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2003年10月21日(火)

もう、全員死んでしまうしか、解決策ないのでは?

破壊を望むのは、変化への言い訳が欲しいからなのだと思う。
何かが達成されそうになると逃げてる。逃げてきた。
失敗はもちろん、成果ですら忌避してる。成し遂げてしまうと、それはそれで自分が変わってしまうことが怖い。

自分で引き起こした事だから、自分で決断した事だから、責めは自分に帰せられる。
それがきつい。

例えば、地震とか戦争とかで、家がぶち壊れて野宿暮らしになったら、自分がゴミ箱あさってても、それは自分のせいじゃないって言える。気がする。
日がなのたくた暮らしても、「あの時、戦争さえなかったらね・・・。みんな戦争が悪いのよ。」と言える。気がする。

自分がどーにかなる責任を人に押し付けたいがために、暴発を望むって。ださすぎ。

『あなたは絶対!運がいい。』とか、前向きになれば全てが解決するっていう本と同じくらいださい。
心のもちようで幸せになれる。願いはかなうって本なんだけど、いや、心が弱ってる時に、うっかり買ってしまって、後から買ってしまったことに尚どよんとしたりしてる。(←恥部だ恥部だ)

これって、退屈で平穏な人生だから言えること、ってことくらいはわかる。

家はアメリカの爆撃でふっとびました。
冬が近づいてきて、とても寒いです。
旦那の足は地雷で飛びました。劣化ウラン弾の影響でしょうか、2人の子供には障害があり、大人になっても自活できるとは思えません。
両親は肺と心臓を病んでいます。
旦那はどなる。小姑はこづく。両親はおどしたり、泣きの手段でうったえたり、家の中は殺伐としてます。
それはともかく、お腹がすきました。食べ物を買うお金がありません。

お金お金。一週間後の幸せより、心の平穏より、今日の食費。

祈れば叶うということで、手を打つ?
私は打てんなぁ。

でも、ここまで書いてて思ったんだけど。
それでも宗教はなくならない。

宗教ってやっぱわかんない。
頑張って信じたのに、難民キャンプで職も無く・・・じゃん。じゃあ、もうちょっとご利益ありそうな神様拝んでみようかって思わないんだろうか。

たしかに、イスラエルは建国できた。
でも周りは敵だらけで、とても平穏無事とはいかない。
神様信じてて、結果これかい?!とか思わないのでしょうか。

パレスチナ。信じてたのに、国なくなっちゃったじゃんよー。
力ないなぁ。じゃあ他の神様にすっかー。とか思わないのかしらん。

お稲荷様拝んだり、お寺行ったり、占い師に守護霊見てもらったり、賛美歌で崇高な気分になったり、気分次第にすればいいのに。

こじれすぎてしまって、今更も何言ってもどーなる気もしないけど。
もう、全員死んでしまうしか、解決策ないのでは?って思う。




2003年10月19日(日)

ヴィトン選びはお休み。

内藤剛志の出てる端麗純米なんとかかんとか・・・っていう、お酒のCM。
草原や滝をバックに、内藤剛志が褌で漂ってるあれです。

ターゲット層がまるで読めない。
あえていうなら2丁目ねらい?10%がホモという説もあることだし、一億の半分が男でその半分ととれば、充分に集団としては大きい。
最近のテレビで見たものの内、毎日のニュースも含めた中で、一番頭をひねらせてくれた映像であった。

最近と言えば。最近の決断。(って、そんな大事でないあたりが、のたりとした日常を髣髴させて、書いてて、小バカな笑いを投げ捨ててしまう。)
ヴィトンのバックを買おうと、では折角だから買うまでの、あれがいーかな、これがいーかなを精一杯楽しもうと、ムックのヴィトン特集号まで買ってはみたものの。

