希望の日記

2006年11月30日(木)

朝起きるとめまいがする。風邪も治らない。でも頑張っている。良いんだよ。俺。ゆっくりやろう。弱いものに優しくしよう。私は弱いから優しくしていいのだ。情が足りないなと思った。人に対しても自分に対しても薄情すぎる。小泉のようだ。人に対して自分に対してそんなに情がないとだめだ。b校でも情がなかったからいけないんじゃないのか。fに対しても情がなかったから怒り出したんじゃないか。勿論近づくべきでなかったのだが、近づいた以上は情があっても良かったんじゃないか。わからない。とにかく情がなさ過ぎる。職場でもそういう問題じゃないか。感情がない。弱者に優しくするとか誰に対しても慈悲の心を持つとか。それができないと会社勤めはできない。
不安だけど頑張ろう。きっと良くなる。情がわかっただけでも良い。人と人がいれば必ずそこに情が通う。それを遮断することはできない。それが一番悪い点じゃないか。弱者に優しくしよう。ルールを守ろう。人の痛みをわかろう。弱いものいじめをやめよう。自分を大切にしよう。人を尊重しよう。社会を愛そう。反社会的考えはやめよう。
中学のとき情を失ったのだ。家族からもクラスからも心を閉ざした。情を取り戻そう。頭が痛い。めまいがする。眠れないのがきつい。どうして眠れなくなったのか。無理はせずゆっくりやろう。ボーっとするし、吐き気がすることもある。何も興味が持てないし、本が読めない。人に会わないほうが良い。
ゆっくりやろう。弱者に優しく、というなら自分に一番優しくしよう。
n課長が会ってくれたときも情がなかったので嫌われたと思った。どうして情を大事にしないのか。情以外ないじゃないか。それを拒否したら自分が生きられないじゃないか。情を次々に拒否するからこんなにおかしくなったんじゃないか。情は大事だ。
人情だなと思う。大事なのは。自分がそう思っているのに。そういわれると拒否するのはおかしい。情が大事だ。人情が。これまでそれを否定し続けてきたのでだめだったのだ。恐怖心からか。fのことも情を拒否することからおかしなことになるのだ。和尚さんのことも結局情がないからうまく行かなかったのだ。情だと思ったとたんに脳の血流が良くなったようで頭痛が少し軽くなったような気がした。頭のボケやめまいはやがて治るだろう。情が大事だ。残酷ではいけない。優しく思いやりがないとだめだ。仕事でもそれが基本だ。
さっきはものすごくしんどくなって発狂しそうだった。fとのことがフラッシュバックして今でも恐い。ネットでも攻撃された。情を忘れて邪慳にしたからといって、ストーカーみたいになって攻撃してくるというのはやっぱり恐い。あの一夜レイプされたみたいな気がした。あの夜から全ておかしくなった。母親とまでもめてしまった。情を取り戻そう。誰との間でも情を取り戻そう。人情がなかったら付き合うことができない。私と誰も付き合ってくれないのは人情がないからだ。人情を思い出そう。私にもあるはずだ。自分で踏みにじってはいけない。情を思い出せばこの苦境は乗り越えられる。弱者に優しくする。弱者を助ける。人の痛みを知る。自分も人も尊重する。社会を愛する。社会のルールを守る。情を大事にすれば必ず復帰できる。あの夜以来人格が崩壊して情が受けられなくなって、医者ともカウンセラーともうまく行かなくなった。母親とさえうまく行かなくなった。職場でうまく行くだろうか。脳がぼけてきたし。脳がぼけても情が戻ればうまく行く。
大泉緑地に行ってきた。2,3不愉快なことがあった。変なランナーがわざとぶつかりそうにしてきた。馬鹿にしている。公園は皆のものだろう。何でそんなことをされないといけないのか。情けなくなった。帰りに自転車の後部座席に乗った子供に怪しいといわれた親が言っているに違いない。私は表を歩いてはいけないのか。毎日何か馬鹿にされたり不愉快なことがある。ぼけてから特にひどい。
しんどい。日に日に疲れていくような気がする。うつがひどくなる。人情が大事だ。情が大事だ。今は頑張らなくても良いし、いじめられても気にしなくてもいい。弱者に優しくしよう。一所懸命仕事をしよう。弱いものいじめをやめよう。反社会的な行為はやめよう。
しんどい。もう頑張らなくて良い。最小限のことさえやっていれば良い。無理をしてはいけない。世の栄えた人たちなんか関係ない。元気になってからまた見たら良い。自虐的になってはいけない。



2006年11月29日(水) 晴れ

今日は良い天気だ。今朝起きたときは苦しくて、気分が悪かった。強くて大きいものに恐さを感じる。頭が痛い。自分が馬鹿になった気がする。
悪いことはしない。弱いものに優しくする。弱いものを助ける。ルールを守る。一所懸命働く。人の痛みをわかる。義務を果たす。
無意識のうちに悪いことを考えている。私の姉も同じだ。悪いことが口から出てくる。そういうことは治るだろうか。弱者に優しくしよう。
ゆっくり休もう。悪いことをしても仕方がないんじゃないか。絶対通らない。無慈悲なことをすれば自分に返ってくる。私は両親にしたことを本当に心から悔いている。いくら悔いても足りない。私は100%気が狂っていた。許してほしい。弱いもの、無抵抗なものをいじめてはいけない。これからの人生はそのことだけを考えて生きてもいいんじゃないか。強くなりたい奴はなれば良い。お金をもうけたい奴は儲けたら良い。私は慈悲を実践していく。弱いものを助けよう。kさんが「何で付き合うんや」というから付き合ってはいけないような気がして、邪険に扱ったらものすごく攻撃してきた。そしたら私が精神に変調をきたした。これは私の責任だろうか。私が無慈悲なことをしたからじゃないか。無慈悲なことはしないことだ。最初から会わなければよかった。今は誰とも会いたくない。z氏とも会いたくない。人格が崩壊したような気がする。弱いものをいじめてはいけない。自分をいじめてはいけない。人をいじめてはいけない。自他を傷つけてはいけない。
せっかくあの頃あんなに元気だったのに、今は廃人のようだ。ptsdだ。ゆっくり回復を待つしかない。あのころも躁状態で良い状態とも言い切れなかったのじゃないか。優しい気持ちが大事だ。弱いものに優しくする。弱いものを助ける。ルールを守る。人の痛みを知る。しんどい。しんどいときは休んだら良い。何も悪くない。人と接しない方がいい。誤解されていじめられる。
しんどい。信じられないくらいしんどい。朝から臥せっている。めまいがするし、吐き気がするし、気分が悪くなる。復帰も不安だ。
今は焦っても仕方がない。待ちの一手だ。脳がぼけている。それも仕方がないだろう。狂犬に噛まれたようなものだ。それまでも色々危険なものに手を出していたじゃないか。b校とかegとかあのキチガイとの出会いで私の中で何かが切れた。ひどい暴力を受けたような気がした。人に優しくできなくなった。本当にひどい損害だ。何であんなのと付き合ってしまったのか。それよりなんで森田なんか行ってしまったのか。何もかも台無しだ。人に対する攻撃性が跳ね上がってしまった。母親に借金の無心をしたのはその後だった。頭がおかしい。今はすっかり正常だ。どういうところでわかるかというと、弱者に優しくしようとか、ルールを守ろうとか、人の痛みをわかろうとか誰にでも慈悲をもって接しようとか本当に心から思うようになったからだ。暴力を憎み、不正を憎む。この当たり前の心を取り戻すのに何十年もかかった。人を苦しめてはいけない。無抵抗の人間をいじめてはいけない。そう考えるときに初めて大人になる。今日は電車の中で高校生がけんかをしていた。男の子は本当に馬鹿だ。女のこの方が数段大人だ。
今日は延命寺に行ってきた。紅葉のきれいなところで、平日にも拘らず多くの人で賑わっていた。目が少しはっきり見えるようになった。この分で行けば何とかなるんじゃないか。今は焦っても仕方がない。医者にそのことを言っても仕方がない。うつとボケと一度には治せない。じっくり時間をかける以外ない。とにかく攻撃性を抑えることだ。できるだけ心が穏やかになるようにしよう。弱者に優しくしよう。弱者でなくても誰にでも優しくしよう。本来の優しさを取り戻そう。そしてしっかりそれを維持しよう。
弱者に優しくしよう。女子供、老人は絶対弱者だ。優しくしよう。助けてあげよう。
何で攻撃的なんだろう。おかしい。あのおっさんと変わらないじゃないか。弱者に優しくし、一所懸命働くならば、そういう悪い性格は直るだろう。b校や職場や森田でいじめられたのは私の犯罪者的性格によるのではないか。どうしたら治るか。心から悔い改め、弱者に優しくすることだ。人の痛みがわかることだ。人と心の交流ができないというのは実におかしい。私がどれだけ変であっても親兄弟は相手にしてくれるが、社会はそうはいかない。この犯罪者的性格を必ず直そう。今すぐ直そう。
私は本当に精神病だろうか。人格障害の気はあるが今のところ精神病ではないんじゃないか。欝は精神病ではない。誰でもなる。私の問題はほとんど意志の力で何とかなるものじゃないか。悪いことをするまいとか、考えまいとか、弱いものいじめはやめようとか、弱者を助けようとか、差別をやめようとか、ルールを守ろうとか一所懸命働こうとかおかしな奴と付き合うまいとか。意思の力で100%コントロール可能じゃないか。これからは意志の力で何とかしよう。心理療法なんかどうでもいい。



