希望の日記

2007年02月28日(水)

今日は雨だ。よく眠れた。昨日スティービーのコンサートから帰って酒を飲んだ。昨日はうまかった。音楽というのはいいんじゃないかと思った。楽しい酒だった。音楽は良い。スティービーは良い。戦う必要はない。そう思った。怒ったり、憎んだり、差別したり、地獄言葉で満ちていたが、そんな必要はない。そんなものは全く価値がない。誰か人に任せていれば良い。何で私がそういうことをしないといけないのか。またそういう人間がいたとしてどうしてまねをしたり、気にしたりしないといけないのか。私は善良で感謝に満ちた道を歩くのだ。天国言葉で生きるのだ。戦ったり、怒ったりする必要はない。人を喜ばせるのだ。小説でも怒りに駆られて書いたものは評価されず、楽しんで楽しませようと書いたものが評価された。世の中は簡単なのだ。戦う必要はないのだ。
私の理屈は私が女や世の中を嫌うようになったのは、病気のせいだということだ。実際、中学の頃、おかしくなり始めて考えが歪み始めた。それは原因は何かわからない。遺伝か環境か。偶然か必然か。はっきりしているのは病気の結果、奇妙な歪んだ邪悪な考えに取り付かれたということだ。だからそれは簡単に改められるし、改めるべきだということだ。憎むのをやめる。戦うのをやめる。怒るのをやめる。簡単にできる。嫌なことを止めるのは簡単だ。人を憎んだり、差別したり、戦ったりするのはどれだけ嫌か。嫌なことはすぐ止められる。
とにかく自分は病気だから変な考えを持つのだという自覚が必要だ。それは薬を飲むことと、意志の力で変えられる。天国言葉を言うとか。戦うのではない。怒るのではない。憎むのではない。楽しませ、喜ばせるのだ。
戦うことを放棄する。楽しませ、喜ばせること。サラリーマンであれば、社長が喜ぶこと、上司が喜ぶことをするのが普通だろう。一人さんは当たり前のことしか言わない。戦うって誰と戦うのだ。全く無意味だ。反射であり、癖になっているのだ。薬のせいかやっと止められそうな気がする。
戦うのをやめ、怒るのをやめると人の心が見えてくる。適切な行動が取れるようになる。戦うのをやめるためには無意味に喧嘩を売ってくる相手には近づかないことだ。戦うのをやめることは本当に楽しい。また春が巡ってくるかもしれない。
戦うということは私にとって、悪と同義語だが、そんなことを一所懸命やる奴の気が知れない。それを喜んでやる奴は破滅に向かうだろう。私は破滅は嫌だ。生き残りたい。長生きしたい。このことは私に喧嘩を売ってくる奴と別れるという結末をとりたい。きっとそうなるだろう。戦うのをやめよう。怒るのをやめよう。薬を飲もう。病気を治そう。
戦うのをやめよう。それは病気が原因だからだ。私はまだ病気に左右され、影響されている。戦いたいと思うのは病気のせいだ。悪いことをしたいと思うのも病気のせいだ。それを薬と意志の力で止めることができれば正常化できると思う。カウンセリングなんかでは無理だ。結局自分の病気を良く見極めて薬の力で何とかする以外ない。
頭がぼけたのも正常化のチャンスだと思う。コントロールできないおかしな人間より、多少愚鈍でもコントロールできる明るい人間の方が使いよい。戦う人間、悪い人間は要らない。戦うとはあのおばさんみたいなことで、上にたてつく人間のことだ。そんなものはサラリーマンとして失格だ。戦う必要はない。何を戦う必要があるのか。不可能なことをする必要があるのか。
戦うことをやめることは悪いことをすることをやめることだ。これが周囲との軋轢の唯一最大の原因なのだ。そしてそれは病気のせいで、自分ではコントロールできない。だから薬でコントロールする。極めて自明のことだ。医者の目線で何とかしよう。
b校に行っても病気は治らない。むしろ悪化した。あの医者はむしろ正しいのではないか。あの医者を離れたのはよくなかった。でもここまで来て初めて自分の問題点がわかった。答がはっきりしているのに、それを避けても答えはない。そんなに苦しいことではない。薬を飲んで食っちゃ寝していれば治るといっているのに、これ以上楽なことがどこにあるのか。甘えてはいけない。じゃあ働くかといったらとても無理だろう。今の状態では。だからこれでいいのだ。酒なんか飲むのはだめだ。薬しか治す方法はないのだから。
病気は治まっていたかもしれない。この20年の間に。でもストレスから発病したのも確かかもしれない。エンカウンターもb校も面白かったよ。決して後悔していない。父が南洋に行ったことを少しも後悔していないのと同様に。楽しかったじゃないか。エンカウンター少しも悪くはなかった。b校も少しも悪くない。病気休職。少しも悪くない。私は自分を発見した。やっと正気に戻る道を見つけた。
戦うことをやめる。怒ることを止めることが幸せの道だと気づいた。戦いをやめることは敗北ではない。卑屈でもない。自分を守ることはいくらでもできる。怒らなくても楽しく生きて幸せになれる。昨日もあのおばさんの気持ちがすごく良くわかって、腹が立たなかった。大阪のおばはんは乱暴で邪悪だけれど自分がそうなる必要はないじゃないか。戦ってどうする。最悪の選択じゃないか。戦う必要があればだけど、全くないのだ。戦う必要はないといっているじゃないか。全くない。楽しく生きていけるのだ。



2007年02月27日(火) 寒い

今日は少し寒い。朝から何か調子が悪い。コーヒーのポットを割ってしまった。焦点が合わない。薬が変に残っている。朝から調子が悪い。ボーっとする。ぼけているにもほどがある。この間催し物に行き忘れた。券を買っていたのに。何が何だかわからない。今最低かもしれない。何もやる気が起こらないし。
しんどい。ずっと寝ている。昨日頑張りすぎたのか。それならいいが。争わなくて良い。怒らなくていいと思うと少し気が楽だ。争わなくても大丈夫だ、安全だと思える。そう思えることは素晴らしい。
しんどい。活字が見えない。読む気がしない。私は自分が思っているより悪いかもしれない。散髪屋での仕打ちとかハイキングに行ったときの反応とか、zの反応を見ていると相当悪いようだ。活字の焦点が合わないだけではない。私は大変なことをやってしまったのか。でもきっと良くなる。この薬を信じて飲み続ければきっと良くなる。
頭痛が治った。とにかくこの薬を信じて飲み続け、この苦境を乗り切るしかない。自分が思っているより良くない。これは大変なことだ。でも乗り切れるだろう。



2007年02月26日(月) 晴れ

何か調子が悪い。昨日は眠りが浅かったので起きてからもう一度寝た。それでも何となく不安で落ち着かない。どうなるんだろうとか漠然とした不安を覚える。人とうまく行かなくなったことも不安だ。復帰できるかどうかも不安だ。でも今は何も考えない方がいい。調子が悪いときにあれこれ考えない方がいい。調子が良くなってから復帰のことは考えよう。争う必要はない。怒る必要はない。私は病気で弱いのだ。だから争う必要はない。
争う必要はないと考えると本当に楽だ。怒ったり、争ったりする義務があるかのように考えるのは不毛だ。私は病気なのだからそれだけで争う理由はない。争うものが得をするだろうか。アメリカがイラクを攻撃して得をしたろうか。大変な損失を蒙った。もっとも大切な国民の命、巨額の税金、国際社会でも評判、多くのものを失った。争うことは不毛だ。争わなくていいと思うと本当に楽だ。復帰も争わないといけないと思うから気が重いが、争わなくていいと考えると楽だ。なんでもない。
争わない。怒らない。こんな簡単なことはない。よく怒る奴がいるが私は怒らない。
争うこと、怒ることは病気のせいだ。怒ったり、争ったりする必要はないのに病気のせいで反射的にそうしてしまう。だからそれをやめたらすごく楽になる。そう気付いた。
争うことは反射に過ぎない。下らないことだ。病気がそうさせているのに自分の本心だと思い込む。それは愚かなことだ。怒りも争いも病気のせいだ。それをやめればすごく楽になる。頭がぼけようと一向に構わなくなる。



2007年02月25日(日) 曇り

今日は寒い。調子が悪い。私はかわいそうだ。本当にかわいそうだ。一所懸命頑張ったのに、あのキ印のせいで一瞬でおかしくなってしまった。調子良かったのに。もう言うまい。新しい薬が効いてきたから気長にまとう。楽しいお休み生活も付き合いも全然だめだった。職場との関係も悪化して最悪になった。でもいずれキ印と出会う運命だったかもしれないし、職場では既にキ印と出会っているわけだし、どこにでもいるのだ。そのことはもう言うまい。ただ頑張っていこう。中学のとき、権力と性を巡っておかしくなった。生まれたときと思春期に二回不具合が起こって発病する。そんなに珍しい病気ではない。ありふれている。中学のとき、怒る必要はないのに教師や女や母親に怒ってしまった。今でもそうだ。怒る必要はないのに怒るというただそれだけのことだ。それを薬を飲むことで治せばいいんじゃないか。必ず治る。変な奴がいても私が怒る必要はない。女が馬鹿だからといって私が怒る必要はない。職場は変な奴ばかりだ。いちいち怒ることは止めよう。悪いことばかりじゃない。悪いことがあれば必ずいいことがある。逆も真だ。あのキ印に会わなかったら、暴走してどうなっていたかわからない。金もいくら使っていたかわからない。これでいいのだ。
今日は良くなった。意外に調子が良い。呼吸法のお蔭か。少しくらい調子悪くても良いのだ。女とかおばはんとかいちいち腹を立てない。怒らない。腹が立たなくなった。
怒るのは疲れた。戦うのは疲れた。怒らなくて良い。戦わなくて良い。
戦う必要はない。怒る必要はない。恐がる必要はない。私が女性的かどうかなんか関係ない。戦う必要なんかないのに病気のせいで戦わなければならないと勘違いしてしまった。もう戦う必要はない。薬を頑張って飲もう。
最近外出しない。引きこもり気味だ。それも仕方がない。薬を飲めば良くなるだろう。
ミナミに行ってきた。良いかばんがあったので買いそうになった。買ってもいいだろう。安いものだ。
怒らなくていいのだ。喧嘩しなくて良いんだ。戦わなくて良いんだ。そう思うと楽だ。町を歩いていても楽しかった。何か女を見ると戦わないといけないと反射的に思っているが、全然理由がない。そのことに気付いた。何で戦わないといけないのか。何の労力の浪費なんだ。それから解放されて本当に嬉しい。
少し頭が回復したかもしれない。少し活字が読める。かすみ目が少し良くなった。内容も少しはわかるようになった。



