月に舞う桜
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2020年04月20日(月) |
中立=現状への賛同、加担 |
権利意識の低さや差別、同調圧力、多数者と少数者の著しい不均衡などなどが溢れる社会において、中立である(中立であろうとする)ことは、現状維持への賛同であり、現状への加担に他ならない。 でも、よほど自覚的でないと、「中立とは何か、何を意味するか」みたいなことをじっくり学んだり考えたりする機会を得づらい。 そして、様々な社会的事柄に対して、自分がどう考え、どういう立場を取るのかを発信する訓練も、あまりにも為されていないのではないかと思う。
野口晃菜 Akina Noguchiさん @akinaln のツイッターより https://twitter.com/akinaln/status/1249290490932936706?s=20 「無関心、なにも発言・行動しない、あるいは中立であろうとする=多数派や権威に賛同となってしまうことが、今回よく分かった。シティズンシップ教育をもっと勉強しようと思う。」
2020年04月18日(土) |
生まれては消える、一期一会の言葉 |
言葉。
言葉は一期一会で、その瞬間だけのものだ。 だから、生まれたらすぐに書き留めておかないと、消えてしまう。 あとになってたとえ同じ言葉を紡いだとしても、最初の、生まれた瞬間とは別の意味になっている。 表層は同じでも、血が、魂が違う。
霧散させてしまった言葉が、たくさんある。
小説を読んでいると、普段は思い出しもしない記憶がふいに甦ることがある。
小学校に上がる前、まだ4歳か5歳の頃、母が運転免許を取った。母が教習所に行っている間、私は日頃からお世話になっている近所の家に預けられていた。 私はそこで、塗り絵したり本を読んだり、おやつを食べさせてもらったりしていた。ときどき、ピアノ(オルガンだったかな?)を弾かせてもらうこともあった。ピアノだかオルガンだかを弾くと言っても、思いのままに鍵盤を叩くだけだけれど。うちには卓上の子ども向けキーボードしかなく、本格的なピアノもオルガンもなかったので、私はご近所宅の立派なそれを弾けることが嬉しかった。
預けられていたお宅には、何色かセットの、お絵かき用マーカーもあった。ときどき、それも使わせてもらえた。私はそのお絵かきペンセットが羨ましかった。私にくれないかなあと思っていた。 欲しいと口にこそ出さなかったけれど、「いいなー」くらいは言ったのかもしれない。その家のおばちゃんは、私の気持ちを察したようで、でも、「これは子どもたちが大切にしているから、あげられないの」と言った。その家には、私より年上の男の子が二人いた。 私は心底残念だったけれど、仕方なく諦めた。どうしても欲しいと駄々をこねたら、二度とペンを使わせてもらえないような気がした。
あのとき、おばちゃんがやさしく、けれどもはっきりと断ってくれてよかったなあと思う。 もしも、あのとき、おばちゃんが渋々譲ってくれたりしていたら、私は、欲しいものは何でも手に入ると思い込んでしまったかもしれない。その後、快く預かってもらえなくなったかもしれない。 なぜだか急にそのときのことを思い出して、断ってくれたことに今さらながら感謝した。
夜、江國香織の小説を読む。
テレビからは、新型コロナウイルス感染者が増え続けている、医療は崩壊寸前、今日は死亡者が何名、保育も介護もとにかくあらゆる現場が逼迫、疲弊している……というニュースが聞こえてくる。
江國香織の小説には、疫病も戦争も、(あからさまな)差別もない。ただ、常に薄らとした、あるいは濃い、かなしみがある。圧倒的な幸福の中にも薄い膜のようなかなしみが漂い、途方もないかなしみの中にも、ほのかな幸福がある。
私は、小説の世界に漂うかなしみに侵食されてゆく。積極的に、侵食される。テレビから流れ聞こえるかなしみに侵食されないようにするために。現実のかなしみから、自分を守るために。
そうしていると、次第に、現実と江國香織の世界の境界が曖昧になる。もしかすると私は小説の世界を生きていて、テレビの中のかなしみのほうがフィクションなのではと錯覚する。
