月に舞う桜
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★合計12冊 53. 藤原彰『餓死した英霊たち』 54. 江國香織『赤い長靴』 55. 坂木司『青空の卵』 56. 『新もういちど読む山川世界史』 57. アガサ・クリスティー『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』 58. 砂川文次『戦場のレビヤタン』 59. 西智弘『だから、もう眠らせてほしい 安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語』 60. ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福(上)』(2回目) 61. ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福(下)』(2回目) 62. フランソワーズ・サガン『一年ののち』 63. スーザン・フォワード『毒になる親』 64. 小笠原慧『DZ』
※数字は1月からの通し番号
福祉職の人間というのは、なんで他人のセンシティブな情報を何の躊躇いもなく「答えて当たり前」みたいな態度で聞いてくるんだろうか。 そりゃあ、”支援”を得るためにはプライバシーを開示しなきゃならないことは分かってますよ? だから、こっちも、本当は言いたくないことだって仕方なく答える。 でも、中には、本当にその情報が必要なのか疑わしいような聞き取りもある。そういう、必要性に疑問を感じるような内容も、平気で聞いてくる。どういう理由でその情報が必要なのかは、こちらが突っ込まないと説明しない。説明する必要があるとも思っていないような態度。 健常者なら他人に開示しなくて済むようなことも、障害があって”支援”を受けなきゃ生きられないから答えざるを得ないのは、とても屈辱的なことだ。まして、答えて当たり前のような顔でずけずけ聞かれれば、なおさら。
とは言え、私も以前福祉系の支援事業所で仕事していたから、同じようなことで利用者さんに嫌な思いをさせていたのだろうな。 仕事上、必要だから聞いていたし、聞くように上司にも言われていたけど、本当に本当に必要な情報だったのか突き詰めて考えてみると……どうなんだろう。 聞けることはとりあえず全部聞いとけ、みたいな雰囲気があるのは否めない。 私は、なぜその情報を教えてもらう必要があるのか説明はしていたつもりだけど、利用者さんがどうしても言いたくないことを答えない権利を、きちんと尊重できていただろうか。 「何でそんなことまで答えなきゃならないんだ」と内心憤りつつ、ここで支援してもらうためには仕方ないと心を押し殺して答えてくれた利用者さんもいたんだろうな。 もう謝れないし、謝ってもどうしようもないことだけど。
そして、例えば「配慮を得るためには自分の障害内容を相手が分かるように伝えられることが大事」などと“助言”するわけだけど、配慮がどうのと言ったって、健常者仕様の社会の枠組みでちょっと“お情け”や“お目こぼし”をもらうに過ぎなくて、結局は健常者仕様の世に適応しなければならない。そんな中で、自分を開示しろ、説明しろ、という“支援”や“助言”は、自尊心を削りつつこの健常者仕様社会に適応することを強いただけなんじゃないのか。 現実問題として、それが必要だとしても、当たり前みたいな顔をするのは違うだろう。
……ということを、退職してからずっと、モヤモヤと考えることがある。
とにかく、福祉職の人間には、相手が“支援”を必要としている障害者だからといって、センシティブな情報を何でもかんでも当たり前のように聞いていいわけではないことを今一度考えてもらいたい。たとえその情報が真に必要だとしても、聞き方ってものがある、ということも。 そして、そもそも、健常者なら隠しても生きられるようなプライバシーを、なぜ障害者はたいして知りもしない他人にずけずけ聞かれて開示しないと生きることさえできないのか、そういう発想・疑問を常に持っていてもらいたい。現実問題として、聞かざるを得なくても。
(答えるのを渋ったりすると、陰で「あの人はプライドが高い」とか「障害受容できてない」とか言われるんだぜ? プライド高いことの何がいけないの?)
あと、福祉職の人間の何が嫌って、平気でタメ口きいてきたり「うん、うん」って相づち打つところ。何て言うか、福祉職特有の話し方(口調、抑揚、言葉遣い)というのがあって、あれがすごく嫌いなのよね。
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