極端なつぶやき
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2006年08月30日(水) 思い出し怒り

疲れてくると、昔の嫌な思い出ばかりが溢れてきて、怒りたくなります。
私に嫌なことを言った人をこてんぱんにやっつけてやりたい衝動に駆られます。
もう何年も昔のことなのに、過去の記憶がリアルに迫ってきます。

記憶がリアルに蘇る

その時の相手の嫌な言葉、態度が迫ってくる感じになる

怒りと恐怖

自分を守りたい、相手を打ちのめしたい

物にあたりたくなる、もしくはあたりたいと思っている自分を意識する余裕もなく、物や自分の体にあたってしまう

このループに何年、はまり続けたことか。

人前ではいい子、一人になると思い出し怒り。

怒りを表現できない私。
怒っている人を引き寄せてしまう私。

母親が私の怒りを受けとめてくれない人だった。
母親自身がしょっちゅう怒っている人だった。
人間に対する不信感でいっぱいの人だった。
忙しそうで余裕がなくて、抱きついていったり、甘えたりできなかったな。

そこから何でも一人で抱え込むようになってしまった。
人を信頼することや人と繋がることがわからないまま育ってしまった。

ここで、母親のせいにするのは簡単だけど、そんなことしたら被害者で人生が終わってしまう。
それは嫌。
母親からの影響は確かにあるけど、でも今の私は大人で、自分の人生に対する責任がある。
私は力を持っている。

この思い出し怒りのループとも、少しずつ距離がとれてきた。
ループがグルグル回りだしても、巻き込まれる時間が少なくなってきた。
あっ、今ループに入ったんだなって気付くようになってきた。
なにより、このループを作り出すのも自分なら、止めるのも自分。
私はこのループを止めれるってことに気付いた。
そして、このループに入ってしまう自分を許そうとも決めた。

思い出し怒りのループに入りそうになるたび、自分に言う。
「それはもう終わったこと、過去は学んだらもう終わり。過去はなんの力も持ってないよ。持っているように思えたとしても、それは私が力を与えただけだよ。
過去はもう終わり。
私には今があるよ。
どんどん、どんどん新しい時間が私に与えられてるよ。」って。


2006年08月25日(金) 池ような生き方、川のような生き方

今週は、会社と家の往復で終わりそう。
今日あたり、ライブにでも行こうかな、なんて思ってる。
人と話すのは会社にいる時だけで、あとは一人でいることが多い。
一人でいると、人間関係のことをいろいろ考えてしまう。
やっぱり過去、人から言われた嫌なことばかり思い出して、怒りが生々しく湧いてきて、物にあたりたくなる。
まあ、いつものことなんだけど。
でも前と違うのはその思考パターンを自分で変えることができると気が付いたこと、その思考パターンは手放すと決めたこと。

私のこういう面のプラスとマイナスをあげてみると
<プラス面>
*自分や起こったことにしっかり向き合っている。逃げてない。
*感情を垂れ流しにしない。
*相手と自分が違った時、すぐ相手を否定して、自分を安定させようとしない。
*内面を大事にする。
*自分の気持ちを人のせいにしない。
「あなたが私を怒らせる。」のではなく、「私があなたに怒っている。」
*誠実。
*共感能力が高い。
*自分や人をよく見ている。

<マイナス面>
*頭でっかち。
*考えすぎ。
*嫌なことばかり覚えていて、なかなか人を信用しない。
*自分の気持ち、考えに自信が無い。だから、人の考えと自分の考えが違った時、自分のことを言うのが不得意。
*自分の側から見ることは得意だけど、相手の側から見ることは不得意。
*人に関わろうとしすぎ。
*人のことを考えるあまり、自分の欲望に鈍感になりやすい。

最近の課題は、相手や状況によって、どれだけ人と関わるか、自分を見せるか選べるようになること。


◆◆◆◆◆
明日、声表現の舞台のリハがある。
腰の骨折の後遺症でなかなかお腹に力が入らない。
明日のリハに直接行って、演出家に今回は出れないと伝えようかと思っている。
残念だけど、仕方ない。
なんせ、骨折だもんね。
演出家がどう思うかが心配だけど。。。



◆◆◆◆◆
今週は、毎日30分以上歩いたので段々と体調が回復してきた。
やっと少し外に出れそう。
体調がいいとやっぱり精神的にも楽。
嫌なことを考える時間も減る。


