月に舞う桜
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2016年01月31日(日) |
何もかも、1月のせい |
上司が3月末で退職する。
去年、月に一度は突発で休んでいた上司。 もし、体調不良のふりして転職活動していたのだとしたら、腹立たしすぎる。 転職活動は構わないけど、事業所の責任者なので、せめて「私用」と言って計画休にしてくれないと困る。 真相は知らない。が、自分の精神衛生のために、本当に体調不良だったのだと信じることにする。
4月から、女性の上司だ。 男性上司のほうが、扱いやすいんだけどなぁ。 男性上司と女性上司では、扱い方のポイントが全然違う、と私は思っている。 何より自分が仕事しやすい状況を死守するために、うまく立ち回らなくては。
上司の退職は、先日の事業所会議で社長の口から発表された。寝耳に水だった。 本人からは、私たちへいまだに何の報告もないし、今後の運営についての話もない。 それってどうなの? と、ちょっとイラッとする。 ある案件を2月から始めるのは無理なので、「3月からですかね」と話していたら、「4月でもいいよ」って、いや、あなた4月はいないじゃん!
とまあ、何だかなあと思うことが多いのだけれど、その一方で、上司がいなくなることになぜかちょっとした喪失感を覚えていたりする。
自分でもえらくドライだなと思うけれど、今までは誰かが異動や退職しても、あまり寂しさを感じなかった。 個人的に付き合いを続けたい人であれば、職場を去っても連絡を取れるし会うこともできる。ただ道が分かれるだけで、寂しいとは思わなかった。 個人的な付き合いを持ちたい相手でなければ、仕事上の影響が出ることはあっても、私の感情面には影響ない。
ところが、この喪失感である。 「寂しい」より、「喪失感」という言葉がしっくりくる。 どうしたことだろうか。
私は、新しい環境に入る前の不安感や緊張感が、病的とまではいかないけれど、わりと強い。 表には見せないけど、結構いろいろ考えてしまう。 いざ新しい環境が始まってしまえば、結構適応はできる。始まる前が、苦手だ。 事業所の責任者が代わるというのも、環境の変化だ。 新しい上司のやり方に馴染んでいけるだろうかという不安が、現上司がいなくなることへの喪失感に繋がっているんだろう。
そして、1月だからだ。
1月は、だいたいいつもあまり調子が上向かない。 年が明けると気分が落ちるし、寒いのも嫌い。 だから、1月はやる気が出ない。 やる気が出ないから、ちょっとした環境の変化も「もう、いやだなぁ」となってしまう。 新しいことに立ち向かうエネルギーが湧いてこない。
1月の、せいだ。
やる気がないなりに、仕事では、やるべきことはちゃんとやっている。 1日1日、やるべきことを淡々と片づけるだけで、どうにか日々は回っていくのだ。 (その日にやるべきことをやっていればどうってことないのに、月末になって溜まった書類を慌てて書いてる人って、何なんだろうと思ってしまう)
2月は、厳しい寒さの中にも、ほんのり春のにおいを感じられることがある。 2月になれば、きっと気持ちも新たになるはず。
……たぶん。
2016年01月11日(月) |
大人であるということ |
昨年末、美容院に行ったとき、成人式の話になった。 成人の日は、朝4時、5時にお店を開けるそうだ。以前、新成人がもっとたくさんいた頃は、朝3時から予約を入れていたらしい。 大変ですねぇ、と言う私に、美容師さんは笑って返した。
「でも、お客さんの一生に一度の記念の日にきれいになってもらって役に立てる仕事だから、苦にならないよ。一年に一回のことだし。これが毎日だったら嫌になっちゃうけど」
あぁ、いいな、と思った。 こういう仕事への姿勢、素敵だな。 人を笑顔にできる仕事は、本当に尊い。
成人の日になると、「大人の自覚を持って」とか、「これからの社会を担う責任」とか、いろんなことを言う先輩オトナがいて、確かにそれはその通りなのだけど、私はちょっと違うことを考えている。
