私の雑記帳
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2009年06月30日(火) 「美しい昔」♪

NHKドラマ「風に舞い上がるビニールシート」の第4回で歌われていた「美しい昔」という曲に聞き覚えがあり、調べてみたらやっぱり!という感じで、昔NHKで放映された林隆三主演の「サイゴンから来た妻と娘」の主題歌であった。1978年というからもう30年も前である。たぶん本放送時しか見ていないから、30年を経て聞いても思い出せるものなんだなあと思う。それなのに最近のことになると記憶できない。私も人並みに老いているのである。
それにしても林隆三ってかっこよかった。最近だと華はあるが大根役者・天海祐希主演の「アラウンド40」で、天海の父親役で出ていたけど、今でも結構カッコよかった。
それにしても懐かしいなぁ。「サイゴンから来た妻と娘」、覚えている人が何人いるだろう?私みたいに「風に舞い上がる〜」のなかで歌われた「美しい昔」を聴いて「サイゴン〜」を思い出した人が何人いるだろうか?


2009年06月29日(月) 落ち込む

どうしようもない苦しさはいつもの事なんだけど、役所の冷たい対応に情けなく、なんだか死にたくなる。
どうにも出来ない自分の非力さに腹が立つし悔しい。恥をさらして生きているろくでなしという自分のポジション、どうにもならない。
努力とか根性とかそういったものさえあれば解決できることなんだろうか?
私はどうしても人の顔色が気になる。すぐ傷つく。なるべく傷つかないように生きたいけれど、それが出来ないから何もかもがうまくいかない。
人に左右される人生なんて本当につまらないのに。


2009年06月16日(火) 「覚え書」として記録しておく

(以下、覚書のために)

■究極は、一人でも充実感があること

 このように、いい友だち付き合いを築くことは自分の幅を広げるためにも大切です。しかし、それよりもっと重要なポイントがあります。それは、「自分一人の時間も充実して過ごす」ことです。

 どうして、自分一人の時間を充実させることが、いい友だち付き合いにつながるのでしょう? これらは矛盾してるように思えますよね。でも、実は同じなのです。自分一人でいても孤独感がなく、「誰かとつながっていないと不安」という焦りもない。このように自律した心を持っている人は、支配的、依存的にならず、友だちを純粋に尊重できるからです。


2009年06月14日(日) 仕上げてみろ

ピアノ発表会の総練習があり、先生(友人)に「お母さんも聞きにきてね」といわれたので行ってみた。
中学生以上はみんな部活もあるし勉強もあるしで、なかなか練習できないのはわかる。発表会に出ない子もいるから、出ようというチャレンジ精神はエライと思う。上手な子も部活が忙しくて練習できていないのがありありとわかる。みんなピアノの練習に割く時間がどうしても少ないんだと思う。
うちの長女は先生の娘さんと同じ高1で、最年長の部類になるが、全然練習できていないので(確かに学校が忙しかったのだが)、どうなるかと思ったがここ数日少しは練習したらしく、弾けないということはなかった。
でももっと練習して仕上げてくれたら、と毎年思う。
中3であまり上手ではない子がいるが、今年は英雄ポロネーズを弾くという。もちろん簡単に編曲してあるものだが。それにしてもひどかった。知らずに聞いたら何の曲かわからない。たどたどしく、一小節づつ弾いてる感じ。そもそも上手ではないのになんでこんなに難しい曲を選ぶのか?(先生があてがったとはとうてい思えない。自分がやりたいと言ったのだろう)、そして、上手下手の問題以前になんでもっと練習してこないのだろう?気が強い子なので、弾く前から「もう嫌だ〜」とふてくされていたが、圧倒的に練習量が足りないのだ。あと5日で弾けるようになるとは思えない。何を弾こうと自由だけど練習できないのなら、もう少し簡単に弾ける曲を選ぶとかなにか対処法はあったはず。あれで恥ずかしくないならべつに他人がどうこう言う問題ではないけれど、絶対に本人は嫌な気持ちでいるのがわかる。
昨年も同じような失敗をしているのだ。現実から逃げていてはダメだと思う。練習すれば無理ではなかった楽譜だとは思うので、練習から逃げたことが一番の問題。練習しなくて弾けるわけがない。でもよりにもよってショパンとか選んじゃうところが、怖いもの知らずだと思う。そういう子に限って「子犬のワルツ」とか嫌がるんだよな、幼稚な曲だと思って。
私はその子が苦手なので話しかけたりしないし、関係ないんだけれど、どうしてそう背伸びをするのかちょっと気になった。
人のことより、うちの娘もぜんぜん仕上がっていない。気をつけて弾くポイントはいくつもあるのに、練習しないで平気でいる神経がよくわからない。
「糠に釘」「のれんに腕押し」といったことわざが浮かんでくる。



2009年06月13日(土) 支離滅裂

長女の機嫌に振り回されている。
冗談じゃない、付き合ってられないよ、まったく。
それでも来週にはピアノの発表会があり、なんとしても最後の練習をやって貰わなくては困る。ヘタでもいい、練習した結果なら。しかし「どうせすきでもないピアノ、部活も忙しく宿題も山のようにある」という理由で、逃げてやらないのでは困る。
それにしてもピアノが全然好きじゃない子供たち。私なら弾いてみたい曲が山のようにあるのに。

