月に舞う桜

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2016年09月30日(金) 未来の私のための、覚え書き

できればそんなことは起きてほしくないのだけれど、もしも私の身に今まで味わったことのないような哀しみや絶望が降りかかって、生の世界から出て行きたいと思うほど心が痛みでがんじがらめになったら、湯本香樹実の『ポプラの秋』を読もうと思う。

でも、それほどまでに苦しいとき、昔読んだ小説のことなんて思い出せないだろうから、誰か教えてほしい。


人の心の温かさや、やさしさや、痛みや悲しみ、苦しさの真っただ中からの再生、そういったものを丁寧に描いている物語は、好きだ。

そして、そういう物語を紡ぐことのできる人を、尊敬する。


小説なんていうのは、所詮フィクションで、ただの絵空事だ。
でも、人の心が作り出したものだから、人の心を支えもするし、救いもする。

何かのCMが言っていた。
「人が想像できることは、実現できる」って。
SFじゃないなら、なおさらだろう。

ならば、フィクションに描かれた再生もまた、実現可能なはずなのだ。


もしも私が痛みや哀しみに打ちのめされそうになることがあるとしたら、未来の私よ、どうか思い出して。


2016年09月27日(火) 暑さにやられて、『KYOKO』を探して

先週は寒かったのに、今週は一転、夏が舞い戻ったかのような暑さだ。

昨日はハローワークへ失業手当の申請に行った。
ハローワークは駅から徒歩15分かかる。往復で30分。暑さにやられてしまったようで、昨夜から今日の昼過ぎまで体がしんどかった。
自己都合退職の場合、手当がもらえるまで3ヶ月の待機期間がある。退職日から、ではなくて、申請してから3ヶ月らしい。
ということは、会社がもっと早く離職票をくれていたら、もっと早く申請できて、もっと早く手当が受け取れるようになったってことよね。まったく、もう!

ハローワークのあと、本屋で村上龍の小説『KYOKO』を探した。
店員さんに頼んで、系列店や出版社にも問い合わせてもらったけれど、どこにも在庫がないらしい。どうやら絶版になっているもよう。
ネット書店も、どこも一様に「注文不可」となっている。

私にとってToshlは、『KYOKO』の主人公キョウコにとってのホセのような存在だ、ということは今年1月5日付の日記の後半に書いた。

1/5の日記

幼少期に両親を事故で亡くしたキョウコは在日米兵のホセからダンスを教わり、そのダンスがキョウコを孤独から救ってくれた。
「どんなことがあっても、これがあれば生きていける」と思えるものを教えてくれたホセにお礼を言うため、大人になったキョウコは、はるばるニューヨークまでホセに会いに行く。
そして、末期のエイズ患者であるホセの願いを叶えるため、ホセを車に乗せて、マイアミに住む母親のもとへ連れて行く……というのが『KYOKO』のあらすじだ。
(1/5の日記ではホセの故郷はキューバだと書いたが、正しくは、家族でキューバからアメリカへ亡命して来て、母親はマイアミに住んでいるのだった)

私は、Xの曲、Toshlの歌声を聴いたとき、「この音楽、この声があれば生きていける」と思ってしまった。
だから、Toshlは、私にとってのホセなのだ。
それで、その想いを伝えたくて、今年のToshlの誕生日は『KYOKO』をプレゼントしようと決めた。
ところが、上述の通り、絶版なのである。
私が持っている本は、長い年月の末に染みがたくさん付いてしまい、とてもあげられる状態ではない。しかも、よく見るとブックオフのシールが貼ってある。私も新品を買ったわけじゃなかったのか……。

この小説がToshlの好みかどうか分からないし、そもそも本を読んでくれるかどうかも分からない。
それでも、いいのだ。ただの自己満足だけど、気持ちとともに贈ることができれば、それでいい。

なるべくきれいな中古を探すしかないなあ。

先日のニコニコToshlチャンネルの放送で、私の質問が読まれた。
前半は割愛されていたし、実際に質問文を読み上げたのはゲストの(というか、ほぼレギュラー化している)CUTTくんだったけど、嬉しかった。うふふ。
今回の放送で募集していたお便りのお題が「秋といえば」だった。
『KYOKO』を贈るにあたり(まだ本を手に入れてないけど)、Toshlの小説の好みを知りたかったので、「読書や芸術の秋」でちょうど良いと思い、「どんな小説や映画が好きですか?」と聞いた。
まあ、どんな答えであれ、『KYOKO』を送りつけることに変わりはないんだけど。
私の投稿を何とか選んでほしいと、頭をひねった。
10/5の深夜に、お笑い芸人兼芥川賞作家の又吉直樹と一緒に番組をやるので、その話題も絡めて質問してみた。
タイムリーな話題って取り上げられやすいし、番宣にもなるし。
結果、ビンゴ!
グッジョブだったよ、私! やったよ!

