INDEX
prevnext
2005年05月25日(水)

続編きたぁぁ−−−−−−−−−−−−−−−!

続編きたぁぁ−−−−−−−−−−−−−−−!
組!ですよ。組。新選組!の続編が正式発表。
う、嬉しい・・・。なぁんか雰囲気いけそうな気はしていたんだけど、前例がないし。
ヲタうけはしても視聴率悪かったからどーかなと思っていたけれど。

あ−−−−−−。いてもたってもいられん。
また番宣スポットを張り、スタパを録画し、そんな心落ち着かない12月かと思うとうんざりするような、嬉しいような。
いや、嬉しいんだけど。なんか怖いよ。思い入れが強すぎて。

なんか最近気持ち暗くてさ。色々と。
でも、1月の放送日までは生きてるぞ。
飛行機が落ちても生き残る気合が湧いてきた。何があっても大丈夫!!いくぜっ。(←どこへ?)


2005年05月24日(火)

現実は自分の心の具体

外界に対して起きる反応の一種がアレルギーと考えると。
感情は何にせよアレルギーなんだろうな。

何を異物としてとらえるか、異物に対してどういう症状を発するか?は人それぞれ。
生まれ持った変えられないものもある。
けれど、自然と変化することもあれば、人為的に、例えば食べ物の摂取によって細胞の組成や活動が変化させて、
反応の種類も、強さも、表出の方法を変えることも可能だろう。

・・・ということは前から思っていた。
外界とのI/Fは反応だけしかない。外界は自分とは関係なくそこにあるものだと。

考えが変わった。外界の全てが脳内の具象ではないか。そんなことを考えている。

例えば、自分の中の律儀な部分とか、だれてる部分が、人格化したものが回りにいる人で、
その人が嫌なことを言ったり、優しかったりも、全てが自分の脳内感情。
時期は必ずしも同時ではないにせよ。
全てが何時か、どこかでで見たようなものばかり。

夢は何かの象徴だとか、シンボルだとか言うけれど。
現実は自分の心の具体だなぁ・・・と、そんなことを考えている。


2005年05月22日(日)

未だに何も内装は出来ず

えっと未だに何も内装は出来ず、図面すらないというのはどういうわけ?!
と、ストレスは溜まれども、今さらイチから他の人に頼むのもどーかと思うし、
だとすると、ここで怒って関係性を悪くしても先々やりにくいし、それにしても、
予定というものを全く無視した内装屋というものは果たして商売になるのだろうかとか、
ひょっとしてうちだけの話なのか、なんなのか、もう、考えがわからない。

何かもうすっきりしないな。
下手に知り合いの知り合いになんて、頼むもんじゃないね。


2005年05月18日(水)

カリカセラピ

読んだり、TVで説明されると、何かいいことありそうな、
飲まないと置いていかれるような気になって、サプリメントを飲まなきゃと思う。

でも、心のどっかで納得していないんだ。(と思う)
当初の意気込みはあるのだが、次第に伸ばす手にためらいが多くなる。

ケミカルを信頼していないので、何とかと何とかを混ぜてすっごく老化に聞く物質を作った!とか
聞くと、飲まない私だけ老けてくってこと?!と焦りを覚え、
買いに走ったりしてしまうけれど、どっか不安を抱えているのでしょうね。
未だかつて、続いたことが無い。

今のところ、カリカセラピは続いてる。ま、これは天然サプリなので。
めちゃくちゃ高いんだけど、で、飲んでても日中だるいし、眠いんだけど、(効果ないやんけ〜)
だけどだけど、休みの日にさくっと午前中に目が覚めるのだ。
しかも2度寝をしない。

休日の午前中を買ってると思って飲んでる。


最近、服がどーにも難しい。
暑いのか寒いのかわからんというのも一つ。

あと、服そのもの。変え時なのかも。
借り着のように浮いてる。変だよすごく。バックとかも、もっててたまらない感じ。
衝動的にホームのゴミ箱に捨てたいとさえ思う。しないけど。愛着ももちろんあるけど。
でも、君じゃないのだ。
好き嫌いは理屈じゃないのだ。と人の別れのように語る。


2005年05月16日(月)

だるだる

最近だるだるな人が多いけど、それは日本を覆う雰囲気というか空気が澱んでいるためで、
無理して引き上げることないし、自分を責めるなという話が某占い師Blogにあって、
そうだと言われるとその気にもなるし、そうでない気持ちにもなる。

いい言葉を口に出して、人に優しく、おうちを綺麗に掃除し、なりたい自分をビジュアル化すれば、
願いはかなう・・・な本のコーナーが大きくなっている。

前まで関心が無かったので気づかなかっただけなのか、という気もするが、でも、増えてるよね?
この前、ビジネス本平積みのコーナーに行ったら、ほとんどが"思えば願いは叶う"本で、
それは心のありかたであって、ビジネスノウハウではないだろう・・・と半ば呆れてしまったよ。

水周りに塩を盛ってる自分が言うのもなんだけど、ずれてる感じ。
清く正しく美しく以外にやることないのか?方法論とか分析スキルとか単なる会計知識とか。
ビジネスの形が壊れてきて、有効な形がないが故の逃げな気がしてしまう。

