過去の日記
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自己紹介は、《こちら》からどうぞ。
昨日Samが家にやってきて、約2週間の禁欲生活からまたぐちょぐちょ淫靡生活の始まり。 あまりSMはしなかった。ちょっと縛ったくらい。 なのになぜ体中に歯型や痣がついてるのかは不明。 あくまでも普通にセックスしただけのつもりなのだが。
5月は私の誕生月。 Samはプレゼントのつもりなのか、新しい拘束具を一式注文購入した。

手枷、足枷、首輪2種類、口枷。オーダーメイドらしい。 「縛るのめんどくさくなったの?」 「そんなことはないけどさ、プレイのバリエーションのためだよん。」 首輪なんて、奴隷だったころには買ってもらったこともつけてプレイしたこともないぞ。 特に憧れとか思い入れもなかったから、ほしいと思ったことはないけど。 奴隷の証とか、そういう意味はぜんぜん持てなくて、ただのプレイの小道具っていう認識。 多分Samもそれは同じなんだろう。 情緒のない二人ではある。
長時間拘束監禁プレイの計画は進んでいるようで、夕食の買い物に出かけたついでにペットシーツを購入。 詳しい内容はまだSamの頭の中だけど、私が
約10日間のニューヨーク出張から帰ってきました。 日本の食べ物はおいしいなぁ。 和食、という意味ではなく、全体的に。
というわけで、しばらくSMもセックスもご無沙汰。 オナニー苦手なのでまったくの禁欲生活。 妄想だけはたくましくなって、したいプレイが色々と出てきた。
たとえば、長時間の監禁・拘束。 24時間なら24時間、ずーっと拘束されっぱなし。 その間は絶対服従。
とか。
そういうのは、Samにメールで伝える。 具体的なプレイの内容ではなくて、キーワードで。 「長時間の拘束、縄、各種の枷、リード、排泄管理、ペットシーツ、快楽なし、苦痛、全頭マスク」 それらをもとにプレイを組み立てアレンジするのはSamの役目だ。 食材を用意して料理人に料理してもらうようなもの。
私もSamもいい大人なので、喧嘩はほとんどしない。 たぶんそれは、諦めとか寛容さとか包容力とか理解(したつもり)とか甘やかしとかの、いろんな要素があってのことだ。
先日私が珍しく怒ったのは、今考えても正当な理由があってのこと。 他愛もない理由だが。
Samはよく眠る。 私の倍は眠ると思う。 平日は一人でいるのだから好きなだけ眠ればいいが、私の家に来て延々と眠るのは困るのだ。 眠るSamをほったらかして出かけるわけにもいかず、SMする時間はどんどんなくなるし。 何しに来てるのよ? 眠いんだったら帰って寝れば? と、私が腹を立てたのは当然だろう。
そう言い渡して寝室にSamを残して、私は出かける支度を始めた。 貴重な休日だもの、するべきことはたくさんあるのだ。 でも、寝室から出てきたSamに無言で引きずられ、寝室に逆戻り。 「脱いで。」 「もういいよ、眠いんなら無理してしなくても。」 「ぶつぶつ言うな、早く。」 「そんな怒ってる人に縛られたくないよ、おっかない。」 「うるさい。」 言葉少なに静かに私を威嚇するSamはいつの間にか縄を手にしている。
それからは先はまぁ、いつもどおり。 不承不承服を脱ぎ、縄をかけられた私は、縛り終わったらもうすっかり濡れていてスイッチも入っていて、久しぶりに凝った縛りを堪能したのだった。 縄をかけられるだけで体が反応するって、なんでなんだろう?
よくある痴話げんかといえばそうなんだな。 でも、Samとの関係で一番大事なのはSMをすることだ。 寝顔を眺めるのが幸せ、と思える相手なら別だけど、そうじゃないから。
海外出張が近づいてるのに準備が一向に進まない。 出発は午後の便だから、最悪当日の朝すればいいや、と思いつつ、飼ってるペットの世話も頼まなきゃ、両替にもいかなきゃ、と気持ちは一応あせっている。
先日、自宅の仕事机を整理していたらSamからのメールをプリントアウトしたものが出てきた。 日付は2002年、付き合い始めたばかりで私もバリバリ奴隷してた頃。 その中の一文に、 「うさぎは私の奴隷なのでしょ? 何も気にせずついてきなさい。」 というのがあった。 ついていく。 そうだなぁ、その頃は、ただひたすら「御主人様」のあとをついていくのが幸せだと思っていた。
本当は今は12日の早朝なのだが、昨夜早く眠ったら変な時間に目が覚めてしまったのでこのまま起きることにした。 ので昨日の日記を。
仕事は先週に比べたらずいぶん楽、11日は帰りに整体に行く時間もあったし。 整体の先生いわく、「疲れはたまってるけど肉体疲労からくるものだねぇ。骨格も内臓も相変わらず歪みも悪いところもなさそうだし。」とのこと。 なんにしろ、健康なのはありがたいことだ。
来週の海外出張の準備もそろそろしなくちゃいけないけど、まだ何も手付かず。 出張の間、SMできないのは寂しいけど、仕事はたぶん却って楽なはずだからむしろのんびりできる、と思う。
