私の雑記帳
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2005年12月31日(土) 2005年を振り返って

今日も結局はじっとしていることが出来ず
掃除や片づけをだらだらとやりながら過ごしているが、
そこそこ満足感もあって、それなりの大晦日。

[今年を振り返って]

(1月)
一人で突っ走った結果ぼろぼろになって睡眠薬多量摂取など無茶をする。その影響か、そのあと自律神経失調症に。

(2月)
月末に傷口が傷跡になりそうなころにYから三カ月ぶりに電話が。私がジタバタしていた三カ月の間にYも離婚と転職をしていた。なんとなく新しい関係が始まる。

(3月)
顎関節の手術を2度も行う。長い治療が始まる。
ずっと欲しかったヴィッツ(中古)を購入

(5月)
誕生日に初めて一緒に食事に行く。

(6月)
ヴィッツを修理に出して代車を運転中に衝突事故を起こす。

(10月)
体調悪く、集中して鍼灸とカイロに通う。
詐欺師に騙されてひどい自己嫌悪に陥る。
ヴィッツで事故を起こし車は大破し廃車。
血液検査でプロラクチン値が異常に高いことがわかる。

(11月)
地元アピタオープンでようやく仕事で来ていたYの顔を見る。
就職活動を活発に行う。

(12月)
半年ぶりにYとデート。
再び恋愛について考え込む日々が続く。


書き出してみると、なんだかあっけないがその時々で苦しんだことを強く思い出す。精神的にもきつかったが、原因不明の体調不良(自律神経)に苦しんだ1年。

混沌とした暗闇の中で、もがく自分がいる。
それでも私は生きていくだろう。
背負い過ぎる重荷が、少しでも軽く出来るように
自分で工夫できたらいいと思う。
豊かな中年ライフを目指して・・。


2005年12月30日(金) ♪「チープ・スリル」

アマゾンに注文したジャニス・ジョプリンのCDが届く。
私がこの前「サマータイム」が聴きたいという話をした時にアルバム「チープ・スリル」の話題が出たので。
ライナーノート(ジャニスの年表や解説)も興味深かった。
(でも歌詞の意味するところなど、わからないことも沢山)

いろんなことを思い悩んでしまうが、今はなるべくスイッチをオフにしている。慌ただしい年末に難しく落ち込みたくはない。

明日はできるだけ穏やかな大晦日を送りたい。




2005年12月29日(木) ささやかな冬休みのおもいで

2年ぶりに行くつもりだった越後湯沢へのスキーを断念したが、子供にもスキーの楽しさを知ってもらいたい一念で、一番近い富士山近くのスキー場へ行ってきた。理屈でわかっても身体が慣れていないので、すぐ転ぶ娘たち。予算の関係もあり、レンタルスキーもたった半日しか借りられなかったけれど、私の手前しぶしぶやっていたのが、返却まであと20分というときに、もう一度リフトに乗って滑りたいと言ってくれた。ほんの少しコツらしきものを覚えたようだ。まだまだ尻もちをつくけれど、自分で起き上がるコツもわかってきたようだ。せっかく調子に乗ってきたところで帰る時間。私も子供もかなり疲労していたから、ほんとうは丁度よい時間かもしれない。
長女は、妹の板が額に当たって少し切れたし、次女は転倒して額を雪で踏み固まった地面で打ったという小さなアクシデントはあったけれど、とにかくスキーが楽しいと思えるようになって欲しい。そして、いつかは親子3人で、スキー&温泉旅行に行けたらいいなぁ。
私は小さな頃からやっても向上心がないので、結局上手にはならず歳をとってしまったけれど、子供達が何とか滑られるようになるまで現役でいたいと思う。


2005年12月26日(月) 美しい音

土曜日に続いて、今日は低学年のピアノ教室の一日遅れのクリスマス会。演奏の上手い下手ではなくて本物のピアノの音って響いてすてき。クリスマス会の時だけ、先生はピアノの蓋を開けてくれる。だからよけいにいつもより美しく響く、生の音。我が家にピアノはないけれど、いつかちゃんとしたピアノが欲しいと思う。借金の山がある私のことだから、本当にただの夢で終わるかもしれないけれど。