それは錯覚なのだと理解しつつ、かなしみに侵食されてゆく。
こんな緊急時でも頑なに申請主義を押し通そうとするから、こういうことになる。 福祉サービスの申請から支給決定・利用までものすごく時間がかかることに平時でも苛立つ身としては、いま支給を待っている人たちがどんな思いかと想像すると本当に心が痛いし、腹立たしい。
◆「支給待つ間に会社潰れる」 休業助成金「手続き煩雑」で利用進まず(2020.04.14 毎日新聞) https://mainichi.jp/articles/20200414/k00/00m/040/266000c
春はたけのこ やうやう焼けゆく薄身 少し えぐみありて 白く輝く塩のまばら掛かりたる
戻りたい過去、戻りたい場所があるとしたら、それは過去の一定の期間ではなく、ある瞬間だ。 「誰かと過ごしたあの頃」ではなく、例えば抱きしめられた瞬間、例えば風がざわざわと鳴ったほんの数秒、例えば、視線を交わした刹那だ。 だから、「あの頃に戻りたい」はない。 あるのは、戻りたい一瞬と、戻れないという事実。
2020年04月12日(日) |
居場所のない子どもたち |
学校が休校となり、公共施設も休館となり、外出自粛が叫ばれる中、虐待などの理由から家にも居られず居場所を失っている子どもたちがいる。
◆「コロナで死にたい」 外出を自粛しない10代の子どもたちが抱える闇(2020.04.09 BuzzFeedNews) https://www.buzzfeed.com/jp/akikokobayashi/3keys
「死にたいとずっと感じていて、別に死んだっていい、という子もいます。コロナにかかれば、抱えている問題から逃れられる。『コロナで死にたい』という声さえ聞こえてきます」
「出歩いている子どもの一部が、深刻な暴力や貧困にさらされ、居場所がないという事情を抱えていることには目を向けられているだろうか。」
「『高齢者や周りの人の命を大切にしよう』という呼びかけがされていますが、大人に大切にされた経験がなく、さんざん傷つけられてきた子どもたちには響きにくいです」
障害学会が、「新型コロナウイルス感染症と障害者に関する理事会声明」を出してくれた!
こちら↓で全文を読むことができます。 http://jsds.org
声明内容は以下の二つ。
・手話や文字、わかりやすい表現など様々な形で情報提供してほしい ・障害者の生命を軽んじることがないように
新型コロナ感染拡大に伴って、障害者への治療が拒否されたり後回しにされたりする差別が世界で既に起きていることから、危機感を持った模様。 アラバマ州のガイドラインの件もあることだしね。
こういう発信は、ほんと大事。
2020年04月10日(金) |
その費用を別のところに |
あ〜もう、布マスク(アベノマスク)うちは要らないから、その分の費用を今日明日の生活費に困っている人に回してほしいんですよ。
アベノマスク配給に費用が466億円かかるらしい。 20万人以上に、20万円ずつ配れるなあ。
2020年04月09日(木) |
いまこそニーメラーを |
いまこそ、ニーメラーの警告を思い出すとき。 いま在宅勤務できている人、いま休業しても当面はお金に困らない人だって、明日はわが身、いつどうなるかは分からない。 補償があることによって外出せずに済む人が増えれば、業務特性上として働かないといけない人の感染リスクも下がる。
休業可能(業種特性上)な業種の人が安心して休めるよう、政府に「補償しろ!」と言い続けよう。
ニーメラーの警告 「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
2020年04月08日(水) |
死んでもいいけど殺されるのは嫌 |
これは日本でも十分起こりえること(世界のどこかで起こっていることは日本でも起こりえる)だし、日本の場合は明確なガイドラインによって排除されるというより、暗黙の了解的に排除されそうな気がする。
この記事のヤフーニュース版に「医療が逼迫していたら、トリアージが行われるのは当たり前」というようなコメントがいくつも付いていたけど、トリアージって、そのときの個々人の状態を診て優先順位を付けていくことであって、事前に属性で選別するものではないはず。
