極端なつぶやき
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2007年03月19日(月) ちょっとさみしかっただけ

いろんなことのあった週末だった。

知り合いが音楽を担当した演劇を見に行ったり、ある集会でパフォーマンスしたり、ヨガのクラスにも行ったり、今度の公演の練習もあったり。

集会でのパフォーマンスでは、一緒にやった人茜先生(仮名)にしごかれる。
厳しい。
私の未熟なところをズバズバ指摘される。
凹んだ。
でも、なんとかやり遂げた。
結果は大成功。

心地いい安堵と充実感。
今回のパフォーマンスで、また一つ人前で何か表現する時の覚悟が決まった気がする。

BFにメールした。
内容は、事務連絡と一言「この間はごめんね」というのと、「今、茜さんにしごかれてて大変、仕事でやるのはもっと大変だろうね」というもの。
まあ、事務連絡を装ったおしゃべりのようなメール。
次の日、返事がくる。
いつも通りのやりとり。
BFは何にも変わらない。

そうなんだよね。BFは何も変わらない。
ただ、私の心の位置が変わっただけ。
カウンセラーに「恋は勇気ださなきゃ」と言われて、その気になって、何回かBFに電話して、BFはなんとなく受け止めてくれて、それで満足して、その延長でお花見に誘おうと思って電話したら、忙しいって30秒くらいで切られて、そしたら、ふられモードにシフトしちゃって。。。

心とか気持ちって不思議だね。
別に何があったってわけじゃなく、今まで通りなのになー
BFに初めてバレンタインのチョコをあげてから、早3年。
1年目は結構デートに誘ったりとかして、押せ押せだった。
このままぶっちぎれ!と思っていたら、BFの仕事が忙しくなって、ここ2年くらいは恋モードは控えていた。
恋の部分は禁欲して、デートにも誘わなかった。
でも、BFが私を見ていてくれる感じはあって、満たされていた。
カウンセラーにも(こっぱずかしいけど)「愛になってきたのね」なんて言われたりして。

でも、先月BFに声が聞きたかったと私から電話して以来、また少し関係が変わってきた。
メールの感じも、今までは事務的な内容が多く、仲間という感じだったけど、本当恋人一歩手前のすごく仲のいい異性の友達って感じになってきたし、BFの返信も早くなった。

そうそう、うまく行ってたのにね。
この間は、たまたまBFが忙しくて、電話で話せなかっただけで、その前の2回の電話ではちゃんと受け止めてくれたし、私も素直に声が聞きたかったって言えたし。
そのことはなんにも変わってないのに。
ただ、この間の1回の電話の切られ方で、私の中にある悲しみとかがっかり感が刺激されただけなんだよね。

去年、2年間はホワイトデーのお返しくれなくても、全然がっかりしなかったのになー
今年は、その忙しくて切られた電話の後から、急にがっかり感が湧いてきて、、、

BFにお金がないこと、そういうお返しするとかの気が利かないことはわかっているのになー

なんか、いつも私ばかり働きかけているっていう思考のグルグルに入っちゃったんだよね。

でもね、私「今、彼氏欲しいか?」って自分に問うと、まあどっちでもいい、いなきゃいないでいいし、いたらいたでいいし、という感じなんだよね。
今、男の人とデートしてないけど、別にそれで満たされない感じはないし、ましてや結婚を焦っているわけでもない。
(つーか、むしろ結婚制度には反対)



私が欲しいのは彼氏じゃなくて、BFとのコミュニケーションなんだよね。

ホワイトデーにお返しがあろうがなかろうが、私にとって、BFはすごく心が近い人。
でも、私に侵入してこない安全な人。
そして、私を気にかけてくれている人。

BFにとっても、多分私は近い人だと思う。




たかが、1回の電話が忙しいって切られたくらいで、そんなに極端に考えないようにしよっと。。。

そして、BFとの関係を深めることを焦らないように。
大丈夫。
ちゃんと見ててくれるよ、彼は。



私はBFに忙しいって電話を切られて、ちょっと、さみしかっただけなんだよね。


2007年03月16日(金) 自分の中の期待に気付く

昨日BFに電話する。
その前にリラクゼーション講座に行って、気分がよかったから、その勢いで「夜桜見に行こうよ」なんて誘おうと思って。
あと、ホワイトデーのお返しがなかったことについて、ちょっとブーブー言おうと思って。