2007年02月24日(土) 今日は

良い天気だ。気分が少しいい。朝夢の中で調子が良くなったと感じた。何で付き合うんやとあの坊さんは言った。それで私は付き合うのが嫌になった。それに対して仕返しをされた。この間の飲み会のときも同じことが起こったのじゃないか。それで大きなショックとダメージを受けた。それが不眠と統合失調症の発症の原因だ。それが薬のせいで治まると、付き合うのは悪くなかったんじゃないかと思うようになった。それまでどおり、明るく振舞っていればよかったのだ。それが正解だ。何もわざわざ不機嫌そうに振舞うことはなかった。それか会わないかどちらかだ。会うんだったら、そういう仕打ちを受けるのは当然だろう。無理に明るく振舞う理由はないが、明るく振舞っていたのが、急に仏頂面になったら、気分が悪いだろう。嫌われたとか敵意があると考えるのが普通だろう。今朝は明るい気持ちが戻ってきた。きっとこれからは最初の頃のように明るく振舞える。何か楽しくなってきた。薬の効果が出てきたのだ。漸く私も良くなった。
この調子で元気になってくれるとありがたい。最初の頃のテンションで頑張っていいのだ。明るく振舞っていいのだ。気分が良くなるとは突然やってくる。白い姿をした男が近づいてきた。私はその男に明るく話しかけた。すると調子が良くなった。何だろう。誰だろう。楽しくなった。
楽しい。寛ごう。明るく元気になれる日がやっと来た。何で付き合うんやと言ったおっさんが一番危険であった。そして二番目に危険なのが私をどん底に突き落とした○ン○の煙であった。私は漸く立ち直った。人が恐いということはなくなった。人と付き合いたくないということはなくなった。
私は本当にかわいそうだ。ゆっくり休もう。二人のおっさんのせいですごく傷つけられた。お蔭で統合失調症が再発した。どうすればよかったのか。出過ぎるべきじゃなかったのか。そんなことはない。閉じこもって自閉するのはおかしいじゃないか。また明るく生きられそうな気がした。元気がない状態では何をやってもだめだ。今やっと元気が出てきた。
新聞が読めない。特に日経は難しい。昔から理解してなかったのか、今急に理解できなくなったのかそれすらわからない。
b校なんかに行ったのもどうかと思う。その流れであの坊主に会ったのだし、あのキ印にも会ったのだから、すごく自暴自棄になっていたのだ。でも今は違う。すごく目が覚めて、元気になった。



2007年02月23日(金) 曇り

今日は調子がいいのかわるいのかわからない。あのキチガイと出会わなければこんなことにならなかったと思う。でもそうなる運命だったのだろう。あれ以上ひどい奴とは今後会わないだろう。昨日は酒を飲んだにも拘らず今朝はゆっくり眠れた。回復しているのだろう。あのキチガイのことはもう決して考えなくて良い。あのキチガイのせいでおかしくなったなどと考える必要はない。薬で十分カバーできる。
楽しく盛り上げていこう。死にたいなんて決して言うな。楽しいことがいっぱいあるじゃないか。盛り上がっていこう。あのキチガイのせいで一夜のうちに私は破壊された。何であんなのと付き合ってしまったのだろう。もう考えまい。それに酒を飲んでグリシンを飲んでしまったこと。もう悔やんでも悔やみきれない。もう前を向いて歩いていこう。自分に責任を持って歩いていこう。
とにかく薬を飲もう。変な奴と付き合ってはいけないのだ。自分をいじめる奴となんで付き合うのか。薬で根本的に治せばあんなウンコみたいな奴のことはどうでも良くなる。必ず良くなる。
風呂にはいったら、少し元気になった。不思議だ。経済でもバブルとか不況とかある。私もこれからは景気回復だ。きっとうまく行く。
すごく気分が良くなった。きっとうまく行く。もうあのキチガイのことは良い。完全に回復した。
必ず良くなる。昔のことは忘れよう。好調だったときは抗うつ剤の影響があったのじゃ。いかん、うつってしまった。だから今くらいの状態が普通なのじゃ。
どうしてウ○コみたいな奴とばかり付き合ってしまうのだろう。嫌いな奴、劣った奴、自分をいじめる奴と近づいてしまうのか。止めた方がいい。
戦うのは止めた方がいい。戦うことがいいことのように間違ってインプットされている。それが統合失調症ということかもしれない。戦うことは間違っているといっても良い。仲良くするとか、楽しませる、楽しむ、喜ばせる、喜ぶの方が絶対正しい。戦うことが唯一の正しい道という間違った考えは捨てよう。商業の道においては戦うということはありえない。法律の上ではあるかもしれない。商業の世界ではありえない。
堺東に行ってきた。ちょっと外出するだけで疲れる。酒を飲むことは脳を痛めつけることだ。良くない。戦わないというのは良いことだ。何で戦わないといけないのか。戦わないで生きていくって素晴らしい。
本を読むと頭皮がものすごく緊張する感じがするのは気のせいだろうか。抜け毛がひどくなる。
とにかく復帰する。昨日保険が振り込まれた。本当にありがたいことだ。余り使わないので金銭には不自由はしない。ありがたいことだ。
これからは旅行に行こう。何で家に篭っているのか全くわからない。
旅行に行こう。楽しいな。ウ○コみたいなやつのことはもう忘れよう。全く関係ない。ウ○コのせいで一生台無しになってしまった。すごいな、ウ○コは。



2007年02月22日(木) 曇り

何か気分がさえない。朝目が覚めたがはっきりしたのは昼前だ。これは脳がぼけているからこうなるのだ。どうにかならないか。復帰できるかわからない。単純なことしかできず。細かいことがわからなくなった。人の感情の機微などわからない。こうなるのも運命だったのだ。ぼけるのはジプのせいかもしれない。12時まで寝るというのは相当だ。
どうも具合が悪い。少し横になった。頭がぼけている。こんなので生きていけるのか。世の中のスピードが速く感じる。何もできない気がする。医者目線で見よう。そうすればどうすればいいかわかる。落ち着くのはどうしたらいいだろう。
少し横になった。少し楽になった。薬の加減もあるのだろう。寝すぎか。楽になりたい。寝ているのが一番楽だ。今はこんな状態でも仕方ない。病気のせいだ。両親に悪いことをしたのも病気のせいだ。今は薬のせいで良くなったので当時のようなことはない。私は罪を犯したが、私のせいとばかりはいえない。病気のせいも半分あるのだ。私ばかり責めないでくれといいたい。病気が寛解したときに悪いことをしたとわかるのだ。しんどい。起きているのもしんどい。寝ていてもいいよ。
少し寝た。本でも読んでみようか。カリスマ教師が教育は楽しませることだと言っている。最近私が考えることだ。商品でも楽しいから買うんじゃないか。お笑い芸人が人を楽しませる。それと同じだ。総理も小泉は人を楽しませたので人気だったのだ。人の機嫌を取っていいのだ。そういう意味では。機嫌の悪い奴の機嫌を取ってはいけないという意味だ。教師は生徒の機嫌を取っていいのだ。楽しませるということだ。機嫌を取るのとは違う。商品も客を楽しませるから買ってもらえる。ほとんど必要なものがない豊かな社会で物を買わせようとしたら楽しませることだ。ドンキホーテでも意味のないものを買わせるには陳列で楽しませることを考えている。世の中はそうなっている。韓流ドラマでも人を楽しませるから人気なのだ。教師もそうだ。政治かも製造業者も商人もそうだ。人を殺したり、殺されたりという時代はとっくに終わっているのだ。アメリカみたいなやり方ではだめなのだ。ソフトパワーとはそういうことだ。吉本みたいなやり方がいいのだ。吉本のお笑い芸人が藤原紀香と結婚できる時代なのだ。下流社会になるとますますそうなる。小泉みたいなのを求める。いいとか悪いの問題じゃないのだ。
村上隆だって、買い手を楽しませるようなものを作るので高い値で売れる。人を楽しませるのは悪いことではない。良いことだ。いい仕事をして人を喜ばせる。これは素晴らしいことだ。私はもう戦うのは嫌だ。戦う必要のない奴と戦うなんて自虐以外の何者でもない。戦う人生ではなく、人を楽しませ、喜ばせる人生にするのだ。それが統合失調症の寛解ということにつながる。
私が戦い始めたのはいつだろう。小学生からもう戦っていた。戦う必要なんかないのだ。人を楽しませ、喜ばせる人間であれば、うまく行く。自分も苦しくはない。統合失調症になんかならない。感謝という気持ちもわかるし、楽しむということもわかる。善良ということもわかる。全て同じものに通じる。人を喜ばせ、楽しませることだ。みのもんたがなぜあんなに人気か。人を楽しませるからだ。キムタクにしてもそうだ。人を楽しませ、喜ばせることだ。自分にもできる。簡単ではないが、簡単なことからだったらできる。戦うことに何か意味があるだろうか。自分も苦しいし、辛い思いをするし、人に苦しみを与える。どうしてそんなことをしないといけないのか。自分が楽しみ、喜ぶことが人を楽しませ、喜ばせることに通じる。
死にたい。こんなこと書くのは初めてか。本当は死にたくない。生きたい。
髪が薄くなった。ぺったんこだ。これは情けない。



2007年02月21日(水)

桜が咲いているという。早い。昨日はまずまず眠れた。昼前に目覚めた。脳がぼけてるから良く眠れるのだ。それでも良い。この先が不安になる。反社会的ではいけないなと思った。反社会的な奴はいるが、やって良いことと悪いことの区別はつく。反社会的行動はやめよう。いつからこんなになったのか。もういい加減にしよう。反抗的なのは良くない。社会的になろう。
しんどい。今日もしんどい。昨日よりはいいか。よく寝ているのにしんどいのは不気味だ。医者との会話とか散髪屋の件が影響しているのか。気にすまい。きっと良くなる。頭がおかしくなってきた。きっと良くなる。
しんどい。だんだんおかしくなる。でも薬さえ飲んでいれば大丈夫だ。頭の不眠による疲れは良くなったが、絶好調というわけではない。薬を飲み続けよう。
医者の目線で考えよう。このまま順調に行けばいいのだ。薬を飲み続ければいいのだ。完全に安定している。これでどうこう言うのはおかしい。
医者目線で考えれば、もう少し落ち着いてもいいのだ。もう治ったも同然なので。症状は落ち着いている。そうすると見通しが出てくる。復帰がいつという話も出てくる。焦って薬を飲まないとそれは遠ざかる。
天満宮に梅を見に行ってきた。盆梅がきれいだった。でも長浜の方がもっときれいだ。去年は目がきれいだったのかもしれない。こう昼間から梅を見られるというのは良いことだ。
医者の目線で見れば非常に順調に行っている。このままどんどん回復していくだろう。
もうこの自分でやっていくしかあるまい。目がかすもうと頭が悪くなろうと仕方がない。
医者の目線で見れば薬を飲んで統合失調症を治すことが最良の道だ。その道は既に始まってる。



2007年02月20日(火) 晴れ

昨日はよく眠れた。その割には朝寝起きの気分がよくなかった。不安があった。呼吸法をしてみたが、弱々しく元気が出なかった。復帰への不安が募った。大丈夫だ、心配ないと自分に言い聞かせた。今の自分は不満だがこれで生きていくしかない。統合失調症の薬はすごく効く。こんなに眠れるのはすごい。12時間寝た。
気分が悪い。人が恐い。外出が恐い。世間が恐い。昨日も外に出て関西人が恐かった。適応できない。今は仕方がない。きっと元気になる。心配ない。大丈夫だ。
しんどい。気分が悪くて少し寝た。寝ている間は少し気分が回復した。起きていられない気がする。不安になる。こういう日もある。頑張らなくていい。統合失調症の回復期だ。消耗期というものだろう。
しんどい。今日は一日家で寝ていた。こういう日があっていいだろう。しんどいこともある。散髪屋の件とか気になる。気にしなくて良い。散髪屋を変えればいいのだ。職場もきっと復帰できる。大丈夫だ。心配ない。
愚痴を言ってはいけないが、気分が優れない。十分寝たのに。昼間も少し寝たのに。この時期が過ぎるのを待つだけだ。
しんどい。前頭葉がおかしい。脳のダメージが戻らない。そのせいで馬鹿にされたり、怒られたりする。悪いことはしていない。
頑張って元気に生きよう。生き抜くぞ。今日は本当にしんどい。字が読めないし、ぼけまくっている。こんな日もあるだろう。
しんどい。誰か私を受け入れてくれないか。拒絶されているように思える。仕方がない。今はしっかり休む以外ない。
しんどい。よく寝たのにしんどいのははじめてだ。字が読めなくなった。
今日はしんどかった。でもきっと良くなる。脳のぼけも必ず治る。



