希望の日記

2010年09月30日(木)

糞ころがしを許してみよう。サリンのような奴が今のところ何もしないということは奇跡だ。もう何もできないということだ。うざくなくなったということだ。気にならなくなったということだ。今こそ男らしくなろう。全ての女を許そう。女は馬鹿で可愛いものだ。本当に哀れな存在だ。許し、愛さないといけない。そうすれば、それに応えてくれる。
きちがいは、サリンのような奴だ。それは変わりがない。いつでも牙をむいてくる。でも許す。そうしないと生きていけないからだ。人生を楽しめないからだ。でもうざさは消えないだろう。あの馬鹿は永遠にうざい。でも許す。なぜそんなことが可能かというと、切り替えだ。一瞬一瞬でも切り替えることができる。どちらかに固執すれば危険なことになる。危険を避けることはできない。危険はやってくるもの、避けるもの、戦うものではない。避けたからといって弱いわけではない。
女を許してやることができた。女は強がっても弱い、哀れな存在だ。許す以外になかろう。許すことは噛み切れない肉を吐き出すことだ。それは飲んでも消化されない。うざい事はいくらでも避けられる。我慢しなくても良い。そうするとうざいことは存在しないということだ。そう思うと許すことができた。切り替えという考えとも一致する。切り替えないと気が狂ってしまう。人に不快感を与えてしまう。これから10年間、頑張って生きていこう。



2010年09月29日(水) 晴れ

今日は朝、ちょっと嫌なことがあったが、仕方がない。あれは嫌な女じゃないだろうか。あんまり近づかない方が良いかもしれない。嫌だと思う理由が何なのか知りたい気がする。知らない方が良いか。
仕事の方は何とか順調だった。切れ目なく仕事が入ってよかった。仕事にやりがいを感じた。みなと一緒に仕事をするのも悪くないとやっと思うようになった。個人プレーが好きな人も、チームプレーが好きな人も、働ける、よい職場だ。もう愚痴なんか書かない。
切り替えが大事だ。何事につけても、切り替えが大事だ。切り替えができない人は病気になる。不幸をこじらせて死ぬ。一生苦しむ。私は苦しみを脱することができた。



2010年09月28日(火)

切り替えが大事だ。自分のゆがんだ考えを手放したかったら、思い切って切り替えて、正観さんや、マザーやガンジーの考えに100%入れ替える。簡単なことだ。それだけで結ばれていた心が解ける。それを仏という。悟りは簡単だ。仕事も切り替えだ。力や根性や、いじめはいらない。切り替えて頼まれごとは素直に引き受けて、淡々とやる。切り替えて、ありがとう、おはようを言う。切り替えて掃除をやる。切り替えて、災いやうざい奴を気にしないようにする。切り替えて、過去の不幸を嘆かない。愚痴、不平不満、文句、悪口を一切いわない。切り替えて、女遊びは止める。法律は切り替えの塊だ。道徳もそうだ。文学実感主義の私はついていけなかった。でも今なら、文学なんか二の次だといえる。切り替えは立場を自由に切り替えることができる能力だ。相手の身になること。これまでの欲望や恨みをぱっと手放すこと。こだわりも仕事には必要だが、切り替えも必要だ。こだわってばかりだと結局何一つできないし、病気にさえなる。トラブルを起こすようになる。自我なんか重いものは捨てて、ただ素直に、正観さん、キリスト、仏陀、マザー、ガンジーの言うことを愚直に実行してみる。感謝することも切り替えだ。自分に堅く執着していたら、ありがとうもおはようも笑顔も出てこない。われを忘れて相手の身になるから、愛語が出てくるのだ。今の仕事だって、周りのサポートがなかったら、絶対勤まっていない。そもそもあの女が辞めてくれたから、仕事が見つかったのだ。その仕事もミスばかりで、サポートと寛容なしにはやっていけない。感謝するしかないじゃないか。怒ってくれるのも愛情だ。どうでもよかったら怒らない。それを女みたいにすねてはいけない。私も男らしくなるときが来たようだ。優柔不断からおさらばして、健康的、倫理的、自由な人生を生きるのだ。
優柔不断の反対は、切れたり、怒ったりすることではない。ましてや暴力ではない。切り替えだ。心や頭を切り替える。すると、うざいことが直ちに消滅して、幸せになる。問題など存在しないことがわかる。