BFは忙しかったようで、手が離せないと言って、すぐ切られちゃった。

途端に、ネガティブ思考に入る私。
BFからは誘ってくれたことないし、メールもいつも私からだし、私がBFに何か働きかけないと何にもないんだよな。
いっつも私がBFの気持ちを探って、近づこうとして、、、
いっつも私が追いかけて、、、
バカみたい。


友達以上恋人未満って思ってるのも、私の単なる妄想、思い込みか、、、
なんて。

グルグルグルグル、BFがこれしてくれない、あれしてくれない、と被害者モード。

調子のいい時、BFといいコミュニケーションがとれている時は、別にデートやセックスがなくたって、二人の間にいい空気が流れてるからいい、BFがちゃんと私のこと見ててくれるからいいって思えるんだけどね。


あーあ、私は期待してるんだな。
ホワイトデーのお返しはもとより、BFから電話してくれたり、誘ってくれたりすること、BFからなんか働きかけてくれること。

それに気付いた。
でも、そんな自分を責めない。
そりゃ、期待するよね。
マザーテレサじゃあるまいし。


とりあえず、来年はバレンタインのチョコはなし。

自分の中の期待と、期待がはずれたがっかり感をよく観察する。


2007年03月15日(木) ホワイトデー

BFからのお返しはなし。
全然違う内容のメールはやりとりしたけど。
(BFは全くホワイトデーに関しては触れておらず)

まあ、毎年のことだけどね。


でも、ちょっとだけ期待する。
そんで、がっかりする。


BFにお金がないのも、時間がないのも、よく分かる。
分かるんだけどね。


ちょっとブーブー。


あーあ、この友達以上恋人未満の状態は自由で楽で、自分の時間が思い切り使えて、心地いいけど、こういう時はさみしいなーがっかりするなー
いつまで、この状態でいるのかな。

なんて、自分のことなのにね。

私は、これからどうしたいのかな。


2007年03月13日(火) めまい

今日朝起きたら、軽いめまい。

びびった。
私はめまい持ちで、過去に2回、朝起きるとひどいめまいがして、立ち上がることさえ困難という状態になったことがある。
嫌なこととか辛いことがあると出る。

寝ていても、天井がグルグル回る、あの症状。
本当に辛い。


今日は症状が軽かった。
会社に行ける程度。

原因は何だろう、思いをめぐらしてみる。

確かに1週間くらい風邪気味だったけど、精神的にそんなに落ちるようなことはなかった。
昨日は、あるライブに行って楽しかったし。
肩凝りがひどかったので、寝る前にヨガを30分ほどして、11時前には寝たのに。

何が原因????


思い当たるのは、最近食べなさすぎだったってこと。
風邪引いて、胃の調子が落ちているからと思い、かなり小食にしていた。
それが原因?
今日は、朝からはっさくを2つとナッツをカリカリ食べて、会社に行く。
ちょっとフラフラするけど、なんとか仕事をこなす。

ヨガ、頑張りすぎたかな?
といっても、毎日30分くらいしてるだけなんだけど、私にはハードだったかな?



とにかく、疲れてるよう。
自分では意識してないけど。

私は、努力して何かができるようになることが好きなので、とにかく頑張りすぎてしまう。
体がサインを出してくれた。


2007年03月12日(月) 諦めるって難しい

やっぱり、以前ほどではないにしても、Zさんのことを考えてしまう。

Zさんが不幸なるのを想像したり、過去のZさんの言動を思い出して、分析し続けたり。

私は、前の日記にも書いたけど、Zさんとコミュニケーションが取りたかった。
Zさんと関わりたかった。
そして、Zさんに分かってもらいたかった。
Zさんに私のことを受け止めてもらいたかった。


私のことを受け止めてくれない人にこだわる傾向があるんだよね。
それは、お母さんとの関係から来ている。
お母さんが私をほとんど受け止めてくれない人だったから、私を受け止めてくれない人に出会うとお母さんを投影して、反応してしまう。



