月に舞う桜
前日|目次|翌日
2009年07月27日(月) |
この希望が、錯覚ではないように |
錯覚や気の迷いに振り回されて、道を過ってはいけない。 でも、いったいどっちが本心でどっちが錯覚なのか、分からなくなるんだ。
進みたいのか、退きたいのか。 始めたいのか、終わらせたいのか。
感情の表と裏は目まぐるしく入れ代わり、私は腹を決めかねたまま、今日もずるずると生きている。
いつが本当の終わりだろうか。
人は1日に200回嘘をつくという。 自分の嘘をいちいち数えたことはないから何とも言えないけど、1日に200回も嘘をついてたら、喋ってることが全部嘘になるんじゃなかろうか。
私はいま、人生最大の嘘をついているところだ。 でも、これが本当に人生最大の嘘になるかどうかは、結果が出ないことには分からない。そして、その結果というのも、私しだいだったりする。
さて、私はどうするんだろう。 あれこれ一連の言動を人生最大の嘘にするのか、それともたわいのない真実にするのか。 どうしたいんだろう。
私の名前(本名)は珍しい。 漢字二文字なのだが、この名前=音にこの二文字を使っているのは大変珍しく、初めて私の名前を目にした人はたいてい読み方を間違える。 同じ「音」の人はたまにいるけれど、同じ「漢字」の人には出会ったことがなかった。これからも出会うことはないかもしれない、と思っていた。
が、先日ついに同士を見つけた! 29年間生きていて、「名前の音も漢字の組合せも全く同じ人」に初めて出会った。 これは私にとってはかなり衝撃的な出来事で、見つけたときは思わず「おお! 同じ名前!!」と小さく叫び、すぐさま親にも知らせた。 彼女とは知り合いでも何でもない。けれども、何だか親近感が湧いてしまって他人とは思えない。 できることなら、名前の由来を聞いてみたいなぁ。由来まで私と一緒だったら、さらに親近感が増すだろうな。
珍しい名前だと、同じ名前というだけで親近感を持ってしまうけれど、一般的な名前の人はどうなんだろうか。 私の世代だと、同級生には「彩ちゃん」とか「彩子ちゃん」とか「由美子ちゃん」という名前が多い。いまだと、「陽菜ちゃん」とかかな。そういう名前の人って、同じ名前の人に出会っても別に何も感じないものなんだろうか。
息絶えるとき、あなたの声が聞こえているといいな。
でも、あなたの最期を見届けてから息絶えたい、とも思う。
2009年07月18日(土) |
「待ち人来たる」と、不謹慎だけど万が一に備えてのお願い |
そう言えば、水曜日、待ちに待っていたこんなもの↓が届いた。
「熱中ネット」というサイトの通販で、2000体限定で売られていたhide人形(もちろん、オフィシャルです)。 小生意気な表情が、なんともかわいい。どこか上の方を睨んでます。空を飛んでやろうかと企んでるのでしょうか。 欲を言えば、小さなギターを持っているともっと良かったな。 ときどきパタパタ叩いてあげないと、髪の毛に埃がたまっちゃいそう。
話は変わって。 先日、職場の人と「人間、いつ死ぬか分からないんだから、やりたいことやっておかないとねー」という話をしていた。 そんな話から、ふと思ったこと。万が一、私の身に何かあったら(不慮の事故や心臓発作で死んでしまうとか)、知り合い全員にちゃんと連絡が行くのかしら? 昔からの友達には、親が連絡するだろう。でも、親が知らない、大人になってからの友人やネット上だけの付き合いの人には、知らせることができないのではなかろうか。 と言うわけで、ここを見ているリアル友達にお願いです。 本当に万が一ですが、私にもしものことがあったら、お手数ですがサイトの掲示板にその旨を書き込んでもらえないでしょうか。そうすれば、ネット上のお付き合いの方たちにも知らせることができると思うので。 別に、知り合い全員に嘆き悲しんでほしいとか、お葬式に来てほしいとか、そういうことじゃないんです。 ただ、私が残された側の立場だったら、長いこと何も知らされずにいるのは悲しみが何倍にもなるので。 まあ、いまのところは健康ですけれどもね。
とうとう、じじい1号(うちのコールセンターの所長)にブチ切れてやった。 他のオペレーターやSVからは称賛の声を頂きましたわ。
ふんっ! いつまでも素直で愛想笑いのうまい部下だと思うなよ!