2007年02月19日(月) 呼吸法

呼吸法はいいようだ。少し落ち着く。薬を昨日飲んだ。朝まで一応眠れたようだ。11時までとは行かなかったが。あのキチガイのことは忘れられそうだ。許すとか言うことではなく、あきれたかわいそうな奴ということで、処理されつつある。完全回復まで時間の問題だ。でもメジャートランキライザーと一年の歳月が必要だったということは衝撃の大きさを物語る。人が信じられなくなっているのだ。誰も信じられない。肉親でさえも信じられない。自然と遠ざかる。人と会っても楽しくない。恐い。すくんでしまう。あのたった一夜の経験がptsdになったのだ。私を変えてしまったのだ。z氏も信じられない。人を信じるのはその人が信じられるかどうかではなく、こちらの気持ちの問題だ。宅間のような人間でも信じることは不可能ではない。天使の様な人間でも信じられないかもしれない。こちらの心の傷とか色々複雑な作用で信じられるかどうかが決まる。
またあのときのように元気になれるだろう。何で被害を受けるとわかっているのに行くのか。自分を大事にしよう。だいぶ元気になってきた。あと一息だ。善良であること。感謝すること。楽しむこと。
調子良いのか悪いのかわからない。何となく不安だ。人が恐い。外出が恐い。人が盛んに活動していることが恐い。元気になれるだろう。薬と呼吸法で。
人の機嫌を取るなと一人さんが言った。その意味がわかりかけた。人の機嫌を取ることは良くないと思う。自分の機嫌を取るのだ。不安になるだろうか。そんなことはない。最初のご機嫌取りはあの出来の悪い子だった。その次があのいじめっ子で、次が貧乏人の馬鹿息子で、その次が低脳児だった。それ以来人と付き合うのが恐くなって自閉するようになった。それが統合失調症の入り口だったろう。機嫌の悪い奴の機嫌を取るなんて止めた方がいい。今ははっきりとわかる。人の機嫌なんか取らない方がいい。それがはっきり良くわかった。z氏だって私が機嫌を取る必要はないのだ。自分の機嫌を取るのだ。ついてるとか幸せ、ありがとう、嬉しい、楽しい。感謝してます。許します。と唱えていればいい。
薬を飲んで統合失調症を治し、呼吸法でptsdを治す。
人の機嫌を取ってきたために自分のことがおろそかになるわ、孤立するわ、自閉するわ、他人を省みなくなるわ、ろくなことはなかった。これからは自分の機嫌を取ること。人には親切にし、愛ある言葉を言っていれば十分だ。人の機嫌ばかり取るから、人が自分の機嫌を取ってくれないと不機嫌になったりするのだ。それはおかしいだろう。人の機嫌を取って何かいいことがあっただろうか。統合失調症になってしまうくらい不合理なことなのだ。人の機嫌を取るということは。人が自分の機嫌を取るように仕向けてもそれを感謝するどころか、冷淡な態度をとる。おかしいじゃないか。であればお互い機嫌などとらず、自分の機嫌を取って愛ある言葉を言っていればいいのだ。人の機嫌を取ることと自分いじめ。二大良くない習慣だ。私はもう報いを受けているのだからこれ以上自分をいじめることはないのだ。悪徳裁判官は追放しよう。自分を尊重しよう。人の機嫌なんか取るから人の評判が気になったりするのだ。人の評判がどうしたのだ。関係ない。自分がしっかりしないといけないのに。自分が大事で自分を一番尊重しないといけないのだ。自分を愛することから、人を愛する気持ちが生まれてくるのだ。自分が可愛いからわが子が可愛いのだ。人の子なんか可愛いと思うのはちょっとおかしい。勘違いしている。人の機嫌を取ろうとしている。病的だ。そういう人はいることはいる。ユニセフとか。たいがいそういう人は自分は幸せではない。自分の機嫌をとらずに人の機嫌を取ってしまう人だ。自分は不幸でもいいから不幸な他人に幸せになってほしい。それは歪んでいる。普通に戻ろう。そうすればモラハラなんか気にならなくなる。今はほとんど気にならないが。
なんばに行って掃除機を買ってきた。すごい吸引力。ただ軽くはない。帰りにくそみたいな餓鬼の集団に巻き込まれた。ほんとに餓鬼はむかつく。死ねと思う。眼はだいぶ良くなった。この分なら半年後にはバッチシ治っている。薬で統合失調症を治し、呼吸法でptsdを治す。私は色んな病気を併発していると考えた方がいい。うつかもしれないし、統合失調症かもしれないし、ptsdかもしれないし、人格障害かもしれないし、ノイローゼかもしれない。その全てかもしれない。統合失調症の原因は人の機嫌を取ることだ。小さい頃からの生き方を見ていればわかる。それを今改めれば大きな効果がある。もっと自分勝手に生きていいのだ。自分の機嫌を取って、自分を尊重して、自分を大事にするのだ。今はそれができそうだ。
統合失調症の新しい本を読んでいると目からうろこが落ちる。脳の様々な損傷や障害が色々な症状を引き起こす。精神的な問題はどこかに吹き飛ぶくらいインパクトがある。z氏に読ませたいものだ。私のことが全く理解できない人々に読んでもらって、私を迫害するのをやめてもらいたいものだ。私を迫害するんじゃなくてケアーしないといけないんだろう。どうしてそれができないんだ。これはシリアスな問題だ。真剣に取り扱ってもらいたい。
馬鹿と戦わないことだ。女が気持ち悪いのは仕方がないが、戦うのは無理だ。得策ではない。女が嫌いなのは病気だが、戦わないことは可能だ。今になってそういうことはわかるが、自分の病気がわからないうちはそうは思わなかった。無理をすることはない。というかしてはいけない。どうして無理ばかりするのか。一言で言うと原因はそれだ。無理をすることだ。自分いじめだ。嫌な奴の機嫌を取ったり、自分が不利なことばかりしたり、自滅的自虐的行動に出たり。それが原因だ。それを意思の力で今すぐ改めよ。精神的リスカ。社会的リスカばかりやっている。人の機嫌を取るな。自分の機嫌を取れ。
利己的人間になれ。善良であれ。自分いじめを止めろ。女が嫌いとかおばさんが嫌いとは何を意味しているか。自虐である。女を嫌うとは自虐行為である。自分が幸せであること。幸せになることが嫌なのだ。なぜそう思うようになったのかわからない。でもそれは意思の力で変えられる。自虐行為をやめればうまく行くんじゃないのか。人の機嫌を取ること。それは自分が不幸になること。自殺をすると喜ぶ奴がいるからだ。どうしてそんな奴を喜ばせないといけないのだ。ここに私の倒錯性がある。
人の機嫌を取ることから私の不幸が始まったことが明らかになった。人の機嫌を取ることは自虐である。女が嫌いになることは自虐である。馬鹿馬鹿しい。得策でないことをやることは自虐である。女と争うのは得策ではない。多勢に無勢である。得策でないことをやるのは自虐である。自虐はやめるべきである。自虐は人の機嫌を取るためである。絶対やめるべきである。精神的社会的リスカである。利己主義で行こう。人の機嫌を取らずに自分の機嫌を取る。これがこの一年で得た教訓である。
あのキチガイとの一夜から人間が恐くなった。信用できなくなった。大嫌いになった。夜眠れなくなった。どんどん悪くなる。いくら休んでも良くならない。悪くなる一方だ。だがこれからは違う。どんどん良くなる。薬と呼吸法だ。
薬を飲むことと、呼吸法と、休むことと。自己啓発本を読むことくらいだ。自分で自分を分析したり、何とか療法をやったりするのは無益だし不可能だ。認知行動療法。無理だろう。なぜこうなったか。そんなことわかるか世界中の学者が研究してもわからないのだ。ただ50%は遺伝で残りは環境らしい。そんなもの私の責任は一つもないじゃないか。私にすればいい迷惑だ。楽しい人生が苦しみに満ちているじゃないか。
今読んでいる統合失調症の本は良くわかる。素晴らしい本だ。科学的だ。非常に多くのことが最新科学でわかっているのだ。われわれ兄弟は同じ脆弱性を受け継いでいるらしいが、私だけが何かの都合で強い遺伝的素質を受け継いだらしい。冬生まれに多いとか、出産時に何かあったんじゃないかとか、ウィルスに感染したんじゃないかとか、色々推測できる。それと自分で選んだ偶然の行為の連鎖がストレスに弱い性格を作った、つまり偶然によるものとも考えられる。はっきりしていることは私が一度はこの病気に罹患したことだ。それ以来再発はしなかったが、人格に大きな荒廃をもたらした。薬を飲むべきだったかもしれないが、私は無力で孤立無援だったので仕方がない。人の機嫌なんか取らない。決して取らない。それが私の発病につながったかどうかはわからないが積もり積もって引き金になったかもしれない。それは原因であったかもしれないし、結果だったかもしれない。人の機嫌を取ったり、自分に不利な選択をしてしまうことは何かの遺伝的な素質の結果かも知れないし、偶然の事件による結果かもしれない。色んな条件が複雑に絡まりあっているので誰にもわからない。私が考えるべきは自分がそういう素質を持っていること、再発を抑えるため、薬をしっかり飲むこと。心穏やかに過ごすこと。自分に有利な選択をすること。
希望の光が見えてきた。統合失調症という切り口で自分の人生、今回の休み、職場のこと、これからのこと、人生を考え直すことは非常に有効であるとわかった。医者が私の病気を見るのと同じ目で見れば間違いないだろう。酒を飲むのがいいことか悪いことかはっきりしている。



2007年02月18日(日)