2006年11月28日(火) 浅香山

今朝は少し眠れた。夜中2時に目覚めて朝方少し眠れた。昨日より不安な感じがしたが、起きると少し元気だった。世の中のことに興味が持てない。希望が持てない。目がかすんでからぼけてから自信がなくなった。人から馬鹿にされることが多くなった。ついていけない感じがする。世の中が遠いものに思える。生きていけない感じがする。今は余計なことは考えないでじっくり休もう。昨日よりは少し良い。余り無理をしないでゆっくり休んだからじゃないか。今日もゆっくり休もう。休んでいられるのは素晴らしいことだ。無理をしないで休もう。外界がわずらわしい。世間がわずらわしい。人が恐い。
浅香山病院に行って来た。紹介状が必要ということで、kクリニックの方に電話せざるを得なかった。やっぱり直接先生と話しないといけないみたいでややこしい。気まずい。人の気持ちを考えない行為になるのかな。不安で焦って馬鹿なことをしてしまったのか。やっぱり人を傷つけたい気持ちがあるのか。人に思いやりを持って接したい。誠心誠意対したい。今日の浅香山病院の受付のお姉ちゃんとはうまく行った。思いやりと優しさを心に持って対したからだと思う。
何か混乱してきた。やがて終息するだろう。復帰のこともそろそろ考えよう。思い通りにならないからといって自棄を起こしてはいけない。職場が気に入らないからといって、大事にしなかったら失うことになる。自分が気に入らないからといって、傷つけたら自分が苦しむだけだ。このボケも元はといえばそうだ。病院もうまくいかないといって他の病院に移っても自分が苦しむだけだ。味方を失うんじゃないか。先生はやっぱり怒っているようだった。もう来ないと思っているみたいだった。そういうつもりではないのに。
頭がぼけてから不安になった。何かに頼りたくなってへんな宗教団体の集会に行ってしまった。電話がかかってきて不安になった。
先生にも見捨てられたようで不安になった。今は余り動かない方が良いかもしれない。世の栄えた人々の話を聞いても興味が湧かない。権力者や財界人や芸能人、芸術家のことを聞いても何とも思わない。このぼけた頭で復帰できるのだろうか。
株の配当を受け取りにいったら、身分証明を求められた。明らかにおかしい。嫌がらせだ。不要に決まっているのに。身なりや風体で決めるのか。この手の嫌がらせを最近良く受ける。でも怒らないようにしている。今は忍の一字だ。ぼけてるから怒る気力もない。b校でも本当に嫌がらせを受けた。ずっといじめられていた。私は世の中のことがわからないのだ。ずっと人と付き合ったことがない。男であれ、女であれ。ぼけてくるともっといじめられるのか。寒々しくなってくる。自虐はやめよう。今は何もできなくてもいいからゆっくり休もう。今日は昨日よりはるかに元気だった。病院に行って、何件も電話した。午後からは公園に行った。ぼけているから脳のパワーが落ちていて疲れやすいのだ。神の声に従うのみだ。神の目から見たらどうか。その通りに行動しよう。弱いものいじめはやめよう。弱者を労わろう。弱者を助けよう。反社会的考えをやめよう。差別をやめよう。ルールを守ろう。
今ぼけているから、誰とも会わない方がいい。危害を加えられることもある。今日電話で「診察券」と何度も言われたのに健康保険の番号を言っていた。ボケ老人みたいだった。復帰したらどうなるのだろう。パキシルはよく効いている。でも脳がぼけているので訳がわからない。しんどい。いまだかつてなくしんどい。一日を過ごすことができない。不安に襲われて病院に行ったりしてもかえって不利益を受けそうだ。
誰にも会わないのが自分を守る最善の方法だ。しゃべるだけ、見られるだけで危険だ。今日も郵便局で被害にあった。観光地とか行っても恐い気がする。楽しくはない。不安で早く帰りたくなる。自分が馬鹿になるとは思わなかった。人に会わないほうが良い。仲良くするなんて無理だ。しんどい。これだけしんどくなったのは初めてだ。ぼけると本当に無力感を感じる。騙されるとか馬鹿にされるとか、危害を加えられるとか、利用されるとか、色々な危険がある。家の中でずっと過ごすのも苦痛だ。でも外出する体力もない。公園に行くとつばを吐かれる。人間が恐い。
結局私のやっていることは全て人を傷つける行為になっている。ただ当てもなく出歩く行為も普通はやらない。図書館とかネットカフェとかに隠れている。何かを刺激する。スポーツジムに行くのも朝カルに行くのも同じだ。
少し調子が良くなった。きっと完治するだろう。何で自ら不利な立場に自分を置くのか。調子が悪ければ誰にも会わなければいい。それで切り抜けられるのにパニックになる必要はない。
ちょっと元気になってきた。誰にも会わなければ全然困ることはない。自分から困る事態に自分を追い込んでいる。何も困ることはない。楽しいことはある。頭が少しはっきりしてきた。弱いものをいじめない。ルールを守る。何も恐いものはない。楽しいことは山ほどある。これから楽しいことをやろう。



2006年11月27日(月) 雨の月曜

昨日はやや眠れた。7時半に床に入って3時頃に目が覚めたろうか。いつものように寝床の中でまどろんでいた。頭がはっきりしなくて妙に気分が悪かった。頭が働かない。それはそれでいいのか。ゆっくり回復するのか。頭が痛い。吐き気がする。新聞が良く理解できない。目がかすむ。これもゆっくり治っていくだろう。パニックになるな。神を信じて神の声を聞いて忠実に従おう。一所懸命真面目に働こう。自分を尊重しよう。人を尊重しよう。弱者に優しくしよう。馬鹿なことばかりやってきた私だが、心を入れ替えて頑張る。神に従って生きる。
芸術がわからなくなってきた。芸術だけじゃなく、政治経済何もわからなくなってきた。脳にダメージを受けた。でも基本的なことがわかれば生きていける。人の心をわかろう。弱者を労わろう。人の痛みを知ろう。自立しよう。怠惰を憎もう。暴力を憎もう。
私は頑張っている。私の脳も頑張っている。頑張りすぎて疲れているんじゃないか。本格的なうつになってきた。神に頼ろう。神の言うとおりに生きよう。弱いものいじめはやめよう。お調子者はやめよう。ルールを守ろう。自分を尊重しよう。他人を尊重しよう。社会を愛そう。
とにかく今は弱くなっているから決して無理はすまい。とにかく休もう。元気になってからバリバリ働いたらいいじゃないか。あの時ああしたらといっても仕方がない。そうなるべくしてなったのかもしれない。今は最低のときだ。底だ。これから徐々に上向きになっていくのだ。今日は完全休養日でも構わない。ゆっくりしよう。
世の中についていけない感じがする。でも今はそんなこと言っているときじゃない。ついていこうと必死になるのはもう少し先で良い。今はゆっくり休もう。休んだ方が直りが早い。
この間あの店から電話がかかってきたときから調子悪いかもしれない。マインドコントロールされる経験をしてから。気にしない方がいいか。29数年前発狂のきっかけになったのはあるカルト集団からの誘いであった。あれを思い出す。
とにかく今までで最低だ。闘病に疲れてきた。これ以上どう休むのだ。パキシルが効かない。外に出ているだけで関係のない奴に馬鹿にされる。人と接触しない方がいい。
体力的にもきつい。外に出たくない。過覚醒は続いているが、ぼけているので眠れたりする。人を見ると暗い衝動があったりする。頭が悪いほうに勝手に動く。勿論悪い遊びだ。変な作家の影響だ。でも心には良くない。なかなか微妙なことになってしまった。クスリは効かない。本は読めない。夜は眠れない。昼は居場所がない。食べるものも作れない。仕事はできそうにない。頭はぼけている。相談しようにも相手がいない。相談しても関係が作れない。人が受け入れられない。今はこれで仕方がない。全ての仕事を休んでゆっくりするしかない。怠けているのでもだらけているのでもない。あと一週間くらいこれで様子を見よう。
脳がぼけるとミスが多くなり、勘違いや失敗が増えるばかりでなく、集中や持続に困難を覚えて疲れやすくなる。これが復帰を心配する理由だ。ボケは治る。そう信じよう。低空飛行でしばらくは行こう。馬鹿にされてもいいじゃないか。
神に従い、神の声に忠実に行動するならば、少ないパワーでも社会に貢献できるだろう。弱いものいじめをしない。誰にでも慈悲心を持って親切にする。残酷なことや無慈悲なことをしない。自分や他人をいじめない。一所懸命働く。社会のルールを守る。常識を守る。弱者を助ける。自分のために頑張る。誇りを持つ。愛を大事にする。
ちょっと起きて見た。気分は優れないが、無理しない程度に盛り上げよう。女性的な文学的人間が男社会の中で生きていくのは難しい。でも不可能ではない。黒井千次もいる。吉村氏もいる。清岡氏ももいる。男性的というのは乱暴とか暴力的とかじゃないだろう。暴力は憎むべきだ。私は純粋で無垢だ。騙されやすい、染まりやすいということだ。いつも悪いことに染まってきた。もう残りの純白な部分は少ない。でもその少ない部分で生きて行こうと思った。それ以外ない。悪いことをすることはあるだろう。非行少年はいっぱいいる。でも矯正して立ち直るのだ。本当に心から反省すれば生まれ変われる。さっきごみ捨てのとき、若い女が笑顔で順番を譲ってくれた。やっぱり変わったのだ。弱者に優しくしようという気持ちが出てきたのだ。
頭が痛いのは脳細胞が必死で復活しようとしているからだろう。あるいは残りの脳細胞で以前の活動をしようとするので、疲れて頭が痛くなるのだ。新聞は読めないことはないが、疲れてしまう。
どこに行っても馬鹿にされる感じで外出したくない。一応回復の筋道ができたような気もする。脳はぼけているがこれさえ回復すれば、復帰できそうな気がする。これには少し時間がかかる。性格って変わるだろうか。変える必要があると思う。少なくとも反社会的であったり、弱いものいじめをしたり、真面目に働かないというのは社会人ではない。立派な尊敬される人間になりたいと思わないのか。弱者を助けよう。自分を助けよう。
神の目で見よう。24時間神の目で見、考えよう。そうする時間は十分ある。何も考えずに行動するなんてありえない。自分が神だったらどうするか、そういうことを考えると自ずから正解に至る。誰の心の中にも神がいる。神を尊重しよう。自分を尊重しよう。人を尊重しよう。
今までのやり方ではだめだということがわかったということだ。この一年の苦しみはそのことを教えてくれた。心を入れ替えて頑張る。弱者には優しくし、残酷なこと、無慈悲なことはやめる。誰にでも慈悲の心を持って親切に接する。弱者は助ける。神の立場だったらどうするか考えて行動する。
とにかく今はゆっくり休む。今までで一番疲れた。今までのやり方ではいけないということだ。心を入れ替えよう。弱者に親切にしよう。弱者を助ける。今何を考えてもろくなことはないから、神の言うことだけ一所懸命聞いて過ごそう。
真剣にやらないとだめだ。車椅子の野球少年。感動した。あんな不幸にあっても明るい笑顔を忘れない。立派だ。見習って私も頑張ろう。
疲れてきた。今日も漸く一日が終わる。明日はもう少し元気でありますように。神に祈る。心を入れ替えた私に救いの手を。