あーあ、私って本当人と関わろうとする傾向がある。
人と一緒にいると、その人に対して、いろいろ質問したり(当り障りのないことを探し出して)、共通の話題を見つけて盛り上がろうとしたり。
サービスしてる。
相手と関わろうってしてる。


それで、人といると疲れて、一人になりたくなったり。
そんなサービス精神旺盛な自分に腹が立ったり。


でも、このペルソナがあるから、会社に勤めて、仕事して、お金がもらえる。
趣味の仲間の中にいると、こういうペルソナを持った人間は少ないけど、日本の会社ではこういう相手と同調しようとするペルソナがなければ、生きてゆけない。


このペルソナがあるから、安定した収入が得られる。
一般社会では普通の収入額だが、趣味の仲間の中ではそうとう稼いでる方。


Zさんのことを考えるエネルギーがもったないと思いつつも、なかなかこだわるのを止められない。

TPOによって、人との関わり度をコントロールしようと思うんだけど、なかなか難しい。


まあ、ボチボチ行く。

すべては移り過ぎていくし、視点によって良い面だったり、悪い面だったり。

ヨガの先生の言葉、人間のマインドは絶えず何かを考えている。何か思いが湧いてきても、その中に入らないで、その思いを観察してみて。まるで、空にぽっかり浮かぶ雲を眺めるように。そうすると、その思いが過ぎ去っていく。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あーあ、なかなか風邪が治らない。
先週は、3日連続晩御飯を抜いて、早寝。
(東洋医学の風邪の治し方ね)
それで大分よくなったけど、鼻水が出るのが治らない。

鼻呼吸ができないと、なんとなく頭が重い。
不快。。。

胃の調子も落ちていて、食欲もあまりない。
晩御飯食べなくて、ちょうどいいくらい。


もう、なんで治ってくれないの!と体に怒りたくなったり。

そんな自分をもう一人の自分がなだめたり。




頭より体のほうが賢い、私の行きつけの鍼灸師の言葉。
きっと、疲れてるってことなんだな。


体の丈夫な人が羨ましいけど、私は私、仕方ない。
無力だねー

まあ、できることはやって、あとは自然に任せるのみさ。
難しいだけどね。




Zさんのこと、考え続けてる。

Zさんはやらないんじゃなくて、できないんだよね。
思わず、私や桃子さん(仮名)のような親しい女の友達相手に興奮してしまう。
それを選んでやっているのでなくて、衝動的にそうなってしまう。
コントロールできない。

わざとやっているわけでない。
無意識なんだ。


恋人、それから男の友達、仲間の前と、私、桃子さんの前では全然態度が違うのも無意識。
自分じゃ、その態度の変化を全く認識してない。
だからって、それでいいとは思わないけど。



Zさん、孤独な人。
心の中に誰もいない人。
自己評価の低い人。
だから、人からの評価にとらわれている人。
だから、あんな風に人と意見が違った時、興奮して、相手の意見を否定してくる。



ライブ会場でのZさんのあの緊張しよう。
私と彼氏だけが知り合いで、あとは知らない人というシチュエーション(ライブが始まる前の時間)での、あの私に対する依存のしよう。
「こっち見て、こっち見て、私の相手して!」と全身で発しながら、ずっと早口で話し掛けてくる。
全部無意識。




いかん、いかん。分析はもう止め。

Zさんと一人上手く行かないくらい、たいしたことない。
この世には、たくさんの人がいる。



Zさんとのやりとりは諦める。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
書いてから、ちょっと罪悪感が。。。。

私もZさんも結局は似たり寄ったり。
欠点の場所が違うだけで。

私も相当傷だらけの、思い込みだらけの人間です。


裁判官にならないよう。。。
すぐ分析して、あれこれ裁きたくなっちゃうけどね。

まあ、私の言いたいことは、「なにさ、Zさん。人の話は聞かないくせに、人には聞いて聞いてって依存してきて、全く困った人だよ、あんた。しかも、全部無意識だから始末に悪い。」ってこと。