……と浮かれている場合ではなくて、『KYOKO』を手に入れなくては。

ちなみに、Toshlはこの前の芥川賞作品『コンビニ人間』が面白かったと言っていた。又吉の『火花』は言葉が難しくて何度も読んだそうな。
映画はドリーを観て、思いのほかウルッと来たらしい。


2016年09月23日(金) endless rain

台風が過ぎ去っても、毎日雨が降り続いている。困ったものだ。

火曜日
子宮がん検診に行った。2年に1度、横浜市の助成で検診を受けられる。
指定病院の一覧に、電車で10分弱で駅近で女性ドクターという理想的なクリニックがあった。この夏に開業したばかりらしい。
きれいで落ち着いていて、先生も看護師さんもとても親切だった。先生はやさしくて明るくて、感じが良い。患者に対してはもちろん、看護師さんに対しても威張ったところがないので好印象。
介助者として母に同行してもらうとは言え、産婦人科の診察椅子に上がるのはいつも大変だ。それに、私は股関節が固いので、脚を開くのも看護師さんの手が必要なんである。だから、看護師さん二人と先生まで加わって快く介助してくれたのは本当に助かったし、安心だった。
頸がん検診のついでに子宮と卵巣のエコー検査を勧められた。横浜市の助成はがん検診のみなのでエコーは自費だけれど、これまで一度も受けたことがないしせっかくなので受けることに。「もしエコーで何か問題が見られたら、体がんの検査もしましょう」と言われ、体がん検査は痛いとよく聞くので嫌だなあと思ったけれど、幸い問題なく、体がん検査は免れた。
エコー写真をくれたけど、赤ちゃんもいないのに、どうすればよいのやら。
それにしても、子宮がん検診は何度受けても愉快なものではないなあ。ここ何年もパートナーがいないのと、出産経験もないからかなあ。頸がんでも地味に痛いのに、体がん検査はどんだけ痛いんだろうか。

水曜日
自立生活に向けて料理もできるようにならねば! と思うけど、車椅子で使いやすい台所ではないこともあって煮炊きはまだ難しいので、最近はとりあえず夕飯の下ごしらえをやっている。
それで、東急ハンズで私が使いやすそうな包丁とまな板とピーラーを買った。包丁はとても軽くて腕が疲れないし、「10年錆びない」という保証付きだ。
ハンズで買い物したあと、前々職場の同期だった友達とランチ。トマトベースだけどほんのり味噌の味もするパスタを食べた。
友達は難病を患っていて(最近は調子が良いようで安心した)、私よりも前に仕事を辞めている。家族と良好な関係を保つためには、自分も家族もお互いにこまめに外へ出る機会を作った方が良いよ……というような、無職の心得をアドバイスしてくれた。うんうん、そうだよねー、と納得。

昨日
Toshlのファンクラブイベントがあったけど、朝から強い雨が降っていて、天気予報が一日中雨だと言っていたので、悩んだあげくに諦めた。
寒いし風もあるし、屋外で開場を待つみたいだし、オールスタンディングなのに車椅子で行くって連絡してないから危ないかもしれないし……と自分に言い聞かせて。
チケットが無料だったことも、諦められた要因かもしれない。発券手数料は無駄になっちゃったけど。
有料でもいいから、またファンクラブイベントやってくれるといいなあ。

今日
歯医者に行った。
私は人生の中で一度も虫歯になったことがないのだけれど、体質なのか、歯石と着色汚れが付きやすい。だから、定期的に検診も兼ねてクリーニングしてもらっている。
歯医者さん曰く「着色汚れが取れる歯磨き粉はあるけれど、そういうのは研磨剤がたくさん入っているので歯の表面がザラザラになってしまって、却って汚れが付きやすくなる」とのこと。そっかあ。
お昼ご飯はモスバーガーの期間限定「パリパリれんこんチキンバーガー 甘辛だれ」を食べた。照り焼きチキン、きんぴら、れんこんチップス、レタスが入っていて、味は甘辛だれとマヨネーズと、ほんのり柚子風味。和テイストでおいしかった。きんぴらは、ごぼう、にんじん、しめじなどで、具だくさん。マックみたいにジャンキーな感じがしなくて、「ちゃんと栄養のあるものを食べた」っていう満足感がある。マックは、年に2回くらい無性に食べたくなるけど、食べると何だか軽い後ろめたさが……(あくまでも個人的見解です)。

明日は美容院に行く予定。
いいかげん、雨は終わりにしてほしいなあ。


2016年09月17日(土) そこのけそこのけ、社長が通る

もう辞めた会社のことを、今さらあれこれ言ってもしょうがないんですけどね。
いや、辞めたからこそ、あれこれ言うんですけどね。会社のことを、というより、社長のことを。