買う気無くした。

気にしてない時は、あんまり目に付かなかったけど、気にしだすといるわいるわ、世の中にこんなにヴィトンがあったのか?!って、びっくりしてしまった。

こんなかに埋もれるのもなーって気分。(←ごーまんである。)
あんまりマニアなのも嫌だし、安っぽいのも嫌だし、プチ贅沢して自分って大したもんな気分も欲しい。
バックの値段が高いからだから何?!ってことは、そりゃ誰に言われなくてもそーだけど。

それを買ったのが自分であったとしても、誰か(自分を含む)にそれだけのものを買い与えられてる自分、それだけの金額を使われるに値する自分、という感覚は悪いもんじゃない。
そして、その"それだけの金額を使われるに値する自分なのよ!"という証拠を、肩からぶら下げて歩くと、周りの人もその証拠から、自分の価値を読み取ってくれる。よーな気がする。

かつ、そんな保証ラベルのほかに、実用性と価格の折り合いも欲しい。
エルメスは使いにくそーだし、いくらなんでも高すぎる。

その点、ヴィトンは、"丈夫で一生使えるから・・・"というEXCUSEもあって、買いやすかったのだ。
と、思う人が多いから、あんなにヴィトンが多いのだろうか。

しばらく、ヴィトン選びはお休み。
JPGの斜めがけバックで、昔の郵便屋みたいに暮らしていく事にしました。


なんか、気分が内向き。
くらーいっていう意味ではなく。性質ではなく、行動のベクトルの話なのだが。 INPUTの時期とOUTPUTの時期でいうと、かなりINにかたよってる。

本を色々買って、読んで。
今は感想書くより、その時間読んでたい気分。
何なんでしょう。ま、また風向きが変わると思う。

深い洞窟の地底湖な感じ。って、今のイメージを表現して初めて気づいたんだけど、これって蠍座なんだよな。
そろそろ蠍座の意識が強くなる頃(私のホロスコープの中での話)なので、これはわからない話じゃない。

そういう時期であるならば、深ーくねっとりした水を堪能したい。
積極的にそーしたいわけではないのだが、そーであるなら、気持ちを楽しむ方向に持っていって、やりすごす方が何かと楽ではないかと思うのだ。
自分を甘やかす事にかけては天下無敵である。




2003年10月15日(水)

森永卓郎って、あんま、好きじゃない。

依然として、肉恐怖症の私。
テレビでステーキを焼いてたりすると、あの絶妙のピンクが・・・。
人肉にしか見えない。血の気が引いてしまう。

行くんじゃ無かった、とも思わないけれど。後遺症はでかい。

何か、頭が散漫。
考えがまとまらないっつーか、あれもしなきゃ、これもしなきゃで、結局、なーんも手につかない。
小さな事からこつこつと。西川きよしですか。

話し変わるけど。
森永卓郎って、あんま、好きじゃない。
コメンテーターで見てる時には、そーでもなかったけど。

あの『年収300万円時代』がどーたら、こーたら、と言って売り出し始めたあたりから、アホ臭くなってきた。

がんばっても大して金もらえないんだから、特別な能力のある人以外は、自分の趣味と自分の時間を大切にして、そこそこ働いて300万程度で生きていきましょう、ささやかな暮らしに幸せを見出しましょう。という主張。

いろんな雑誌に出まくってるけど、一番笑ったのは、えっと立ち読みだったので雑誌名覚えてないんだけど、 OL5人くらいとの座談会だったと思う。
森永氏が例の主張を高らかにうたい始めるや、OLさんにぼこぼこにされてた。

「300万も貰ってませんっ!」
森永氏は言う。「で、でも、まぁ。自由な時間が取れるということで・・・」
「残業ばっかで、毎日終電ですっ!」
「いやな仕事ばっかで、それ我慢しても300万もいきませんっ」

森永氏が押されまくって、結局「・・・大変なんだね。」と、しか言えなかったのには笑った。
それが、またリアルに紙面に描かれてて、その描写の細かさにライターさんの「ざけたこと抜かしてんなよ!」という大いなる自己主張が垣間見えて、あれを買っておかなかったのは非常に悔やまれるページだった。