いろんなM女さんたちの日記やブログやサイトを見ていて、最近思うこと。 「御主人様」と相手を呼んでいても、そりゃただのセフレじゃん。ただの不倫じゃん。と突っ込みたくなることが多い。 相手をそう呼ぶ必然性はどこに?? そんなものは人それぞれだから、確たる定義はないのはわかってる、けど。 なんとも複雑な感じがする、読んでいて。 メイドカフェなんかでも当たり前のように使われているし。 流行ってるのか、御主人様。
もともとひねくれものだし、あまのじゃくだし、たぶん私はしばらくは「御主人様」という呼称は使わないだろうと思う。 もちろん相手がそれを望むなら別だが。 「御主人様」と「奴隷」という関係の現実味が、私のなかではずいぶん希薄になっているようだ。 だって、私はMだけど、奴隷ではなくて対等な人間だし。 そういう役割を演じたり非現実感を求める必要も、今はないし。
Samだって今は「御主人様」とは思っていない。 Samには女性の体を使ってやりたいことがあって(縛りとか浣腸とか鞭とかアナル責めとか針とかいろいろ)、私もいろいろされたいことがあって、 その嗜好とかお互いが求める深さとかがかなりの部分で重なっていて、ずれている部分も許容範囲だからお互いにいいパートナーだと思える。 そこにはどちらが主でどちらが従、って差はない。
週末は、たまった疲労からかぐったり。 SMモードに切り替えるのがうまくいかなかった。 Samが一時間以上かけて全身をマッサージしてくれて、おかげで肩や背中はすいぶん楽になった、のだが。
リラックスしすぎたのが悪かったのか、その日の私は「痛み」に対してからっきしダメになっていた。 たいした痛みでもないのに、恐怖心だけがどんどん大きくなる。 Samの手や口が体に近づくだけで怖くてたまらなくて、体が自然と逃げる。 拒否する反応が反射的に出る。
そういうのは、たまにあることだ。 いつもは平気な鞭が無意味に怖かったり、縛られるのがひどく苦痛に感じたり。 体と心はある部分では全然無関係だけど、はしっこの部分ではやっぱり絡まりあっているんだろう。
私が時々そういう風になることはSamもよく知っているから、私の反応で察知したらしく、途中からは痛いことはまったくしなかった。
やっと土曜日、今週は毎日忙しくて体力的にヤラレタ日々だった。 仕事もそのほかのことも、することはたくさんあって時間があっという間に過ぎて、もちろん体もしんどいのだけど。 でも、そういうことは全部自分がやろうと思って、自分が選択したことばかりなのだから、誰にも愚痴は言えないのだ。 だから、「忙しい」「疲れた」は、禁句にしている。ここでは言っちゃうけどね。 他人の愚痴も自分のそれも、好きじゃない。聞くのも、言うのも。
Eは私がSamと関わることをまだ良くは思っていなくて、相変わらずめぼしいS男性を見つけてきては私に会わせようとする。 私だって、SMのパートナーとしてのSamは許せても、過去に起こしたSamの裏切りはやっぱり許せないと思っているので、新しい相手を探す気持ちはあることはあるのだ。 先日一緒にお茶を飲んだガン氏は、少々つかみ所のないお人ではあったけど、感じのいい人だった。 でも、しばらくSMはお休みしているところだそうで、Eが水を向けてもあまり乗り気ではない様子。 「あんまり経験豊富なM女だと、育てる楽しみがないからね。」 と言ったかと思うと、 「一から育てるのも、相手に与える影響を考えると重い感じがしてね。」 とも言う。 結局やる気ないんですね。 魚心のないところに水心があるはずもなく。 そういう心境のときは、パートナーを探すのもSMするのも億劫なのだろう。 逆に言えば、経験の有無に関わらず『これは!』と思う相手にめぐり合えば、またやる気にもなるのだろうし。 なんにしても、SM談義は面白かったし、楽しかった。
新年度が始まって、仕事が立て込んできて寝不足な毎日。 早く土曜日にならないかなぁ。
いろんなM女さんのサイトや日記なんかを見るにつけ、私に決定的に足りないものを再認識させられる。 それは、「奉仕の心」というもの。 私にはSamに奉仕したい(いわゆるフェラではなく、もっと総合的な面で)という気持ちがほとんど欠落している。
余談だが、Samはフェラが好きではないのであまりする機会がない。 たまにする場面があっても、それはSamの快楽のためではなくて、私に被虐感や屈辱感を与えるのが目的の行為に過ぎない。 たぶん、Samは根本的に受身になることが嫌いなのだ。 私が根本的に受身でしかいたくないのと同様に。 私が自分の意思で舌を使ったり腰を振ったりするよりも、私の体を道具のようにしてSam自身の好きなように使うことを好むから。 もちろん、道具であってもいい反応をすることは必要なのだが。
そんな背景もあって、肉体的には私はSamに奉仕することはまずない。 精神的にはあるのかというと、それも定かではない。 相手に楽しんでもらいたい、満足してもらいたい、というのが「奉仕の心」なのだとしたら、私とSMができることがSamの最大の楽しみであり満足なのをよーく知っているからだ。
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