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†堕 落 し た 月 夜 の 下 で†



★2006年04月23日(日)★
失敗

今日で、6日連続出勤だった。…仕事をしてる人からしたら当たり前の話なんだけど、久々に仕事を始めた私にとって、正直ヵナリきつい状況。体もキツィんだけど、何だか仕事の内容も正直“何だかな〜”って感じになてきてる。
田舎だから仕方無いのか…ただ単にそぉゅぅ店なのか…よくは分からないけど、教え方にマニュアルが無いようで(滝汗)色んな人が何度も同じコトを教えてくれたり…未だに教えてくれないコトがあったり…教えて貰ってないのに、教えた気分で注意してみたり( ̄∇ ̄;だんだん気分が落ち込む感じになってきてるのも事実。

そんなことで?

…と思われそうだけど、誰も信じないけど…私はこぉ見えてとっても人見知りだし(笑)凄く気を遣って仕事してるのだ。それなのに、何だかその仕事の内容もィマィチ分からないし…人に因って言うコトが違かったりする感じが、私の精神をすり減らす。

それに、自分的にもチョット打ち解けたかな?なんて思ったり、仕事も出来るぢゃん!!なんて思ったりして(苦笑)だからこそ起きる油断…とぉとぉヤッチャッタ!!!!って感じ。レンヂでチンしたオニギリを渡し忘れてしまぃました(滝汗)最悪…orz
お客さんは、外人だったんだけど…きっと怒ってるだろぉな〜とか思ってみたり。
取り敢えず、引継ぎの時に分かるよぉにメモしてきたけど…明日、ォーナー&チーフに謝らなきゃ(ノ_・。)マィッタ、マィッタ。

もっと気を引き締めて、頑張らなきゃ駄目って事なんだろぉな…
多分、今日の失敗はそぉゅぅ事なんだと思う。
明日行ったら、一先ず休みが1日。。頑張らねば!!!!!


しっかし…私、週3ぐらぃの出勤で良いんですけど…?(^^;
何でこんなに仕事してるんだろぉ?(爆)






★2006年04月19日(水)★
久々に電話した

16日にアレ以来、初めてマミーにメェルした。
ジョンの話は出来なかった。
敢えて、その話はしないと決めた。
マミーはきっと私には想像もつかない程に、苦しんでるだろうから。

マミーが携帯を見てるとは思わなかったが、弟やパピーからの仕事に関する電話などで携帯を見ることはあるんだということを、すっかり忘れていた。16日にメェルをして、17日の夜中に返事が来た。

「メェル ありがと」

それだけの言葉だった。私は、やっぱりメェルすべきぢゃなかったかな?…と思った。メェルの内容は、私の日々の仕事ぶりをただツラツラと書いたものだったんだけど…そんな話聞きたくなかったかな〜と思ったりした。だけど、逆だったらしい…マミーは、必死に今を耐えてるようで…18日の夜中には、こんなメェルが届いた。

「1日あったこと、何でもイィからメェルして…頑張ってるの、聞きたいから。」

マミーの痛々しい心情が見て取れた。
たまたま今朝、5時37分にふと目を覚まし、このメェルを見た時寝惚けながら泣いた。
仕事に行く前に改めて読んで、又泣いた。

弟の仕事を手伝ったダーの健康診断書が必要になり、ダーは本日病院へ。
私は、午前中仕事に行き、2時には帰宅。ダーの診断書を実家にFAXすることに…で、案の定FAXが上手く出来ずにマミーから電話。

「久し振り…FAX、切れてるんだけど?」

そんなマミーの声は、とっても疲れていた。
FAXを送り直し、そのまま…数時間。
ダーが面接に行くこともあって、夕方ヮンズの散歩とご飯を済まし、マミーに改めて電話。内容は、FAX入ってるかどうか…からだったけど…、久々なマミーとの電話は切なかった。

やっぱり、マミーは自分を責めていた。
ジョンが亡くなったのは、自分の所為だと言ってた。でも弟も私もダーも、それは1ッ目の病院の所為だと思うし、ジョンは精一杯幸せだったに違いないと誰が見ても思うことなのだ。
それでも、マミーは毎日泣いていると言っていた。
“家族”が亡くなって、泣かない人はいないのだから…問題無いなどという、変な返事をした私。…他に何も言えないのだ。どんなに一緒に泣いても、何も救われないから…

それでもマミーは言った。
私からのメェルは、ジョンのコトが何も書かれてなくて、どんなに救われたか…と。
私は怖くて、何を言ったらイィか分かんなかっただけなのに…ね。