今日も雨か。気分が優れない。酒を飲んだからだ。週一にしようかな。でも昨日は悪くない気分だった。ぼけたのもいいことだとわかった。薬を飲むこととぼけたことで新しい人間になるチャンスを得た。統合失調症が治ってまともな人間になる。心配ない。大丈夫だ。これを一日100回ずつ言おう。心配ない。医者が保証してくれた。薬を飲めばまた安定してくる。実際一度は安定していたのにどうしてぶち壊すようなことをする。心配ない。大丈夫だ。これを繰り返していると少し落ち着く。余計なことを考えなくなる。それと深呼吸だ。回復軌道にはいっている。薬さえ飲めばよくなるのだ。統合失調症から逃れられるのだ。ptsdやうつからも逃れられるのだ。キチガイとの一件で人が恐くなった。母親や兄弟さえ恐い。信用できない。傷つけられるんじゃないかと身構え、自閉してしまう。引きこもりみたいになっている。傷つくのが恐い。最近人に怒られたり、いじめられたりすることが多い。弱くなったのだろう。ボーっとしている。しかしそれは重要ではなくて統合失調症を治すことと、生まれ変わることが私のミッションである。サドや三島の影響を抜け出すことだ。頑張ろう。薬を飲もう。
薬を飲もう。心配ない、大丈夫だと唱えよう。一日100回。統合失調症さえ治れば立ち直れる。統合失調症さえ治れば、昨日のこともどうでも良い。どうでもいいのだ。こだわってしまう自分。心配ないのだ。愚痴を言うともう一度嫌なことを体験してしまい、何度でも傷つくのだ。それが病気の原因といっても良い。一人さんの言うとおりだ。悪徳裁判官だ。もうやめよう。その代わり、心配ない。大丈夫だ。ついてる。嬉しい楽しい。幸せ。ありがとう。許しますと唱えていれば良い。人間はある意味単純なのだ。複雑極まりない面もあるが。
薬を飲もう。呼吸法を再開しよう。呼吸法は効果がある。ptsdと統合失調症を併発している。神経過敏になるのは当たり前だ。健全化しよう。
怒られたり、いじめられたりすることは気にしない方がいい。それより大事なことは統合失調症を治すことだ。自分をコントロールできるようになることだ。それまで気長に生きよう。気長に治療しよう。善良であること。感謝、楽しむこと。今こそ傷ついた自分をこの上なく大事にして、癒すときだ。自分は傷つけられてもいいとか、いじめられてもいいとか思わないことだ。この一年で傷ついた。さらに大事にする必要がある。薬を飲んでゆっくり養生する。大事に扱おう。呼吸法も再開しよう。
モラハラから脱出できそうな気がして来た。統合失調症を薬で治すこと。呼吸法で変な反応を消去すること。これは可能だとわかった。きっと大丈夫だ。心配ない。脳のぼけもきっと治る。むしろ自分を変えていく上で必要なものなのだ。正しい反応を植えつけなおす上で必要な過程なのだ。この世で無駄なものは一つもないのだ。
目のかすみが治って活字が読めるようになって来た。良かった。既にそう感じていたので再現できるだろう。少し希望が出てきた。これ以上悪くならないだろう。良くなりそうな気がする。呼吸法と薬を真面目にやればきっと良くなるという希望、確信が生まれた。モラハラは極論すれば私個人の問題だ。相手を変えることはできない。相手は自分の鏡だ。自分が変われば相手も人生も驚くほど変わる。鏡の法則だ。呼吸法と薬。モラハラは呼吸法で過敏状態を治し、正常化することで脱出できる。必ずできる。カウンセリングは余り根本的な効果はない。いまだにどこに行っても女はいるとか、こんなんじゃ復帰できないとか原始的な脅しをやるような奴は全くモラハラというもの、統合失調症を理解していないということだ。あっても無駄ではないかと思う。単なる気晴らしと考えた方が良さそうだ。彼にモラハラや統合失調症を教えてやらないといけないのが骨だ。しかも多分理解する気も能力もないと思う。この間フィルター理論を説明するとすんなりわかったようだ。もうこれで押し通そう。
目が少し見えるようになった。希望が出てきた。呼吸法と薬で十分自分をコントロールできる。呼吸法で楽しくなってきた。人生が楽しくなってきた。人生の楽園はここにあった。
呼吸法や薬は追い込まれた私を救ってくれると確信した。脳のダメージも回復してきた。きっとこれも良かったといえる日が来る。今もうだいぶ良くなってきた。サドや三島は私に心の自由を教えてくれたと思う。勿論デメリットも大きかったが、何かから自由であるということを教えてくれた。モラハラや神経過敏はその副作用だろう。でもそれも克服できる日も近い。
過去に統合失調症を発病した。それは事実であって変えようも否定もできない。今その影響下にあるということを認めると嘘のように楽になった。どうして今まで意識しなかったのか不思議だ。人生で一番大きな出来事だったかもしれないのに。そうすれば自分をもう少しケアーできたのに。自分がケアーの必要な人間あるいは状態と認識できたのに。しかし今からでも決して遅くない。今気付いたのだから仕方ないだろう。こういう運命だったのだ。決して悪いとは思わない。薬を飲むことと、呼吸法、休息すること。自分を大事にすること。これで確実に治る。改善する。自分をコントロールできる。復帰できる。
心配ない。大丈夫だ。これを一日100回言おう。呼吸法を複数回。
自分の病気、統合失調症を認めると客観的に自分を見られるから、嘘を言って指摘されても反論できるし、自己防衛できる。逆に自分が薬を飲まないなど、間違ったことをして不利な結果を招くと否定できない。統合失調症とモラハラで行こう。結局結論はこれなのだ。悪いことではない。自分を大事にするのだ。
呼吸法はやっぱりいいかもしれない。あのカウンセラーはいいかもしれない。相当研究している。モラハラは相手を変えることではない。自分を変えることだ。法的な手段をとることはできない。私は統合失調症の治療と、呼吸法で乗り切る以外にない。自分で自分を守るしかない。モラハラといっても呼吸法だ。それで脱出できる。確信している。それしか方法はない。逆に言えば。上司に言おうが、人事に訴えようが、法的手段に訴えようが、うまく行かない。呼吸法と薬しかない。散髪屋の件もそれしかない。統合失調症は十分認識してケアーすれば治る。必ず治る。呼吸法もいい。カウンセリングは気休めしかならない。目のかすみも治った私。必ずうまく行く。
統合失調症の治療が一番大事だ。眠れるようになることだ。今から慎重に頑張って治していこう。どうしてこんなになるまで放っておいただろう。
自分を悪者にしようとしていたけれどもそうではない。やっぱり病気なのだ。
ぼけることはわるくはなかった。統合失調症の薬を飲むこと。呼吸法。これで私は救われるだろう。復帰できるだろう。間違いない。
今日は割とさえている。本が読めるのは2,3日前からわかっていたが今日は特によく読める。嬉しい。抜群だ。統合失調症は治りそうな気がしてきた。過敏状態も治るだろう。頑張る必要はないのだ。頑張ってはいけないのだ。何を頑張るのだ。全くわからない。自分を大事にしよう。本当に大事にしよう。慎重に生きていこう。絶対にうまく行く。今度こそ間違いない。
自分を中心に考えよう。薬を飲んで統合失調症を治すことだ。呼吸法もいい。頑張って戦ってはいけない。何で戦う必要があるのだ。嫌だったら嫌でいいのだ。何で機嫌を取らないといけないのだ。あの何も理解できないカウンセラーとか、何回説明しても私の苦しさが理解できないのに、何で下らない質問に答えないといけないのかわからない。理系出身者にカウンセラーなんか無理に決まっている。文系人間の苦しみなんかわかるわけがない。薬を飲むと本当に楽になる。
私は今頑張れない。それでいいのだ。ゆっくり休むのだ。薬を飲んでじっくり休むことだ。慎重に行動しよう。頑張ってはいけない。



2007年02月17日(土)

