私の雑記帳
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2007年11月30日(金) 健康のありがたみ

脳の血管の手術を受けに、間もなく一人大阪に向かう
知人を見舞う。

リアルな死への恐怖、残してゆく子供たちへの思い、
身につまされ切なくなった。

失ってみて初めてわかるのが健康の有難さだ。
命の期限をつけられた恐怖と戦って生きるのは、さぞ辛いと思う。
意外だったのは彼女の子供たちが、彼女に対して思いやりがないこと。
人並み以上に子煩悩な母親だったのに、子供たちの態度は不思議でならない。
親子の関係だとて、思うようにはならない。
親の愛情とは得てして一方通行なのだと思う。


2007年11月29日(木) 生活苦

娘の学校で使用するテキストの代金約6,000円、
そのお金が工面出来なくて困った。
なんとか用意したものの、借金生活は続く。
人並みの生活がしたい。


2007年11月26日(月) 「パートリッジ・ファミリー」

ふとしたことから、デビット・キャシディの名前を目にして
それで思い出した「パートリッジ・ファミリー」。
小さい頃、私の住む田舎でもTBS系列の局でやっていて
よく見ていた。でも7歳とかそのくらいの子供だったと思う。
デビットがもう50代なんだから、ママ役のシャーリー・ジョーンズは
ずいぶんと歳をとっただろうな。
見たいなあ、昔見ていたドラマ。
「パパと三人娘」なんかももう一度見たいなあ。
ちなみに私の住む田舎では「ローマでチャオ」という邦題になっていた。
「ラバーン&シャーリー」も見たいなあ。
ラバーン(後にトム・ハンクスの「BIG」の監督としても有名)の声は
加藤みどりがやっていたので、今でもサザエさんのサザエの声を
聞いていると、思い出したりする。

もっと後年になるが「ファミリータイズ」をもう一度みたい。
これは何本かビデオにとってあるが、ほとんどβなので現在再生できない。

「懐かしい」というフィルターにかかると何でも
名作になってしまうけれど、自分の生きてきた歴史の中に
存在するだけで、自分には価値のあるものだと思える。




2007年11月18日(日) 書けない

語彙が乏しいって、哀しい。

うまく表現できなくて、バカみたいな文章しか書けない。


2007年11月05日(月) 心の贅沢

11月3日の文化の日、東京・上野の東京文化会館へ
娘たちと一緒にフジ子・ヘミングとミッシャ・マイスキーの
演奏を聴きに行った。

地方から出かけていくには本当に大変なんだけど
人生でそうはない機会だと思って、かなりムリをした。
マイスキーは数年前にサントリーホールでの
アルゲリッチとの共演(しかし当日、アルゲリッチは
体調不良で来日が遅れて出演せず!)で、一度だけ聞いた事が
ある。

私はクラシックの教養のない本当の素人だし
詳しい事は何一つわからない。
単なる、ミーハーに過ぎないとも思う。
(マイスキーを知ったのも2001年の教育テレビで
放映された「未来への教室」だった。バッハの無伴奏も
それではじめて認識したようなものだった)

演奏曲目は未定となっていて、クラシックに詳しくない私は
自分が知っている曲が聞けるとは思っていなかった。
でも、当日のパンフレットをみて驚いた。
マイスキーはバッハの無伴奏チェロ組曲第一番と書いてある。
フジコのほうはあの「ラ・カンパネラ」にリストの「ため息」に
ショパンの「革命」である。
私の好きな「亡き王女のためのパヴァーヌ」もある。

スペシャルゲストの一人は岡本知高で、私はよく知らないが
娘たちの学校の音楽の先生が大好きでDVDも見せられたことがあると
言っていた。ソプラニスタというが、ものすごい声量と高音だ。
衣装も強烈だった。コンサートの1番最初がこの人の歌で始まった。

そして、それが終わるとマイスキーがいよいよ登場した。
場内が暗くなり、彼にだけライトがあたり、ついに
バッハのあの曲が始まったとき、私は鳥肌が立つほど
感動した。実際にその日の演奏のでき不出来などは
私にはわからない。でも大げさに言って数年前にテレビで見た
あの曲を生で聴ける日がくるとは思わなかった。
CDなどと違い、演奏している人間の息づかいのようなものが
感じられるコンサートはなんと贅沢なのだろうと思った。

フジコは紫色の着物を羽織って登場した。
私たちの席は前から13列目ですこし左側であったので
ピアノを弾く腕や指がよく見えた。
革命もラ・カンパネラもため息も亡き王女のためのパヴァーヌも
まるで夢じゃないかと思った。
マイスキーといいフジコといい、生演奏を聴く事が出来て
大げさに言えば、生きててよかったと思った。

