ギクの日記
ぼちぼち書いております
2007年07月29日(日)  衆議院選挙

会社へ行く前に、ささっと投票を済ませた男。Gikuです。

選挙には行きたいけど
投票日に仕事や旅行等の用事が重なってしまって投票へ行けない。
そんな人のために 「期日前投票制度」 「不在者投票制度」 があります。
それでどうやって投票するのかは
いまさら書いても、もう間に合わないので書きませんけど (笑)



ところで、そういえば!

年金やら大臣やらの問題で、すっかり忘れ去られているけど
与党が2ヶ月ぐらい前に、参議院選挙に向けた人気取りとして
秋の祝日の 「体育の日」 「文化の日」 「勤労感謝の日」
この三つの祝日を、ひとかたまりにして

『秋のゴールデンウィーク』 を作る。

という案が与党内で浮上していたけど
あれって、一体どうなったの?

秋に大型連休を作れば、観光産業への経済効果などが
見込めるとかなんとか言っていたけど
「祝日には意味がある」 と、どこかの議員に反発されていたけど
あれって、結局どうなったの?


与党が、もし参議院選挙で圧勝したら
秋のGWを作るかどうかを、再検討する可能性とかあるのかな・・・・・。


僕は、どちらかというと
「祝日には意味がある」 という意見に賛同しているので
秋に大型連休を作るために
国で定められた祝日をずらすというのは
いかがなものかと思うんですけどね。

祝日を増やす分なら大歓迎ですけれど (笑)


2007年07月26日(木)  表記

僕はGikuです。


いつの間にか。というよりも今更なのかもしれませんが
去年公開された映画の舞台ともなった小笠原諸島の
硫黄島 「いおうじま」 の呼び方が 「いおうとう」 に変わりましたね。
さらに少し前には 「助教授」 の呼び方が 「准教授」 に変わりましたね。


さて、なぜ今更?
こんな古い時事の話を持ち出したかというと。
僕の日記にも、いつの間にか表記が変わっているものがあるからです。


気づきましたか?


たぶん、誰一人として気にしていないと思いますが


実は、日記を始めた当初は 「ボク」(カタカナ) の表記だったのですが
一ヶ月前ぐらいから 「僕」(漢字) に表記が変わっているんです。


気づきましたか?


きっと誰もが 「そんな事、どうでもいいし」
と思っていると思いますが・・・(笑)


2007年07月25日(水)  招かざる客

虫も殺せない優しい顔している男。Gikuです。
どんな顔だよ?  と思わずツッコミたくなりますね。

そんな優しい顔をしているさなか
突如、僕の部屋の秩序を乱す虫が現れたのである。

そいつの名は 『 ゴキブリ 』

○テカテカ黒光りしている体が嫌
○音もなく這い回っている姿が嫌
○繁殖力が強いから嫌
○生理的に嫌

などなど生まれながら、意味嫌われる虫である。
よく覗き込んで見ると、若干クワガタのメスに似ている。
などと悠長に分析している間にも、ゴキブリは部屋の奥へ逃げ込んだ。
このままヤツを野放しにすれば、僕の生活を脅かすこと必死

この時点で、すでに優しい顔は消え失せ、鬼の形相。Gikuです。


あいにく我が家には、殺虫剤なんていう化学兵器は所持しておらず
スリッパという原始的なアイテムで退治を試みるのだが
なんせヤツは人類が絶滅しても、ゴキブリは生き残るだろうと称されている。
だけあって生半可な気持ちでは、逆にこっちがやられるかもしれないほどだ。
そう感じ取った僕は、ありったけの勇気を振り絞り
右手にスリッパを構え、相打ち覚悟の上でヤツに戦いを挑んだのだ。


ドン! ドン!

ドン! ドン! ドン! 

とヤツに狙いを定めスリッパを垂直に振り下ろすのだが
はぐれメタル級に素早いヤツは
僕の攻撃など軽くひらりと余裕にかわして見せるのだ。
ドン!と床を叩く音だけが部屋に響き渡る。


ドン! ドン!

ドン! ドン! ドン!


