私の雑記帳
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2009年11月27日(金) 「行列48時間」(喜の行列 悲の行列」)

楽しみに見ていたNHKの金曜ドラマ「行列48時間」(主演/國村隼)の最終回。

全6回だったが途中、スケートと森繁の追悼番組で2週も間があいてしまって、今日5話と6話を繋いで最終回SPとして放送された。

初回から見ていないとわかりにくいこともあり、数字はとてもよくなかったけれど、個人的には今年のベスト1か2(もう1本は「官僚たちの夏」)

制作に共同テレビの名前をみつけたが、NHKと組むなんてちょっとびっくり。だからこそおもしろい物が出来たのかも・・なんてシロウトが考える。

いろんなドラマはあるけれど、あまりズシンとなり過ぎなくて
娯楽ドラマとして成立していて、気楽に見られて楽しいドラマ
(でも決して薄っぺらくはない)なんていうのは
最近はなかなかないよ。

こういうおもしろいドラマはもっと大勢の人に見てもらいたいと思った。
数字が5%を切ってるなんて、もったいなすぎる。

原作は藤田宜永(確か小池真理子の夫で最近直木賞受賞したよね)の「喜の行列 悲の行列」だそうだ。う〜ん、ぜひ原作を読んでみたくなった。


2009年11月26日(木) 半年にわたる治療の終了

約一月ぶりの退院後の初受診。
手術の傷の治りはよいらしい。でもまだ痛い。
しかも生理がきてしまい、その生理も痛みも量も近年になく酷い。
手術では筋腫だけ摘出したが、いったいそのことに意味なんか
あったんだろうか。
勿論、無駄ではなかった。医師もできるなら取った方がよいと言った。
でも子宮も卵巣も取らなかった。医師はせめて子宮だけでも
取った方がよかったと思っている。
実際、卵巣さえ残せば子宮は取った方がよかったんだろう。

開腹したところの感覚がない。それは細かい神経も切れて
しまったからだという。

あと数年の間、また筋腫が出来ないとは言えない。
でももう開腹は無理だという。

私は何をやっているのだろう。
私の判断は間違っていたのか?

色々と気に病む、気に病む、気に病む・・・

半年にわたる子宮筋腫関連の治療は今日で終わりだそうだ。
え?これで終わり???

なんだかストンと落ちた。
理屈ではよくわからないけど、深く落ちこんでいる。

私は寂しい。
私は辛い。
私は寂しい。



2009年11月24日(火) 少し反省

(昨日の続き)

感情を抑えられなくて、拍車がかかってしまったことは
やはり行き過ぎだったと思うので、今日娘に謝りました。

少し時間も経っているし、娘もなんとなく許してくれました。
(もちろん忘れる事はできないでしょうが)

そうなると、また何事も無かったかのように、相変わらず
ぼんやりしています。

長女の報告によると、私が長電話をしている間、
こっそり「いま、台所の洗い物をやってあげな!」と、入れ知恵を
したら「なんで?頼まれてないもん」とほざいたそうです。
ご機嫌を取れとあからさまに言うつもりはないのですが、
それにしてもそっけない。長女が、「バカ、頼まれてない時に
やるんだよ〜」と言ってやらせたようです。(間に入る者はタイヘン)
次女に「洗い物、やってくれたんだね〜」と声をかけると
「だって、あのヒト(姉=長女)がやれって言うんだもん」と
ほざく。
「姉はアンタのために助言してくれたんだぜ〜」と言いたいところですが
そこは黙っておき、「頼んでないのにお手伝い、ありがとう」と
感謝しておきました。

すっきり解決したわけではありませんが(むしろ、本人の資質は
変わっていない)
私なりの反省は一応行いました・・。


2009年11月23日(月) 暴力と虐待

嫌なことは重なる。
色々と憂鬱なことが重なったところに
娘に対して怒りが爆発。
何度も何度も顔と頭を殴り罵倒した。
今まで我慢して溜まっていたものが堰を切って流れだした。
もう自分が止められない。

