楽しい。問題は解決した。あの木違い婆も相手にしないことにした。最近、甘えてきているような気がする。あいつは電波系だ。何一つすぐれたところはないのに、自分が気が狂っていることがすぐれた点だと勘違いしている。
思い返すと、女ばかりではなく、男からもひどい目に遭っている。仲間外れとか、いじめとか。どちらも嫌いだ。何が悪い。仲良くなんかしてやるもんか。いい加減にしろ。
最近、女の書いた本を読んでいる。自分が女性的なので、すとんと腑に落ちる。男の書いたものを読んでも違うんだから意味がない。真似できない。同じようになれと言われても無理だ。私の人生で障害がある。一つは精神的な問題。一つは性同一性。もう一つは体臭の問題。どれ一つとっても対人関係の問題を引き起こす。私のせいではないのに、私が責められたり、疎外されたりする。精神的な問題は薬を飲み続けることである程度コントロールできる。女性性の問題は女性にむしろ学ぶことで解決できそうだ。腋臭の問題は解決できない。死ぬまで苦しむだろう。でももう気しないことにした。何を言われようと気にしない。
エッセイを書いてみようかと思っている。自伝的ロングエッセイというやつ。エッセイだったら、物語を作るという困難から自由だ。私にはフィクションは無理だ。そんなことに憂き身をやつす人間ではない。
男も女も嫌いになった。それでいいんじゃないかと思う。なんで好きにならないといけないんだ。男にも女にもひどい目に遭ったじゃないか。嫌いになって何が悪い。何で馬鹿みたいに人付き合いなんかしないといけないのか。あのくそ馬鹿レズバーみたいに。もう何も怖くない。人に嫌われてもいいのだから。最近、仕事でミスしないので、怒られない。良いことだ。自信がついてきた。何度も確認すればミスなんか防げる。
明日から会社だ。あの女に会わないといけないかと思うと憂鬱だ。仕事も嫌なら職場も嫌だ。将来にも希望が持てない。過去の嫌なことを思い出す。人と仲良くなれなくて迫害を受けた。これ以上ない不幸にあった。ひどい鬱で何をやっても楽しくない。女が嫌いだ。特に婆が嫌いだ。最近は男も嫌だ。なりたいロールモデルではないし、男のやることに興味はない。政治経済、科学、男のやることに興味を失った。仕事にはもとより興味はない。日々やる気は失われていく。あと8年もある。どうやって過ごすのか。下手をすると13年も働かないといけないかもしれない。そうしないと生きていけないからだ。職場では差別、疎外されている。一切の人間関係から排除されている。こちらから願い下げだ。誰とも付き合わない。心を開く気になれない。差別する相手と心が通うわけがない。どうしてこんな人生になったのか。後悔ばかりだ。男にも女にもなれなくて居場所を失った。友達も一人もいないし、家族もいない。誰もかれも敵だ。どうやって生きていったらいいのかわからない。脳がダメージを受けて知能が低下した。唯一の自慢だった知力も衰えて、何を支えに生きていけばいいのかわからない。何もできなくなってしまった。何をどうすればいいのかわからない。女にも劣る。自分を守らないといけない。最近は女の書いたものを読んでいる。それも軽くて柔らかいものがいい。エッセイが読みやすい。私は女なのに女と仲良くできず、女社会、女文化から疎外されてきた。これからは女の世界に浸って生きていこう。活字の世界なら邪魔する者はいない。失敗に終わった半生から逃避して、女の見た夢をたどる人生を始めよう。敗北と呼ぶなら呼べばいい。私は生きたい。生き延びねばならない。そのためには自分を受け入れ、認めることから出発しないといけない。私は自分が何者かを正しく認めることができなかった。私は一人の女だ。男にはなれなかった女だ。そのことを認めずに生きる道はない。
最近は、男にも圧倒的な違和感を覚える。仲間だと思ったことは一度もない。男の興味を持つものに興味を持ったことは一度もない。男はいつも見慣れぬ異性だった。でも好きになることは厳しく自分に禁じていた。今は何者だか全くわからない。どういうスタンスをとっていいのかわからない。仲良くなんてできないと分かった。男と友情関係を持つことは不可能だと分かった。仕事仲間でも嫌だ。なりたい存在でもなれそうな存在でもない。さりとて女のようにパートナーになれるわけでもない。全く不毛で無意味な非生産的な関係だ。関係を断ち切りたい。女とは、空想上の世界で友達になれそうな気がする。女のくだらないおしゃべりをいつまででも聞いていられる気がする。共感できる気がする。生身の女では無理だ。女に性欲を覚えることはまれだ。全くないわけではないが、持続しない。関係を維持できるほど強くない。自分が演技しているような気がする。本心じゃないような気がする。女を本気で好きになることはできない気がする。ポルノの延長で、売春婦を抱いている。その方が気楽だ。女同士の関係を結ぶことができる。私はこの世では花も実もつけない植物だ。でも空想の世界で生き延びたい。高山のような薄い大気を吸って生き延びたい。高山植物のようにひっそりと花を咲かせたい。
私はこの世では居場所がない。どうしても見つけられない。男でもなく女でもない。芸術家でも会社員でもない。群れから離れた私を危険な女どもが襲い掛かる。危害を加えられたことは一度や二度ではない。絶対に自分を守らないといけない。絶対に自分を簡単に守る権利がある。戦わないといけないはずがない。自分の身の安全を守るのに必死で戦わないといけないはずがない。私は戦うのをやめる。私は私の権利を完全無欠なものとみなす。私に危害を加えるものを絶対に許さない。
調子がいいんだか悪いんだかわからない。耳鳴りで睡眠不足が続き、基本的にはよくない。でも酒によるリラックス効果で何とか低空飛行を保っている。良い依存と悪い依存がある。酒や薬物など物質に過度に依存すると心身をむしばまれて破滅する。でも適度なアルコールは、心身をリラックスさせて、健康の増進に役立つ。人に何かを体験させるものはすべてメディアと呼んでいいと思う。酒でもたばこでも乗り物でもセックスでも、文学でも音楽、芸術でも宗教でも、人に何かを体験させる機能がある。そういうものは多くの人に共有される。ものでも、ことでも人でも全てメディアである。人は人を愛したり、傷付けたりすることができるので、最大のメディアである。すべてのメディアは依存性がある。アルコール中毒、麻薬中毒、カーマニア、音楽マニア、いくらでもいる。人への愛情だけはだれも制限しない。いくら深く人を愛しても咎める者はいない。親は子供に無制限の愛情を注ぐ。自分を愛そう。人を愛そう。それが生きる力になる。良い依存を多く持とう。仕事にも良い依存をしよう。フロー体験をできる程度にまで仕事に打ち込もう。それが生きる力になる。全力でやること。遊びでも仕事でも。それが生き延びる道である。
人に優しく親切にしようと思った。それが私の本性だ。人に優しくするとそれが帰ってきて幸せになる。反対に意地悪すると帰ってきて不幸になる。今までの私の人生がそうだった。ならば幸せになるのはずいぶん簡単だ。
ポジティブ心理学の言いたいことは上手に生きようということだ。やることに熟達し、集中していると幸せになれる。生きることそのものに熟達し、集中して生きれば幸せになれるんじゃないかと思った。
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