月に舞う桜
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2018年04月30日(月) |
初めてのアイスショー |
初めてアイスショーに行った。 スケーターの体って、ほんときれいだし、みなさん華麗で優雅。 ゲストスケーターも、織田信成さん、安藤美姫さん、樋口新葉さん、本田真凛さん、田中刑事さんなどなど、豪華だった。 途中で小学生ぐらいの子供たちも出てきて、しっかりジャンプ跳んでいたのがびっくり! あの中から、将来のスター選手、オリンピック選手が出てきたりするのかな? 車椅子席のすぐ目の前に一般席があって人の頭が並んでいるので、ちょっと……結構見づらかったのが残念だったけど、行ってよかった。 もう少し高さのある席だと見やすいな。
町田樹さんが『ボレロ』を使ってたんだけど、『ボレロ』って同じ旋律をひたすら繰り返すだけなのに曲の始まりと終わりで全然表情が違うし、飽きないどころか曲が進むにつれてワクワク感が増していって何度でも聴きたくなるの、ほんとすごいよなーって改めて感嘆した。 少しずつ少しずつ楽器が増えていく構成がドラマチック。 ラヴェル、天才かよっ!
2018年04月14日(土) |
トイレの話ーーPodcast『にじいろ交差点』第7回 |
昨日に引き続き、キャシーさんと遠藤まめたさんのPodcast『にじいろ交差点』のご紹介。 今日は第7回のことを。こちらも、文字起こししたものがキャシーさんのブログにテキスト公開されております。 ちなみに、この回は「トイレの話が聞きたい!」という私のリクエストが採用されました。わーいわーい!
★第7回「ジェンダー、トイレ、そして、ユニバーサルデザイン」 テキスト:https://wp.me/p1gZ37-2Xz YouTube:https://youtu.be/e6CDi8neuyY
トランスジェンダーの人たち(=他人)が直面しているトイレ問題を知りたいと思ってテーマをリクエストしたけど、聴いてみたらこれは他人の話じゃなくて「私の問題」だった。 私は車椅子ユーザーとして、「多機能トイレは私たちのもの」と思ってしまってないか? と。 つい「車椅子用トイレ」と言ってしまうし、つい「車椅子ユーザーが優先」と思いがち。今までは「でもオストメイトの人もいるしな」ぐらいしか思考が広がっていなかったけど、必要な人は誰でも使えばいいし、「必要な人が誰でも使えるように」って車椅子ユーザーこそ声を上げるべきじゃないかと思った。 いまも物理的には誰が使ってもいい状態けど、必要な人が必要に迫られて多機能トイレを使ったときに「何で健常者のあんたが使うんだ!」と非難されることのないように、「多機能トイレは(必要な人が)誰でも使える」の認識を一般的なものにしたい。表示も車椅子マークだけじゃないほうが良いし。
『にじいろ交差点』は非当事者こそ聴くべきと毎回思うけど、この第7回は特にそう。トランスジェンダーじゃない人こそ聴いたほうがいい。 トランスジェンダー男性である遠藤まめたさんが「入れそうなときは男子トイレで、難しそうなら性別で区切ってないトイレを探す」と話したあとの「すごい不便だけど、ずっとこれだから。毎日毎日これ」という言葉がショックだった。トイレは生きていくうえで避けて通れない(しかも日に何度も)ものなのに、そこに不便を感じなければならない不条理。 当事者には非当事者が思いもよらないようなリアルがあり、それを知った非当事者は驚くけど、当事者にとっては「日常」なわけだよ、不当にも。 季節によって(=着る服の枚数によって)トイレに入るハードルが変わるというのも、非当事者には思いもつかないリアル。 そういう、当事者の日常に根差したリアルを聴くことは本当に大事。社会の生きづらさを解消するうえでも、自分が無自覚に加害者になるのを防ぐためにも。 ちなみに「トイレを基準に行動する」は、意味合いが違うものの、車椅子ユーザーも同じだから身につまされる。