何度かゴキブリを追っているうちに
「僕はノミや蚊のように人を刺すワケでもなければ
ケムシのように緑を食い荒らすこともありません。
僕の体にはウイルスや殺菌など病気の原因になる元がいるワケでもない。
それなのに、なんで僕を殺そうとするの」
というゴキブリのボヤキのようなものが聞こえてきた気もするが

問答無用に叩き潰す。 ←鬼
ゴキブリに生まれてきてしまったことを恨むがよい。 ←悪魔
僕の部屋に迷い込んだのが運の尽きさ。 ←人間 (おい)


ドン! ドン!

懸命に叩き潰そうとしても
ヤツは想像以上に動きが素早い。


ドン! ドン! ドン!

なかなか狙いが定まらず仕留めきれない。


ドン! ドン!

だが次第にヤツの動きを読み、進路を塞ぎ徐々に追い詰め
部屋の隅に追い込んだゴキブリ目掛けてスリッパを叩き落す。



ドン! ドン!  バシィ!! 

ついに直撃した。


弱っているゴキブリの上にドドメの一撃

バシィ〜〜イ!!!!



ゴキブリは、ついに息絶えた。


2007年07月24日(火)  極暑

あまりの暑さに体が液状化し、そのまま排水溝に流れる男。Gikuです。


暑い!
とにかく暑い!
砂漠以上に暑い!行ったことないけど。

太陽に 「そんなに頑張らなくてもいいよ。」 って言ってやりたい。
言ったところで 「わかった、じゃ〜もう帰る。」
とか言って太陽に沈まれても困るが。

なんて、あまりの暑さに思考がショートし
ワケのわからない言語を口走るくらい暑いのだ。


今日会う人に、とりあえず話題に上がる第一位は
「今日は暑いね」 だと断言できるくらい暑いぃ〜〜〜。


2007年07月22日(日)  自転車の鍵

僕が覚えていなければ、他に誰も覚えている人はいない。
神のみぞ知るのであれば、僕に教えて下さい。


自転車の鍵が、見つからないのです。 

どこ置いたっけなぁ・・・・忘れちゃったよぉ〜。
スペアキーもないしなぁ・・・どうしよう〜〜。


2007年07月21日(土)  もうすぐ選挙

休日の朝は選挙カーの音で目が覚めた男。Gikuです。
もちろん2度寝しました。

したら・・・次に目が覚めたら午後2時を回っていた。
あぁ〜〜寝すぎたぁぁぁぁ。。。



最近よく、選挙カーの走る姿をみかけるようになりました。
街角、駅前、選挙カーの上、といたる所で演説をしている。
それを聞いていて思ったのですが
どこの候補者も、党の政策を訴えているというよりは
自分の名前ばかりを連呼しているように見受けられる。

確かに、駅前で演説をしていても、働いている人達は何かしらの
用事があって忙しいから、立ち止まってもらえず
候補者の演説をじっくり聞いてもらうことは難しいのかもしれない。
それに、一人でも多くの有権者に
自分の顔と名前を覚えてもらうことが、一番重要なのはわかっています。

だからといって、自分の名前ばかりを連呼することに
果たして意味があるのだろうか。
有権者が候補者の名前を覚えたからといって
選挙に行った際、その人に投票するのでしょうか。
やはり決め手となることは、政策の内容ではないか、と僕は思う。

そして演説の中身も、どこも似たり寄ったりで
「国民のため〜年金の財政〜マニフェスト〜清き一票」
って、とても固い演説している。


それよりも

『○○が当選したあかつきには、東京からカラスの早期撤退を約束します』

とか

『○○は自ら市民の盾となり、カラスと戦い続けることを誓います』

とか演説していたら、別の意味で名前を覚えてもらえそうですけどね。


まぁ〜そんな演説をして名前を覚えてもらったとしても
実際のところ、その人に投票するかどうかはわかりませんけど・・・。




『プチ情報』

7月28日の選挙日に一番で投票所へ行くと特権として
候補者の名前を署名してから、普段では見ることのできない
“投票箱の中”に何も入っていないかを確認する事ができます。


∴早起きできない人は諦めてください。


2007年07月19日(木)  音楽の道

何があったのか、知りませんが
また親友が音楽の道を歩もうとしています。
どうやら色々と悩んだ挙句、もう一度やろうと決心したらしい。

別に僕には、親友が音楽の道を歩もうとしているのを
止める権利はありません。
ってか、止める気もありません。


ただ、一言だけ言いたい。
今度は絶対に悔いが残らないように
全身全霊で燃え尽きるくらい頑張ってください。

もちろん応援しています。


2007年07月18日(水)  蜂のストラップ




夏の一冊、訳して 「ナツイチ」
その言葉を合言葉に全国の本屋で販売されている
「集英社文庫の100冊」 は読みましたか?