2006年11月26日(日) 正暦寺

昨日は正暦寺に行って来た。朝は気分が悪い。頭が悪くなった気がする。人に馬鹿にされる。ボーっとしているからだろう。何か世の中から排除されていくようで恐い。復帰してもしんどくて続かないんじゃないかと思う。最初はあんなに元気だったのに。でも自分の人生が見えてきた。私は悪い人間じゃなかったのに。どこで歯車が狂ったのかと思う。でも今からでも遅くない。というか今すぐ心を入れ替えないと、本当に排除されてしまう。母と私のことは権力闘争だったのだなと思う。私の正体は女だ。でも男の役割を負わされている。そこから苦しみが生じる。母には決して勝てない。というか勝ち負けなんか初めからない。恩があるだけだ。人間恩を忘れてはいけない。感謝の気持ち。会社にも恩義を感じる。温情ある会社だと思う。私は脳が傷ついてパワーが落ちた方がいいかもしれない。弱いものの気持ちがわかるから。髪の立場に立ってみたらどうなるか。それをいつも一所懸命考えよう。それはちょっと骨の折れることだ。一瞬時間がかかる。でも人としての務めだ。何か脳が傷ついて以来、面倒くさくなってきた。行動がちょっと異様になってきた。思いやりもできなくなった。やる気もなくなった。何も面白いと思わなくなった。希望がなくなった。本当の欝っぽくなってきた。講演会とか行っても何も面白いと思わない。やる気がない。飲み会とか行きたくない。あの頃はあんなに元気だったのに。fの毒が効いて来たのか。今救いに思うことは神だけだ。神だったらどう見るか、それを知ることはそう難しくない。心の中に神はいる。誰の心にも神はいて、神の心を知ることはいつでもできる。ちょっと落ち着いたらいいだけだ。小林でも宅間でも正気だったのだから、ちょっと落ち着いて心の神に聞いてみたらよかったのだ。弱いものいじめをしない。弱者や困っている人は助ける。天知る地知る己知るという。神はいつも見ている。残酷なことや邪悪なことはしてはいけない。神無き世はない。冷静さを失ってはいけない。怠惰に陥ってはいけない。無気力になってはいけない。人や自分を傷つけてはいけない。正しいやり方をすれば、たとえ脳が傷ついて弱くなっても立ち直れる。パキシルもある。神の心に従うことだ。いつも従うことだ。立派に生きることだ。とにかく今は疲れているので誰にも会わないで誰とも接触しないで人前に出ないで、ゆっくり休むことだ。神に従うことだ。神に祈ることだ。
b校でいじめられたのも彼らが変わっているのもあるが私の行動もおかしかったということだ。いじめられる側も悪いという理屈だが、一面の真理だ。自らいじめられようとしている。憎まれっ子世のはばかるという奴か。
真面目に働こう。私の理屈は全く通らない。うつという以外に通る理屈はない。何か目が回る。普段からアルコールが回っている状態。ぼけている状態。ボーっとしている状態。治るのだろうか。吐き気がする。二日酔いだろう。
真面目に働こう。いじめられているというなら場所を変えてもらって働こう。それが良い。働くことが嫌になったわけじゃないだろう。そんなことは無い。働きたい。働くことは誇りだ。あそこで働いていた頃は誇りがあった。兄貴も会社で課長をやっていた頃は誇りがあっただろう。
女に対する態度もいたわりとか優しさでいいんじゃないのか。私の内部が女であっても女と争わないといけないことにはならない。中学高校の頃精神的におかしくなったので、女に対して冷静な態度が取れなくなった。母や姉に対してもそうだった。心は女であっても存在は男だ。男の役割を果たそう。それは弱者である女を労わることだ。好きになる義務はないが、優しくすることはできる。絶対弱者なのだ。社会的差別とか肉体的問題とか。そういうのは克服できない。だから絶対弱者だ。
私の人生は失敗だろうか。そうではない。そうだと思えばその瞬間にそうなる。諦めてはいけない。悪い点、直す点はいくらでもある。神の声に忠実に従うことだ。感謝の気持ちだ。恩義にこたえる気持ちだ。会社もそれに期待している。あそこの場所さえ離れれば、働ける。何だったら就農でもいい。働く期さえあれば仕事はある。肉体労働の方がいいんじゃないのか。
まず神の声に従って、真面目に生きよう。真面目に働こう。作家でさえも遊んではいない。必死で戦っている。誇りをかけて一所懸命やっている。誇りだ。私に必要なのは。
悪いことをいい気になって一所懸命やっている。独りよがりだ。ヒットラーだ。サドだ。悪いことをやって人を苦しめていいはずがない。やっと目が覚めた。頭がぼけたせいで正しいことに気付いた。人を苦しめてはいけない。母や父を苦しめた。兄や姉を苦しめた。それなのに私を見放さない。法律上の義務とはいえ、立派だ。良い家族に恵まれた。
自分自身の問題で長いこと苦しみすぎた。もっと役に立つことをしよう。神の声に従おう。忠実に。良いことをしよう。弱者を労わろう。自分をいじめるな。人を傷つけるな。真面目に働け。自明の義務だ。弱者を助けろ。神の声に従おう。弱いものいじめをするな。弱者を助けろ。真面目に働け。誇りを持て。人や自分を傷つけるな。尊重しろ。明るく楽しく生きろ。誰に対しても慈悲の心をもって接しろ。人に迷惑をかけるな。人の痛みをわかれ。差別するな。これらの教えを自明として忠実に実行しろ。
悪いことはするな。自分にも人にも悪いことや無慈悲なことはするな。決してするな。今から直ちに改めろ。どうして今までこんな気持ちで生きてきたのか。今からでも遅くないというより、今すぐに改めないと生きてはいけない。自分の中の神の声を聞け。忠実に従え。hやkがなぜ私を嫌うかというと私が人をいじめるからだ。差別したり、馬鹿にしたりするからだ。もうそんなことはしない。しなくていいのだ。する必要のないことをするな。
もう悪いことをしなくていいのだ。悪いことなんか全く嫌いだ。いいことがしたい。働きたい。働かずに嫌われて、自転車ぶつけられそうになって嬉しいわけないじゃないか。
森田のところに行って嫌われたのもそういう理由だ。人を平気でいじめる奴だから嫌われる。中学高校大学と友達が一人もいなくて、人間関係が全くできない奴が好かれる訳がない。今すぐ悔い改めよ。そうしないと生きていけない。今がそのラストチャンスだ。
こんな悪いこととか間違ったこととか、自分が苦しくなるようなことはしなくていいのだ。目のかすみは直りそうにない。仕方がない。自分がやったことだ。リストカットみたいなものだ。小さい頃道を間違えた。今からでも遅くない。頑張ろう。簡単なことだ。悪いことを止めれば良い。真面目に働けば良い。悪いことを押し通すこと、無抵抗な人間をいじめること、罪を罪と思わないこと。欲深いこと。反省しよう。西洋人的な悪い部分を取り入れてしまった。社会に出たときからおかしかった。修正しようとしたがだめだった。性的なことで人をひきつけることは良いことだろうか。善悪ではない。
自虐だ。自虐をやめよう。兄や姉は悪くなかった。母も父も悪くない。大変な恩を感じる。親孝行できなかった申し訳なさを感じる。
真面目に生きよう。真面目に働こう。人を尊重し、自分を尊重しよう。
神を信じよう。神の声に従おう。心を入れ替えよう。きれいな心になろう。真面目に働こう。勝ち負けではない。
何かちょっと具合が悪い。昨日飲んだせいでもあるからいつものことではあるけれども。うつ状態に脳のボケが重なってしまって尋常ではない状態。外から見てもおかしいとわかるんじゃないか。このおっさんなんか変やと。気分が悪い。酒を飲まない方がいい。脳のボケは徐々に治っていく。ゆっくり休むことだ。
芸の道は厳しい。e女史に散々言われたじゃないか。私は何となく好きなだけで書く力はないのだ。読んでもいない。小説とは何かについてもよくわかっていない。それでも目指すのだろうか。
神に従うことにした。自分が何をするかわからないので、神の教えを忠実に守る。きっと良くなる。人を傷つけない。自分を傷つけない。弱者を助ける。社会を愛する。反社会的にならない。神がせっかくこの世に私を生んでくれたのは良いことをするためだ。自分や人をいじめるためじゃない。一所懸命真面目に働こう。自分を尊重しよう。誇りを取り戻そう。
どうも具合が悪い。いつものことだ。幸せ。ありがとう。嬉しい。楽しい。女性には優しくしたらいいんじゃないか。好きとか嫌いとかは抜きにして。勿論好きでも構わないが、嫌うことはないんじゃないか。女性は絶対弱者だ。優しくしないといけない。労わらないといけない。それができないのは人間としてどうかと思う。お年寄りでも障害者でも同じだ。助けないといけない。
ぼけてからずいぶん人間が良くなった。悪くなってはいないんじゃないか。大事なことに気付いた。神に従うこと。悪いこと、残酷なことはしないこと、自虐や加虐をしないこと。ルールを守ること。一所懸命働くこと。真面目に働くこと、真面目に生きること。人を尊重すること。自分を尊重すること。差別をしない。誇りを持つ。常識に従う。慣習を守る。上のものの言うことは聞く。嘘はつかない。努力をする。
ぼけてから良くなった。ちょっと雨の中ミナミに出かけた。いつもどおり大勢の人で賑わっていた。どこにも行くところがなくて繰り出した私のような人々。でも私よりは幸せそうに見える。今日は一段とぼけて疲れているせいか、ゆっくり歩いた。伏目がちに。人の顔をみるのも遠慮されるくらい気が弱くなっている。でもいつもより自分が受け入れられている感じで不安を感じなかった。女たちは寛ぎ、何の不安もなく幸せそうに歩いている。少しだけ私もその気分を分けてもらった気がした。私の療養生活はもっと楽しいものになるはずだった。でも全然違った。それも現実だ。悔いても仕方がない。自分も誰も責められない。でもお蔭で多くのことを学んだのではないか。困っているのではなく、学んでいるのだ。面白おかしくすごしていたらわからなかったことがわかった。神に従って生きること。人に迷惑をかけてはいけないこと。弱者は労わること、優しくすること、助けること。社会のルールを守ること。勤勉に働くこと。人の心を知ること。思いやり。優しさ。社会を愛すること。心の中の神の声に従い、忠実に守ること。暴力を憎むこと。不正や悪を憎むこと。怠惰怠慢を憎むこと。人の痛みがわかること。喧嘩しないこと。常識を守ること。これらの事を守るだけでずいぶん住みやすくなる。帰りの電車でもそう思った。人の顔を見ただけでドーパミンが出て攻撃したくなっていたのが、今日は収まっていた。でも一瞬出そうになる。ちらっと何かの顔が見えただけでカッとする。あのおっさん並だ。盲目で刀を振り回しているようなおっさん。危険すぎる。でも私も五十歩百歩だ。パキシルは良かったし、脳のボケも結果オーライだ。自分が弱くなったことで悪を押し通す力がなくなった。そうすると悪を改める以外なくなる。もう馬鹿にされてもいいと思う。そうすれば改めるだろう。私は生まれ変わった。遅すぎることはない。神に帰依して一所懸命働けば必ず復帰できる。
真面目に働くこと。偉そうにしないこと。喧嘩しないこと。自分が譲ること。大体私のほうが変だ。ドーパミンが出すぎだ。弱者に優しくする。助ける。それだけでずいぶん人間は成長する。女は絶対弱者だ。特に未婚の若い女はそうだ。人類の宝でもある。神の目から見たらどうかを考えたらいい。心の中に神はいるのだからすぐわかる。暴力を憎む。中学高校の頃暴力を振るっていたことを反省する。そんな奴はいないのだ。脳に欠陥があるのかもしれない。馬鹿であることは確かだ。自分の利益を損なうことは一番馬鹿だ。他人にptsdを与えることはそのまま私のptsdになった。
snriを飲んだのは悪かった。ドーパミンやアドレナリンが出て不適切な行動に出てしまった。自分のコントロールができなくなった。とにかく休もう。もう少し世間から身を隠す必要がある。
神の声に忠実に従う。弱者に優しくする。人も自分も尊重する。ルールを守る。人や自分をいじめない。傷つけない。真面目に働く。契約を守る。上の者の言うことを聞く。けんかをしない。売らない買わない。腹を立てない。人を憎まない。人を差別しない。馬鹿にしない。人を尊重する。
間違った方法でいくら頑張ってもだめだ。正しい方法に切り替えよう。今も悪いことをしている気がする。迷惑をかけている。会社を休んでいるのだからそう考えても間違いではない。だからできるだけ早く復帰しよう。正しい考えに切り替えよう。素直に改めよう。病的な部分は薬で何とか改善しよう。道徳で何とかなる部分はそうしよう。神に従うとか。
犯罪者的な部分は矯正しないといけない。自分でできるだろう。自分でできなければ、人にやられてしまう。それは恥だ。自分で自分をコントロールできなければ社会人とはいえない。
女とうまくいかない。これは簡単じゃないのか。女は絶対弱者だ。だから労わらないといけない。優しくしないといけない。むしろ助けないといけない。実際ほとんどの男は女を一生養うじゃないか。それを拒否するのはおかしい。人に優しくできないものは人に優しくされるわけがない。好き嫌いは仕方がないが、弱者には優しくするというのは鉄則だ。単純明快だった。見た目とか言うな。身体的欠陥とか言うな。子供じゃないんだ。男は一所懸命働いて妻子を養うんだ。当たり前じゃないか。弱者を助けるのだ。
私は馬鹿であることは確かだ。子供の頃から見境がつかない。馬鹿なことばかりやってきた。自分の利益にならないことばかり、損な役割ばかり。自分のためになることを少しはやれよ。
やっぱりおかしい。自分のやってきたことは明らかにおかしい。改めよう。薬を飲んで調子を整えよう。一所懸命真面目に働こう。これが基本だ。兄貴も頑張ってきたんだ。尊敬する。