2010年09月27日(月) 晴れ

何か正観さんの本を読んでいると悟りを開いてしまいそうだ。本を読むだけで悟りを開けるなんて。でも始まりは座禅だった。実践スピリチュアルだった。あの本を書いたおっさんに感謝。それは今も続けている。座禅をすると脳が静かに高速回転を始める。自転車こいでいるときも同じだ。静かなんだけど高速回転。悩みが吹き飛ぶ。泡のように浮かぶが、泡のように消えていく。今アルコールの害で、知能が衰えているので、情報処理能力は以前と比べ物にならないほど落ちた。でも今の自分が好きだ。愛される資格は今のほうがあると思う。人を明るくし、幸せにできるのは今のほうだ。現に、くうちゃんと、あんりを可愛がっている。以前には考えられなかったことだ。心がほどけていき、幸せを味わい、楽しみ、喜ぶことを自分にようやく許すことができるようになった。これ以上何もいらない。今日も明日もありがとうといって淡々と生きていくだけだ。私の長い旅はやっと終わり、今、新しい旅が、一人ではない楽しい旅が始まろうとしている。淡々と目の前の人を大事に、念入りに生きていこう。それが日本人だ。奇跡を起こそう。静かな奇跡を。生きていることが奇跡なんだけど。それを一人でも多くの人に知ってもらおう。
ただでいくらでも幸せになれる。いくら幸せになっても引け目に思わない方法は、ありがとうを言うことだ。自分が幸せなことはあなたのお陰ですという表現だ。これで、後ろめたさは消滅する。
うざい人、もの、ことはいくらでも避けられる。うざいことをうざがることはそのものにパワーを与え、それに支配され、やられることだ。避けられるということは存在しないも同じだ。



2010年09月26日(日) 晴れ

今日は頭が痛い。悟りはどこに行ったのだ。朝、公園を走った。超気持ちよかった。頭が混乱している。知能が戻らない。目がかすむ。愚痴は言わない。人がきれいに見える。今とても幸福だ。何もしなくても、何をしても幸せだ。幸せを周りの人に分けてあげたい。生きているだけで幸せだ。感謝だ。人に喜ばれる存在になろう。全てがうまく行くと感じた。



2010年09月25日(土) 曇り

優柔不断は如何に有害か。不機嫌と同じだ。きちがいから身を守るのに、優柔不断ではいけなくて、断固とした行動を即とる必要がある。それが損得勘定ということだ。自分に優しくしないといけない。敵に優しくすることを理解する奴はいない。今、悟ると決めたなら、躊躇することなく、その道に励め。思いを手放すと決めたなら今すぐ実行しろ。気にならないと決めたなら、それで終わりにして、二度と気にするな。道徳は厳しく断固としてないといけない。良いじゃないかなんて通らない。そんなこと認めたら、何ひとつ成就しない。



2010年09月24日(金)

久々にしんどくなってきた。人に当たりたくなってきた。人が嫌いになってきた。もう物理的に嫌い。近づきたくない。悩んでしまう。失恋がこんなに苦しいものだったとは。結果はわかっていたとはいえ、想像した以上に苦しい。くうちゃんに慰めてもらおう。



2010年09月23日(木)

自分をいじめてはいけない。私は自分をいじめてしまう。それが全ての災いの元だ。自分で自分をいじめておいて、人に何とかしてくれと泣きつく。おかしい。自分をいじめてはいけない。それを止めればらくらく生きていける。
自分に一番優しくしよう。自分をいじめすぎた。弱りきっている。何もかも失ってしまった。既に何も持てないまで衰弱している。また何か持てるようになるためには、自分に優しくして、休めることだ。力を蓄えることだ。
優柔不断はいけない。アランの幸福論に書いてあった。いけないことはいけない。自分をいじめることは最も良くないことだ。間違ったことは今すぐ止めよう。



2010年09月22日(水) 晴れ

差別問題の解決は、もぐらたたきになるか、我慢するだけになってしまう。そうではなく、文句のつけようもないくらい立派な人格になれば、誰も何も言わなくなる。そういう試練を与えてくれたのだ。神は私を選んでそういう試練を与えてくれたのだ。私の心を更に磨きたいということで、私を選んでくださったのだ。それに応えて、必死で頑張ろう。自分の使命だ。魂を磨いて、実践して、少しでも世の中を明るくしていく。それが自分に与えられた使命だ。こんな使命が与えられたことに感謝だ。