午後は、買い物の後から台所周りの片付けをぼちぼち。『古畑』の再放送(一挙3本)をちらちら見ながらやる。賞味期限のとっくに切れたビンや缶の処理も苦痛だが、やってしまう。
片付けは私にとって一生の戦いだと思う。
片づけを始める前に、ヘナを髪に塗る。白髪はじわじわと伸びるので、多少早くても出来るときにやっておいた方が安心する。最近は月に2度くらいだろうか。

夕飯は、魚屋ですすめられた、生たらの切り身をムニエルにした。美味しかった。


2005年12月24日(土) 締めつけられる心

ふたたび、霊感のある占い師と電話で話した。
なにをどう考えても、彼とのことで明るい材料はないようだ。
続ければ、私が苦しむし、その上に何も得られない。
どうにもならないことはよくわかっている。
私の思うようにはならない。

相手をどんどん美化して理想化して夢を見てしまう。
儚い幻と知りつつ、捨てがたい、離れがたい気持ちを、いまはどうすることも出来ずに持て余し、こうやってここに中途半端に吐き出すことしかできない。

私は、彼なりの優しさを私に都合のいいように拡大して受け取ってしまっている。
<痘痕もえくぼ>状態だと、実は自分でも気がついている。

誰にたずねても、彼とは縁がない。
あったとしても幸せな縁はない。
私の幸せとは、なんだろうか。

彼への熱が覚めてしまうことが、私の幸せに通じるとしたら
それは哀しい。アンデルセンの童話のように、それよりも、海の泡になって消えてしまうほうを選びたい。
かつてあったはずの愛がなくなっていくのを感じるくらいなら。
どれほど好きだと思った人も、やがてその愛が無くなっていくのを何度も経験してきた。プラスに向かって勢いよく進み過ぎたベクトルの矢は、まるで引っ張っていた手を離したゴムのようにマイナスに向きを変えて進む。継続した愛などなく、だからこそ認めたくはないが、彼とのこともいつかは終わるのだとわかってはいる。
嫌いになるのか、あるいは幻滅するのか、そうなれば恋の呪縛から解かれるのだろうが、それは心に消えない傷を作る。そして、間違いなく私はその傷をいつまでも引きずるだろう。


先日、ほんの僅かな時間だったが、彼に愛されていると感じ得たとき(私がそう感じたならそれは真実)を、私はその瞬間に『いまが私の最上の幸せ』だと切実に感じた。死ねなかった私が生きぬいてきた意味もそこにあると思った。刹那的すぎるのかもしれないけれど。まるで麻薬のような感覚かもしれない。それほどまでに心が満たされる感覚は、もう二度とないかもしれない。けれども、生きていくということは、これからもそんな瞬間を捜し求めていくということなのだと思う。

彼と私では、どうあっても幸せになれない運命ならば
何もかもがダメになってしまう前に、
何より、決定的に私が傷つくその前に、人生が終わればいいと思う。(直接的な死を意味するものではないが)

たぶん、その最上の幸せな思い出だけでは、これからの人生を生きて行けない。どんな方法にせよ偽物でさえ構わず愛(のようなもの)を求めていくであろう自分を、虚しく思う。私とは、なんと弱いのだろうか・・。

本当はこれから出会う恋こそ私の幸せのかもしれないし、そうなれば、私は彼のことを考えなくなるし、悲恋を嘆いたことも過去になる。やがて彼との恋は死んでしまう。
今までにも、その時々で胸がしめつけられるような恋はいくつもしたが、だからこそ、私は愛が死ぬことを知っている。死ぬというのは消えることとはちょっと違う。

そんな現実から目を逸らせたいけれど、たぶんいまの「憧れの塊」のようなこの恋もまた、私が彼に幻滅し、この恋に幻滅し、昇華することのない恋になる。
こんな辛く切ないことはなく、そんな切ない現実を受け入れるくらいなら、人生などもう沢山だと思ったりする。
でも、私はどんなに苦しくてもこの人生を捨てられるほどの勇気がない。だからどんなに苦しくても、息をして目を開けて生き続けなければならない。