2006年11月25日(土) 土曜日

何かテンションが下がる。24時間神の声を聞く。これは間違いない。何も興味を持てなくなった。信じられない。全くやる気がない。非常に用心深く人を避けたほうが良い。注意力や集中力が落ちると、自衛力というか免疫力が落ちるので注意しないといけない。知的能力が落ちたような気がする。文学のことも何もわからない。凡人以下になってしまった。24時間神の声を聞いて生きよう。
テンションが下がる。人と接触しない方が良い。24時間神の声を聞き、それに従おう。弱いものいじめをしない。誰にでも慈悲の心で接する。神の目で見る。悪いこと、残酷なことをしない。自分も他人も傷つけない。貪らない。人にも自分にも優しくする。これくらいで十分なのだ。そして一所懸命働く。
活動力が低下している。ptsdによるものと脳のボケによるものと、風邪によるものと三つくらい重なっている。非常につらい。老人のような気持ちだ。愚痴は言ってはいけないのだが、本当にしんどい。ゆっくり休めとしかいえない。自分に優しくしよう。
正暦寺に行って来た。神さびたいいところだった。人もそう多くなく良かった。途中少し、不安があったが、大したことはなかった。落ち着いていたし、人をみても恐い感じはしなかった。



2006年11月24日(金) よく寝た。

昨日は久し振りによく寝た。10時間くらいはねた。一昨日一睡もしてないから。眼が暗く見える。脳にダメージを受けている。それでも生きていかないといけない。ふざけているとかやる気がないように思われて怒られたりする。確かに集中力とかないし、持続しない。昨日のセミナーもよくわからなかったし、持続しなかった。こんなガラクタみたいな状態で復帰できるのだろうか。よく馬鹿にされるようになった。なるべく人に会わないほうが良い。何もやる気が起こらない。それも仕方がない。幸せだと思わないと。幸せじゃないのに幸せと思えるか。それは幸せじゃないからじゃなくて、ないものねだりをしたり、よこしまな考えにとらわれているからだ。神の声を聞く。神の目で見る。神だったらどう考えるかを24時間考える。それに忠実に従う。そうすれば大過なく過ごせる。
休もう。休むことが今一番大事なことだ。神の声を聞きながらずっと過ごそう。脳がダメージを受けた。回復しない。神は何と言うだろうか。自分を大切にしておとなしくしていなさいというだろう。冒険主義は止めなさいと。でも適度に運動したり活動するのはいいですと。気にしすぎることはありませんと。
非常に用心深く人を避けなければならない。今の状態で人と接するのは苦痛であり、自虐に他ならない。力のバランスが取れなくて一方的にいじめられたり、怒られたりする。全力で人を避けたほうが良い。引きこもりとか対人恐怖とかではなく現実に脳がぼけているので、人に対処できない。脳が壊れている。
外出してきた。ヤッケのようなものを買った。最近はそれだけでも疲れる。人を見るだけで疲れる。傷つけられると思う。堺は町全体が恐い。自転車でぶつけられそうになった。子供を荷台に乗せた主婦だ。威嚇するようにこちらに自転車で向かってきた。何でそんなことをする必要があるのか。不審者だと思っているのか。昼間出歩くのは用心が必要だ。24時間神の声を聞きながら生きよう。病気みたいだけど自分にはそれが必要だ。弱いものいじめはしない、自分や他者を虐待しない。反社会的行為をしない。反社会的なことを考えない。良き市民でいる。勤勉である。恩を忘れない。感謝の気持ちを忘れない。不平不満を言わない。色と欲におぼれない。これくらい守れば普通に生きていけるのではないか。自転車で威嚇されたりする覚えはない。
非常に用心深く人を避けなければならない。私は悪くなった。人生の早い時期に。もう自分の力ではどうしようもない。人の心に起こったことは取り返しがつかない。今からできることは神の声だけに従って生きることだ。神ならばどう考えるか。神ならばどう行動するか。それを忠実に実行することだ。
神ならばパニックに陥りそうになっても、落ち着いていられるだろう。神はすべてを知っているからだ。私は何も知っていないが、神であればすべて知っている。そう思うだけでパニックは避けられる。今私はパニックに陥ってもおかしくない。頭は壊れているし、心は病んだままだ。明るくはなれない。強くもなれない。ほんの些細なことでも傷つく。これで復帰可能だろうか。あと2ヶ月しかない。無理かもしれない。
非常に用心深く人を避けよう。対人恐怖でも引きこもりでもなく、自分を守れなくなったからだ。ゆっくり休むことだ。心理療法とか全くやる気はない。しんどい。できない。薬に頼るしかない。24時間365日神の声を聞く。神の声に従う。神であればどう考えるか考える。アメリカ人も故国に居場所がなくなって宗教だけを頼りに新世界にわたった人々だ。神だけ信じて生きていくことはできる。自分の知恵だけで生きていくことはできない。多分誰にも。誰もが皆生かされている。神の偉大な力によって。
神の声を24時間聞く。今までやってきた自虐は一切やめよう。



2006年11月23日(木) 不眠

昨日はほとんど一睡もできなかった。しかも脳が完全におかしい。痙攣を起こすし、耳がびんびんいって眠れない。小さな物音が脳全体に響く。完全に壊れている。戻れるのか、世間に。恐くなってきた。頭が割れそうに痛い。誰か助けて。発狂しそうだ。神を信じることにした。神はキリスト教でも何でも良い。日本人だから日本の神様でも良い。神様に自分がすべきことを聞いてみる。するとよくわかる。自分でも何が正しいか、良いことか必要なことかわかっている。それが神様の言葉として素直に入ってくる。神様の言うとおりに生きて行きたい。無神論的実存主義からは転向したのか。孤独に耐え切れない。戦いや競争に耐え切れない。悪に耐え切れない。自分が反省すべきこと。慈悲が欠けていたこと。弱いものいじめ、自分いじめ。残酷さ。これは実存とか関係なく人間としてだめなことだ。それを神に言ってもらうと信じられるし、従うことができる。全く自明に見えてくる。それがないと平気で踏みにじってしまう恐ろしい私。母は白内障の手術に兄夫婦に連れて行ってもらえないそうだ。忙しいのかもしれないが、非情な気がする。それどころではないのか。姉が連れて行くという。姉が田舎に帰ったら、引き取ってもらうのだろうか。そのほうが幸せだ。兄を責めることはできない。私は母と暮らすことを拒んだ。どうしてもできなかった。孤独の方が良かった。罪を認めることになる。発狂しそうだ。神に従って敬虔に生きよう。神に従って生きる正しい人間を誰も責めることはできない。悔い改めた人間を誰も責めることはできない。これからは神の言葉通り、神の言うとおりに生きる。
幸せ、嬉しい、ありがとう。これで十分だ。
私の悪い点、悪友から影響されたもの、弱いものいじめ、お調子者、暴力、反社会性、エロ、貪欲、サドマゾヒズム。私はものを疑わないから無邪気だから、いっそう深く影響を受けてしまった。神の声に従おう。簡単なことだ。神の声は自明に聞こえる。自分で自分を批判するのは辛い。自分で自分を戒めるのは難しい。だが神の声は従いやすい。疑いの余地もない。私は馬鹿だったから騙されたのだ。自分で自分を騙したのだ。悪い点を自覚して神の声に従って、悔い改めよう。
神の声ということであれば改めやすい。それに善良さ、無垢さは私の本性だ。悪は外からやってきたのだ。悪が何かの役に立つだろうか。絶対にない。善と慈悲だけが役に立つのだ。神を信じる。私は神の弱い僕だ。人間は皆そうだとキリスト教も仏教も教える。慈悲だ。慈悲の心、思いやり、仁の心を失うと人間はだめだ。
自分を神の目で見てみる。神だったらどう考え行動するだろうか。その通りに忠実に行動する。
私は他人に危害を加えない。自己及び他者を虐待しない。自己及び他者を貪らない。誰に対しても等しく慈悲の心を持って接する。弱いものいじめをしない。暴力を憎む。反社会性を憎む。わいせつなものを憎む。いつも幸せな心でいる。いつも感謝の気持ちを持つ。
昨日は自分の耳鳴りで眠れなかった。酒を飲んで眠れないのはそのせいか。五目並べはやめよう。あれでドーパミンかなにかのバランスが崩れるのじゃないか。目がかすむのは治らない。もう治らないかもしれない。目がかすむだけじゃなくて理解力も落ちている。知性はどこに行ったのか。神に頼るしかない。神の考えるように考え、神の言葉を聞こう。昨日は寝ていないので苦しい。毎日苦しい。やっぱり人に会うべきじゃなかった。すごく変な目でみられた。自分が傷つくだけだから人前に出ないほうが良い。このボケは治るのだろうかそれだけが心配だ。ぼけてしまえば苦しまなくてすむと思ったのか。本当に苦しい。神にすがろう。
今日はさすがに辛い。愚痴を言ってしまう。でも幸せと思う。そう思うと幸せになる。もう少し休んでいられる。休んでいられるのはありがたい。その間にボケが治るかもしれない。治らなかったとしても何とかなると楽観している。何とかならなかったら困る。きついことばかりだったら困る。神のように考え、神の言葉を聞き、神のように行動する。たとえ私が盲目であってもそうするだろう。白痴であっても。
私は自分に優しくする。ぼけていてもテンション低くても、ゆっくり休めといってやりたい。
神の目で見よう。神の言葉を聞こう。神のように行動しよう。
人に対して尊敬の念を持とう。今日弁護士の先生がお辞儀をしたのに関係ないからと挨拶しなかった。こういうところが訳がわからない。挨拶をしないのはパワハラになるそうだ。気をつけよう。何で悪いのかと思っていたが、そういうことならわかる。神の目線で見ると人のことがわかるようになる。大阪に行くといつも自分のいくところではないと思ってしまう。大阪を追放されてもう10年になるから無理もない。神の目を持とう。人とできるだけ接触しないようにしよう。今は無理だ。私がぼけているのをふざけていると勘違いして怒り出したり、馬鹿にする奴がいる。自分を傷つけられたくないので、家でおとなしくしていよう。公園に行くとホームレスと間違われて襲撃されるかも。



2006年11月22日(水) 曇り

今日は朝元気であれば山の辺に行こうかと思ったが、気合が入らなかったので止めにした。どこか少し歩けるところが良い。ボケは残っている。永久的に残るのかもしれない。それならそれでいいと思う。精神的自殺のようなものだったのじゃないか。抵抗するのが苦しくて抵抗をやめようという。自虐の極致だ。精神的エネルギーが低下している。ボーっとしている。それで暴力を振るわれそうになる。気をつけたほうが良い。できるだけ人に会わないほうが良い。薄皮を一枚ずつはがすように治っていく。
できるだけ人に会わないほうが良い。電車の中で一緒にいるだけで悪い場合がある。昨日みたいな場合だ。非常に用心深く避けたほうが良い。
ずいぶん穏やかになってきた。馬鹿でもいいじゃないか。穏やかな馬鹿のほうがいい。賢い悪人よりも。宅間とか林とか恐いじゃないか。馬鹿は使いようで切れる。
あのキチガイのせいでこの一年が台無しになった。脳がダメージを受けたのもあいつのせいだ。復帰できるのだろうか。復帰できてもうまくやっていけるのだろうか。襲い掛かってくるんじゃないだろうか。ババアどもが。人間てそこまで傷つくものだろうかというくらい傷ついた。人を傷つける天才ているものだ。h子でもこんなにひどくはなかった。もう言うまい。後悔先に立たず。レイプに会ったようなものだ。ptsdを治していこう。
ポンペイの遺跡展覧会に行ってきた。妙に上品な雰囲気で合わなかった。最後に泥棒扱いされるし。電車の中でも嫌な女に合った。スーパーのレジでも。変な高校生とかヤクザみたいなやつ。何でヤクザが制服着てるんだみたいな。風俗嬢が制服着てるんだみたいな。都会田舎を問わない。汚染されている。われわれ大人が悪いんだ。
最近エネルギーが低下しているせいか、誰にでも馬鹿にされるような気がする。おばはん、おっさん、餓鬼、女、皆馬鹿にした目で見るような気がする。気のせいだ。気にするまい。ぼけるのはいいことだ。怒りが湧いてこない。湧いても長続きしない。今は誰にも会わない方が良い。家で五目並べやっているほうが正解なのだ。働いていないということはいたくプライドを蝕むものだ。今は何も考えずにボーっとしていたらいい。いつか回復する。薄皮をはぐように回復しているのだ。戦いに何か意味があるだろうか。戦いには興味がない。



