月に舞う桜

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2019年09月27日(金) 日帰り長野

昨日、Toshlの個展『マスカレイド・展』長野EXHIBITIONを観に、日帰りで長野へ行った。
長野での、『マスカレイド・展』以外のことを書いておく。


【食事】
せっかく長野なんだからお蕎麦を食べなくちゃということで、長野駅駅ビルのお蕎麦屋さんで鴨汁せいろ。





蕎麦はのどごし良く、つるつるっと入っていく。そしてバケツで持って帰りたいくらい、つゆが激旨!
蕎麦湯はとっても香り豊かでした。つゆに蕎麦湯入れて薄めるより、蕎麦湯につゆを入れて割る方が美味。

【お土産】
個展会場の美術館の向かいにある「おいしいメロンパン」と看板を掲げたパン屋さんで、
・メロンパン(プレーン)
・塩メロンパンラスク

メロンパンは表面がカリカリ、中はふんわり。
塩メロンパンラスクもサクサク軽くて美味しかったけど、かなりボロボロくずが出て大変(笑)

それから長野駅の駅ビルで
・りんごクリームとホワイトチョコをサンドしたクッキー
・くるみ味噌味の玄米あられ
・お茶漬け用の野沢菜

野沢菜は、お茶漬けにしなくても、炊きたてご飯に混ぜてすりゴマをまぶすと、何杯でもいけそうだった。


【移動事情】
・美術館最寄り駅は階段のみでバリアフリー設備がないため、長野駅から歩く(電動車椅子で)ことに。15分ほどかかるけど、歩道が広く平坦なので苦にはならず。ただ、雨が降ると大変だったかも。

・うちから東京駅まで在来線で行くとかなり時間がかかる上に、東京駅で在来線から新幹線に乗り換えるのも結構大変そうなので、新横浜→東京→長野と、新幹線を乗り継ぐことに。

・新幹線の予約時、車椅子の場合は東京駅での乗り換えに30分ほど時間を取るよう言われた。

・東京駅で新幹線を乗り換える際、エレベーターを使うならかなり迂回しなくてはならず健常者より時間がかかるが、駅員さんが慣れており、誘導はスムーズ。

・東海道新幹線と違い、北陸新幹線は多目的室を予約できない。乗ったとき空いていれば使わせてもらえる。

・一般の座席を一席分はずして車椅子対応席にしている。車椅子対応席は新幹線全体で指定席に一席のみ。自由席にはない。

・私の電動車椅子は横幅が60センチ未満で、車椅子対応席にいると少し通路にはみ出すものの、邪魔になるほどではない。もっと大きな車椅子だと難しいかもしれない(精神的な居心地の悪さも含め)。

・多目的室より車椅子対応席のほうが明るく、視野も開けていて心地よいので、行きも帰りもそちらを利用。

・帰りの東京−新横浜間は自由席を取り、デッキにいた。

長野駅の駅ビルの多目的トイレは、十分な広さがあり、ちゃんと背もたれもありGOOD!
おいしいお蕎麦を食べれて、お土産も買えて、トイレも含めバリアフリーも問題なく、なかなか快適な駅ビルでした。
街を散策する時間はなかったけど、それなりに満喫できた日帰り長野。そもそも、いわゆる観光名所よりも駅ビル的な場所のほうが私は過ごしやすくて好き。


2019年09月12日(木) 成分が足りない。

何かの成分が足りない。
それは、ビタミンとかカルシウムとか、甘いものとか、そういうことではない。
かと言って、新しい洋服や、どっぷり浸かれる小説や、わくわくする映画でもないし、困ったことに、Toshlでもない。
何なのか分からないけれど、とにかく何かの成分が足りない。
エネルギーの枯渇、とは違う。

こういう日は、ときどき不意にやって来る。
一人で町中をふらふらさまよっても、おいしいスイーツを食べても、満たされない。
むしろ、空洞が際だって、はっきり意識されるばかり。

きっと私はそんなに長生きしないだろうけれど、生きている間にこんな日がたぶん何回もあるんだろう。


2019年09月11日(水) 老夫婦のひととき

この前、若い女性に人気のカフェで、隣の席に70代くらいのご夫婦(と思しき男女)が来て、一つのケーキを二人で分け合って召し上がっていた。
二人とも「おいしいねえ」と、心底満足そうな声を出していた。特に男性の方が、ケーキのおいしさに感嘆しきりという様子だった。
男性の話し方がやさしく穏やかで、きっと奥様のことを大切になさっているんだろうなとお見受けした。
そんな二人の様子がとても幸せそうで、微笑ましくて、人知れずちょっと涙ぐみそうになる私。

