが"ワーーー!!"と叫んだので見てみると空に虹が架かっていた。虹を見るなんて何年ぶりだろう。子供の頃に邪魔になった傘を地面に引きずりながら歩いた学校からの帰り道を思い出した。
スビアコはカフェや洋服屋や家具屋が立ち並んだ少しお洒落な町。お茶をしようとカフェに入った。マーティンはコーヒーをオーダーする時に必ず"No suger"と言う。ここではたまにアイス・コーヒーにシロップ入れて持ってくることがあるのでそれが嫌でホットの時も"念のため"と必ず言うのだ。今日も彼は"We'd like to get a Flat White no suger and a Black Viena no suger. The most important thing is no suger!"なんて言って店員さんに「絶対入れないから大丈夫」と言われていた。ホワイトチョコレートのプディングも頼んだ。マーティンとシェアすると、彼は食べるのが早いし大体の物は一揆食いなのでわたしが一口味わっている間に半分くらい食べられてしまう。はぁでも美味しかった。この後車の中で"パースと日本のイタリアンレストランどっちが美味しいか"なんていう話題から喧嘩腰の議論になるとも知らず、この時は幸せいっぱい、大満足でカフェを出た。
朝からマーティンはミケをからかって遊んでいた。猫のトイレは専用の砂を容器にいれておいて、猫はその砂を掻いて穴を作り、そこに用を足してから向きを変えて、匂いを嗅いで確認してからまた向きを変えて前脚で砂を掻いて砂をかぶせる。そのうち砂が固まるからわたし達飼い主はその固まった部分をシャベルで掬って捨てればいいのだ。今朝、マーティンは嬉しそうな顔でトイレに行くミケに着いて行き、彼女が穴を掘り用をたしてる(大のほう)ところ、なんと背後からシャベルで砂に落ちる前にキャッチしていたのだ!そしてキャッチしたブツを見られないように素早く人間のトイレに流してしまった。すっきりして向きを変えてブツを確認しようとしたミケ。自分が確かにしたブツがない。固まったまま考え込んでる。ここで彼は大爆笑。結局ミケは何もないところに砂を被せて腑に落ちない顔でトイレからでてきて、自分が確かにしたブツがどこへ行ってしまったのか考え込んでいる様子だった。
しばらくしてわたしが洗い物をしようと台所に行くとわたしのゴム手袋が片方ない。おかしいなぁと思いマーティンに聞こうと彼の部屋のドアを開けるとなんと!!ゴム手袋を膨らまして風船を作り"牛の乳!!"と言っている。
更に昨日わたしの友達からの電話を取り、彼女が「マーティン久しぶりー」と日本語で言うと「うん、ゴキブリー」と答えたそうな。"リ"しか合ってなじゃん、、。わたしはそんな日本語教育した覚えはないぞ。
わたしは図体の大きな子供を抱えてるみたいな心境だ。
2003年05月18日(日) |
オーストラリアのヒキガエル |
テレビで毒をもつヒキガエル"Cane Toad"のドキュメンタリーがやっていた。このカエルは1930年代に悪い虫を食べてもらう為にAUST政府がベネズエラから持ち込んだそうなのだが、これが増えすぎて問題になっている。虫どころかトカゲなどの小動物も食べてしまうし、おまけに毒をもっているからこのカエルを食べる蛇なども共倒れ。しかも相手はカエル。たった一匹のメスのCane toadが1ヶ月に産む卵なんと40000個。ネイティブ・アニマルスを守ることに力を入れるAUSTもさすがにこれは増える一方で手に負えないようだ。肝心なところどんな手が打たれてるのかというところをわたしは知りたかったのだけれど、話し手は「政府が卵処分の為に***ドル補助してくれてるよ。・・・・な〜んていうのは嘘だけどね」なんて冗談を言って終ってしまった。どうなってるの!