2006年11月21日(火) 五目並べ

昨日は五目並べをやって面白かった。ぼけてない。しばらくは人に会いたくない。自虐になってしまう。引きこもりは積極的意味がある。自分を守る。リスパダールを昨日飲んで見たが、これといって効果がない。眠れるわけでもない。体の力が抜けるような気がする。少し怒りが収まるかもしれない。週に一回くらいは飲んでみようか。そう状態の抑制、予防にいいかも。変な奴に会いたくなったり、悪いことをしようと思ったりしなくなるんじゃないか。
できるだけ人に会わない方が良い。非常に用心深くあるべきだ。トラップを一億個くらいほるべきだ。自分と他人の間に。五目並べをやっていてそう思った。勝とうと思ったら、トラップを無数に掘ることが近道だ。今こうしていることもトラップを掘っていることに他ならない。トラップを一億個掘るより、会わないのが一番だ。
本当に疲れた。リスパダールのせいで全身の力が抜ける。頭もぼける。良くないかもしれない。焦らないでゆっくり気長にまとう。戻っても素晴らしい力を発揮するということにはなりそうにない。
箕面に行ってきた。余り良い気分ではなかった。リスパダールは余り良くないんじゃないか。ドーパミンが弱まると何か補おうとするんじゃないか。ババアに引っかからないよう注意していたが最後の最後に電車でババアに嫌がらせされた。ババアは何を使っても嫌がらせをしてくる。しゃべっているときは言葉で、そうでないときは仕草で、物音で何でも使って嫌がらせしてくる。ババアとの戦いで人生が終わるのか。ババアとは何もしてなくても危害を加えてくる生き物だ。俺があのババアに何をしたんだ。何で危害を加えて来るんだ。全くわからない。今日も母親が電話をかけてきてストーカーモードだった。病気だといっているのにプレッシャーをかけてくる。hと同じだ。一兆個ものトラップを仕掛けても平気で乗り越えてくる。信じられない。人は誰でも一兆個ものトラップを仕掛けている。誰も人の機嫌をとろうなんてしていない。今日はおっさんにつばを吐かれ、舌打ちをされた。私は我慢ならない。この世が我慢ならない。母親が嫌いになったのは中学のときで、私が悪くなり始めたときだ。そのとき、権力との折り合いも悪くなった。母親は権力の象徴だったのだ。教師とも仲が悪かった。悪と付き合っていた。今はとにかく絶対に人と接触しない方が良い。40年近く権力と折り合いが悪いのだから、これから良くなるとは思われない。z氏との関係がうまく行かないのは、結局私が権力が嫌いだからだ。あのくそ親父と飲みに行って何でptsdになったかというと、権力的に振舞ったからだ。そういう態度が一番嫌いだからだ。女性的な人間がいてもいいのだ。私は生涯権力と折り合いが悪いだろう。
とにかく今は何も考えないようにしよう。ぼけてるし、最悪な精神状態だ。でも徐々に薄皮をはぐように良くなっていっているから、人と接触するのを避けて、じっとしているのが良い。考えるのは一番良くないことだ。実際は何も考えていないし、脳に良くない。
頭が痛い。リスパダールはやっぱりパキシルと一緒に飲まないほうがいいんじゃないのか。せっかく飲んだパキシルの効果を打ち消すので穏やかになった心が乱れるのではないか。自説だが。もし飲むとしたら、パキシルを飲まなくてよくなったとき、ドーパミンが出すぎたと感じた場合に、ということだろう。多分そんなことはない。snriを飲んだからドーパミンが過剰になったのだ。普通の状態であれば、人と比べてドーパミンが多いとは思われない。パキシルを飲んでいればドーパミンは減っていく。
もうパキシルしか頼るものはない。誰にも会わないほうが良い。私が悪いわけでもないし、ババアが悪いわけでもない。でも会わないほうが良い。パキシルが効いてくるまで会わないほうが良い。
ババアが嫌いでも社会から排除されないといけないことはない。ババアが嫌いとかどうでもいいじゃないか。そんなことを言う必要があるのか。言う必要も表明することもないじゃないか。問題は解決した。問題なんか初めからないのだ。トラップを一兆個掘っておけば身を守ることは十分可能だ。いきなり暴力を振るわれたりすることはないのだ。権力が嫌いでも同じことだ。そんなことを表明する義務なんかない。誰だって嫌いだ。何で好きにならないといけない。税金を取られ、見張られ、悪いことをすればつかまり、戦争が起これば死地に送り込まれる。そんなものが誰が好きなんだ。ババアと一緒だ。仕方ないから認めているだけだろう。以上終わり。



2006年11月20日(月)

昨日は良く眠れなかった。興奮していたのだろうか。夜パキシルを飲んだからだろうか。全てにおいて非常に用心深く行動した方がよい。非常に危険なあの場所に戻りたくない。戻るとしたら完全な手をうってからだ。悪いことをしてもだめなんじゃないか。良い人になろう。非常に用心深く生きよう。おばはんなんか近づかないことだ。どうしてうまくいくと考えるのかわからない。外人も積極的で無鉄砲なように見えるが、実は非常に用心深く簡単には心を許さないし、信用しない。信用しているように見えて、じっと見ている。完全に信用するということはありえない。白人は白人しか信用しない。アングロサクソンなんかヨーロッパ人やお互い同士も信用していない。それでやっていこうというのだから強いというか、無謀というか野蛮というか非常に特異な連中だ。非常に宗教的で勤勉でもあるから、富も稼ぐし、戦争も強い。厄介なことこの上ない。
待つことだ。精神状態は簡単には回復しない。パキシルに頼るしかない。ぼけているからいらいらしたり、怒ったりすることは一切ない。
自分を生み育ててくれた人間を憎んだり嫌ったりするのは、良くない。私は女性的だったので母娘問題という形で葛藤があったのかもしれない。それすらわからなかった。それなら姉と母の間にもあるようだ。私が女性的でありながら男として尊重されることが姉は我慢できなかったようだ。今女どもと仲が悪いのも同じ理由じゃないのか。非常に用心深く対処すれば問題ないんじゃないか。私が罪悪感なんか持つ必要何か全くないのだ。女が余り好きではなかったとしても責められる理由はない。女だから女が嫌いで何が悪い。私の問題は解決できない。結局母親とも正面衝突してしまった。私が帰ってきたとき、私を受け入れるどころか非常に忌み嫌っていた。私はそれが信じられなかった。優しく迎え入れられるものと思っていた。中学高校とあれだけ葛藤があったのだから当然だろう。私が母を嫌うように母も私を嫌っていた。近親憎悪かもしれない。もうとやかく言いたくない。自虐にしかならない。これから自由に生きていくのだ。漸く未来に目が向くようになった。私を受け入れ、仲良くするか、全く没交渉となるかどちらかだ。危害を加えるとかいじめるとか、私が依存したり、機嫌を取ったりするということはありえない。どこにそんな人間関係があるのだ。いじめなんか許さない。関係を絶対に断ち切る。
ptsdを治すことだ。それは可能だ。パキシルを数年飲み続けることで次第に改善していく。それで両親との悲劇は終わるだろう。私は私の人生を生きられるようになるだろう。
くどくど後ろ向きのことを書くのはもう絶対やめよう。未来に向かって生きよう。今日は意外に疲れた。昨日の疲れが出た。やっぱり人とあまり会わないほうがよい。朝カルは相性が悪い。
少しずつ薄皮をはぐように回復していく。焦ることはない。ゆっくり待つことだ。ボケも回復する。焦らないことだ。普通の人の気持ちがわかる。いいことだ。文学はトラップだった。そこから抜け出せない。
馬鹿の相手はできない。素直で無邪気に何でも信じる。お人よしで困っている人を見るとほっておけない。それはいいことだが、どこでどう間違ったのか。邪悪な人間に成り果ててしまった。邪悪である必要があるだろうか。自虐をする必要があるだろうか。加虐をする必要があるだろうか。絶対にない。smマニアで、人をいじめるのが好きで、現実と空想の区別が付かないサドやヒットラーみたいな人間だったら別だが。私は絶対に違う。
自分の利益を図ることができないと、人の世話をするどころではない。
今日は公園に行って、いつものように自転車で一周、歩いて一周した。走っている高校生がうざくて仕方がない。邪魔といわんばかりにすぐそばを走り抜ける。スポーツをやる奴にろくな奴はいない。内側の細い道を歩くのが良い。ドーパミンの過剰放出が原因だろう。それからptsdを起こし、うつ、人格障害、ノイローゼ、統合失調症を発症した。パキシルを根気よく飲むこと。それ以外ない。非常に用心深く人と接触を避けること。
トレドミンは結局合わなかったのだ。ノルアドレナリンが出てドーパミンになって、統合失調症の既往歴が出てきたのだ。素人考えだが。パキシルだけをしっかり飲んでいこう。ぼけているからいらいらすることはまずない。
パキシルがなぜいいかというと、ptsdに効果があるからだ。ptsdが良くなれば統合失調症が出てくることはないだろう。非常に用心深く生きたほうが良い。人と不用意に接することは非常に危険だ。b校に行ったのもegに行ったのも森田に行ったのも非常に危険だった。行くべきではなかった。増してあの親父にあったことは痛恨の極みだ。まあ、命があっただけましだ。パキシルだけ飲んでおとなしくしていよう。人に会わなければ会わないほどよい。