友人が婚活していた頃、「家族がほしい」と言っていた。
私は、家族を作りたいと思ったことがないけれど、あのご夫婦を見ていたら、友人が言っていたのはこういうことなのかなあと少し分かった気がした。
一緒に年を取って、若い人で賑わうカフェに二人で入って、一つのケーキを分け合いながら楽しくおしゃべりする。なんて素敵なんだろう。


2019年09月10日(火) どうか、貴方が

どうか貴方が幸せでありますように

孤独から解放され
寂しさが埋められ
傷が癒え
絶望から守られますように

たとえ孤独に苛まれても
寂しさが消えなくても
傷が塞がらなくても
絶望が忍び寄っても
それでもなお、いつも幸せでありますように


2019年09月08日(日) トイレの良い例と、エレベーター問題

先日行ったルミネ横浜の多目的トイレ、ちゃんと背もたれがあってGood!




こういう、良い見本になるトイレを見つけると、思わず写真を撮りたくなる。
前にも書いたかもしれないけど、体幹にも障害があって姿勢保持が難しい人もたくさんいるから、トイレに背もたれがないと使いづらい……というか、使えない。
多目的トイレでも、背もたれがないところが多くて困る。

でも、トイレはいいんだけど、エレベーターが……。
ルミネだけではなくて他のショッピングセンターやデパートでもそうなのだけど、例えばフロアの南北に2基ずつエレベーターがあっても、車椅子用ボタンが南側は2基とも付いておらず、北側の1基にしか付いていないところがある。
知らずに南側に乗って、誰もいないと閉じ込められることがあって困る。
北側も、車椅子用ボタンで呼んだら片方のエレベーターしか反応しないから、もう一方のエレベーターが近くのフロアにいても来てくれず、車椅子用ボタンが付いている方のエレベーターが来るまで待たなきゃいけない……とか。
すべてのエレベーターに、車椅子ユーザーでも手が届くボタンを設置してほしいんだよねえ。

この前書いた電車の話もそうだけど、車椅子での移動はとかく待たされる。待たされ、待たされ……の連続で、生活時間を奪われる。
健脚者に比べ、人生トータルでロスさせられてる時間って、どれぐらいなんだろう。何日? 何ヶ月? 何年?


2019年09月07日(土) 車椅子で電車に乗るには、ものすごく時間がかかる(ことがある)

新宿や上野などの大きな駅は、改札に入ってから電車に乗るまでものすごく時間がかかる。

『マスカレイド・展』の帰りのこと。
改札で行き先伝えると、駅員さんが「係員が来るのでお待ちください」と。

待てど暮らせど係員は来なくて、10分後

駅員さん「いま人がいないので、あと10分ほどお待ちいただくようになりますが、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですか?」って、そりゃ大丈夫ではないけど、大丈夫ですって言うしかない。
そして無事に係員が来てホームに着いても、JRは降車駅に連絡がつくまで乗せてもらえないので、電車を一本見送り、結局、改札入ってから電車に乗るまで約30分かかった。

私鉄だと、乗車後に降車駅に連絡してくれるところもある(連絡を待たず、来た電車に乗れる)。
でも、JRは、降車駅に連絡がつくまで頑なに乗せてもらえない。隣駅に行くならまだしも、2,30分先まで行く場合も、それ。

いつだったか始発駅で乗るとき、自宅最寄り駅まで直通の電車がホームで待機していた。発車時刻まで少し時間があったにもかかわらず、まだ降車駅へ連絡していないからからと乗せてもらえず、結局、次の電車になった。乗った電車は直通ではなく乗り換えが必要で、乗換駅でも電車を一本見送り、帰宅がどんどん遅くなる……。

まあ、降車駅に連絡がつくまで乗せてもらえないのはJRのマニュアルの問題だけど、一番上に書いたような、係員が来るまでものすごく待たされるのはマンパワー不足の問題だから、どうしようもない。

電車が、車椅子でも独りで乗降できる仕様なら、こんなことにはならないんだ!
早く、車体かホームから自動でスロープが出て隙間と段差を埋めるような設備を!