2010年09月21日(火) 曇り

一番になる。スピリチュアルの世界で一番になる。今までの失地回復だけじゃなくて、逆転満塁ホームランを狙う。人についていくというのでは足りない。気がすまない。スピリチュアルの世界で、あのきちがいを叩きのめす。糞ころがしとして扱う。私が支配する。この世を支配する。それくらいの気概をもって望む覚悟だ。仲良くやっていこうとか、迎合しようとか言う気持ちはさらさらない。差別は許さない。徹底糾弾する。気にならない、問題にならないという気持ちはそういうところまで行かないと生まれてこない。私は自由に生まれてきて、自由を追求してきた。感謝、笑顔、賞賛で、ありがとう村を築こう。そして、ありがとう帝国の天皇になろう。
今日も無事終わった。幸福論の内容が、正観さんの教えと余りにも符合するので驚いた。人生の真実に洋の東西はない。
差別は気にしないことにした。人を変えることはできない。逃げることもできない。我慢するのも嫌だ。ならば気にしないという方法がある。そして気にならなくなる。これが理想だ。
自分に優しくしよう。節約するというのもそのひとつだ。
糞ころがしは今日も元気だった。あんな奴に意味はない。だが、あんな奴でも、感謝、笑顔、賞賛を求めているんだろうなと思う。かわいそうになる。哀れな奴だ。重大な欠陥があるとはいえ、同じ死すべき存在だ。気にしないことだ。
哀れな糞ころがしのことが見えてきた。怖がっているのだ。自分がいじめた人間が戻ってきて、復讐されるんじゃないかと怖がっているのだ。ところがこちらが霊的に高まっていることを示すと、臆面もなく近づいてくる。昔からの友達のように、近づいてくる。本当に嫌だ。どっか行け。こちらを見るな。私はあまり人に近づかれたくはない。話したくもない。でも私は霊的に高まっている。受け入れるときが来ているのかもしれない。でもお前ではない。何もかも持ち出そうとする火事場泥棒のようなお前にだけは近づいて欲しくはない。何にでも欲情する、完全に正気を失っているお前にだけは近づいて欲しくない。厳しく選別したらいいんじゃないのか。自分を傷つける可能性のある人間は遠ざけ、おとなしい、霊的に高い人間だけ近づける。当たり前のことではないだろうか。きちがいを恐れる人間の心理は、自分が傷つけられると思うからではないだろうか。恐怖心。それを除かないといけない。生半可では解決できない。差別の問題は、問題としないこと、気にしないこと、恐怖を与えないこと。そういうことで行こう。恐怖心で抑えようとするのは逆効果以外の何ものでもない。恐怖こそが差別を助長するからだ。哀れな糞ころがしは、職場の気持ちの象徴かもしれない。糞ころがしの問題を解決できるかどうかが、今後、職業を続けていけるかどうかの試金石だ。
感謝、笑顔、賞賛が重要だそうだ。人は誰もそういうものを求めて生きている。子供は誰でもそうだ。大人になっても、同じだ。金や権力に目がくらんでいても決して満たされることはないと気づく。金や権力や色欲は塩水と同じで、飲めば飲むほど渇く。wさんとの事がうまく行かなかった理由はそこにある。差別問題を解決する方法も、相当自分が霊的に高まらないと決して解決できないだろう。糞ころがしの問題は、差別問題と同じくらい厄介だ。どれだけ霊的に高まっても、どこまでも穢れた手を伸ばしてくるだろう。それでも諦めてはいけない。もうそれしか道はないので、覚悟は決まった。人に優しくしよう。自分もやさしくして欲しいならそうする以外ない。哀れみの気持ちがなくなっているようだ。哀れな糞ころがしも哀れんでやることが近道かもしれない。糞ころがしも恐怖心と戦っているのだ。恐怖に駆られて、走り回り、叫び倒しているのだ。哀れな糞ころがし。哀れんでやることが最大の虫除けになるかもしれない。
感謝、賞賛、笑顔はまず、自分に必要かなと思う。自分をほめてみよう。こんなに霊的に高まって、偉い。人にやさしくできて偉い。今まで頑張ってくれて、感謝。病気にも耐えて、復帰して偉い。人に馬鹿にされようとも、耐えて毎日会社に行っているのは偉い。気の狂った糞ころがしのいる職場に、頑張って毎日行っているのは偉い。まず自分を受け入れよう。悪いこともいっぱいした。でもいいこともいっぱいした。今、ユニセフや、あしなが育英会に、寄付している。デリ穣に稼がせてやっている。偉い。差別されても、耐えて、出勤しているのは偉い。こんなにも霊的な気付きを得られたのは偉い。



2010年09月20日(月) 晴れ

問題にならない。気にならない。犬の糞。虫けら。そういう存在だ。これで問題は消滅した。体がだるい。少ししんどい。過労かな。やせたい。運動したい。
あいつらは糞ころがしだ。それだけのものだ。偉そうにするな。
恨んだり、憎んだりすることは止められそうだ。それは新たに自分を傷つけることに他ならないからだ。自分を許してやることだ。憎む義務から自分を許してやることだ。感謝することもできそうだ。気にしない、気にならないこともできそうだ。問題にしないこともできそうだ。できなかったことが、一気に今できるようになって来た。