そいでもって、さらに言うと
「私や自分を受け入れる、意識的な人間に変わって欲しい。お母さんとそっくりで、気になって仕方ない。」

でも、どれもこれも無理なこと。
Zさんを変えられるのはZさんしかいない。
そして、Zさんは私の話を聞けない。
あまりに私が怖くて。



あーあ、諦めるのって難しい。


2007年03月08日(木) 境界線の引き方

数日前から、自分の人間関係のパターンについて考えていて、思い出したんだけど、私って爆発するタイプ。

基本の人に対する姿勢が相手に合わせよう、相手を受け止めようとするものだから、気がつかないうちに、無意識の内に限界まで頑張っちゃう。
相手を受け止めよう、相手を理解しようと、頑張って頑張って、突然切れる。
切れるって言っても、相手に怒鳴り散らすとかでなく、相手との関係を切る。
もう、一切関わりません、という態度に出ちゃう。

相手を受け入れようと頑張ってる時は、一生懸命で、自分が無理をしているということになかなか気付かない、気付けないからたちが悪い。

極端なだよね。

このパターンがZさんに対しても出ちゃったな、って反省してる。

でも、今回はカウンセラーに相談しつつ、なるべくZさんを受け止めすぎないように踏ん張ったつもりだったのに、、、
Zさんの追いかけに切れてしまった。


Zさんへの怒りや責めにはまりそうになるときもあるけど、そういう時は私とZさんは五十歩百歩だって、自分に言い聞かせるようにしてる。

私も、ある人にひどく責められた時、心のドアを閉じた、何年も閉じた。
その人が本当に怖くて怖くて、その人が血の通った、話の通じる人間に思えなかった。

私は、その人のようにZさんを怒鳴りつけてはいないし、なるべくZさんを傷つけないよう、気を遣って距離をおきたいってことを伝えて、マイミクをはずしたつもりだったけど、Zさんは怒鳴りつけられたくらい怖かったんだろうな。
人それぞれ感じ方が違うもんね。


人の世話や人のことを気にするのは、ほとほどにする。
自分のキャパを大きく考えすぎ。
私のキャパはそんなに大きくない。
まず、自分。
まず、自分の体や心に注意を向けて、世話をする。

でも、難しいんだよね。
ついつい、人のことが気になっちゃう。
長年の癖だもんね。

少しずつ、少しずつ、変えていく。

サムシンググレイト、どうか私にお与え下さい。
変えられないものを受け入れる落ち着きを。
変えられるものを変えていく勇気を。
そして、その二つを見分ける賢さを。


2007年03月07日(水) まずは自分の世話をする

昨日の続き、書いたけど、パソコンがフリーズして全部パァ。

まあ、いっか。

言いたかったのは、私とZさんの間に悪循環が生じていたということ。

私とZさんの意見が違うとZさんが興奮して自分の意見を押し通そうとする。
私が怒る。Zさんにあまりリアクションしないようになる。
Zさんが萎縮する。怖がる。
私がZさんに共感的な態度を取ろうとしないので、余計Zさんが興奮する。
ますます、私が怒る。
不満が鬱積して、メールする。
Zさん、萎縮する。私を追いかける。
ますます、私はZさんにリアクションしなくなる。



これの繰り返し。

Zさん、私がZさんの興奮口調にここまで傷ついているとは思わなかったんだろうな。
Zさんの目から見れば、私はいつも明るくて、面白くて、快活で、努力家の人間なんだろうな。
そんな私と、メールで怒ってくる私は、かなりのギャップがあったのだろう。

本当に怖かっただろう。
どうしていいのかわからなかっただろう。

一方、私もZさんの興奮口調で自分の意見を押し通そうとするところを怖がっていた。
だから、直接言えなかった。
この直接言えないというところがZさんには理解できないのだろう。
なぜなら、Zさんは自分の興奮口調で意見を押し通そうとするパターンを認知していないのだから。
Zさんは自分のことを臆病者と思っている。


昨日の繰り返しになるかもしれないけど、今回のことで私が学んだのは、コミュニケーションをしない人間がいる。やりとりをしない人間がいるということ。
そして、たえず自己評価と他者評価は一致しない、ずれるということ。
人間は自分に甘い、自分が一番正しいと思いたがるということ。
(私にしろZさんにしろ。)

自分が正しいはずという執着を手放すのは難しい。
でも、手放さなければ前に進めない。
本当に勇気がいること。



それから、私は人を理解しよう、分かり合おうとする傾向の強い人間だということにも気付いた。
時に、それは相手によっては重く感じられる、負担になる。
特に、やりとりをしない人にとっては。