ジョンの最期の話なども聞いた。
泣きながら話すから、言葉は聞き取れない。
私も、ただただ「うんうん」と頷くのが関の山だった。

マミーはマミーで、ジョンの居ない生活を必死に耐えている、闘っているんだと思った。
毎晩、骨壷を抱いてしくしく泣いてみたり、昼間誰も居なくなった時に号泣してみたり…泣きすぎて、意識が遠くなり、歩くコトが出来なくなって、結局今通院している。元々血圧が高かったマミーだけど、今は常に200を越えているという。本人も、これがペットロスなんだ…とまざまざと感じていると言っていた。

私は、毎日の新しい仕事が唯一の救いだったと思う。
仕事に入る数分前に泣いていても、仕事が始まったら泣いてはいられないから…

私はマミーに、新しいヮンコを勧めた。
こんな時に?と思う人も居るかもしれないし、実際新しいヮンコでジョンの代わりが…悲しさを埋めることは出来ないけど、仔犬は兎に角手が掛かる。本当だったら、私が子供でも産むとか、弟が結婚して子供を作るとか…そぉゅぅのがイィんだろうけど、ソレは無理だから(滝汗)やっぱり、仔犬に癒してもらうことはイィことなんぢゃなぃか…とか思ってみたり。
だって、ジョンだってこんなに皆が泣いてるなんて、絶対厭だと思うんだもん。
明るくて、優しかった子だからこそ、きっと笑ってて欲しいと思うんだ。…それだからって、すぐに笑える程の“何か”は無いから…今は、“ソレ”を探してあげたい…。

取り敢えず、マミーには自分の体大切にして欲しいから…。
ロビンだって、居るしね。
因みにロビン…あんなにやんちゃだった子が、急におとなしくなってしまい…怒るようなことは何もいしないという。そして、今でもジョンを探していて…居なくなったことが理解出来てないとのコト。。何だか、ヮンコも“心”があるんだょね…改めて思いました。

失くしてから分かる家族の尊さ…だからこそ今、近くに居る家族を大事にしてください。





★2006年04月13日(木)★
悲しい別れ

結果から云うと、駄目…でした。

10日の夕方、実家に電話したらパピーが出て…「ジョンどぉだった?」と聞くと「ジョンは駄目だ」と言った。「駄目って?死んぢゃったの?」私が更に聞くと「死んでないけど…駄目なもんは駄目なんだよ…」と言うので「嘘?」と聞き返した。嘘であって欲しいという切なる願いだったのだ。しかしパピーは「お前に嘘言ってどぉなるんだよ」と、声を詰まらせた。呆然としてる私にパピーは「お母さんと泣きながら話すか?」といつもの冗談のような口ぶりとは程遠い、沈んだ声で私に聞いた。マミーが泣きながら「話せない」とパピーだか私に言っている。私も「いいよ。どぉなったのか聞きたかっただけだから…」と電話を切った。

正直、よく分からなかった。
“生きている”事と“駄目”な事…相反する言葉の意味を、私は私なりに模索したけれど…どぉしようもない虚無感に襲われ、答えを見出すことは出来なかった。
そんな理由もあってか、悲しすぎる現実を分には出来ず、日記は書けなかった。

11日、昨日と同様に私は仕事だったが、丁度仕事に行く前…弟がお昼休みなことに気付き、弟に電話してみた。弟は、ふいの電話で驚いてはいたが、すぐに察してくれて状況を話してくれた。
10日の段階で、ジョンは【脳死】だったらしい。起き上がる事はおろか、病院の生命維持によって生かされてる状態との事。先生曰く「生き物だから100%有り得ないとは言い切れないけれど、元に戻るのは99%無理でしょう」だった。
私の仕事の時間が迫っていたので、弟は詳しい話をより簡潔にまとめ、私が聞きたかった話を一通り話してくれた。私は5分後に仕事に出なきゃいけないのに、車の中でジョンを想い、泣いた。

仕事から帰ってきた、その後の我が家はとても暗いものだった。
終始、ジョンの想い出話をしては泣くと云う、悲しい螺旋を描いてた。私もダーも、言い知れぬもどかしさと悲しみに耐えるのがやっとで、チョッパーがその雰囲気に押し潰され、少し調子が悪くなってしまったようだった。
夕飯も食べ終わり、我が家のヮンコの手前も考え、出来るだけ普通にしていたが…夜9時頃だっただろうか…弟から写メがきた。其処に写し出されたのは、紛れもなく“最期”のジョンだった。
【永眠】とあった。しかし…写真の良い所なのか悪い所なのか、ジョンはとても毛艶が良く、いつものようにただ、眠ってるだけにしか見えない。いつものジョン…そんな風にしか見えないからこそ、余計に悲しく思えるのかもしれないと思った。
それでも、弟には感謝だった。
最期の姿が見られることは、受け止めなきゃいけない現実を突き付けられることなのだ。それが供養にもなると思われる。私には、その想いでジョンにお別れを言った。ダーと、今から実家に行くか?って話もしたんだけど…何となくやめた。

