希望の日記

2007年01月31日(水)

今日も憎らしいくらいいい天気だ。もう春がそこまで来ている。温暖化のお蔭だ。昨日のミクシーの件をまだ引きずっている。脳がダメージを受けてから人に攻撃されることが多い。馬鹿にされるというか。頭が悪くなったのだろう。でも考えるのはよそう。昨日は眠れたかどうかよくわからない。朝二度寝した。明け方少し目が覚めた気がする。
目がくっきりと見えるようになった。治ってきたかもしれない。楽しいことを求めることだ。するといい方向に行く。理想は仕事も楽しくやることだ。不可能ではなく、そうしている人も存在する。夢物語ではない。作家は本を読むのが楽しく、書くのも楽しいだろう。それが理想だ。
善良である。人と自分が好きである。感謝する。楽しむ。これが基本である。楽しむことは大事である。
昨日は眠れた。12時には眠れた。朝も目が覚めなかった。9時におきてもう一度寝た。お蔭で目の霞みはなくなった。
楽しい。楽しむことが肝心だ。寝ることが肝心だ。前頭葉が少し、回復した。かすみが良くなった。父は酒の飲みすぎですごくおかしかった。私はそこまでは行っていない。そんなに飲まないし。肝臓も全然悪くない。脳も回復し始めた。良かった。感謝。楽しむ。今読んでいる本でも仕事が楽しいことが大事だと書いてあった。その通りだと思う。あの似非カウンセラーのいうことなど何の役にも立たない。
調子が悪い。かなりやばいところに来ているのかもしれない。昨日産業医と面接して、まだ復帰は考えなくていいといわれたということは、まだ回復していないということだ。施設に行ってみたが、入っていける雰囲気ではない。
しんどいな。少し寝た。アルコールがいかに悪いか良くわかる。薬が効かなくなる。アルコールはやめて薬をきちんと飲もう。
ずいぶん具合が悪い。もうだめかもしれない。細心の注意を払っていこう。しんどい。相当やばい。復帰する意欲もない。リハビリに通う気力もない。今は休むときなのかもしれない。ゆっくり休んで体力を取り戻すときなのか。統合失調症の本を読んでも元気にならない。しんどい。相談といっても何も誰も助けてくれない。医者も薬を出すだけで何も助けてくれない。だんだん気力が衰えてくる。
目のかすみが少しいい。少し寝たせいだろう。
楽しい。酒を飲んだ。旅に出よう。沖縄に行こう。



2007年01月30日(火)

今日はいい天気だ。でも気分は暗い。どこかに行きたいという気にならない。山なんか行きたいと思わない。昨日もよく眠れなかった。明日医者に行って来ようか。
脳がダメージを受けたとしても自分では仕方がない。余り思い迷わない方がいい。楽しみを求めることだ。感謝と楽しみ。これが自分のすべきことだ。
私が善良でないといって攻撃してくる。私が父親を見て不安を覚えたのと同じ理由だろう。全くこの人は何も見えていないと気付いたときの不快感。そんな人間の元に身を寄せないといけないことの不安。そしてそれが的中したときの怒り。でもあの人はそういう人なのだ。何も見えていないまま生きてきた人なのだ。私もそうだ。同じ目で見られているのだ。
楽しい。楽しみを追求すれば楽しい。こうして働かないで誰とも会わず、部屋にいることは楽しいなと思う。
善良であることは楽しいな。生きていることは楽しいな。
少し小説を書いてみた。頭がぼけているのでそれなりのものしか書けないだろうが、それでもいいじゃないか。それとも心が動揺するから書かないほうが良いだろうか。疲れない程度に楽しみながら書いていこうか。楽しくなければ読むほうも楽しくはない。
少し頭がはっきりしたように思う。しんどいけれども。小説を書くにはそういうメンタリティーになる必要がある。それがいいことか悪いことかつまり、病気にとってよいか悪いかはわからない。
書いた小説を消してしまった。失敗した。へこむ。書き直そう。ぼけているからミスすることが多い。信じられないミスだ。ぼけてしまった。凡人と変わらなくなってしまった。凡人以下だ。何もできない。何もする気がしない。今消耗期、または回復期だからやる気が起きないのだ。自然に回復してくる。
今日眠れなかったら、明日診察に行ってみようか。あと二週間我慢するのは辛い。あの医者なら何とかしてくれるだろう。
楽しむことだ。善良であること。人が好きであること、自分が好きであること。感謝すること。
産業医に会ってきた。復帰はまだ考えなくていいといわれた。よほど元気ないと見られたのだ。実際元気ない。女子高生でも恐い感じがする。おばさんにいたっては何をかいわんやだ。
しんどい。今日も早く寝よう。楽しみを求めることだ。感謝だ。秋になると鍋がおいしい。生まれてきてよかった。これは一人さんの言葉だが、つまりこういうことだ。感謝と生きる喜びが一体となっている。今幸せだ。夕餉前のひと時。ロハスの番組を見ながら寛いでいる。これ以上幸せなことはない。
食後ニュースを見ているとほのぼのしたネタをやっていた。ほっとする。これがいいんじゃないだろうか。楽しもうという気持ちと楽しませようと言う気持ちが合致するときに楽しみが生まれる。
今日も食事ができてよかった。感謝している。嬉しい。楽しい。
私は完全に安全を確保されている。職場においても外出中でもどんなシチュエーションでも同じだ。ミクシー上でも同じだ。だからびくびくする必要はない。難しいことに興味が湧かない。それも仕方がない。医者は良くなるということを言っていたからそれを信じよう。それにかなり良くなっている。



2007年01月29日(月)

今日も朝が来た。昨日も酒を飲んだ。飲まない方がいいのに。朝変な夢を見た。宗教団体の教祖に選ばれる夢。それは私にとって文学のメタファーじゃないかと思う。でも自分のいる世界はメーカーの中だ。そちらを追求しなくて夢がかなうだろうか。小説なんて夢は捨てて会社に帰れと思ったのであった。
楽しみを追求せよ。今はそう思う。心が安定するから。感謝と楽しみ。今はそれだ。脳のダメージのことは今は気にするな。気にしても仕方がないじゃないか。アルコール性認知症かもしれない。精神科で言っても余り、相手にされない。気にしない方がいい。また心気症だ。
楽しみを追求しよう。小説の大海に踏み出そう。道徳的であることと感謝することと楽しみを求めることは矛盾しない。私は悪いことはしていない。良いことをしている。楽しみを追求することはよいことだ。
楽しみを追求するのは悪いことではない。快楽ではない。ささやかな楽しみだ。一人さんのいうささやかな金のかからない楽しみだ。金で快楽を追求するのと楽しみとはまったく別だ。眠ること、食べることでさえ楽しみになるし、働くこと、遊ぶこと、ボーっとしていること人を愛すること、全てが楽しみになる。道教や仏教の教えと一致する。自信を持つことだ。自信を持つと楽しくなる。
市の施設を見学に行ってきた。小規模なスペースだ。長いのだろうなと思う人が何人かいた。何をするというのでもない。何をしたらいいかわからない。何か決まったことをやった方がいいかも知れない。
またミクシーでキチガイ女が騒いでいる。どうしてあいつは私を眼の敵にするんだろうか。全くわからない。最初に出会ったときの私の態度が気に入らないのだろうか。どうしてそれを根に持つ必要があるだろうか。全くわからない。境界例に違いない。勝手に被害者意識を持っている。病気だ。統合失調症だ。
まあ相手にしないに越したことはない。仲良くしようとしない奴と仲良くすることは不可能だ。ミクシイから外すことにした。日記が見られないようにしただけだが、それで十分だろう。それでも嫌がらせをするのであれば、マイミクから外そう。大体何であんな奴と仲良くしようとするのかわからない。女は苦手なのだ。
道徳的に優越してなくてもいいのだ。悪人に対して何で善人にならないといけないのか。悪人は悪人でいいじゃないか。
9月に脳にダメージを受けてから、人に攻撃されることが多い。自制心や思考力が弱まったのではないか。どこかに隠れて住みたい。実際隠れて住んでいるけど。道徳的に優越していても余り意味はないので、自分を守れるようにならないといけない。似非カウンセラーに攻撃されたときは、へこんだ。今日もキチガイ女にネットで攻撃されてへこんだ。小さい頃から、姉によく攻撃されていた。母親からは過保護攻撃にあった。気にしないことだ。私は何も悪くない。職場に戻ったらグループを変えてもらおう。それが前提条件だ。
この一年はなんだったのか。キチガイの攻撃にあって統合失調症が再発して、不眠が続き、耐え切れずodをやってしまって脳にダメージを受けて、それが元で不適応がいっそう強まり、攻撃を受け、傷つき、復帰のめどは立たない。どうしてこの世は住みにくいのか。
ダメージは徐々に回復するだろう。気にしないことだ。感謝と楽しみ。善良であること。それさえあれば生きていける。



2007年01月28日(日)

昨日は酒を飲んだ。朝、変な眠りになった。最近よくある。いびきをかきながらがーっと寝る。自分のいびきで目が覚める。脳内出血の人みたいだ。何か変だ。感謝と楽しみ。楽しみを追求するのはいいと思う。楽しさを自分に禁じている。それが自分を苦しめている。楽しみに貪欲であれ。
楽しいを追求しよう。n原氏とまた遊んでもいいかもしれない。一人では何も面白くない。
なかなかよくならない。父もアル中気味だった。酒は飲んでも飲まれるなという。復帰できるのだろうか。酒飲み過ぎじゃないだろうか。静かに暮らしたい。人生がおかしな方向に向かっていないだろうか。あんなアル中と付き合ったばかりにおかしなことになった。でも今は大丈夫だ。あんなばかどうでも良い。完全におかしい。楽しみを十分楽しめば良くなるだろう。
仕事も楽しみと考えればいいのじゃないか。仕事がうまく行ったときは楽しいのじゃないか。人間関係も楽しみと考えればうまく行く。女でもおばはんでもこいつらとうまく行ったらいいと考えてやれば楽しいのじゃないか。この世は楽しみに満ちている。
感謝と楽しみ。感謝の気持ちと楽しむ心があれば大概のことはうまく行く。



2007年01月27日(土) 楽しい

昨日は早く目覚めたが、また眠れた。感謝と愉しみだ。楽しむことで少し改善する。ささやかな愉しみでいいのだ。善良であること。関西人は皆統合失調症だ。どこに赤信号をわたる奴がいるのだ。感謝と愉しみだ。
感謝と楽しみだ。酒のせいで具合が悪くなっているのは明らかだ。酒をやめよう。悪いことをすることが好きなのだ。どうしてかわからない。それが遺伝というものだろう。大阪にはいちびりが多い。統合失調症だそういう奴は。狂気と悪と芸能は関係が深い。ヤクザも多いし。そういうならず者の巣だ。
小さなことに楽しみを見出そう。それが自分を救うだろう。積極的に貪欲に自分の楽しみを追求しよう。いくらでもある。
薬を飲むことだ。勝ち組でも負け組みでもいいじゃないか。私が統合失調症だとしたらそう思うのは無理ないだろう。でも全く努力をしないわけじゃない。広い視野で見ないとまた病気が再発する。病気と共存するのが大事だ。完全には治らない。だって、遺伝や環境や偶然の出来事で形成された私の性格は、本質的には変わらないのだ。であればこういう自分で生きていくしかないのだ。
これから自分に課するのは楽しむことだけだ。楽しむことがなさ過ぎる。楽しんでいいのだ。楽しむことだけ考えてもいいくらいだ。田舎暮らしに憧れるのは楽しそうだからだ。楽しいことだけ考えて生きていこう。楽しんで生きていこう。統合失調症の本を読んでいると楽しい。父も酒を飲んでいるときだけが楽しかったのだろう。私もそうだ。
しんどい。何もかも嫌になった。引きこもっている。楽しみを求めよう。この一年間は結局あのキチガイに台無しにされた。あのアル中の統合失調症野郎に。でも私の調子も良くなかったのだろう。それにしてもあいつは私が出会った中で最悪の野郎だった。どうしてもああいう奴を引き寄せてしまうのだろう。n原氏も同じようなものだ。自分を大事にしよう。友達は選ぼう。友達など一人もいないのは小さい頃変な奴ばかりと友達になるので、人と付き合うのが嫌になったからだ。本物のキチガイと付き合ってどうする。今こそ慎重に行こう。
善良であること。道徳的で、人と自分が好きであること。楽しみを求めること。活字がうまく読めない。焦点が合わず、何を書いてあるかわからない。活字が流れていく。どうしたらいいのか。読まなければいいのか。狂気が襲ってくる。今の状態は良くないが良くないなりに抗わず、身を任せよう。無理をしても悪くなるだけだ。
少し寝た。余り気分は改善しない。今日もう一日様子を見てみよう。目がかすむ。母親も眼が悪いといっていた。愚痴を言うまい。母親も手紙にグチを書くようになってきた。そうして人の同情を買うのは良くないとひとりさんも言っていた。私もよくやるのだが。今日は買い物に行って終わりだ。今日は飲むのやめようか。飲もうか。揺れ動く。寂しいのだ。結局。一人でしらふで飯を食うのが。
関西人は統合失調症である。女は皆ヤンキーである。悪と統合失調症は関係が深い。自分までそういう風にならなくていいんじゃないのか。
酒飲んでしまった。でもいいと思う。アルコールが好きならそれでいいじゃない。アルコールの香り自体がいいなと思う。これ以上に良い香りはない。



