月に舞う桜

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2017年06月20日(火) サンマルク

昨日、誕生日だった。

いまの経験値と知識を携えたまま10歳若返りたい。たいした経験値も知識もないけど。
10年前に戻りたいわけじゃないんだよなー。長生きしたいわけでもないんだよなー。
いつまでも若々しくいたいっていう願望ともちょっと違う。
なんだろうなー。取り戻せない過去と、過ぎていく日々への焦燥感かな。

で、今日はサンマルクで1日遅れの誕生日ランチ。
サンマルクは、誕生日を登録しておくと事前にハガキが来て、お誕生日コースが割引価格になる。

メニュー(正式な品名ではなく、私が適当に名前付けました)↓

・かぼちゃとトマトのスープ
・サーモンとグレープフルーツのサラダ
・夏野菜のゼリー寄せ
・若鶏と夏野菜のグリル 黒酢ソース
・ガトーショコラとバニラアイス




あとは、昼間からペリーニを飲んじゃった。

そして、もちろんパン食べ放題!
サンマルクは自分でパンを取りに行くんじゃなく、焼き立てを店員さんがそのつど持って来てくれるから嬉しいよね。

今日食べたパン↓

・チャパタ
・シュガーロール
・フレンチトースト
・ベーコンパン
・オニオンパン
・クロワッサン

あったかくて、やわらかくて、どれも美味しい! 一つ一つが小ぶりなおかげで、いろんな種類を食べられるから、ありがたい。
「お腹いっぱいだから、もうパンはいらないなー」と思っても、自分が好きなパンが回ってくると、つい頼んじゃう。

食べすぎたから夕飯はなくてもいいか、と思うけど、お店で誕生日のプレゼントにパン5個詰め合わせがもらえたので、それを食べるとしよう。
家で温めると、お店の焼き立てみたいにはならないけどね。


2017年06月16日(金) 気持ちが落ちると人生が面倒

ここ3日ほど、イライラしたりウツっぽくなっていろんなことが嫌になったりしていた。

昨日の朝、改札階へ通じるエレベーターが「故障中」となっていた。駅ビルのエレベーターでも改札に行けるけど、まだ駅ビル開店前で動いていなかった。そうすると、150m〜200m先の踏切を渡って、線路の反対側に行かないと駅に入れない。

駅の目の前にいるのに、何とまあ、遠回りなことかしら。

車椅子ユーザーの踏切での事故ってときどき聞くし、実際、危険を感じるので、極力渡らないようにしている。でも、故障中のエレベーターが直るのも、駅ビルが開くのも待ってられないので、仕方なく踏切を渡った。

この時点で、なんかもう嫌になっちゃって。

階段しかないなら、悪態をつくことができる。私が目的地にすんなり行けないのは、エレベーターを設置しない奴のせいだ! って。

でも、本当に嫌になるのは、「誰かのせいにできない面倒くささ」が自分の人生にまとわりついていることだ。
エレベーターの故障とか、遠回りとか、そんなことはどうってことないし仕方ない! と思える日もあるけれど、心が一度立ち止ってしまうと、それが自分の人生における大きな障壁の象徴のような気がして、絶望してしまう。

歩けないことが嫌、っていうのとはちょっと違うんだな。
ことあるごとに、面倒な事態になって生活にとても時間がかかる、そんな人生が嫌なんだよね。

目の前に階段があるのに、それをタタタッと駆け上がって改札に行けない、そういう人生を私が黙って引き受けなきゃいけないのは、なぜ?

エレベーターを作れ! と訴える権利はあっても、エレベーターがなければ立ち行かない人生の根本は変えようがない。誰かのせいではないし、誰にもどうにもできない。


図書館で本を返して、いつもなら持参したポメラでしばらく書き物するんだけど、椅子をどけてもらうために受付に行ったら職員さんがみんな別件対応中で、何だかもうどうでもよくなって図書館を出てふらふら彷徨った。

幸い、そのあと辿り着いたスタバがそれほど混んでいなかったので、しばらくいてもいいだろうと思い、ポメラを広げた。


帰るとき。
駅のエレベーター待ちの列で前にいた人は、杖をついていた。エレベーターが来て、順々に乗り込んで、詰めればその杖の人も乗れそうだったけど、「次でいいです」と言っていた。詰めて乗るのが怖かったのかなあ、杖をついていると幅を取るから遠慮したのかなあ、と勝手に想像した。