なんと!
このシリーズの本を一冊でも購入すると、もれなくその場で貰える!
可愛らしい蜂さんが付いている。

『ナツイチ、オリジナル携帯ストラップ』 (全部で8種類)

この、限定ストラップ欲しさのあまり
たいして読みたくない本を買ってしまった男。Gikuです。


何故、たいして欲しくない本を買ってしまったのか? というと


「集英社文庫の100冊」 は名作中の名作ばかりが並んでいる。
この中で僕が読んだことのある本は、21冊あったことから
考察するに熱心な読書家の方なら、40冊はゆうに超えるだろう。
と言っても決して過言ではないくらい名作が揃っていた。


だから、僕が好んでよく読んでいる作家の本は
残念ながら、すべて読破していたのだ。

でも、どうしてもストラップが欲しくて我慢できず
結局、たいして欲しくない本を買ってしまった始末だ。

そんな僕の心境を察してくれているのか
僕が当てた蜂のハチのストラップも

「心なしか、いやいや本を読んでいるようにみえる」 (笑)


2007年07月17日(火)  新ダイエット方法


昨夜、焼肉をたらふく食べる夢を見た、食いしん坊。Gikuです。

目が覚めて朝ご飯を食べようとしたら
何故かお腹が一杯で、胃がもたれているような気分でした。
現実には焼肉なんて、一切食べてないのに
なんだか体は食べた気分になってしまったらしく
どうにもこうにも、朝ご飯を食べる気になれなかった。

これは焼肉をいくら食べても、まったく太らない。
これは焼肉をいくら食べても、食費は0円。

まさに夢のような新ダイエットに方法になるのでは?
と閃いたが、実用性は極めて低そうに思えたので、諦めることにします


2007年07月16日(月)  新潟中越沖地震

世間一般では祝日の海の日は
満員電車という荒波にもまれながら会社に出勤する男。Gikuです。
(今日は祝日だったので電車内は比較的、空いていましたけどね)



なんて、悠長なことを言っている場合ではない。


みなさんご存知の通り
新潟地方で震度6を超える地震が起こった。
(震源の深さは約17キロ、マグニチュードは6.8)


テレビ中継を見ていて
新潟の原子力発電所で火災が発生し
黒い煙がモクモクと上がっている映像を見たときは

さすがに、 激ヤバイ!!! と思った。

けど、火災が起きているだけで、放射能漏れの心配はないみたいです。
あぁ〜よかった〜よかった。 本当によかった。


相変わらず地震は前触れもなく待ったなしである。
これまでに入っている被害状況でも

少なくても400人以上のケガ人がいたり
倒壊した家屋に住民が閉じ込められたり
発車前の列車が脱輪したり
川にかかる橋が隆起して通行止めになったり
大規模の土砂崩れが起きて線路が寸前されていたり
あっちこっちで火災が発生したり
と地震はいつも容赦なく人々を苦しめ、多くの爪あとを残している。


電気や水や交通システムなどのライフラインが打撃を受けている
中でも生活していく上で必要不可欠な、水の供給のストップは痛い。
前回の中越地震ほどではないが
しばらく復旧作業には時間がかかりそうです。
また多くの人々が避難所生活を続けることになりそうです。

唯一の救いは、前回の中越地震と違って
季節が冬ではなく、夏って事ぐらいだ。


新潟地域にお住まいの方は、余震には十分注意をするようにしてください。


2007年07月15日(日)  【生きる】について

「アルバム」とは私たちがこれまで生きてきた証であり
過去の瞬間を閉じ込めた貴重な写真でもある。
赤ちゃんの頃の自分の写真をみると、あまりの似てなさからか
これが、成長したら今の自分になるのかと疑いたくもなる。
よく世間の中には 「頼んでもいないのに生みやがって」 と言って
親を恨む人もいるが、そのような考え方は絶対に間違っていると思う。

むしろ、生んでくださってありがとうございます、と感謝を述べるべきである。
もちろん 「生きる」 ということは、ものすごく大変なのはわかっている。


『私がこの世に生まれてきた意味はあるの?』
『私は一体何のために存在しているの?』


このような問いを抱えながら常に悩まされ
自分の存在意義を見出すこともできず
その答えが知りたくても、明確な答えも見つけられないまま
世の中を渡って生き抜いていかなければならない。
成長するにあたっては、何度も何度も壁にぶち当たったり
交友関係がうまくいかなかったり、取り返しの付かない失敗をしたりもする。