2007年01月26日(金) 晴れ

昨日は眠れず、落ち着かなかった。少し寝ては起きるの繰り返しだ。薬を続けることが大事だ。自分の状態が良くわかる。自分を大事にしよう。自分が父親に良く似ている。善良であること。人と自分が好きであること。感謝すること。
薬を飲もう。今日酒を飲むのは固く禁止だ。酒なんか飲むな。正月に飲みまくったのが今頃効いて来た。昨日はパニックになりそうになった。楽しみを見つけること。楽しんではいけないと思うのはやめたほうが良い。自分に厳しすぎる。薬だけきちんと飲んだら、後は楽しむ。
感謝だ。とにかく感謝。何はなくとも感謝だ。善良であること。感謝。それさえあれば大丈夫だ。
しんどいな。本を読む気もしない。本を読まないといけないのか。苦しい。楽しめることをしよう。今は薬が効かなくなっているからしんどいのだ。ゆっくり休もう。色んな活動も元気が出てからでいいじゃないか。今はゆっくり休もう。全然悪くない。今はゆっくり休むときだ。
本当に調子が出ない。こういうときは無理しない方がいい。ゆっくりすれば良い。善良であること。感謝すること。意欲が湧かないが今は仕方がない。薬が効いてくるのを待とう。
しんどい。慎重に行こう。酒なんか飲んでる場合ではない。慎重に薬を飲んでゆっくり休もう。あのキチガイの娘も二人とも精神病らしい。つまり、あいつと一緒にいると精神病になるということだ。どうしてそんなややこしい奴と付き合ってしまったのか。全くわからない。あの似非カウンセラーもおかしいんじゃないのか。わからない。
しんどい。今日は最高にしんどい。ゆっくり休もう。慎重に行こう。今はしんどい時期なのだ。善良であろう。誠実で正直で道徳的で、感謝できる人間。そういう当たり前の人間。人に残酷であってはいけない。今はそういうことが良くわかる。
公園に行ってきた。やっぱり行って良かった。少ししんどいが寝ているほうがもっとしんどいだろう。風邪っぽい以外は体は何も悪くない。心気症なのだ。心臓といい、思い込みなのだ。
慎重に薬を飲んで休もう。でも私の統合失調症を元から治そうとすれば大変な時間がかかる。統合失調症は治るというより、寛解するといわれている。完全に治るということは考えない方がいい。
薬を飲もう。私は大学での発病からうまく寛解したとは思えない。そのとき病識があって、薬を飲んでいれば何とかなったかもしれないが余りにも無力な状態だった。なぜ精神障害者はこんなにも放っておかれるのかわからない。どこに相談して良いのかわからない。
職場の問題も職場の問題と思わずに、自分の問題と考えれば解決法が見つかるんじゃないか。どこの職場でも問題が生じるのだとすれば、自分に問題があるのは明らかだ。その問題をどう解決すればいいかだ。自分の問題を広く考える方がいい。小さな問題ではなく、広がりのある問題だ。十分ケアーする必要があるし、ケアーしてよいのだ。無視できる小さな問題ではなく、大きな問題なのだ。自分をくれぐれも大事にしないといけない。仕事や結婚はしなくていいくらいの気持ちで自分を大事にしないといけない。この問題を広く考えると日常の行動にも余裕ができてくる。楽しむことが可能になってくる。
日記に書くことで解決される問題ではなく、大きな広がりのある問題、時間的にも領域的に、社会的、精神的、様々な領域的に広がる。全てに影響する問題で、薬を一錠飲んでいればいいという問題ではない。我慢するからひどくなる。我慢なんかできるわけがない。善良であることを我慢することなどできない。



2007年01月25日(木)

昨日は誕生日ということで酒を飲んだ。自分を責めるのはやめよう。でもできるだけ飲まない方がいい。人の日記を読んで気分が悪くなってしまった。やっぱり、自分が傷つけられた人間は人を傷つけないではいられないのだろう。虐待の連鎖とはよく聞く。ところで感謝とは大事だ。感謝と善良であることを旨としよう。それにしてもいつも女にからまれる。特に最近は脳がダメージを受けているので、余計に突っ込まれやすい。それでも考えた。私を攻撃する奴は撃退する。当たり前のことだ。女なんか恐くない。女の弱点を私は知っている。だから恐くない。頭がボーっとする。大丈夫だろうか。酒はほどほどにしよう。復帰できなくなる。人と会話もおぼつかない。昨日母が電話かけてきたとき、何か腹が立って会話できなかった。何か不愉快になる。心配しているのか、ストーカーなのかわからない。心配しているのなら感謝するが、ストーカーなら嫌だ。当たり前だ。そんな母親になったのが嫌だ。でも感謝はしている。でも46にもなって母親の小遣いをもらう奴は日本広しといえども私しかいない。でも障害者と思えばいいだろう。本当にそうなのだ。怠けているわけではない。私も高校くらいまでは点取り虫でがりがり亡者だった。それが病気になってから気弱になり、銀行を辞めてからもう一切欲を持たなくなった。それはそれで良くないと思う。欲と言うと悪いが、夢といえば誰でも持っているいいものだ。夢を持とう。
感謝だ。善良さだ。心の落ち着きが悪いときはこの二つでいい。天国言葉だ。文学系の人とは相性が悪いみたいだ。中上健次のセミナーに行ったときも思った。性格が悪すぎる。自分が文学が好きだから仲良くなれると考えるのは浅はかだ。絆。絆は大事だ。今こうして生きていられるのは母や会社のお蔭だ。それが良くわかっただけでも休んだ甲斐があった。善良でなかったら人間としては生きられない。当たり前じゃないか。そうすれば女ともうまく行く。怒っても良いんだ。自分が善良であれば怒ってもいいのだ。この前、ミクシで中傷されたときも怒ってやった。そうしたら向こうが何か謝りはしないが、擦り寄ってきた。どこまでも根性の悪い奴だが、それ以上は怒らなかった。善良であれば、一所懸命働いても良いし、欲を持っても良いし、怒っても良い。傷つけられたら怒っていいのだ。善良であること。感謝すること。仕事はできる奴ができることをしたらいいのであって、できない奴はできることをして、感謝していればいいのだ。それを感謝しないから、からんできた。hが。それがきっかけで長期休養になった。私は怒っていいのだ。あそこに戻る必要はないのだ。善良であれば、怒っていいのだ。
今まで悪いことばかりやってきたから、これからの人生はいいことばかりやろう。この休みでもずいぶん傷つけられた。自分で損なったこともある。これからは自分を大事にしよう。善良であること、感謝すること。一所懸命働くこと。
昨日母親が電話してきて、調子が悪かったもので、ついつっけんどんな態度を取ってしまった。年賀状を書かなかったので、つい先日も電話をしてきた。何か監視されているみたいで嫌な気分になる。こんな気持ちも病気のせいか。若い頃からそうだ。母親との関係はうまく行かない。肉親だからこそうまく行かない。へそ曲がり、天邪鬼なのだ。悪気はないが、善と反対のことをやってしまう。だから善良であれというのだ。私が善良な人間と言うことは誰も知らない。であれば善良であることをはっきりさせないといけない。
悪いことをしても自分に帰って来るだけだ。悪いことはしない。決してしない。そんな風に思ったのはつい最近のことだ。病気のせいだ。母親に冷たい態度をとるのも病気のせいだ。申し訳ないことをした。
人間は悪いことをそもそもできるだろうか。私は父や母に悪いことをした。それは病気のせいだと思う。自分でも自分がなぜそんなことをしたのかわからない。それは皆自分に帰ってきた。だからもう報いを受けたと思う。それは病気でもある。だから悪いことはできないものだ。悪いことをするのは病気がそうさせているのだ。正常な人間は悪いことはしないものだ。悪いことをしたと思ったら、それは病気がさせているとしか思えない。悪いことをしたと思ったら、努めていいことをしよう。良いことは意識的にやろう。
人は悪いことはできないものだ。少なくとも自分はそうだ。悪いことは病気にならないとできない。病気が治れば、できない。悪いことをするために病気になったようなものだ。それともうひとつできない理由は全て自分に帰ってくるから、悪いことをしても得をしないという意味だ。悪いことをして得をする奴というのはいない。私は長いこと悪いことをしてきたが損ばかりしている。全部自分に帰ってくる。両親の楽しい老後をむちゃくちゃにしてしまったが、自分の人生も糸の切れたたこみたいになってしまった。悪いことをすれば必ず自分に帰ってくる。仕事をサボったばかりに自分が病気になる。hやkのことはいいから自分が病気を治して、善良になり、職場に戻ることだ。
大きな気付きが押し寄せている。静かに。やはり良きことが雪崩のように起きているのだ。私は統合失調症の面もあるが、うつや神経症の面もある。最初に入院したときにそういわれた。今もそうだろう。だから薬を飲みつつもカウンセリングや認知療法が有効なのだ。宗教も有効だ。機械的な何とか療法では実感が湧かないが、宗教には血が通っている。森田療法は血が通っているから有効なのだ。血が通っていなかったら、理解できない。私は統合失調症の傾向があるので、血が通っていない人間に見られやすい。今この年になっても親不孝をするのはやっぱりおかしいといわざるを得ない。だから薬を飲む以外ない。その上で安定してきたら、宗教や、呼吸法や、心理療法、カウンセリングをやれば良い。そういう順序でやっていこう。
漸く治りかけている。普通の人の考えを知るようになった。ぼけてよかったともいえる。もしぼけなければ自分に違和感など感じなかったはずだ。これは神の定めたものだ。こうして私は治っていく。
太宰や安吾は薬中毒だった。めちゃくちゃだった。少しくらい、オーバードーズくらいどうと言うことはない。普通の人たちの考えは面白い。すごく自然に聞けるようになって来た。
善良であること。人と自分が好きなこと。感謝すること。悔い改めること。私は病気なので色々悪いことをしてきた。でも犯罪者で刑務所にいるような人間は、精神的におかしくない人間はいない。私もそうだ。でも悔い改めることができる。出直すことができる。できたら違う職場に行きたいが、同じ職場でも可能だ。
私もだんだん良くなっている。だんだん良くなっている。歩みは遅いが、薬のお蔭で良くなっている。良かった。良きことが雪崩のように起きている。一人さんも良いとこ取りだけじゃなく、実際役立つためには、辛い部分もやる必要がある。例えば人の倍働けとか、こつこつなんていってないで、バリバリ働けとか。できるのかという気もする。とりあえず病気を治してからだ。
外に出て用事を済ませた。ちょっと郵便局に行くだけで色々ある。おばはんとの緊張関係。胡散臭げな目つき。何で挙動不審にならないといけないのか。私もちゃんと税金払っているっての。でも小さい子は可愛い。何考えているかわからないけど。でも善良であれば何も疚しいことはない。
昨日酒を飲んだのがすごく脳に来ている。酒は飲まない方がいい。でもリラックスする面もあるから、適度であればいい。父は完全に依存症だった。父と私は非常に良く似ている。父はアルコール依存症になり、私は物書き依存の統合失調症になった。どっちがどうとはいえない。でも私は何とか立ち直りたい。
脳にダメージといっていたけど、だいぶ回復している。ぼけたお蔭でわかったこともあるし、統合失調症の良い薬に出会えたのもそのお蔭だし、これで膿を出し切って、良い方向にいくだろう。これからはあれやろう、これやろうということをどんどんやっていいから。ずいぶん良くなっている。真面目になった。私は善良になった。善良で道徳的で、人と自分が好きだ。感謝の気持ちだ。まず母親に感謝だ。生んでくれた母親、父親に感謝だ。無限の愛で育んでくれた両親に感謝だ。感謝を忘れたら人間ではない。今日母に手紙を出した。一歩成長したのだ。やっと人に感謝できるようになった。母親が私を生んだ日のことを仕切りといって寄越す。感謝しろと迫っているのかと考えたりもするがそれは妄想だ。唯一の絆はそういうものになってしまう。もし感謝を忘れたら。私は感謝を思い出す。
リハビリのドラマを見ている。面白いが辛い。感情移入せざるを得ない。自分のことをやっているみたいだ。別に病気じゃないけど(笑)。主人公は一度目の発作でおとなしく家に引きこもっていれば再発はなかったかもしれない。でもじっとしていることはプライドの高い彼女にすれば無理なことだったろう。私もおとなしく家に引きこもっていれば、あんな変な奴に出会うことはなかったし、第一似非カウンセラーに会うことはなかったし、こんな再発もなかった。人生わからないものだ。それで当の本人から、これでは復帰できないとか言われるのは理不尽に感じる。それで辛いのにあったりして、無理して面白い話をする。何の役目なんだ。
リハビリのドラマ面白かった。自分が変わっている。良い方に変わっていると信じている。良きことが雪崩のようにおきている。あれだけ深刻な脳のダメージを蒙っても起き上がりこぼしのように立ち上がるその根性。見習わないといけない。絶対に見習え。
あんな境遇に陥った人でも楽しむことは楽しんでいる。息子とのピクニックや散策。人生の喜びは味わっているのだ。私も自分を追い込んでしまう。少しの愉しみも味わってはならないとなぜか思い込んでしまう。そんなことはない。十分楽しむ時間はあるのだ。あんなおかしな人とであったばかりに再発した。早く落ち着きたい。落ち着くまでちょっとの辛抱だ。でも今は少し、自分を客観的に見られるようになった。今日も郵便局で列に並んでいるうち、焦っている自分を客観的に見ている自分がいた。少し成長した。というか落ち着いた。薬のお蔭だ。感謝しよう。感謝だ。何はなくとも感謝だ。感謝できなくなるまで自分を追い込んではいけない。
意識して落ち着いてみよう。薬の助けも大事だが、意識でできることもあるのでは。深呼吸するとか音楽を聴いてみるとか。



2007年01月24日(水) 誕生日

今日は誕生日だった。姉からのメールでやっと気付いた。昨日は余り眠れなかった。最近薬も効かなくなっている。酒を飲みすぎたせいだろう。脳の状態がおかしくなっている。この病気は脳の病気だ。つくづくそう思う。
自分は万能ではないが、全く無力もない。女が恐いというのは女に対して無力だと思うからだが、そんなことはない。嫌だと思ったら逃げて良いし、撃退しても良い。女撃退法を身につければ良い。そう思うと楽になった。女とうまくやる方法なんかないので、そんなこと考える暇があったら、女撃退法を考えたら良い。それはすごく簡単なことだ。向こうに行けでいいのだ。仲良くなんてできない。無理だ。そんな必要はない。仲良くしたくないのに仲良くしようと近づくならそれはストーカーだ。母親と同じだ。
大阪の女はヤンキーで統合失調症で人格障害だ。撃退する方法を持たないといけない。仲良くなんかできるわけない。撃退法は簡単だ。
親兄弟でさえ仲良くできないのに、見知らぬ他人と、まして関西人と仲良くできるわけがない。撃退法を考えた方がいい。撃退法は簡単なのだ。初歩の初歩だ。仲良くする方法はものすごく高度なのだ。それがワニみたいな奴らに通じるわけがない。ワニには撃退法が重要なのだ。
朝日の山歩き講座に行ってきた。良い暇つぶしになった。これも団塊狙いという奴だろう。大阪の商人はあざとい。関西人と付き合う法、おばさんと付き合う法、それは撃退法を学ぶことだ。近づく方法ではなく、安全な場所に退避する法だ。撃退法、護身術、避難法だ。あいつらは災害なのだ。自然災害。痴漢、引ったくり、おれおれ詐欺。



2007年01月23日(火) リート

今日もリートが上がった。嬉しい。昨日は余り眠れなかった。でも起きたのは10時過ぎだから知らぬ間に寝ているだろう。
いま少し寝た。好きなときに寝られるなんてなんて幸せだろう。統合失調症の本でも読もう。統合失調症の本を読んでいると、書いた医者の誠実さ、優しさが伝わってきて、幸せな気持ちになる。今までそういう気持ちになったことはない。どんな本を読んでも。
目がぼやける。これだけが今悩みだ。本が読めない。
善良であること。小説家であれ、美質だけが評価される。ゴッホだって耳を切ったから有名になったわけではなく、良い絵を描いたたから評価された。三島由紀夫だって、反乱を起こしたからではなく、良い小説を書いたから評価された。人には美質と言うものがある。それを伸ばすことだ。人の足なんか引っ張っても何もならない。
善良であること。良きことが雪崩のようにおきている。私は何も問題ない。女なんか全く恐くないし、どうでも良い。全く問題ない。
のんびりする。楽しい。嬉しい。善良である。