◆◆◆◆◆
<ある本より引用>
「池のような生き方」という例えがあります。流れのない池のような生き方とは、かたくなで物事や人など、すべてに抵抗する生き方です。抵抗していると先に進めないため、いやだいやだと言いながらも同じところから動けなくなります。
一方、「川のような生き方」というのがあります。川には流れがありますから次々と状況を変えられるため、いやなところにとどまりたくないのなら、流れていくことができます。

相手を受け入れるのは、我慢とは別のものです。「今こういう状態なんだ、そういうこともあるものだ」と、評価を加えずにただ受け入れるのであって、相手のすべてを無理して好きになることでもなければ、感謝することでもありません。そこにいる相手を受け入れなければ、自分もまわりも変わらないのですから。
あなたが川として生きるのか池として生きるのか、それを選ぶのはあなた自身です。


2006年08月24日(木) 思うようにならない体

<ここ最近の体の変遷>
6月末に胃腸の調子がメチャクチャ悪くなった。
きっかけは、グァムに社員旅行に行ったこと。
グァムの食事は、全く私に合わなかった。
毎晩豪華なホテルのバイキング、昼はハンバーガー。
油っこい肉料理、白いパン、甘い甘いお菓子。
とにかく、油と白砂糖のかたまりのような食生活。
普段玄米を食べ、味噌汁、納豆と大豆製品と野菜が主食の私の胃腸には、あまりにヘビィな食事。

加えて、グァムのきつい冷房。
ずっと社員の人といるというストレス。

帰国した日は何にも食べれず、会社を早退させてもらい、昼から次の日の朝まで寝つづけた。
(帰国した日に成田から会社へ直行、仕事という強行軍のスケジュールだった。)

そのころ、ある食事療法を知り合いのブログから知る。
そのブログに書かれていた劇的な効果に惹かれ、やってみることにする。

朝はフルーツだけ、一日の食生活の7割を生野菜とフルーツにする。
炭水化物とたんぱく質は同時に摂らない。
簡単に言うと、こういう食生活。
試みて2か月。
今まで東洋医学を信じてやってきた私なので、生野菜、果物は冷えると信じて、あまり食べなかった。
でも、今のところ、そう冷えも感じていない。
体は軽いし、痩せたし、いい感じ。
炭水化物が好きなんで、朝たまにパンを食べてしまうけど、あんまり気にしないようにしている。

同時に、6月半ばに合気道の稽古で、右の腰骨を2本折っていた。
気が付いたのは、7月の終わり。
しかも、膝が痛いので、スポーツクリニックで自分に必要な筋トレを教えてもらおうと思い、行く。
ちょっと腰も痛いと言ったら、医者がじゃあ腰もレントゲン撮ろうと言うことになり、骨折が発覚した。

知った時は、本当にびっくりした。

折った時は、すっごく痛くて、ヨロヨロゆっくりしか動けなくて、ひどい打ち身だなーと思っていた。

しばらくすると、治ったんで、また合気道に行った。
でも、日常生活は大丈夫でも、受身を取ると、やっぱりまだ痛かった。
また、休んだ。

で、今度こそ大丈夫と思って、ガンガンお稽古していた時の骨折の発覚。

なんか、凹んだよ、俺。
私、体に敏感じゃなかったの?って。

ごめん、体。
気が付かず、酷使して。
って気分。

あれから、1か月弱。
なんか、腰の調子が悪い。
私は声を使ったパフォーマンスをしているんだけど、これが上手く行かない。
これが一番辛い。
この何年か、頑張って練習してきたので、ここで練習を休んで下手になるのが怖い。

つーか、10月の始めに自分にしては、大きな舞台があって、それに出ることにしてるんだけど、このままじゃそれを断わらないとダメかな、、なんて思っていて、、、
それも辛い。

なんか、お腹がスカスカする。
力が入らない。
毎日、腹筋しているけど、骨が折れたところが鈍痛がして。

食事療法とお腹に力が入らないことが結びついているのだろうか。
前のように、東洋医学の推奨する食事に戻した方がいいのだろうか。
でも、先日鍼に行ったら、胃腸の調子はいいと言われたし。。。
ちょっと悩んでいる。