8月の最後の金曜日、新入社員二人(AさんとBさん)の歓迎会と私の送別会があった。
ありがたいことに、私が前から行ってみたかったお店にしてもらえて、料理も美味しかったし、同僚とお互いの好きなアーティストやゲームの話などで盛り上がり、楽しかった。
が、問題は社長だった。

それまで、歓迎会や送別会のときは、社長に日程を知られないように気を付けたり、わざと社長の都合が悪い日を選んだりして、社長の参加を阻止してきた。 社長が来ると気を遣わなきゃならなくて面倒だし、せっかく勤務時間外の集まりなんだから、できれば来てほしくない、というのが事業所スタッフ全員の思いだった。
けれど、4月に異動してきた上司が、今回は社長にも出てもらいたい意向のようだった。上司から直接聞いたわけではないので、純粋に彼女自身の気持ちなのか、社長から「ぜひ呼んでくれ」と強く言われていたのかは分からない。

(ちなみに、この上司は、仕事のことで相談するといつも素早く的確な判断と指示をくれるので、私は名将だと思っている。だから、彼女を悪く言うつもりはない)

そんなわけで、歓迎会兼送別会は社長も参加できる日の開催となった。
ま、最後だし、しょうがないなあと思いながらの、当日。
社長はワインをボトルで注文していて、だいぶ飲んでから、私の隣に座っていた同僚に勧めた。
だけど、同僚は自宅から自宅最寄り駅まで車なので、そのことを伝えて丁寧に断った。 それなのに、社長は「ちょっとくらい、いいじゃん」と食い下がり、まだ誰も使っていないワイングラスに少しだけ注いだのである。
同僚は礼儀正しく立場をわきまえた人なので、あくまでやんわりと断り続けた。なおも、「ちょっとだけ」としつこい社長。「いえ、今日は……」と言いながら明らかに困惑している同僚。
そんなやり取りが2,3回続いて、私、キレそうになるのを必死に抑えながら、

「社長も捕まりますよ」

と、冷たく言い放ってやった。
それで社長はやっと「そうか」と引き下がった。

ねえ、あなた、仮にも一企業の社長だよね? 自分の立場、分かってる?
飲酒運転がどれだけ危険か、このご時世どれだけ大きな問題になるか、分かってる?
発覚したら同僚だけじゃなく会社全体の信用問題になること、分かってる?
車を運転すると知ってて飲酒を勧めた人間も罪に問われる時代、組織のトップである社長が黙認どころか勧めていたなんて知れたらどうなるか、分かってる?
もっと自覚持ちなさいよ!

マジ、キレそうだったわー。

それから、会計のとき。
社長がまとめて払ったのはいいけど、その場で「弓月さんとAさんとBさん以外の人、3000円ずつね」と言った。
上述の同僚が気を遣って「集めるのは、また今度でもいいですか?」と言ったけど、社長はすぐ回収したかったようで、「え? 今じゃだめなの?」と不満げだった。それで、私と新入社員以外のみんながお金を出した。
恐縮した新入社員のAさんが財布を出そうとするので、私が「私たちはいいって言われてるから、大丈夫だよ」と止め、支払ってくれた同僚たちに「ごちそうさま」を言った。
それまで、歓迎や送別会のときは幹事が立替払いし、主役(歓迎や送別の対象者)に金額を知られないよう、後日主役がいないところで各人が幹事に支払っていた。
私たちはそうやって、暗黙のルールの下、スマートにやってきたのだ。
お金を出してもらっている立場上、私が怒ることではない。
でも、これまで私たちが築いてきた「気遣いのルール」を社長のデリカシーのなさにぶち壊された気がして、不愉快だった。
自分たちの歓迎会で社長の器の小ささを見せつけられた新入社員たちも、気の毒だった。
幹事だって、自分が払おうと思っていたところを、社長を立てて、支払いを譲ったんだろうに。

そして、退職後、離職票やら健保の資格喪失証明書やらがなかなか届かなかった。
離職票がなければ失業手当が申請できないし、資格喪失証明書がなければ国保に切り替えできない。
最後の給与が確定してから、と言われていたので、給料日まで待ったけれど届かず、しびれを切らして会社に電話した。
そしたら社長、「あれ、まだ届いてなかった?」だと。
会社には総務的なスタッフがいないので、入社や退職の手続きは社長がおこなっている。一部は外部に委託しているようだけど。
普通そんなことは社長の仕事じゃないし、忙しいのにそんなことまでやらなければいけないのは大変だと思うけど、総務の部署を置かないのは社長の責任なんだから、しっかりしてほしいものだ。
で、調べてくれた結果、「今日、送ります」と。

あんた、そば屋か! 忘れてたのか!?

(ところで、そば屋というのは本当に「いま出ました」なんて言い訳をするものなんだろうか?)