 いつまでもぐずぐずと割り切れぬ心。たいていの動物はカタワになったら生きては行けない。何かの能力が極端に欠落していたら、自然界では生き残れない。
負への吸引力が強すぎて、傷つきやすく脆くて弱い私は、生きるのが怖い。
できるだけ客観的に事実を見据えようと試みてはみるのだが、自分の性分はどうにもならず、何よりも私が傷つく人生を自ら選んでいるという事実は、私の決定的な弱点であるが、それらを含めて、私という人間は弱すぎる。
私は、もう強いショックを受けたくないし、傷つきたくない。
彼が私についている嘘があったとしても、私は死ぬまでその事実を知りたくはない。
わたしが、一番怖いのは彼との別れがどんなふうにやってくるのかということなのかもしれない。
私が何を思っても、たぶん運命には逆らえない。

彼のように、その時々の気持ちに正直で、その感情はその瞬間にその場に置いてこれるような生き方が出来ることを、とても羨ましく思う。でも、私は彼とは違うから、そんなふうには生きられない。
いろいろ考えていくと、二重に三重に不幸に思えて来るのが情けない。でも、以前の私のようにどうやったら死ねるか、ということは考えない。簡単に死ねないことは経験上よく知っているから。


2005年12月22日(木) 愛も進行形


クリスマスプレゼントは、イアン・アンダーソン率いるジェスロ・タルの
「ナッシング・イズ・イジー〜ワイト島ライヴ・1970」。
お薦めの5曲目「ブーレ」はフルートの曲ですごく雰囲気があっていい曲。
いまだ現役という話にも驚いたけれど、有名な人らしいのに私は全く名前も聞いたことがない。

[その他、ご推薦のアルバム]
ド7アーズ ファースト、ツェッペリン セカンド、フリー(クイーンのボーカル/ポール・ロジャース) ハート・メーカー、ビートルズ ホワイトアルバムetc・・


20日に会う約束は守ってくれた。
無理して時間を作ってくれて、会えたことに感謝。
前後の19日と21日は息子二人の誕生日。
彼は今日22日で離婚して1年になった。

久しぶりに会って話して思い出したのが彼の口癖。
「さりとて」と「さだかでない」など、口語であまり聞かない言葉なので耳に残る。

彼との会話はやっぱり楽しいし、彼もたぶん私といて楽しかったと思う。大げさに言えば、一緒にいる時の私たちは全身全霊で愛しあったのだと思う。それ以上でも以下でもない、その楽しかった時間は真実。

さみしいけれど、悲しいと思ってはいけないと自分に言い聞かせる。いつかきっとまた会える。


昨日、友人から言われた言葉を反芻している。
今の気持ちがどんなに大きいものでも、
そのレベルのまま、その状態の気持ちがいつまでも続くことはない。
いまは切なくても、やがて必ず次のステップが来る。
だから、そう悲観することはないと信じたい。


2005年12月19日(月) 色即是空

気もそぞろな12月、そしてこの1週間。
約束は明日なのに、連絡は?と思っていたけれど
いまは電話が鳴らないで欲しいと願う。
いい加減に約束を破る人ではないからこそ、
連絡してこないのは、今のところ約束に変更がないということだと思う。

5月の誕生日の時に約束した「夏には食事に」の約束が
半年経っても食事どころかお茶すらしていない。予定は未定の状態が長かった。
今回も、たぶん明日の仕事のはかどり次第なんだろう。
最悪はクリスマスケーキの引換券の受け渡しだけかもしれない。食事どころか、お茶を飲む時間さえないかもしれない。
いや、本当の最悪は会えないということかも。

期待しても無駄だとわかりつつ心は何かを期待する。
そして約束が叶わなかった時のことも想定して、早々と諦める自分もいる。
ものすごく喜んだり落ち込んだり、浮き沈みの激しさが大きいほど苦しいけれど、たぶんずっと心は捕らわれたままでも、以前の私ほど一喜一憂しないだろうと思える、少し冷静な自分を見つけて、いまは割と落ち着いている。

会おうが会うまいが暮を過ぎたら、たぶんまた5月までは会えない。長い目でみると明日のことより、その先の時間の方がずっと長く、私には耐えがたい。
良くも悪くもそういう相手で、その事実は変えようが無い。

私には本当に疲れる相手であり、憧れる相手ではあっても相性はよくないこともわかっている。
年が開けたら、たぶん私の超停滞していた運気も変わる。(根拠はないけど)
だから、きっと晴れない気持ちも今がピークだと思うようにしている。