2010年09月19日(日) 晴れ

あんな奴らは問題ではないということに気づいた。そして納得した。問題と捉えるから悩まなくてはいけなくなる。問題ではない。問題なんか存在しない。問題と意識するところから悩みが生じる。ずっと悩まないといけない。問題と捉えないと、悩まなくてすむ。どちらが良いか、一目瞭然だ。



2010年09月18日(土) 晴れ

最近、気持ちが良い。脳のダメージなんか気にならない。正観さんのお陰だ。宗教にはいりたいとは思わないが、本を読むだけで人間が変わる。正観さんは、プロの書き手だから、テキストに力がある。会う必要はない。会えば更に魅せられるだろう。
逃げることは私にとって芸のひとつだ。楽にしたらいいのだ。自分の楽なようにしたらいいのだ。そのほうが力が発揮できる。逃げて逃げて逃げまくった果てに、何かが見つかる。逃げ切れないで残ったものが、本物だ。



2010年09月17日(金) 晴れ

できる範囲でかまわないから、愛を受け入れよう。愛そう。感謝しよう。感謝を受け入れよう。そうやって行くうち、次第に真人間になる。ありがとうといっているうちに、矯正されてくる。自分は悪にどっぷり使って生きてきた。簡単には抜け出せそうにない。でも必死でありがとうを言い続けると、苦もなく抜けられる気がする。この世には善悪などないといっているのだから。できる範囲でかまわないというのは逃走論だ。闘争ではなく、逃走だ。できる範囲で良いから、無理だったら逃げ出せば良い。自分が楽になるようにすればいいのだ。人と会話していて、泣きそうになることがある。顔が引きつってくる。父が死んでからだ。まだ悲しみを抜け出せない。だから問題だといっているのではない。問題は何もない。ありがとうを言い続けているときっと良くなる。それまでの間、逃げまくるというのもひとつの手だ。そこにとどまらない。黙って我慢しない。逃げまくる。自分を楽にする。逃げる話術もある。この間の東京女も私を追い詰めてくる。でも逃げるという方法論はいつもある。愛を受け入れる気になったら、受け入れたらいい。でもそれまでは好きなだけ逃げたら良い。
怖がらせて人に言うことを聞かせることはできるが、それはその人から奪っているに過ぎない。自分は絶対にそんな手段は使わない。何も得られないからだ。心は絶対に得られない。愛と感謝で言うことを聞かせる。そういう力が人間にはある。
厳しさも必要だ。正観さんの教えは厳しい面もある。愚痴、不平不満、悪口を言ってはいけない。頼まれごとは引き受ける。疲れ果てても引き受ける。なかなかしんどい。ばばあとの関係で、一番良いのは、愛を受け入れることだろうか。それがどうしてもできなかった。いろんな原因はある。中学の頃の暴力きちがい教師、女嫌い。姉の存在と言動。人を好きになれないとか。でも受け入れて和気藹々と過ごせばいいのだろう。でも今はどうしてもできない。半ば逃げている。それで良いと思う。会社に頼んで逃げさせてもらった。一緒にはやれない。離婚だ。無理なことは無理だ。あいつは今は私を怖がっているから好都合だ。さすがに攻撃しようとは思わないらしい。私がこんな哀れな存在になったからだろう。どんな理由であれ、攻撃してこないのはありがたい。感謝する。きちがいが人間らしく振舞っているだけで感謝する。
厳しさが必要というのは優柔不断はだめで、果断に厳しく行動するときはするということだ。ぱっと行動する。仕事においては特にそうだ。果断に厳しく行動する。悪いことする奴はびしっという。悪を許してはびこらせてはいけない。



2010年09月16日(木) 晴れ

ありがとうを言い続けて生きていこう。ありがとうを言い続けて死んでいこう。それが最高の死の準備だ。お墓や老人ホームの心配をすることではない。そんなことは基本人任せで良い。自分のやることはありがとうを言うこと。ありがとうを言われること。静かに燃えて生きていこう。それが幸せということだ。
今日はいい仕事ができた。課長からありがとうを言ってもらった。嬉しかった。人の口からありがとうを聞くのは気分がいいものだ。自分の口からいうのも気分が良い。これだけ言い続けて死んでいこう。
wさんから避けられている。仕方がない。こんな女狂いの私が受け入れられるのか。今、南京事件の本を読んでいる。ひどいことをしたものだ。変な興味で読み始めたが、ひどすぎる。日本人が何なのか、考えたくなる。
ここが悪いとか、誰が悪いとか、差別しているとか不毛な考えは捨ててしまおう。私の使命はありがとうの王国を築くことだ。感謝と愛の王国を築くことだ。