ほんと、こんな状態で、パラリンピックで海外から大勢来たら、大丈夫なんだろうか……。
上の話は帰宅時のことなので焦らずに済んだけど、例えばオリパラ観戦に行く人が試合開始時間に間に合わなかったらどうするんだろうか。とても心配。
オリパラ期間中はもっと待たされるだろうから、外出を控えようか……なんて半分本気で考えている。


2019年09月05日(木) 龍玄とし『マスカレイド・展』上野PRE-EXHIBITION

上野の森美術館で開催されている龍玄とし(Toshl)初の絵画個展『マスカレイド・展』のPRE-EXHIBITIONを観に行った。
「音の世界を、描く」を副題に、Toshlが自らの楽曲を絵に描いた作品が並んでいる。
完全入れ替え制で、鑑賞できる時間は25分と、短い。ギャラリーはそれほど広くなく、展示作品数も絞られているので、初めは25分でも余裕があるだろうと高をくくっていた。が、途中で制作風景の映像とプロジェクション・マッピングが流れるため、制限時間はあっという間に過ぎていった。「時間配分を間違えた。一つ一つの作品をもっとじっくり観たかったな」という思いも。
それでも、Toshlの絵としっかり向き合い、その世界の奥深さを味わうことはできた。

とても「キャッToshl」と同じ作者の絵とは思えない、本格的な抽象画の世界観に驚く(私は「キャッToshl」のかわいくて気軽なタッチも好きなんだけど)。
己の内面にぐっと踏み込んで対峙し、こちらの心にも踏み込んでくるかのような絵の数々。描くことにとても真剣に取り組んでいることが伝わってきた。

以下、作品ごとの感想を書く(絵のネタバレだらけなので、あしからず)。


『音色』
ギャラリーに入るとすぐ目に飛び込んでくる作品。
金色に近い黄色のキャンバス。銀のラメを中心に、黄色や緑、赤など色とりどりの曲線が渦巻くように描かれている。そのキャンバスが横に3つ。色鮮やかな曲線はどれも細いが力強く、自由にてんでばらばらに踊っているようでいて、それぞれが響き合っている。
この絵を見た瞬間、「ああ、これは『音色』というタイトルだけれど、私にとっては『歌声』だな」と感じた。『音色』は、Toshlの歌声そのものだ。私はいつも、Toshlの歌声に希望を感じている。それと同じ種類の希望と輝きが絵に満ちあふれている。絵から、Toshlの歌声が聞こえ、降り注ぐようだった。
他の作品からは闇や孤独や痛み、ダークな色合いの中にある力強さを感じるものが多いが、『音色』は一点の陰りもなく絵全体が光り輝いていて、光や希望の集合体だ。
一番初めに目に入る作品が、この絵で良かった。最初にこの絵を観ることができたから、あとに続く作品としっかり対峙できたと思う。


『艶』
Fantasy On Ice 2019でToshlの楽曲『マスカレイド』を演じた羽生結弦選手を描いている。今回の展覧会で唯一の人物画。
失礼ながら、この作品を観てようやく「あ、もしかしてToshlって実はかなり絵がうまいのでは!?」と気づいた。
最初の一音が奏でられる瞬間の緊迫感がみなぎっている。
ギャラリーのスペース上、仕方がないけれど、『音色』と『艶』は、できればもう少し遠目からも鑑賞しやすい位置にあるとよかった。特に『艶』は、少し離れて観た方が、衣装の質感がわかりやすい。衣装の袖口の質感が秀逸。立体感も感じられる。


『奇跡の月明かり手のひらに零れ』
楽曲『マスカレイド』の歌詞の一部をタイトルにした作品。黒いキャンバスに、大きな楕円形が見切れて描かれている。左右から、血を垂れ流したような赤い線。この線は絵の具に厚みがあり、思わず触れたくなる立体感がある(もちろん触っちゃダメ!)。
楕円は赤や黄色、黒などで複雑に塗られ、不思議な模様をなしている。月というよりは、マグマから生まれた質量の大きな鉱石のようだ。赤を侵食するような黒い染み、混ざり合って太陽の炎のようにも見える赤と黄色。絵なので人為的なものなのだが、自然が生み出した複雑さに見える。幾重にも塗り重ねられた色は、筆の動くままに任せた結果なのか、計算なのか。インスピレーションなのか、それとも考え抜かれた意味と意図があるのか。
Toshlって、こういう絵も描くんだなあ、と新たな発見をした一枚であり、制作中のToshlの心の動きに思いを馳せつつ鑑賞した作品。そして、存在を少し遠くに感じた作品でもある。


『マスカレイド』
今回の個展のタイトルとなっているメインの作品で、F100号×10枚の大作。F10号は1,620mm×1,300mmのキャンバスで、これを横長にして縦2枚、横5枚並べているので、絵全体としては縦が2.5メートル、横は8メールほどある!
(ちなみにパンフレットによると、『音色』はF50号×3枚、『奇跡の月明かり手のひらに零れ』はF100号×3枚、下に書く『CRYSTAL MEMORIES』はF60号×8枚だそう。他も、大きな作品ばかりだった!)