2006年11月19日(日) 遠足

今日は雨だが遠足の日だ。奈良まで行ってくる。今日はちょっと元気だ。昨日は3時くらいに目が覚めたが、7時間くらいは寝ている。ぼけているから寝てしまう。ぼけたことはいいことだ。パキシルの威力はすごい。ゆっくり休もう。人に会わないことはよいことだ。今は誰にも合わないほうが良い。ぼけているからいじめられる。自虐をやめると楽になる。自虐をやめるにはパキシルを飲むことと、人に会わない。変な奴に近づかないこと。パキシルを飲んで明るく生きよう。
穏やかな気持ちだ。私はいい人間だ。悪い人間とは付き合わない。自虐は嫌だ。自分を愛そう。自分を尊重しよう。
時間をかけることが重要だ。焦らないことだ。人に会わないこと。医者でさえも危ない。私に間違った薬を押し付けようとした。
今日は奈良に行ってきた。釈先生と内田氏の企画で面白かった。贅沢な気分を味わった。朝からボケは良くなっていた。でも適度にぼけていた方がいいと思う。いらいらしたり理不尽な怒りに襲われたりしない。私はうつやptsd、人格障害、いわゆるptsdスペクトラムの疑いが濃いと思う。他方で統合失調症的な反社会性も押さえがたい。パキシルを飲んでいるときにリスパダールを飲むことは大変抵抗がある。医者の言いなりになって大変なことになりそうな気がする。パキシルとリスパダールは飲み合わせが悪いと聞く。セロトニンを増やす薬と減らす薬だから当然だと思う。
少しだけ飲んでみようか。カッとしたり、悪いことを考えたりすることはドーパミンが過剰だからではないか。ヤンキーは生育環境か遺伝か知らないがそういう傾向がある。どっちが楽かだ。週に一回くらい飲んでみて試してみようか。どっちが楽かだ。極端な副作用は起こらないだろう。今はぼけているのでカッとしたり、反社会的なことは思わない。でもボケが回復してくるとまたおかしなことになってくるのではないか。
非常に用心深く行動した方がよい。うっかり変なおっさんと付き合ったばっかりに、ひどい目に遭った。もう二度とこんな目に遭うのは嫌だ。何もかも失う。世の中に悪い奴はいない。宅間とか林のような人間はごくまれだ。悪に対してものすごく執着するとああいう風になる。
パキシルを飲んでも以前みたいに躁状態にならないのはぼけているからではないか。悪とドーパミンが分かちがたく結びついていて矯正が非常に困難だ。サドみたいなものだ。あれを矯正できるだろうか。私の問題行動が生じたのは小学校低学年で、中学高校と維持され、大学で発病した。これを矯正できるだろうか。就職して病気になって悪の道に突き進んだ。全く歯止めのない状態でひどかった。過去のことを思い出し、悔い改めることで改善できるだろうか。何かの宗教に入って悔い改めた方が早いんじゃないか。下町のキリスト、一人さんの宗教に入るか。でも恐いな。生きたリアルな宗教は本当に恐い。オウムも本当の宗教だったから恐かった。ただし手段だけだが。本質や目的はでたらめで邪悪なものだった。邪悪なものは必ず滅びる。
非常に用心深く行動することが肝心だ。今日は一応うまく行った。誰にでも悪はある。人間は善と悪が混じりあった存在だ。そう思うと自分を許せるのではないか。悪いことをすることもある。腹が減って死にそうだったら盗んででも食うだろう。良い悪いというより、人間はそういうものを持っている。でも私は悪すぎる。容易には矯正できない。子供の頃の善良な気持ちを思い出せない。
今人に会わないほうが良い。というよりあの数年間を経た後はもう誰とも会わない方が良い人間に成り果ててしまっていた。それから何か変わっているだろうか。余り人と会わない方が良い奴らばかり集められたあの場所で、生きていくのは可能か。
今の時点では非常に用心深く人を避けたほうが良い。今はまともな状態ではない。ボケとうつ、ptsd、統合失調症の合併症で深刻なことになっている。安易な考えは避けるべきときだ。自重が必要だ。ボケはすぐには治らない。集中できない。集中力が途切れる。気付いたらボーっとしている。自分がボーっとしていることさえわからない。
ptsdとドーパミン過剰状態とどちらが先かといわれたらわからないし、遺伝なのか環境なのかもわからない。多くは偶然だろう。遺伝だとしても偶然だし、環境であっても同じことだ。そんなことは解明できないし、解明できたとしても何にもならないし、そんな気はない。楽しいことがしたい。明るく生きたい。非常に用心深くしていればほとんどの危険は避けられる。私の人格が崩壊寸前であってもだ。そういう時だからこそ非常に慎重でなければならない。考慮に入れる変数が少なすぎるんじゃないか。何も考えずに生きていくことはできない。無邪気に人を信じすぎる。一体いくつなんだ。人を避けて生きたい。人を見ると傷つけたくなる。病気だ。誰もいないと自分を傷つけ始める。
外人は賢いだろうか。核爆弾をいっぱい作ったり、イラクを侵略してにっちもさっちもいかなくなる奴らが賢いだろうか。彼らは肉体的に非常に強い。そして小さなことがわれわれより大きく見えるような気がしてならない。日本人なら気付かないか、気付かない振りをして見逃すところを彼らは徹底的に追及する。自然科学もそのような彼らの性質に負うところが大きい。資本主義もそうだ。非科学的だが、そんな気がする。思考が非常に肉体化されていて明確だ。日本人みたいに曖昧なことは好まない。内田というおっさんが珍しがられるのは西洋合理主義をとことん追求しつつ、東洋的神秘にも寛容なところか。西洋人ではありえない。それと思考が肉体化されている。武道をやっているからだ。ぼけるといいことがある。色々気付く。
肉体的な奴、まねをする奴が本当に嫌だ。あのキチガイババアはそうだ。まねするなというんだ。人と同じことをする。馬鹿じゃないのか。最高にむかつく。一人になりたい。まねされない。変な目で見られない。用心深く人を避けて暮らそう。あんな奴と一緒に仕事をするなんて絶対無理だろう。



2006年11月18日(土)

やっぱり眠れなかった。辛い。でもつい飲んでしまう。辛いのがわかっていても。自虐だろうか。多分そうだろう。耐えられなくて自分を傷つけてしまうなんてリスカと同じだ。耐えられなくて人を傷つける奴と同じだ。最初の上司。中学のキチガイ教師。虐待することと虐待されることは同じくらい心を悪くする。私は中学で虐待を受けた。そして家庭内暴力に走った。虐待の連鎖だ。誰も傷つける人間がいないと自分を傷つける。自虐をやめよう。そうすれば楽になる。過去の罪を悔い改めよう。もう一切嫌だ。自虐も被虐も加虐も。どうしてそうなるのかわからない。職場に戻ればまた同じことの繰り返しだ。とにかくまず自虐をやめることだ。私は断じてそんな人間ではなかった。何か外から悪いものが入ってきて私を悪くした。自分の意志で必ず治せる。自虐が全ての根源だ。自虐をやめれば何もかもうまくいく。人を傷つけることも自虐なのだ。
今はptsdの回復期と脳のダメージが重なっているから、細心の注意を払って生きなければならない。外出や人に会うことも避けたほうがよい。医者にも会わないほうがよい。間違った薬を強制されたことも虐待だ。私が苦しんでいることを言うと理解するどころか、言うことを聞かないやつみたいに虐待された。そうじゃないだろう。パキシルでゆっくりptsdが改善するのを待つ以外にない。そして心が開かれて、自虐をしなくなる。攻撃的でなくなるからいじめられなくなる。自分を虐待するとわかっている奴に近づいてはいけない。それは自虐だ。躁状態のようになったときにもやっぱり自虐的に会うべきでない奴と会ってしまった。どっちにしても自虐だ。z氏に統合失調症を疑われたときに私は自虐的だった。そのとき抗うつ剤は飲んでいなかったから、ptsdの症状かもしれない。子供は虐待を再演するという。それと同じなんじゃないか。この連鎖を断ち切るにはどうしたらいいのか。一切人に会わないのが本当は一番良い。でも社会で生きていくにはそれは不可能だ。中学高校のころにその辺をうまくやっていく術を普通身につける。その頃私はptsdで自閉していた。統合失調症のようだった。自分だけの世界に生きていた。やがて大学に入って発病した。ほとんど病気だったのだ。病気で自分を保っていたのだ。
明るく楽しく優しく堂々と生きるんじゃなかったのか。幸せ、ありがとうと唱えて生きるんじゃなかったのか。一人さんの住む世界は下流世界だ。水商売だの暴走族だの虐待だの、ヤンキーやヤクザの世界と接している。映像を見て初めてわかった。大体健康食品なんて怪しい世界だ。差別するつもりはないが、本当に信じていいんだろうか。私は人を虐待したことがある。心から後悔している。心が歪んでいる。普通の人とずいぶん違うらしい。でも心を入れ替え、改悛したなら、もう一度生きてもいいはずだ。死ぬわけにはいかない。命ある限り、尊い命を全うしなければいけない。自虐はいけない。まだ過去のことに苦しめられている。職場に戻れば過去のことで同じことをされるだろう。女は執念深い。私がされたことを水に流したとしても相変わらず同じことをしてくるのだからたまらない。もうやらないとは思わないらしい。私はどこから改めればいいのだろう。表に出れば虐待されそうな気がする。家にいるときだけが安心できる。でもそう思えるだけでも進歩だ。家にいて安心感を持ったことは一度もなく、外に出ることで不安を紛らわしていた。自分が恐かったのだ。今は自分を受け入れ、愛しているから恐くない。自分を受け入れることが人を受け入れる第一歩だ。自分を受け入れないのに人を受け入れられるわけがない。それこそ自虐だ。自虐をやめれば全てはうまくいく。パキシル効果だ。ptsdの唯一の治療薬だ。自虐をやめれば性格がまともになっていく。真人間になる。感情が芽生えてくる。今までは鬼畜のようだった。少しずつ人間らしくなってきた。待つことだ。
脳のダメージのことは気にしないことだ。多少はあるかもしれないが気にしても仕方がないし、徐々に回復している。あれ以後にすごく楽になった。悪いことは考えなくなった。悪い人生だった。でも遅すぎることはない。改悛して悔い改めて、立ち直ろう。悪い人間の真似をするんじゃなくて、良い人間のまねをしよう。
自分を好きになる。自分を愛する。自分を尊重する。まずそこから始めよう。心を入れ替えよう。ぼけなかったらそうは思わなかった。ぼけてよかったのだ。良い方に変わるのだ。自分が好きになるのだ。
自虐しない。自分を好きになる。自分を受け入れる。自分を尊重する。頭が多少ぼけても大丈夫だ。大事なのは心だ。
頭にもやがかかったような気がする。目がかすむ。愚痴を言っても仕方がない。これで頑張っていこう。自分を好きになろう。自分を尊重しよう。
頭はぼけたけど性格は良くなった。心を高めよう。魂を高めよう。それが基本だ。悪くなっても何も良いことはない。良くなろう。
銀座まるかんから電話がかかってきた。しつこい勧誘みたいになっている。やっぱり新興宗教なんだろうか。はっきり断ろうか。中にはこういうのもある。余りしつこいようならはっきり断ろう。
昨日の談山神社は良かった。色々気付きがあったし、回復もあった。高校生にからまれそうになったり、おっさんに喧嘩を売られそうになったりと色々あったが、自分や世間が良く見えてきたので腹が立たない。怒りとか攻撃性がすごく収まってきた。穏やかになった。あの事件以来、人と付き合えないくらい、攻撃性が増していた。それが穏やかになった。パキシルのお蔭だ。素晴らしい。脳がぼけてちょっと馬鹿にされるくらいどうということはない。
根本的におかしい部分は放棄するとか、改めるというだけでいいだろう。ptsdのせいですぐ腹が立ったり、理不尽な怒りを抱いたり、反抗的になったり、絶対におかしい。人間関係がもてないというのはおかしい。パキシルのお蔭でかなり正気に戻ってきた。人と普通に関係を持ちたい。世間と付き合えそうな気がする。和やかに普通に話せるような気がする。今重荷になっているものを全て放擲してもいいと思っている。そうすべきと思っている。
パキシルで全て解決するとは思わないが、相当強力な力になるだろう。私の根本問題はptsdだと思っているからだ。自虐を止めること。虐待は絶対悪だ。人をいじめることもptsdになると考えている。少なくとも魂が悪くなる。浄化されない限り、いつまでも苛まれるだろう。私は両親に本当に謝りたい。本当にとんでもないことをした。心から反省している。悔い改めて生きていきたい。きっと両親は私が生きることを望んでいるだろう。幸せになることが両親を喜ばせることだ。散々悪いことをした。神が見逃しても自分を騙すことはできない。本当に悪いことをした。心が歪みきっていた。本当に心から反省している。自分がやったこととは思えない。きっと悔い改めて立ち直る。きっと罪滅ぼしをする。悪いことをして栄えた奴はいない。きっといい人間に生まれ変わる。
少し寝た。デパスは便利だ。昼寝したいとき、思い通りに寝られる。ボーっとしているとかエネルギーが低下しているとか、言われるけど、自分的には楽だ。意欲が少し低下しているか。でもコントロールできないよりははるかにいいんじゃないか。穏やかになったし、腹が立たなくなった。何に対して怒っていたのか。中学以来、怒れる若者だった。ぼけているから怒れなくなった。いいことじゃないか。怒るほどのことがあるだろうか。たまに完全休養日を設けるのはいいことだ。この間は夜良く眠れた。活字が読めない。文章が書けない。でもいつかきっと復活する。リハビリだ。でも怒りが静まり、慎重になり、善悪の区別がよりはっきりとし、自虐や愚行を止めたくなり、良い面もある。人の心が良く見え、自分の姿が良く見える。いいことじゃないだろうか。
意識を継続するのが困難になっている。活字を読めないのはそのせいだ。ボーっとしたように見えるのもそのせいだ。全体にぼけているので正気とは思えない。馬鹿なんだと判断される。でも怒らなくなった。今まで怒ってきたことは全く理不尽だったとわかる。それは成長であり、改善ではないか。頭がいいつもりが、、全部間違っているのだから、ぼけていた方が迷惑がかからなくていいのじゃないか。
でも過去の記憶が消え、新しい記憶を保持することが困難になったら、仕事ができなくなるんじゃないかとの心配もある。でも余りに多くの仕事を引き受けるのは自虐だ。今までの私がそうだった。欲が強すぎたのだ。b校に行ったのはよかった。思い上がりや独善、勘違いが全て明らかになった。パキシルを飲んで落ち着いていれば、脳のボケは何とかなる。
今は休むしかない。ゆっくり休むしかない。馬鹿にされてもぼけて失敗しても仕方がない。ぼけているときこそゆっくり休もう。パキシルを飲んでいるから大丈夫だ。
私は危機的な状況にあるのだろうか。パキシルを飲んでいれば大丈夫だ。脳のボケは何とかなる。完全にぼけているわけではない。パニックにならない。待つしかない。ゆっくり休むしかない。
考えられないなら考えないで休め。馬鹿にされるなら人前に出るな。自虐だ。調子が悪いから休んでいるのだ。無理をしてはいけない。
もう過去のこととか精神的なことを考えるのは一切やめよう。何の義務なんだ。自虐じゃないか。明るく楽しく優しく堂々と生きていくのだ。幸せになるのだ。
ボケに身を任せよう。悪から身を守ろう。絶対悪を続けることは無理だ。シンプルに全部忘れて出直そう。明るく楽しく普通の人みたいに生きていこう。優しく人間らしく生きていこう。性格が悪すぎる。というか犯罪者並だ。真人間になろう。当たり前のことだ。きっと心を入れ替える。全て過去のことは忘れる。
自虐はやめよう。今はなるべく人に会わないほうが良い。おかしくなっている。高校生にもおかしいと見抜かれてからかわれる。自分がかわいそうだ。
ptsdとボケを分けて考えよう。ptsdはかなり改善した。こちらが本質的な問題だ。パキシルに託すしかない。ボケの方は時間をかけてゆっくり直すしかない。ずっとこのままとは思わない。きっと回復する。



