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ひみつにっき
渡海奈穂
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2006年02月13日(月)
 『こころなんてほんとしりもしないで』 こころなんてしりもしないで


「佐山さん、雑煮食べますか」
 ベッドの上で、未だ俯せに転がったまま動かない佐山に向けて、とりあえず秋口は声をかけてみた。
 元旦、すでに昼下がり。
 大晦日から佐山が秋口の家に泊まりに来て、二年参りに行こうかなんて話をしていたのに、つまらない紅白歌合戦を見ながらホットカーペットの上でごろごろしているうち、どちらからともなく足や手で相手の体を触りだし――、結局、気づいたら初日の出を拝む間もなく外が明るかった。
 疲れ果てて気を失うように眠りにつき、つい先刻目を覚ました秋口は、よく眠っている佐山を起こさないようベッドを抜け出してダイニングキッチンに向かい、適当な雑煮らしきものを作ってみたのだが。
「うー……」
 いかにも眠たそうな、くたびれ果てた唸り声が佐山の口から漏れた。
「眠たいなら、まだしばらく寝てて全然構いませんけど」
「……起きる……」
 億劫そうに佐山が起き上がる気配がした。
「……あれ、服ない……」
「ああ、洗濯機に入れちゃったから。適当にその辺にあるの着てください」
 テーブルの上に雑煮をセッティングしていると、ぼさぼさの頭のまま佐山がダイニングに現れる。
「あー……いい匂い」
 眠たい目を擦る佐山は、眼鏡が見つからなかったのか裸眼だ。壁や家具あちこちにぶつかりながら、秋口の方まで歩いて来る。
「秋口が作ったのか?」
「適当に、あるもんぶち込んだだけだから味の保証はできないけど」
 言いながら、秋口は佐山の方へ顔を近づけて軽くキスした。
 佐山が笑って目を閉じ、それを受ける。
「あ、そうだ」
 佐山が、思い出したように声を上げた。
「うん?」
「あけましておめでとう」
「ああ」
 そういえば、ゆうべの日付が変わる頃はベッドの中で、そんな挨拶をする余裕もなかった。
「あけましておめでとう、今年もよろしく」
 秋口がわざとていねいに頭を下げると、佐山が笑って同じように頭を下げた。
「お手柔らかによろしく」
 佐山の返事に、秋口は少し苦笑してしまった。
「今年はもう少し、ちゃんとするように頑張ります」
「ちゃんと?」
「ちゃんと――佐山さんに優しく、ふたりで倖せになれるように」
「……うん。俺も」
 笑った佐山の笑顔が可愛くて、秋口は衝動のようにその体を抱き寄せると、もう一度唇を重ねた。佐山は今度もおとなしくされるままになっている。
「……ん」
 触れるだけの接吻けが続いた時間はほんのわずかで、すぐにそれは深く熱っぽいものになった。濡れた音が微かに響き、お互いの情欲を煽り始めてしまう。
「……ベッド、戻りません?」
 秋口が耳許で囁くと、その声と吐息に佐山が小さく震えた。
「でも、雑煮、まだ」
「あとであっためればいいから」
「……うん」
 佐山が照れた顔で頷き、秋口の唇を捜して顔を持ち上げる。秋口は自分からも唇を寄せ、再び貪るように佐山と深いキスを交わし――