で、森永氏。
以後、ちょっとはめげて、自説を打ち出すのに衒いがあるかと思ったのだが、相変わらず声高に主張しつづけているあたりが、商売人として、非常に優秀であると、恐れ多くてひれ伏してしまう。

自分は、コメンテーターやって本書いて雑誌の座談会に出て、しかもフリーではなく組織に属してるって安定感も手放さず、そのローリスクな年収3億円の人生設計にも、感心するしかない。

どっちかっつーと、年収3億円の人生を教唆する本を書いてしまったほうが、実体験に則しててリアルだと思うのですけれど。
人品骨柄のいやらしさは減ってしまいますがー。

好きなことやって自分大切にして、300万得られるんなら、いーんですけどね。
現実、そーもいかないんですよ。
という、あたりの現実認識がなんつーか、恵まれた人には想像の範囲外なのだな。

年収300万円の〜という本を書きつつ、訴えかけている"日本人"、"庶民"、"普通の人"に、全然自分が入っていないあたりは、政治家の文章作法と同じなのであった。あほくさ。




2003年10月13日(月)

『人体の不思議展』@東京国際フォーラム

金曜日。
16時からのミーティングに合わせたかのように、別のTELがかかり、2時間ほど拘束されてしまった。
で、席に戻ったのにミーティングはまだ終わっていない。
途中から行くのもなんか好きじゃないしー。
かと行って、帰っちまうわけにもいかんだろう。

と、言う事で(どーいうことだぁ)、『人体の不思議展』@東京国際フォーラムに遊びに行く事にした。
行った。

感想は、うーん。
あれって死体なんだよね。なんか実感がない。
考えがまとまらない。

まず、第一に思ったのが、遊びすぎてない?ってこと。
死体に樹脂加工して腐らなくした死体なんだけど、そのポーズがさ、妙に彫像のように弓を引いたり、人の肩に手を置かせてみたり、机を前にして座ってみたり、または、取り出された内臓を自分の手でささげ持ってたり、体中に手術用具を数十ぶら下げてみたり・・・。
中にワイヤーが入ったゴム人形とかを触ると大抵の人が何かしら、いじってポーズを作るけど、それと同じ感覚で、"いじられてる"って気がした。

スライスされてたり、身体の中身を取り出されてたりは、ま、理由はわかる。
CTスキャンの画像と比べるのには良いだろうし。
でも、ポーズつけさす理由がわかんない。

なんか、死体より、作った人のほうが怖い。
弁当屋さんとかも、大量に作っているといつしか食べ物って意識が無くなって、添加物とか衛生管理とか、いい加減のきわみになってくるって聞いたことあるけど、死体もそーなのかも。

次に思ったのが、内臓とか輪切りにされた胴体とかは意外と、リアルじゃないってこと。
手とか爪とかが一番死体っぽい。
死体はオブジェなんだけど、爪の切り口とかは人の生活なんだ。
爪とか顎の伸びかけの髭が一番ぞっとした。

3つ目。
やばいんだが・・・。筋繊維がピンクで膨らんでて、うーん・・・。
旨そうだった。

あーあ。何おぅ!って自分で思った。
人肉だよ人肉。食べるのか?
でも、なんかポトフに入っている牛肉の塊に似ていて、瞬間、瞬間だけど、旨そうって思ってしまったんだよ。
人肉を食べるなんて、ありえない!!!って思ってけど。

食べてしまうかもしれない。
調理されて美味しそうに出てきたら、飢えてたら、すっごく飢えてたら、食べてしまうかもしれない。

というより、食べるかも、という可能性より前に。
そもそも、最近私は肉はほとんど食べないんだけど、あれを見ちゃったら、ますます食べられない。
しばらく肉は、どーでてきても食べないぞ。
食べられない。気持ち悪くて吐きそうだし、なんか自分の中の禁忌をこじ開けてしまいそうな、恐ろしさが0.1%くらいある。