2010年09月15日(水) 晴れ

ひととはなしているとき、顔が引きつるときがある。父が死んでから何かがついているみたいだ。何を見ても聞いても泣きそうになった。それが人と話しているときもよみがえってくる。そうならない方法を発見した。ほんとのことを言わないことだ。自分を傷つける、自分をかわいそうな目にあわせることを言わないことだ。愚痴、不平、不満は、自虐であって、自分を痛い目に合わせることだ。ひどい目にあった経験を話して、それをもう一度経験することだ。それは人を困惑させ、不快にする。それを話す私の顔を引きつる。そうならないのは、嘘をしゃべっているとき、自分の利害と関係ないことをしゃべっているとき、楽な軽薄なことをしゃべっているときだ。利害関係のない他愛のない会話の場合は、喧嘩にもならず、和やかに進む場合が多い。
今日差別発言を受けた。こんなことを我慢しないといけないのか。組合に言おうかと思っていたが、複数現れるとは、どうしていいかわからない。縁を切ることが自分にできる唯一のことだ。あのばばあも、何のかかわりも持たないが、何の不便も感じない。許すかどうか自由だし、どういう態度を取るかも自由だ。本当に馬鹿が多い。あのばばあには人生を台無しにされた。今、こうして苦しんでいるのも、全部あの婆のせいだ。それでも何も手出しはできない。殺したいほどなのに、自由に振舞っているのを指をくわえて見ているしかない。でも相手にしない自由はある。心のそこから馬鹿にするのも全く自由だし、人間と思わないことも自由だ。あの当時と何も変わっていないじゃないか。
wさんのことは諦めがついた。付き合うことが目標だからおかしなことになる。挨拶が目標、会話が目標であればなんら問題ないじゃないか。よき同僚になることが目標だったら、何の問題もない。



2010年09月13日(月) 晴れ

今日差別された。おかしな禿やろう。前から私に攻撃的な態度をとっていた。正観さんならどういうだろう。人の言うことなんか気にすることはないというだろう。気にしたくはない。でも人物が小さいから気になってしまう。もっと自分が大きな人間だと思うようにしよう。実際自分は大きな人間だ。
正観さんの本を読んでから自分がずっと向上した。簡単なことをやり始めてから人生がずっと楽しくなった。トイレ掃除をする。ありがとうを言う。愛する。幸せを味わう。不平不満を言わない。愚痴や悪口を言わない。
書いたことが全部消えてしまった。人を呪うようなことを書いたからかな。私は誰もうらんでいないし、憎んでもいない。呪ってもいない。感謝している。自分を差別し、攻撃する奴でさえも恨んだりしない。感謝している。自分の人格をどんどん高めてくれることに感謝している。いい人ばっかりだったら、ここまで人格は高まらなかっただろう。きちがいや、病気や悪人のお陰で、人格がピーンと跳ね上がった。本当に道徳的になった。



2010年09月12日(日) 晴れ

今日は弥生と飲みに行った。何か相性良くないみたい。俺のこと嫌いなのかな。なつかない。難しい。姉の私に与えた悪い影響は計り知れない。人とうまく付き合えなくなった。
失恋の痛手から立ち直った。失恋というか、一言も話しかけていないし、傷ついてはいない。今日は元気が出てきた。仕事に恋にもっと頑張ろう。
金使いすぎてやばいことになっている。借金生活なのに、女と遊んでいる。弥生が遊びに来ているので、会いたい。wさんには振られるし、大変なことになった。頭がぼけているんじゃないか。
悟りを開いた人の書いた本を読んでいるうちに私も悟りを開いたような気がする。今まで悩んできた問題全てに、的確極まりない答を出してくれるからだ。もう悩まなくて良いと初めて感じた。幸せだ。嬉しい、楽しい、愛している、大好き、ありがとう、ついてる。愛と感謝だ。愛と感謝の力で、wさんをもう一度振り返らせて見せる。



2010年09月10日(金) 晴れ

生きているだけで幸せ。何事も怒らないことが何より幸せなんだ。人は思ったより優しい。はるかに優しい。見てくれている。またはるかに厳しい。どちらも同じことだ。どちらも受け入れられる。そうすると人生ががらりと変わる。優しさも厳しさも受け入れると、人生変わる。正観さんの教えが今心地良い。



