37.2℃の微熱
北端あおい



 beksinski

好きな画家・BEKSINSKI氏が今年2月にお亡くなりになっていた、と教えてもらった。
その最期を聞いて、一瞬言葉に詰まります。
ねぇ、どうして?
世界の非情さに、こころの中でこっそり泣いてしまいそうになる(でも、可哀相なんて思っているわけではない。たとえば、旨く言えないのだけれど、誰にでも起こりうることなのに、それでもどうして?と問いをたててしまう自分の弱さに対して)。
帰ってさっそく画集(トレヴィル版ではなくて、Ramsay版)をひらきます。サイト(※)にゆけば、彼の死を悼むためか画面には巨大な十字架がそびえていました。

貴男の絵の隅々まで満ちている死の気配。不気味なもの。
得体が知れないなにかへの畏怖と恐怖。
この不穏な空気は、貴男自身の最期を予言していたのでしょうか?

いいえ、そんなことは、そうではない。
予定調和的な思考は唾棄します。
こんな醜い感情で、貴男の死を悼むのはやめて、
今夜は流れる音楽に導かれるまま、貴男が描き出した世界へと、
なにも考えずふかく沈みます。

貴男の描くその世界は、きたるべき終焉がきて、すべてが閉じようとしているかのようです。なのに、断末魔の叫び声などもはや聞こえず、それはとてもとても静かで、あまりにも静かすぎるので、おもわず両手で耳をふさぎたくなるようです。血肉が枯れて、むき出しになった骨のようなものが、それを目にしたとたん、その圧倒的な存在感でもってわたしを苛みはじめます。
幾等耳を塞いでも、その不気味さは消えてくれないのです。
そうして、一等聞きたくない声が聞こえます。
この風景はわたしの内側にあるものに違いないということ。

懐の闇のふかさをえぐり出すことができる画家・BEKSINSKI。
もし彼が生きていたのなら、この世界の深さや広さにどこまで辿り着くことができたのだろう。

※BGMつき。音楽と画像がこんなにうまく噛み合っているものって少ないのではないでしょうか。ぜひ音楽つきで見てほしいサイト。

2005年06月26日(日)



 レヴィナス

『Garden』があたまのどこかにひっかかったまま、本屋でレヴィナスの本をひろう。

2005年06月22日(水)



 古屋兎丸『Garden』

終電間際、ふらりと入った五反田あゆみBooksで、古屋兎丸『Palepoli』とどちらにしようか散々迷ったあげく『Garden』を買う。
近頃、忘れかけているなにかを思い出させてくれそうな予感がして。

それから、もう10回以上繰り返し読んでいる。
古屋兎丸、ダ・ヴィンチの4コママンガと『π』などが最初に触れた作品だったので、実はさほど気に留めてなかった漫画家…だったのに。
でも、初期作品はいいと教えてくれた人がいたので気にはなっていたのです。
そのとおりでした。
あんまりぽろぽろと泣いているせいか、電車で目の前のスーツの男性が席を譲ってくれました(感謝)。
でも、はたから見ればエロ漫画にしかみえない作品で、なんでこんなに泣いているのか不思議に思われているにちがいありません。
電車で読むような本ではないのだけれど、でも、ページをめくったら文字通り手がとまらなくなったのでした。

読んでいると叫び出したくなるような衝動にかられます。
泣かないで、泣かないで。
分析して。
この衝動がどこからやってくるのか、
ちゃんとつきとめて。

しばらく鞄にいれて持ち歩くことにします。
しばしば見失いそうになる衝動を見失わないために。

2005年06月20日(月)



 好き嫌い

好きなものと嫌いなものを見定めること。
忌憚なく好きだと言えるものに巡り会うのは難しい。
でも、それをさがそうとしないのは怠惰だ、と思う。
自分にとって最高のものを求めようとしないのは怠惰だ、
と思う。(生きるってそういうこと?)

2005年06月12日(日)



 澁澤龍彦記念日

今日は、(じぶんだけの)澁澤龍彦記念日。
きっと生涯で幸せだった日のベスト3にはいるのではないでしょうか
(順位は秘密)。

そう言えば、小林健二作品を直に目にしたのもこの日でした。
二年後の今日は、小林健二talkイベントの日。

2005年06月05日(日)



 ベルリン至宝展

ベルリン至宝展を見に上野へ行く。
ボッチチェリのヴィナスにためいき。
足が止まる。

このヴィナスを見ることが出来たら、展示されていたそのお部屋の他の絵画は見なくてもいい!と言えてしまいそうです
(とはいえ、最初の聖母の絵は素敵でした)。

このあいだのクノップフもそうだったのだけれど、絵の中にひきこまれてしまいます。いったん、絵の中にひきこまれてしまうと距離が消え、距離が消えれば、時間の概念が消えるのです。

美の重力にひかれて、その力のなすがままにヴィナスのまえに額ずきます。

2005年06月04日(土)



 『ハイブリッド・チャイルド』

レシアは棺にとりすがりながらブラウン管をコツコツたたいた。そうすれば再び生き返るとでもいうように。

だが奇蹟はおこらなかった。そこにはなにも現れず、宇宙の暗黒の闇が広がっているだけだった。
レシアはふるえながら思った。
さびしい……さびしい……さびしい……この世界は冷たすぎる……冷たい水のようだ、ここに流れる水のようだ、うすく透明で、寒い、寒い、寒い、青ざめた世界。

ある賢者は言っている−−もし最後のページにきたならば……本を閉じなさい、と。

(大原まり子『ハイブリッド・チャイルド』ハヤカワ文庫、1993)

2005年06月03日(金)
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