去年の今頃から1〜2カ月は気が狂ったようだったし、今年はいろんな嫌な事件も多かったけれど、1年前の自分と比べるとたぶんマシにはなっている。だからきっと、これからもやっていけると思う。

きっとこれからも泣いたり笑ったりするけれど、私自身がいろんな経験を積んだからこそ、以前よりは俯瞰できるような気がしている。


2005年12月18日(日) 寒い

寒い、寒すぎる。
来週はいよいよなのに、こんな時に体調を崩すわけにはいかない。
子供の防寒用の服などをとても安く買うが、それでも二人分なので財布も辛い。お金はどうしてこうも早くなくなってしまうのだろう。

私は、持って行き場の無い切ない気持ちを抱えて、これからずっと孤独に年をとってしまうのだろうか・・。

血圧の薬か睡眠薬か、たぶんどちらかの影響でずっと便秘がひどい。いまだけ勝手に薬をやめてみた。睡眠薬は片方だけ飲んだ。
ぐっすり寝て、火曜日までにコンディションを整えたい。


2005年12月16日(金) いくらかマシなのか

ようやく、金曜日。

とうとう面接を受けた会社から連絡はない。
なんて中途半端なんだろう。

つまらない人生だと思うが、なんだかんだとこの歳まで生きてきた。過去の記憶や写真を見ると情けなくなるということは、その時よりいまの方がいくらかマシというか精神的に少しは成長しているのかもしれない。
経験というものは、確かに貴重だ。生きることは、成長し続けることなのかもしれない。


2005年12月15日(木) 恐怖のパチンコ

8月に久しぶりにパチンコに行ったときに13箱出て約8万儲けた。だからこそ儲かった分をとられるのが嫌で、ずっと行かなかったが、先週の土曜日に、魔が差して出かけていき大負けした。悔やんでも悔やみきれない。
で、今日は占いなどでギャンブル運がいいなどと書いてあったりして(信じるわけではないが)前回の負け(36,000円)が悔しくて、また魔が差した。自分がやる機種でいくつか席が空いているところをぼんやり眺める。空いている3〜4席の中で、ものすごく出ている人の隣を外すと候補は3席。台を選ぶ根拠はないが、とにかくそのうちの1つを選んで打ち始める。しかし、まったく手応えもない。途中で台を変えるのが嫌いだが、5000円使った段階から迷いに迷った。しかしずるずると続けて結局1万円を使い切る。暗澹たる気持ちで台を変えようか迷っていたが、その後の500円であっけなく揃って確変突入。スーパーリーチのない、手応えのない台だったが案外そういう台は当たり台だったりする。3箱出たところで、今日は「負け」にならないと安堵するが、その後も確変は続き、結局11回連続で出た。こんなに出た後は、出るわけがないし時間も無駄なので、即終了し11箱全部を交換する。結局、68,600円になった。元金の10,500円を引くと58,100円の勝ち。土曜日の負け分を差し引きしても、22,100円の勝ちになった。
あぁ、怖かった。負け分を取り戻せて本当によかったけれど、これで終了としたい。

本当はパチンコなんかやっている時じゃないんだけど・・。


2005年12月14日(水) 単なる「連れ」

ようやくFから電話が入る。
やっと会えると思ったら、今週は超多忙で来週初めになるという。がっかりの極み。
私はどんな存在か?とたずねたら「つれ」と一言。
男も女もない、ただのつれ。わかっちゃいるけど、ものすごくさみしい。
毎日疲れてヘトヘトで、そんな(sexの)元気もないと言うので、もともと盛りは過ぎてるしね、と言ってやった。厭味でもあるわけだが気にせずに、俺(の盛り)は20代がピークで終わってるしな、と言っていた。
sexが好きならまだ脈もあろうというものだが。


2005年12月12日(月) 彼なりの情

信頼している友人が紹介してくれた占い師の先生に
電話鑑定してもらう。
いいことも悪いことも、たぶんだいたい的を得たアドバイス。

Fとは、縁が薄いみたい。うーん、何とかならないものか。
そんな電話の最中に、携帯が鳴る。見るとFから。
一月に1度ぐらいしかかかってこない電話がどうしてこんな時に鳴るのか。
出られないので、後になってかけてみると今度は向うが出ない。
夕方になってかかってきて、てっきり今週会う約束になっていた日取りが決まったのかと思ったら、昨日の新聞(逮捕の記事)を見たよ、という報告の電話だった。「気にするな」って言うために電話してくれた。Fのような男には珍しい行動のような気もするが、案外この人なりに情はある人なんだろう。
自分流で生きる人だから、それに合わせようとすると私がとても疲れる。しかし合わせたからといって、格別Fに気に入られるわけでも無い。
楽しいときはいつも一瞬で、あとは長い闇が続いている。