夜、11時半頃、弟に電話した。
メェル有難うって。
弟は、か細い声で今日、家に連れてきた経緯を教えてくれた。
ジョンは、病院で生命維持されながら一時一時と悪くなる一方で、血便血尿になり、手足への末梢血管が全て破裂してると云う状態の中、生かせてる意味があるのか無いのか…それでも、生きてて欲しいと思う家族の想いと、辛い現実。結局、可哀想に思い、生命維持を断念したとの事だった。ジョンは頑張ったんだな‥とっても。
「二晩も1人で頑張ってたんだもん。今日は最後に、大好きなお母さんと一緒に寝るんだって」
と弟は言って嗚咽した。…弟とマミーは、一晩中ジョンの傍に居たらしい。

そして12日、ジョンは荼毘に付された。

私は自分自身、ジョンを思い出すと涙が出てくる。
どうにもならない事は分かってるけど、1ッ目の病院が適切な診察をしてくれてたら、今もあの笑顔で周りの人間を癒してくれてた筈なのに。

何十年とヮンコの訓練士をやってる人がジョンを「こんなに賢くて良い犬はいませんよ。人間の顔色を見るなんて、優しくて、遠慮がちで…」と言ったことがある。
パピーとマミーが喧嘩すると、その間をウロウロして仲直りを促したりすると言ってた。滅多に怒られないジョンだけど、怒られると1日中自分のベッドで反省したり。
ロビンが来てからは、ジョンも色々大変だったんだと思う。ジョンに比べると、ロビンがあまりに悪い子で…ロビンを怒っても、ジョンがビクビクしたり。ロビンのやんちゃぶりに辟易してたことも多々あった。それでも、ロビンが病院に行ったりして家に居ないと、ジョンはロビンを待ち続けてたという。本当に優しいヮンコだった。
我が家でチョッパーを飼い出してから、ジョンは私達に気を遣うようになった。もう、自分だけのモノぢゃない事を分かっていたんだと思う。めっきり甘えてこなくなって、結構寂しかったんだよ。
そんなチョッパーは、ジョンに色々教えて貰った。良い子にしてると美味しいことがあるとか…お座りしたり、伏せしたり、オモチャで遊ぶことが楽しい事もジョンが教えてくれたんだった。初めて逢った時のジョンは、チョッパーを怖がっていたけど今では仲良しで、我が家に来ると一緒にチョッパーの散歩に付いてゆくのを楽しみにしてたっけ。
チョッパーがジョンのように、私達の気を遣ったりする良い子なのはジョンのお陰なんだ。チョッパーのおねだりポーズは、まさにジョンだから…チョッパーを改めて見れば見る程、ジョンから教えて貰ったんだって事がよく分かる。そして、それが今、少しずつキラにも受け継がれてるような気がする。ジョンが、どんなヮンコよりも賢かったって、私は知ってるもん。絶対忘れない。
平和主義でキラがロビンを追い掛け回してもォロォロしてて参戦出来ないことも、食いしん坊でお座りしながら涎がダラダラ垂れてることも、寝てる時の寝言や鼾がうるさいことも、散歩中に他のヮンコが来ると後ろに隠れることも、普段はボールで水を飲んでるのに外の蛇口からは豪快に飲むワイルドなことも、いつでも1人ぢゃ居られない甘えん坊なことも、夜は怖くて一人でォシッコに行けないことも…大きな体をゆっさゆっさと揺らして歩く、そんなジョンを私は愛しくて、愛しくて大好きだった。



姿は無くなっても、大好きなお母さんの傍にきっとずっと居るんだろうな…ジョンは、そぉゅぅヮンコだもんね。だから私が遊びに行っても、大喜びで迎えてくれる気がするんだ。
ジョン、有難う。
…穏やかに、のんびりして下さい。


こんな失意の中、メェルをくれたのはヒーくんだった。
タイミング良いよな〜
いつも思う。
「支えてあげるから」とか、今の私にはヵナリ有難かったりする。
“気分”なんだよね。多分。依存症って、こんなんだよね…弱い自分。

でも、妊娠するには“ドキドキ”が必要なんだって(笑)恋は“もってこい”なんだって(爆)まぁ、ジョンの事でそぉゅぅ気持ちにはなれないけども…切り替えしていかなきゃな‥
因みに、10日から働いてます。某大手コンビニでのパートなんだけど…ね。今日は休み。明日は初めて朝8時から入ります。昼1時からとは雰囲気違うだろぉけど…ガンガリマス♪
切り替え、切り替え…

























★2006年04月09日(日)★
ジョン倒れる

昨日ゎ先週に引き続きダーが、弟の仕事を手伝いに行っていてそのまま泊まる事
に(私の実家に)。で、今日パピー&マミーと一緒に帰ってくるって話だった。
だけど、今朝ジョンが倒れたことで実家ゎ一気にバタバタした。