資格喪失証明書は翌日ちゃんと届いたので、まぁ良しとする。
離職票は業務の委託先から送られるとのことで、もう少し待つことになりそうだ。
そもそも、離職票については社長が委託先に頼むのを忘れていたんじゃないかと、私は疑っている。
社長は忘れっぽいし、自分が言ったことも忘れて朝令暮改なんてしょっちゅうだったから。
資格喪失証明書が届いてすぐ区役所へ行き、国民年金と国保の手続きをした。
やっと保険証が手に入ったぜ!

これを書いていて思い出したけど、8月下旬にやった健康診断の結果がそろそろ出るはずだ。もう出ているかもしれない。
ちゃんと送ってくれるのかなあ。
また催促の電話しなきゃいけないのは嫌だなあ。

というわけで、長々と社長の愚痴でした。


2016年09月14日(水) 自由って、そういうこと

昨日も今日も朝から雨。
雨の日は、一人で外出できない。
雨の日の外出がもっと容易になれば、また一つ、大きな自由を手に入れられるんだけどな。


自由と言えば。

もうずいぶん前のことだけれど、仕事してたら急にパエリアが食べたくなった。
とは言え、近場でパエリアの美味しいお店を知らないし、調べて仕事帰りに行く気力はないし、急に一緒に食べに行ってくれる人もいなかったから、当時の職場近くでパエリアの素を買って帰った。

そのとき、私にとってはこれが自由の象徴だな、と思った。
ふと思い立ったときに欲しいものを独りで買いに行けること。何て自由なんだろう。 多くの人にとって、そんなのは当たり前のことなのだろうけれど、それが当たり前にできない人もたくさんいる。
ほんの些細な買い物一つ他人に頼まなければならないことの、何と不自由で、何と煩わしいことか。

ある程度好きに使えるお金と時間があり、何より、独りでお店まで行って買い物ができる環境と体(電動車椅子という移動手段、棚の商品を取ってほしいと店員に頼める発話能力…etc.)があることは、他の何にも替え難い大きな自由だ。

ある支援機関に登録直後、将来どういう生活がしたいか聞かれたとき、私はこのパエリアの話を挙げて、理想の一つとして「何日も前から他の人に頼んだりしなくても、ある程度好きなときに行きたいところへ行って、買いたい物を買える生活」と答えた。
別に高価なものを望んでいるわけじゃない。しょっちゅう遠出したいわけでもない。ただ、多くの人が日常生活の中で特に「自由」とも感じずに手に入れている自由を、私だって確保していたい。


もう一つ、「なんて自由なんだろう」と思ったこと。

これも結構前の話だ。
8月まで通勤で利用していた電車は、駅員さんに頼まなくても独りで乗降できる。
ある朝、職場へ向かう車内でToshlのインスタグラムを見ていた。その日はToshlとHEATHのツーショットが載っていて、私はHEATHに見惚れて目をハートにしていた。
気付くと職場の最寄駅に着いていて、あっと思った瞬間に電車のドアが閉まった。
……アホである。 ま、HEATHのせいなんだけど。
で、慌てて次の駅で降り、一駅引き返した。幸い、遅刻はしなかった。

電車を乗り過ごしたのは初めてだった。
乗降を駅員さんに手伝ってもらわなければならない路線なら、こんなことは起きない。到着駅のホームで駅員さんがスロープを持って待っているから。

私は「やっちまったなぁ」と凹みながらも、「自由ってこういうことなんだ!」と歓喜してもいた。
自分ひとりで乗りたい時間の電車に乗り、降りたい駅で降りられるということ。それは、他の誰でもなく、自分の責任で電車を利用できるということだ。
責任を負える自由。
好きなアーティストの写真に見惚れて乗り過ごすという、アホな失敗ができる自由。

自分の責任において失敗を引き受けることができるのは、実は大きな自由でもある。日常に散りばめられた無数の自由に気付かない人は、そう思わないかもしれないけれど。

通勤に利用していた路線以外、つまり、ほとんどすべての路線は、電車とホームの間に大きな隙間や段差があるので、駅員さんの手助けが必要だ。
その場合、私自身の責任において乗り過ごす、などということは起こらない。大げさに言えば、私は庇護と管理の対象であり、私の自由は他人の手に委ねられている。
乗り過ごすことがあるとすれば、それは到着駅にいるべき駅員がおらず、慌てふためいた私が周囲に降車の手助けを求めることができずに、降りれぬままドアが閉まる、というケースだ。
自分ではない他の誰かの責任(それも、仕事上の責任だ)で電車を乗り過ごすなんて、やりきれない。その「自分ではない他の誰か」にも腹が立つけれど、電車の乗降なんていう日常の営みの自由さえ他人の手に委ねられている自分の立場に、げんなりである。

(ちなみに、周囲に助けを求められなかった私の責任、と言えなくもないが、ドアが閉まるまでの短い時間に電動車椅子の降車を慣れない見知らぬ人に頼むのは、危険でもある)