2005年12月11日(日) 逮捕

朝8時に南警察署の刑事から電話。
昨日、あの詐欺師が寸借詐欺で中央署に逮捕されて
今朝の地元新聞に小さな記事が出たという。
罪が軽いので10日程度の拘留で釈放らしい。
ぶっ殺してやりたい。
南警察署の方はこれから取り調べを行うとのこと。







2005年12月10日(土) どこにも行けない

現実の世界は悲しいことばかり。寂しいことばかり。惨めなことばかり。未来に希望もなく、たた歳をとる。
例えば夢の中で生きることができるとしたら、バーチャルでもそれで満足。

愛している人と同衾している最中に、そのまま苦しまずに死ねたらいい。一緒にいる瞬間が一番幸せで、終わればまたいやでも離ればなれになる。そんな仮初めの間柄に苦しむぐらいなら、幸せの中であっさり死んでしまいたいと思う。
人を好きになると、それに支配されてしまう自分が本当に嫌。
私がどんなに愛そうと、それは相手には関係ないのだ。私が必要とされる日などない。あるのは、私への恩と義理と僅かな友情のかけら。

私は、どこにも行けない。



2005年12月09日(金) 縁遠い電話

知人達と昼食。個人的に好きではないが回転寿司。

昨夜、思い切ってJに電話をかけてみたが、その番号はもう使われていなかった。何があったのかわからないが、Jの自立を見届けたかったこともあり、なんとなく気になる。親子ほどの歳の差で、ジェネレーションギャップもあり、今更どうこうしようという気持ちではないが。

夜中にAさんから初めて電話がかかってきて、着信記録が残っていて驚いた。
Aさんが私に用があるわけがないので、ここのところの私の不安定さを心配してメールではなく思い切って電話をしてくれたらしい。Aさんも、心に深い傷をもっているようだが決してそれを人には明かさない。ほんのすこしだけど、Aさんと私は似ているところがあるのかもしれない。たぶん人より深く傷つきやすいところが。


2005年12月08日(木) 国道一号線

面倒な用事を済ませ、車で国一を走っていたとき
信号待ちでぼんやりしていた私の横を、Fが対向車線から通り過ぎて行った。

用事で出かけた場所というのはFの勤務先営業所に近く、繁華街なので偶然すれ違ったりしないかなど、夢見たいなことをいい年して考える自分に苦笑したのに、まさかその2時間後にそこからだいぶ離れた国一ですれ違うとは想像もしなかった。偶然の出来事だけど、ふだんは対向車の運転手が目に留まることはないから、運命的な偶然・・かも。黒のレイバンのサングラスをかけていたから一瞬わからなくて、だからこそ次の瞬間に彼だとわかった。わずか2〜3秒の間の出来事。
電話をかける口実が出来たので、すぐに「いま国一でしょう?」と電話する。
ほんの少し会話(雑談)をして電話を切った。
「またね」「じゃぁな」
来週(年内)、ようやく会う約束になっている。半年ぶり以上だろうか。でも楽しい時間は、あっと言う間に過ぎてしまう。そして別れ際は「またね」「じゃぁな」で終わる。その次の約束はない。幸せだと感じるのはほんの一瞬で、あとは抱えきれぬほどの寂しさだけが私を待っている。
Fを卒業したいと思う。卒業できなければ、私はいつまでも苦しいだけである。
ようやく会える来週が近づいている時に、私はこのように寂しくてたまらない気持ちを抱えている。


2005年12月07日(水) 年賀状作成

今年は、早めに年賀状の準備をしようと思っていて
ようやく今日、裏面も宛て名も印刷してしまった。
大半が義理。もう十年以上会っていない、年賀状のやりとりだけの人が大半。なんだかな。
そんなものに私は電話番号もアドレスも絶対に書かない。