では、生きる意味が初めから決まっていたほうがいいのか?
人によって、さまざまな回答があるともいますが
僕はこう応えるだろう、決まってない方がいいと。

なぜなら、たとえば。
「養殖の動物や養殖の魚は、人間に食べられるがために生きている。」
そこには確かに明確な生きる意味が存在する。
初めから生きる意味が決まっていれば、何も悩むこともなく
自分の運命が決まっているから、楽に生きられるかもしれない。

でも、本当にそれでいいのか。
明らかに決められた生き方なんて、きっとつまらない。と思う。
どうせ一度きりの人生だし、とりあえず好きなことをやれるだけやろう。

生きる意味なんて、いくら考えたって、そう簡単に答えが出るものじゃないし
教科書に載っているわけでもないし、誰かに教わるものでもない。
結局、自分自身で考え、自分自身で答えを出して
その答えに自分だけが納得すればそれでいい。
ならば、覚悟を決めて、せめて自分らしく今を思いっきり楽しもう。


そして時間は、過去、現在、未来へと少しもとどまらず過ぎていく。
過ぎていく時間は・・・もう未来にしか残っていない。



これから自分自身はどんなふうに変化していくのかはわからない。
たとえ、どんなふうに変化をしたとしても


アルバムの最後の最後のページには

『 おおむね楽しい人生だった。 』

と大きく書いて、静かに自分のアルバムを閉じたいものだ。


2007年07月14日(土)  十年前の自分

小学校の文集でよくある 『 10年後の私 』 あれから十年経ったけど。
そこに書かれている願いは、現実になったのだろうか?


そんなワケで、押し入れの奥にある卒業アルバムを引っ張り出した。
埃を軽く払い、ぺらぺらとめくってみると、十年前の自分の顔を発見した。
思わず・・・ 「若い」 って言ってしまった。
そりゃ〜若いよ、なんだって十年前なんですから (笑)

あの頃の自分は、まだ世の中のことを何も知れずに
明るい未来へ目をキラキラと輝かせて無邪気に笑っていた。
これから待ち受ける、数々の困難もしらずに
これから待ち受ける、暇で無情な日常生活もしらずに
何も疑うことなく、ただただ純粋に前を向いていた。
そんな汚れもしらない幼い顔に 「頑張れよ」 とそっと一声かけておいた。


さて、肝心の 「僕の十年後の願い」 は何だっけな・・・・と
期待に胸を膨らませながら、さらにページをめくるってみるものの
そこには、十年後のことなんて、まったく書かれていなかった。
そういえば、 「十年後の私」 とか書いた記憶がないな・・・。
期待に膨らませた胸は急激にしぼんでいった。


このまま、なんにもオチもなく話が終わり
企画倒れ的な感じだったけど、あるページに目に留まった。

そこには、こう書かれていた。
「もしドラえもんがいたらどうする?」

○ どこでもドアで行きたいところへ行く。
○ 願い事を叶えてもらう。
○ 未来の自分を見に行く。
○ お金が倍になる機械を出してもらう。など

なんとも小学生らしい、コメントが書いてあった。



そして・・・僕はというと。

○ ガムを買ってもらう

なんつぅーか・・・面白くないというか・・・小さい夢っていうか・・・
僕って、昔からこんな感じの人間だったんだよね。
今とほとんど、思考が変わってないな。(笑)
思考が変わってないというより、成長が足りないというべきか・・・・。



もし今、ドラえもんがいたら

「タイムマシーンに乗って過去の自分に会いに行き
もうちょっと面白いことを書こうよ」 とアドバイスする。


えっ? 
昔も今も面白くないって?