私はわりと、いつ死んでもいいと思っているタイプなのだけど、行政に殺されるのは嫌です。
◆ダウン症、自閉症だとコロナ治療で後回しに? 人工呼吸器不足で、米国アラバマ州が衝撃のガイドライン https://finders.me/articles.php?id=1838&fbclid=IwAR3jJsV7rT0gOUiJSKQv9Cq6dC_H6wrJsXi9rJlI1IGIn4tC9aMe2e3v0mA
「アラバマ州の新しいガイドラインは「重度の知的障害、進行性認知症、重度の外傷性脳損傷の人々は人工呼吸器の補助の対象にならない可能性がある」としており、「重度または最重度の知的障害、中等度から重度の認知症、または持続的な植物状態といった重度の精神的合併症の人々は人工呼吸器の補助の対象になる可能性が低い」と続けた。」
えー、わたくしといたしましてはですね、マスク2枚を、まさにですね、この、各世帯にマスク2枚を配るなかにおいて、60億円ですか? ま、かかるわけでありますから、まさに、大胆に方針転換してですね、これを、一気呵成に、休業補償にあててはどうかと、このように思うわけであります。
2020年04月01日(水) |
特例子会社という制度の構造上の問題 |
KDDIの特例子会社の記事。
スタッフが仕事に慣れてくると「外」に憧れて転職を考えてしまい、一般就労の難しさや、一般就労できても現状より収入が減ることを説明しても分かってもらえない……というのは、障害特性もあるかも知れないけど、特例子会社という制度や構造上の問題も無視できないと思う。 個々の特例子会社の問題だけではなくて、特例子会社というあり方の問題。
私自身も特例子会社で働いていたので、制度を全否定はしないけど、障害者を囲い込んでいるという側面は否定できないし、社会の中で特例子会社がどういう位置づけなのか、どう見られているのかは考えた方がいい。 記事の会社も、健常者との交流と言っても、あくまでカフェスタッフと客としての交流だよね。共に働く仲間として健常者と障害者がごちゃ混ぜになっているわけではない。
この会社がダメと言っているのではない。 特例子会社という制度・特質そのものに、知らず知らずのうちに自尊心を傷つけられることは、ある。 働く上で収入を考慮するのはとても大事だけど、お金の問題じゃなく、囲い込まれない環境に行きたいと思うのは、ある意味当然なんじゃないか。 インタビューの部長さんも「外」という言葉を使っているとおり、特例子会社は「外」と「内」を作り出して、障害者を内に閉じ込める作用もある。 閉じ込められることへの反発って、誰にでもあるじゃない? 一般就労の難しさ、厳しさを理解してもらう、という方向ばかりでは解決しない気がするな。
とは言え、障害者が働くには特例子会社はまだまだ必要なんだよね……。
あと、個人的には、部長さんの「障がい者は特別な人ではなく、凸凹の幅が大きいだけの普通の人たちです」という言葉が気になる。
「○○は特別な人ではなく、××なだけの普通の人たちです」
○○にマジョリティ属性を入れて言われるケースって想定できる? この言葉自体、マジョリティ仕草だな、と思う。 つまり、障害のない自分たちは常に「普通の人」側にいると思い込んでいて、「障害者だって〜なだけで、普通の人だよね♪」とジャッジしている。自分らはジャッジしていい立場だと思ってるわけですよ。たぶん無自覚だけど。
◆「コーヒーおいしかったよ」障がいのある社員と交流が生まれるカフェがあった。(2020.03.13 HUFFPOST) https://www.huffingtonpost.jp/entry/kddi-2_jp_5e69a835c5b6747ef116fc39?ncid=tweetlnkjphpmg00000001&fbclid=IwAR0OGRZkjkfz8Q2uU88Re-fljeWeKsuILPKZm-JtPDD3PBy391sqEZYcMTU
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