2010年09月09日(木) 晴れ

愚痴や不平不満を言わないことだそうだ。でも、それがなくなると日記に書くことがなくなってしまいそうだ。でも最近は減ってきたかな。肯定的なことも書くようになった。人は優しいし、優しくしてくれている。感謝だ。いじめてなんかいない。こちらの態度が大事だ。人は本当に優しいので、裏切らないようにしたい。
真剣に自分を変えたいと思う。何かというと怒り狂い、戦おうとする自分の悪い癖を何とかしたい。今でも腹が立つ。何かするんじゃないかと恐怖から怒りになる。そうじゃない。そんなことで時間を費やすのは時間の無駄だ。心の問題だ。愛の問題だ。愛が得られないので、金で買おうとしている。あのきちがいは私から愛が得られないので、暴力で得ようとしたのだ。それくらい程度の低い人間なのだ。人間でさえないのだ。愛は重要だ。あんな程度の低い人間さえも愛を与えなかったら、気が狂って攻撃してくる。あいつはきちがいだ。愛に飢えてくるっているのだ。人間が狂う原因は愛が得られないことだ。私は愛がふんだんに得られるようにしたい。それには喜ばれる存在になることだ。何か業績を上げることではない。
得をしよう。魂の得をしよう。愛の得をしよう。喜ばれる徳をしよう。信仰の徳をしよう。神や仏の得をしよう。道徳の徳をしよう。決して、金銭や、権力や、名声の得ではない。頼まれごとをするうちに、人格のレベルが上がってくる。頭がぼけてしまっても、そういうことは真理だから変わらない。ありがとうの得をしよう。
徹底して受身で良いじゃないか。今まで発信しすぎた。電波を。ついに狂人扱いだ。違うって言うんだ。何かを追い求めてほっつき歩かなくていいんだ。徹底して、待ち、受身で良いんだ。
wさんに嫌われたみたいだ。これだけ遊ぶとばれるんじゃないか。こんなときに遊ぶなよ。機嫌が直ることを信じている。
弥生ちゃんに会った。楽しかった。カッと頭に血が上った。血圧が高いらしい。こんなことではいけない。



2010年09月08日(水) 晴れ

きちがいや母親のことをどう処理して良いのか、いまだにわからない。私に絡み、危害を加えてきた存在。ばばあという有害極まりないサリンのような存在をどう理解していいのかわからない。私を不幸のどん底に突き落としたばばあという存在。でも理解することはやめよう。私の許容量を増してくれる存在として現れてくれたんだ。感謝しよう。そうだ。感謝だ。自分をここまで大きな気づきに導いてくれたので感謝するしかない。
私が両親にした仕打ちは何だろう。それを考えると夜も眠れない。でも自分を許そう。そして両親に感謝し、罪の許しを請おう。
両親は神仏なんだ。父は死んで仏になったし、母は生き神だ。大事に思っている。感謝し、あがめている。素直になろう。最高の道徳を目指そう。ここがカルカッタだ。愛そう。愛しつくそう。ありがとうの気持ちだ。何でもありがたい。こうして生きているだけで幸せだ。ありがたさで涙が出てくる。
wさんは本当にいい人なんだ。浮気とか変な風俗とか絶対だめなんだ。
wさんに本格的に嫌われてしまったと思う。最近の、色ボケ振りがあまりにひどかったんだと思う。申し訳ない。そしてチャンスをくれないか。信義誠実にもう一度、恋愛するから。
耳鳴りがして仕方がない。眠れない。5時間しか眠れない。でもそれでも感謝しないと。自業自得が多い。私の人生。女と遊ぶために薬を飲んで、酒を飲んで、耳鳴り、お陰で眠れず、仕事でミス。色ボケで、挙動不審になってしまい、肝心の彼女に嫌われる。本末転倒もいいところだ。商売女にもてて何が嬉しいのだ。
とにかくあいつは完全におかしく、人間ではない。でも腹は立たない。私が怒る係りではない。誰でもあのきちがいを見ると腹が立つ。でも正義感があだになって、こんな目にあった。何でこんな目にあわないといけないんだ。人を傷つけるしか能のないきちがいに、こんな目に遭わされないといけないんだ。絶対に相手にしない。どんなことがあっても。腹が立つことはもうない。楽しく、幸せに生きていく。あんな奴は生きている価値はない。早く死んで欲しい。それだけを願って生きている。