それは、NGワードだぜ。


2007年07月13日(金)  マグロ屋

「えぇ〜と、中トロをください。」
「すみません。中トロは切らしているんです。」

「じゃぁ〜、ネギトロをください。」
「すみません。ネギトロも切らしているんです。」



おいおい。昨日と同じ展開ジャンって思われた方 
今日は違います。
本当にマグロが食卓から消えるかもしれないのです。

何故かと申しますと
『日本人が世界の三分の一のマグロを消費しているからです』


もちろん理由はそれだけではありません。
米国や欧州での寿司ブームを初めとし
各国でも、健康食として寿司が注目され始めているからである。

海外での日本の文化が受け入れられたことは
日本人として、とても嬉しい限りなのですが
それにより、日本にマグロが供給されにくくなり
手軽に食べられなくなるのは
マグロ好きの僕としては、なんとも複雑な心境です。


近い将来、クロマグロとミナミマグロの漁獲量に制限をかけられる
これにより、日本に輸入されるマグロの数が激減し
マグロの値段も高騰するだろう。 


だから、値段が上がる前に沢山マグロを食べておこう。



さて、これにて連夜に続いた魚ネタ、別名 “魚三部作” も終了です。
三日間、魚ネタにお付き合いいただき、真にありがとうございました。


2007年07月12日(木)  寿司屋

「えぇ〜と、中トロをください。」
「すみません。中トロは切らしているんです。」

「じゃぁ〜、ネギトロをください。」
「すみません。ネギトロも切らしているんです。」

「えぇ〜じゃぁ〜、カンパチをください。」
「すみません。カンパチも切らしているんです。」

「しょうがない、玉子でいいですよ。」
「すみません。玉子も切らしているんです。」

「じゃ〜あ、何ならあるんですか?」
「すいません。今日は何にも “ネタがない” んです。」


2007年07月11日(水)  魚屋

魚屋のおじさんを脅かしたら 


おかしな悲鳴をあげました。



『 ギョ 』



はい。魚だけに腹を切ってお詫びします。(笑)


2007年07月10日(火)  ほおづき市

今日が最終日だったので、仕事終わりに浅草寺で開催されている。
「ほおづき市」 へ行ってきた男。Gikuです。


『 ほおづき 』 とは
朱色で、まるく、六角の袋に包まれている観賞用植物。
一見すごくおいしそうに見えるのですが、食べられません。
その代わり、種を取り出した袋を口に含んで鳴らして遊ぶことができます。
僕はこの遊びを子供の頃よくやっていました。
なんとも不思議な音色が響くのです。
なんって表現したらいいのか難しいのですか
あえて言葉に変換すると 「ビィュウ〜」 かな?


そんな夏の風物詩の代表ともいえる、ほおづき市へ行ったものの
ほおづきより先に、あまりにも香ばしい香りに誘われ
行き着いた先は鮎の塩焼きを売っている出店だった。
そして、ついつい鮎の塩焼きを買ってしまった。

鮎の塩焼きを食べていたら
どうしてもサザエの串焼きが食べたくなり、三件横の出店へ足を運んだ。
サザエの串焼きを購入しようとしたら、となりにいた
つぶ貝の串焼きから 「私も食べて〜」 と声が聞こえたような気がしたので
ザザエと一緒につぶ貝も買ってしまった。

今度こそ、ほおづきを見に行こうと向かう。
ほおづき一歩手前で、広島風やきそばの出店が目についてしまった。
自称、焼きそば愛好家の僕としては、「これは避けては通れない道」
この道を通らなければ、焼きそば好きとは金輪際、名乗れないぞと
勝手に、わけのわからない決意を固めてしまい
仕方なく、焼きそばも買ってしまった。(笑)





どんだけ〜〜。


2007年07月09日(月)  筋肉痛

ヤバイ布団から、まったく起き上がれない・・・。
何者かに、痺れ薬を投入され、躰が麻痺しているかもしれない。
でもそんな恨みを買ったような覚えは・・・・沢山ある。←あるのかよ。
なんて四面楚歌がとても似合う男。Gikuです。


本当にヤバイ、躰を動かすとモモとフクラハギが悲鳴を上げる。

そういえば・・・・・二日前にフットサルをしたっけな。

ということは・・・恐らくっていうか
確実に“筋肉痛”だと思うのですが、昨日はなんともなかったのです。

年を取ると、筋肉痛が現れるまで時間がかかるって本当なのですね。


なんて関心をしている場合ではない。


日頃から、いかに運動不足だったのかを改めて痛感させられた。

少し動いただけで、筋肉痛になってしまう
なんともなさけない自分の躰に危機感を覚え
日頃の運動不足を解消させるためにも、毎日5キロは走ることにしよう。
そうすれば運動不足も解消され、さらにダイエットにもなる。
これはまさに一挙両得ではないですか。