面接を受けた職場、今週の初めに電話をくれると言ったのに連絡無し。
いったいどうなっているのか不安になる。
ダメならダメで、また探さなければならないので憂鬱。

人を好きになる虚しさをまた考えている。
どんなに思っても、例え力ずくでこちらを向かせたとしても
心は私の方を向いてくれない。
そんな人をいつまでもぐずぐずと好きでいるという虚しさ。

この先どうなっていくのか、加速して歳をとる恐怖と共に
不安でしょうがない。


2005年12月04日(日) 寒い、さみしい

朝から寒い一日。

ミクシィでまた、さみしい出来事が。
(今度は女性なんだけど)
人と接するのがますます怖くなる。

今日は本当に久しぶりにこたつをだして、子供とごろごろした。
いま隣の部屋では娘達が、きゃーきゃーふざけて笑っている。
こういうのは本当は幸せなんだろうけれど。(もちろん、しあわせだけど)


さみしい。


2005年12月03日(土) 面接を受けた

午前9時から、面接。
思ったより感触よく、来週初めにまた連絡をもらえるらしい。
まずは数日、仕事に慣れてみたらどうかと言われた。
(試雇だろう)
なんとか、私の勤まる職場だといい。
何とか生活できるようになるといい。
でも一番の願いは、居づらくなるような意地悪な人や出来事がないように祈るばかり。

ミクシィで知り合った人と12月に会う約束をしていたけれど無理かもしれない。縁があれば、また会う機会はあるだろう。


2005年12月02日(金) 冴えない

午前中に、無料のIT講習(ただし自習)の5回目に行く。
前回で一通りワード(今更だが)をやり終えたのでようやくエクセルというものをやってみた。わからないことはないが、何もかもが面倒くさい。なぜなら、私が普段使っているパソコンは富士通の親指シフトのキーボードだからだ。マニアックと言われるが、20年以上も親指シフト愛用なので。
しかし今からこんなことしている中年に、事務の仕事は無理なんだろうか。

一昨日、ハローワークで紹介されて履歴書を送った会社から電話があり、明日面接。十年以上前に勤めたしょぼい会社の事務より、更に安い給料だが、それでさえたぶん私の歳と取り柄のなさで採用されるのは無理そう。いつまでやっているのか、求職活動。

私にお金さえあれば・・と相変わらず夢みたいなことを一生思って生きていくのだろうか。

お金も、愛も、きっと幻想なんだろうけど。


2005年12月01日(木) 使い切りの幸せをかみしめてみる

Fのことを思いながら占いなどやっていると、突然彼から携帯が鳴った。私にくれると言ったクリスマスケーキの最終確認の件だった。 Fが詐欺にあった話の後日談や、驚いたのは私を騙した詐欺師が現れそうな所に行って犯人の車(車種と番号で)を探してみたけど捕まらなかった、などと言った。電話で話すとき以外は私のことなど全く忘れていると思ったのに、Fのなかに私の存在があったことが嬉しかった。(それが愛でないのはさみしいけれど)

前から報告しようと思っていた、私が最近になってジャニスの「pearl」をよく聴いていることを話した。「あれの良さがわかるようになったなら、お前も大したもんだ」と偉そうにぶつぶつ言っていた。この歳で成長を褒められても嬉しくないが、そんなふうに目上(格上)の人間から言われる機会などもう何年もなかったから、そういうことが新鮮に感じる。
Fと話している数分間は夢のようにあっと言う間に過ぎて行った。最後に私はまた「私を置いて、どこか遠くに行ってしまわないで」と言った。どんなに私が願っても彼はやがて東京に戻るだろう。それがわかっていて、まだ私から完全に居なくならないで、と願ってしまう。Fに期待してはいけないのだが、こうして声を聞くと嬉しいし、ほんの少し幸せ。
Fとの将来に渡っての長い幸せはないけれど、使い切りのような1回限りの小さな幸せを、いまだけかみしめている。
それほど私は愛に飢えているんだろう。

・・

いま、ニュースで地元西武撤退のニュースが。
Fが仕事を辞めたときに西武へ行く話しもあったようで、私はそちらの方が良かったでは・・と思っていたが、とんでもない。もし西武だったら、来年には確実に余所へ転属になってしまっただろう。何が不幸で何が幸せなのか、まさに「塞翁が馬」でわからないもの。(もちろん、いまが幸せなのかも本当はわからないのだけれど)



pearl〈パール〉 |MAIL

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