2010年09月07日(火) 晴れ

またやってしまった。でも元気な証拠だ。これで終わりにしよう。一昨日くらいからずっと体が熱かった。これで収まるだろう。
頭と体は生きているうちに使わないといけない。いままで、6年間、貴重な歳月、あのばばあのお陰で、全く使えなかった。これからは使える。ストレッサー100万であっても許容度1億で頑張ろう。何のストレスでもないのだ。世の中苦痛ではない。幸せなんだ。感謝なんだ。苦痛を求めてはいけない。快楽を求めないといけない。
感謝だ。ここまで我慢してくれた会社。能力の衰えた自分に文句も言わず、派遣を首にしてまで仕事を与えてくれた会社。足を向けて寝られない。いくら感謝してもしたりない。私にできることは、最高の道徳を目指すことだ。マザーテレサやガンジーや、正観さんを目指すことだ。私にできることはそれだけだ。富や名声や権力を追い求めることではない。愛することだ。愛は唯一最高の薬だ。心身の。マザーテレサは何を教えたか。愛だ。ガンジーは、正観さんは。愛だ。感謝だ。死ぬまで徹底して、その道を歩もう。



2010年09月06日(月) 晴れ

変な趣味にはまっている。悪い点は、なんか攻撃的になるところだ。いいところは物が良く見えるところだ。攻撃的になりすぎて、嫌われたら何にもならない。故意を成就させるのが目的で、変な趣味を満足させるのは二の次だ。挙動不審になる。落ち着かなくなる。hのやつが攻撃的になっている。相手にしなくて良い。理由は人間じゃないから。まともじゃないから。十分な理由だ。一生相手にしなくて良い。あのばばあもそうだ。絶対相手にしないで良い。
人が好きになった。無限に希望がわいてくる。いくらでも何でもできる。頑張って生きていける。頑張れないときは頑張らないでよい。でも頑張れるときは頑張ってみたらよい。今、何か世界が開かれて見える。何でもやっていける。こなしていける。悪であっても味わいたい気がするが、それは許されないだろうか。故意を成就したいならやめたほうが良いんじゃないか。怖がられたらおしまいだ。



2010年09月05日(日) 晴れ

人が好きになった。人に優しくなった。wさんとの愛をはぐくみたい。きっと私のことが好きに違いない。好きだ。wさん。wさんを傷つけたり、悲しませるようなことがあってはならない。自分はそういう人との心を感じたり、考えたりするのが苦手だ。それで友達ができなかった。空想の中に生きてきた。パーソナリティー障害といえないことはない。
何かでも良くなってきた。自分をコントロールできれば、何とかやっていけなくもない。私の脳は障害がある。未熟なんだそうだ。神経線維がむき出しになっている。人に残酷なことをしてしまう。自分にも。それで傷つく。自傷他害の恐れあり。それをコントロールできるのは愛だ。wさんを愛しているといえる間は、悪や暴力衝動を抑えることができる。昇華できる。
恋は精神的病の特効薬だと知った。心が安定してきて、仕事ものってきた。青春が初めて巡ってきた。
恋は精神病の特効薬だ。もっと好きになろう。もっと激しく、もっと真剣に好きになろう。



2010年09月04日(土) 晴れ

前みたいに賢くはない。でも生きてはいける。頑張って生きていこう。生きていくということは難しいことではないのだ。人間は素晴らしい。セックスをしている姿さえも美しい。人間が好きになった。肯定的になった。ネガティブはいけない。生きていけなくなる。人を好きになることはいいことだ。前より賢くなくなっても全然かまわない。新しい自分が再生する。
なんか充実してきた。仕事も恋愛も楽しい。生きている感じがする。wさんが少し反応してきた。このままうまく行って欲しい。恋に仕事に頑張らないと。
かっこいい女性が好きだ。wさんはちっちゃくて可愛いけど、性格は男っぽくてかっこいい。憧れる。私のほうが女性的だ。
変なものにはまっている。まずいかもしれない。早く抜け出そう。
wさんラブ。また月曜に行くと会える。また恋愛頑張ろう。恋する50男。きっと成就させる。テンション上がらない日も頑張る。wさん通じて世の中が好きになる。世の中とかかわりが生じる。頑張りの動機が生まれる。緊張感が高まる。世の中についていける。
皆違ってみんな良い。みんな好きになった。男でさえも好きになった。大人も子供も、男も女も好きになった。好き嫌いがなくなった。正観さんのお陰かな。生きることは決して難しくない。頑張っていれば誰かが見てくれる。神様は決して見逃さない。自分が大好きになってきた。今日ヒトカラで泣いてしまった。風になりたいと、アローンアゲインでぐっと来てしまった。いいことだ。



