月に舞う桜

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2017年10月12日(木) お豆腐とかぼちゃと、ストレッチ

友達と豆腐料理のお店でランチした。
京風のお店なので、お出汁がとっても上品で、おすましがほっとする美味しさだった。出汁は大事! もちろん、お豆腐も美味しかったあ。

ランチのあと、お店を変えてお茶。
かぼちゃタルトを食べた。かぼちゃクリームがモンブランのように螺旋状にぐるぐるっとなっていて、かぼちゃのかたまりもたくさん入っていて、食べごたえがあったなあ。
かぼちゃタルトの形状からモンブランを思い出し、今度はどこかで渋栗モンブランを食べなくちゃ! と心に誓ったのであった。

友達とはもう25年以上の付き合いで、関係性は全然変わらない(と私は思っている)けど、話題がやっぱり大人になってきたよね私たち、と思う。相変わらず、くだらないこともたくさん話すけど。

ところで、これ↓



引っ張ると伸びるシリコン製のストレッチ用品で、腕や肩周りのストレッチ用に昨日買ったんだけど、見た目が何だかエロいと思うのは私だけ!?
黄緑と紫もあったけど、強度によって色が分かれていて、一番やわらかいのはピンクなんだよなあ。黄緑がきれいで良かったけどなあ。
去年買ったストレッチ用のゴムバンドは劣化で切れてしまったので、これからはこれで頑張ろう!


2017年10月06日(金) お話しました。

先日、小学校に行ってお話した。

休憩時間に子どもたちがわらわらと集まってきて、取り囲まれてびっくり。
私、決して子どもが嫌いなわけではないんだけど、一人っ子だし周りに子どもがいないので慣れてなく、子どもの相手をするのが得意ではない。子どもは接するより遠目に見るぐらいがちょうどいい、と思うタイプでして。
講演より、休憩時間に子供の相手(質問攻めにあったりとか)するほうが疲れたな……。

あと、最後に全体で「ありがとうございました」と言ってくれただけで礼儀は十分と思うんだけど、その上さらにクラス代表(?)の子たちが列をなして、一人ずつ「ありがとうございました」を言いに来た。ちょっと戸惑いつつ、内心「もういいよー、お気遣いなくー」だった。
何かこう、ああいうのってさ、「じゃあ、最後に代表者が順番に、桜井さんにお礼を言うことにしましょう!」って先生の指導(指示)があったんだろうなあ、と考えると、ちょっと気持ちが萎える。
子どもたちの様子からも「言わなきゃ感」がひしひし伝わってくるし。休憩時間に率先して集まって来たときの雰囲気とは全然違うもんね。
学校のやることって、なんか過剰なんだよね。子どもたちも私も、その過剰さを求めてないのに付き合わされてる感じ。

子どもたちよ、「お腹が空いた。早く帰らせて!」とか思ってごめん! 君たちも早く給食食べたかっただろうにね。

で、その列に並んだ最後の一人の挨拶が終わるまでニコニコ笑顔を絶やさないように気を付けながら、Toshlの握手会を思い出してた。
握手しながらちょっとでもお喋りしたいと思っちゃうけど、Toshlはこの何倍もの人数を相手しなきゃいけないんだから、さっさと立ち去るようにしないとな……なんてことを考えたのであった。

肝心の講演……講演と言うほどのものじゃないから、自分でこの言葉を使うのは気が引ける。何か他に適切な言葉がないかなあ。お話? 肝心のお話は、時間内にきっちり収まったし、子どもたちもちゃんと聴いてくれて質問の手もたくさん上がったし、まあうまくいったんじゃないだろうか。
「車椅子で生活していて一番困ることはどんなことですか?」という質問が、意外と一番困る……困るっていうのは語弊があるな。答えに迷うというか、ね。
子どもに「その質問が一番困ります」って言うのもなあ。大人だったら笑ってくれるかもしれないけど。
車椅子で生活していて困ることや大変なことはいろいろあるけど、どれも質問への答えとしては自分の中でピンと来ないんだよなあ。瞬時にめっちゃいろいろ考えを巡らせた挙句、だいたいいつも「生活に時間がかかること」って答えてる。

あとね、いろいろな立場の当事者の話を聴く授業はとても大事だし良い取り組みだと思うんだけど、じゃあ学校の中で本当にちゃんと一人一人が尊重されているのかなっていうのは気になるところだよね。
先生たちは丁寧に対応してくれて、お礼も言ってくれるし、「ぜひ今後もこういう授業をしていきたい」とも言っている。もちろん、その気持ちは本物なんだろうけれど、その一方で、職員間のいじめや待遇格差があるんだろうなとか、学校内で嫌な思いをしてる子どもがいてもすぐ対応してもらえなかったりもするんだろうなとか、どうしても考えてしまう。
決して、今回行った学校に何か問題があるんじゃないかと感じたわけではなくて、一般的にね。
子どもたちには「いじめはダメ」とか「みんな平等」とか「困ってる人がいたら助けましょう」とか言うけど、先生は、例えば先生以外の職種の人たち(事務員さんとか用務員さんとか)に高圧的な態度を取ったりはしてないよね? とか思っちゃう(実際、友達からそういう話を聞いたことがあるもので)。

まあ、何はともあれ、子どものうちからこうやっていろんな立場の人の話を聴くことは大事よね、うん。


2017年10月03日(火) WEBマガジン「Plus-handicap」に参加!