2003年10月08日(水)

食糧危機を見越して農家をやるのも怖いだろう。

一つ、なんでだろう?って思ってることがある。
戦争中とか戦後って、大都市ではホントに食べ物が無かったと聞く。
でも、農村にはあったらしい。当時は第一次産業従事者が多かったのだから、この説には得心が行く。
流通が悪かったということなのだろう。

人が鈴なりにしがみ付いている列車の写真や、祖母の形見の着物を泣く泣くイモに変えたとか、その時の農家のおっさんの態度が傲岸不遜でそれがトラウマで、農家に嫌悪感をもっているって人の話も読んだ事有る。

つまり、何が言いたいかというと、"農作物泥棒はいなかったの?"ということ。

満員列車で農村地帯に買出しに行くんなら、それに乗っている人みんなで勢いつけて畑になだれこんで、片っ端から毟り取り、農家に乗り込んで家人を殺さないまでも縛り上げて、根こそぎ奪って逃げれば良いんじゃないだろうか。

食い物が余っている現在に、コメとかさくらんぼとか梨とかの盗難のニュースがあるのに、食い詰めてた時代には無かったのかしらん。

ニュースにならなかっただけ?

でも、祖母に聞くと、彼女は東京に住んでたんだけど、少しでも食べ物を作ろうってことで、河川敷の畑を借りて、なんやかや育ててたのね。
家から15分くらい歩いたところの畑。当然監視なんか出来ない。

聞いたら、「盗られたことはないわね。そういえば。近所の話でも聞いたことがない。」

うーん。信じられない。

なんで?欲しいものがあって、絶対欲しいのに、なんで盗らないの?なぜだなんでだ?
全然わからない。
って、疑問に思うこと自体が変?どっか壊れてる?
でも、ホントに疑問。

前に考えた事あったんだ。
これからは、食料が足りなくなる時代が来るかも知れない。
庭がある家が必要だ。そーしたら、なんか野菜作れるかもしれない、なんて。

無理だと思う。
食糧危機の時代になったら、もう根こそぎだと思う。
きっと、実がなっても食べられない。
マンションのルーフバルコニーのほうがまだ安全かなぁ。でも雨どい伝って上から盗みに来ることも考えられる。
(ぶつぶつぶつぶつ・・・・。それにしても不毛な想像遊びだ。)

食糧危機を見越して農家をやろうかと・・・という話も聞いたことがあるけど。
死ぬよ。
標的だもの。討ち入られるに違いない。武装集団でも雇って畑守らないと、収穫なんて出来ないと思う。

昔のほうが人間として優れていたとは思わない。
優れた人間ならば、次代の教育もちゃんと出来る筈だからだ。

きっと、世界の仕組みが変わったということなんだろうと思う。
奪うこと。

囚人のジレンマだったか。
裏切り戦略は一定数以上増えると、お互いを淘汰してしまうので、進化上好ましくないんじゃなかったっけ?
やっぱ、末期?




2003年10月05日(日)

導火線には火がついている匂いがする。

本の感想で書きたいネタが溜まっているのだが・・・。
週末かなぁ。大体固まってるんだけど、何か気持ちが落ち着かない。
というほど、大したもんじゃないけど、楽しみなのだから、書きたくなるまでは書かないようにしている。
努力目標になってしまったら、自分がつらいから。

えっと、話を戻す。気持ちが落ち着かないってとこまで、は行った。

世間も静かなんだけど、導火線には火がついている匂いがする。
衆議院選挙が終われば、自衛隊員はイラクに行くだろう。
多分死人が出る。

そう有らないで欲しいと言いながら、ほとんどの他人は、そのニュースを待つだろう。
道頓堀に飛び込まないでといいながら、カメラはベストアングルにちゃんと設置してある。と、同じようないやらしさを感じる。