2007年01月22日(月) 晴れ

今日は良い天気だ。昨日は眠れなかった。薬が効かなくなったのではと恐くなったがそんなことはないだろう。今日はぐっすり眠れるだろう。心配は要らない。
森ビルのリートを買った。心配しても仕方がない。長期保有を前提に気長にまとう。良きことが雪崩のように起きている。善良な私、自分と人を尊重し、愛する私。
良きことが雪崩のようにおきている。自分と人を尊重することを含めて、善良であること。善良であれば自分を愛するだろう。
良きことが雪崩のようにおきている。善良であること。自分と人を愛すること尊重することも善良なことである。女なんか全く恐くない。何で恐いのか。全く恐くない。何とでもなる。何で恐がらないといけないのか。善良であること。良きことが雪崩のようにおきている。
人間関係がうまく行かないのは統合失調症のせいであって私のせいではない。そう考えると楽になる。ほっとする。b校に行ったのはどうかと思う。でも結局は良かった。色々面白いこともあった。不愉快なことも多かったが。統合失調症であるとわかった今となっては実に安心な気持ちだ。自分で自分をケアーしたり守ったりできる。
誰とでも付き合わないといけないわけではない。誰にでも自己犠牲的に気に入られようと努めないといけないのではない。何であんなおかしなものに気に入られないといけないのか。全くわからない。キチガイはキチガイだ。近づくべきではない。
善良であることが一番強い。善良であることは最良の政策である。善良であれば何も恐れることはない。



2007年01月21日(日)

昨日も酒を飲んでしまった。ま、いいか。今日は薬を飲もう。今朝死にそうになった。呼吸が乱れ、いびきをかき、死ぬかと思った。脳梗塞だ。統合失調症は楽しい。今の趣味は投資と、統合失調症だ。こんないいものはない。最新医学の成果を享受できる。福祉も色々なメリットも受けられる。というか安心する。嬉しくなる。
統合失調症を生きることは楽しい。自分を尊重することができる。それを個性として認めればすごく楽だし、前向きに生きられる。自分を尊重できるとは自分の欠点も含めて、自分を受け入れられるから、苦しさがなくなるし、合理的に負担のない行動ができるから、楽になる。私も善良になる機会ができる。誰もが私の病気が治ることを願っている。もし願っていない奴がいても気にしない。そいつは本当におかしな奴だからだ。上品でまともな人間だけを相手にして生きればいいのだ。統合失調症でありながら、何のケアーも受けられず、厳しい人生を生きるなんてできないし、その必要はない。
学生時代以来、私はそのことを意識から排除して生きてきた。そのためかえって行きづらい人生になった。なぜこんな性格なのか誰も理解しない。自分でも理解できない。しかし統合失調症ということを受け入れれば、なぜ周囲とうまく行かないか、はっきりする。自分だけじゃないということもわかるし、薬を始め、対処法もある。なぜ女が嫌いかというと、妄想が生じるからだ。その原因はサドを読んだためでもあるし、元々統合失調症だったからともいえる。私の責任ではなく、誰かに意識を乗っ取られたようなものだ。乗っ取られ体験。統合失調症患者にはよくあることだ。
善良であれば勇気が出る。相手がどんなに恐いババアでも全く恐くない。善良であること、イノセントであることが最強なのだ。何も恐れるに足りない。善良であることは素晴らしいことだ。ババアなんか何が恐いんだ。地上でもっともあほな生き物。知力、体力、精神力、気品、善良さ、いずれをとっても負ける気がしない。
善良であれば何でもできる。何も恐くない。誰も恐くない。善良だからだ。統合失調症の本を二冊買った。統合失調症の本を読んでいるときだけが幸せで安心できる。
あのキチガイのせいで計り知れない損害を受けた。何であんなキチガイに近づいてしまったのかわからない。付き合いたくない奴とは付き合わなくていいのに。働きたくない職場で働く必要はないのに。これからは自分の思い通りに生きよう。



2007年01月20日(土) 飲みすぎ

昨日は飲みすぎで起きられなかった。前頭葉がダメージを受けている。長い間生きていればこういうこともある。今日は薬を飲もう。薬こそ命だ。二日続けて飲むのは良くない。善良であることは良いことだ。善良であれば女なんか気にすることはない。おばさんも女も全く気にならないようになった。薬のパワーはすごい。善良であることはすごい。
統合失調症であることをもっと直視し、大事に考える必要がある。統合失調症の本を読んでいると、すごく安心感がある。自分のためにこんなに一所懸命やってくれる人たちがいる。現に薬も効いている。そう思うとすごく嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいだ。世の中捨てたものではない。私の悩みにストレートに答えてくれるものがあるなんて。思いがけない僥倖のような気がするのと、今までの劣等感というのが、軽減される。結婚できないとか、仕事がうまく行かないとか、友達がいないとか、人付き合いがうまく行かないとか。全て自分が持って生まれた素質のせいだとわかれば、すごく安心する。自分を責める必要はないとはじめて心の底から納得する。それがまた嬉しいのだ。
良きことが雪崩のようにおきている。善良であること、人が好きであること、自分が好きであること。これが鍵になる。全てのよきことの源泉だ。
良きことが雪崩のようにおきている。善良であること、人が好きであること、自分が好きであることを許す。これで自由にのびのび生きられる。
カウンセリングが結局隔靴掻痒で、無意味なものに終わったのは私のせいではなく、それが統合失調症には有効ではないからだ。自明のことだ。そう考えると大変落ち着く。すごく嬉しい。
良きことが雪崩のように起きている。ついに私にも幸せが巡ってくる。そう確信している。どんな人間も幸せになることができる。統合失調症の人もそうでない人も等しく幸福になれる。私にもついに幸福が巡ってきた。善良であること。人が好きであること、自分が好きであること。心理療法は余り効果がない。私のようなケースでは。薬が一番効果があるというのはすごく発見で、当然のことのように思える。
自分が統合失調症だと意識することはとても楽なことだ。安心する。医療や福祉のケアーを受けられる。障害者手帳も受けられる。公営住宅にも優先的に入れる。素晴らしいことだ。薬を飲んでいると良くなる。



2007年01月19日(金)

昨日は酒を飲んでしまった。でもよく眠れて良かった。良いことをしよう。悪いことをしてもだめなのだ。いじめとか差別とか悪いことをしてもだめだ。自分に返ってくる。良い言葉を口にし、良い人間でいる。薬さえあればそれは可能だ。嬉しいことだ。こんな自分のために偉い医者や学者が必死に研究してくれる。実際に医療や福祉を提供してくれるものもいる。感謝しよう。嬉しい。こうして休んでいられるのも社会のお蔭だ、感謝しよう。
善良になろう。昨日、整形のクリニックで受付の感じが良かった。自分が感じが良くなっているのだろうと思う。薬のお蔭だ。何とか療法とかのお蔭ではないだろう。私にわずかに有効と思われるのは一人さんや松下翁とかの自己啓発本くらいで、専門的心理的療法はどれも効果がない。その理由もはっきりわかった。どうも精神分析的なものをイメージしているらしいが、統合失調症には全く効果がないことがわかっている。なるほどと思った。もうあんな心理系のややこしい本なんか読む必要はない。カウンセリングさえ効果があるかどうか怪しい。
中学くらいから友達がいない。最近になって漸くサークルに出入りするようになった。でもあまりうまくは行かない。変なものに引っかかってひどい目に遭った。それでますます臆病になった。それはいいとして善良になることだ。
善良であること、道徳水準を上げること。それが第一の目標だ。
今日は一日外出しない。それでも気分は悪くない。気分が悪くなるから外出する。外に出ても気分は悪い。悪くなることが起きる。それでも外出する。これは自虐だ。そんなことはしなくてよろしい。
あの医者は優しいなとはじめてこの間思った。自分の心を投影して、恐いと思っただけだ。今気持ちが落ち着いてきたので、人を受け入れることができるようになったのだ。あの医者だけでなく、世界中の人間がやさしいと思う。道徳水準を上げるように生きよう。あの似非カウンセラーとも付き合えそうな気がする。私も回復してきた。真に回復してきた。



2007年01月18日(木) 快晴

今日は良い天気だ。柳澤桂子の般若心経をやっていた。さすがnhkだ。良い番組をやっている。あの訳は最高だ。科学者だけに客観的で現代物理学の知識がこめられている。昨日はよく眠れた。5時頃目が覚めたが、そのあと眠って10時頃目が覚めた。寝すぎかなあ。今日眠れるだろうか。今朝歯を磨いているとき、良い人間である。明るい人間であることは大事だと思った。善良ということと同じだ。善良でありさえすれば、全てはうまく行く。
楽しい。明るい気分だ。



2007年01月17日(水)

今日は雨だ。昨日はよく眠れたが、少し早く目が覚めた。ぶり返してはいないだろう。自分を許せるようになった。病気だったのだから仕方がないと。自分がやったこと全てを許せる。これからの人生の方がきっと楽しい。自分を許せることが大事だ。人も許せるだろう。良きことが雪崩のように起きるだろう。
病院に行ってきた。診断書等をもらってきた。毎日薬を飲んでいれば自然と良くなるだろう。ずいぶん良くなった。善良であること。人を好きであること、自分を好きであること。金を下ろそうとしたら詐欺防止なのか50万、一回しかおろせなかった。ずいぶん不便になったものだ。余計なものをはやらせやがって。これも世相なのか。
似非カウンセラーと会ってきた。今日は面白く話ができた。でも以前と違って疲れる。でもだいぶ回復している。薬のお蔭だ。もう一息だ。すごく自信がついた。アサジオリの人格統合理論で盛り上がった。問題ある人格の部分が出てきてもそれを打ち消す自分の人格を出していけば、クリアーできると。攻撃的な切れ屋さんが出てきても思いやりとか優しさが出せれば、その場はしのげる。普通の人はそうやってしのいでいる。私もできそうだ。統合失調症とわかってから全てが好転している。あの医者に感謝しないといけない。感謝の気持ちがないといけない。



2007年01月16日(火) 曇り。

昨日は酒を飲んでしまった。飲み過ぎないようにしよう。量を減らそう。頻度も。でも良い酒だった。久し振りに。キムチ鍋も異様にうまかった。よく眠れたし、治りかけているな。自分が統合失調症だと思うと愛おしい。十分ケアーしないとと思う。
楽しいな。かなり回復している。いろんなことが楽しい。この一年間、あのキチガイのせいで統合失調症がぶり返してえらい目に遭った。あんなキチガイを野放しにするな。でももう回復した。あと一年もすれば回復するだろう。



2007年01月15日(月) 晴れ

正月気分も遠のき、平穏に暮らしている。昨日は余り寝付けなかった。昼間にも寝たから仕方ないだろう。自分を愛おしいと思う。あの病気になったのが、28年前として、ずっと頑張ってきたのだ。その前から含めると、34年前から苦しんでいる。人生そのものだ。楽だったこと、楽しかったことはない。しかしこれからは違う。楽しいこと、嬉しいことがいっぱいまっている。良きことが雪崩のようにおきている。善良であること、自分と人を大切にすること。
善良であることは素晴らしい。良きことが雪崩のように起きる。今日も休みだ。嬉しい。自分が病気だったとすると自分が愛おしく感じる。必死で頑張ってきた自分。善良であると自分を一番良く守ることができる。少なくとも無防備にはならない。
自分を労わろう。自分を愛おしいと思う。自分を酷使してはいけない。少し落ち着いてきた。自分を統合失調症と考えると、自分がやってきたこと全て理解できるし、許すことができる。自分が愛おしくさえなる。この気持ちが大事だ。何で女なんかともめないといけないのか。これも病気のせいならば、本当にかわいそうだ。
統合失調症の本を読めば読むほど、自分が愛おしくなる。サポートやケアーの必要な人間なのだと思う。そういう人間をいじめるというのは人道に反する行為だ。善良であることは素晴らしい。
一番良い療法は薬とリハビリらしい。フロイト流は全く効果がないらしい。そんな気がしていた。リハビリはsstというものらしい。カウンセリングもまず効果がないだろう。特にあの似非カウンセラーではだめだろう。ロジャースなんてフロイトの亜流みたいなものだ。
善良とはいいことだ。素晴らしい。善良であると雪崩のように良きことが起きている。
少し寝た。昨日は眠れなかったし。でも最近は寝たいときに寝られる。いいことだ。統合失調症の本でも読もう。統合失調症の本を読んでいるときが一番落ち着く。人格の荒廃か。思い当たらないでもない。でもきっと立ち直れると信じている。良い薬を見つけた。
眠れるのは大きい。眠れなくなったのはあのキチガイのせいだ。漸く苦しみから逃れられた。良かった。私は悪いところはない。
誰か私を手厚くケアーしてくれないかと思う。母親が必要だ。母じゃなくて嫁だろう。嫁がいてくれたらいい。誰でもいい。
統合失調症の本を読んでいるとなるほどと思うことが多い。生き辛さはそのせいかと思えば納得いくし、諦めもつく。自分を愛おしいと思うし、大切にしたい。



2007年01月14日(日) 晴れ

いい天気だ。昨日はよく寝た。よく寝てもしんどい。これを一週間続ければずいぶん良くなる。良きことがどんどん雪崩のように起きている。善良であること。善良であること、人と自分を大切にすること。自分をかわいそうに思う。自分に手厚くしよう。
善良であること。人と自分が好きであること。これだけで良きことが雪崩のように起きる。実際起きている。善良であることで自分を取り戻せる。私が一番許せないのは自分が病気のため弱っているのに、それを理解しないばかりか、逆にいじめてくる奴だ。手厚く自分を保護しよう。自分に酷なことはやめよう。善良であると自分を守れるようになる。奇跡だ。
自分が愛おしい。馬鹿でもいいじゃないか。キチガイでもいいじゃないか。もう疲れた。寛ぎたい。受け入れられたい。愛されたい。統合失調症の人の手記を読んでいる。ものすごくかわいそうだ。でも私も同じ病気なのに良くここまで頑張れたものだ。自分を褒めてやりたい。これからは無理をしないで自分を労わってのんびり生きていきたい。自分が愛おしい。よく頑張って生きてきた。自分を労わろう。鍛えたってだめだ。いじめたってだめだ。労わることだ。いとおしむことだ。善良であることによって良きことが雪崩のようにおきる。バリバリ働けるようになったら復帰しよう。今ではない。
自分を労わる。これは素晴らしい。自分が愛おしいとはじめて思った。自分を愛せない人間が人を愛せるだろうか。自分を愛せるようになってはじめて、感謝して人を愛せるようになるのだ。自分を愛することはアプリオリな権利でそれを放棄することはない。自分を愛することで道徳的になり、善良になる。そして人を愛することができるようになる。
自分が愛おしい。本当に愛おしい。そう思うことが何か間違いだと思っていた。そんなことはない。自分を愛おしいと思うことは全ての幸せの始まりで、当たり前のことだ。
少し寝た。自分が愛おしい。妙な夢を見た。でもいい夢だ。初夢。自分を愛おしいと思う。後半年休む覚悟ができた。自分をとことん大切にする。
善良であろう。私の心配事は自殺他殺などの派手な犯罪に走ったりしないか。もう一つは弱いために仕事を続けられなくならないか。この二つをクリアーするために薬を飲み続けよう。善良であろう。自分を大切にしよう。人を愛そう。それで99%うまく行く。それでいいじゃないか。世の中には簡単に人を殺す奴もいる。そんな奴でも出所して生きていける。私はそんなことをするはずがない。心配する必要はないんじゃないか。心配事はいけないと一人さんも言っている。
自分を愛おしいと思う。あの温泉は何だったのだろう。何でいじめられないといけないのか。全くわからない。全くわからない。
自分を愛おしいと思う。長いこと病気だったと思えば、自分を労わろうと思う。私は善良だ。これからも善良だ。
女は絶対相手にしない方がいい。相手にする女もいない。自分の値打ちが下がる。恋愛とか結婚とか同僚とか理由があればいいが、何の関係もない通りすがりのおばさんとか関係ないじゃないか。相手にすると損をする。
自分を愛おしいと思う。自分が好きだ。人が好きだ。善良である。これが基本だ。全ての良きことが雪崩のようにおきつつある。
善良であること。簡単なことだ。簡単な心がけで良きことが雪崩のように起きる。善良であることによって自分が自然に守れる。これもよきことだ。自分を守れることの方が大事だ。病気を治すことのほうが大事だ。自分が愛おしい。
自分が愛おしい。病気だったら自分を大切にしないといけないだろう。