     ◇◇◇

 そこで目が覚めた。

     ◇◇◇


「……夢かよ!」



2006年02月11日(土)
 『第三種接近遭遇』 突発あけぼの探険隊


 気づいたら繋いだ手が離れていた。
 大晦日、二年参りに行こうと、大好きな従兄と、その両親と一緒に近くの神社へ出向いた。
 思った以上に人出が多くて、「絶対に離しちゃ駄目だぞ」と何度も念を押されたのに、人の波にもまれ、もがいているうち、従兄と繋いでいた手が離れてしまったのだ。
 拝殿に向かって進む人たちは、おとなばかりで、小柄な子供を気に留める者などひとりもいない。
 精一杯首をもたげて辺りを見回しても、目に入るのは見知らぬ人のコートばかりだ。声を上げたいのに喉も体も竦んで動かない。立ち止まる子供を、邪魔そうに押しやる手に逆らえず、人の波から押し出されてその流れの外へ飛び出した。
 よろめいて、砂利敷きの地面に転びそうになる。
 あ、と反射的に目をつぶり――だが、いつまでも覚悟した痛みが感じられないことを不審に思って、瞼を開く。
「おい、大丈夫か?」
 体を支える細い手があった。細いのに頼もしい力。驚いて顔を上げると、転びかけた自分の体を支えてくれた少年の姿がある。
「何だ、どっか痛いのか? そんなに泣いて」
 自分よりも年上に見える少年は、声もなく泣き濡れた顔を乱暴に拭ってくれた。どんな顔をしているかは、視界が涙で滲んでいて、はっきりとは見えなかった。
「怪我してるのか?」
 問いかけに、かろうじて首を横に振るのが精一杯だった。それでも、「よかった」と笑った顔に、どうしてか無性にほっとする。
「おまえもはぐれたんだろ、俺も、油断してたら家族が見あたらなくなって」
 言いながら、出し抜けに足許へしゃがんだ少年に、体を抱え上げられた。
「わっ、わ……」
「ほら、大声で父さんと母さん呼びな。向こうもおまえのこと捜してんだろ」
 ほとんど肩の上に担ぎ上げられるような格好になって、ひどく驚いた。たしかに自分は小さいけれど、決して初対面の相手に小学六年生だと思ってもらえないほど小柄だけれど、自分とそう年が変わらなく見える相手に、まさかこんなふうに抱え上げられるとは思ってもみなかったのだ。
 少年の体だって、まだ不安定に細い。怖くてその頭にしがみつくと、「こら」と叱られた。
「しがみついてないで、でっかい声で呼べって。親も心配してるんだから」
「……お父さんとお母さん、来てない」
「ん? 友達と来たのか? まあいいや、一緒に来たやつの名前呼べ」
 急かされて、とりあえず口を開いたけれど、ふと辺りを見回せばあちこちから可笑しそうな視線が集まっているのがわかって、身が竦む。子供が子供を抱える姿がおもしろかったのだろう。知らない人たちの視線にさらされるのは怖い。いつも部屋に閉じこもってばかりで、人前に出ることなんて全然慣れていなかった。
「何だ、恥ずかしいのか? じゃ、俺も一緒に言うから」
 自分にしがみつきっぱなしの相手に笑って、少年が大きく息を吸い込む。
「父さーん! 母さーん! どーこーだー!!」
 てらいもなく大声を張り上げる少年に、くすくすと、大人たちの笑う声がする。
 ますます恥ずかしくなって、そうしたら何だかどうでもよくなって、思い切って少年と一緒に口を開くことができた。
「ノリちゃーん! ノリちゃん、どこ!」
「よしよし、声出るじゃないか」
 褒められて、自分でもおかしいくらい嬉しくなってしまった。今まで誰かに褒められる言葉が嬉しかったことなんて、たったひとりを除けばありえなかったのに。
「ノリちゃん、ノリちゃーん!」
「ノーリちゃーん!」
 少年も一緒になって、従兄の名前を叫んでくれた。
「万里!」
 すると、人波をかき分け、魔法みたいに、たった今名前を呼んだ従兄の姿が飛び出してきた。
「ノリちゃん!」
 少年の体から飛び降り、従兄の方へ駆け寄る。あたりまえみたいに抱き締めてくれた腕に安心して、少年と出会って止まりかけた涙が、またどっと流れ出してしまった。
「ごめんな、大丈夫か?」
 呼びかけてくる従兄に何度も頷く。
「――ええと、うちの万里を助けてくれたのかな」
「俺も迷子だったんだ」
 従兄の胸に顔を埋めながら、少年とのやりとりを聞く。
 そうだ、相手の顔もまだちゃんと見ていない。思い至って顔を上げるが、やっぱり涙で濡れた瞳は、相手の姿をうまく捉えることができなかった。
「あの……」
「お兄ちゃん、お兄ちゃんってば! もうっ、何やってんのよ馬鹿真治!」
 お礼を言いたかったのに、そんな行為に慣れずに戸惑っているうち、後ろから女の子に呼ばれて少年が振り返った。
「あー、悪ィ悪ィ、はぐれた」
「みんな先行ってるよ、寒いんだから早くしてよね!」
「へいへい」
 あ、行ってしまう。
 声をかけることもできず、女の子と一緒に去っていこうとする少年の背を、ただ立ちつくして見送った。
「行こう万里、父さんたちが心配してる」
「うん……」
 従兄に手を引かれ、ふたたび人混みの中へ入る手前、気になって彼が立ち去った方を振り返った。
 同じタイミングで、遠くになりかけた相手も振り返り、大きく手を挙げたのが見える。
「……」
 小さく、手を振り返した。
 それが相手に見えたかどうか、わからなかったけれど。

 多分これが、お互い覚えていない、一番はじめの接近遭遇。



2006年02月10日(金)
 『バレてる、バレてる。』 間隔の鼓動


「書き初めをしたんだよ」
 と夏が言うと、北園が妙な顔をした。
「何で」
「何でって、正月だからだろ」
「家で?」
「そう、一家揃って。新年の抱負を書いたり。やらない?」
「うちはやりません」
「結構気が引き締まっていいんだけどなあ、書き初め」
「夏は何て?」
「『インターハイ二連覇』」
「長くないですか」
「いいんだよ、紙も長いんだから」
「部屋に飾ったり?」
「そう、悠樹と俺の部屋に」
「悠樹さんは何て?」
「『悪霊退散』」
 俺のことじゃねぇだろうな、と小さく呟く北園の声を、夏は聞こえないふりでコメントしなかった。
「それ、抱負じゃなくて願いごとじゃないですか」
「願いごとでもいいんだよ。喬だったら何書く?」
「『初日の出』とか?」
「適当に言ってるだろ」
「思いつきません」
「抱負とか予定とか希望とか、あるだろ」
「『ランバードのアップシューズが欲しい』」
「長いよ」
「『エバーマットを買い換えてくれ』」
「まだ長いって」
「『杞梓高のグラウンドがオールウェザーになりますように』」
「だから長い上に予算的に無理だって」
「どうしろと」
「せめて五文字くらいにまとめろよ」
「『夏に以下略』」
「何を略したんだよ」
「部屋に飾れなくなるから具体的に書けません」
「抱負? 願い事?」
「野望です」
「……じゃあ俺も、『喬に以下略』」
「何を略した」
「秘密」
「それ、書いて悠樹さんがいる部屋に貼ったら、俺が殺される気がするんですけど」
「『■に以下略』」
「塗りつぶすのかよ」
「『■に■■■』」
「もはや意味がわかんねえよ」
「じゃあどうしろって言うんだよ」
「俺が聞きたいよ」


「あ、喬と夏さん、また喧嘩してる……」
「あー? ……ああ、放っとけ、遊んでるだけだありゃ」
「夏と北園って、結構仲いいよな、気づくと」
「ああああああっ、俺の夏さんがー!」

一月三日、割合平和な杞梓高陸上部初練習日の風景でしたとさ。