こないだ久しぶりに献血に行ったときに、 初めて「ハウルの動く城」を見ました。
街の賑わいのシーンで流れてるBGMのクラシックを聞きながら、 オーケストラのチカラってやっぱりすごいなぁと一人でしみじみしてみました。
カラオケで歌う歌も、ピアノソロの曲も、演歌も、鼻歌も いろんな表現の形があって、それぞれにいいところがあるけれども、 表現力のキャパという点で見ればやっぱりフルオーケストラが いちばん秀でている…と思うのは個人的なえこひいきかな…。
これに演劇を足したオペラが、芸術としてはいちばんパワーがあるのかな… とも思ってみたり。
より身近なもので言えば映画…?
オケの話に戻せば、自分がたいこたたきとして、 そのでっかいキャパを持つ媒体の一部になることができるってことが すごく幸せなことに感じてきました。
カナシミやヨロコビや表現するのに、 ある人は公開日記をつけ、ある人は小説を書き、 ある人は街頭でギターを弾きながら歌を歌います。
またある人は野球に汗水を流し、ある人はそこにある山に登り、 ある人は六法全書を必死に勉強し、ある人はボランティアに精を出して 自分自身を表現しようとします。
芸術という範疇の中ではいちばんキャパのある(と思い込んでいる) オーケストラを用いて自分のカナシミやヨロコビを表現できるというのは、 とても恵まれていると思っています。
「一音入魂」という言葉みたいな感じで、 一つの音符に全身全霊を込めて演奏することがたまにあります。
例えば、チャイ4の四楽章の中で運命のテーマが帰ってくるところのシンバルや、 シベ2の二楽章や四楽章の終盤のティンパニをたたいたときがそう。
自分のダメなとことか、ダメなとことか、ダメなとことかを全部ひっくるめた 憂いの吹き溜まりみたいなモノを全部ぶち込んで、一つの音符にします。
「たまにある」っていうのは、意図的にそうしようとするわけではなくて、 シンフォニーの中でオケが私の感情的なテンションを上げてくれて、 ありえないくらいマジになったときに、 そういう「一音入魂」な状態になります。
お客さんも他の演奏者も指揮者でさえも見えなくなるくらい思考が集中してて、 ある意味いちばん音楽を(あるいは芸術を)楽しんでいる状態かもしれません。
もっとひっぱって言えば、人生を楽しんでいるとも言えるかもしれない。
なんどもつまづき続けて、明らかに負け犬な人生ではあるけれども、 そのつまづく度につもり積もった憂いが 私の人生を厚くさせているの間違いないし、 そのお陰で私の音楽もより密度の濃いものになっていると思います。
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