今日は雨が降るっていってたな。調子が良いのか悪いのかわからない。でも調子悪いんだろう。変なことばかり変な風に考える。嫌なことばかり思い出す。だんだん悪くなっていると思う。でも薬を飲めばかなり良くなる。現に今日は朝まで眠れた。良かった。自分が惨めで情けなくなる。恐ろしくなる。悪いことばかりしてきて信頼を失った。良いことをしよう。一人さんの天国言葉を言おう。愚痴ばかり言ってないで、ツイテル、嬉しい、楽しい。ありがとう。感謝します。幸せ。許します。こういう言葉を言おう。天国言葉を。愛と感謝だ。善良であること。善良な面は誰でもある。悪い面も誰でもある。でも人に迷惑かけないように善良な面を出して行こう。それには天国言葉をいつも言うこと。ツイテル。嬉しい楽しい。ありがとう。幸せ。感謝します。許します。いつもそういおう。
なんか調子悪い。酒を飲むからだ。鏡を見ると頭が寂しくなっている。ここ一年で急に進行した。でも仕方がない。命があるだけでも感謝しないといけない。自然界でいえば病気の個体は死んでいく運命だ。生きてるだけで感謝しよう。私はきっと大丈夫だ。きっと復帰できる。ついてる。嬉しい、楽しい。ありがとう。幸せ。感謝します。脳がおかしい。人に馬鹿にされる。いじめられる。怒られる。目が覚めているのに寝ているようだ。物を落としたりするから、物理的に脳がダメージを受けている。世の中はすごい勢いで動いている。こうしていると取り残された気分になる。仕方がない。回復を辛抱強くまとう。良いことが起こりそうな気がする。ツイテル。嬉しい、楽しい。ありがとう。感謝します。幸せ。許します。
世の中が遠く感じる。世間が遠く感じる。きっと良くなる。愚痴は言うまい。きっと良くなる。ツイテル。嬉しい。楽しい。ありがとう。感謝してます。幸せ。許します。
脳がぼけたのはどうしたらいいだろう。医者は様子を見ようといっている。なかなか回復しない。ろれつが回らないし、しゃべりたいと思わない。何も思いつかない。前はものすごい勢いで話題を思いついていたのに。やがて回復するだろう。間違いない。
しんどい。元気が出ない。z氏にも怒られた。でも怒られてもボーっとしてしまうのは仕方がない。脳がおかしいのだから、脳をしかる奴はいない。ゆっくり休むことだ。医者に言っても仕方がない。善良であること。感謝。楽しむこと。ツイテル。嬉しい、楽しい。ありがとう。幸せ。許します。
私は母親に感謝している。どれだけ感謝してもしきれない。またいっぱい傷つけたことを申し訳ないと思っている。これ以上は絶対傷つけないと誓う。どうしてそういう風になったのかわからない。親不孝な人間になったのか。母親が嫌いになったのか、わからない。でも理由はどうあれ、反省しているし、もうしない。もうできないだろう。目の前にいないのだから。統合失調症が原因だったら、私の責任ではない。勿論申し訳ないと思うが、自分ではコントロールできなかった。悪がわが身に忍び込んで私を乗っ取った。かわいそうなのはこの私だ。私を憐れんでくれ。ヒトラーやサドも悪魔に自分を乗っ取られたのだ。かわいそうな奴だ。かわいそうだが、罪は罪だ。許すことはできない。
ヒットラーもサドも三島も尋常な死に方ではなかった。畳の上では死ねない。しかし私は悔い改めて、正しい道を歩くことに決めたし、今までに十分報いを受け、反省もしている。謝罪もしている。これからは悔い改めて正しい道を歩いていこう。善良に生まれ変わろう。感謝と楽しみだ。母と葛藤が生じた理由はわからない。姉も母と葛藤があるから、不思議ではない。でももう終わったことだ。謝罪も反省も済んだし、これからは二度とない。それから薬の効果で統合失調症がかんかいし、自分の罪がクリアーになり、自分を許せるだろう。病気のせいだったのだとはっきりわかる。それが治るということだ。直っていないのに反省するということはできない。薬を飲んで治ってそれから自分の罪を認めることができるのだ。悪事を行ったときと、今が別人だから反省も謝罪もできる。全く変わっていなかったら、何が悪いのかもわからないし、また同じことをする可能性もあるのに謝罪はできない。今は私は別の人間になったので(脳がぼけたのと、薬の効果)自分の悪い点がはっきりわかる。自分がいかに狂っていたかわかる。狂っていたから悪いことをするのだ。狂うということと悪いこととはほぼ等しい。ぼけたことは喜ばしいことなのだ。もう悪いことはできなくなった。悪かった、狂っていた自分とは別人になってしまった。我に返ったのだ。これで自分の罪の重大さがわかり、悔い改めることが可能になるのだ。奸智に長けた人間でいたいだろうか。私はそうは思わない。真っ正直で善良な人間でいたい。統合失調症から脱したい。そうすればはじめて社会生活に復帰できるのだ。脳がぼけたのは良いことだ。ごまかしが利かなくなって怒られたりする。これは良いことだ。自分が社会化されるのだ。父親も晩年はボケが進行して、悪いことはできなくなっていた。それが大事なのだ。私はもう悪いことはできない。それは悲しいことではないだろう。嘆くことではないだろう。統合失調症から覚め、妄想から脱し、自由になるのだ。善悪の区別ができ、過去の罪を悔い改め、あれは狂気の故であったと自分を許すことができるのだ。
私も脳がぼけてやっと良くなる可能性が出てきたのだ。やっぱりぼけたのは良かったのだ。人が何を考えているか良くわかるようになった。薬を飲めば病気は治る。医者が太鼓判を押している。そうすれば罪を犯した私とは別の人間に生まれ変われるから、真に悔い改め、反省することができるのだ。同じ人間の延長線上だったら、絶対反省も謝罪もできない。悪の源泉は私の場合、病気と同じだ。薬を飲めば悪も良くなる。私は善良になれなかった。しかし今度こそ善良になれる。人の苦しみを自分の苦しみとすることができる。hやkは悪くはない。おかしいのはおかしいが、もっとおかしい人間はいくらでもいる。あの職場の人間は全員おかしいということになる。でも戻らないといけない。それには統合失調症を薬で治すことが簡単で確実だ。呼吸法もいいが悪化しすぎているのと、努力を要するのと、すぐ元に戻るのとで実行が難しい。薬を飲むのは簡単で確実だ。元に戻りにくい。医者にもしかられた。薬をきちんと飲まないで逆戻りすると。フッキーのことはこれで吹っ切れたな。あんなきちがいのことはこれで忘れられる。私がすべきことがわかったこと。ぼけたことは悪くないこと。これで問題解決だ。
ぼけたことは悪くない。統合失調症を薬を飲んで治すこと。呼吸法もやってみようかと思う。簡単だ。一日5分で良い。薬で統合失調症を治して悪を過去のものにしよう。そうすれば自由に色々行動できる。社会復帰もできる。善良であって賢いのが一番で、悪い人間はだめだ。統合失調症を治せばいくらでも働ける。過去の自分を許すことができる。
モラハラの被害から脱出できる方法がわかった。心臓呼吸だ。私の場合はこれに統合失調症の薬が必要になってくる。愛されたらどうしたらいいか。感謝することだ。何かしてもらったらありがとうということだ。感謝の気持ちを持つことだ。私は世界に違和感を持たない。居場所がないとは感じない。感謝の気持ち、お返しをしようという善良な気持ちがあれば、居場所がないなんて思わない。人から愛されて嬉しいと思うならば感謝の気持ちを持つことだ。善良であることだ。
この一年はあのキチガイのためにえらいことになった。でもやっと脱出できる見込みがついた。統合失調症の薬と呼吸法だ。薬がこんなに効くとは思わなかった。やっぱり私はただのうつではなかったのだ。ptsdといえばそうも言えるし、うつといえばそうだし、統合失調症といえばそうとも言える。複雑極まりないのだ。
n氏にも結局世話になったのだから、嫌ったり恐れたりというのはおかしいのじゃないか。やっと気付いた。あの坊さんに何で付き合うのとか言われると付き合ってはいけないのかと思う。確かに付き合ったからとてメリットはない。友達といって自慢できるわけでもない。ちょっと変わった人ばかり集まってくる。ボランティア的な気持ちだったらやめたほうが良いだろう。この一年は三者に振り回された。これからは自分らしく生きよう。何が何でも人と付き合わないといけないわけでもない。一人心静かに生きる道もある。寂しいからといって変な人と付き合うのは危険が大きすぎる。それは痛い目に遭ったじゃないか。n氏には感謝の気持ちでいっぱいだ。色々世話になったし、寛容であった。あんな優しい人はいない。感謝ができる唯一のことだ。
目のかすみがかなり良くなった。素晴らしい。このまま行けば心配要らない。呼吸法のお蔭で少し落ち着いたのじゃないか。これから毎日やろう。何でもやろう。
完全に酔っている。散髪屋のことがptsdになっている。どうしてあんなことをされないといけないのか。さっぱりわからない。



2007年02月16日(金) 寒い

今日は寒い。昨日ほどではないが、気分が優れない。夜に向かって良くなるだろう。頭が馬鹿になったとしてもどうでもいい。投げやりなんじゃなくてどうしようもないし、考えても。だからどうでもいい。医者のことなんかどうでもいい。病気なんかどうでもいい。職場なんかどうでもいい。モラハラなんかどうでもいい。統合失調症なんかどうでもいい。私がどうして統合失調症なんだ。最初から悪意に満ちた態度。病名からして悪意がある。何でそんな診断に従うのか。でもどうでもいい。全くどうでもいい。病院なんかどうでもいい。病名なんかどうでもいい。病気なんかじゃない。私は病気なんかじゃない。
昨日は少し眠れた。朝早く目が覚めて眠れるかと思ったが、今日は眠れなかった。でも昨日は早く眠れたので十分眠れているだろう。
穏やかに行こう。自分を大事に扱おう。そうすれば次第に回復していく。今日は悪くない。月曜から酒を飲んでいないから調子よくなった。
元気になった。すごく元気だ。明るい。希望が見えてきた。どうでもいいとは投げやりな言葉ではなく、心配要らないということだ。病気についても心配要らないし、復帰についても心配要らない。元々病気ではないのだ。
愛が全てだ。善良である。感謝する。楽しい。小さい頃は道徳的に潔癖だった。悪いことはしなかった。それが変な奴と付き合ったばかりに悪事に走るようになった。それが病気の発病にも関係している。もうどうしていいかわからない。明るく楽しく生きていこう。心配いらない。どうでもいいというより心配要らない。
疲れた。こんなので大丈夫だろうか。すごく不安定な気がする。よく寝たのにしんどい。人の目が恐い。外出したくない。引きこもりだ。体がなまっていく。とにかく大したことない。心配要らない。どうでもいいのだ。
散髪に行ってきた。なんかモラハラみたいなことをされた。どうしてそんなことをされないといけないのか。私がいる間、ドアを開けていて、帰ると閉めた。そんなに臭いのか。もう行くのやめようか。会社も行きたくない。外出したくない。病院も行きたくない。カウンセリングも嫌だ。脳ダメージ以後、人に馬鹿にされたり、怒られたりすることが多くなった。見るからにおかしいのだろう。生きるのが嫌になる。行きたくないのに無理して行ったのに、こんな仕打ちを受けるのなら、他の店に行こうか。
私は悪くない。気にしないでいい。どうでもいい。心配ない。病気なんかどうでもいい。つまり心配しなくて良い。会社なんかどうでもいい。心配しなくていい。医者なんかどうでもいい。心配ない。
愛と感謝。楽しみ。愛と感謝だ。世の中は愛と感謝だ。それだけで十分だ。



2007年02月15日(木) 辛い

昨日はよく眠れたのに、起きたら辛い感じがする。ハイキングに行ったのと、医者にダメ出しされたのとですごく気分が悪い。糸の切れたたこみたいになっている。気分の良くなる方法はないのか。
しんどい。どうしたら良いのかわからない。よく寝たのだから元気になるはずだと思ったのに。本当に大切に扱った方がいい。自分を大事にする。
情が大事だなと思う。自分が余りにも苦しかったので情を捨てて残酷になりがちだが、そんな必要はない。情は大事だ。それに贅沢というものだ。愛情くらい贅沢なものはない。お金に換えられない。金で買えない唯一のものだ。
しんどくなってきた。本当にしんどい。昨日は9時くらいに寝て、明け方に目が覚めてもう一度寝て11時過ぎに目が覚めた。だから10時間以上は寝ている。にも拘らず、しんどい。どうしてかわからない。今日も7時に寝よう。
愛情が必要なんではないか。坊さんにしてもn氏にしてもあのキチガイにしても愛がほしいのだ。人間は愛が必要なのだ。坊さんは自分に向けられる愛が少なくなるから、私が人と付き合うのを止めようとしたのだ。でもそんな権利があるだろうか。n氏はしつこく1年以上も付きまとった。もううんざりだ。何であんたなんか愛さないといけないのだ。愛はおもちゃではない。もてあそんではいけない。愛が大事だ。女が私に悪いことをするのは私が愛さないからだ。散髪屋の女も病院の受付も歯医者の女も、愛されないから怒り出すのだ。何で見ず知らずの女を愛さないといけないのか全くわからない。愛は大事だ。でも嫌な奴を愛する必要はない。モラハラとかするような奴とか。
私は人から愛されることが苦手だ。人から愛されると逃げてしまう。前はサービスして好かれようと一所懸命だったが、今は一人さんの言うとおり、人の機嫌を取らないことにしている。そうすると私には取り柄がないからないから顰蹙を買ってしまう。私にはわからなくなってしまう。人から好かれようとして、疲れてしまうとか、傷ついてしまうとか。愛が大事だといっても傷つけられるのは嫌だ。傷つける奴は防御すればいいだけの話じゃないのか。今回のように休むとか。私はもう回復した。あんなババアのこと全くどうでも良い。愛が大事だといっても嫌な奴のご機嫌なんか取る必要はない。これははっきりしている。俺は太鼓もちではない。好きでもない奴の機嫌を取る必要はないのだ。わかったか。ババアどもの扱いも良くわかった。機嫌を取る必要はないし、攻撃してきたら反撃するか逃げればいいのだ。完全解決だ。攻撃されてまで愛してくれという女はいない。あのキチガイもそういう奴なのだ。あんな醜いウジムシみたいな奴にどうして好かれないといけないのか。それでおしまいだ。
善良であること。楽しい。幸せ。感謝。これが大事だ。私は大丈夫だ。愛が大事だ。善良であること。自分を愛すること。楽しむこと。幸せ。感謝すること。善良であること。愛。自分を愛すること。楽しむこと。幸せ。感謝すること。
愛が大事だ。自分を愛することだ。善良であって自分を愛すること。楽しむこと。感謝すること。愛されたなら感謝することだ。どうしていいかわからないなら感謝することだ。
愛が大事だ。愛こそ全てだ。私は人を愛することができる。善良であって感謝する。楽しい。幸せだ。
今日は外出しなかった。でも気分はだいぶ改善した。本が読めるようになったのが大きい。
本が読めるので一日部屋にいてもパニックにはならない。愛が大事だ。愛を与えることだ。愛を惜しまないことだ。感謝すること。楽しむこと。
愛こそ全てだ。病気なんか大したことない。そう思うとそう思えるようになった。実際そう重くはないし、色々楽しく過ごすことも可能だ。そう思えるのも昨日10時間寝たからかもしれない。昨日は実際しんどかった。しかし薬を飲んで一日休めばすっかり落ち着いた。あの医者に頼るのはやめて、自分で治そう。あの医者は私が仮病だとわかっているようだ。仮病なんだから薬を飲んだって治らない。そう思っているのか。医者や薬なんて小さなものだ。というより病気なんか小さなことだ。病気の素質を持って生まれてきて、発病したとしても小さなことだ。人に言ってもわかってもらえないのは当然だ。
病気なんか小さいことだ。病院も医者も薬も小さいことだ。気にしなくてもいい。
善良であること。愛こそ全て。感謝すること。楽しむこと。それだけだ。
善良だ。私は善良だ。愛こそ全て。感謝すること。楽しむこと。
楽になった。夜になると楽になった。あんなババアのことなんかどうでも良いし、zなんかどうでも良いし、医者もどうでも良いし、病気なんかどうでも良い。
病気なんかどうでも良い。キチガイなんかどうでも良い。おばはんなんかどうでも良い。女なんかどうでもいい。会社なんかどうでも良い。zなんかどうでも良い。hなんかどうでも良い。関西人なんかどうでも良い。どうでもいいというのは良い言葉だ。善良である。感謝する。楽しむ。それで十分だ。
病気なんかどうでもいい。ババアなんかどうでもいい。会社なんかどうでもいい。病院なんかどうでもいい。医者なんかどうでもいい。何もかもどうでもいい。そう考えるとすごく楽になった。べてるの家のお蔭だろうか。