楽曲『マスカレイド』そのものだけでなく、羽生選手の演技にもインスピレーションを得て描いたそう。でも、私は羽生選手にそれほど思い入れがないので、ただToshlの内面、制作中の心情に思いを馳せた。
外界へ見せている仮面の姿、仮面の内側の、隠した想い。仮面を通しても見える……あるいは、仮面を外して見せる、あふれ出る情熱と生の強さ、それでもなお内側に秘められた孤独や悲しみ、寂しさ……。
黒いキャンバスに、層をなすように重ねられた赤。赤と一口に言っても、鮮やかな赤もあれば、ワインのような赤、黒みを帯びた赤もある。左のほうに広く塗られた赤は、魂の熱が発する蒸気のように揺らめき、もくもくとしている。そして、作品全体に舞う、ビロードのストールのような赤。
けれども、多種多様な赤に感嘆しつつ、一番印象的だったのは、白の使い方だ。全体的に暗めで孤独を思わせるトーンの中で、白が際立っている。キャンバスを貫くように踊る白は、力強く、迷いがない。それは孤独や悲しみの中に差す光――まるで、Toshlの歌声のようだ。
非常に色に厚みがあることも印象的だった。
『マスカレイド』の歌詞を、もう一度じっくり読み返したい。


『宿命の記憶』
ギャラリーの最奥、行き止まりの壁に展示されている。
真っ黒なキャンバスに、大きな血だまりのような赤が3つ。
入口の『音色』と最奥の『宿命の記憶』が、見事に対照的だった。明と暗、陽と陰、光と闇。幸せと痛み。笑顔と孤独。Toshlの二面性……多面性?
並べて鑑賞するのも面白いかもしれない。同じ作者で、こんなに色調や世界観が異なるなんて!
純粋に絵として好きなのは『音色』だけど、作品の前で何時間も立ち尽くしていたいのは『宿命の記憶』だ。目にした瞬間、心をぎゅうっと掴まれて、苦しくなる。帰宅後も、この絵がずっと脳裏に焼き付いて離れなかった。
真ん中の赤は、心臓だろうか。誰かに傷つけられたように赤がえぐれ、引き攣れて、その下の黒が見えている。それでもなお力強く脈打っている、そんな印象だった。
ほとばしる魂の叫びに呼応して、こちらも叫びたくなるような、それでいて、過去現在未来のToshlをやさしく抱きしめたくなるような切ない感覚。

私は、94年にToshlと出会って、そのあと97年があって、98年があって……それから長い年月を経て、2008年があって、2010年があって、2014年、2015年、16年、17年、18年、19年……その間の言葉にしがたいいろんなことも全部、この絵に凝縮されている気がした。
長い年月と、痛みを想った。黒と赤のみで、グラデーションもないシンプルな色使いだからこそ、圧倒的な存在感と有無を言わせぬ迫力に満ちているのかもしれない。単純と言えば単純な構成に、込められた想いの複雑さを感じた。


『運命』
鮮血のような赤に塗られたキャンバスの左側に、バケツの中身を上からぶちまけたように黒が広がっている。右側には何も描かれていない。
絵の構成が『宿命の記憶』と似ているものの、赤と黒の使い方が逆だし、作品の持つ意味も逆なのかもしれないと感じた。
『宿命の記憶』は「記憶」というくらいだから、たぶん過去のこと。それに対して『運命』は、過去と現在と、そして未来。『運命』の右半分に何も描かれていないということは、運命はまだまだ続いていて、これからどのようにも描くことができる、Toshlが自分で決められるということだろう。


『CRYSTAL MEMORIES』
キャンバスは群青に塗られているが、その色は単一ではなく、よく見るとうっすらグラデーションになっている部分がある。それはまるで、夜が更けきって、明るくなる寸前の空のようだ。その群青のキャンバスに、迷路のようにも蝶の羽の模様にも見える白。白の終着点には、スワロフスキーのクリスタルが付いている。絵の具だけではなく、様々な素材を使った試みは面白い。

『奇跡の月明かり手のひらに零れ』と『CRYSTAL MEMORIES』は、タイトルから私が想像する絵とだいぶ違っていた。私とToshlの感性の違いを感じつつ(それはかなしいことではなく、むしろ愉快なことだ)、Toshlの創造性、芸術性を想う。