次女は取り立てて反抗するような娘ではない。
でも「馬の耳に念仏」的な態度がしばしば見受けられる。
鈍くて図太い。

子供のうちは何でも自由というわけにはいかない。
本当の自由には責任が伴う。自分で責任を負えるようになったら
いくらでも好きに生きるがいい。
私がそれほど無理難題を押し付けているとは思えない。
どちらかといえば子供に干渉しない親だと思うし
子供の趣味にも一定の理解を示してきたつもりだ。
でも、小言レベルでいくら言っても何も感じていないのだ。
なめられている状態なのである。
最低限の事はやれ、ということをどうやってわからせたらいいものか。
それが暴力で脅かすことではないことはわかっている。

つくづく思う。交換条件なんかではすまない。
頑張ると約束出来るなら○○を許す、と何度も譲歩してきた。
しかしことごとく約束は果たされていない。
結果を出すか、でなければ人並みに頑張るか、
どちらかしかないではないか。
のらりくらりしている娘を、今日はとことん追い詰めた。
でも多分これは娘の恨みを買っただけなんだろうと思う。

結局誰のためにもならなかった、ただ私が怒りを爆発させて
子供を虐待したに過ぎない。
私自身が未熟なうえに私に余裕がないのでこういうことになる。
本当に色々と情けない・・・


2009年11月06日(金) 麻酔と手術室

手術室に入るとすぐ、硬膜外麻酔の注射を打った。
寝たまま横向きで膝を抱えるようにして身を丸くし背中を
突き出すようにする。そして背中に打つ。
じわじわ入って身体に染みてくる薬、絶妙に痛い。
神経ブロック注射の親分のような感じ。
その後、仰向けに戻り、身体にはバスタオルが掛けられた。
私の記憶はそこまで。
バスタオルから意識を失うまで、多分数秒だと思う。
すでに腕には点滴の管は入っていたので、全身麻酔が
始まる時は知らせてくれるものと思っていた。
ずっと前、検査で軽い全身麻酔をやったときも、
始まると数字を数えるように言われて、たしか5まで言う前に
意識は無くなった。

だが今回はその前触れというか、予告がなく、いよいよの覚悟を
する間がなく、私はいきなり意識が無くなった。

これは術後からずっと感じていたのだが、突然死というのは
こんな感じなんじゃないかと思う。
意識が薄れていくという過程がゼロなのである。
まさか自分が次の瞬間には意識が無いというのは怖い。
手術で全身麻酔が間もなく始まると覚悟していてもだ。
数字を数えさせられているうちに意識が無くなったり、
例えば毎晩眠るのも、いつの間にか意識を失うわけだが、
そういうのとは全く違う感覚、うまくいえないけど、
ものすごく不意打ちにあった感じだった。

私の意識はやがて戻ったが、これが戻らないのが死に至る感覚
(「意識がないという感覚」という表現はおかしいが)なんだろうと
思った。
実際、私は意識が無かっただけで、臓器は機能していたのだから
死を引き合いに出すのはおかしいのかもしれないけれど、
でも思い出すと、それが一番怖い。

私はなるべく死そのものついて考え無いようにしている。
死を考える事は永遠を考えるようなもので、それはもう恐ろしい。
だから、この不意打ちのような麻酔の件も日記に書こうか迷った。
でも、貴重な体験をしたのだから軽い感じで書いてみようと思った。
死が怖い自分と、数年前まで「死にたい」と
精神不安定だった頃の自分とのギャップがおかしい。

死の恐怖は今から悩んでも、結論も答えも出ないことに変わりなく
村上春樹は「死後のことは死んでから考えることにしている」と
どこかに書いていたが、私もなるべくそう考えようと思う。

手術室では最初から、よくわからない軽音楽(BGM?)が流れていて
私が麻酔から覚めた時に流れていたのは、ワム!の「ラスト・クリスマス」だった。げー。

手術室に入ったとき、若い担当医に「時間が余ったら顔も頭も
治しておいてね」と頼んであったので、術後麻酔が覚めかかった私が
担当医に手術の結果の次に尋ねたのが「頭のネジはちゃんと締めて
くれた?」で、執刀した担当医は「ああ、だいぶゆるんでいたから
締めておいたよ」と答えてくれた。

私のお腹は20センチほど切られていて、なんというか
「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(byティム・バートン)の
登場人物のようになってしまった。


pearl〈パール〉 |MAIL

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