自分を守るためにも、相手がどのくらいやりとりする人が見極めて、関わっていく。

今まで、私の中にコミュニケーションしない人という引出しがなかった。
そんな人がいるとは思ってもみなかった。
でも、今回Zさんとの関係で、その引出しができつつある。

自分と他人の意見が違うと、自動ドアのように閉じて、相手を否定してくる人がいる。
やりとりしない人がいる。




いかん、いかん、まだまだZさんに対して怒ってるんだね。
Zさんを責めたいんだね。
本当に何回でもZさんがやりとりしない、人の話を聞かないということを強調したいんだ(笑。



あーあ、一生懸命、私は人の話を聞き、理解しよう、人を受け止めようとしてきたもんね。
自分のことをないがしろにしてまでも。

もういいよ。
まず、自分の世話をしていいよ。
4月にある声表現の舞台では、それを目標にする。
まず、自分の世話をする。
まず、自分が観客に対して、開いて、表現していくこと、ベストの状態で声を出すことを大事にする。
人の世話をしない。
人に何か上げなくていい。
そんなに余裕ないもんね。


2007年03月06日(火) 長く話さないようにする

昔、カウンセラーに言われたこと。

ある人(自助グループで知り合った人)とのことを相談していて、
花子さんと共依存状態になっている。
花子さんは今betyさんに自分のお母さんを見ている。
なるべく、花子さんとは長く話さない方がいい。

このなるべく長く話さない方がいい、というアドバイスは有効だった。
距離を置いた方がいいと言われるより、具体的で実行しやすい。

周りを見渡してみると、Zさんのようなパターンを持った人(自己・他者受容能力の低い、自分の意見と他人の意見が違うと興奮して、相手の話を聞かなくなる)は結構いる。

※あっ、でも、だからといって、そのパターンを持っている人を見下しているわけじゃない(つもり)。
私だって、不完全だもんね。

Zさんパターンの人に反応しやすい、そして、はまって依存関係を作りやすい私。
このカウンセラーの「長く話さないようにしたら」という言葉をいつも念頭に置いて、その人達と接しようと思う。

Zさん以外にも一人、似たようなパターンの人がいて、依存関係になりかけたけど、Zさんで学んだことを生かして、なんとか距離を置いている。
上記の人は、会う頻度が少ないし、年も家も離れているし、Zさんと違って、距離が置きやすくて助かった。


もう今更言っても仕方ないけど、Zさんは私に萎縮していたんだろうな。
その場で言わずに、後でメールで言う私が怖かったんだろうな。
(というか、本人もはっきりそう言っている)

はぁ、私がZさんに直接言い返すことができていたら、、、

他の人といるZさんを見ると、かなり気を遣って、相手と話しているのが分かる。
多分、あのZさんの興奮は私にだけ見せるものだろう。
そして、Zさんがあんなに興奮するのは、私が怖いからだろう。

Zさん、私と仲良くしたい、私と関係を保ちたいと思ってくれてたんだよね。
でも、私はZさんへの怒りが強くて、Zさんにそれを言っても、Zさんはああいう自分に自信のない人だからコミュニケーションがとれないし、困っていた。
だから、距離を置こうと、Zさんに対して、あまり反応を返さないようにしていた。
(続く)


2007年03月05日(月) 私のことを怖がる人

Zさんその後。

去年の12月に一度、Zさんから私に話し掛けてくれ、少し関係がほぐれたかな?という気がしたが、土曜日久々に会ったら、二人の間にはいつものピリピリ緊張感。

私は、以前ほどではないけど、相変わらずよくZさんのことを考える。

BFにZさんと関係が悪いと打ち明けてからは、大分Zさんをめちゃくちゃにして滅ぼしてやりたい、という気持ちは薄れた。

サークルの集まりで、必要な事務的なことを私がZさんに聞いても、固まって答えてくれないZさん。
なのに、私が他の人と話していて、私の意見が自分の意見と違うと、「いや、それは違う」と話に割り込んでくるZさん。

