月に舞う桜
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2017年04月23日(日) |
ワンオク、って言うかミスチル |
ONE OK ROCK 2017 “Ambitions” JAPAN TOURの横浜アリーナ公演に行った。 ワンオクのライブは初めてだ。 昨日のライブにYOSHIKIが行ったらしい。本人がツイートしていた。私も昨日行っていれば会場でYOSHIKIに会えたかなあ……なんて。そんなわけないのに。横浜市民としては、横アリにYOSHIKIがいると思うだけでドキドキしたなあ。 で、今日、会場に入ってから、「関係者席ってどこかな? YOSHIKIはどこら辺で観てたのかな?」ときょろきょろしてしまったのだった。
さて、ワンオクのライブはいつもそうなのか分からないけど、少なくとも今回のツアーはいろんなアーティストがゲスト(オープニングアクター)で出ていた。 で、昨日と今日のゲストは何とミスチルですよ! ミスチル好きにはたまらんっ! 他のゲストの方々に失礼を承知で完全に私の主観で言うと、他の日は正直知らないバンドがほとんどで、ミスチル級のゲストはミスチルだけ。 しかも、自分が行く日のゲストがミスチルだということはチケットを取ったあとに知ったので、なおさら運の良さに歓喜した。
Mr.Childrenセットリスト↓ fanfare 擬態 Tomorrow never knows 跳べ 終わりなき旅
ワンオクの前座がミスチルって、何て贅沢なのかしら。 5曲もやってくれたし、嬉しすぎる。ライブはまだまだこれからなのに、ミスチルのライブを観れただけで大満足。
擬態は、2015年に日産スタジアムで聴いた。あのときのことをちょっと思い出した。あの日産スタジアムは、とても濃いライブだったな。擬態は、胸の中が澄んでいく曲だ。 擬態のあと、MCだった。 桜井さんいわく、去年ボーカルのTakaと食事したときに酔った勢いで「ツアーのオープニングアクトで出させてよ」とお願いしたそうな。「直に頼まれたからTakaくんも断れなかったんだと思う」って桜井さんは謙遜してたけど、断るわけないよね。 ワンオクがバンドとして大変なときに、メンバーみんなでTomorrow never knowsをカラオケで泣きながら歌ったそうだ。そんなわけで、MCのあとはTomorrow never knowsだった。 ベタ過ぎるくらいベタだけど、私、この曲が大好きなんですよ。ミスチルを好きになったのも、この曲がきっかけだし。 そして、最後の終わりなき旅は大学受験のときによく聴いて背中を押してもらっていた思い出の曲だ。この曲で締めくくってくれたのも嬉しかったな。ワンオクへのエールのようにも聞こえたし。
そしてそして、初めて体感するワンオクのライブは、いやー、若さに溢れていたよ。 そりゃあもう、飛び跳ねる飛び跳ねる! MCも熱かった。 セットリストのほとんどは知っている曲だったけど、頭の中でいろんな曲がごっちゃになっているのでタイトルが思い出せないものも多くて……。 Wherever you areとCry outが聴けてよかった。あと、We areも。 車椅子スペースが、周囲がちょっと動いただけでなぜかとても揺れるので、こりゃあ自分も揺れるしかない! と、ほぼ体揺らしっぱなし。 そのうえ、X JAPANに負けず劣らす腹から声出す系の首振る系で結構体力使うし、ずっと足に力を入れていたので、あとで筋肉痛に。でも、いい疲れだった。 首を振るリズムと振り幅がX JAPANと違うんだよね。Xより、前後に大きく、ゆったり振る感じ。ゆったりだけど、力強いのね。 「この曲では、ここを一緒に歌う」とか曲ごとのルールを分かっていなかったけど、分からないなりに周りに合わせて声出してたら、参加できた満足感を結構得られた。 またいつかライブに行く機会があったら、もっとしっかり予習して今回よりさらに参加度を上げられるようにしたい。 ワンオクはメンバーみんなが仲良さそうで、仲良しの男子高校生たちがそのまま大人になったようなノリも垣間見えた。明るくて、はっちゃけてて、真剣に熱くって。 客席の勢いも半端なくて圧倒された。ものすごく熱いし、統制が取れてて一体感ある盛り上がりだし、ステージと客席のエネルギーがぶつかり合って、これがライブってものよね! と胸アツでした。 照明もカッコ良かったな。ただ照らしてるんじゃなく、ちゃんと演出されてて、世界観を作り上げていた。