「障害を持っていることは不幸ではない。ただ不便なだけ」と言った人がいるけれど、多くの人が「自由」とも思わず当たり前に享受している自由を簡単には手に入れられない不自由さ、それ自体はやはり不幸なことだと私は思う(ただし、私という存在そのものが不幸なわけではない)。

話が逸れた。
不自由とか不幸とかはどうでもいいんだった。「自由」の話だ。

そんなわけで、たまに些細なことで「何て自由なんだろう! 自由って、何て素晴らしいんだろう!」と、嬉しくなって舞い上がる。
7月とか8月とか、もうすぐ退職だと思ったら気が楽になって、仕事帰りにぶらぶら買い物することが多かった。そのときも「今この瞬間、私は自由だわ!」と心が弾み、いつまでもどこまでもぶらぶらしたくなって、しまいには帰りたくなくなるんじゃないかと自分がちょっと怖くなった。

あ、日記の主旨を台無しにするようだけど、パエリアは素を買って自宅で作るより、ちゃんとお店で食べた方がずっと美味しいですよ。


2016年09月12日(月) 支えられた証、頑張った証

退職するとき、事業所の皆から「ねこずかん」をもらった。
猫の図鑑、ではない。猫のイラスト入りの印鑑である。
イラストは35種類もあり、猫の顔のアップや伸びをしている姿、ひなたぼっこ、3匹が顔を寄せ合っているものなど、どれもこれもかわいくて猫好きにはたまらない。
印鑑なので当然名前が入っていて写真は載せられないので、代わりにサイトを。

これ↓
http://www.rakuten.ne.jp/gold/hankos/nekozukan/

私がもらったのは2番のイラストだった。
在職中にこの「ねこずかん」をネットで見つけて、猫好きスタッフと「かわいい!欲しい!」と盛り上がった。
本気で買おうか考えたが、何となく機会を逸してしまい、最初に盛り上がった以降は職場でも特に話題にしなかった。同僚たちは、もし私が買っていたらそのことを話すはず……と考え、買っていないと踏んで送別の品に選んでくれたらしい。
もらったとき「いま見てみて」と促されて包みを開け、「わっ、ねこずかん!」と狂喜乱舞であった。
物自体も嬉しいけれど、私が欲しそうにしていたのを覚えていてくれて、私の日ごろの様子からまだ買っていないだろうと推測してくれた皆の気持ちがありがたかった。

この印鑑、イラスト入りとは言え、銀行印や宅配便の受領印としても使うことができる(まだ一部の金融機関、宅配会社のみらしいけれど)。
銀行印にするのは正直まだためらいがあるけれど、とりあえずクロネコヤマトが来たら押したいよねえ。
ちなみに、印鑑の種類は他に「いぬずかん」「うさぎずかん」「とりずかん」「小動物ずかん」があるようだ。

退職のときは「ねこずかん」に加え、寄せ書きももらった。ネットで探したのであろう思い思いのきれいなメッセージカードにひとりひとりが書いてくれて、色紙に貼ってある。
一緒に働いた仲間の思いが詰まった色紙だ。これも「ねこずかん」と甲乙つけがたいくらい嬉しかった。
しばらく部屋に飾っておこうかとも思ったけれど、汚れると嫌なので、二重に袋に入れてしまってある。

「ねこずかん」と色紙。
この二つは、皆に温かく注意を払ってもらい、支えてもらった証だ。そして、私が頑張ってきた証。


2016年09月11日(日) ポメラとカラオケ

仕事辞めたら暇で1日が長いのかと思いきや、そうでもない。
ものすごく忙しくしているわけでも、ボーっとしているわけでもないけど、1日も1週間もあっと言う間に過ぎていく。

パン屋に行くと、いろいろ目移りして、つい余計なものまで買ってしまう。しかも、本来買いたかった物より、余計な物の方が高いときたもんだ。
自立するなら、こういう小さな無駄遣いをなくしていかないとなあ。
それから、夜中にひどい腹痛に見舞われて、「私、独り暮らしだったら、こういうときどうするんだろう」という不安が頭をよぎったりする。
そんな1週間。

実は今、ある依頼を受けていて、水曜日はその打ち合わせがあった。
まだ話を詰めていないので詳しく書けないけれど、うまくいくといいなあと思っている。
で、今後の打ち合わせにも使えるかなと思ってポメラを買った。
ポメラというのは、「持ち歩けるデジタルメモ帳」とでも言ったらいいだろうか。テキストファイルで保存できる「メモ帳」機能と、簡単な表作成の機能が付いている。
折り畳み式で、キーボードとディスプレイのみというシンプルな構成が使いやすく、電源ボタンを押すとすぐにメモを入力できる簡便さも良い。
私は自力で筆記もできるんだけど、ある程度まとまったメモを取るなら入力の方が速いし、編集やパソコンへの取り込みも手軽にできるので、これからポメラをフル活用したい。
外出先だけでなく、自宅でも文章作成にはポメラが良いかもしれない。何せ、パソコンだとついネットを見ちゃうから。