今週は、何にもやる気が起こらず、仕事が終わったら、一駅歩いて、家に帰って12時前に寝ている。

こんな時もあるんだろうけど、不安だし、
みんなに置いていかれるんじゃないかと、心配。

ここまで書いて思ったけど、私はこの調子の悪さを自分で何とかできるって思いたいんだ。

でも、ここまで書いて分かった。
体は自分の意志の力ではどうにもならない部分がある。
ある鍼灸師の
「体は一番近い自然」という言葉を思い出す。

私は、この調子の悪さを受け入れたくなくて、あがいてるんだな。

私は宗教を持たないけど、自分を超越した大きな力祈りたい。
私が今の状態を受け入れることができますように。
調子の悪い自分を責めずにいられますように。


2006年08月23日(水) 怒りとか憎しみとか

ある人をボロボロに破滅させてやりたいほどの怒り、憎しみ。

溢れてくる。

その人に不幸がふりかかればいいのにと、気がつくと考えている。

ほとんど、いつもその人のことを考えている。

考えつつ、私がもっと上手くやっていたらと自分を責めている。

ああ時間もエネルギーももったいない。

ドス黒い気持ち。

その人に言いたい。
それって逆ギレなんじゃないの?
そうやって、感情を垂れ流しにできるその人が羨ましい。
人と自分が違った時、いつも相手を否定できるその鈍感さが羨ましい。
同時に軽蔑する。

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<今読んでいる本からの引用>

今この瞬間、過去にとらわれずに、今のこの人を見よう、という癖をつけてください。さあ、たった今試してみましょう。その人のよいところ美しいところを受け取ろうと心に決めましょう。そうして迎えてあげたなら、その日だけでも相手との関係が違うものになります。毎日は、今この瞬間の連続です。その訓練が大切なのです。

うらみつらみは過去についてのものでしかなく、決して現在についてではありません。

今日、自分のマインドのパワーを、あなたが嫌いな人と、その人の振る舞いに向けてください。あなたが、彼らと彼らの振る舞いを信頼し始めると、一見悪意に満ちた行為でも、あなたにとってうまくいくと感じ始めます。「信頼」は、あなたとその状況を前へ進めてくれます。
その人を思い浮かべるときはいつでも、「信頼」を送ってください。どうしたら状況がうまくいくかなんて、あなたが知る必要はありません。それはあなたの仕事ではないのですから。あなたの仕事は、平和を感じるまで「信頼」を送り続けることです。そのとき、何層もの違った感情を通り抜ける感じがするかもしれません。もしそうであれば、それは癒しそのものです。そうならなかったとしても、「信頼」は癒しをずっと簡単にしてくれます。


2006年08月22日(火) 世界はグラデーション

昔の嫌だったこと、特に過去人から言われたネガティブな言葉に囚われて、その言葉、その口調、声のトーン、相手の表情が何回もループして、思い出すたび責められている感じ、攻撃にさらされている感じがして、苦しくて、痛くて、、、
↑↑↑↑↑↑
この思考パターンが習慣になっていることに気が付いたことを日記に書いた。
そして、それを自分で変える力を持っていることにも気が付いたことも書いた。

人を信じること、私にはものすごく難しいこと、怖いこと。
その原因は生育歴からくるんだけど。
母親がものすごく人に対して不信感で一杯の人。
でも、母親のせいにはしない、それは私が犠牲者になることだから。

だから、人が私に出すプラスのものより、マイナスのものに反応してしまう。
プラスのことはすぐ忘れるけど、マイナスのことはずっと覚えていて、それにこだわり続けてしまう。
そして、他人はみんな敵、世界は危険という、白黒思考にはまってしまう。

本当は、自分も含めて、いいところも悪いところもあるのが人間で、灰色なのに。

話は変わるけど、感情を垂れ流しにする人が嫌い。
嫌いで、羨ましい。
垂れ流せる鈍感さが羨ましい。
でも、私は感情の垂れ流しはしたくない。
自分の気持ちに鈍感になりたくない。
自分の出すものに敏感でありたい。

これから、過去の嫌なことに囚われそうになったら、灰色、灰色と唱えよう。
そして、自分に垂れ流さないよう、よくやっているねと言ってあげよう。
自分を責めないようにしよう。


2006年08月21日(月) 土曜日Zさんに会う

メールの件から、緊張状態が続いていたけど、その後私から話し掛けて(事務的なことで必要なことを)、少し緊張がとける。

でも、まだ普通に話せはしない。
集まりがあって会うと、お互い避ける。
私もZさんもお互い避けあう。
話さない。
目も合わさない。

Zさんに対する怒りは、ほとんど気が済んだ。

ただ、今は、寂しいなーと思う。
Zさんと普通に話せなくなって、Zさんが他の人と話していると、その輪に入れなくて、逆にZさんにとっても、私が入っている輪には入れなくて。