大人とは、自分の人生を自分で引き受けつつも、いざというときに人を頼れるということ。 そして、差しのべられた手に気づくことができ、手を差しのべてくれた他者を信じられるということ。
これから先、絶望することも、死にたくなることだってあるかもしれない。 あったっていいんだ。 そんなとき、本当に掛け値なしに自分のことを想って手を差しのべてくれる人を信じられる力が、ほんの少しでもあれば、いい。
大丈夫。
新成人も、未来の新成人も、とっくに成人した人たちも、私も、差しのべられた手を握り返す強さを持てますように。
1/7〜1/10に、某レストランでToshlのイベントがある。 数年前にも、そのレストランでイベントが行われた。当時、車椅子でも入れるかどうかをチケット応募の前にレストランへ問い合わせたところ、「入口に段差があります」とのことだった。それで、私はイベント参加を諦めたのだった。 お願いすればスタッフが手伝ってくれたかもしれないけれど、そのさらにひとつ前にあった別会場でのイベントで、雨の中、車椅子を持ち上げて階段を上り下りしてもらわなければならなかったので、もうToshlのスタッフに迷惑かけるわけにいかないな、という思いが強かった。正直、車椅子を持ち上げてもらうのは怖い、というのもあるし。 今回、会場がそのレストランだと知ったとき、すんなり諦めた。そのとき、私の中では「行けない」という我慢ではなく、「行かない」という「選択」だった。
でも、今日になって、「行けない」という事実が急にのしかかってきて、自分の中でどうにも処理できなくなってしまった。朝から気持ちがあまりパッとしなかったこともあって、夜にはどんより涙ぐんでしまった。 経済的な理由、仕事の都合、家庭の事情など、人それぞれ行けない理由を抱えながらも、みんな自分の気持ちに折り合いをつけている。それは、分かっているんだ。 私も、過去、チケットが取れても直前に体調不良になって行けなくなったこともある。去年の10月、ちょうどToshlのお誕生日には大阪でイベントがあったけれど、独りで大阪へ行って独りで宿泊することはできないから、行けなくて残念な気持ちはありつつも、悔しさやかなしさは全然感じなかった。 だいたい、XJAPANのライブに4日連続で行って、Toshlのディナーショーやソロライブにも行ってるんだから、運と環境にかなり恵まれている。それも、分かっている。 でも、「段差があって行けない」のは、それ以外の理由と同次元では考えられないんだな。 私は私の人生を生きてもう35年も経つのに、己の人生について回る「段差という、ばかでかい壁」を受け入れられないときが、いまだにある。
Toshlは、以前から痛めていた足腰をさらに悪化させてしまったようだ。去年のツアー日程が非常にタイトだったことが、悪化の要因なんじゃないかと思う。長距離を歩くと足が痛くなってしまうので、移動には車椅子を使っている、と先日のニコ生でも言っていた。ツアーの大阪公演以後、車椅子に座った姿がインスタグラムに何度かアップされていて、そりゃあもう心配で気をもんだものだ。 ニコ生では、「車椅子移動してみて分かったけど、たった一段でも本当に大変なんだよね」とも言っていた。実感を込めてそう言ってくれたことが、とても嬉しかった。同じ想いを共有して、運命共同体以上の同士になれたような、精神的に近いところにいられるような気がした。 だけど、嬉しい半面、Toshlは「たった一段の大変さ」なんて分からなくたっていい、とも強く思う。Toshlは、そんなこと経験しなくていいから、痛い思いはしないでほしいし、車椅子なんて必要のない生活をしてほしい。世の中、実際に経験してみなければ分からないことは山ほどあるけけれど、大切な人には経験してほしくないことや「分からなくていいよ」って思うこともまた、たくさんある。
Toshlのあの12年間を想ったら、イベントの一度や二度、段差に阻まれたなんてどうってことないような気もする。 でもやっぱり、かなしい。