2010年09月03日(金) 晴れ

全ての人に感謝したい。あいつでさえも。あいつは私を攻撃してこない。私が成長したからだが、それでもそれを認めて攻撃しないのはあいつにしては偉い。それに免じて許してやろう。人を恨み続けるのは有害な行為だ。免疫系にも良くないらしい。
恋するとは感謝の気持ちの結晶だ。誰かのために何かしてあげたいという真心の結晶であって、何かが欲しいという欲望ではない。私の中からこんな美しい気持ちが立ち上がってくるなんて驚くべきことだ。これを大事にしたい。決して裏切らない。決して人を憎まない。
人の中には神仏が宿っている。一人一人の神仏を尊重したい。
私よりもっと辛い立場の人たちがいるのは明らかだ。その人たちが一人もいなくなるまで、頑張る。なんでも我慢する。愚痴は言わない。黙々と働く。人のために尽くす。人に喜ばれることを一生懸命やる。人に感謝して生きる。心に誓う。決して裏切ることはない。今目の前にいてくれる人たちのために必死で頑張る。



2010年09月02日(木) 晴れ

口を開けば、愚痴や不平不満が出てくる。ならば口を開くな。我慢しろ。それはいい我慢だ。おしゃれな我慢だ。人と自分を幸せにする我慢だ。今は受けに徹しよう。愚直に宗教の教えを守っていこう。そのうち、自由が訪れる。フット思い通りの人生になっている。そんな気がする。そのためのやせ我慢を大いにしよう。
愚痴に費やす時間が惜しい。恋に打ち込もう。もっとあの子を好きになろう。もっと激しく恋をしよう。恋をすると病気が治る。病気の原因は、愛情不足だからだ。恋をすると愛を浴びるほどに受け取ることができる。
恋とは何だろうか。命がけでその人を守りたいと思うことだ。恋をすると、病が治る。素晴らしい。薬や酒の助けは何も要らない。愛は恋によってあらかた満たされる。恋をいつもしていよう。恋をさせてくれる相手をいつも探していよう。人がいとおしい。嫌いな人間なんかいない。みないとおしい。人が好きになった。働くのは、仕事を通じて、人に接することができるからだ。人に会えるからだ。人の温かみに触れられるからだ。病が治り、暴力衝動が収まった。昇華した。暴力の源泉は愛情の不足だ。今は満ち足りているので、暴力衝動が起こらない。
恋をするのはすごいエネルギーがいる。なるほど若くないとできない。でも薄氷をわたるような思いで、命を燃やす感覚は素晴らしい。悪や暴力への衝動が全て昇華される。幸福感に満たされ、全ての存在がいとおしくなる。この幸せを分けてあげたくなる。もちろん、恋する当の相手にも。
恋をすると人間強くなる。健康になる。生きようと思う。真面目になる。働き者になる。自重自愛するようになる。悪と暴力の衝動が消えてなくなる。人に優しくなる。全ての人がいとおしくなる。
先方は一気に攻勢に出ている。じれている。ここでひいてはいけない。もうこのチャンスを逃せば次はない。今あのいとしい相手をつかむのだ。
焦っても仕方がない。ただ今火の手が激しく燃え盛っている。自分でもその激しさに驚く。燃え上がる炎。困難であればあるほど燃え盛るという愛の法則。彼女の友達は、ものすごくサポートしてくれているようだ。そんな気がする。体が熱く燃え盛る。恋とはこんなものか。恋の味なんか久しく知らなかった。どうすればいいんだろうか。どう声をかければいいんだろうか。あと一息のような気がする。息苦しい。
今ちょっとした出来事があって、心が性愛で燃え盛っている。でも恋はそんな暗い衝動も明るく、昇華してくれる。
人に喜ばれたい。人に感謝されたい。心からそう思う。人に感謝している。
恋をすると成就しようがしまいが、幸せになり、仕事も充実し、脳内フル回転になり、無敵になる。悪や暴力と縁が切れるからだ。トラブルは終わってしまい、不平不満、愚痴は全くなくなる。



2010年09月01日(水) 晴れ

せっかく生きているんだから、頭をはっきりさせて生きていきたいものだ。脳から何か物質が出ている。頭がはっきりするようにということだと思う。脳が寝ているんだ。時々意識が遠のく。これではミスするし、覚えられない。原因はわかっている。薬飲んで酒を飲むことだ。絶対やめよう。
悪はうんざりだ。悪が憎い。悪は簡単に諦めることができる。善だけに励もう。こんな人生面白くない。
生きてるだけで幸せ。感謝しよう。感謝される人間になろう。喜ばれる人間になろう。どうしても障害者だから、健常者の助けが必要なこともある。哀れみにすがらなければならないこともある。それは謙虚でないとできないことだ。神が私に試練として与えたのだろう。でも一生懸命自分の仕事をこなすことが必要なことは、それと全く矛盾しない。人に喜ばれるため、頼まれごとを一生懸命淡々とこなすだけだ。


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