年金制度はまたいじくられるだろう。
消費税は何パーセントになるのだろう。

停滞の匂い、どよんと水草が生臭い匂いがする。

吹き飛ばしてしまえ。リセット願望が暗く沈降する。
プレートの軋みが溜まっている。どっかの地殻がまた崩れて、地震が起こる。
停滞より、不幸のがまし。という破滅願望が後押しをする。

海をわたって、アメリカ。
大統領選までは、気合でヤクぶちこんで、なんとか持たすだろうけれど。
選挙後はあんまり考えたくない。一気にCRUSH!という可能性も、そーいわれればかなり高い気がする。国も人も債務を抱えすぎている。
そもそも、軍事で支配するようになったら、覇権国としてはもうお仕舞いだ。

乾いた風に錆びた看板がきしむ音がする。

中国はまだまだいけるだろうけれど。
徹底したプラグマティストに資本主義をぶち込んだら、もーどうしようもなく、突っ走るに違いない。
老子だとかその他思想家とか、儒教とか、収集雑多の宗教とか、社会主義とかの、人工的な歯止めがないと、中国人はどこまでも、自分の利を求めて躊躇がない、という気がする。
猛スピードで走る車は、ひっくり返ると、そのスピードの分、ばらばらに砕ける。

中国からはそんな、レースのエンジン音が聞こえる。

すっごーく、感覚なんだけど。
平和ではない静けさって、嫌な感じ。

動いていない気がするけど。
地球は自転していて、飛行機乗ってるとスピード感がなんとなくわかるけど、すごい速さで、今、自分は動いている。
公転もしてて、自転よりもっと凄いスピードで、真っ暗な宇宙空間を疾走している。

空気も地球もいきなり消えて、私の意識とスピードだけが残ったら、それはまさに、高速で宇宙を走り抜ける流星のようだろうと思う。
いっそ人魂となって、身体も摩擦も重力もニュートンも地球もアインシュタインも、全ての制約から解き放たれて、宇宙を走ってみたい。

止まってるようで止まってない。
宇宙は動いているし、細胞は死んでいく。
まわりは勤勉なのに、意識はどーして成長しないのか。




2003年10月04日(土)

漫画喫茶最高!!

漫画喫茶最高!!
家にあるのが5年前のノートなので、しょぼい文章とかはともかく、EXCELとかのでかい表での作業はきつい。
あと、長文も書いてると疲れる。キーの奥行きがないんだもん。

最近、漫画喫茶にもEXCELとか入ってくれて、お茶も飲み放題だし、食べ物持ち込んで、 CDも持っていって、仕事し放題。飽きたら、WEBみたり、雑誌読んだり・・・この世の楽園だ!
住みたい。(それにしても、休みの日に漫画喫茶で仕事とは。私も落ちぶれたものだ。)

私が金正日かマイケル・ジャクソンだったら、家の庭に漫画喫茶とABC作るな・・。
私が老人になるころ、東京は廃墟になってたりするかしら。
古いビルと家具がそのままで落書きとかされてんの。

そーしたら、ショッピングバックレディとなった私は古い漫画がほこりかぶってる、漫画喫茶の片隅で夢見るように暮らすでしょう。


来週は少し暇になるかなぁ。
今が一番、さわやかで楽しい季節じゃん。

何が哀しくて建物の中に閉じこもっているのだ!って、思うんだ。
別に何するわけじゃなく。歴史も風情も無ければ、センスも無い町を散歩するだけなんだけど、それでも風が流れて、空が高くて、暑くも寒くもないと、それだけで嬉しい。

また、話は飛ぶけど。最近JAZZが好き。
前はJAZZって、どっか気難しそうで良い感じしなかった。
なんだかさー特殊な知識持ってないと聴くのを許してもらえない世界っていう気がしたのね。

相変わらず何にも知らないけど。
ここんとこ、月1くらいでJAZZ LIVEを聞くようになって、慣れたみたい。
曲とかJAZZの定義とか人名とか、ほんと飽きれるほど知らないけど、リズム感がね、気持ちがいい。
部屋でかけるCDがJAZZYなのが多くなってきてる。