2007年02月14日(水)

今日は雨だ。風が異様に強い。病院に行って調子悪いことを言ったら、薬を飲まないのが悪いといわれた。病院を変えたことが警戒された理由だろう。そういう目で最初から見ているのだ。ドクターショッピングは警戒されるのだ。慎重であるべきだった。でもいい。目的は達したのだから。病気は治るだろう。治らなくても復帰するだろう。今までずっと病気にも拘らず勤めていたのだから。
あの医者は私を受け入れてはいない。最初から何か冷たかった。受け入れる気はないだろう。精神科とはそういうものかもしれない。
今日は本当にしんどい。ハイキングなんか行くんじゃなかった。n氏が優しいからといって頼ってはいけない。嫌な奴とは仲良くしなくて良い。世間的に普通でよいのだ。今日は何とか乗り切りたい。
しんどい。ずっと寝ている。寝ていてもしんどいのだからおかしい。あのキチガイとトラブルになってからずっとおかしい。キチガイ。人の人生を台無しにしやがって。
しんどい。早く夜が来ないか。一日を過ごすことができない。
しんどい。一応本は読めるが、楽しくはない。無理をする必要はない。楽しくないのだったら、やめたほうが良い。小さい頃変な子と付き合っておかしくなった。これだけのことをあの似非カウンセラーに理解させることもできなかった。過去に何があろうとも、私の今の性格を見て私の性格と認識するから、過去に誰のせいでおかしくなろうとも知らないだろう。
これでn氏との縁は切れるだろう。もう付き合いたくない。嫌なのに義理で参加してしまい、おかしくなった。あの医者も明らかに避けている。診察が2分以上だったことはない。いつも追い返されるように出される。おかしいと思う。またもとの病院に戻ろうか。復帰できたら戻ろうかと思う。融通が利くし、いつでもいける。
しんどい。いつになったら治るのだろう。あのキチガイに会ったのが悪いのなら、それ以前のことも全部悪くなる。あれ以来人が恐くなった。普通じゃないじゃないか。あのおっさんは。忘れたいのに忘れられない。史上最低最悪の人間だ。
医者は薬をくれるだけだ。それでいいじゃないか。それ以上は必要ない。ミクシイなんか始めたのが悪かったということにもなる。止めた方がいい。変な人間はうじゃうじゃいる。



2007年02月13日(火) 曇り

昨日はよく眠れたようだ。目が覚めたような気がするが、はっきり覚えていない。でも気分はすっきりしない。やっぱり行くんじゃなかった。自虐だ。何で行かないといけないのだ。今の私は人を気持ち悪がらせ、不快がらせ、怒らせるようだ。でも私はそれがなぜかわからない。心は融通無碍だ。私は怒ってなどいない。昨日のことを。昨日の外人は孤独なのだろう。それはそうだ。外国に一人で暮らしていれば。私もそれと余り変わらない。
アンダンテに行ってきた。何と言うこともない。ジグゾーパズルをやるそうだ。とてもじゃないが参加できなそうだ。お出かけとかなんだろう。開かれているようで閉ざされている。一昨日の疲れがまだ残っている。今日は起きているのもしんどい。ショックもあるし。いじめられた。でもしんどいのだからもりあがらないだろう。世の中から取り残される。今日はゆっくり休んで良い。いくらでも休んで良い。心は融通無碍だ。
今日は一日寝ていた。これも仕方がない。また薬を飲んで復活しよう。あのイベントに出たのは失敗だった。外人なんか好きじゃない。あの人もこの一年まとわりついてきた。私は逃げてきたのにしつこく追い回す。溜まったもんじゃない。昨日のことでもう言ってこないだろう。
今ハイキングの写真を見たら頭頂部がはげていた。この一年で大変な思いをしたからだ。仕方がない。
本が少し読めるようになって来た。目のかすみも少し治った。ハイキングの効用だろうか。わからない。昨日くらいから急に読めるようになった。
やっぱり善良である、感謝する、楽しむことが大事だ。楽しいから感謝する方が自然だろう。
ハイキングに行くと目のかすみが治る。字が読めるようになる。いいことだ。外人だって日本語しゃべれないじゃないか。
目のかすみが治った。今治るということはこれからも治るということだ。素晴らしい。これで薬を飲めば統合失調症も治って復帰できる。
デイケアはもしかしたら効果あるかもしれない。ハイキングに行っただけでこれだけ良くなったからだ。
目のかすみが少し治った。良かった。本当に良かった。長かった。字が読めるということは生き返った気がする。
目のかすみが治ったということは全て治った気がする。本が読めるということは幸せだ。



2007年02月12日(月) 昨日

昨日はハイキングサークルに参加して来た。不調の中、しつこいn氏の勧誘も会って決死の覚悟で行ってきたのであるが、、はっきり言って辛かった。おまけに風邪を引いてしまった。これでn氏も誘わなくなるだろう。どれだけ調子が悪いかわかったから。自分の調子の悪さに自分で気付いてはじめて前途を悲観してしまった。はっきり言って付き合うべきではない。交流センターにでも言ってみよう。あんな早口の連中はついていけない。調子悪い上に店員にまで馬鹿にされたり、嫌がらせをされたりした。一人がこれほどいいものかと思った。今寝ていると急に具合が悪くなってきた。前途を悲観したのだ。でも今はこれで良い。できるだけ人と接することなく、生きていこう。本が読めないなら読むな。話ができないなら会うな。じっとしのぐときなのだ。でも幸せだし、感謝している。昨日見知らぬ若者と話したが、面白くなかった。自分が好きでなくなったのだ。面白くない。実につまらない。連れのメンバーもあ然としていた。n氏もびっくりしたろう。でも調子が悪いことをよく理解してくれたのはn氏だけだった。あのがさつな男は気分を害したのか、私に辛く当たった。こういうことになったのもzのせいだと恨みたくもなる。それよりメーカーなんかに就職したからかと思う。でも幸せだし感謝している。昨日も何とか一日過ごしたのは感謝できたからだ。
今はこんな状態だけどそれで良い。人に会うのが不都合なら会わないことだ。快不快を峻別しよう。統合失調症としての治療が第一だ。薬だ。サボらないで飲むことだ。第二に休養。人を避けること。ストレスを避けること。もう一つは道徳や宗教だ。これは普遍的な真理であって恣意的なものでも変化するものでもない。大事なもので頼れるものだ。宗教は素晴らしい。キリスト教でも仏教でも自分をコントロールし、正しい生き方を教えてくれる。
気分が悪いと思ったが、意外に落ち着いてきた。あのサークルには行かないだろう。一人で大丈夫と思ったが、全然だめだ。n氏がいないとだめだろう。自分が正しいと思うことと世間での常識がほとんど一致するようになった。あと一息だ。昨日はまだ隔たりがあることを痛感したが、それも遠くはない。少なくとも以前ほどではない。
統合失調症の本を読んでいて落ち着くというかホッとするのは、これだけ多くの良心的で知的な人々が私自身の問題を考え、研究し、助言してくれるという感覚だろうか。実際自分の言葉にならない不穏な生きづらさが、言葉できちんと把握できるということに大きな安心感を得る。私の悩みに答があるという驚き。自分がそのことをもっと大事に考えなかった迂闊さ。私は仏教の慈悲の教えをもっと大事にしないといけない。まず自分を大事にしよう。そして人を大事にしよう。道徳的な冒険主義はおろかなことだ。愚直に実直に生きればいいのに、どうして悪の道を探るのか、さっぱりわからない。一切悪とは縁を切ろう。一生だ。嫌な奴と仲良くしようと思うから、悪いこともしたくなる。嫌な奴と仲良くしなければストレスもたまらないから、悪いことをしようとは思わない。嫌な奴と仲良くしないといけないと思わなければ、そう嫌な奴でもないだろう。遠くから眺めていれば皆善人に見えるものだ。にこやかに挨拶できるだろう。アメリカ人でも遠くから見ていれば気前が良く裕福でかっこいい。でも余り友達にはなりたくはない。いざとなると何をするかわからない。
私は何で悪いことをするのだろう。仕事をサボったり、遊びほうけたり、悪い仲間と付き合ったり。いい加減やめよう。悪いことをして受け入れられるわけがない。真面目に実直に働こう。愚直に生きていこう。一所懸命生きて行こう。面白い人生なんかないよ。太宰と上島とか芥川みたいな人生なんか嫌だし、無理なんだ。
z氏と付き合ってからずいぶんさまよってきた。しかしそのお蔭で統合失調症のことに気付いた。というか思い出した。それで自分を大事にしなけりゃと心底思った。自分を粗末にしてどうする。自分を大事にして初めて人を大事にできる。自分を大事にしよう。n氏は私の辛さをわかってくれたようだ。もうしつこく誘ったりはしないだろう。
自分のことを大事にしよう。ろれつも回らなくなってきた。自分のできることだけしっかりやればいいから。本が読めないなら読まなくていいから。読めるようになったら読めば良い。温泉もまた行きたくなったら行けば良い。無駄遣いはやめよう。温泉に行って楽しいか。楽しいと思いたいだけじゃないのか。いじめられるじゃないか。止めとこう。自分を大事にしよう。昨日の参加は今の自分を大事にしたことにはならないようだ。だって辛く苦しくいたたまれなかった。人が恐いと感じた。npo法人に頼まないといけないかもしれない。統合失調症の本を読もう。
今日はしんどい。頭がいつも以上に動かない。昨日のこともあって不安定な気分だ。この前温泉にいった後にもおかしくなった。無理はやめよう。慎重に行動しよう。
しんどい。何もしていないのに何でいじめられないといけないのか。昨日はひどかった。確かに私はぼけてきた。適切な行動が適切なときにできない。でもそれは病気だから仕方がない。それをケアーしてもらわないと困る。
少し寝た。横になると少しは楽だ。昨日は行くんじゃなかった。はっきりわかった。n氏もわかっただろう。どんなにしんどいか。どんなに不調か。もう誘わないでくれ。落ち着くまで誰とも会いたくない。大統領選に立候補する奴が幸せだろうか。私は幸せだ。金持ちでなくても、権力者でなくとも。友達が少なくても幸せだ。感謝している。
大仙公園に行ってきた。散歩にはあっちの方がいいみたいだ。変な餓鬼はいたけれども。何もかも癇に障る。日本庭園を見てきた。なかなかいいものだ。気持ちが安らぐ。今日は早く寝よう。薬が大事だ。薬が飲みたい。私は昨日失礼なことをしたのだろう。でも本当にしんどく疲れる。n氏は驚いたことにわかってくれた。zはわからないのだ。あいつは私のことをわかったことなど一度もない。胡散臭い生兵法を振りかざすだけだ。土台、理系の人間には無理なのだ。付け焼刃で勉強しても。善良であること。感謝すること。楽しむこと。z氏には感謝はしている。でも私の症状には適応しない。このことははっきりしている。私には薬と休養が重要なのだ。
心は融通無碍なものだ。それを無理に捻じ曲げたり、型にはめようとするからおかしくなる。こうでないといけないとか、かくあるべしとか。こだわりを捨てて自由な心融通無碍な心を取り戻せばうまく行くだろう。
z氏の手法は脅しと似非理論だ。ロジャースは信用ならない。統合失調症に適用できないことは本家自身が告白している。この間も総務課長の名前を出して露骨に脅迫してきた。それはカウンセラーのやることではないだろう。私には何も問題はない。一番調子が悪いときにどうしてそんな仕打ちをされないといけないのか。さっぱりわからない。
少し休んだ方がいい。イベントとかサークルとか止めた方がいい。薬と休養だ。