全くもってコミュニケーションが難しい。

ここ数か月で考えた、気付いたことは、Zさんには自己を観察する自分がいないんだってこと。
あー今私はこの人に嫉妬しているな、とか、今私不安を感じているんだな、とか、自己を観察して認知する自分、自己の感情を言語化する自分がゼロに等しい。
無意識の人、無意識で人と関わる人。
自分とつながってない人。
だから、人ともつながれない人。
自分を認知し、受容する力のない人。
だから、人の気持ちを理解し、受容する力のない人。
自分とコミュニケーションしない、できない人。
だから、人ともコミュニケーションしない、できない人。

私は、Zさんのこういう面を憎み、軽蔑し、嫌っていた。
そして、できるものなら変わって欲しいと思っていた。

でも、最近カウンセリングやヨガで、このZさんの自己受容、他者受容能力のなさを責める気持ちがストレスを生んでいる、苦しみを生んでいることに気がついた。

さらに、私がZさんの自己・他者受容能力の低さにこんなにも反応するのは、Zさんに母を見ているからだということにも気が付いた。

母にそっくりなZさん。
母も自分に自信がなく、いつも人の評価を気にしている人だった。
自分が大嫌いで、他者への不信感でいっぱいの母。
父に暴力を受ける母。
恋人から言葉の暴力を受けるZさん。
それでも後から謝ってくるから、付き合ってるというZさん。
友達があまりいない母。
Zさんもあまり友達がいない。
やりたいことがほとんどない母。
私や他の兄弟を受け止めることなく、ただ自分を安心させるような人間になって欲しいと求めてくる母。
世間体ばかり気にして、自分がない母。

Zさんと母は人を受け止めることなく、他人に依存して、求めてくるばかりのところがそっくり。
でも、やりたいことがあまりないというところは似てない。

母親を助けたかった、母親を変えたかった、私の中にある強い強い欲求。
でも、それは無理なことだった。
諦めざるを得なかった。

母を助けられなかった、その自責の念、悔しさがZさんに向いたのだと気付いた。

母への怒りがZさんに向いていたのだと気付いた。

私が、自己・他者受容能力のないZさんを心の中で責めつづけたのは、Zさんに変わって欲しかったから、Zさんに変わって欲しかったのは母に変わって欲しかったから。

もう、Zさんを責めない。
Zさんを責めつづけるということは、Zさんと関わるということ、Zさんにエネルギーを向けるということ、Zさんに近づくということ。
それはしない。
今は距離を置く。

Zさんと母親は別の人間。
似ているところがあるけど、全然違う人間。
年齢も体型も声も顔も全く違う。

私はZさんを助けなくていい。
私は母親を助けなくていい。

母親と距離が取れたんだから、Zさんともとれるはず。




まあ、それにしてもZさんにああも怖がられるのは、すごいストレスだけどね。



今回のことで、たくさん学んだ。
人と関わる時、相手にどのくらい自己・他者受容能力があるか、見極めて関わることが必要だってこと。
自分には、自己・他者受容能力の低い人に反応する。低い人を責める傾向がある。
私には、受容能力の低い人を見下す権利はない。
それは傲慢なこと。
私だって、そんなに高いわけじゃない。
本当に受容能力が高ければ、Zさんのことを受け止めることができたはず。
自分にも、Zさんのような要素(人のことは受け止めないけど、自分のことは受け止めて欲しい)があるから、こんなに反応する。

私とZさんは五十歩百歩。
五十歩百歩だからこそ、私はこんなに反応する。
ZさんはZさん。
私とは違う人間。私とは違う人格。
今は関わらない。
距離を置く。
Zさんを責めない。
そして、自分を責めない。


私は母親を助けなくってよかったんだよ。
自分を幸せにするのは、その人しかできないことなんだよ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
Zさんと付き合うの、本当に難しかった。
私に対して、こっち見て、話聞いて、と依存してくるかと思えば、私の意見とZさんの意見が違うとすごく興奮して、自分の意見を強い口調で押し通そうとするし。

Zさんの人格の一貫性のなさに振り回されていた。

私は人のきつい口調に反応するところがあって、Zさんのその興奮して、自分の意見を押し通すところが本当に嫌だった。
怒っていた。

そういう意味でも、本当に距離を置いたことはよかったんだ。
近づくと互いにマイナス面が出てしまう関係だったんだ。


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