でも、それが逃げだとすると、塩を盛ることも逃げだ。


邪気が入らない溜まらない・・・という発想は、
何か悪いことがあったら、それを邪気の所為にすることなのだから。

結局自分でコントロール出来ない何者かがそこにあって、そのことを潔しとしない。
非常に中途半端な理性がここにある。

人の世は不条理で、全く理性の及ぶものではない。
なるようになれ、とか、所詮人は糞袋って心の底から思っていれば、邪気や運気に対して何かをする必要はない。

邪気?霊気?なんてあるわけない。
と思っているのであれば、祓う必要はない。

宙ぶらりん。

江原啓之の様に、霊気の存在が見えている(という自己申告を信じるとして)のならば、
かつ、払われる様子も見えるのであれば、払うと言う行為は、きわめて物理的行動として完結する。

つまり、見えればいいのだ。
目に見えないものの存在を信じた以上、進化の方向はそれしかないな。


2005年05月12日(木)

JR西の事故

危機管理がなってないとか、社風がどーのこーのはもういいや。
吐きそうって思うのは、脱線事故の後、置き石事件が続々と起こっていること。
運転士や駅係員とかに攻撃が行われていること。

列車を転覆させたい、脱線させたい、事故おこしたい。
何の鬱屈がそれをさせているのか。
きつい社会だなぁと思う。

悪意のマグマなんだろうか。
その湧きどころは何なのか?
心に悪意の源泉持たざるを得ない理由はなんだ?

個々の駅員に対する嫌がらせNEWSも、とっても気持ちが暗くなる。
正義をふりかざせば、悪意に罪悪感を持たなくてすむ。アメリカ式とでもいいましょうか。

あと、あれもいい気持ちはしない。
献花の行列。
身内、知人、近隣住民なら、まぁわかるが。
「同じ世代の娘がいるんでヒトゴトじゃなく。。。」とか言って来ている人。

素直に納得できない。
泣きの娯楽を求めてるだけじゃないのか?とか、
ある種イベント・アミューズメントパークか?とか、
「まだいいほうだわ。。。」と改めて自分の幸せ噛みしめるとか、つまりはそういうものか?とか思ってしまう。

うがちすぎなんでしょうが。

事故原因、会社の対応、報道、その後の展開。。。全てがよくぞここまでという末期症状。
このままのシステムでは先はないってことなんだろう。
では、その後は?


2005年05月11日(水)

引越しを完了した。

長い夢を見ているような気がする。
引越しを完了した。
でも、何か実感がわかない。

何について一番実感がわかないかというと、ローンを毎月返済することについて。
一番わけわかんない。

ぼーっと窓際にずぅーと座ってていいような気がする。
(稼ぎにいかないとお金が貰えない。そうすると追い出されてしまうのだ!
という気が全然しない。困ってる。)

部屋がまだ全然片付いていない所為でもあるのだと思う。
なんといっても内装屋さんが異常にラテン。
あくまでプロトタイプなイメージでラテンっていっているので、思えば失礼な比喩なのだけれども。

4月の頭に頼んだものが何一つ出来ていないんだもん!
しまうところがないから、何にも片付かないんだよっ。

引越し前には出来ると言っていた2つの棚すら未だになく。
何もしまえないので、片付けようがない。
ベッドも搬入できないし。


2005年05月05日(木)

5月はいいね。

天気が良くて気持ちがいい。5月はいいね。

地球のどこかでは今日も誰かが殺されて、爆弾は爆発し、地下ではマントルが動いて岩盤がひび割れてく。
そーゆー全てをとりあえずおいておいて、爽やかな風に髪を揺らさせて自転車を転がしたり、
かわいいファブリックを買いに行ったりするのだ。


2005年05月04日(水)

引越しまであと数日

引越しまであと数日。
マンションを買ったのが2003年。
鍵を受け取ったのはほぼ一ヶ月前。
にも関らず、作りつけ家具が一つも出来ておらず、照明も当日なにもしなくても点くのは1つのみ。

テーブルも椅子もなし。カーテンもない。冷蔵庫もない。
一体何がどーしているのやら。

まったくねぇ。
時間はあったのだけど、何かあっという間だったよ。
決まらないんだもん。

ずーっと見ていて、探して、決めあぐねていて、ここ半月くらいかな。
なんとか決めたけど、当然、配送や作成は間に合わず。
ダンボール暮らしですよ。

なんつーか。計画性とかそんなもの。
社会性が何か至らないのだろうと。しみじみ思うのでした。

あんまり思わないようにしているけれど、気に入って済んでいたわけではないけれど、
やはり、ここを離れることに対しては感傷もある。

5歳から住んでいるから、記憶のほとんどがここで作られている。
そんなに悪いこともなかったし。
見守ってもらったような気もしてる。

離れていくのは寂しいけど、でも、時間が来たから、行くからね。
そんな気持ち。
誰かが死んだり、自分が死んだりする時も、そんな風なんだろうなと思う。

別れは悲しいものだけれども、気持ちは分かるけど、でも、そういうものだから。じゃあね。って。

おとといの夢はストーリーは覚えていないけれど。
綺麗な虹が出ていたことだけははっきり覚えている。

時間の糸車が回ってるぎしぎしという音がする。
何があってもまわるんだなぁと、あきらめたので、来るもの去るものを、何も考えずに自分を通すようにすることにした。

おーし!来るなら来い!というとこ。
でも、しつこいようだが。新居には何もない。

学校ないし、家庭もないし、ヒマじゃないし、カーテンもないし、
花を入れる花ビンもないし、イヤじゃないし、カッコつかないし (by 電気グルーヴ)

言霊か?洗脳か?
まんまな状態に陥ってしまった。

縁起のよさそうな歌を歌っておくべきんじゃねーのか?
子犬の横にはあなた〜とか。


alain

My追加