ドイツのある地域などではヒキガエルは絶滅の危機でカエルを守るために道路を夜間車両通行止めにしたりカエルの生息する地域にフェンスを張ったりしてカエルをプロテクトしているのに、所変わればでここでは駆除の対象。カエルに限らず、人間の勝手で持ち込まれて増えすぎて酷い仕打ちを受ける動物がここには沢山いる。既に他の国から動物を持ち込んだ時点で自然の摂理を破壊しているのに、ネイティブ・アニマルスを守るために他のものを犠牲にというのは嫌悪する。近代的な人間が自然をコントロールしようとあがいてもうまく行かないのがもどかしい。
2003年05月17日(土) |
電気不足に対する日本人の対応 |
MSNニュースでのアンケート。"7月に東京で電気が足りなくなるがこれからどうしていくか?"というテーマ。
一番多いのが"電気をこまめに消す"。こんなのあたりまえ。そしてその1位と殆ど差をつけずに2位が"何もしない"。 何もしない、、、、、。どういう意味だろう、、、。自分達の電気がなくなろうと誰かがなんとかしてくれるから自分は何もする必要がないなんて思ってる呑気な人がこんなにたくさんいるのか、それとも今までだって節電なんて当然してきたので今更何も変わった事はしないという意味なのか。確かにわたしも電気をこまめに消したりとかそんなことはわたしの家のしきたりでは当然のこととして育ったので、今更うちの家族も何もやることがない。思いっきり頑張るなら父親がパソコンをいじる時間を短くしたり、なるべく1部屋にみんな集まったり、蝋燭を灯して生活するとか、夜は早く寝るとか、、、。それにしてもあのアンケート結果の真相が後者だったら良いけれど前者だったら恐い。
今日はちょっと嬉しいことも。パースの日本人向けのマガジンに写真コンクールがあってそれにミケの写真を送ったら入選したのだ。わーい!でも、景品は英会話クラスのチケット。英語の勉強しろってことだな。
2003年05月16日(金) |
I'm not happy now!! |
キッチンのテーブルにぼんやり座ってコーヒーを飲みながらわたしは考え事をしていた。マーティンはわたしに背を向けてパソコンに向かっていた。
考えていたのは知り合いカップルのこと。GF(日本人)が今日「わたし日本に帰ってもう一生戻ってこないしようかと思うの」なんて言いだしたのだ。彼らは基本的にはとても良い人達なのだ。わたしが風邪をひいたと言えばGFはハチミツレモンを作ってくれたり、BFは庭の金柑をもいできてくれたり。でも二人で居るとうまく行かないようなのだ。彼女は彼がキレルと暴力をふるうと以前から言っていて、それを聞いてわたしは驚いたけれど、どうしてもわたしの前ではいつも温厚な彼からは想像がつかない。外で愛想良くしている分、家に帰ると疲れてしまうのかもしれない。わたしは彼女の言い分しか聞いてないから彼が一方的に悪いとも思わないけれどやっぱり暴力は恐い。体が衰えて怪我をしても回復が遅い40近くになる彼女にはなおさら優しくしてあげて欲しい。でもそれでも彼女が彼と長年一緒に暮らしてきたというのは彼にどこかいいところもあったり、情があったりしたのだろうから、ここでぷっつり日本に帰ってしまったらやはり自分も辛い思いをするんじゃないかと想像したりして。お互いに嫌いなわけじゃないのにただちょっと何かが狂ってしまったみたいに見える。
何年も四六時中一緒に居た人と別れるってどんな気持ちなんだろう、、、とか色々考えてたら切なくなってきたので"I'm not happy now!!"と叫んでみた。背中を向けていたマーティンが飛び上がり"WWWWWW・・・・ Why???"と聞いてきた。"Nothing"と言っても"Tell me why"と言ってくる。どうやら自分のせいでわたしが不幸だと思ったようだ。"Because,,,,Just,, I'm starving"と言うとホッとしたように"Oh,,, eat something"と言った。
2003年05月14日(水) |
パースで会えた日本人 |
だるい、だるい、、、体中が、、、。昨夜コリアン・レストランとBarをはしごしてトータルで1ボトルくらいの量の赤ワインを飲んでしまった。大体わたしは飲んでも顔に出ないし、気も確か(のつもり)なので自分が酔ってることに気付くのはこの後。さぁ、次行こ!と席を立つ時初めて酔ってることに気付く。歩くのが辛いのだ。
パースの飲み仲間は気さくで楽しい。常に誰かが帰国したり、また新しい友達を連れてきたりで、日々出会いと別れが交差している。昨夜は大親友のトモミが帰国するというのでシティに集合した。飲んでる最中ふと考えた。彼女と会っていなかったら、、、と。彼女とは2年半前にわたしが短期でここを訪れた時に知り合い、それから去年再びここに住み始めて間もなく駅でバッタリ再会した。会わなかった間何度かメールを交換したけれど、まさか彼女がまだここに住んでいるとは思ってもみなかったのでとても驚いた。彼女との再会は新たな素敵な出会いももたらしてくれた。