でも、いかんせん頭が悪くて理解力と想像力がないので、私の言ったことも本当のところはきちんと理解していないんだろうなぁ。今までだって、いろんな人がやんわり指摘しても一向に改まらなかったんだもの。 私がキレたことだって、3連休中に忘れるんだろうねぇ。
もっと徹底的に打ちのめしたい……。
2009年07月15日(水) |
BLUE BLOOD |
この体に青い血が流れていればいいのに。 それならば、別の次元へ飛べるはず。
中途半端な狂気はいらない。 どうせなら、狂気も正気も分からぬほどの、完全なる崩壊を。
2009年07月14日(火) |
魅惑のフランボワーズ |
フランボワーズ。またの名をラズベリー。またの名をキイチゴ。 昨日、ハーゲンダッツのフランボワーズソルベを食べた。 一口目はかなり酸っぱく感じた。でも、食べ進めると慣れてきて、酸味が心地良くなる。
ラズベリーだけじゃなく、ベリー系全般が好きだ。 カフェのデザートメニューにベリータルトがあろうものなら、迷わず注文しちゃう。 クランベリージュースも好き。
詳しいことは知らないが、マヤ文明の予言によれば2012年に人類は滅亡するらしい。 本当に滅びるという保証があるなら今すぐ仕事を辞めるのだけど、もちろんそんな保証はどこにもなく、たぶん2012年じゃぁまだ滅びはしないだろう。
ノストラダムスによれば、1999年7の月にはすでに地球が滅亡するはずだった。 98年、高校3年生で受験生だった私は、「本当に来年滅亡するなら、受験勉強なんてやめて遊んで暮らすのになぁ」と思ったものだ。 予言を信じるはずはなかったけれど、0.00001%くらいは期待していた。いっそのこと、きれいさっぱり滅亡してしまえばいいのにと思っていた。 当然のごとくノストラダムスの予言は外れ、私たちは今もこうしてバカみたいに生息し続けている。受験勉強をやめなくて正解だった。
滅亡の予言は、他にもまだ世界中にたくさんあるのだろう。 期限が近づくたびに、人間は懲りもせず予言を持ち出して無意味に騒ぐのだろうか。 3年後に滅びるだなんて、あんまり期待させないでほしいものだ。予言を垂れ流している人たちは半ば警告の意味でやっているんだろうけど、私は危機感を抱くどころか、ちょっぴり期待しちゃうんだな。
自分だけが生き残って周りの人たちが次々に死んでいくのは悲劇だけど、人類全体が滅びるのは別に悲劇でも何でもない。それは、地球の歴史に起こる単なる一事象にすぎない。それも、地球規模で客観的に見れば、おそらく喜ばしい事象のはず。
誰かを真に愛し続けることはなかなか難しいし、覚悟のいることだ。
ときに持て余すほどのこの想いが本物の愛情なのか、「愛している」と思い込みたいだけなのか、ときどき分からなくなる。
どうしても拭い切れない違和感は、いったい何なのだろう。 それが例えば単なる価値観の違いなら、別に構わない。でも、もしも客観的に見て正しくない方向へ行こうとしているのだとしたら、黙って見過ごすわけにはいかない。 愛することも味方でいることも、「無条件に賛同すること」とイコールなわけじゃないもの。 でも、黙っていられないのは愛情ゆえなのか、自信がない。ただ、自分の価値観を押し付けたいだけなのかもしれない。
一度離れてしまったことにも、離れてしまった事実をなかったことにしようとしていることにも、後ろめたさを感じているのは本当。 でも、そんな後ろめたさとは関係なく、心の底から溢れ出る想いがあるのも、本当。
やっぱり切り捨てることはできないと思った。与えてもらったものや、それに対する感謝が大きすぎて。 だから、良いことも悪いことも、目を逸らさずに見つめていくって、覚悟を決めた。そうしなくちゃ、と思った。 愛情は義務感から生まれるものではないし、感謝と愛情は別物だって、分かってはいるけれど。