人生は、誰もかれもが難儀だ。


2017年06月11日(日) 「そういうふうにしか生きられない」という哀しみ

これを書いている時点で、X JAPANのツアーに関する記者会見が生中継されたニコ生はまだ観ていない。
観れば、また何か違うことを感じるのかもしれないけど、とりあえず、いま思っていることを書き留めておく。

ドラムはなし、ピアノで参加、アコースティックライブ……。
うーん、まあ「ドラム叩く!」って言い張らないだけ良かったけど、やっぱり安心させてはくれないのね。
本当に大丈夫なんだろうか?
ただでさえ、7日間で6公演という強行スケジュールで、ツアー1ヶ月前のいまも首が痛いと言っていて、はたして本当にピアノを弾けるんだろうか?
それも、ただ弾くだけじゃなく、YOSHIKI自身が納得するクオリティの演奏ができるんだろうか?
90%治るのに6ヶ月かかると言われてるなら、どうにか6ヶ月以上延期することはできなったのかなあ。
興行的に、延期はもう無理だったのかなあ。

アコースティックライブって、それならそれでいいけど、大阪で2日、横浜で4日も連続でアコースティックライブやって、興行的に成功するのだろうか? とちょっと心配になる。
そして、こんなこと今さら言っても仕方いんだけど、横浜で4日もやらなくていいから地方にも行ってほしかったなという思いがやっぱり拭えない。
まあ、それはそれで、メンバーに移動の負担がかかるから、何とも言えないけど。

YOSHIKIがドラム叩かないなら、この際、日替わりでいろんな人をゲスト・ドラマーとして呼んじゃえばいいのに。
にゃんごすたーとか、LUNA SEAの真矢とか、Dir en greyのShinyaとか、DEZERTのSORAとか。

アコースティックのステージ演出をいろいろ練っているとは思うけど、どうかギターとベースの魅力も存分に発揮できるステージプランでありますように。
お願いだから、「YOSHIKIがステージに立って、ピアノ弾いてるだけで最高!」って感じのお涙頂戴なライブにだけはしないでほしい。
だってそんなの、プロの興行じゃないからね。

どうもX JAPANはメンバーとファンの感情的な結びつきが強くて……時に強すぎて、見失ってはいけないものを見失うことが多々あると思うのよね。私もその渦の中にいるから、見失いがちなのは私も含めてなんだけど。
プロのアーティストがやるライブってのは、第一義に「興行」なわけでしょう?
「ファンのため」とか、「やってくれるだけでいい」とか、そういうことの前に、まずビジネスとしてどうなのかってことを考えなきゃいけないと思うんだよね。
観客はチケット代を払い(それも、安くはないチケット代を!)、アーティストは観客を楽しませる。
本当に幕が上がるのかとか、YOSHIKIが6公演をやり通せるのかとか、ライブ中にYOSHIKIが倒れやしないかとか、そういうことを観客がずっと心配してなきゃならないってのは、プロとしてどうなの? 
まあ、こっちが勝手に心配してるわけだけど、それにしてもさ、これまでのライブでも付き物だった「心配」とはレベルが違うわけだよ。
「まだ本当に首が痛い」とか言ってて、痛々しい写真も載せちゃって、ツアー初日まで1ヶ月しかないのに観客にこれだけ心配させて、そんなんならライブやめるべきだと思うんだけど。

でもさ。

YOSHIKIは、YOSHIKIの生き方でしか生きられないんだよね。
みんな、そうだけどさ。
誰だって、その人なりの「そういうふう」にしか生きられないんだよ。
自分の人生を誰にも肩代わりしてもらえないとか、他の誰かのようには生きられないとか、それこそが人生の哀しみと孤独だと思う。

難儀だよなあ、YOSHIKIの生き方って。
もっと楽に生きられたらいいのに。
日本人って、苦労することを美徳として、楽することを悪だと考える傾向があるけどさ、本当は楽に生きることこそ美徳なんじゃないかって思うことがある。

でも、YOSHIKIは楽に生きられないんだよね。そういう性分だから、しょうがないのかなあ。

YOSHIKIはそういうふうにしか生きられないんだなって思ったら、尊敬でもなく同情でもなく軽蔑でもなく、何か、ただただ哀しくなった。

こうやって、ああだこうだ書いてても、幕が上がってしまえば、それまでのモヤモヤなんて一気に吹っ飛んで熱狂しちゃうんだろう。YOSHIKIのことも、全部許しちゃうんだろう。

私は、それが分かってる。

でも、今回は本当にそれでいいの?


X JAPAN、日本公演「決行」 YOSHIKIはピアノのみで参加--Yahooニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170609-00000316-oric-ent


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