何でも「公」が決めるものは気にいらないそうな。
≪朝日新聞社説引用開始≫ 指導要領改定―マニュアルを押しつけるな それぞれの教科を1年で何時間教えるのか。各学年で何について、どこまで学ばせるのか。こと細かく定めているのが文部科学省の学習指導要領である。 その指導要領の改訂方針が、文科相の諮問機関である中央教育審議会でまとまった。新たな方針に沿った授業が、11年度から始まる見通しだ。 6年前に始まった今の指導要領に比べて、目に見えて変わるのが授業時間数だ。理科や英語、算数・数学が2〜3割増え、全体の時間も増える。導入したばかりの総合学習が代わりに減る。 「ゆとり教育」と呼ばれた今の指導要領の旗印は、子どもたちの生きる力を育むことだった。詰め込み教育批判にも応えるかたちで、授業時間と内容を減らし、自分で考える力をつけさせるために総合学習を取り入れた。 しかし、ゆとり教育が始まってまもなく、国際学力テストで日本の順位が落ち込んだ。ゆとりによる学力不安が保護者らに広がっていた時期でもあった。 かくして、ゆとりの旗はあっさり降ろされたのである。右へ曲がれと言われてしばらくしたら、やはりまっすぐ進めと言う。子どもや教師にとっては、一体どうなっているのかという思いだろう。 では、授業時間数を元に戻したことで、問題が解決するのか。 学力の底上げと考える力を伸ばすこと。これが今の大きな課題である。授業時間を増やすことで克服できることもあるだろうが、授業の質に目を向けない限り、根本的な解決にはならない。 もう一つ気になるのは、ゆとり教育の功罪をきちんと総括しないまま、方向転換を図ろうとしていることだ。 例えば、総合学習がうまくいかなかった原因について、中教審は「教科との連携が不十分だった」という。だが、これでは物足りない。具体的にどこに問題があったのか。そもそも考える力をつけるうえで役立つのか。そうした検証がほしい。「生きる力」という理念は正しいといくら強調しても始まらないのだ。 さらにここで考えたいのは、指導要領そのもののあり方である。 指導要領の内容は実に細かい。例えば、小学4年の算数だ。億と兆の単位を教えるときに、「3けたごとに区切りを用いる場合があることに触れるものとする」と定められている。 全国どこでも同じレベルの学力をつけさせようというのは、わからないわけではない。しかし、あまりに細かすぎないか。これではまるでマニュアルだ。指導要領をマニュアルのように厳しく守らせることが、自ら学び、考える力を教師からも奪ってきたとはいえないか。 文科省が決める指導要領は大枠にとどめ、実際に教える内容は自治体や学校の工夫に任せる時期に来ている。授業時間数も幅を持たせていい。 そうしたことが、ころころ変わる指導要領から得られる最大の教訓だろう。 ≪引用終了≫
まるで、「公」が率先して指導要領を変えているように聞こえるが・・・ 大体がゆとり教育にしたって世論がそうさせたんじゃなかった? 結果、塾に行く時間が増え経済格差もあるだろうが学力の格差を生み、全国的にも学力は低下した。それじゃあ困るという世論でまた改正するんじゃないの? ゆとり教育ったって基本的な学習については指導要領で決められてたはず。 指導要領を最低のラインとし、教師自らがそれ以上に学び考える力をつければいいんじゃないの? 決めた或いは決められたことすら実行できない先生方がどうやって子供たちに教育できようか。(誤解のないようにいいますが、立派な先生は数多くいらっしゃいます) 子供を教育するには、まずは教師の資質を上げること、意欲をもった教師を育てること、そしてわが子だけはという親を目覚めさせること。 「大枠にとどめ、実際に教える内容は自治体や学校の工夫に任せる」として今以上の学力低下や格差を生んだら何と説明するんでしょう、この新聞は。
寒中お見舞い申し上げます。 今日は一段と寒さが厳しいようです。
さてあの阪神淡路大震災から13年の月日が流れました。 当時私は京都大阪の府境にある八幡市に住んでおりました。 早朝の尋常でない揺れで箪笥の上のものは落ち、これは家が倒壊するかもしれないと、その時は恐怖を感じました。外を見てもだれも出ておらず、勤務先の社務所に電話入れても、特に異常はないとのこと。テレビでも詳細は把握できてなく、一体震源地はどこだろうと思いつつ出勤のため駐車場へ。 いきなりの余震。これもかなりの揺れでした。 神社の境内に入るとなんと石燈篭がバタバタと倒れているではありませんか。社務所の壁が一部落ちていたりひびが入るなど大きな揺れを物語っています。 このあとやっと報道等で状況が分かってきました。 早速情報収集です。兵庫県下の神社に電話するも一般回線はつながりません。携帯電話もつながりにくい状況です。それでも公衆電話ではすぐにつながることができ、何社かとは状況の把握ができましたが、それどころではないお社もあったようです。 勤務社の被害など兵庫県下に比べれば大したことはありません。 その後は報道で徐々に明らかになった通りです。 今、住んでいる福山では地震はそんなにありませんが、いつ何時天災があるやもしれません。 有事の際、自分がどんな行動がとれるのか、まったく想像もつきません。余りにも便利を求めた結果、道具がないと何も出来ないかもしれません。 「備えよ常に」心構えはしっかり持っていたいものです。
捕鯨調査船への妨害行為、靖国での日の丸国旗侮辱事件、南京大虐殺記念館での展示内容、等々、反日行為が進んでいます。 常日頃からの毅然たる態度が重要なんですが・・・ わが国には国としての心構えも備えも希薄なようですなぁ。
謹んで新年のご祝詞を申し上げます。 本年も何卒宜しくお願い申し上げます。 平成二十年元旦
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