お互い緊張していて、意識していて。

いるけど、いないように振舞う。
いるけど、いないように振舞う。
お互いいるけど、いないように振舞う。

Zさんと距離をおきたいと望んだのは、自分だけど、その代わりにこの緊張。

寂しいな。

でも、近づいたら、またZさんに腹が立つんだろう。
土曜日も私が他の人と話しているのを聞いて、Zさんが笑っていて、それが嫌だった。
Zさん、その時私の言い方がおかしかったんだろうね。
でも、それだけでも、Zさんに侵入されたような気がする。
近づいてこないで!と思う私。

昔、カウンセラーに
「寂しさが個を守る」と言われたことを思い出す。

寂しいけど、これでいい。
距離を置いてよかった。
もし距離を置かなかったら、もっとドロドロして、もっとZさんを憎んでいた。

寂しいけど、これでよかった。
これ以上、ドロドロすることはもうないから。

Zさんを「もう観察するのやめな」とZさんも私のこともよく知る人から言われたことを思い出す。
Zさんとは、もう近づかない。関わらない。関わらずに関わっていく。


2006年08月18日(金) 歩き方を変えてみる

イメージトレーニング講座の先生に、歩き方と立ち方を注意される。

胸をはって、背筋を伸ばして、肩の力は抜いて。

腕の振り方がポイント
前に振るのでなく、後ろに振るように。

腰から下が足だと思って。

立つ時も、だらんとお腹を突き出して、立たない。
少しだけ、お腹に力を入れて、お尻の穴にも力を入れて、立つ。

腰が弱いのも、姿勢が悪いことが原因の一つだったらしい。

歩き方に少し気をつけるだけで、気分がシャンとする。
景色が違って見える。

舞台に立つ時も、こういう意識は大事なんだろうな。


2006年08月17日(木) 過去はあるけどない

昨日、気付いたこと。
私は、過去人に言われたことで嫌だったことを思い出して、怒って、そのことばかりに時間を割いているってこと。

私って、小さい頃からそうだった。
そうなった原因、自分でもよくわかってる。
ここには書かないけど。

そして、それと同時に気付いたこと。
その思考のパターンは自分次第でやめれるってこと。

嫌な気持ちで居続けることはないんだ、それは自分で決めれるんだ。

これはすごい発見だった。
今まで、頭ではわかっていたけど、昨日ストンとお腹に落ちた。

過去から学ぶのは大事。
起こった事に向き合うのは大事。
でも、学んだら、こだわらない。

ある本から引用

過去は終わっています。あなたがそれを持ち続けない限り、存在していません。あなたが過去を大切に抱きしめているのには、あなたなりの目的があります。ある意味では、現在の自分の行為を正当化するために、過去を使っているのです。

過去を手放すと、その否定的な影響から自分を自由にすることができます。私たちの多くは、今をまったく生きていません。もしも今を十分に生きていたら、私たちは幸せなはずです。


2006年08月15日(火) 骨折

合気道のお稽古の最中、腰の骨を2本折った。

折ったのは6月の半ば、気付いたのは7月の終わり。

整形外科でレントゲン写真を見た途端、骨折部周辺が痛くなる。

日常生活に支障はない。

ただ、私は声を使ってパフォーマンスすることが趣味なので、そっちが困る。

大きい声はやはり腹筋、腰周りの筋肉を使う。

だから、腰の骨が折れると大変。

思うようにお腹に力が入らない。

先週末、即興表現のWSに出たら、やっぱりその後調子が悪い。

まあ、ハードなスケジュールだったから、疲れたのもあるけど。

来週ライブが入っていたけど、思い切って出ないことにする。

その次の週のライブは、レントゲンを撮ってから決めることにする。

昔、リラクゼーション講座の講師が言っていたことを思い出す。
「変わらなくていいのよ。いいところを探せば。」
「あなたはあなたのままでいいじゃない。こうならなきゃいけないっていう、理想の人間なんていないんだから。」

今週と来週は、あんまりモノを考えず、体が気持ちいいことだけしよう。
とりあえず、岩盤浴の回数券を購入。

その講師はこんなことも言っていた。
「明日生きているかどうかわからない小さい自分と、世界にたった一人しかいない大きい自分の両方を生きる。疲れたときは、小さい自分に戻ってみる。」


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