ただ一つ極めて重大な問題が残されていた・・・。
それは、本人にまったくやる気がないってことだ。


2007年07月08日(日)  埃まみれ

あまりの暑さに正午前に目が覚めてしまった男。Gikuです。


部屋はどんよりと暑苦しい空気が漂っている。
とりあえず暑苦しい空気を一掃するために窓を開けることにした。

窓を全開に開けて数分も立たないうちに
しかも網戸をしているのにもかかわらず
新鮮な風と共に、数匹の蚊どもが部屋に侵入してきていた。
そして、まったく気づかぬうちに僕の腕にかぶりついていたのである。
吸われたところは、もう痒くて痒くてたまらない。

ここでいくら蚊を叩いたところで、また次から次へと新たな蚊どもが
僕のエキスを求め侵入してくるのは明らかである。

だからと言って窓を閉めてエアコンに切り替えるのも、まだ早い気もするし
地球温暖化の対策に少しくらいは協力せねばならない。と思い。


そこで急遽! 押入れに収納されている扇風機を引きづり出すことにした。
押入れの奥深くで発掘された扇風機は
さすがに数ヶ月も放置されていただけあって埃まみれだった。

だけどラッキーなことに大事な羽の部分には
埃を一切かぶっていなかったので
早速おもいっきり“強”で回しました。
(余談ですが、うちの7年間も使っている扇風機は“弱”が壊れています。)


扇風機を回した瞬間・・・。
勢いよく埃が舞い上がったではないですか・・・?

僕は唖然とした。そしてなぜだぁ〜〜と叫んだ
しかし、すぐに理由が判明した。
そう確かに羽の部分は埃がなかった。
だが、カバーには大量に埃が付着していていたのだ。
扇風機を回したと同時にカバーに付着していた埃も
一緒に巻き込んで飛ばしてしまったのだ。
勢いよく部屋中に分布した埃を
ただただ見え上げることしかできなかった。



そういえば・・・先週に掃除したばかりなのにぃーー。
また掃除をしなければならない羽目になったのは言うまでもない・・・。


2007年07月07日(土)  天の川に願いを乗せて

って、おもいっきり曇り空で、星ひとつ見えないんですけど・・・・(笑)


七夕の短冊に「織姫を下さい」と不謹慎な願いを書いている男。Gikuです。

よい子のみんなは、こんな駄目な大人の真似をしないように。
こんなどうしようもないダメダメな大人は
いずれ天の川に突き落とされ、魚の餌にされますから。

「ねぇ〜。 天の川に“魚”っているの・・・?」
そんな疑問は、天の川にでも流して忘れてください。(笑)


さて話は、変わるが ふと思ったことがある。

短冊に願い事を書きますが、あれは一体誰が叶えてくれるのでしょうか?
「彦星?」 それとも 「織姫?」
はたまた二人を引き離した張本人の 「天帝?」

そもそも、なんで短冊に願い事を書くの?
七夕行事って明治時代とかもあったわけ?
七夕の飾りつけって笹じゃないとダメなの?

そんな数々の疑問も、天の川にでも流して忘れることにします。(笑)


さて話は、さらにガラっと変わりますが

今から、知り合いとフットサルをしてきます。
年に一度の七夕の夜に、残念なことに織姫はおらず彦星達だけで

そんな悲しい七夕の夜は、汗でも流して忘れたい。(泣)


2007年07月06日(金)  短冊の願い

明日は天の川で釣りをする予定の男。Gikuです。


さて、明日は待ちに待った七夕ですね。
みなさんは子供の頃、短冊にどんな願いを書いていましたか?

先日、会社に行く前に地元の商店街の七夕祭りに立ち寄ったとき
子供たちの願いを書いた短冊が、笹に飾ってあるのを見つけました。
最近の子供たちは、どんな願い事を書くのか
大変興味深かったので、こっそり覗いてみました。







『 この世の誰もが しあわせになれますように 』

うん。君はホント立派だよ。
自分の欲しいものより、皆の幸せを願うなんて
なかなか真似出来るもんじゃないよ。
その志をいつまでも忘れないようにね。






『 お母さんとお父さんが ずっと仲のいいままで ありますように 』

大人の事情ってヤツは子供が考えているより
ずっとずっと複雑なんだよね。
君が大きくなれば、いつかわかる日が来ると思うけど。
でもこの短冊を見た、ご両親はきっと
「仲の良いままでいよう」って思うに違いないよ。