レストランで向かい側に知的な顔立ちをした50代くらいの日本人商社マンのような男性が白人男性と飲んでいた。ふと日本人男性がわたしの顔を見て何か反応した。こちらに長く滞在している人なのかもしれない。わたしも久々にパリッとした格好の日本人を見て日本で規則正しく働いていた頃のことが甦り頭の中で日本とパースが交差した。"パースに来た日本人は必ずパースに戻ってくるんだよ"とトモミが言っていた。結局わたしも帰ってきたのだった。
あれこれと思いを馳せながら、たくさん喋って、気付いたら足がふらふらになるまで飲んでいた。今日はだらだら家の中を転がって一日が終わる。夕飯は卵粥に決まり。
(写真:夕闇につつまれはじめるLondon court)
2003年05月13日(火) |
ガールフレンドは結婚詐欺師 !? |
以前にも日記に書いていた中国人の男の子は残念ながら日本人GFとはもう終ってしまったようだ。彼は日本に帰ったきり親の猛反対に合い連絡がとれなくなってしまった日本人GFを迎えに行く決意をし、当日空港に向かう車の中で鳴った携帯をとると本人に別れを告げられたそうだ。そして彼が悲しみにくれているときに約束通りネットで色々(電車の乗り継ぎなど)調べた私が電話をしたというわけで"ありがとう。でももう必要ないんだ"と言われたのだった。
が、これだけでは終わらなかった。飛行機のチケット代10万円近くを捨ててしまったことは諦めるとして、もっと大変なビザの問題があった。オーストラリアでは、タイミング的に受理されやすいという理由でこちらの大学を出てすぐに永住権を申請する人が多い。そして永住権を持つ人の配偶者となる人もそこに一緒に名前を添付して申請することができる。もうすぐ大学を卒業する彼はその配偶者として彼女の名前も載せて二人で申請しようとイミグレーション・ロウの専門家にあれこれと依頼していたのだった。二人で必要書類を提出し、彼女が一ヶ月後に戻ってきて彼女のパスポートを提出すればそれで完了というところまで動いていた。それなのに寸前になって彼が彼女の名前を載せることができなくなったものでロウヤーはカンカン。彼の永住権取得も危険と言われたそうだ。単なる脅しかもしれないし、ビザのことで一度断られたり問題を起こすと次に申請する時に響くので本当かもしれない。頭を抱える彼に周りの人は"もうしょうがないから結婚詐欺師にあったとでも言え"と助言したそうだ。詐欺師なんてあんまりだわぁと一瞬思ったけれど、この際しかたない。もう踏んだり蹴ったりの彼。落ち込んでるのかなぁと思い遠慮しながら"Are you ok?"と聞いてみたら、ダメダメ、悲しすぎる。だから早く立ち直れるようにいい子紹介して!なんて言う。立ち直ったようだ。
2003年05月12日(月) |
はじめてIKEAに行く |
マーティンいわく、"なかなかスタイリッシュでリーズナブル"なIKEAというスウェディッシュの家具屋へ行ってみることにした。
青い大きな建物が目印で、中は仕切りごとにコンセプトのある部屋のようになっていて、ギャラリーのように入り口から順々にみていける。フリフリ、コテコテではなくちょっと少女性を残した大人という感じの可愛らしさがある。あれも欲しい、これも欲しいとパースに来て以来眠っていた物欲が久々に甦った。こんな部屋があってミケが待っていたら早く家に帰りたくなっちゃうだろうなぁと夢だけ見て、実際は必要なバスマットと白地に赤い水玉が付いたカップ&ソーサーのみ購入して帰ってきた。IKEAの製品はちょっと日本人には見慣れない国で作っているものが多い。わたしが買ったカップはMade in Portugal、マットはMade in Indiaだった。
2003年05月11日(日) |
新しい日常のはじまり |
なんてたいそうなタイトルをつけてしまいましたが、これといって何もない平和で平凡で退屈で幸せな時間が流れています。新しい日記を取り付けたのでなんとなく新しい日常が始まるような気がして心が躍っています。平和な証拠ですね。
タイトルのMy life as a catというのは20歳の頃に見た"My life as a dog"という映画から取ったものです。小さな男の子が何か悲しいことが起こるたびに自分と宇宙に飛ばされてしまったライカ犬とを比べては"あの犬に比べたら僕は幸せだ"と自分に言い聞かせるところが少し胸を突くような愛らしい映画でした。ストーリーは淡々としていてそこしか覚えていないのですが。わたしはとえいば世間の早い流れや、ぎつぎつした見栄や欲望にはシラッとクールな顔で背を向けて、陽の当たる場所を求めて平和に暮らす猫のようにありたくて、このタイトルをつけました。
ミケは抱っこするととても喜んで喉をゴロゴロ鳴らすのですが、今日マーティンがをミケを抱っこして自分が喉をゴロゴロ鳴らしていて、くだらないギャグだと思いながらも笑いが止まりませんでした。
(写真: Kings Parkより ここで大きな深呼吸をしてシティを眺めるのは爽快)