あー、それにしてもミスチルのライブに行きたくなった! 今年のツアーは日程的に無理だから、来年かなあ。チケットなかなか取れないんだよねえ。
晴れてポカポカ陽気の日は、ひとりで気軽に外出できるからありがたい。 今日は朝からポメラを携えて図書館に行った。 仕事のようなものになるかどうかも分からない原稿を書きたかったからだ(うまくいっても「仕事」ではなく、あくまで「仕事のようなもの」である)。 家でも書けるけれど、ネットが繋がる+音楽が聴ける環境はときとして誘惑のかたまりなので、ただただ文字を入力できるだけのツールしかないところに身を置いてみることにしたのだ。場所を変えるのは気分転換にもなるし。
図書館は、いい! 静かな中にも足音や本を出し入れする音なんかがあって、それがかえって落ち着く。無音より適度な雑音がある方が、自分の世界に浸って集中できるものだ。 お昼ご飯を食べに行くのにちょうど良い頃に、ポメラの電池残量が少なくなっていると警告が出たので、図書館をあとにした。 ポメラって、ACアダプタも付いてたらいいのに。図書館に電源が使える机あるのに。
お昼ご飯。 たいていのファミレスにはドリンクバーがある。安いし飲み物の種類も豊富なので、私もよく利用する。が、ひとりで行く場合はちょっと気が引ける。 私は、「グラスに飲み物を注いで、持って移動」ということができない。誰かと一緒なら、その人に取りに行ってもらえばいいけれど、ひとりのときは店員さんにお願いせざるを得ない。 お水をくれるなら、それで我慢するのだけど、最近はお水もセルフだったりする。どっちみち店員さんに頼まなきゃいけないなら、せめてお金を払うドリンクバーのほうが心苦しさは軽くなる。 「あの、申し訳ないのですが、1杯だけでいいので、烏龍茶を持って来ていただいてもいいですか?」と腰を低くお願いすると、どこの店員さんも快く応じてくれる。 そのときどきで、頼むものは烏龍茶だったり緑茶だったりオレンジジュースだったりする……って、そんなことはどうでもよくて、いくら店員さんが快く応じてくれても、私はやっぱり心苦しいのだ。 今日の店員さんは「いえいえ、1杯と仰らずに、何回でも持ってきますのでお呼び下さい」とまで言ってくれた。メニュー単価がめっちゃ安い店なのに。 あぁ、ありがたい。申し訳ないっす。 まあ、ひとりのときは長居しないので、おかわりしないけど、そう言ってもらえるだけで恐縮してしまう。 客に自分で飲み物を取りに行かせることで、店員さんの手間を省くことにも繋がってるんでしょう? 違うのかな。 なのに、私だけ手を煩わせてしまって申し訳ない。 でも、食事に飲み物がないのは寂しいし、喉が渇くし、料理によっては口の中を飲み物でクリアにしたくなるし、やっぱりドリンクバーは頼みたいんですよ。店員さんの手を煩わせるのが心苦しいからと言って、飲み物を我慢するほど自分を卑下するのは、それはそれで何か違うなとも思うわけですよ。 でもでも、申し訳ないなあって、いつも思うの。 だから、ドリンクバーのある店にひとりで行くのはちょっと気が引ける。 同じ理由で、フードコートなんかも、ひとりで行くのを躊躇する。 もうこれは、100%私の気の持ち方の問題であって、お店がどうのってことじゃあないんですよ。 だからこそ、どうしたもんかなと思い悩む……ってほどでもないけど、申し訳なさは消えない。 名付けて「ドリンクバー問題」ね。