『 家族に心配かけない様に 過ごしたい 』

これはとてもとても大切なことかもしれません。
けれど、僕が思うに、家族に心配をかけたくないからと言って
自分の嫌だったことを心の内だけで我慢して、家族に話さないことが
必ずしも心配をかけないことに繋がるわけではありません。
心配かける=迷惑ではないのですよ〜。



この他にも色々とありました。
特に目立ったのは 「おもちゃが買ってもらえますように」
「お金持ちになれますように」 「スポーツで一番になれますように」
といった願望的な関係のものが八割方は占めていた。


中には 「お父さんのしごとが見つかりますように」 といった。
なんともなんとも、物悲しい短冊もありました。


今回、色々見て回り
「やっぱり子供って、素直でかわいいなぁ〜」 って思った。


2007年07月04日(水)  梨の日

「5月3日はゴミの日」 「8月19日は俳句の日」 「8月31日は野菜の日」
「1月5日はイチゴの日」 「2月9日は肉の日」 「8月3日はハサミの日」

そして 「10月9日」 はGikuの日。
はい。全然語呂が合ってないのにお構いなし男。Gikuです。
「9=ku」 だけは合ってますけど (笑)



こうして見ていると
日本は毎日何かの記念日になっている気がするのですが
それは 「語呂合わせ」 や 「ダジャレ」 が根っから好きな国民性だろうか。
語呂合わせの記念日というのは、どれもきっと企業の策略なのでしょうけど
1月5日はイチゴの日だからイチゴを食べてね、みたいな。


いくら企業の策略とはいえ、語呂合わせが好きな国民とはいえ。
「8月3日はハサミの日」 はちょっと強引な気もする。
「サ」 はどこから来るの? って感じ (笑)
そもそもハサミの日は、一体何をする日なのでしょうか?
うん〜まったくもって謎だ。




ところで今日 (7月4日) は何の日だか、わかりますか?





「7月4日で梨の日」 だそうです。
って・・・題名に思いっきり答え書いてあるし (笑)


「今日は梨の日だから、お母さん梨を食べたいよぉ〜」 って子供が言っても
「まだ季節が早くて値段が高いから買いません」 って言われるのが
オチですかね。


2007年07月03日(火)  捨てられない





世間一般的に見て、明らかにゴミだとしても
まだ、こいつ何かに使えるかもと、一度でも思ってしまうと
ついつい捨てられなくて集めてしまう傾向にある男。Gikuです。

いらない物がなかなか捨てられない。
明らかにいらない物でも、なかなか捨てられない物って
皆さんはありませんか?

僕にはあります。←自慢するな!
実は僕の背後には、捨てられない主婦の悪霊の類か何かが
取り憑いているのではないかって? 思えるほど
二度と使わないであろう物も、なぜか捨てられないのです。


そして今、僕が捨てられずにコツコツ集めてしまっているのはというと
食パンを買うとついている、袋を止める金具のようなヤツです。

「絶対に使い道はないだろう」 とツッコまれそうですが (笑)
きっとどこかで、何かの役に立つだろうと思ってしまって
明らかに使い道はないのに、どうしても捨てることができないのです。


だから、どんどんどんどんどん部屋がゴミに侵食されていくのだろう・・・・。


2007年07月02日(月)  心に深い傷


今からちょうど5時間前に、会社の人から飲みの誘いの電話が来た。
特に断る理由もないので、参加することにした。

途中参加だったので、僕が着いた頃にはすでに周りは出来上がっていた。
それでも別にかまわないと思っていた。

が、しかし。

会社の人が、いきなりに僕に説教をし始めたのだ。
よくあることなので特に気にせずに、適当に相槌を打ったりして
「あぁ〜退屈だなぁ〜」 と内心思いながら、話を適当に聞き流していた。
そうしたら、なぜか一人が急にキレ始め
「お前を見ているとムカツクするんだよ」 と言われた。
どうやら何もしゃべらず、相槌ばかり打っている僕に腹を立てたのだろう。

それでも、僕はただただ相槌を打っていた。
出来上がっている人に対し、自分の反論意見を言ったところで
「そうじゃない。」 「おまえは何もわかっていない。」 「それは違う。」
などと否定されるのは、目に見えていたからだ。