2007年01月13日(土) 一夜

明けて、不愉快なこともあったが忘れてしまおう。何で覚えておく必要がある。善良であることは良いことだ。脳は元に戻らない。戻らなくてもいいじゃないか。新しい自分で生きていく。何ら不都合はない。やがて自分も新しい自分に慣れて円滑に行くようになる。昼間働き盛りの(年だけ)男が町をうろついていたら不安を覚える人は多いだろう。そういうことにも気配りをしないといけない。道徳的というのはそういうことだ。人間は自由ではない。世間とは不自由なものだ。それでいいのだ。善良とは誓って法律や道徳を破りませんということだ。新しい私になるうえでの一番の注意点はそういうことだ。
善良ということは最大の自衛になる。善良で困ることはない。人と競争したくなったら、善良さを競争するが良い。後半年休むことにした。こんな機会はない。心の洗濯をしよう。心を洗って洗ってきれいにし、社会に適応できるようにしよう。元々善良な人間だったし、今でも清らかな心を持っている。
昨日の夜、布団の中で父親に本当に申し訳ないことをしたと思った。いくら病気だったとはいえ、やっぱり許されないことをした。本当に後悔している。やっと私も正常な状態に近づいたのだ。善良な気持ちを持ち続けることが正常だということだ。人が好きで自分が好きで尊重するということ。その約束を守ろう。
善良であること。これが一番だ。実直、愚直と言い換えても良い。道徳的であって損することなんかあるだろうか。絶対にない。
薬を飲むこと。よく眠ること。酒を減らすこと。旅行をすること。ウォーキング。心理療法は余り効果がない。善良であること、人と自分を好きであることだけ心がける。これで次第に回復するだろう。今はまだ混乱している。
善良であること。道徳的であること。これで全ての問題は解決できる。義人であること。これだ。薬を飲むこと。よく眠ること。
自分にストレスを与えることはやめる。無理をすること。脳を酷使すること。できないことをいきなりやろうとすること。知らぬ間に自分を酷使している。長い間に疲れが溜まって破綻する。これまでの繰り返しだ。私が統合失調症だとすると、長い間、本当に良くがんばったということになる。自分を責めることはできない。私は生まれつきストレスに弱いとかちょっと問題があるのだなと思って、むしろ手厚くしないといけない。小さい頃姉が私のことを嫌ったり悪く言ったりしたのは理由がわからなかったが、結局そういう遺伝的な特徴が不快に見えたのだろう。姉の気持ちもわかるが、こちらとしても遺伝であれば私の責任ではないからいかんともしがたい。今は薬を飲むこと。ゆっくり休むこと。善良であること。機械的であってもいい。愚直にルールや道徳を守ろうと務めること。それが周囲との摩擦を減らして、ストレスを軽減する方法だろう。気をつかわな過ぎる。普通もっと年からすれば気を使うだろう。常識とか道徳とか、礼儀とか全く気にしないのはいかがなものかと思う。私のような遺伝的弱点を持つものはいくらでもいる。統合失調症の発病率は1%くらいでさほど珍しくないという。ほかにもうつとかノイローゼとか犯罪歴とか入れると精神的に問題がある人間は掃いて捨てるほどいる。それでも精神病院に入院したり、刑務所に入ったりしないで生き抜くことは十分可能だ。いい薬がある。薬しか頼るものはない。私のタイプだとカウンセリングや心理療法は余り効き目がない。でもむしろ薬が一番楽で簡単だ。統合失調症のことはあれ以来一切、考えてこなかった。多分、無意識に避けてきたのだろう。でもそのせいで本質的な問題解決にならなかった。そう考えると自分の人生が愛おしい。はじめて自分にやさしくできる。何ができるか、自分は何者かそればかりやってきた。自分を責める行為だ。自分探しとは自分いじめに他ならない。摂食障害とか思春期にかかるはしかのようなものだ。統合失調症の人は一生青春期の悩みを抱えてしまう。はじめて自分にやさしくしようと思った。自分に厳しくするから発症する。私の家族には発症したものはいない。つまり私の行動が少し変わっているということだ。自分に厳しすぎるかと思えば、甘すぎることもある。中庸がいいのだ。釈迦も青春期の悩みを一生抱えたばかりでなく、衆生の悩みまで引き受けた人だ。統合失調症界のスーパースターや。n原さんと付き合うことは、自分が庇護の必要な弱者であることを認めるような気がして嫌なのだ。でもいったん認めてしまうと気が楽だ。自分はケアーが必要なんだと。変な人間と付き合うことは最大の自虐だ。過去の私の自分史が物語る。n原さんはいいけど周りの人間が耐えられない。私と同じでケアーを必要としているかわいそうな奴ら。中には醜悪極まりない人物もいる。何で我慢しないといけないのか。
休み始めてから自分は変わった。全ていいほうに変わったと信じる。良きことが雪崩のようにおきている。n原さんはn原さん側に回ると人をケアーしないといけないし、相手側に回るとoさんとかtさんのような無力な存在になってしまう。どちらにしても楽しくない。
統合失調症と親しもう。そうすれば自分にどうして優しくしないといけないといけないかわかる。人ができることが普通にできない理由も明らかになる。それで自分を責めなくなる。女が嫌いといっても、どこの職場にも女はいるとか言う言い草が気に入らない理由もわかる。どうして女ともめないといけないのかと思う。愚の骨頂じゃないか。絶対にありえないことだ。
おばはんとかブスとか相手にしない自由というか権利があると気付いた。絶対に変なおばはんとか相手にしないでいいのだ。母親とか変なストーカーみたいになっているからもう相手にしないでいいのだ。町ですれ違う変なおばさんと稼動していちいち相手にしないといけないのか。絶対に女なんか相手にしてはいけない。損するのだ。損するんだから相手にしない権利があるのだ。善良であるということはどこまでも権利を主張できるということだ。正当防衛の理論。クリーンハンドの理論だ。クリーンハンドといえるためには本当にクリーンかいつも気をつける必要がある。心の洗濯をしよう。関西人の根性の悪さに毒されないように気をつけよう。関西人にはついていけない。何が人情だ。非情の町だ。善良であろう。そのためには色々気をつけないといけないことがある。私の父は電車や宿の予約をしない人だった。常識としてやった方がいいことをやらない人だった。そこのところの食い違いが一番大きかった。もうそのことは言わない。私のほうが悪い。しかし病気だったのだから自分を責める気には全くならない。そうしてはいけない。自分が余りにもかわいそうだ。私が一番精神的に傷つきケアーが必要だったときにケアーが全く得られなかった。大学時代もそうだし、病気になったときもそうだ。ずっとケアーが必要だったのだ。今も必要だ。これからもずっと必要だ。自分を酷使してはいけない。自分をいじめてはいけない。自分をかわいそうだと思わないといけない。自分を本当にかわいそうだと思わないといけない。温泉旅館に行っても自分を守れない。行かない方がいいと思う。元気だった頃であれば、何とかして自分を守ったろうが今は守れない。職場に言っても自分を守れないだろう。どうして自分で自分を守れないのだろう。自分で酒を飲んで薬を飲んでしまった。記憶が飛んでしまった。すごく頭が弱くなってしまった。気が弱くなってしまった。善良である以外とりえがなくなってしまった。でもいい。善良で人と自分を大切にできるならば何とか生きていける。父は思えば私と全くコミュニケーションができなかった。いつも薄気味悪そうに私を見ていた。全く私の気持ちがわからないようだった。私も父親が何を考えているのか全くわからなかった。私の苦労して築き上げた利益を簡単におじゃんにしてしまうような乱暴さがたまらなく嫌だった。妬みでもあるのかと真剣に思った。積もり積もったものが爆発してぶちまけてしまった。それから父は急速に衰え、がんに侵され、あっという間に死んでしまった。私は病気だったので自分を責めることはできないが、誰か神のような存在が救ってくれればと思う。どうしてあれほど惨めな状態に放って置かれたのかわからない。私はケアーが必要な状態だった。明らかにそうだった。絶対に女なんか相手にしてはいけない。絶対に損をする。優しさがあだになる。理解することなどできない。魔物だからだ。絶対に言うことを聞かない。理性で理解することなどできない。あの温泉に何をしに行ったのだろう。あの全くエアコンの効かない確実に風邪を引く、実際に風邪を引いた部屋に故意か過失か知らないが、嫌がらせのように泊まらされて、何であんな思いをしないといけないのか全くわからない。何でやせ我慢をしないといけないのかわからない。何で金払っていじめられないといけないのか。あの似非カウンセラーも同じだ。何で貴重な時間を使っていじめられないといけないのか。あの変なサークルもそうだ。何で金払って好きでもない外人と話さないといけないのか。どれだけ辛いと思っているのか。自分をいじめてはいけない。
次回のzとの面接も不愉快なものになりそうだ。何か何で人の機嫌を取らないといけないのか全くわからない。温泉なんか二度と行かない。何であんな苦労して金と時間と労力を使っていじめられないといけないのか全くわからない。何でこんなことになるのか全くわからない。



2007年01月12日(金) 奥津温泉

温泉に行ってきた。なんか電話で話したとき感じたように、感じ悪かった。意地悪された。でもそう思わないようにしている。でも前回行ったときよりずいぶん良くなった。旅先でも何だか怪しまれるし、失礼な態度をされる。zにもこの間うんざりした顔で色々言われた。今言われても仕方がないだろうと思う。でも小さいことは気にしても仕方ない。大きな目で見ると良くなって来ている。これもリハビリだ。全く引きこもっているよりも、どのくらい回復したか自分で一番良くわかる。善良であれば全て良い方向に進む。良きことが雪崩のように起きている。今回の旅行の成功もそうだ。仕事をしたい気持ちでいっぱいだ。
善良でいよう。善良であれば、ものすごくうまく行く。誰からも文句は言われない。人を好きでいる。自分を好きでいる。
疲れたけど良い疲れだ。自分がすごく良く見えた旅だった。今の実力というか、人に怪しまれるのも、馬鹿にされるのも仕方ないことだ。無理をしても仕方がない。徐々に良くなっていこう。
善良であれば馬鹿にされることはあっても、危害を加えられたり、憎まれたり、処罰されることはない。当たり前のことだ。私は自分の全体像が今までになくはっきりと見えてきた。これだけ時間がかかるのも無理なかったかもしれない。踏み迷った森が深く暗ければ暗いほど、光も明るいのだ。嬉しいな。楽しいな。ありがとう。感謝します。ツイテル。許します。女なんかに怒ってはいけない。かわいそうな奴らなのだ。
善良でありたい。善良であれば良きことが雪崩のように起きる。現に起きている。自分が善良であれば、人が善良でないことが良くわかる。冷静に指摘できる。そうすると社会生活で不都合なことは何も起こらなくなるから不思議だ。
心の洗濯をしよう。ぴかぴかに磨こう。大人になるとは汚れ、悪くなることだとばかり思っていた。とんでもない間違いだ。心はいくらきれいでも良い。きれいであればあるほど良い。いくらきれいでも怒られることはない。きれいに磨いて磨きぬいて社会復帰しよう。仕事の上でも磨きに磨いて働いて働いて、定年になったらゆっくり休もう。好きなことしよう。
後半年くらい休んだ方がいいかなと思う。あと三ヶ月ではちょっと苦しい。今漸く気持ちが落ち着いてきて、自分が何をやったらいいかわかってきたし、自分の身を守るためにはどうしたらいいかわかってきた。



2007年01月10日(水) 晴れ

今日も良く晴れている。昨日は良く眠れなかった。いつもはもっとぐっすり眠れる。原因はモデルルームしか考えられない。今はまだ無理なのだ。いろいろ考えるのが良くない。しばらくそういうのはやめよう。まず復帰してからだ。真面目に働くことを考えよう。明日から温泉に行く。ゆっくりできたら良い。
善良であること。人と自分を愛すること。良きことが雪崩のようにおきている。楽しい。
頭を酷使することはよくない。悪化する元だ。一人さんも苦労する必要はないといっている。無理する必要もない。簡単なんだといっている。自分に負担をかけることは良くない。明らかだ。善良であること。人と自分を尊重すること。それで十分だ。良きことが雪崩のようにおきている。結局道徳的に生きるのがいいことなのだ。
良きことが雪崩のようにおきている。善良であること、道徳的であることは最強の力だ。人は争うものじゃない。協力し合い、愛し合うものだ。
良きことが雪崩のようにおきている。ツイテル。嬉しい、楽しい。ありがとう。幸せ。感謝します。許します。脳に負荷をかけないこと。無理をしないこと。自分を尊重すること。自分を愛すること。
難しいことを考えなくていいんじゃないか。自分が嫌なことをしなくても良いんじゃないか。自分を酷使するな。善良であること。自分を愛し、尊重すること。良きことが雪崩のようにおきている。悪いことをしても生きてはいけない。良いことをすれば簡単に生きていける。善良であること。道徳的であること。良きことが雪崩のようにおきている。
善良であろう。善良であり、道徳的であることは今すぐできる。そうすると良きことが雪崩のようにおきている。頭が痛い。普通に振舞うことがしんどい。憐れな私。でも良きことが雪崩のように起きている。大丈夫だ。きっと良くなる。良きことが雪崩のようにおきている。良きことが雪崩のようにおきている。
明日から温泉だ。嬉しい。やっぱり頑張って旅に出ることはいい。こんな部屋にずっといると精神的に良くない。週に一回くらい泊りがけでどこかに行くといい。泊りがけでなくてもどこかに出かけるのはいいことだ。
良きことが雪崩のようにおきている。善良であることで全ては良い方向にいく。少し昼寝した。昨日は十分には眠れなかった。今睡眠が必要だ。長期的に見て落ち着かないといけない。一日ごとというより週単位、月単位で見ていこう。
ずいぶん調子が悪い。何もかも悪く見えてくる。悪いと思うから悪くなる。ツイテルと思う。幸せ。ありがとう。嬉しい。楽しい。感謝します。許します。良きことが雪崩のようにおきている。モデルルームだって、幸せになるチャンスだったかもしれない。全然悪くない。良いことだ。良いか悪いかは中立で、どう受け止めるかによって幸か不幸かは決まる。この休みだってすごく自分にとっていいものにできる。実際いいものだと思っている。
戎さんに行ってきた。大変な人出だった。しかし笹を持って帰ろうとは思わなかった。その前に羽衣の物件を見に行ったが、工場の騒音とばい煙に驚いてこれはやめておいたほうが良いだろうと思った。
本当にしんどい。でも明日は楽しい温泉だ。これから毎週温泉に行こうかと思う。温泉でなくてもいいが。山歩きも再開しよう。山でなくても奈良の方とか歩きに行っても良い。熊野街道でも良いし、夕陽丘でも良い。
これからどんどん良くなる。良きことが雪崩のようにおきてくる。実際起きている。
良きことが雪崩のようにおきている。どんどん良くなっている。悩みも問題もきれいになくなった。