昨日はXファンの友達とカラオケに行った。
カラオケの機種がDAMで、XJAPANの93年の東京ドームライブ「RETURNS」や、97年のラストライブの映像がたくさん入っていた。しかも、映像だけでなく、音もライブ音源そのままで、Toshlの歌も普通のボリュームで流れる。
しばし自分たちが歌うことは忘れ、ライブ映像に見入った。ただし、ラストライブは悲しくなるので、主に「RETURNS」を観た。
「RETURNS」のTearsを観ていたら、ポロポロ泣いてしまった。楽しいカラオケタイムなのに。
金髪ロン毛で歌うToshlを見て、「この人、このあと少しずつ道を踏み外していくんだなあ」と思ったらやるせなくなって、その腕を掴んで「そっちに行っちゃだめだよ!」って抱き寄せたくなった。
友達が、I.V.とJADEに挑戦した。
この2曲は、2010年初めにアメリカのコダックシアターでPVを公開撮影したときの映像が流れた。
まったく、DAMってマジで神だわ! でも、Toshlのソロ曲が入っていないのは残念。
コダックシアターの映像は、HEATHのかっこよさが際立っていて、画面に映るたびに見とれた。
HEATHって、何であんなにカッコいいのかしら。あのイケメンと細マッチョはもっと注目されていいと思う。誰かフューチャーしてあげてほしい。
歌がうまい友達も、特にI.V.には苦戦していた。全編英語詞だから歌詞について行くのが大変なうえに、音が取りづらそうだった。サビはライブでいつもToshlに歌わされて慣れてるけど、Aメロ、Bメロが難しい。
この曲は、XJAPAN再結成後、初めてのシングル曲だ。復活直後にこれを歌うToshlもすごいし、これを歌わせるYOSHIKIもすごいよね、と友達と話した。
私は、無謀にもScarlet Love Songを歌ってみたが、高音が出るはずもなく(この曲は特に、最高音が異常に高い)、「やっぱりToshlってすげーな」と。
歌いたい曲……というか、歌える曲がすぐに思いつかなかったり、挑戦した曲はことごとくうまく歌えなかったりして、1時間延長したものの、いまいち不完全燃焼だった。
でも、かなり久しぶりのカラオケはとても楽しかった。
次の機会までに歌を練習して、今度は完全燃焼したいなあ。


2016年09月05日(月) どうと言うことのない日々

残暑って、いつまで続くんですかね? と、そこらじゅうに聞いて回りたい弓月です。どうも、こんにちは。

仕事を辞めたので、早寝早起き、規則正しい生活を心がけないと自堕落まっしぐらだなと思い、平日は決まった時間に起きて、やりたいことよりやるべきことをなるべく優先するようにしている。
土日は好きなだけ寝て、好きなように……まあ、だらだら過ごしている。

昨日は日曜なので心行くまで寝て、起きたのはお昼前だった。
朝食だか昼食だか分からないご飯を食べ、ちょうどWOWOWでやっていた映画『駆け込み女と駆け出し男』を観た。大泉洋は、面白い中にも温かさが感じられて良い。
そのあと、体調管理のためにもこれからは基礎体温をつけよう! と思って、久しぶりに基礎体温計を出して時刻設定しようとするも、電池が切れていた。
それから、プリンターが何だか調子悪い(印刷しようとすると変な音がしてエラーが出る)けど、なだめすかして必要なものは何とか印刷し、あとはとりあえず放置しておいた。
年末に年賀状をきちんと印刷できるんだろうか。修理、もしくは買い換えた方がいいだろうか。
んー、でもなぁ、修理に出すのは面倒だし、インクをワンセット買っちゃったから、買い替えるのもなあ。
とか何とか言っていると、あとで後悔しそうだな。いや、それは分かってるんだけど、今はもう少し様子見で(←考えるのがメンドクサイ)。
で、タイムシフト予約を溜め込んでいるニコニコYOSHIKIチャンネルを観ようかと思ったけれど、PCをつけたら、ついゲームをやってしまい、気が付いたら夕飯の時間だった。
そうそう、夕食の締めに、今年初めて梨を食べた。甘くておいしかった。
梨は、メロン、ビワ、マンゴーの次くらいに好き。

今日は、住宅展示場に行って、車椅子でも生活しやすい住まいを体験できるコーナーを見た。
洗面台や洗濯機やキッチン周りが使いやすそうだったけど、何にせよ、広いスペースがないと実現できない住まいよねえ。
そのあとは、前から行ってみたかった中華屋さんでランチ。
中華だと酢豚やあんかけ焼きそばを頼むことが多いので、今日はいつもと違うものを、と思って白身魚のオイスターソース炒めにした。野菜とキノコもたくさん入っていて満足。
基礎体温計の電池を買って、これまた前から行きたかったたこ焼き屋さんへ。
が、何と、月曜日が定休日だった……。
失敗したなあ。ちゃんと調べておけばよかった。
「おやつは、たこ焼き」という思いが頭から離れず、そこらへんのスーパーの片隅で売っているものを買ったけど、あんまりおいしくはなく。
調べたら、行きたかったたこ焼き屋(というか、本当は鉄板焼き屋で、たこ焼きもあるお店)は、営業日も夕方からしか開いてないらしい。
夕方以降はあまり行かない場所だから、縁遠い気がする。

というわけで、残暑はいつまで続くんでしょうか?