黙り込んでいるのも悪いので
「はい、そうですね」 「おっしゃるとおりです」 「はいはい」
と相手に調子を合わせていた。

しかし、あまりにも僕が自分の意見をはっきり言わないものだから
僕が相手を馬鹿にしたような態度を取っていると思われ
その人の逆鱗に触れてしまったのだ。

そもそも、なんで説教されているのか心当たりはない。
話の流れから察しようと努力しても、僕に理解力がないせいか
言っていることがまったく理解できないのだ。
真剣に受け答えようと構えても
話の趣旨がまったくわからないから、どうしようもないのである。

なんで、僕が説教されているのか、さっぱりわからないけど
“僕のため” を思って言ってくれているのだろう。
相手のろれつが回っていないので、うまく聞き取れないけど
おそらくそうなのであろう。

さらに 「お前にはこうあって欲しい」 と熱く語られた。
その意見には自分の理想を押し付けられているように思えた。
僕に一体何を期待しているのかはしらないが、
現実と理想とでは、多少の誤差があるのは当然
期待されれば期待されるほど、その分だけ誤解も生まれると思う。


そして・・・・終始、説教は続くのであった。


何度も何度も明るい話題に変えようと話をふるのだが・・・
その会話はまったく発展することもなく、二言目には途切れていて
「お前はダメだ」 と説教に戻るのである。


しまいには
「お前いらない、会社を辞めていいよ」 と怒声を浴びせられた。
この言葉が・・・僕の柔らかい心に深く突き刺さった。

必死に頑張っている人に対し
「いらないから、会社を辞めろ」 と発言することは
どんな理由があるにせよ
絶対に言ってはならない言葉だと思っていたからだ。
いくら酔っているとはいえ、いくら心の中でそう思っていたとしても
絶対に口に出してはならない言葉だ。

さすがに、その言葉にはカチンときて
「お前に俺の一体、何がわかるーー。」 とグラスを叩きつけ
自分の言い分を相手に伝えたかったが
火に油を注ぐ結果になるのはわかりきっている。
だからここは、ぐっと堪えた。


とどめに一発は、 「もう帰れーー。」 である。
さすがに、これには反論する気にもなれず
もちろん本心で言っているワケではないのだろうけど
ここが僕のダメなところで、ただ言われるがままに
「では、お先失礼します。」 とあっさり、居酒屋を出て行ってしまった。
もう正直これ以上、あそこの場にいたくなかった。逃げ出したのである。


こういう日に限って外は生憎の雨である・・・。


家に着くまでの間、ほとんどシラフだった僕は、雨に打たれながら
言われたことに対して、必死に自分の言い分(正当性)を考えようとした。

「お前は、どう人と付き合っていきたいの?」
「誰かと、ぶつかっていこうとも思わない?」
「それで本当に、一片の後悔も残らないの?」

数々の言葉が頭の上で増え続けた。
でも、ほとんど何も考えられずにいた
なぜなら 「もういらない」 の言葉が深く突き刺さっていたからだ。
もうこれ以上何も考えられない、いい意味でいう無心であった。

結局のところ僕は、どうしようもない人間なのである。今日改めて自覚した。
自分の性格なんて、変えようとしてもそう簡単には変わらないし
こうでもないと悩んでいても、どうにもならないことはわかっている。

別に思い詰めているワケではないのだが
感情というのは理屈では割り切れないのだ。

「悩んでいても、どうしようもない。」
「いくら泣いたって、問題は解決しない。」
「もっと、素直になりたい。」

頭ではわかっていても、泣きたくなることもある。




「受け入れなければならないこと」 をきちんと受け入れることが大切
でもそれが、一番簡単のようで、実は一番難しい。のかもしれない


2007年07月01日(日)  大掃除〜後編

おかげ様で、部屋の清掃も無事終わり
いい汗をかいたので、ギンギンに冷やしてあるビールを冷蔵庫から取り出し
ゴクゴクと昼間からビールを飲んでいる男。Gikuです。


今のボクの部屋は冗談抜きで計り知れないぐらい綺麗です。
この部屋に泥棒が忍び込んだとしても
「なんだ、この部屋は!」とあまりの綺麗さに見とれしまい
何も盗まずに引き返すことでしょう。
と言っても決して大げさではないぐらい綺麗になりました。(笑)

いやぁ〜頑張ったよ。
頑張ったあとのビールはまた格別にうまいなぁ〜♪
もう三本も開けちゃったよ〜♪


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