2007年01月09日(火)

昨日はモデルルームに久し振りに行ってきた。今自分が正常かどうか確信が持てないだけに、大きな買い物は避けた方が良いと思う。もちろん良い物件とは思うが、一戸建ても見てみたいし、今回は見送ってもいいんじゃないか。
善良であることはいいことだ。すごく良い。人が好き、自分が好きと言うのはいいことだ。
良きことが雪崩のように起きている。薬が効いてきた。このまま行けば回復する。どんどん良い方向に行っている。
善良であることの一番良い点は善悪の区別が付いて、自分が守れることだ。自分が正しければ、どこまでも自分を主張できる。法律の勉強をしても善良でなければ、いくら議論に強くなっても無駄なことだ。
今は少し疲れている。眠れる状態が一か月くらい続けばいいんじゃないかと思う。脳の芯まで疲れているのでゆっくり休もう。今働けといわれても困る。引きこもりも生き残りの戦略だ。良きことが雪崩のようにおきている。
母親は完全にストーカーと化している。私はあんたのだんなじゃない。何か勘違いしている。完全におかしい。何で私がそんな役割を負わされないといけないのか。自分に無理なことを要求しないこと。自分を尊重すること。自分を休ませること。
善良であること。人を好きでいること。自分を好きであること。善良であれば自分を守れることを発見した。誰からでも自分を守れる。母親からでも。n原氏でも坊さんからでもfからでも。どうして彼らが嫌いなのかわからない。ストーカーだからか。善良であること。人と自分が好きなこと。宗教的であること。
善良であれば彼らを恐れることはないだろう。人が好きで自分が好きであれば恐れることはない。良きことが雪崩のようにおきている。
善良であること。道徳的であること。自分と人を愛し、尊重すること。自分を酷使しないこと。無理はしないこと。自分を休めよう。
疲れた。疲れているのに自分を酷使してはいけない。好きなだけゆっくり休むが良い。zが何を言おうが関係ない。私のためを思っているのではない。昨日モデルルームを見に行ったのがこの疲れの原因だろう。早く復帰したかったらモデルルームに行ってはいけない。復帰してはじめて買えるのだ。今休職していることを言ったら、売ってくれないんじゃないのか。それでも無理して買うことはない。それにしてもマンションが少し値上がりしている。狭いのに高い。
善良でありたい。善良であろう。道徳的であろう。善良であることで自分を守れる。これは面白いほどそうだ。女からも身を守れる。簡単に身を守れる。もうあのモデルルームには行かない。不快な思いをした。何でしんどいのにそんなところに危険をおかしていかないといけないのか。
善良であれば、悪徳不動産業者や、似非カウンセラーやいんちきパートタイマーや似非執行委員に悩まされることなく自分を守ることができる。これは確かなことだ。すごく大きな気付きだ。
善良になれば善悪の区別が付くようになる。善悪の区別が付けば、人から害をなされそうなとき、止めることができる。これはてきめんだ。善良であれば、身を守ることができる。
今は病気を良くすることだけに集中する。欲をかいてはいけない。元気になってからでも遅くない。今は自重しよう。危険極まりない。ハゲタカのえさになる。
早く直そう。焦りは禁物だが。ゆっくりでいいから前進しよう。善良であることは大きな助けだ。善良であり、自分と人を愛すること。これが重要だ。
本当に疲れた。愚痴を言ってはいけないが、脳がダメージを受けていて生きるだけで難儀だ。昼間寝ているようでは難しい。ゆっくり休もう。元気な日もある。
文校賞に応募してきた。あのおばあは明らかに私を嫌っている。しかしそんなことはどうでもいいなと思った。善良な気持ちを持つこと、道徳的であることは一番強い武器を手にすることだ。私は勘違いしていた。
女が恐くなくなった。女が恐いって変だなと思った。全然恐くない。ヤンキーであっても恐くない。おばさんでも恐くない。道徳が一番強いのだ。善良であることが。あんな奴らでも怒るときは道徳的に怒るのだ。だったら、そいつらから身を守る一番の武器は道徳であり、善良さである。
正月は頑張りすぎた。まだ疲れが残っている。前頭葉に疲れが残っている。薬を飲もう。記憶力が衰えている。旅館の電話番号を控えておいたのを忘れてもう一度同じことをやってしまった。ショックだ。これでは人に馬鹿にされる。余り人に会わない方がいい。
良きことが雪崩のようにおきている。世の中を複雑に考えないことだ。どんどん良くなっている。自分はどんどん変わっている。良くなっている。
これから良くなるというより、既に良くなっている。どんどん良くなっている。今良い状態にある。疲れていても良い状態にある。モデルルームに行ったのは間違いだった。温泉に行くのもどうだかわからない。嫌な思いをするかもしれない。でも善良で人が好き、自分が好きであれば問題は起こらないだろう。
良きことが雪崩のようにおきている。何で私の関係する人間はストーカーになるのだろう。植島氏と同じなのか。ストーカーは恐い。善良であればストーカーにはならない。全ての良きことが雪崩のようにおきている。困ったことは何もない。決して怒らない。
良きことが雪崩のようにおきている。世の中は簡単だと一人さんは言う。私もそう思う。世の中は難しくない。善良で人が好きで自分が好きであれば何の問題もない。
ツイテル。嬉しい。楽しい。ありがとう。感謝します。幸せ。許します。



2007年01月08日(月) 快晴

今日は良く晴れている。気分は良い。この空のようだ。自分に余り負荷をかけないようにしたらいいと思う。脳に負荷をかけると疲れて気分が悪くなったり、パニックになる。そんなことは忘れて、のんきに陽気暮らしをすれば良い。今日は気分が良い。全ての良きことが雪崩のようにおきている。全ては変わった。善良で道徳的な私。人が好きで自分が好きな私。自分を守る方法がわかった。善良であることだ。善良であることは弱いことではない。最強であることだ。
ツイテル。ありがとう。嬉しい。楽しい。幸せです。感謝します。許します。この世は天国だ。良きことが雪崩のようにおきている。世の中は簡単だ。宗教的に道徳的に生きればいいのだ。素晴らしい。ついに普通の人間になれた。
自分を酷使しない。そうすればパニックにもうつにもならなくて、きちんと働ける。楽しみながら目標を目指そう。
良きことが雪崩のようにおきている。どんどん良くなっている。素晴らしい。困ったことは起こらない。確かにそうだなと思える。何か今困ったことなどあるだろうか。何もない。すごく快適で豊かだ。何か理不尽な要求をしない限り、何も困ることなどない。それが良くわかった。
良きことが雪崩のようにおきている。どんどん変わっている。良くなっている。善良な私。どんどん幸せになっている私。本当に幸せだ。
昼から少し寝た。少し疲れやすい。でもきっとどんどん回復する。良きことが雪崩のようにおきている。
モデルルームに行って来た。ずいぶん疲れた。何かつけこまれたような気がする。善良であれば問題ない。今は無理だといえばいいだけだ。無理をしても仕方がない。でも良いマンションではある。でもなぜ11月のときにいかなかったのかわからない。チラシに気付かなかったし、気付いても行かなかっただろう。今は元気が出てきたということだ。
でも今はしんどいことはしんどい。しんどいときにしんどいことをやるのはおかしくないか。そうして自分が苦しむことばかりやっている。自虐だ。善良であること、自分を愛し、尊重すること。そうすると自ずから答が出てくる。
温泉に行くことにした。リハビリの一環だ。今まで9月以降旅行にも行けなかった。薬が効いてきて少し楽になったので、リハビリを兼ねて温泉にでも行ってみることにした。旅館の予約のときからストレスを感じる。それが訓練だ。善良で道徳的で人が好きで自分が好きであれば問題ない。善良でない人間をだれも相手にはしない。善良であれば誰でも相手にしてくれる。
今こんな状態でも何の問題でもない。こんな状態だから休んでいるのだから。良きことが雪崩のように起きている。すごい変化が起きつつある。どんどん良くなっている。何もかもがオーケーになっている。全ての悩みが解決した。全ての問題がなくなった。良きことが雪崩のようにおきている。全ての悩みが解消した。
全ての良きことが雪崩のように起きている。全ての問題が解決した。旅行に行ってリハビリしよう。



2007年01月07日(日)

今日はひどい雨だ。善良になって一番良かったことは自分が守れるようになったことだ。何が一番悪いといって自分が守れないことくらい危険なことはない。それができないから長いこと休まないといけなくなったのであって、今は自分が守れるようになった。自分を守ることは強くなることではない。善良であることだ。人を好きになることであり、自分を好きになることである。人は本当に弱い。だから自分を守るために強くなる必要はない。
本当に疲れた。薬を飲んでゆっくりしよう。昨日酒を飲んだのはだめだった。夜中におかしくなった。酒を飲む前の日は薬を抜こう。頭がすごくぼける。今ものすごく頭がぼけている。善良であること。人を好きでいること。自分を好きでいること。n原さんのことで少し疲れているかもしれない。あの人と会うと疲れるから会うのをやめた方がいい。
良きことが雪崩のようにおきている。すっかり変わってしまった私。すごく良くなった。ツイテル。ありがとう。嬉しい。楽しい。感謝します。許します。
これからこの日記はいいことしか書かないようにしよう。天国日記。グチ、泣き言、悪口、嫌味は一切やめよう。愛のある天国言葉だけ言うようにしよう。良きことが雪崩のようにおきている。これは大きな変化だ。自ら不幸になろうとしない限り、どんどん幸せになっていく。
どんどん幸せになっている。良きことが雪崩のようにおきている。心が落ち着いてきた。
良きことが雪崩のようにおきている。どんどん幸せになっている。心が落ち着いて来ている。素晴らしいことだ。これまでこんなことはなかった。素晴らしい変化だ。良きことが雪崩のようにおきている。どんどん幸せになっている。旅でもしようかとはじめて思った。素晴らしい。
無理をしないというのはいいな。心が落ち着いてくる。ぼけてたっていいじゃないか。素晴らしいことだ。
本読めなければ読まなければいいじゃないか。何も心配要らない。心配事グチはだめと一人さんも言っている。良きことが雪崩のようにおきている。今までで一番良い状態だ。当初の有頂天状態は良くなかった。今のほうがはるかに良い。
雪崩のように良きことが起きつつある。愛ある言葉。天国言葉を言おう。ツイテル。ありがとう。感謝します。嬉しい。楽しい。許します。自分を愛し、尊重することだ。善良である。道徳的である。人も自分も尊重し愛せる。なんて素晴らしい変化だろうか。
雪崩のように良きことが起きている。服を片付けた。ポリ袋4個くらいになった。もう着ることのないスーツ。愛着はほとんどない。気分がすっきり。
良きことが雪崩のようにおきている。
良きことが雪崩のようにおきている。もう復帰は間近で確実だ。自分を尊重して愛せる。素晴らしいことだ。



2007年01月06日(土)

今日は雨だ。昨日は眠れたのかどうかわからない。浅かった。風邪が治っていない。このクスリを飲んでいれば大丈夫だ。良きことが雪崩のようにおきている。善良であること、道徳的であること。自分と人を好きでいること。これだけで良きことが雪崩のように起きる。
良きことが雪崩のようにおきている。善良になっただけで、義人になっただけで全ての問題や悩みが全て嘘のように消えていった。嬉しい。楽しい。ありがとう。ツイテル。感謝します。許します。
もう日記を書くのはやめようかな。日記依存人格になっている。もう自立できる。なんでも自分で考えて行動できる。必要なことは何でもできる。
全ての悩みは消え去った。もう書くことは何もない。善良になったら、体まできちんと働くようになった。何より眠れるようになったのは大きい。
脳がぼけた。いいことじゃないか。細かいことは悩まなくてすむ。今の精神状態に至ったのはぼけたからじゃないか。良かったね。嬉しい。楽しい。幸せ。ありがとう。感謝します。許します。
外為取引でセミリタイヤしよう。
正月は飲みすぎた。まだ脳の働きが戻らない。というか薬をしっかり飲まないといけない。脳が疲れている。n原氏のことは放っておいた方が良いだろう。もう疲れてしまって騒ぐ気にならない。これはおかしいだろうか。おかしくはない。良きことが雪崩のようにおきている。z氏が似非カウンセラーだとわかった。脳が本当に疲れている。父親は本当に酒乱だった。正月にいつも飲んでクダを巻いていた。あそこまで飲まなくても良い。母親に怒られていた。私は悪くない。全てはクリアーになった。私に責任はない。これから良きことが山のように雪崩のように起きる。今現に起きつつある。
ちょっと出てこようかと思う。ミナミに。風邪っぽいが、じっと寝ているのは余りに寂しい。かと言ってn氏と一緒に行動する気にもならない。坊さんが何で付き合うのといっていたのが引っかかっているのかもしれない。確かにダメンズというかダメなやつらと付き合ってしまう。これはやめた方がいい。m川氏のサークルもきついので行っていない。
いかん。こんな文体では生まれ変わった甲斐がない。否定形はいけない。肯定で行こう。良きことが雪崩のように起きる。今出かけると山のようにいいことが起きる気がする。
ミナミに行ってきた。山のように良いことが起きた。生まれ変わった私に雪崩のように良いことが起きつつある。
少ししんどい。正月疲れだ。三日くらい経ってから襲ってきた。不機嫌で不安定だ。薬が効くのに1週間はかかるだろう。善良であること。人が好きであることは難しい。自分が好きであることは簡単だ。
こうなったら、できるだけサボろう。のんびりやろう。そうでなかったら休んでいる意味がない。遊び倒してもいいし。n原さんと一緒に遊んでもいいし。どっちがいいんだろうか。わからない。遊び倒し、サボり倒そう。