でも、愛しているよ。
長いこと日記をさぼっている間に、7月になってしまった。
6月19日、私は29歳になった。20代でいられるのも、あと1年になってしまった。 この日は金曜日で、仕事が終わってから仲の良い人たちと同僚宅にお邪魔してピザを食べ、hideのライブDVDを観た。 家主である同僚は、いまの会社に就職する前、CDショップを経営していた。そのとき売れ残ったDVDが未開封のまま手元に残っているから、ぜひ私に見せたいと、前々から言ってくれていた。 私以外は誰もファンではないのに、DVD上映会に付き合ってくれた。 私は同僚たちと喋りつつ、ときどき会話の輪から抜けて、テレビ画面に広がるhideの世界に一人で浸った。 特に、FLAMEのとき。この曲がいつもよりやけに心に染みて、ちょっとうるうるした。
亡くなった人の映像を観るのは、不思議な気分だ。時間の間隔をうまく掴めなくなる。 まだどこかにいそうな気がするけれど、少なくとも肉体はもうどこにもいない、ということをはっきり分かっている。近いのに、遠い。遠いのに、近くに感じてしまう。そして、例えば12年前の映像だとしても、ほんの2,3年前の姿のように感じたり、逆に20年くらい前のように感じたりもする。 過去から現在へ至る時間軸が、やはりどこかで断ち切られてしまっているのだ。それは、本来なら「私たちの中でhideだけが」と言うべき現実なのだけど、私は「自分だけが」と錯覚してしまう。hideや同僚たちは正しい時間軸にいて、自分だけがその軸の外に置き去りにされているような感覚。だから、私とhideのどちらが本当は止まったままなのか、ときどき分からなくなる。 18歳になる手前の17歳だった私は、29歳になった。日々、hideの年齢に近づいている。人生は何があるか分からないから、「いずれhideの年齢を追い越す」とは断言できないけれど、追い越さんとして着実に近づいていっている。 いつか33歳になって、そして34歳になっても、hideの映像を見たとき、私はやっぱり自分だけが置き去りにされて止まっていると感じるのだろうか。
このDVDは、結局私がもらうことになった。 元々は私の誕生日会という名目ではなく、皆の予定が合って集まることができたのが、偶然19日だった。 でも、ピザは男性陣のおごりだったし、同僚女性はケーキを買って来てくれた。そして何より、hideのライブDVDという誕生日プレゼント。 20代最後の誕生日にふさわしい、素敵な夜だった。
6月末、仲の良かった同期の女性が退職した。 送別会を開いたりプレゼントを考えたりで、月末は結構慌ただしかった。 いなくなってしまうのは、もちろん寂しい。でも、それ以上に、羨ましい。 会社を辞めたあとの道が確保できているわけでも、保障されているわけでもないけれど、彼女は心底うれしそうに職場を去っていった。よほど辞めたかったのだろう。その表情を見たら、羨ましく思わずにはいられなかった。
29歳の誕生日を迎えて以来、心身ともにかなり疲れている。 しんどいという言葉が一番しっくりくる。「だるい」でも「きつい」でもなく、「しんどい」のだ。何だか全てがしんどい。 休みの日は、前にも増してよく眠る。朝10時とか10時半に起きて、昼寝もする。それでも、夜なかなか寝付けないということはない。 厄年……ではないよなあ。
しんどいので、何も考えずにただバカみたいに笑っていられる本か、ひたすら顔がにやけて癒される本ばかり買っている。 中村光の漫画「聖☆おにいさん」、mixiの「変な寝言が忘れられない」コミュから生まれた本、子猫の写真と俳句がコラボした本。そういうのばかり読んでいる。 あとは、できれば1日中まどろんでいたい。
|