……という感想を、Podcastを聴いた当時ツイッターに載せた。 そしたら、ある女性が「知的障害のある息子はトイレ介助が必要なので、外出先で多機能トイレを使ったら、車椅子ユーザーに怒られたことがある」と投稿していた。 そっか、そういうケースもあるようなぁと、とても勉強になった。介助者が異性の場合は当然、男女別トイレは使えないわけで、多機能トイレを使うしかない。被介助者が車椅子ユーザーとは限らないのだから、やっぱり多機能トイレは「車椅子ユーザーだけのもの」じゃない。
私は、男子トイレにも女子トイレにも入りづらいトランスジェンダーの人も含めて、必要な人は誰でも多機能トイレを使ったらいいと思うし、それを言っていきたい(トランスジェンダーの人にとっては、それで万事解決というわけではないにしても)。 まずは、多機能トイレを真に必要としているかどうかは、外見からは判断できないということを多くの人に知ってほしい。電車の優先席と同じだよね。 ただ、例えば男女別トイレが混んでいるという理由で多機能トイレに入った人が、ついでに長々と化粧直しする、とかはやめてくれと個人的には思う。
ちなみに余談だけど、ずいぶん前に当時の異性パートナーと出かけた商業施設でトイレに行きたくなったとき、車椅子で入れるトイレが男女別トイレの中にしかなくて、介助が必要な私はとても困った。男女別トイレの外にある多機能トイレをわりと必死に探したのであった。 今はもうそんなところないだろうと思っていたけど、最近も見たんだわ。とある区役所は、車椅子マークのトイレが女子トイレの中にあって、独立した多機能トイレがなかった。介助者が異性の場合は困るよねー。
さて、Podcast『にじいろ交差点』は第8話・第9話が公開されていますので、ぜひ聴いてみてください。文字起こしは、またそのうちに〜。
★Podcastはこちらから↓ iTunes:http://goo.gl/fLLYJ8
2018年04月13日(金) |
当事者ニーズを聴かない人はどの分野にもいるーーPodcast『にじいろ交差点』第6回のご紹介 |
この日記で紹介したことあるか忘れたのですが、LGBT当事者のキャシーさんと遠藤まめたさんがLGBTにまつわるあれこれを語るPodcast『にじいろ交差点』の文字起こしを私がやっておりまして、最近、 第6回と第7回のテキストがキャシーさんのブログで公開されました。 音声データは、Podcastの他YouTubeでも聴くことができます。 感想を書くと長くなるので、今日は第6回だけご紹介。
★第6回「保毛尾田保毛男騒動とアライシップ」 テキスト:https://wp.me/p1gZ37-2Xy YouTube:https://youtu.be/phyBWjJnIkY
「アライ」というのは、一般的にはLGBTの理解者・支援者というような意味で使われるそう。 で、当事者のニーズに耳を傾けないダメなアライの例が話されていて、非常に共感した。
本人は相手を理解し支援しているつもりなんだけど、当事者の意向を確認せずに暴走しちゃう人は障害者支援でも結構いる。 もうずいぶん前だけど、エレベーターの列で目撃したのが、まさにダメな支援者だなと思っていて。 その介助者は、車椅子を押しながら「車椅子が優先ですから!」と大きな声で叫んで、前に並んでいる人を押しのけて我先にとエレベーターに乗り込んだんだよね。 それって車椅子ユーザー本人の意向なのかな、同じように思ってるのかな、とかなり気になった。 ……ということを、この第6回を聴いて思い出したのでした。
どんな分野であれ、当事者が何を望んでいるかきちんと耳を傾けてから行動するのが、基本中の基本。
あと、アライ(理解者)を自称する人に対して懐疑的になるのも、多くの分野で共通するのではないかなー。 私も、「障害者を理解してます!」と言って近づいて来られたら、ドン引きして距離を置くだろうしな。
★Podcastはこちらから↓ iTunes http://goo.gl/fLLYJ8
2018年04月06日(金) |
少しずつでも時代は変わっている……と思いたい |
先日、気掛かりなことがあって婦人科に行った。 治療方法の説明のとき「もし今後お子さんが欲しい場合は……」と言われ、私も子どもを産むかもしれない存在とちゃんと認識されているんだなと、安堵した。 こんなの本当は当たり前のことなんだけど、旧優生保護法下の強制不妊手術関連のニュースに憤っていたところだったから、医師の何気ない一言が心に響いた。 さすがに優生保護法の時代とは違うな。