2006年11月17日(金) 金曜日

今日は結局高雄に行かなかった。ちょっと疲れていたからだ。今はptsdの症状と脳のダメージが重なって弱りきっている。十分注意した方がよい。自分を労わる。変な奴に絡まれたりしやすい。気をつけたほうがよい。
ゆっくり休んで回復をひたすら待つこと。ゆったりした贅沢な気分で良いこと。焦っていろいろやらないこと。疲れないこと。自虐的にならないこと。悪いこと、人に迷惑をかけることは絶対しないこと。今自分に言いたいことはそういうことだ。脳細胞は少しずつ回復しているようだ。このまま回復しなくても困らない。余計なことを考えなくなっていいんじゃないかとも思う。泥棒と間違えられなくなるんじゃないか。自虐をやめれば楽になる。能力が落ちればそれに合わせればいいのだ。今は女に興味がないから見ない。それでいいじゃないか。頭がぼけて本当によかったと思う。前みたいに鬼畜みたいなことを考えない。前考えていたことは悪いこと自虐的なことばかりだ。だったら忘れた方がよいんじゃないか。新しくいいことばかり考えた方がいいんじゃないか。自分に優しく明るく楽しく優しく堂々と生きていけばいいんじゃないのか。困ったことは起こらない。
自虐をやめると危険と安全の区別が付き、危険に対して正しく自己防衛できるようになる。危険を危険として認知でき、自衛できるからほとんど恐くない。過覚醒、緊張は徐々に弱まってくる。正常化の過程にある。
今日は今から談山神社に行ってくる。少し回復しているが、余り調子は良くないので、気を付けて行って来よう。
談山神社に行って来た。不愉快なこともなく楽しかった。山の上の空気はおいしかった。やっぱりハイキングに行ったほうがいいかもしれない。気分が意外によくて、人が恐いとか嫌いとかいうことはなかった。おっさんに喧嘩を売られそうになったが。おっさんなんかどうでも良い。怖いというのは悪くない。当たり前のことだ。恐くないと思い始めたら、危ない。中学のときも恐くないと思ったから悪かったのだ。もう余り考えないことにした。全部忘れてもいいくらいだ。明るく楽しく優しく生きるためには忘れた方がいいんじゃないのか。
今日は心が開かれていたように思う。徐々に回復している。自分を受け入れ、他人を受け入れる。簡単なことだ。



2006年11月16日(木) 野崎観音

昨日は野崎観音に行って来た。心安らぐひと時だった。酒を飲んだ。今朝は一転気分が良くない。やっぱり酒を飲むとだめだ。眠れない。朝、一人さんの天国言葉を唱えていると楽になった。でも2時間も3時間もやっていると頭が痛くなってきた。一人さんの教えも洗脳に近い暴力的なところがあるから、恐い気もする。下流の教えだ。下町の暴力性を感じる。私についていけるだろうか。適度な距離で付き合おう。「嬉しい、幸せ、ありがとう」といっていると本当に幸せになってくる。でも頭が痛くなってくる。それはそのせいかどうかはわからない。
明るく楽しくやっていこう。優しく堂々と。自虐はやめよう。自分を受け入れ、人を受け入れよう。当たり前のことで、何も怖くはない。あのおっさんとの一夜以来、人が受け入れられなくなっている。無邪気に自分を出せなくなっている。臆病になっている。n原氏とも会っていない。恐くなった。少しずつ人を受け入れていくようにしよう。自分をまず受け入れ、そして人を受け入れよう。簡単なことだ。自虐をやめれば簡単にできる。
きっと回復できる。きっと立ち直れる。私は善良だ。私は一所懸命働く。
人を傷つけることは自分を傷つけることだ。自分を傷つけることは人を傷つけることだ。自虐は加虐だ。少し前は普通に思いやりとかできていたのに。どうなったのか。私は道徳的に立ち直ろう。女が恐いとか嫌いというのは明らかに病気だ。今はかなり良くなった。何とも思わなくなった。嫌いとも恐いとも思わない。義人になったのだ。
世の中は簡単にできている。そうでなかったら困るだろう。明るく楽しく優しく堂々としていればいいのだ。自分を受け入れ、人を受け入れるのだ。
今日は調子が良いのか悪いのかわからない。すごく良く見える気もする。女でも男でもいいじゃないかと思う。どっちが嫌いとか恐いとか一切なくなった。女の言うことなんか全く気にならない。ほんとにどうでも良い。好きな女がいればそれで良いし、いなければそれでもいい。体と心は不可分のものだ。無理やり分けて考えるからおかしくなる。ずいぶん回復した。自分を受け入れ、人を受け入れられるようになった。幸せ、ありがとうといつも心で唱えていれば誰とももめない。誰も憎んだりしない。誰も恨みに思ってはいない。すごく気持ちが落ち着いた。成長した。自分を愛し、人を愛す。当たり前のことができるようになった。パキシルのお蔭で落ち着いてきた。医者も今日は優しかった。あの人は優しい人なのだ。ずいぶん世話になった。多分今戻っても誰とも衝突しないだろう。人生が世の中がシンプルに見えてきた。良い人ばかりなのだ。自分が困った困ったと騒がなければ大丈夫なのだ。
強いことがいいことだろうか。強くなくても良い。正しいことが大事だ。良心に恥じない思考や行動ができるかどうかだ。悪いことを考えてもしても強いことにはならないし、絶対得をしない。自虐の最たるものだ。自虐で得することなんか絶対ない。人と戦っても自分が傷つくだけだ。人を攻撃することは自分を傷つけることだ。自虐は絶対いけない。他人を傷つけることも絶対いけない。二つとも同じことだ。いつまでも悔い改めないことは最大の自虐だ。もういい加減に悔い改めよう。実際悔い改めた。もう悪いことはしない。自虐は決してしない。自傷行為は絶対しない。これは病気の問題ではなく、意志で解決できる問題だ。
少しずつ良くなっている。今は待つことだけだ。自虐、自傷行為を絶対しないこと。反社会的なこと、人を傷つけること、喧嘩すること、反抗すること、これは絶対だめだ。全部自虐だ。自傷だ。今までやってきたことは全てそうだ。両親に深く謝りたい。本当に迷惑をかけた。絶対に人に迷惑をかけてはいけない。良いことをして初めてお金がもらえて暮らしていけるのに、迷惑をかけて生きていけるわけがない。中学時代から、反社会的で、反抗的だった。絶対それでは生きていけない。自傷行為をやめるならば、卑屈になることはない。社会のためになることをやっているなら決して卑屈になることはない。漸く根本的な問題に自分で気付いたようだ。きっと立ち直れる。
大仙公園に行って来た。やっぱり自然があって良かった。不快なことは全くなかった。老人もホームレスも実に穏やかで平和だ。緑化センターというのがただでなかなか良かった。庭のようになっている。個人ではなかなかできない。帰りに靴下を買ったが靴下屋って何であんなに恐いのか。前も恐かった記憶がある。客が恐い。店員も恐い。いるだけでものすごい恐怖を感じる。下流パワーを感じる。100均も恐いがあれほどではない。これは一つの謎だ。
ところで今日はやっぱり調子よくない。でももうなれた。酒を飲んだ翌日はしんどい。その事実になれた。人間なんにでもなれるものだ。
やっぱりパキシルの威力はすごい。漸く人間らしい気持ちになってきた。我慢できるようになって来た。確かに運が悪かった。ひどい目に遭った。でもこの薬を飲めば何とか人間らしい気持ちを取り戻せる。屈辱にも耐えられる。正しいことがわかる。こんな目に遭ったから真実がわかったかどうかはわからないが、こんな目にあっても立ち直れる自信がついた。希望が湧いてきた。このままパキシルが効いて、もっと調子が良くなるのを待つ以外にない。自分との戦いだ。
人から何を言われようと、馬鹿にされようと私は一歩一歩前進している。ゆっくりとではあるが回復している。辛抱強く自棄を起こさないように、着実に歩いていこう。待つ勇気が必要だ。今こそ成長しているのだ。学んでいるのだ。
長い長い混乱と苦痛だった。よく耐えた。でも漸く希望の明かりが見えてきた。今度は以前よりはるかに強い人間として復活する。誰に馬鹿にされようと気にすることはない。屈辱に耐えて、頑張って復活するのだ。復活の手ごたえが出てきた以上、どんな屈辱にも耐えられる。希望ほど強いものはない。アウシュビッツでも希望を失わずにいたものが最後まで耐え抜いた。頑張ろう。
どんなに馬鹿にされようと屈辱に耐えて回復を待つのだ。決して自棄を起こすな。生きることの高貴さに比べれば、世間の無理解や侮辱なんか何の意味もない。私は困ってなどいない。学んでいるのだ。世間は広い。自分の心の中だけに閉じこもっていてはいけない。私の心の問題が世界政治や経済に何かの意味があるか。そんな話は乱暴かもしれない。誰の心の問題も関係ないからだ。しかし自分の心の問題だけで全てを見失ってはいけないということも覚えておくべきだろう。良心に恥じることがなければ堂々としていれば良い。私は悪を行いやすい。悔い改めて正しい道に戻ろう。