2016年09月03日(土) 黄色いバンダナ

「セイフティーネットプロジェクト横浜」というものがある。
横浜市内の障害者団体や機関が集まって組織しているもの(事務局は横浜市社会福祉協議会障害者支援センター)で、公式サイトによると
「障害のある人や家族が、自分たちでできることから活動していくことを大切にしながら、地域の方たちへさまざまな障害についての理解を深めてもらい、障害のある人が地域で安心して暮らしていけるよう、活動しています。」
とのことだ。

その「セイフティーネットプロジェクト横浜」の中で、「−支えあう− 黄色と緑のバンダナ」という取り組みがある。
これは、災害時に、支援を必要としている人は「黄色のバンダナ」を、支援できる人は「緑のバンダナ」を身につけよう、というもの。
災害が起きると混乱が生じて、必要な支援や配慮が行き届きづらくなる。それに、支援や配慮を必要としていることが外見からでは分かりづらい人たちもいる。また、みんな余裕がない中で、誰に助けを求めて良いのか分からないこともあるだろう。誰かに手を貸したいけれど、誰に声をかければいいの?という人もいると思う。
だから、助けてほしい人と支援可能な人がお互いに目立つ色のものを身につけることで、必要としている人が必要な支援を受けられるようになるといい。

この取り組みについては区役所でもらえる「障害福祉のあんない」で知り、さっそく黄色いバンダナを買った。




外出用の電動車椅子にこんな感じで結んでみた。思ったほど目立たないので、本当にいざというときは腕に巻こうと思う。
黄色いバンダナはもう一つ買ってあって、家用の自走式車椅子の背中ポケットに入れてある。もし家にいるときに地震が起きたら、自走式車椅子で避難することになるかもしれないから、念のため。
もちろん、災害が起きないに越したことはないけれど、万一に備えておくことは大切だ。
それに、私が日ごろから車椅子に黄色いバンダナを結んで出歩けば、友人知人に「そのバンダナ、何?」と聞かれて、この取り組みを知ってもらう機会になるかもしれない。
横浜市内の話ではあるけれども、ぜひ多くの人に知ってもらって、取り組みが広まるといいなと願っている。

「−支えあう− 黄色と緑のバンダナ」
http://www.yokohamashakyo.jp/siencenter/safetynet/bandana.html

「セイフティーネットプロジェクト横浜」
http://www.yokohamashakyo.jp/siencenter/safetynet/safetynet.html


2016年09月02日(金) 機械に心を見透かされる

午後、ラポールに行った。
平日の昼間は、うちの最寄駅周辺もラポールも年配の人が多い。そして、電車がとても空いている。
伸びるワイヤー(?)を引っ張って腕を鍛える機具、機械が回数をカウントしてくれるのだけど、一定のところまで引っ張らないと数字が変わらない。疲れたなぁと思ってちょっといい加減にやろうものなら、カウントしてくれないのである。

……機械に心を見透かされてるよね。

「ばーか。そんなんじゃカウントしねーよ。お前が手を抜いてるのなんて、こっちはお見通しなんだよ!」って言われてる気分。

暑かったし、疲れたなあ。太腿が筋肉痛だし。
でも、これまで私の人生で筋肉痛になるほど動くなんて数えるほどしかないから、いいことなのかも。

帰ってから、結構前に買ってあったマンゴーアイスを食べた。
今日のためにとっておいたわけじゃないけど、家を出る前から「帰ったらマンゴーアイスを食べよう♪」と心に決めていたのだ。

消費した以上にカロリーを摂取したら、意味ないんだけどね。


2016年09月01日(木) Nothing is impossible

実は、昨日付で職場を退職した。

3年8ヶ月、障害者の支援施設で支援スタッフとして働いた。
この会社は、私にとって3社目だった。
最初の勤めた会社では「働くとはどういうことか」を学び、2社目では「仕事を自ら構築する」ということを覚え、3社目ではいったいどんなことを身につけられるのかなとワクワクしながら入社した。
結果、障害者支援の仕事を通して、障害者としての自分自身と向き合わざるを得なくなり、自分自身の自立について考えるようになった。それが、3社目での一番の収穫かな。