本屋。 ここ何年も、欲しい本はアマゾンで買っている。買う本が決まっているなら、本屋より通販の方がすぐ探せるし持って帰る手間が省けるから。 でも、本屋で偶然見つけて手に取った本を買う、という行為は、やっぱりロマンがあって情緒豊かで心が満たされる。心が鎮まって澄んでいく感覚もある。 たくさんの並んだ本を自分の目で見て、その中の一冊(あるいは二冊、三冊)を選んで買うという一連の行為は、読書の楽しみの中に含まれていると思う。 今日は、平積みになっているよしもとばななに目が止まって、あまり吟味せずに購入を決めた。裏のあらすじを一応読んではみたものの、正直それは私の中で何の決定打でもなくて、装丁が私好みの淡い色合いであるところに惹かれた。 この装丁なら、たぶん面白い、という直感。 不思議なもので、アマゾンの画面を見ただけでは、そういう直感は鈍るんだな。 本屋って、人生の豊かさを視覚化した場所だと思う。 そう言いつつも、あんまり行かなくてごめんなさい。
2017年04月09日(日) |
最近気になったニュース |
最近ネットで見つけた記事で気になったものをまとめておこうと思う。 数日前にFacebookに投稿したものを、ほぼそのまま転載しています。あしからず。
◆誰に対しても当てはまる! 札幌市の発達障害「虎の巻」が話題に 両方の立場で構成「考えるきっかけに」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170406-00000001-withnews-sci&p=1
この取り組み自体とてもいいし、こういうのがニュースになるのもいいことだと思う。 発達障害に限らず、障害者は「できないこと」に注目されがちだけど、「こういうふうにすれば、できるよ」ってことを知ってもらうのはとても大事なことだ(障害者以外もそうかな?)。 どういう工夫や対応をすれば、生活しやすく、学びやすく、働きやすくなるのかを広めることは、障害当事者のためになるだけでなく、円滑な関係を構築するヒントになるという意味で、その障害を持っていない人たちにとっても有益なことと思う。 こういう取り組みが医療や福祉の現場だけでなく、行政からも発信されているところにも大きな意味があるよね。
虎の巻シリーズはこちらからダウンロードできるようです↓ http://www.city.sapporo.jp/shogaifukushi/hattatu/hattatu.html#toranomaki
◆バス運転手、車椅子理由に乗車拒否 県委員会、運行会社へ配慮助言 /成田 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170406-00010003-chibatopi-l12
10年以上前に別のバス会社で同じような目(「スロープの出し方が分からない」との理由で乗せてもらえなかった)に遭ったけど、いまだにこんなことやってんのか(呆)。 車内がものすごく混雑してるとか、電動車椅子のサイズオーバーや重量オーバーなら仕方ないけど、「リフトの操作方法が分からない」なんて言っちゃうのは公共交通機関の乗務員失格でしょ? もし、そのあと別の所員が言った「手動車椅子向けで、電動は乗せられない」が真実なのだとしたら、運転手はそう説明すべきだった……いや、そもそも、その理由もおかしいけど。 「電動車椅子お断り」ってでっかく貼っておけばいいのに。そんなことしたら差別だなんだって言われるでしょ!?と思うかもしれないけど、現に結果は同じだからね。 そもそも、成田空港発のバスなんて種々雑多な人たちが利用するんだから、なおさら乗務員の教育・研修をしっかりやって下さいよって話。 せっかく千葉県がいい条例を制定してるのにね。 そして、この記事に対して「安全面とリスクを考えて、そう判断しなければならない場合もあるのでは」とか「混雑時は車椅子を乗せられない場合もある」とか「できないことを乗車拒否と言われてはたまったもんじゃない」なんてコメントがあるけど、記事ではそんな理由(安全面や混雑)は一言も書かれてないんだよね。 ってことは、今回の論点そこじゃねぇわっ! で、記事から読み取れる問題点を理解せずに、そういうコメントに対して「そう思わない」より「そう思う」の方が圧倒的に多い日本の現状……日本って、まだこんな段階かあ、嫌んなるね。 車椅子マークが貼ってあるのに、「リフトの操作方法が分からない」なんて理由で乗せてもらえない方が、たまったもんじゃないっつーの!!