拍子でもメロディでもなく、なんつーか空気感。
脳を流れに浸されてる感じ。

心臓を煽られてる、心に染みる、内省に押しやる。
のいずれでもなく、部屋に透明な水を静かに満たしていってくれるような音楽。

あいかわらず、何を言いたいのだか良く分からんが。
漂い感が気持ち良いのだ。

水音とか波音とか好きなんだけど、それに一番近い気がする。
それが私のJAZZの定義かな。水に似るのは良い酒ばかりじゃないぞ。と。




2003年10月02日(木)

カウンセリングってしんどい。

評価とカウンセリングの時期がかぶり、スケジュールも作らなきゃと、あわあわは相変わらず。
月曜日は仕事をお休み。
が、家で一日中仕事をしてました。話し掛けられずに仕事だけ出来る!めちゃくちゃ幸せ。
家にDEST-TOPでもあったら、もう会社には隔日出勤くらいにしたいなー。

家でTVか音楽聞きながらのほうが、絶対進むもん。

今日もカウンセリングを一件入れていたのだけれども、今日のはかなりやばめだった。
2時間半だよ。もう死にそう。帰りに買い物でもして帰ろうと思ってたのに、あーあ。
っつーか、相手がしゃれにならないくらいやばい。

今までのカウンセリーで、
『酒量が増えたとかアサインが気に入らないとか、上司の差配が拙いとか』はあった。カウンセリング時期以外で、呼び出しくらったり(話し聞いてよ!と声がかかること)、メールで往復書簡やってみるとか、はあった。

でも、なんつーか。
基本的に勝気の人間が集まってくるので、大体が外に向かって切れる。
むかつく!文句ぶちまけたい!と意見を発するとか、衝動買い衝動食いに走るとか。
発散ならまだ無事。

今日の人は、勤務時間が長くて疲れてるんだけど、休みたいのかどーなのか、わからんと言うのだ。
夏休みが取りたいのか、仕事の不可を減らして欲しいのか、配置換えして欲しいのか、もう考える気力もない感じ。

疲れてるのと自分の能力の無さと、今後の負荷に対するプレッシャーとで、もうぐちゃぐちゃでした。
考えがループして混沌としているので、余計仕事に集中出来ないで、悪循環。

人の話聞くの苦手だもんなー。
プライベートで人に悩み打ち明けられた事ないもの。(打ち明けた事も無いけど。)

給料出てるんだからいいじゃん。(利巧でもバカでも、そんなに変わんない額貰えるのなら、バカの方が相対的に得ってこと。)
仕事をこなせなかったら、それは任せたほうが見極める目がなかったってことで、任された側が気に病む必要はないのだ。
自分がいなくとも世界は回るのだ。
核爆弾の回路つくってるわけじゃないんだから、少々ミスしても、誰も困らんよ。

とか、いー加減なことしか言えない。

向いてないんだよ。人の話を聞くのは。
生年月日は?とか聞きたくなってしまった。ホロスコープを描いて解析なら、出来るからさー。
あのカウンセラーは占いでカウンセリングをやってるらしい、と、社内で噂になったら面倒だ。止めよう。

それにしても今回の人はやばい。
オーラが薄いっつーか。とにかく生命エナジーがゆらゆらと薄いのがわかるのだ。

明日、ちょっとしかるべき筋を探して、何とか手配してみるつもり。
先のある人を潰すのは可哀想だし、死なれでもしたら寝覚めが悪い。

真面目にかかわる人ほど、いろんな事が辛いのだなぁと思う。
私がへたれながらも、一向にノイローゼにもならず、身体に影響も出ていないのは、 (いや、多いんだって。身と心を壊すまで頑張る人。)、きっと、自分にすっごく甘いからなんだろう。

おいら、ひょっとして、自分大好きなのか?!



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