長女の1回目の定期テストの結果が出た。数学以外はひどい点で見たことも無いようなひどい順位だった。進学校であるその高校の入試は、娘はほとんどビリで合格したと思っているが、やはり、平均点も超えられない科目を見ると情けなくなる。社会もひどかったが、英語はどう勉強していいかわからないという。その気持ちはわかる、私もそうだったから。でも自分でなんとか勉強するしかない。参考書でもなんでも見て、頑張るしかない。知人の娘のように短期ホームステイで英語圏のどこかに送り出してやれれば、きっと少しは英語が楽しく(苦でなく)なるとは思う。でもそんなお金がない。
私は体調が悪くだるい時、お風呂に入りたいと思う。でもガスも水もかかるからシャワーで我慢する。(寒い季節は週に3回だけ風呂を沸かす)
いまの季節、汗にならなかったら、子供はともかく私だけは身体を濡らしたタオルで拭くだけ。ガス代とか水道代とか電気代だってケチケチけちけち。湯船に浸かりたいけど我慢。我慢できるものは我慢。入院している時、お風呂の許可が出たとき、思い切りお湯を出して熱いお風呂を堪能した。嬉しくてそしてとても惨めになった。
布団だってもうぼろぼろ、買い換えたい。でもそういうのは後回しになる。
妹の家の羽根布団、軽くて羨ましい。
 書いているとどんどん情けなくなる。今の私には自給750円の仕事だってない。しかも健康面に不安があるのに、応募も出来ない。とにかく16日に受診しないと筋腫の事はわからない。
いまくよくよしてもしょうがないのだ。子供の事、私の健康の不安、そして今の状況、どん底である。どんなに頼んでも子供は家事の手伝いをしてくれない。情けない。親も子供もろくでなし。
愛が欲しい。優しくして欲しい。愛されたいと思う。でもそれは「私の儀機嫌をとれ」といっているようなもので、無理なんだ。
じゃあ、私はずっと孤独なんだよね。
  


2009年06月12日(金) 宝くじ

ロト6の数字が4つあたり、4等だった。当選金は11900円なり。
しかし今回、ボーナス数字も当たっていたので、あと一つ数字が合えば2等(2500万円)だった。「もしも」なんていうのはくだらないが、2等だったら人生が少し変わった。
来週、子供のピアノの発表会があり、何人かの知り合いに渡すプレゼントを用意しなければならないが金も時間も無くてまだ用意していない。今回のお金はその資金に回すことにする。


2009年06月06日(土) 折り合い

集合住宅での火災報知器の取り付けが義務化されたそうで、私が入院中に不動産屋がきて大半の家に取り付けて行ったそうであるが私は入院していてできなかったので、今日来てもらい取り付け完了した。

しかし、片付けの出来ない(物が捨てられない)私には大変な労力だった。真ん中の和室に取り付けると聞いていたので、片付けはその部屋と玄関のみである。インチキ大掃除で、とにかく物をどかしただけ。勿論、思い切って捨てるものは捨てもした。しかし片付かない。それでも頑張って、なんとか取り繕った。
そうしてみると、いつもよりは格段にスッキリして、いつもこの状態なら私の心労も減るのに・・と思う。

ずっと気になっていた事が片付いて嬉しい。しかも文字通り少しは部屋も片付いた。できるだけキープしたい。

明日は子供の学校の学園祭本番。病み上がりなのに毎朝5時おきで弁当作りは辛い。明日は、娘も私も世話になった私の先輩と見に行く事になっている。それがまた、おそろしく気が重い。
頭も良くて、仕事も出来て、切れ者というイメージの先輩は話していても仰ぎ見るばかりだが、ふと思う。彼女も全然幸せそうではない。

しあわせの定義(価値観)は人それぞれだとしても、人間誰しも幸せになりたいはず。
努力して頑張った人が必ず幸せになれるとは限らない。勿論逆も真ならずで、頑張らないから幸せになれるということもない。

私はまわりの評価ばかり気にするくだらない癖があり、ほとほと嫌になっている。人に迷惑をかけない範囲で、自由に喋ってそれでおしまいにしたい。
人はどうおもっただろうか?とか、しつこい愚痴で不愉快を撒き散らしたのだろうか?とか、くよくよ思うのが大嫌い。
でも、そういうのは気になるのである、私は。気にするなといわれて、気にならなくなるなら、それは悩みではない。
人にどう思われるかを気にするのが、私なのであり、そこの変更(自己改革?)はもう無理だと思う。というか性格というのは極端には変わらない。
そうなるとあとは、自分とどう折り合いをつけるか、しかない。

最近私は「折り合いをつける」という事をよく考える。妥協とも諦めとも違う、共存みたいな形。
それも単なる理想でしかないのか?

「ヘタな考え休むに似たり」だったか、私は空回りが多い人間なので、無駄に疲れてしまう。でも必ず、何か一つきっかけがあればスラスラと物事がよい方向に向かうのではないかと本気で信じてもいる。

深夜、遠くでカエルが鳴いている。朝に鳥のさえずりを聞くのもそうだけど、少しほっとする。

早く寝ないと、いよいよ体がもたない。続きはまた考えてみる。


pearl〈パール〉 |MAIL

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