第2部では、マイスキーは娘・リリィと共演、あの「未来への教室」に
出演していたときには14歳だったリリィがすっかり大人になっていて
(二十歳くらいか)びっくりした。
私の娘(次女)はマイスキーなんて全く知らないので
(というか私の周りにマイスキーを知っている人は皆無)
コンサート前日にその「未来への教室」のビデオ(録画して残しておいて
良かった!!)を見せたばかりだった。
とにかく、なにか興味のとっかかりを持ってもらいたかった。


マイスキー親子の1曲目はラフマニノフの「ヴォカリース」と
いう曲だった。聞いた事はあるが私に知識はない。
でもとてもいい曲だった。
このコンサートで知り得たことは私にとっての収穫だ。
(コンサートの後に、山野楽器で私はマイスキーの「ララバイ」という
CDを買った。20年ほど前に娘が生まれたことで作られたアルバム
というが、そのなかにもその曲が入っていて嬉しい)

最後、マイスキーとフジコ、二人での演奏曲は
フランクの「チェロ・ソナタ」イ長調(原曲:ヴァイオリンソナタ)
であった。(もちろん私の知らない曲だ)
フジコもマイスキーも楽譜を見ながらの演奏である。
フジコのほうは譜をめくる人がそばについたが
譜めくりだけでなく、そのひとが部分的に譜を
指差している。それは頻繁というほどあった。
演奏そのものが失敗しているようには感じなかったが
それこそ、それが客観的にどのような状況であるのかは
私にはわからない。

演奏が終わったときは大きな拍手があった。
そしてフジコ自身が、3〜4日前に日本に帰ってきたばかりで
体調が悪くてしかも、耳はほとんど聞こえないと言った。
フジコは若いときに右耳の聴力を失い、左耳でさえ
40%程度しかないというのに、たぶん本当にほとんど聞えないのだと
思う。だから譜めくりの人が指でところどころ指し示していたのだろう。
きっと、本当なら演奏どころじゃないはず。
(しかも昼・夜の2回公演である。)
一流の演奏家は他にもいるだろう。
でも、私にはこのフジコの演奏を聴くことに意味がある。
彼女のピアノだから、マイスキーのチェロだから、
私は聴きたかったのだ。芸術が何たるかなど私なんかには
わからなくても、聴いてみたかった。
そしてその期待は本当に裏切られなかった。

考えてみると、数年前に初めて行ったクラシックコンサート、
アルゲリッチ音楽祭だというのに、本人がこなかった。
それからすれば、体調が悪くてもきちんと演奏してくれたフジコには
心から感謝している。

アンコールは、サン・サーンスの「白鳥」だった。
全体的に今日の曲目はベタといえばかなりベタだが
私には泣きたくなるほど嬉しい曲である。

大昔、私が小学4年生のときに教科書に載っていた曲のひとつが
「白鳥」だった。その歳に私は初めて自分のお金で
その4年生の音楽教科書用の観賞用のLPサントラ盤(・・というのかな?)を買った。
サン・サーンスも「動物の謝肉祭」もそれで覚えた。
いまでも「白鳥」を聴くと、なけなしのお金をはたいて買ったLPのことを
思い出す。
誰の演奏であれ「白鳥」の生演奏を聴く日がくるとは。
だから私は、胸がいっぱいだった。
私は音楽教育とは無縁の家で育ち、ピアノを初めて習い始めた時は
35歳だった。
子ども達には、だからこそ細々でもピアノを習わせているが、
残念ながら二人ともまったくやる気がない。というより
興味がない。人間は個々に人格を持った別の生き物なんだし
押し付けてもあまり意味がない。それがわかっていても
なんだかさみしい。

今回のコンサートも娘たちには「豚に真珠」状態。
14歳の長女は心ここにあらず、で直前まで友人とのメールで
何かあったのか、非常に機嫌が悪かった。仏頂面で、こちらまで
不快にさせてくれる。落ち着きのない次女も、退屈ぎみだった。
田舎に住んでいて、こんな大きなコンサートを聴きに来る
贅沢をまるでわかっていない。チケット3枚で約5万(@16,000円)
それに上京する費用も。借金状態でかなり無理をしたのに。
もうちょっと何か得て欲しかったと思うが、
誰のためでもない、私が聴きたくて私が感動したなら
それで良しとしなければ・・と思う。

快晴で穏やかな陽気の上野駅前は動物園や美術館へ行く人々で
ごった返していた。
私はこの日のことを、ずっと忘れないだろう。














pearl〈パール〉 |MAIL

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