とは言え、2,3年前だったかな、知的障害を持つ女性が生理不順で産婦人科に行ったら、医師に「子ども産まないでしょ?」と言われた……というニュースがあったから、完全に楽観的なわけじゃない。 でも、少しずつでも時代は変わっていると思いたい。
実際のところ私は子どもを産むつもりはないんだけど、「子供を産むか産まないかという自己選択」と「子ども産むかもしれない存在と認められているか、産んではいけない存在と思われているか」はまったく別の話。 子どもを産むつもりがないからと言って、子どもを産んではいけない・持ってはいけない存在とみなされて良いわけはない。
ちなみに、強制不妊手術のどんなニュースに憤っていたかと言うと……↓ 森友学園問題とはまったく違うところで、公文書って本当に大事だなと痛感した話でもある。
★強制不妊手術 旧厚生省が「優生手術」増を要請 (2018.2.20毎日新聞) https://mainichi.jp/articles/20180220/k00/00m/040/149000c
旧優生保護法に基づく障害者への強制不妊手術に関して、1957年に当時の厚生省が手術件数の増加を求める文書を都道府県に出していたそう。 これは、その公文書が京都府立京都学・歴彩館(公文書館)に保管されていたから発覚したことだ。
当時の厚生省は
・優生手術の実施件数が予算上の件数を下回っていること ・都道府県によって手術実施件数に格差があること
を問題視して、 「手術対象者が存在しないということではなく、関係者に対する啓蒙活動と貴殿の御努力により相当程度成績を向上せしめ得られるものと存ずる次第」 「本年度における優生手術の実施につきまして特段のご配意を賜りその実をあげられるよう御願い申し上げる」 などと言っている。
あのさ、本人の同意を得ない強制不妊手術で「啓蒙活動」とか「ご努力により相当程度成績を向上せしめ得られる」とか「特段のご配慮を賜りその実を上げられるよう」とか言っちゃってるんだよ、役所が。 でもこれ、公文書がきちんと保管されていなかったら、闇に葬られていたんだよね。
あと、これ↓
★障害者に禁止レントゲン照射 強制不妊手術で厚生省容認 (2018.2.21京都新聞) http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180221000024
これも同じく京都学・歴彩館に保管されている公文書で発覚したんだけど、1949年には、旧優生保護法で不妊手術方法として禁止されているレントゲン照射を、厚生省が「法の規定で禁止されているところであるが、大学(医学部)等において学術研究目的として行うことは差し支えない」と容認したそう。
流れとしては
京大医学部が京都府に「放射線照射で行いたい」と言う ↓ 府は「規定以外の術式は如何なる場合においても行うことができない。学術研究の特種の場合として認めてよいか疑義がある」として厚生省に照会 ↓ 厚生省が上記の回答
もうさ、本当にさ、どこまでも人の体を軽く見てる。 でも、これも、公文書がなければ明るみに出なかったこと。 過去を知るのに公文書は本当に大事。 公文書の改竄は、現在の国民を欺くだけじゃなく、未来への裏切りだ。 過ちを繰り返さないためにも、過去を知ることは大事。悪政や人権侵害を後の世で正すことができるのも、過去を知ればこそ。 過去を知ることができるのは、正しい記録があるから。公文書改竄は、未来を妨害することでもある。
ちなみに、旧優生保護法下で強制不妊手術された人の中で、個人が特定できているのは約2割だそう。 記録がなければ個人を特定できない。 個人が特定できなければ救済・賠償のしようがない。 何度も言う。記録は大事。
★強制不妊手術、個人特定2割のみ 被害者救済に課題 (2018.3.28朝日新聞) https://www.asahi.com/articles/ASL3V43H2L3VUTIL00Q.html
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