会いたいなあ、と思った。ただ、会いたい。 そう思ったとき、ふと冷静になった。 あれ? この感覚って、昔、恋人に急に会いたくなってどうしようもなくなったときと同じじゃない? いやいや、ちょっと待て。そんなはずない。だってToshlだよ? XJAPANのボーカリストである前に、15歳も年上のオッサンだよ? バツイチで、自己破産経験者だよ?(←それ言っちゃダメ) 私より肌がきれいで、私より女子力が高いんだよ? そもそも、私の恋愛対象になり得るのは、岡田准一とHEATHだけだからね!(いや、それもどうかと思う)
とにかく、「会いたいのに会いに行けない。嫌だぁ(涙)」となって、そんな自分は頭がどこかおかしくなっているに違いない、と思った。まあ、XJAPANにこれだけどっぷりのめり込んで「愛してる」と言って憚らない時点で、どっかおかしいんだろう。
悶々としながらベッドに入ったら、村上龍の小説「KYOKO」を思い出した。救いの神が降りてきた。 「好きな作家は?」と聞かれたら、江國香織や東野圭吾や湯本香樹実や太宰治を挙げるけれど、好きな小説リストには間違いなく「KYOKO」を入れる。 主人公キョウコは、幼いころに両親を事故で亡くしたのだけれど、在日米兵のホセに出会ってダンスを教わり、以後ダンスがキョウコを孤独から救ってくれた。キョウコにとって、ホセは「これさえあれば生きていける、と思えるもの」を教えてくれた人だった。大人になったキョウコは、ホセに「ありがとう」を言うためにアメリカへ行く。会ってみると、ホセは末期のエイズ患者だった。「故郷へ帰りたい」というホセの願いを叶えるため、キョウコはホセを車に乗せて彼の故郷(たしかキューバ)へ向かう……というのが「KYOKO」のあらすじだ。 渡米したキョウコがホセを探し出して会うまで、そして、死期が迫ったホセを連れてキューバへ向かう道程が小説の軸なのだけど、私にとっては「これさえあれば生きていける、と思えるもの」と、それを教えてくれた人、というのが強烈に印象的だった。ホセと、ダンス。人生において、これほどまでに大きな宝があるだろうか。私も、ホセとダンスに出会えるだろうか。出会えるといいな。「KYOKO」を読んだ当時、そう願っていた。
「KYOKO」を読んだのは、おそらくXJAPANに出会ったあとだ。だから、「KYOKO」を読んだときにはすでに、ホセにもダンスにも出会っていた。 「これさえあれば生きていける」と思ってしまった瞬間が、確かにあった。あの瞬間のことを、長い間ずっと忘れていたけれど。そのとき、私はとてつもない悔しさというか絶望感の中にいて、自室で嗚咽しながらXJAPANのCDを聴いていた。Toshlの声が部屋中に溢れて、あぁ、私は生きていける、と思った。XJAPANのファンになってしばらく経った頃だから、高校生のときだったかな。いつだったかは、詳しく覚えていない。
私にとって、Toshlはホセだ。 Toshlの歌声は、ダンスだ。 この声があれば生きていける、と、思ってしまった。
今までだって、それは心のどこかでちゃんと自覚していたと思うのだけれど、今夜やっと改めて認識できて、何だか大発見した気分だ。
あぁ、そうか。Toshlは、ホセだったんだな。 「これさえあれば生きていける、と思えるもの」を教えてくれた、のみならず、Toshl自身が、ダンスそのものでもあった。
それはあまりにも明確な事実で、1ミリも揺るがないくらい合点がいった。 良かった。私にも、ホセもダンスもちゃんと存在していた。
感謝と愛しさとで、涙が止まらなくなった。
やっぱり、会いたい、と思う。 会って、「ホセ!」って叫んで、抱きしめたい。そしたらきっと、「僕はホセじゃないからね。Toshlだからね」って、ドSな口調で言われるんだろうな。 「Toshlは私のホセなんだよ!」って伝えたいけど、それにはまず小説「KYOKO」の説明から始めなくちゃならないな。
私は、キョウコみたいになれるだろうか。 いざというとき、何も厭わずに、Toshlの願いを叶えてあげられるだろうか。 キョウコになれたらいいな。
今夜を救ってくれた村上龍にも、感謝したい。
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