WEBマガジン「Plus-handicap(プラス・ハンディキャップ)」にライターとして参加することになりました。不定期でコラムを書きます。
昨夜、第一弾が掲載されました。

★「生きづらくない状態」とは「自由であること」。じゃあ、自由ってどういうこと?
https://plus-handicap.com/2017/10/8879/

ぜひ、たくさんの人に読んでもらえると嬉しいです。
自分の不注意で電車を乗り過ごしてしまったときに味わった感動が、少しでも伝わればいいなあ。そういう文章をちゃんと書けてるといいなあ。

「Plus-handicap」は

≪「生きづらさ」に焦点を当てたWEBマガジン。
なんとなく「生きづらい」ひとたちの、なかなか「知らない」リアルや「生きづらさ」を打ち破るためのきっかけや改善提案をお届けしています。≫

とのこと。
障害者だけじゃなく、様々な立場、様々な「生きづらさ」を抱えたライターさんがコラムを書いています。

★「Plus-handicap」トップページ↓
https://plus-handicap.com/

「生きづらさ」って、この社会で実は多くの人が抱えているんじゃないかと思うんですよね。
でも、自分とは異なる立場や環境、境遇の人が抱えている「生きづらさ」の本質って、なかなか見えにくく、実感しにくい。知る機会もあまりない。
「障害者」とか「女性」といったような特定のカテゴリーに焦点を当てることも大事なんだけれど、そうすると、その場所ではそれ以外の「生きづらさ」が見えてこない。
だから、より横断的に「生きづらさ」というものを見ていく場って必要なのではないかなと思います。
立場は違えど、「なんか生きづらいよね」という思いを同じテーブルの上に出し合って、共通認識を持つことで、そこから建設的な何かが生まれることもあるんじゃないかと。

あと、このWEBマガジンに参加したいと思ったきっかけは、編集長が一年余り前に書かれたコラム↓です。

★編集長のコラム「障害を「個性」だなんて言うけれど。」
https://plus-handicap.com/2016/07/7557/

このコラムに書かれていることは、私がずいぶん前からずっと感じていること、そのものずばりでして。
「障害は個性」という考え方はわりと広まっているような気がするんですが、正直「嫌だなあ。迷惑だなあ」と前々から思っているのです。
誰かが自身の障害を個性と捉えることで生きやすくなるのであれば、それは私が口を挟むことではないけれど、少なくとも私の障害は個性ではないし、「障害は個性」が一般論として普及してしまうと「生きづらさ、息苦しさ」は増すばかり。
障害はただの不運、ただの「押し付けられたもの」なのに、それを「個性」などというポジティブで口当たりの良い言葉に置き換えるのは、障害ゆえに否応なく押し付けられた「生きづらさ」を意図的に無視、あるいは軽んじられているように思えます。
ただの不運と思うから「まあ、しょうがないか」と折り合いを付けられるのであって、他人に「あなたの障害は個性でしょ?」なんて言われたら、たまったもんじゃないわあ。
私の障害は障害であって、個性なんかではありません。

で、このWEBマガジンに参加するに当たり、編集長とお会いしていろいろお話したのですが、今回のコラムに書いた内容も含めて私の体験をお伝えしたら、「へえ! 車椅子ユーザーってそうなんですね!」と、こちらの想像以上に興味を持ってくださり。
(編集長も足に障害があるけど、車椅子ユーザーではない。)

編集長の言った「へえ!」こそ、私にとっては「へえ!」で。
私にとっては(車椅子ユーザーにとっては)当たり前で、取り立てて言うほどのことじゃないように思えることでも、他の人(車椅子ユーザーじゃない人)にとっては新鮮な驚きに繋がることっていっぱいあるんだな……と、改めて実感したのでした。

ところで、もう一つのWEBマガジン「LoveHandi」ですが、残念ながらWEBマガジン自体が現在休載中です。
再開されたら、もちろんまた参加するつもりです。

★障害者と健常者を繋ぐWEBマガジン「LoveHandi」桜井弓月の記事一覧↓
https://lovehandi.jp/author/sakurai/


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