ダーの話に因ると、ダーが8時に起きてきた時点で、既に大変な事になっていた
という。

元々ジョンゎ、小さい時から“癲癇(テンカン)”持ちで、病院に連れて行ったり
していた。でも、その病院でゎ「癲癇なら、定期的に来る筈だから」と言われ、
そのまま何もしなかった。

確かに、ジョンゎ定期的にゎ倒れず…1ヶ月に1回が続いたと思えば、3ヶ月も
倒れなかったり。倒れ方も毎回(若干)違いがあったりしていた。
去年12月に倒れた時に、マミーが痙攣してる時間が長くなっていることに気付い
たらしい。痙攣してる最中も意識がある事が少なくなり、痙攣後、意識が朦朧と
してる時間も確実に長くなっていた。

それでも医者にゎ、これといって手立てがないと言われ、マミーゎ1人、原因ゎ
何なのか考えていたらしい。勿論、答えが出る訳でゎなかったのだけども。。
其の医者も、20年以上、実家のヮンコ達が代々通ってる医者で、かなり信用して
いた。ただ、チョッパーの足の怪我の時にあった不信感などもあり、他の病院に
行く事を去年辺りから言っていた私。それがたまたま、日曜日の休診日にジョン
がお腹を壊し、困って電話してきたマミーに【タウンページ】の存在を教えて、
初めて病院を変更したのだった。

そして今日、ジョンゎ朝6時頃に1度倒れ、その後9時まで4度倒れた。ダーゎ
初めて目の当たりにし、その異様な状況に驚愕したと言う。
今まで1日に2度倒れる事ゎ無く、きっとマミーも驚いたと思う。痙攣してる最
中ゎ動かす事ゎ出来ず、その上、其の状態の最中から其の後に排泄を催したりす
るので、普段でもバタバタするとゎ聞いていたが、今朝ゎきっと大変な状況だっ
たと思う。なんせ、ジョンゎ40キロもある大型犬…それが1人(自力)でゎ歩けず
、少し落ち着いたのが9時だったらしい。
その頃にゎ、ジョンの体力ゎ消耗しきっていて、熱もあり、意識が朦朧としてる
ので、ダーとロビンが留守番をし、両親と弟で病院に連れていったとの事。

1度病院から帰され、取り敢えず、パピーとダーゎ我が家に向かった。
私ゎ、ダーの電話でマミーが来ない事ゃジョンが倒れた事を軽く聞いていたので
、実家に電話したが誰も出ない。我が家に着いたパピーとダーに聞いても「こっ
ち来ちゃったから分からないょ」と言われ、かなりヤキモキしたが午後3時頃実
家にもう1度電話したらやっと繋がり、マミーと話すことが出来た。

マミーの口から出る声ゎ、驚くほど覇気が無く、ジョンの病状を話ながら、時折
声を詰まらせ泣いている。私も、悲しくて泣いた。
「山場ゎ36時間。それを越える事が出来れば、大丈夫…だけどヵナリの重症故
に、覚悟して下さい。何かあったら電話するので、電話から離れないで下さい」
と。

其の先生曰く、もっと前から薬を飲んでいたら、こんな事にゎならなかったらし
いのだ。…1度倒れ、2度倒れ、と、どんどん悪くなる一方なのだと。実際、マ
ミーゎそれに気付いていたし、再三病院に言っていた。でも「大丈夫。大袈裟で
すょ」といつも笑って流され、何もしてくれなかった医者。だから私ゎ、何のフ
ォローにもなっていない事を知りながら、マミーに「病院変えただけ良かったぢ
ゃない?‥今日、あの病院に連れて行かなくて良かったょ」と言った。マミーゎ
「そうね」と力なく返した。
きっと、もっと早く病院を変えていたら…薬を飲んでいたら…とマミーゎ、自分
を責めているんだと思う。もう、話すことゎないといった感じの様子で、「家の
電話ゎ病院からかかってくるかもしれないから、何かあったら会社の電話にかけ
て」と言い、電話ゎ切られた。

大切な人が塞ぎ込んでる時に、私ゎ何も出来ない。本当に無力なんだと実感する

「先生が“出来るだけの事ゎしますから”って言うの。。出来ない事もしてよ!
!…ねぇ??…何でも…何でもするから…」と泣くマミーに、私ゎ震える声を押
し殺して「うん」とだけ言った。


今ジョンゎ、入院中で…未熟児が入る保育器みたいなのに入れられ、薬で眠らさ
れている。癲癇止めの薬も飲み、40℃にまで上がった高熱も薬で下げた。
あとゎ、ジョンの生命力のみ。

ジョン、また散歩に行こうょ。一緒に遊ぼう。チョッパーも待ってるから。

ジョン、明日の夕方、元気になって帰っておいでっ。

明日、何もなく元気になった話を報告出来ますように‥