支援の仕事をするうち、「いやいや、人のこと支援してる場合か? 自分の将来はどうなのよ?」という思いが強くなっていった。
利用者さんに助言や指摘であれこれ言ってるけど、私自身が本当はちっとも自立していない。
幸い今は両親が健在だけれど、彼らも年を取りつつあるわけで、いつ病気を患うか分からないし、いつかはこの世を去ってしまう。両親が元気なうちに、彼らの手を借りずに生活していけるように整えておかなければならない。

でも、例えばヘルパーをフル利用して独り暮らしなんてことが私にできるのか? という不安の方が大きかった。
いろいろと理想を掲げてみたって、現実的には難しいのではないかという思いがずっと心を占めていて、絶望しかけたりもした。
何かしなければ事が始まらないので、とりあえず支援機関に登録したり、グループホームやいろんなところを見に行ったりしたけれど、フルタイムで働いているとなかなか物事が前に進まない。それに、ヘルパーを利用するとしても、独り暮らしなら自分でやらなきゃいけないことも増えるわけで、フルタイムで働くのは体力的にも精神的にも無理だろうと思った。
そんなこんなで、1年以上前から辞めるタイミングを悩んでいた。

自分の将来の心配と、自立生活に向けて動きたいのに思うように動けないもどかしさに加えて、仕事のストレスと疲労も増して、今年の春頃から苛々が止まらない状態になった。

そんなとき、YOSHIKIが"Nothing is impossible"と言った。確か、ニコ生だ。

私は、「なせば成る」という言葉が嫌いだった。
そんな精神論を持ち出されたって、現実問題、どうにもならないことはたくさんある。やろうとしてもできないことが多いのに、いったいどうしろと?

だけど、YOSHIKIが"Nothing is impossible"と言うなら、その言葉は信じることができた。
YOSHIKIは他人に向かって言ってるわけじゃない。YOSHIKIはたぶんそれをいつも自分に言い聞かせていて、実際に多くの壁をぶち壊して不可能を可能にして見せてくれる。
だから、何の躊躇もなくその言葉を受け止め、信じることができた。

そして、私は目が覚めた。

なんだ、簡単なことだ。
不可能なんて決めなくていいし、私は、自分のやりたいようにやっていい。

YOSHIKIは前からこの言葉を言っていたのだろうけれど、私がやっとキャッチできる態勢になったのだ。
これまでは、聞き逃していたか、聞いたり目にしたりしてもしっかり受け止めることができていなかった。
私が必要としているときに、いいタイミングで、YOSHIKIがまた"Nothing is impossible"と言ってくれた。

悩んでるうちに時間ばかり過ぎるので、まず退職を決めた。
6月初めのことだ。
仕事を辞めると決めたら心がすっと軽くなり、苛々も消えて精神的に安定したように思う。
上司に意向を伝え、同僚たちにもアナウンスしてからは、引き継ぎや荷物の整理を早め早めにどんどん進めていった。不要な書類はシュレッダーにかけ、私物は少しずつ持ち帰り……と、こういうことは昔から、ちゃっちゃとやらないと気が済まない。おかげで、出社最終日だった昨日はデスクに必要最小限の物しか残っていなかったので、片付けが楽だった。

本当は、「自立生活に向けて動きたい」というのは退職理由の6.5割くらいだ。あとの3.5割は、のんびりしたいとか、支援者として限界だとか、まあ諸々だ。
先のことは、具体的には何も決まっていない。いつまでに何ができるのか、どこまでできるのか分からない。
正直、所属先がなくなることに対する不安もある。
けれど、やりたいことも、やらなきゃいけないこともたくさんあるから、それを一つずつ地道にやっていけば、道は繋がっていくと思う。まだ確実ではないものの、次の道へ繋がりそうな話がすでにある。
とりあえず、じっくり焦らずに自立の生活基盤を整えて、それから、生活スタイルに合った仕事を探そうと思う。

今回の退職が自分にとって正解かどうかは、いま決まることじゃない。これからの自分の生き方しだいだ。

ずっと昔、やはりYOSHIKIが言っていた。

「未来によって過去は変えられる」

XJAPANが解散して、hideが亡くなったあとで、まだToshlが戻ってくる気配は全然なかった頃だ。
そのとき、私はその言葉に懐疑的だった。
hideは死んじゃったのに、TOSHIは戻って来ないのに、YOSHIKIはいったい何を言っているんだろう。どんなに頑張ったって、過去を変えられるわけないじゃないか!
そんなふうに感じていた。

でも、今ならその言葉の意味がよく分かる。
YOSHIKIは私のずっとずっと先を行ってるから、私はいつも、ずいぶん後になってからYOSHIKIの言葉に追いつくんだ。

私がこれからしっかり地に足を付けて生きていけば、この退職は絶対正しい選択になる。
そういうことだ。

まずは、だらだらして体がなまらないように、規則正しい生活を心がけねばなあ。


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