2007年02月10日(土)

昨日は酒を飲んだ。金曜日だから一応いいことにしておこう。明日は早く起きないといけない。大変だ。朝まで寝られなくて、昼までうとうとした。脳がおかしくなっている。仕方ない。少しずつ回復するのをまとう。5日間はしっかり養生しよう。n氏がまたすごい勢いでメールしてくる。気持ち悪い。この気持ち悪さは何だろう。ストーカーみたいな。n氏は私でも受け入れてくれた。しかし離れようとするとしつこい。ストーカーみたいだ。
脳がだいぶ壊れてきた。世の中壊れた人はたくさんいる。でも社会生活を送ろうとすれば、きちんとしないと。今は薬を飲んでゆっくりすることだ。それ以外内。元気になれといわれてもわからない。時間をかけてゆっくり治そう。あの似非カウンセラーは私が女が嫌いということをちくちくと道徳的に批判してくる。そんなことはいくら言われてもどうしようもない。病気なんだから。フィルターが壊れている。そのことを言うと漸く納得したようだ。あの人と会わなければこんな苦労はしなかったんじゃないかとさえ思えてくる。egにも行かなかっただろうし、b校にも行かなかったし、n氏にも会わなかったし、あのキチガイにも会わなかった。そのほうがよほど幸せだったんじゃないか。一人さんの言葉を聞いてゆっくり回復していたんじゃないか。統合失調症が再発して絶体絶命になることもなかった。わかったことは自分が統合失調症的素質を持っているの違いないことで、それが今の苦しみを生んでいることだ。そしてそれに対して十分ケアーすること、薬を飲んで休養すること。それが唯一の回復法で心理療法やカウンセリングは気休めにもならないと言うことだ。カウンセリングが適応する症例は限られている。統合失調症は少なくとも適応しない。森田療法も止めた方がいい。類型が違う。恐怖症はそういうやり方では治らない。統合失調症になったから女が嫌になったのであって、逆ではない。それと嫌な奴とは仲良くしなくて良いということだ。何で全ての人間と仲良くしないといけないのか。そこは自由でいいのだ。誰と仲良くするかしないかは。n氏が気持ち悪いと思えば付き合わねば良い。
私は甘えているだけだろうか。不道徳で義務違反をしているだけだろうか。z氏の最近の見方はそうだ。でも私は善良でありたい。そうであれば非難されることはない。道徳で片付く問題ではない。統合失調症の問題だ。薬と休養の問題だ。



2007年02月09日(金)

今日は久々に雨だ。昨日は眠れなかった。朝目が覚めて眠れずにいたら昼になっていた。鼻が詰まる。良い調子ではない。でも感謝の気持ち。楽しむ。善良である。この三つだけだ。しんどいな。大変しんどい。母親との関係とか、それが職場の人間関係に与えた影響とか、人格障害とかそういうことは考えない。薬を飲んで休む。それだけでいいから。それだけが有効だ。似非カウンセラーがいくら撒き餌を撒いても絶対引っかからない。ババアが嫌いというのは病気だ。その病気というのが、フロイト的な何かとか、人格障害とかではなく、統合失調症の症状なのだから、それの原因探し、犯人さがしをしても仕方がない。薬を飲んで休む。それだけだ。フロイトユングは全く効果がないという。私をもっと悪くしただけだ。統合失調症だけが私の本質的問題だ。でも問題ですらない。個性だ。わかってしまえば100人に一人か50人に一人くらいのありふれた個性であり、薬でコントロールできる。カウンセリングも効果があるかどうか疑わしい。薬を飲んで休むだけだ。
今本を読んでみたら、少し活字がはっきりした。薬を飲み始めて6日目だから脳のコンディションがいいのだ。こうやって辛抱強く薬を飲んでいれば必ず回復する。
感謝だ。楽しむことだ。私がこうして生きていられるのは私を支えてくれるもののお蔭だ。感謝だ。
感謝が大事だ。思いやりの心。赦す心。詫びる心。敬う心。これが大事だそうだ。芸術の道も大事だが、この世で生きていく知恵も必要だ。



2007年02月08日(木) 曇り

今日は曇りだ。薬を良く飲んでいるので何となく調子が良い。良く眠れるのかどうかよくわからない。昼過ぎまで寝ていたのだが、眠りが浅い。眠りについたのは深夜過ぎだが、朝早く目が覚めてうとうとしていた。息が止まりそうになる。中枢神経に効くからか。薬を飲み始めてから明らかに調子が良くなった。これからはきちんと飲もう。
嫌な奴とは仲良くしなくて良い。それを聞いてすごく楽になった。そうすれば人生の悩みはほとんど解決するじゃないか。hやkと仲良くしないといけないということはない。仲良くなんてしなくていいのだ。
少し良くなった。やっぱり薬を飲まないとだめだ。前頭葉が復活し始めた。目が暗い。霞む。焦点が合わない。めがねを作った方がいいのだろうか。目の問題ではなく、脳の問題だ。これで仕事ができるだろうか。
字が読めない。目の焦点が合わない。何が書いてあるのかわからない。
z氏と会う。おばさんがどんな風に嫌かわからないというので、統合失調症のフィルター理論を使って説明するといっぺんでわかったらしい。機械系の技術者だからか。機械にたとえるとすぐわかる。先端恐怖症とか恐怖神経症の人もそういう傾向があるんじゃないかという話になった。ババア恐怖症の機嫌を探っても仕方がない。誰でも嫌な奴とか嫌いなものはある。だが、耐えられないというわけでもない。フィルターが破れているとどんどん入ってくる。とがったものがあっても、自分に刺さるわけないのに恐怖でいっぱいになる。それも同じメカニズムじゃないかと疑われる。ファミレスでz氏と話していても私はババアとかウェイトレスが自分に嫌がらせをしてくるんじゃないかと気が気ではない。それは先端恐怖症と同じメカニズムだろう。
あのキチガイに嫌がらせされたとき、私は性的虐待を受けたのと同じだったのだ。自分が穢れた存在になってしまったというのは性的虐待被害者と同じだ。魂の殺人だ。自分が汚れたような気がして自分が嫌いになった。人が信じられなくなった。あの一夜以来、人が信じられなくなった。
嫌なやつと仲良くなんかしなくて良い。一人さんの教えだ。それをもっと前に聞いていれば、あんなキチガイの被害に遭うことはなかった。今からでもできることはある。あのウジムシを許してやることだ。それがこの被害から立ち直る唯一の道だ。
仲良くなんかできるものか、嫌な奴と。キチガイのことは許すことができる。自分が上の立場だとわかるからだ。自分が好きになることだ。簡単なことだ。
キチガイは人間ではない。何で生きているのかわからない。許せるけれどもしねといいたい。自発的に死ねと。



2007年02月07日(水) 晴れ

今日も昼前に起きた。朝早く目が覚めたのにうとうとしていた。熟睡感がない。目の焦点が合わない。これは治るのだろうか。手の力が抜ける。何かおかしい。心配することは自分いじめだ。心配したって仕方がないだろう。自虐はやめよう。自分は一所懸命やっている。偉い。よくやっている。善良であること。感謝すること。楽しむこと。
今日はしんどい。どうしたんだろう。視野が暗い。目がかすむ。嫌になる。一日横になっていたい。
目がかすむ。字が読めない。焦点が合わない。
楽しい。感謝すること。楽しむこと。善良であること。目がかすんだっていいじゃないか。嫌な奴と仲良くしないでいいのだ。嬉しい。
アンダンテに行ってきた。何をどうしていいかわからない。何か薄気味悪いし。施設だから仕方ないけど。自分がその仲間に入れるかというと少し難しい。
薬を飲んで慎重に治すことだ。あのキチガイのことはもう良い。多大な損害を受けたけれども高い授業料みたいなものだ。迂闊に変な奴に近寄ってはならない。嫌いな奴と仲良くすることはない。
やさしくて良い奴だったのに、何かうまく行かなくなった。でもそういうやり方をしていればいずれそうなるのかもしれない。でももう今は回復した。
今日はめまいがして気分が優れない。薬の副作用もあるかもしれない。飲まなければ飲まないで、飲んだら飲んだできついのだ。逃れるために酒を飲むとまたしんどい。
私は神だ。完全に治った。
しんどい。どうしたらいいのか。このまま回復するだろうか。わからない。あのキチガイのせいで本当にひどいことになった。
休みが始まった頃は楽しかった。絶好調だった。それがあのキチガイとの一夜以来、ひどい状態になった。でももう済んだことだ。キチガイのことなんかどうでも良い。あれ以来人との関係が全くうまく行かない。
薬を飲めば必ず良い具合になる。善良であること。感謝すること。楽しむこと。
感謝すること。キチガイと付き合わないこと。あんな施設行かない方がいいかな。
私は神だ。あんなキチガイのことなんか全くどうでも良い。善良であること。感謝すること。楽しむこと。善良であること。感謝すること。楽しむこと。自分が好きであること。
私は神だ。善良であること。感謝すること。楽しむこと。薬をきちんと飲むこと。



2007年02月06日(火)