鑑賞中、時間が来るとスタッフが『マスカレイド』の制作映像を流した。入館者全員で、それを観る。
ピアノ弾き語りの『マスカレイド』をBGMに、画面の中で一心に、ひたむきに、筆や刷毛を走らせる。ときには力強く、ときには慎重に。稀代のアーティストというよりは、一人の素朴な人間の姿だった。

また少し鑑賞時間を挟んで、今度はプロジェクション・マッピングが流れた。題して「龍玄プロジェクション」。
楽曲『マスカレイド』と、絵画『マスカレイド』の融合。スクリーンの中で、絵画『マスカレイド』が絵の要素ごとに現れては消えていく。赤が花びらのように舞うのが印象的。
これまでいろいろバージョンの『マスカレイド』を聴いてきたけれど、プロジェクション・マッピングの『マスカレイド』が一番好きだ。歌い方も一番好きだし、壮大で力強いピアノやヴァイオリンなどの音色によって、いっそう歌が映えると感じた。

プロジェクション・マッピングをやっていない間は、スクリーンに『昇龍』が映し出されていた。大きな、白い龍の絵。今回は、原画の展示はなし。


すべての作品を一通り観て、気になった絵を再度、一つ一つじっくり観ていった。が、途中でプロジェクション・マッピングが始まり、それが終わると退館しなければならなかったので、もう少し時間があればなというのが正直なところ。でも、もっと時間があったとしても、結局は『宿命の記憶』の前に居る時間が長くなっただけかもしれない。
歌とは違う一面(表情、感情)を見ることができた絵もあったし、歌よりももっとダイレクトに内面がさらけ出された絵もあった。でも、伝えたいこと、表現したいことがあって、想いを込めてそれを伝えようとしているのは、歌も絵も同じ。


貴方が幸せでありますように

孤独がかき消され
寂しさが埋められ
傷が癒え
絶望から守られますように

たとえ孤独に苛まれても
寂しい夜があっても
傷が塞がらなくても
絶望が忍び寄っても
それでもなお、いつも幸せでありますように


物販には、スタッフとして小瀧俊治さんがいた。こんなことまで手伝ってもらって申し訳ないなと、なぜか私が恐縮してしまう。
グッズは、パンフレットとDVDとポストカードを購入。パンフは、開催初日に印刷ミスが見つかっていた。まだ正規版が届いていなかったので、ミスを承知で買った。たしかに、ページの順番がめちゃくちゃで、かなりカオス。まあ、これはこれで芸術的と言えなくもないし、貴重な記念に。

『マスカレイド・展』の開催が決まったときは行くのを迷っていたけど、行って良かったな。


2019年09月01日(日) 依存気味な……?

※「依存」「依存症」という言葉を使っていますが、医学的見地は皆無です。すべて素人の個人的な考えですので、あしからず。

依存症にはいろいろな種類があるけれど、もし自分がなるとしたら買い物依存症だろうなと思ってきた。いや、別に本気でその可能性を心配しているわけじゃなく、あくまで「強いてどれかと言うなら」のレベルだけど。

この夏、独りで美味しいものを食べに行きたい欲求がとどまるところを知らず、実際にあちこち行った。
この状態、過食と言うよりは、買い物依存の亜種なのではないかと思う。美味しいものを食べたいというのは表面的な欲求であって、お店に出かけていって食事のためにお金を使うこととか、あるいはもっと他の何かが真の目的なんじゃないか……みたいな。
美味しいものを食べることができたら一定の満足感はあるものの、心はどこか満たされない。満たされないから、他にどこかいいお店はないかなあと調べたりしている。

まあ、外食のために借金しているわけではないし、生活が破綻しているわけでもないし、そもそも毎日のように外食しているわけでもないから、依存「症」ではなく「依存気味」なのかな。

あと、私の場合は独りで外食できるのがコートを着ない季節に限られるから、行きたいお店にはいまのうちに行っておかないと、という心理が働いているかもしれない。
上着の脱ぎ着が自力でできないし、上着を荷物として扱うのも私の手に余る。

美味しいものを食べに行きたいとか、食事にお金を使いたいとかだけではなくて、誰の手も煩わせず、誰にも気兼ねせず、独りで外をうろうろしたりして長時間過ごしたいという欲求も強いんだろうな。
服が軽くて動きやすいいまは、貴重な季節。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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© 2005 Sakurai Yuzuki