2007年01月05日(金) 晴天

昨日はよく眠れた。少し眠りが浅かったが、朝まで眠れた。薬の力は偉大だ。大体順調に良くなっている。善良であるだけでこんなにも良くなるなんて。素晴らしい。
楽しいことをやろう。しかも一番楽しいことを。今日の気分はまずまずだ。この調子で行けばずっと良くなる。苦行は意味ない。過去の暗いことを思い出すのも全く意味はない。未来志向で行こう。楽しいことを追及して行こう。善良であれば、人と自分が好きであれば必ずうまくいく。
楽しいことをどんどんやっていこう。そうすると楽しくてたまらなくなって回復が早まる。大体私は病気ではないし。何も問題も悩みもない。元気そのものだ。
尊敬と感謝が必要だ。誰に対しても。自分に対しても、人に対しても。職場の誰彼にも尊敬と感謝が必要だ。修行の結果、私はあのババアにも尊敬と感謝ができるようになった。尊敬と感謝が足りないから、キチガイみたいになって襲い掛かってくる。何でいきなり攻撃してくるのかどうしてもわからなかったが、尊敬と感謝さえあれば襲い掛かっては来ない。善良であれば、自然に尊敬と感謝が自分にも他人にも湧き起こってくる。
良きことが雪崩のようにおきている。善良であるだけで、人と自分を好きでいる、つまり、尊重と感謝を持つだけで、こんなに変わるなんて。奇跡が起きつつある。
脳がぼけた。良いじゃないか。すごくいいことだ。善良になるきっかけになった。幸せになれるじゃないか。旅行なんか行かなくても金なんか使わなくても平和で楽しい気持ちになれる。素晴らしいじゃないか。z氏が何を言おうとhが何を言おうと関係ない。ずっとぼけていれば良いんじゃないか。
本当に幸せだ。楽しい。ツイテル。嬉しい。ありがとう。感謝します。許します。楽しい。必ず復活する。善良であるということは素晴らしい。そろそろ復活しよう。復帰しよう。もう問題はなくなった。
本当に良く休んだ。良かった。良きことが雪崩のようにおきるようになった。自分が変わってきた。問題も悩みも全て消えた。良かった。善良になることは素晴らしい。
少し寝た。良きことが雪崩のようにおきている。善良になっただけで。これくらい眠れれば精神状態が安定してくる。間違いない。心身ともに健康になるのももうすぐだ。幸せだ。ツイテル。ありがとう。感謝します。許します。
すごく楽しい。これから楽しもう。ゆっくりでいいから楽しんで生きよう。小説も読もう。旅にも行こう。楽しいなあ。嬉しいなあ。
自分と人を好きでいる。好きとは尊重し、感謝することだ。
あびこ観音に行って来た。古いお札を捨ててきた。新しいのは買わなかった。なんかすごい目で見られたからだ。薬を飲むことと、善良であること。それだけで生きていける。というか良きことが雪崩のようにおきる。どんどん変われる。悪い点、改善点がどんどん気付いて向上していける。ガラッと変わろう。少しずつとかじゃなくて、180度変わろう。延長線上じゃなくて飛躍しよう。
旅行がしたい。こんなところに毎日いるんじゃなくてこまめに旅行をしよう。温泉じゃなくて良い。
いよいよ今年は飛躍の年だ。私の年だ。私が良くなる年だ。幸せになる年だ。既に良きことが雪崩のように起きている。
薬を飲むことと、善良であること。日記なんか書いてないで本を読んだら良いじゃないか。それか小説を書くか。旅をするか。もう回復期にはいってきた。
良きことが雪崩のようにおきている。善良な私に全ての良きことが雪崩のようにおきている。自分の悪い点がわかり、どんどん改善している。夢に向かってまっしぐらに進んでいる。



2007年01月04日(木)

正月もやっと空けた。でも楽しかった。昨日は九時くらいに眠っただろうか。9時間は眠っただろう。嬉しいな。これからはどんどん良くなる。良きことが雪崩のように起きる。こんな自分でもいい状態に保てば、必ず社会の役に立つ。
結局罪は自分ではどうにもできなくて、神に祈るしかない。神の許しを請うのみだ。それでいいのだ。自分は許す。神に許しを請う。それでいいのだ。自分は善良である。それでいいのだ。
前より疲れやすくなった。でもいい。そういう自分として生きていくのだ。善良になればそれでも生きていける。
今電話相談をかけてみたが、何となく話しているだけで腹が立ってくるから余りいい状態じゃないのだな。まだ復帰は無理だ。無理しないでゆっくりしていなさい。芸術とかリクリエーションとか楽しいものがいいと思う。サロン的なもの。
善良であること、人が好きであること、自分が好きであること。これさえ気をつければ大丈夫だ。もう少ししたら仕事ができると思う。それまでゆっくりしたら。。気分最高でなくても中くらいで良い。あの薬をしっかり飲んでいたら十分安全に過ごせる。
デイケアとか作業所とか見て見たが、なんとなく合わないような気がする。うつの人でそんなところに通っている人はいない。統合失調症かどうかはっきりしないので、そんなところにいかないほうが良いんじゃないのか。自虐だろうどう考えても。n原さんのところに行くのも自虐だ。fや坊さんも同じだ。自虐はやめよう。いくら寂しいからといって自虐はいけない。
善良であればやがて神が宿る。そうすればいいことができる。仕事もできるし、人間関係もうまくいく。それができないと、どこに行ってもだめだ。
善良であること、人が好き、自分が好きでいること。氏雨後ともそろそろした方が良いだろう。それが一番いいことだ。働きたくて仕方がないのだから働いたら良いのだ。
例の事件以来、パニックになりやすい。でもいい薬を飲み始めたので根源的な原因と叩くことができるからもう大丈夫だ。落ち着いてゆっくり過ごそう。
パニックになりやすいのは脳のダメージが原因ではない。今根本原因を薬によって直している。だから落ち着いて慎重に過ごせばいくらでも良くなる。眠れるようになったじゃないか。昨日は9時間寝た。眠れるようにあれば回復は早い。世の栄えた人々を見て羨ましがったり、かわいそうな人々と自虐的に付き合ったりは厳に戒めたほうが良い。自分は自分で善良になり、向上することだ。世は争いではない。
玉造の神社に行って来た。人ではめっきり減っていて、寂しかった。何か悲しくなってきて早々と帰ってきた。今日も早く寝よう。何をしても楽しくない。何を食べてもおいしくない。仕方がない。薬をしっかり飲んで、善良であれば、やがて回復する。
頭が少し回復してきた。ぼけなんかすぐ回復する。パニックになって逆に損するのはいやだ。おとなしくしておこう。自重しよう。薬と善良であること、人と自分が好きでいること。これで十分だ。あとはのんびりしていろ。
善良になったお蔭で頭に神が宿った。脳のぼけも治った。もう勝ったも同然だ。だからといっておごらず、卑屈にならず夢と志に向かって笑顔で楽しみながら歩いていこう。人生遅すぎるということはない。
夢はかなう気がしてきた。脳のダメージが問題ではないことは明らかだ。もう忘れてよい。夢はすべてかなう気がしてきた。間違いない。善良であるだけで夢が全てかなう。成功とはこんなに簡単なのか。私は奇跡だ。問題なんか存在していない。職場にも全く問題なんか存在しない。今すぐでも復帰できる。善良であれば全て可能になる。
今読んでいる本は本当に面白い。すぐ成功できるような気がする。あんなババアなんか問題ではないということがわかる。脳のダメージなんか問題ではない。夢。目標。これが大きいのだ。最近気付くこと全てが重要で大きい。良きことが雪崩のように起きている。どんどん奇跡が起きている。それは私の外で起こっているのではないから、妄想ではない。気付きだ。善良であろうと思っただけでこんな奇跡が起こるなんて。人にも教えてあげたい。
薬を飲むことと、善良であること、人と自分が好きでいること。これだけで良きことが雪崩のように起きた。これからも奇跡が起きるだろう。



2007年01月03日(水) 三が日

今日までが松の内といって正月ということになっている。正月気分を思った以上に楽しく味わうことができた。日本人ていいな。日本ていいな。今朝は少し早く目が覚めた。でも十分寝ているから大丈夫だ。明日からまた真面目に療養生活にはいろう。それにしても飲みすぎ食べすぎでふらふらだ。おっさんだからいいか。昨日は女性がきれいに見えた。晴れ着の女性はひとりも見なかった。時代かな。慎重に行こう。慣らし運転だ。無理は禁物。落ち着いてゆっくり行こう。善良になろう。しかし長い疾病と療養ですっかりおかしくなっている。見た目がまずおかしいと思う。ボランティアとかデイケアとかやってみたらいいんじゃないかな。焦らなくてもいいけど。それと薬は強力だ。薬だけは頑張って飲もう。薬のお蔭でここまで良くなった。せっかく良くなったのにまた苦しむのは嫌だ。自重して謙虚に行こう。横着や傲慢は禁物だ。無茶や無理もダメだ。善良であることだ。今日から薬を飲もうかな。無理することないじゃないか。誰と張り合っているのか。白い御飯を食べよう。酒はたらふく飲んだ。ふらふらだ。ちょっと疲れて不機嫌になってきた。もう無理しないで薬を飲めということだ。すぐ自分の嫌がることをする。無理をする。無茶をする。やってはいけないことをする。人の言うことを聞かない。そういう悪い癖は絶対に直そう。n原氏は元気で優しいが、乱暴なところがあって、無理やり人に何かやらせようとする。子分扱いする。私は立派な大人だし、私はあんたの子分でも奴隷でもない。共依存みたいになってしまう。できれば付き合いたくない。しんどくなってくる。嫌なのに付き合うってどういうことだ。絶対ダメ。あの坊さんにしてもfにしてもb校の奴らにしても本当に嫌な奴らばかりだ。嫌な奴とは付き合っちゃダメ。当たり前じゃないか。
今日は少し調子が悪い。やっぱり薬を飲もう。調子が悪くなる前兆は、不安とか恐怖、パニック的になることだ。何か悪いことが起こるんじゃないかと訳もなく不安になり、誰かに助けを求めたくなる。助けを求めたくなるなら可愛いが、悪いことをしたくなる。善悪の区別が付かなくなる。見境がつかなくなる。訳もなく人を傷つけたくなる。f氏と同じだ。狂っているのだ。善良であろう。過去のことは忘れよう。薬を飲もう。飲み続けよう。絶対人に迷惑をかけちゃだめ。自分を傷つけちゃダメ。変な人と付き合っちゃダメ。
誰でも一人で暮らしていたら、寂しさの余り、おかしくなるのは不思議じゃない。何か調子が悪い。調子が悪くてもパニクらず、落ち着いて対処しよう。てか薬飲んどけ。善良であれ、人を好きでいろ。自分を好きでいろ。調子悪く何かないよ。調子悪いならこれから調子が良くなる前触れだ。ずっと調子悪いなんてありえない。一人さんの言うとおりだ。調子悪いんじゃないかとか心配するから本当に調子悪くなる。気で病む男だ。病気だ病気だといっていたら、本当に病気になってしまった私みたいだ。
善良であること。すると自分の改善点がわかる。それを直す。この繰り返しで今年はアゲアゲだ。大丈夫だ。心配するな。薬を飲んで善良であれば、大丈夫だ。糸山秋子だって立派にやっている。大丈夫。焦らずゆっくりやれ、心配するな。
夢は最強の精神安定剤だ。夢も志も失って、この世で居場所なんかあるわけないじゃないか。落ち着いてなんかいられるわけないじゃないか。でも本当に良くなった。今ふと思ったが、過去の罪はもう償った。もう忘れろ。悪徳裁判官を追放して自分の人生を生きろ。今が一番大事なのに何をくよくよ自分を責めているんだ。忘れて良いんだよ。罪は償った。自分の人生をエンジョイしていいんだよ。善良になったんだから、人が好き、自分が好きになったんだから、堂々と自分の人生を生きていいんだよ。さすがだな。良きことが雪崩のように起きているな。今まではこんな考えは出てこなかった。神が宿っている。正直者の頭に神が宿る。良かった。
善良であることが唯一の頼みだ。私と両親の間で起こったことは何なのかわからない。神様に任せよう。そして忘れよう。罪はもう償った。自分の人生を始めよう。血塗られた私の手は清められた。社会に戻ろう。今を生きよう。神も両親もきっと許してくれる。自分の人生を生きよう。何もやらないで死んでいくなんて嫌だ。仕事も人生も充実させよう。きっとできる。勇気を出せ。夢を持て。志を持て。何かをやろう。夢をかなえるために何かを始めよう。
きっと奇跡は起こる。今起こりつつある。どんなに凶悪な罪も愛の力で癒される。神は偉大だ。だから安心して、善良に一所懸命生きろ。夢を持て。志を持て。奇跡はきっと起こる。罪が大きければ大きいほど、悔い改めたときに大きな奇跡が起きる。神の愛が降り注ぐ。罪はすすぎ清められる。一切は許される。罪が深いほど、大きな許し、奇跡が起こる。和解できる。神の愛は無限だ。神を信じろ。勇気を振り絞って悔い改めて生きてみろ。そうしないと許される罪も許されない。両親は喜ばない。大きな奇跡を信じろ。愛の奇跡を。神の愛の奇跡を。
大きな気付きが次々に押し寄せて気が狂いそうだ。でも大丈夫だ。いいことが雪崩のように起きているのだ。ゆっくり行こう。焦らずゆっくり行こう。私にできることは善良であることと、人を好きでいること、自分を好きでいることだけだ。きっと今私の心で奇跡が起きている。だからこんなに苦しいんだ。私は許され、きっと生きることが可能になる。神の愛の奇跡が雪のように降り注ぎ、私の罪を消し去る。私の罪は全ての人類の罪だ。原罪だ。神はきっと許してくださる。安心しろ。人が生まれながら持っている罪だ。皆が共有している罪だ。憐れな子羊だ。罪深い存在だ。だから神を信じるのだ。善良であろうと務めるのだ。人を愛するのだ。自分を愛するのだ。まだまだ大きな気付きが次々と押し寄せるだろう。神が私の心に降りてきてくださっているのだ。紫式部も書いているときは自分ひとりの力ではなかった。神の助けがあったから書けたのだ。
今日はジェットコースターみたいだ。本当に疲れる。でも大丈夫だ。波はある。それを繰り返して、良くなっていく。焦るな。落ち着け。じっくり行け。突然大きな気付きの中に投げ込まれたので、パニックになったのだ。でも大丈夫だ。薬を飲んでゆっくり楽しみながら、人生を歩め。向上しろ。夢をかなえろ。時間は夢を裏切らない。夢を諦めない限り。幸せになろうよ。不幸になるために生まれたんじゃない。両親もそんなことを望んではいない。善良になろうよ。人を愛そう。自分を愛そう。愛こそ全てだ。愛を忘れたら地獄になる。愛があれば天国だ。今漸く私は人生のとば口に立ったのだ。ゆっくり着実に夢を実現していくのだ。家康のように真面目に堅実に歩んでいくのだ。
間違いは誰にでもある。悪は誰でも持っている。罪は誰でも犯す。でも繰り返さないことが何より大事だ。これも大きな気付きだ。こうして次第に真人間に生まれ変わっていくのだ。やってはいけないことと、やらないといけないことがわかってくるのだ。悪いことは誰でも考える。殺してやりたいと願うことも誰でもある。でも実際やってはいけないと誰でも知っている。三島や芥川のようなことはしてはいけないのだ。過ちは繰り返すな。善良であれ。今大きな気付きの中にいる。重大な局面だ。頑張ろう。今頑張らなくていつ頑張るんだ。
なかなか一筋縄ではいかない。揺り戻しがある。でも大丈夫だ。頑張ろう。自分と神を信じて頑張っていこう。善良である。それだけだ。人を好きでいる。自分を好きでいる。簡単なことだ。それしかできない。それで全てうまくいく。良いことが雪崩のように起きる。善良である。それだけだ。ああ疲れた。発狂しそうだ。今日は薬を飲もう。
暗すぎる私だが、きっと明るくなれる。幸せになれる。善良になる。きっと善良になる。
ちょっと不安定になっている。やっぱり無理をしてはいけない。いろんなことに気付く。hは良いヤツだった。私のほうが明らかにおかしい。やっと気付いた。大丈夫。良きことが雪崩のように起きる。反省は必要だ。過ちは繰り返してならない。でも罪悪感を持ち続けないほうが良い。悪徳裁判官とはきっぱりお別れだ。善良であろう。それだけだ。人が好き、自分が好きだ。それで十分だ。この気付きがよきことだ。今まで気付かなかったことに一時に気付き始めたために、調子が悪くなったので、決して悪いことではない。奇跡が起こりつつあるのだ。生まれ変わっているのだ。今生まれ変わりつつあるのだ。善良な真人間に。善良であることだ。すごいスピードで気付きが訪れている。それがこんなにも苦しいのだ。ゆっくり行こう。落ち着こう。この気付きを確かなものにして、正常化しよう。人とも付き合えるようになろう。薬を飲もう。
さっきはすごく不安定になった。こんなこともある。今日は薬を飲んで早く寝よう。無理しすぎた。自分を労わろう。大事にしよう。善良であろう。いっぺんにいろんなことに気づいてしまうと本当にきつい。気づかない方が楽な気もする。でもゆっくり着実に行こう。過ちを繰り返さないように。
ちょっとずつ良くなろう。無理をしてはだめだ。自分に優しくしよう。一人さんの言うことをよく聞いて、落ち着いていこう。
ちょっと横になって見たが、落ち着かない。早く夜が来てほしい。頑張りすぎたな。正月は。もっと地味にすれば。言っても遅いけど。大丈夫だ。私にはジプレキサがある。今デパスを飲んだ。これで落ち着くだろう。職場の皆は悪くはないという気がして来た。hもkも。やっぱり成長したな。大丈夫だ。
デパスを飲んで横になっていたら、あっという間に効いて来て、気分が落ち着いた。私は薬が効きやすいという強みを持っている。それは私が根が純真なせいもあるし、そういう体質のせいもあるだろう。でも今年の私は何かが違う。やはりよきことが雪崩のように起きている。奇跡が起こりつつある。善良でありさえすれば道は開ける。徐々に変えていくというより、ガラッと180度変えたらどうか。回りもわかりやすいだろう。自分も後戻りできない覚悟ができるし。そうしよう。自覚的に意図的に変わっていこう。私のみに起こったことは全て必然であって、自分の責任である。そう考えた方がスッキリしている。それが正しい。いいことが起きたら皆さんのお蔭。日本人はそれでいいじゃないか。日本人の神はお蔭様、皆様だと一人さんも言っている。誰かと張り合いたかったら、善良さ、美しさ、純情さ、魅力、誠実さ、正直さ、責任感、志、心のきれいさを張り合いなさい。そうすれば絶対に喧嘩や揉め事は起きない。
住吉さんに行って来た。良かった。適度に空いてて、面白かった。露天も面白かった。御神籤を引いたら、小吉ながらとても気に入ったので持ち帰った。財布にでも入れておこう。夢がかなうといいな。あえて争うことなく、心豊かに過ごせば至福の時が得られましょう。まさに私の願望と予感と一致する。必ず実現する気がする。焦らず、楽しみながら、我を失わず、慎重に粘り強く頑張ろう。きっと夢はかなう。
過去のことを考えてもわからないし、意味がないから、考えない。今ここに生きるのだ。終わったことをうじうじ考えても仕方がない。罪は許された。償った。新しく自分の人生を生きるのが私の務めだ。善良であること、人が好きでいること、自分が好きでいること。これで十分だ。苦しくない、楽な程度に楽しみながら頑張ろう。病み上がりなのだ。私のできることは善良であること、祈ることくらいだ。人間は無力だ。やがて正直者の頭に神が宿って、ある日突然全てがスッキリするに違いない。父のことがどれだけ大きなトラウマになっていたかはじめてわかった。今日の出来事で。でも頑張るだけだ。うずくまってはいけない。善良であること。それしかできることはない。過去に遡って考えることではない。過去は忘れることだ。
私は病気だったので過去の自分を責めることはできない。できることは薬を飲むこと、善良であろうとすること。精神的指導者の言うことをよく聞くこと。それくらいしかできない。過去のことを思い出して自分を苛むことではない。もう許してやれ。自分が自分を許してやれなかったら一体誰が許してくれるんだ。善良になり、生まれ変わり、善行を積むことが許されること、罪滅ぼしだ。自分を責め苛むことではない。善良になり、生まれ変わり、神が降りてきてよきことが雪崩のように起きる。すると神の愛が雪のように全てを清める。愛の奇跡は必ず起きる。今現に起きている。悔い改め、生まれ変わりつつある私の中で今現に奇跡は起きている。神を信じるのだ。
楽しみながら行こう。楽しめないで何でも必死でやってしまう性格、ゆとりのなさがいけない。それが病気の原因だ。パニックに陥る。それが狂気や犯罪につながる。過去のことは言わない。どうしてそうなったか大体わかるが言わない。無理をするからだ。無理は禁物とまっちゃんも言っていたし、御神籤にも書いてあった。無理をすることから全ての不幸が始まるらしい。初詣でも皆楽しみながらのんびりやっている。私は必死にお守りとかを買い求める。楽しいことなのに。巫女たちとのふれあいが。何でも楽しみながらやるからうまくいく。小説も楽しみながら楽に書いたらうまくいった。必死で自分をいじめながら書いたことは全然評価されない。無理をしなければ善良になれる。