◆人工知能が誰かの自殺を予測し、防ぐ日は近い──Facebookも注目するアルゴリズム https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170403-00010000-wired-sci
自殺を防ぐことができたらいいな、と思うのは前提で。 「人々が自ら命を絶つことを防止する」ことは、果たして、いつなんどきも「崇高な」ことなのだろうか? たしかに自殺者が多い社会は問題だけど、それよりもっと大きな問題は、生きているのがつらくて本気で死にたいと思っている人が自殺者の何十倍もいる、ってことだよ。自殺者数ってのは、自殺が成功したという単なる結果に過ぎないわけで。 死ななきゃいいってもんじゃない。 重要なのは、死なないことじゃなくて、生きていけるって思えることでしょう? AIが自殺を予測して防ぐことができたとして、じゃあ、死ねなかった人たちはどうなるんだろう? 生の外へ出て行きたいと思い詰めるほどの問題にたいして解決策を提示したり、本人が自分で解決できるくらいにエネルギーを回復するまで心に寄り添ったり、そういうことはいったい誰がしてくれるの? そういうことができずに、ただ自殺を防ぐだけじゃ、ただのおせっかいになりかねないし、本人にとっては苦しみが続くだけ。 それに、「自分でも気づかなかった自分の精神状態を、AIが教えてくれる」というのは、本当にありがたいことなんだろうか。 自分の精神状態を把握しておくことはとても大切なことではあるけれど、気付かないふりをしているから生きていられるってこともあるだろうに。 自分の精神状態を突きつけられたら、かえって死にたくなったりして。 例えばSNSに自殺願望や自傷行為願望を載せるのは褒められたことじゃないけど、本人にとってはネットで吐き出しているからリアルな世界で何とか生きていけるかもしれないのに、SNSでの発言をもとに自殺前兆の警告を出されたりしたら、吐き出す場所がなくなって追いつめられることもありそう……と想像してみたりもする。
あ、繰り返すけど、できれば自殺は防げたらいいなってのは大前提。 でも、それ以上に、死にたいって思う人を減らせたらいいよね。
母とお花見に行った。とても風が強かったけれど、良いお天気だった。
川の両側に、どれくらいだろう、たぶん2キロ以上は桜並木が続いている。
まだ満開ではなくて、全体的には七、八分咲き、中には五分咲きの木もあった。 でも、歩けども歩けども続く桜の眺めは見ごたえがあったし、川面までせり出すほど伸びて垂れ下がった枝は風情があった。 週末なら、ちょうど満開になって一番見頃かもしれないけれど、これから数日は天気が悪いようなので先に行っておいて良かったと思う。
川の下流は鴨が泳ぐには水が少なく、鴨はトタトタと歩きながら水中をつついていた。 もう少し上流では、鴨より小さい鳥が川の流れに抗えず、すうっと流されている場面も。 鳥は苦手だけれど、遠めに見るぶんにはかわいいと思うこともある。
花見の名所になっているのだろう、たくさんの人が歩いていたけれど、大きな公園がないのでブルーシートを敷いて宴会に興じるような人たちがおらず、騒々しさに興ざめせずに済んだ。 犬を散歩させている人、自転車を押しながらときどき足を止めてカメラを構える人。みんな、道を譲り合ったり写真撮影の邪魔にならないように気遣ったりしながら、基本的にはゆっくり歩いていた。 川沿いは車やバイクが入れない遊歩道だから、安心して桜を眺めつつ歩くことができる。
途中、きれいなユキヤナギも。
遊歩道も桜並木もまだまだ延々と続いていたけれど、疲れたしお腹も空いたので、1キロちょっとで引き返した。
家のすぐ目の前に桜の木が5、6本あるけれど、私の部屋から一番よく見える木だけが、毎年なぜか咲くのが遅いというか、あまり咲かない。 お隣さんの前にある桜は、順調にわんさか咲いているのに。 まあ、今年はうちの周辺はどこも開花が遅かったな。まだこれからという感じ。
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