K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
今までのK馬|古くさいK馬|近未来的なK馬
ふー。。。
最近けだるさが抜けません。。 ずっと披露している感じっていうのかな・・・。
そうそう、最近よく思うんですが。 てゆか以前も書いたと思いますが。
遺書って絶対必要だと思うんですよ。
人間いつ死ぬかわからんしね。
突然ぽっくり死んでしまったとして。
何も残らないのは寂しい。
まあ心の中の思い出的なものを求めろよっていう人もいるかもですが。。
残念ながらぼくは物質主義者のようで。 いや、もちろん文系的な感性もありますよ、ちゃんと。
人間のモラルももちろんわかっているつもりです。
でもやっぱり何か残したいんだよね。
生きてきた証っていうのかな。 あ、骨以外でね(笑)
だから遺書的な何かは残しておきたい。。
というわけで日記書きます(笑)
いや、手記の。
最近誰にも見られない日記が欲しくなってきたのです。 本音だけばんばん書けるような。 個人名ばんばん使えるような。 オーラル表現でいけるような。 自分だけしかわからない暗号のような。 日記が欲しいのです。。
なので、この日記はしばらくお休み。。
というか。
ここでちょっと小説っぽいの書きたいです。
そうすれば、いやでも書かなくちゃって気になれる気がする。
まあ、圧力で書かされる小説はだめだと思うので。
しばらくはぼくが初めて書いた小説の転載になるかと思います。
興味のある人はのぞいてあげてください(はあと)
ちなみに「宋襄の仁と言う」っていうタイトルです。
口コミで広めてくれると嬉しいです。
断っておきますが。。
ぼくの処女作ですからね!!
あんまり期待しないでください・・・orz
では、いずれ第1回を書きますので。。
そのときまで。
hona-☆
おひさしぶりです。
最近散財気味のぼくです。
最近はというとですね。。
普段と変わらず毎日漠として過ごしております。
そうそう、今月は行きたかった演奏会にことごとくいけないという事態・・・orz
まず、今日は東大のオケのサークルで。 ぼくが入ってるサークルの仲のいいパーカスのせんぱいが出るということで。 聞きに行くつもりだったのですが、看板製作のため断念・・・。 はー、看板作るのってしんどいですね。。 労力消費しまくりww はあ・・・。
そんで来週は20にナッチナッカーのオペラで安いのがあったんですが。 それはパート練習とチラシ配りのため断念・・・orz 22にはサンクトペテルブルク室内管弦楽団が有名なバロック曲を披露するという素晴らしいコンサートがあるのですが。 クラスの用事で断念・・・orz 他の公演は時間が合わないし・・・。 はあ・・・。
そんで23はほかの吹奏楽サークルが定期演奏会なんだけど。 1日練習で行けないの。 24はリハで。 25は本番で。 26は徹夜打ち上げの後高輪台の定期演奏会行って。 27〜29が冬期講習バイトで。 あ、多分28に忘年会があって。 30帰省して。 31、1はまったり過ごして。 2に戻ってきて。 3〜6まで冬期講習でバイト。
まったりしてー!!!
昨日は渋谷・池袋でいろんなものの買い出しに行って。 ケーキ食べて、バイトして、うまい味噌ラーメン食って。 今日は新宿でうどん食って、リード買って、クレープ食って、練習して。 何だろう・・・何かしらしてはいるんだけど。 そして楽しいのだけれど。。 やっぱりたまには実家でまったり過ごしたいという気持ちもありますね。
さあ、冬休みを頼みに12月は乗り切る!