2007年01月02日(火) 正月

ああ、いい正月だった。正月も体力がいるものだ。私も少し体力が回復してきた証拠だ。何とか過ごせた。一時は朝も昼も夜も寝込んでいた。目覚しい回復振りだ。理系のヤツはたまらない。人間とは思われない。身がすくむ。気持ち悪くて。あと女がダメだ。嫌いとなるともうだめだ。ゴキブリを嫌う理由なんかないのに嫌うだろう。それと同じだ。でも私は生まれ変わった。収穫の年にしたい。若いときは何も楽しめなかった。今こそ収穫のときだ。善良で人が好きで自分が好きな私に生まれ変わった。さすがに一週間飲み続けるとおかしくなってくる。
改めよう。心を入れ替え、行いを改めよう。簡単にできることだ。すごく効果がある。そう思えた自分は素晴らしい。よきことが雪崩のように起きている。善良であるというただそれだけで全てが新しく生まれ変わる。
善良であること。自分と人を許すこと。確かに私は大罪を犯した。でも許す。心神耗弱であった。そうでなかったとしても許す。報いを受けた。これからは自分のために生きよう。楽しもう。喜ぼう。人生の果実を味わおう。嘆いたり、悔いたり、自分をいじめたりして、時間をつぶすのはやめよう。善良な私。
幸せだ。この世は天国だ。それにしてもよく休んだものだ。悪いことをしたわけではない。私はピュリファイされて善良になった。凶悪で凶暴だった心は静まり、穏やかで善良になった。これからはよきことが雪崩のように起きる。現に起きている。奇跡のようでもあり、自然なことでもある。誰でもそうしている自然なことだ。それに気付こうとしなかった私はなんなんだろう。今は気付いた。私も幸せになって良いんだ。
幸せになろう。良くなろう。必ずなれる。自虐と悪と破滅はもうたくさんだ。悪いことなんかしなくても、罪なんか犯さなくてもいくらでも幸せになれる。素晴らしいことに気づいた。人と世の中と自分との絆を再び取り戻した。自分がやるべきこともやり方も全てわかった。どうして今までわからなかったのかわからない。もうならず者の群れに身を投じる必要はない。善良な人々の仲間入りも可能だ。幼い頃から親や教師の言うことをよく聞き、真面目に働いて幸せをつかんでいる人々と同じになれる。良くなろう。幸せになろう。善良になろう。素晴らしいことだ。
全ての問題や悩みは問題でも悩みでもなくなった。全て自然に消えてなくなった。そういうものだ。一人さんも言っている。一人さんの言うことは不思議にもいつも正しい。当たり前のことを言っているからだろう。当たり前のことに気付かない人のために、親切にも一人さんは繰り返し言って聞かせてくれているのだ。ありがとう。感謝感謝。
どうして自分を汚したり、傷つけたりするのだろう。これからは絶対しないぞ。こんなことに気付いた。これもよきことだ。良き気持ちを保てばこの心が幸せの打ち出の小槌だ。神が降りてくる。正直者の頭に神が宿る。悪い気持ちでいれば悪魔が宿っていくらでも悪いことを考え、底なしの地獄に堕ちていく。正直で純情であれば、神が宿って、天国に導いてくれる。善良であろう。善良なまま一生を終える人はいくらでもいる。どうしてそんな当たり前のことに気付かなかったのだろう。病は恐ろしい。でももう悩みは消えた。問題は雲散霧消した。奇跡は起こった。信じられないくらい良きことが雪崩のように起きるだろう。幸せを先送りにしてきた私にも幸せが雪崩のように起きるだろう。
ああ、新年からいいことが雪崩のように起きている。それは私の心の中で起きている。誰も止めることはできない。邪魔することはできない。外から起こるものでないから、お金も要らないし、誰の助けもいらない。それでいて、愛に満ちているから人を助け、世の中を美しく、幸せにする。こんな良いことはない。
m氏から妙な別れのコメントがミクシーにはいっていた。何か気持ち悪い。冷たくしたから愛想を尽かされたのか。どう付き合って良いかわからなくなったのだ。あの人はいいとしても周りにいる人々は受け入れ難い。別れもやむをえないだろう。私は一人が好きなわけではない。でも怪しい人々と付き合うくらいだったら、一人のほうがましかなとも思う。これはいいことなのだ。旅立ちなのだ。またいつか会いたくなったら会おう。出会いがあれば別れもある。別れではなく、新たな旅立ちだ。私のやるべきことはもうはっきりした。うろうろさまよい歩いている場合ではない。一人で迎える正月は悲しいものだ。それは良くわかった。今年こそ新たな出会いがあるはずだ。今まで正月に一人で寂しいなどと思ったことは一度もない。何かが変わり始めた。真人間に戻り始めた。真人間に戻り始めれば加速度的に正常化していくだろう。
私は善良でありたい。それが唯一生き残る道だからだ。あの人たちと付き合うのは何か間違っている気がする。理由はよくわからない。寂しいからといって、問題のある人たちと付き合うのはやはり問題だ。b校に行ったのはどうだったのか未だによくわからない。善とも悪ともつかないグレーゾーンなのだろう。この休みはそれが原因かもしれないと思うと、危険でやめたほうが良かったということになる。でも今こうして大きな気付きの中にいるということは、結果オーライだったのかなとも思う。過去のことはどうでも良いし、今こうして、いろんな人のお蔭で、また私自身の努力と頑張りによって、全ての悩みは消え去った。もう悩まなくて良い。自然に思うとおり、善良に生きていいのだ。
今年は絆を取り戻す年だ。社会との絆、会社との絆、人との絆、これは重要な仕事だ。やるべきことが次々と見つかる。良きことが雪崩のように起きるとはこのことだったのだ。心は絶え間なく移り変わる。水のように留まるところを知らない。それでいいのだ。流れるに任せておけば自然に良きことを見つけてくれる。タオの思想だ。無理をしたり、せき止めたり、がんじがらめに縛ったりしても思うようにはいかない。善良な状態を保つだけだ。簡単なことだ。生まれたままの赤子のように、純情で素直で善良であっていいのだ。
新聞読むのが遅くなった。良いんだよ。オーケーだよ。人が離れていく。良いんだよ。魅力がなくなった。良いんだよ。オーケーだよ。ゆっくりで良いんだよ。こんなにも大きな気付きを得たんだからもう大丈夫だよ。ゆっくり味わおう。人生の素晴らしさ、世界の美しさ。善良な人間には世界はどこまでも開かれている。全世界の真理と善と美が集まってくる。ゆっくりと人生の果実を味わうが良い。善良な人間は固く守られる。篤く保護される。善良な人間は争わない。争わずにすべて望むものを手に入れる。よきことが雪崩のように起きる。絶え間なく。善良な人は愛され、愛することができる。愛はお金では変えない。どんなに資本主義が進歩しようと、技術が進もうと決して変わることはない。itで愛が買えるか。そう思い込んだ男は犯罪者となった。善良であれ。単純な真理だ。
善人への第一歩を踏み出したばかりだ。前は義人という言い方をしていた。同じことだ。既に気付いていたのだ。
善良であること。それだけだ。クリアーすべきことは。自分に課すことは。でも善良になることで色々気付くだろう。自分の悪い点、改善点。今までは全く気付かなかった。それをどんどん直していくのだ。いくらでもやることはあるのだ。遊んでいる暇はない。でも楽しみながらゆっくりでいいから。何の競争でも張り合いでもないのだから。良きことはゆっくり静かに起こるのだ。
ミナミに行ってきた。面白かった。すごい人出だった。デパートもすごい混雑で、少し恐かった。ただ福袋に群がる女心だけは良くわからない。女の戦いなんだろうな。やっぱり世の中の見え方が明らかに変わってきた。勿論良い方向に。これ以上の喜びはないのじゃないか。z氏のことを一時は憎んだりしたものだが、今となってはきっかけを作ってくれた恩人として感謝できる。善良さを結局は教えてくれたのだ。わからずやの私に。薬は私を普通の人間にしてくれる。素晴らしい。善良な私。
徐々に慣らし運転をして行こう。いきなり全開バリバリだときっとまたこける。慎重に行こう。長い引きこもり生活で相当変になっている。気をつけよう。
善良である。nhkを見ている。美しい。正月っていいな。わだかまりが解ける。日本はいいな。子供が可愛い。家族っていいな。今年こそ結婚しよう。