今日はまた昼過ぎに起きた。良いのか悪いのかわからない。昼から大阪城公園に行こうかな。自分を好きになることが大事だ。あのキチガイと会ってから自分が嫌いになった。でも自分を好きになれば人と付き合うのが可能になる。自分が好きになるには楽しむことだ。感謝し、楽しむことだ。
善良であること。感謝すること、楽しむこと。昨日はよく寝た。素晴らしい。
大阪城公園に行ってきた。まだ梅は余り咲いていなかった。人でもいまひとつだった。でも天気が良くてぽかぽか陽気だった。気分がよかった。昼間電車に乗っていると、溶け込むような気がした。自分が矛盾なく周囲に溶け込むような気がした。生まれてはじめてそういう気持ちになった。遠くに行かなくてもそういう幸せな気分になれる。温泉なんか行かなくていい。放浪の旅なんか行かなくて良い。
私は神だ。完全に治った。幸せだ。感謝している。楽しもう。善良であろう。
嫌な奴と仲良くしなくていいと言うのは大きいなと思う。あのキチガイともめてから魔法にかかったように人とうまく行かないし、夜眠れない。最近は薬のせいで眠れる。薬をとにかく飲もう。善良であって、嫌な奴と仲良くしなくていいのならこの世は天国だ。誰が嫌な奴と仲良くするのだ。嫌な奴は嫌な奴だねと言っていれば寄って来ないそうだ。さすが一人さんだ、偉い。どうやって仲良くしたらいいかと考えたりするから病気になる。自分の誇りを捨てて、媚びれば仲良くはなれるだろう。でも何でそんなことをしないといけないのか。そんな必要はない。嫌な奴は嫌な奴といっていればいいのだ。
薬が効いてきたので楽だ。嫌な奴と仲良くしなくていいということはその嫌な奴にとってもストレスフリーでいいんじゃないか。自分を嫌っている奴と仲良くする言うことは相手にとってもストレスなのでやめたほうが相手のためだ。どうしてこんなことに長いこと悩んでいたのかわからない。
森田療法だって、嫌な奴ばかりだったじゃないか。それで無理に仲良くしようとして世界一嫌な奴と出会ってしまったのだ。キチガイと仲良くしてどうする。
善良であること。感謝すること。楽しむこと。自分が好きであること。あの一夜のことをまだ思い出す。でももう吹っ切れた。あのキチガイはウジムシみたいなどうしようもない奴だ。人間ではない。何で私が苦しまなくてはいけない。嫌な奴と付き合うな。もう治った。完全に治った。眠れるようになった。もう治ったのだ。あんなキチガイのことなんかどうでも良い。許してやる。しかし俺の前に二度と現れるな。お前は人間じゃないのだ。生まれてこないほうが良かったのだ。
善良であること。感謝すること。楽しむこと。嫌な奴と仲良くしなくていいこと。何のボランティアなんだ。嫌な奴と仲良くするなんて。
もう良くなった。私は神だ。善良である。感謝する。楽しむ。
私は神だ。善良で感謝し、楽しむ。あのキチガイのことはもう二度というまい。完全に吹っ切れた。ああいういてはいけないキチガイが世の中にはいるのだ。仲良くすることはないのだ。一目見ておかしいとわかるだろう。高卒の奴とは付き合わない。
前頭葉がおかしい。字が読めない。目が暗い。視線が合わない。焦点が一瞬も合わない。ふらふらする。おかしい。大丈夫だろうか。
似非カウンセラーとかhとかババアとか女に馬鹿にされるようになったのはこれが原因だなと思った。前頭葉がおかしい。本が読めない。新聞が読めない。



2007年02月05日(月) 晴れ

今日も晴れだ。抜けるような空だ。楽しもう。床を出たのは昼過ぎだった。何か気分が悪い。人とうまくやれない気がする。あのキチガイのことをまだ思い出す。あれは人間じゃないのだ。犬に噛まれたようなものだ。人格が荒廃している。長い間にそうなったのだ。薬を飲めば何とかなる。
楽しい。本当に楽しい。善良であること。感謝すること。楽しむこと。旅行に行っても人とうまくやれないので面白くない。
楽しい。善良であること。感謝すること。楽しむこと。
平野に行ってきた。念仏寺と杭全神社に行ってきた。いい天気だった。寒くもなく暑くもなく歩くのに絶好の日和だった。一年で一番歩きやすい日か。面白かった。漸く自分も好調になってきたか。
楽しい。毎日楽しい。漸く調子が出てきた。善良であること。感謝すること。人と自分が好きであること。楽しむこと。長浜にでも行ってみようか。
カレーを作った。最近料理が楽しい。回復してきた。また人と付き合おうか。大丈夫だ。もう元気になった。私はもう治った。完璧に回復した。
神だな。私は完全に回復した。中学の頃からの病は完全に治った。あんなキチガイのことなんか全く関係ない。キチガイは野放しにするな。
私は神だな。完全に回復した。キチガイと付き合ってはいけない。今まであった中で一番ひどい奴だった。最低。低脳。死んだらいいのだ。
私は神だ。完全に治った。
善良であること。感謝すること。楽しむこと。私は神だ。完全に治った。



2007年02月04日(日)

昨日も酒を飲んでしまった。でも今日で終わりだ。今日から真面目に行こう。もう飲みたくないし。あのキチガイと付き合ったのは痛恨の極みだった。嫌いな奴と付き合うなというのだ。嫌な奴と仲良くしなくてよい。いつも一人で生きてきた。良くなかったとは思うが、過去は変えられない。変えられるのか。幸せだったとは思う。あのキチガイと飲みにいってからうつになっている。もういい加減に立ち直ろう。私が今までに会った中でも最悪の人間だった。もう人に会いたくないと思った。今でも会いたくない。初対面の人間に会うのが嫌だ。温泉とかは女将が嫌だ。おかしな奴が多い。上からものを言うな。おかしな奴と付き合うのはやめよう。あの似非カウンセラーもおかしい。統合失調症の薬を飲むことと変な奴とは付き合わないこと。
善良であること、感謝すること。自分と人が好きであること。楽しむこと。これくらいだ。人生で自分に課することは。私は悪くない。悪い人間ではない。薬を飲むことと変な奴と付き合わないこと。
善良であること。感謝すること。楽しむこと。自転車に乗って堺に行ってきた。楽しかった。日脚が伸びてぽかぽかしていた。楽しいな。自転車買おうかな。必ず復帰できる。自分の納得いくような形で全ての不安は解消される。自分の力を発揮できる。
善良であること。感謝すること。人と自分が好きであること。楽しむこと。買い物をしてきた。楽しい。
善良であること。感謝すること。楽しむこと。書くことがなくなってきた。脳にダメージを受けたからだ。仕方がない。これで生きていくしかない。
私はそういえば小さい頃馬鹿なことばかりやっていた。子供はみなそうか。でも喧嘩とか色々やっていた。まともじゃなかった。乱暴者だった。もっとひどい奴もいるか。でも優等生ではなかった。おとなしくはなかった。中学くらいからおかしくなった。
楽しい。感謝しよう。こんな楽しい生活できるなんて幸せだ。楽しい。ベストコンディションだ。世界一偉い。私は。



2007年02月03日(土)

また昨日も飲んだ。今日こそは飲まないぞ。脳が壊れてしまう。酒だけならいいが薬も飲んでいるからおかしくなる。昨日のフラガールはよかった。でもいい年をしたおっさんが平日の昼間に女向けの映画を見に来ているのは異様だったろう。でもいいのだ。私は善良だから。善良であってもいい。道徳的、善良。感謝することと、楽しむことだけを義務付ける。仕事に対しても同じことだ。人間関係も同じだ。自分が善良であると、善良でないことをされると瞬間的に見抜ける。即座に突っ込めるようになった。素晴らしい。感謝することと、楽しむこと。このことだけを自分に義務として課す。人間関係も同じだ。
私はよくなっているだろうか。とにかくあと一年で回復したい。遅くともあと2年。金が続かない。貯金を全部取り崩すわけには行かない。でも回復しなかったら復帰はできない。でも今はゆっくりしていていいだろう。善良であることと、感謝することと、楽しむことだけを自分に課そう。
善良であること、感謝すること。楽しむこと。職場復帰できるだろうか。できる。きっとできる。200%できる。できるといったらできる。これからは幸せな一年にしたい。そうなりそうな気がする。きっとできる。意志の力でできる。



2007年02月02日(金)

昨日は雪が降ったようだ。昨日は久々に1時に目が覚めて全く眠れなかった。やっぱり飲むべきではなかったか。今朝色んなことを考えた。それで少し元気になった。嫌な奴と仲良くする必要なんかない。そう考えると大半の奴が嫌いだから、すごく楽になる。hやkのことも解決できた。仲良くしないといけないと思うから自分が傷つく。マゾヒズムに陥る。何で仲良く何かしないといけないのか。休むことはいいことだ。今日も休めるし、明日も休める。単なる喧嘩であり、好き嫌いだけの問題なのだ。これは自分が善良であると確信してからそう思えるようになった。絶対一緒に仕事なんかできないのに曖昧なままにするから一方的に自分が傷つく。こんなことは許されない。徹底的に排除し遠ざけるべきだ。これが答だ。自分の道は自分で開く。自分が不幸になることを望む奴に依存してどうする。仲良くなんかできないというのはそういう理由だ。iも同じだ。徹底排除だ。自分が善良であることが出発点になった。人が好きで自分が好き。感謝することと楽しむことを自分に課そう。感謝することと楽しむこと。
感謝することと楽しむこと。フラガールを観て来た。非常に面白かった。泣ける映画だが、さわやかで清潔な映画だ。見知らぬ人々と同じ物語を鑑賞するのはいい経験だと思う。物語は実学である。
同僚や後輩がどんどん自分を追い越していくのを見るのはさすがに堪える。でも仕方のないことだ。働けないのだから。でも私が道徳的におかしいのではないということだけははっきりした。だからこれから自分のできる範囲で頑張ればいいのだ。



2007年02月01日(木) 2月

今日から二月だ。早いものだ。一年経ってしまった。復帰のめどは立たない。でも昨日よく眠れた。すごく良かった。適度なアルコールは眠りを助ける。脳のぼけも眠りを助ける。マイミクは結局外した。故意にやっているし、反省もないし、邪悪この上ない。邪悪な奴と仲良くなどしなくていい。大体ミクシーなんて未熟な若者がやるものだ。それか脳の障害で成熟できないfみたいなおっさんのやることだ。もうやめよう。あんなもの。
善良であろう。感謝しよう。楽しもう。楽しむことが大事だ。楽しむことは人に迷惑をかけない。楽しむと心が落ち着く。毎日過ごしていける。
嫌な奴となんか仲良くする必要はないと一人さんは言っている。そうは言ってもという弱気な気持ちが傷口を大きくする。誰とでも仲良くしないといけないというのは明らかな間違いだ。明らかな間違いを実行しようとするからストレスがかかる。嫌な奴と仲良くする必要はない。素晴らしい教えだ。これで病気は平癒するんじゃないか。誰からも好かれようとしてもだめだ。嫌な奴は嫌な奴だ。仲良くしなくてよい。
嫌な奴と仲良くしなくていいなら、こんないいことはない。
善良であろう。感謝しよう。楽しもう。楽しむことが大事だ。感謝が大事だ。このまま主治医にも産業医にもまだ復帰は無理といわれ続けたらどうなる。心配はしない方がいい。きっと元気になる。善良であること。感謝すること。一人でも楽しいこと。
楽でないなら薬を飲むことだ。これ以上眠れないなら薬を増やしてもらおうかと思ったが、その必要はないだろう。昨日はよく眠れた。いびきをかくのは鼻づまりのせいだ。脳の異常ではない。
本が読めない。字がかけない。小説がかけない。似非カウンセラーにもだめだしされる。産業医にも復帰は考えなくてもいいといわれる。相当弱っているのだ。
愛の流刑地を観て来た。駄作だった。何のために見に行ったのかわからない。それでも久し振りの外出は気分がよかった。大阪は都会だ。


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