相手の目を見れば。
相手は自分を嫌いかどうかくらいわかる。
それを知ってあえて知らないふりをするのがつらいんだ。
知ってというのがあまりに愚かな行為でもね。
闇があるってことは光もあるってこと。
なんだけど、光があるってことは闇もあるってことなんだ。
最近思うんだ、そうゆう風に。
hona-☆
最近翻訳って不思議だなあ、と思う。 翻訳者の違いによって、その作品に差が出てくるというのがとても不思議でならない。 洋書の日本語訳にしても。 古典の現代語訳にしても。 やっぱり、その翻訳者の癖っていうのが出ちゃうんだろうね・・・。 「コンテンツ」をそのままに、「スタイル」だけを変えただけなのに・・・。 面白味に大きな差が生じるというのは・・・。 なんとも不思議ではないか! そういう風に考えると。。 どんな本の翻訳をしても必ず面白くなる翻訳者とか。 誰が訳しても面白い本っていうのは存在する気がするなあ。。
どんな本の翻訳をしても必ず面白くなる作家っていうのは。 要するに「スタイル」っていうものをマスターしている作家さんであって。 誰が訳しても面白い本っていうのは。 要するに「コンテンツ」が至上の高さまで到達した本であるわけさ。 もしその2つが合わさったらどうなるんだろうとか考えてしまうけど。 そんな例はぼくは知らないので言及しません。
そんなことを芥川訳のアナト−ルドフランスの「バルタザアル」を読んで感じた次第で。 芥川の文体(ていうか近代小説の典型的なナラティブ)は好きなのに。 やはりコンテンツが好みでないとあまり読んでて好きにはなれませんね。 だから「地獄変」とか「藪の中」とか「鼻」とかすっごい好きになれるんだろうか? ってことは・・・実はぼく古典のコンテンツが好きなんじゃね? 文体は好きじゃないけど(笑) 今「あさきゆめみし」で源氏物語を読んでるけど。 内容はすごく面白いと思う。 ただ表現スタイルが・・・。 まあそもそもコミックっていう異なる媒体なんだけどさ。。 たとえば夏目漱石訳の「源氏物語」があったとしたら。 多分それはすごく好きになれると思うし。 まあ漫画もいいけどね。 やっぱり絵があるっていうのは受容するものが多い分内容に面白さが増す気はするね。 まあでも、絵があるっていうことは要するに視覚を制限することだから。 読者にリミッターを与えているに過ぎないんだけど。。 映画だったらこの視覚に加え、聴覚も代行するわけだから。 やはりどんどん受容者は受け身になっていくよね。 なんてことを映画論のレポートで書いたなあ(笑) 文学と映画はいかにして区別されるか! って感じのやつ。 やっぱり芸術ってのは純粋化が進むわけだから。 いったんは離れようとするんだよね、相互に。 でも映画なんてのは、文学・演劇・音楽・美術・・・いろんな要素に絡んでるから。 純化しようとすると、どうしても「映像」「イメージ」とかになっちゃう。 ただ、映像とかイメージとかだけで作品を作るのは難しいから。 どうしてもモンタージュを多用せざるをえない。 その「素材としての映像を再構成する能力」っていうのが映画監督の腕によって異なる。 そういう意味で小津安二郎は評価されているのかもね。。 再構成するにしたって「晩春」での壺のシーンは、再構成としてはどうなの?っていう感じではあるけど。 確かに絶妙なタイミングと間があるね。 複合的な芸術としての映画っていうのは、実は学問としてはすごく深いものがあるんですね。 そういえば、現代になるとそれぞれの芸術は歩み寄りもするんだけど。 たとえば絵画と文字が融合したりとか。 まあ、でも長くなるとあれなので今日はこの辺で。
あれ・・・最初翻訳の話だったよね?(笑)
hona-☆
2009年12月04日(金) |
I wanna be bookworm! |
最近、どうも調子が悪いです。
理由はわかっているのですが。。
片思いって体に悪いですね。 もう早く解消したいです。。
結果はどうであれ、ね。(苦笑)
勉強に集中できません。
眠れません。
感傷的になります。
2人きりになると緊張して会話があまりできなくなります。
そのぐらい好きになったのは中学2年生ぶりです、多分。
胸が塞ぐぐらいにね。
まあ、前置きはさておき。
最近読書欲が強いです。 図書館で小説ブースに入った瞬間にどれもこれも読みたくなってしまいます・・・。 てか、世界史に出てくるくらい有名な人の作品はどうしても読んでみたいって思ってしまいます。。
時間もないのに・・・。
致命的なのは、洋書にまで最近興味を見出したという事実です。
メリメエもランボーもユーゴーもロルカも・・・もう書ききれないくらいです。 とりあえず、ユーゴーの「ノートルダムのせむし男」を読みたかったのだけれど。。 なんと図書館にユーゴーの作品は「ああ、無情。」しかないとな・・・。 仕方ないから「レ・ミゼラブル」を読もうと思ったんですが。 これは・・・長い・・・!!
心が折れますよ? 流石に長編すぎるのはね・・・もっと余裕があるときに読みたいものです。
というわけで再び芥川・・・。
まあ、とりあえず、こいつ倒す(笑)
てなわけで。
hona-☆
多田K馬
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