2007年01月01日(月) 新年

明けましておめでとう。昨日はワインを飲んで酔いつぶれて寝てしまい、紅白も格闘技も見られなかった。何か間が抜けている。でも無事に新年を迎えられたのは良かった。初日の出も見られた。ついている。一人さんがついてるといいなさいというのはこのことかと思った。ツイテルかどうかは主観でいかようにも変えられる。ついてないと思うのは勘違いかもしれない。初日の出が見られた。ツイテル。たまたま買った売れ残りのワインがおいしかった。ついてる。ぶりの刺身がおいしかった。ツイテル。蕎麦がおいしかった。ついてる。全て良いように考えることができる。ポジティブシンキングに近い。これを習慣にしていれば人生にプラスの勢いがつく。全て好循環になるだろう。やっぱり今年はいい年になりそうだ。そう思っていればいいことが起こると一人さんは言った。本当にいいことが起こった。素晴らしい。今年はいい今年か起こらないな。余りにもついてるので、悪いことが起こる暇なんてない。嬉しくなっちゃうな。
自分がすごくクリアーに見えてきた。この年になって自分がクリアーに見えるなんてすごいな。嬉しいな。これからは良い人生が開けるぞ。よきことが雪崩のように起こるぞ。楽しいな。善良であれば、やがて人の理解が得られる。信用が得られる。愛情が得られる。統合失調症の人は重大犯罪を起こすことが多いという。一般の人が統合失調症を恐れる理由は根拠がないではない。三島もあんな恐ろしい愚行を犯した。生前から人を殺したいといっていたそうだ。誰でも思うが実際にやる人はいない。自分を殺したのだ。私のような人間でも悔い改めて、自分の欠点をよく自覚し、人の言うことをよく聞き、善良であり続ければ、人の信頼と愛情を得られ、よき人生を生きることができる。最近漸くそのことがわかった。やっぱりツイテル。
自分の人生が非常に早い時期から大きくそれて行った様をありありと理解できるようになった。それがわかればそれを今からでも正しい路線に引き戻すことができる。人の信頼を勝ち得ることができる。善良であることだ。自分は善悪の区別が付きにくい。これは多少はもって生まれたものかもしれないし、ある程度は偶然によるものかもしれない。でも今更そんなことをいっても仕方がない。個性ということもできる。人のやらないことができる可能性もある。ニュートンも統合失調症だった。邪悪ではあったが、人類に大きな貢献をした。発病に至らなくてもそういう傾向を持ったものは数多い。実際に発症するだけでも100人に一人か位で珍しくない。そういう傾向を持った人間だったら、全員かもしれない。人を殺したいと思ったことのない人間はいるだろうか。全員がそういう素因を持っている。統合失調症とは人間だけがなる非常に文化的な病だ。言葉を操り、操られる人間だけがなる。私が統合失調症だからといって、珍しくもなんともない。逆に非常にわかりやすい、素直な人間だということだ。人類を進歩させたのは統合失調症の人々だ。進歩といえるかどうかは微妙だが、ニュートン力学なんか生きていくのに必要ではない。月にロケットで行く必要なんてないのだ。それを進歩と呼ぶことは微妙だといっているのだ。
善良であろう。人を好きでいよう。自分を好きでいよう。一人さんの言うことがすごく良くわかる。自分がなぜ発症したかも非常によくわかる。これから生きていくにはどうしたらいいかもとてもよくわかる。簡単なことだから、今すぐできる。既に実行して抜群の結果を出している。私は自分がどうして多くの過ちを繰り返してきたかそういう人間になってしまったかを克明に理解した。それをここで長々と書くこともできるが意味がないし、その時間があったら、やりたいことがたくさんあるので、そうしない。
善良であること素直であることは至極簡単なことだ。生まれつきの自分であればいいのだから何の努力も要らない。一番楽で苦労も苦痛もない。自然で人間の本性にかない、誰からも理解され、支持される。こんないいことはない。今まで自ら茨の道を歩いてきた。それを自然な大道に戻ればいいだけの話だ。ああ、素晴らしい。幸せだ。もっともっと幸せになれる。嬉しい、楽しい。ツイテル。ありがとう。感謝します。許します。
善良であること、幸せであることを恥じたり、照れる必要があるだろうか。全くない。幸せになって良いんだ。善良になって良いんだ。ラッキーで良いんだ。喜んで良いんだ。楽しんで良いんだ。
今年はゆっくり行こう。脳がぼけててちょうど良い。父は頭が回りすぎて酒で穏やかにしていたのだ。どんなに飲んでもはっきりしていた。善良であろう。簡単なことだ。一番簡単な道だ。邪悪であるためには不快な気分に耐え、良心の呵責に苛まれ、危険に曝され、実際傷つき、心が汚れ、評判を台無しにし、返り血を浴び、更に処罰され、追放され、何もかも失う。なぜそれでも邪悪であろうとするのか。狂気以外ありえない。狂気を逃れる唯一の道は善良であること。宗教に帰依しても良い。というか必須だ。西洋人やイスラムの人は例外なく神を信じている。日本人はゆるすぎる。宗教なしでどうして生きていけるのか。でも日本人が宗教的ではないというわけではない。特定の神が必要ないくらい宗教的に生きているともいえる。
地球が天国だという話も今は非常に良くわかる。戦争もないし、疫病もないし、死刑や残虐な刑罰は一部を除いて存在しない。良い薬が開発され、少々の心身の病気は治ってしまう。芸術芸能は花開き、デジタル家電やitは百花繚乱だ。不景気だなんだといっても食うに困るわけでもなし、飽食の世の中だ。長寿世界一だ。こんな良い国に生まれて、不平不満を言うなんて罰当たりだ。
雑煮がすこぶるおいしかった。昨日のふく鍋のだしでもちを煮てみたら、今まで食べた中で一番おいしい雑煮になった。年末から高いものをいっぱい食ったが、一番安いこれが一番おいしかった。人は一所懸命働いて、よく遊んでいれば安いものでも極上のご馳走だ。すっかり生まれ変わった私への神様からのお年玉だ。
脳のぼけもだいぶ回復してきた。いったん壊して新しくいいものを立て直すのだ。何度でも。一人さんは自分をやっつけているという。その意味はそうだ。あの人の攻撃性が人に向かうと大変なことになる。だから自分に向ける。父もそうしていた。そしてそこから上へ上へと伸びていくのだ。父はある意味大河のような人だった。父の大きさが今までわからなかった。私もそうして生きて行こう。
もやが晴れるように新しい景色が見えてくる。ゆっくりと。気分上々だ。パニックになったり、うつになったりしない。これからは決断と実行の年だ。自分がもう悪いことはしないとわかった以上、良いことがどんどん起こるツイテルヤツだとわかった以上、社会に貢献でき、豊かになり、幸せになるチャンスだ。人や社会を幸せにできる。
今年賀状を取りに行ったら、変な掃除のおばさんが掃除機を持って私を追い回していた。キチガイじゃないのか。元旦から嫌がらせか。気をつけよう。一人さんの言っていた修行とはこのことじゃないのか。結婚すると連れ合いが嫌がることをこれでもかとしてくる。それは修行だと。私は結婚していなくても世の中の女がこれでもかと嫌がらせしてくる。自分はそういうもので気分を害されないぞという固い決意が必要だ。それは自分が善良であり、終生善良であろうとする固い決意が自信になり、どんな嫌がらせにも動じない強い心を持つことができる。さっきも余り嫌がらせするようなら止めてくださいとはっきり言う勇気がすっと立ち上がってきた。それは怒りではない。自分を守る勇気だ。
今年も年賀状は数枚。しかも会社関係からはほとんどない。hも寄越さなかった。あんな気分の悪いヤツからいらないけど。これこそ修行だ。
九月以降はパニック状態で人前に出られる状態じゃなかった。医者も変えて心機一転出直した。そうすると少し運が向いてきた。ゆっくり回復している。無理は禁物だ。私は自分に多くを期待しない。脳がぼけだめ人間になってもいいじゃないかと思う。オーケーだ。そんな自分でもオーケーだ。ゆっくり行こう。スローライフだ。これからは良いことしか起こらない。よいことしか考えないから良いことしかしない。善良になる。人を好きでいる。自分を好きでいる。幸せだ。めでたいな。
もう恐れない。パニックにならない。動じない。気分悪くならない。怒らない。仏教は紀元前後のインドという巨大文明の中で生まれた非常に人工的というか文明的な宗教である。当時のインドは現代の資本主義社会に良く似た状態だったという。そんな先進的で都市的な宗教が日本のような農村型社会に合うだろうか。あまり合わないので、日本人は自分たちに合うように勝手に変えてしまったのだ。浄土真宗に至っては元の仏教の面影もない。しかも江戸時代を経て宗教性は骨抜きにされてしまい、葬式仏教とまで揶揄されるに至った。今の仏教に日本人を救うような要素は何もないんじゃないか。せめて親鸞までだろう。親鸞の教えに立ち返ることは有益かもしれない。日本に土着した仏教の最終形だろう。
善良であれば気分悪くならない。パニックにならない。人を嫌いにならない。善良であるとは人の本性にかなうことだ。人が善良であると信じることは無邪気で危険な行為ではない。人は信頼に足る。善良であると信じるに足る。自分が善良と信じることと同じくらい重要なことだ。
私は学校でうまく行かないからといって家族の皆さんを不幸にしたと思う。自分が悪いから嫌われ、非難されるのに逆切れし、攻撃する。今も変わっていない。姉がなぜ私を毛嫌いしたか今は良くわかる。自分が危害を加えられる可能性のある人物を受け入れることはできない。私が今、hやzやkを受け入れられないように。でも脳がダメージを受けなかったら、こんなに大切なことに気付かなかった。多分。だから人生に無駄はない。今こうして苦難の日々を過ごしているがきっと重要な意味を持ってくる。現に今それを私はつかんだ。私は十分幸せだ。幸せだということに気付けばいいだけだ。狂気から抜け出す道は終生善良であるという固い決意だけである。終生人を好きで自分がすきという当たり前の決心をすることだ。誓いである。社会との約束だ。長いことかかってやっと悟った真理である。中学のときにもっと前に悟るべきだった。
過去に重ねた重大な罪は病気によるものだったと推測している。だから穿り返して自分を責めても無意味だし、自分に酷だ。悔い改めて上記の誓いを実行するのみだ。死ぬ間際になって、ああ、いい人生だったと振り返ることができればそれでいい。きっとそれは可能だと信じる。今既にその奇跡が起こりつつあるからだ。egに行ったときに起こったことはこの奇跡の序章に過ぎず、何も理解していなかった。狂気の中にいた。今はそうでないと確信できる。知りたいと欲していた人生の秘密を知ったと確信できる。
私がパニックになったり、うつになったりするのは完ぺき主義だからだ。自分にも人にも完璧を求めるから息苦しく、不安になる。不安はなくならない。なくす必要もない。一人さんがそう言っている。私の考えと一人さんの考えが自然に一致するようになって来た。一人さんは当たり前のことしか言わない。だから常に正しいし、間違わない。だから成功するのは簡単だといえるのだ。私は簡単なことや当たり前のことが嫌いだった。でも今は違う。真実はいつも自明で簡単なことだ。信長のような天才は5百年に一人くらいで良い。本当に世を治めるのは家康のような凡庸な人物なのだ。平凡で当たり前のことしか言わない普通の人が一番偉い。一人さんもそう言っている。
今まで法に触れることをした記憶はないが、人の道にそむくことばかりしてきた。普段考えることもすべて100%そうだ。そんな人間が信頼されるわけがない。仕事も人間関係もうまく行くわけがない。でもそれは小さい頃からの病気が原因だったと今はわかったので自分を責めたりはしない。今私は生まれ変わりつつある。はじめてそう実感できる。egのときも実際はそうではなかった。当時よりも休み始めたときよりも今のほうが絶対的に比較にならないほど良くなった。当時は盲目だったのが今は蒙が開かれたからだ。すごく落ち着いた。病気が軽快した。専門用語で寛解というらしい。人は善良で優しく気高く、価値が高い。この年になるまでそのことを理解できなかった。今日はすごいな。良き言葉が泉のように湧いてくる。良いことしか考えないという誓いどおりだ。本当に私は生まれ変わったと信じられる。
方違神社に行ってきた。長蛇の列ができていたので並ぶのが嫌いな私は諦めて変えることにした。別の入り口から並ばないで入り、一応雰囲気だけ味わった。まあちょっとした下流の匂いが漂っていて快いものとはいえない。脳のぼけもここまで回復した。これを回復させるのが愉しみだ。リハビリみたいなものだ。塗り絵とか奥の細道の習字なんかいいんじゃないのか。善良であることは若干の不安を感じさせるものではある。でも私の道は間違っていない。ただ凡人の忍耐強さには真似できないものがある。それが善良さというものだ。忍耐強く働く。それが人間というものだ。ただ脳のダメージでパワーが落ちているから非常にきつい。可能だろうか。zからダメ出しされている。このままじゃまずいと。さっきも人ごみに入るとさすがに少し足がすくむような気がした。でも良い変化だと思っている。今まで見えなかったものが良く見えるようになった。
親兄弟にはずいぶん迷惑をかけた。その意味は家庭内暴力のような凶暴なはっきりした犯罪行為だけでなく、心理的、道徳的、倫理的攻撃にも及ぶ。姉は私を毛嫌いし、しばしば罵った。でもそれは私のほうに問題があったことは確かだ。でもそれは病気のせいだから、道義的に批判されても私にはどうすることもできない。でももうこの年になるとさすがにおかしいと気付いた。道徳的な罪も十分罪である。社会では受け入れられない。例えば、中学のとき、些細なことから家族が嫌いになり、親兄弟を拒否した。クラスの人間も拒否するようになった。そういう行為が家族の雰囲気を悪くするとは考えが及ばなかった。むしろそうやって報復したいと思っていたかもしれない。今脳がダメージを受けて非常に不安を感じる。一人で生きていけるだろうかと思う。これまでのやり方では無理なことは明らかだ。高い道徳水準を維持して、努力しないとダメだろう。それはきっとできると思う。才能とか天才とか関係ない。真面目で普通の勤勉な人間にならないといけない。非常にふざけた道徳水準にある私を、まともな人間にすることは可能だろうか。脳に何か障害があるのだろうか。それはないと信じる。善良であれば、薬を飲めば、必ず乗り切っていける。成長できる。遅すぎるということはない。棺を覆うその日まで人間は成長できる。固く信じている。幸せになれる。善良になれる。人を好きになれる。自分を好きになれる。
これだけ長いことかかったが、私は完全に正常化した。今まで正常だったことはほぼ一瞬たりともなかったことを考えると、奇跡のようだ。こんなことが自分に起こるとは信じられない。それでもかつてのように躁状態や有頂天になったりはしない。すごく理想的な状態だ。本当に長くかかったが、本当によかった。色んな偶然が重なったこともあるが、忍耐強く頑張った自分を褒めてあげたい。知能なんか今くらいで生きていくのに十分じゃないか。お金もそうたくさんはいらない。商人は仕事で必要だから、お金をたくさん持っているのであって、生きていくのにそうたくさんは要らないと一人さんも言っている。私もそう思う。善良であることが全ての扉を開く。奇跡のように雪崩のごとくよきことが起きている。今私は救われようとしている。一人の人間が今救われつつある。良かった。本当によかった。嬉しい。楽しい。ツイテル。幸せ。ありがとう。感謝します。許します。本当に心からそう言える。幸せになったときというのはめでたさも中くらいという気分だ。だって当たり前のことに気付いただけだから。抜け道を探して歩いた挙句、この列に並んでくださいといわれた気分。全然オーケーなんだけどね。それでまともな人間に戻れると確信できたから。
ああ一日が長い。歓楽きわまりて哀情多し。少しずつ脳が回復しはじめていることを実感する。愉しみだ。回復した上に別の新しい人間に生まれ変わっていく。素晴らしい。脳外科手術によって統合失調症を治したようなものだ。
いい正月になった。もうだいぶ飲んでます。神です。でも穏やかです。nhkを見てます。満ち足りてます。どんどん回復していくでしょう。ダメージを負って正解だったといえる今日この頃です。
神五郎です。今晩は。完全に酔っ払っています。でも今が一番いい気分です。


 < 過去  INDEX  未来 >


リスパ

My追加