2006年11月15日(水) 秋晴れ

今日も秋晴れだ。元気だったらハイキングに行きたい。でも起きたのが11時。それはそれで良い。よく眠れるようになった。一度目が覚めたような気がするが。よく覚えていないから9時間は寝たろう。脳が死んでいるからものすごく気持ちよくはないが、悪くはない。人を受け入れる。自分を受け入れることができたら、人を受け入れるようになれる。結局あの事件以来損なわれたのは人を受け入れられなくなったことだ。今はできるようになった。
ほんの少し、気分が安定してくるようになった。昨日のコンサートも良かった。一昨日引きこもったのも良かったかもしれない。これから週に一度くらいは引きこもろうかなと思う。積極的引きこもり。病気なんだから当たり前だろう。
仕事をきちんとやろう。今からでも遅くないじゃないか。一度も真面目に仕事をしたことがない。いつも中途半端でちゃんとできたことがない。これからは真面目にやろう。対人関係よりそっちの方が大事だ。
野崎観音に行って来た。ちょっとしたハイキングだ。実際ハイキングコースもある。また来よう。今日は良く眠れたせいか気分が良かった。もうptsdは治ったんじゃないか。あるいは治るだろうという感じが強くした。自虐をやめれば治るのだ。自虐に始まったこのptsd。自虐をやめることによって終わるのだ。良かった。
あのキチガイにさえ会わなかったらこの療養生活もうまくいったのに。あんな迷惑な奴が何で地球上に生きているのかわからない。
あんなキチガイが何で生きているのかわからない。死ねという一言しかない。



2006年11月14日(火) クラプトン

今日はクラプトンのコンサートだ。それほど楽しみというわけではない。元気ないから苦痛かもしれない。昨日一日出なかったのは良かったかもしれない。少し気分が良かった。布団が恋しい。昨日は真夜中に目が覚めたが、またいつの間にか寝たような気がする。結局11時まで布団の中にいた。今ほど休みがありがたいことはない。昨日荘子を呼んだ。余り惹かれなかった。本を読んでも味わいということが感じられない。ものや人を好きになったりしない。脳がそういう状態なのだ。いずれ治るだろう。朝コーヒーがおいしかった。今はとことんゆったりしてよい。だらだらしても良い。焦る必要はない。
自虐をやめて明るく楽しく優しく堂々と生きよう。スローダウンしよう。焦らなくて良い。やる気が起こらなければ一日中寝ていても良い。頭が悪ければ本を読まなくて良い。自虐はやめよう。
待つしかない。脳もぼけているし、気長に待つしかない。焦ってもがいても良くならない。待つことは苦しいが楽しくもある。
ちょっとデパスを飲んで横になった。いくら寝ても眠い。寝ていても焦らない。パニクらない。脳がぼけるといいことがある。ぼけた私も私だ。素晴らしい。大好きだ。尊重する。世の中とうまく行かなくても良い。自虐に走らなければ自分を守る。自虐をやめるということと、自分を守るということはイコールだ。
大泉緑地にいってきたら大雨に降られて大変だった。また風邪を引きそうだ。
エリッククラプトンのコンサートに行ってきた。面白かった。知っている曲は盛り上がる。不愉快なことはなかった。おとなしい客ばかりだった。
ゆっくり休むことだ。ぼけてても良い。全然良い。頑張ろう。ろくなことは書かないが、それでも一向に構わない。自虐はもう嫌だ。明るく楽しく優しく堂々と生きていこう。



2006年11月13日(月) 秋晴れ

今日も憎らしいくらい良い天気だ。昨日は3時くらいに目が覚めたが、朝方眠れて、10時くらいまで寝ていたので良かった。ぼけているのも悪くない。本当に自分を大事にしようと思った。ぼけていようと弱っていようと、今こそ自分を大事にしたい。だめになっても弱っても、自分を大事にしないと救われない。自虐をやめて、明るく楽しく優しき堂々と生きよう。z氏と最近話がかみ合わない。それもいいかもしれない。私と話がかみ合う奴なんていない。兄貴とも全くかみ合わなかった。かみ合うかどうかより好きかどうかだ。z氏が好きではなくなったかもしれない。機嫌を取ることに疲れたのだ。
ここしばらくはゆっくり休んだ方がいいかもしれない。風邪が治ってくれるとありがたい。本当にしつこい風邪だ。
休んでいられるのは本当に幸せだ。嬉しい。早く元気になりたい。自虐をやめて明るく楽しく元気に優しく堂々と生きたい。そうすればこの苦境も脱出できる。きっと立ち直れる。
明るく楽しく元気に優しく堂々と生きよう。最近の日記は単調だ。でもいいのだ。やがて回復するだろう。第二章が始まったのだ。馬鹿になってもいいじゃないか。記念すべき第二章の始まったとき。素晴らしいときだ。
自虐をやめて明るく楽しく優しく堂々と生きていこう。きっとできる。簡単にできる。真面目に働いて生きていこう。愛と思いやりと自尊心を大事に生きていこう。
第二章が始まった。喜ばしいことだ。人は前に向かって生きていく。私は悪くない。邪悪ではない。善良で純真だ。自虐はやめよう。
魂のこととか考える。いいことだと思う。魂が存在するかどうかは別として命は尊い存在だ。
「千の風になって」のテレビを見ている。生と死。残されたもの。色々感じる。人を悼むことは悪くない。人間は美しい。そう信じて生きていくほうがずっといい。人を憎んだり、差別したり許さないのは悲しいことだ。私はそんな人間ではない。良い心を持つように努力しよう。悪い心はどこからかやってきて心を盗もうとする。でも絶対に良い結果は出ない。それ自体悲しいことだ。良い心を持つようにしよう。
今日は昨日に比べたら格段に調子良い。私は守られている、生かされていると感じる。きっと大丈夫だと思う。ptsdも治るだろう。今は比較的安らかだ。
今日は安定している。今日は完全休養日にしようかと思う。神経が割りと落ち着いている。刺激がなくても良いし、落ち着いていられる。自虐も一切ない。人が嫌いとかもない。母親というのは重いなと思った。好き嫌いを越えて重い。悪いことを考えてしまう回路ができた。でもそんなものは単なる回路だから、影響されないようにできる。正しい道を冷静に選べる。それが人間だ。
自虐をやめることだ。ものすごく強く思う。さっきの番組の木村多江という女優にしても、父親に先立たれた罪悪感から、幸せになっちゃいけないと思うなんて、それは考えすぎだ。人のことだからそういえるけど、自分も同じだろう。幸せになっちゃいけないなんて最悪の自虐だ。幸せになろう。絶対幸せになろう。あんな職場に居たら幸せになれない。自分を虐待する奴と一緒にいて幸せになれる奴はいない。今回のptsdの理由も自虐だ。あんなキチガイと付き合ったらひどい目に遭うのだ。わかりきったことじゃないか。b校みたいなところに行けば傷つくに決まっているじゃないか。自虐だ。文学とは自虐だ。だから私は手を引いた。生きてはいけないと直感したからだ。それはあながち間違いとは言い切れない。ここまで生き延びることができたのは文学と手を切ったからだ。ここに来てまた文学に手を出す。それは良いことなのかどうかわからない。いいこともあれば悪いこともあるという当たり前のことだろう。負のリアクションと吉村氏は言っていた。
悪いこととは何だろう、と考えると自虐だということになった。自虐イコール悪だ。悪イコール自虐。家で過ごす一日も良い。家を出てあてどなくさすらうのは自虐でもある。自分を尊重しよう。自分を愛そう。できそうな気がする。
楽になるためにどうしたらいいか。自虐をやめることだ。簡単なことだ。絶対できる。絶対幸せになれる。とにかくあのグループには帰らない。これは絶対だろう。あのキチガイが来た時点でそう決まっていたのだ。自虐はやめよう。
文学って最大の自虐かもしれない。私が子供の頃付き合った悪どもなど比べ物にならないくらい、ひどい奴と出会ってきた。私は悪くなった。それに懲りて離れたのにまたぞろどうして近づくのか。近づいていいことがあったか。なくはなかった。初めて褒められた。今なら可能じゃないか。収穫することが。無駄な年月が無駄じゃなくなるかもしれない。生き延びた上に収穫できるかもと思った。
自虐さえやめれば簡単に自分を守れる。自分を守れれば職場に復帰できる。
自虐をやめよう。それだけだ。幸せ。ありがとう。これは嘘ではない。今ほど休めることがありがたいことはない。明るく楽しく優しく堂々と生きていこう。
今日は外に一歩も出なかった。こんな日があってもいいだろう。最近は本当に疲れているし、外に出るだけで神経が疲れる。明るく楽しく優しく堂々と生きよう。
自虐は絶対やめる。同じことばかり書いてるが。悪は自虐で、自虐は悪だ。



2006年11月12日(日) 吉村

今日は吉村氏の講演会がある。馬鹿の一つ覚えみたいに講演会に行く。これが一番安心だ。ミーハーだし。今朝はしんどかった。2時半に目が覚めて途中で何度か苦しくなった。朝八時過ぎにデパスを飲んで漸く楽になった。辛いなあ。明るく楽しく優しく堂々と生きていこうとそればかり言い続けた。おどおどすることはない。堂々としよう。悪いことなんか何もしないと誓った。過去の罪は悔い改めた。若いやつらなんか怖がらなくていいから堂々としていたらいいのだ。私は年代的に若い奴らも年よりも怖くない。少し偉そうにしようと思った。
何でこんな苦しい闘病生活になるのかとつい愚痴を行ってしまう。仕方がない。必ず治るから頑張ろう。悪いことは絶対にしない。明るく楽しく優しく堂々と生きていこう。
悪いことは止めよう。頭を休ませよう。明るく楽しく優しく堂々と生きていこう。今は焦らないでゆっくり休もう。悪いことはもうしなくていいのだ。良いことだけして生きて行こう。ゆっくり休もう。おどおどびくびくしないで堂々と生きよう。若い奴とか女とか年寄りとかなんで恐がらないといけないのか。堂々と生きよう。
b校の吉村氏の講演会に行ってきた。隣の爺がありがちな根性の悪い奴で嫌がらせを受けた。爺だから勘弁してやった。臭くたっていいだろう。誰だって少しは臭いんだ。我慢しろ。根暗な嫌な爺だった。ああいうやつは大嫌いだ。吉村氏の話はサービス精神満点で良かった。同い年なので親近感を覚える。小説とは違って優しそうな人だ。書くことの恐さを色々言っていた。谷底に落ちてしまって破滅する危険とか、思い当たる節がある。私は戻っていけるのだろうか。今はゆっくり休むことだ。むしろ努力なんか一切しないほうが良い。体が自然に休んで良くなるのを祈るように待つしかない。
今は何も考えずにゆっくり休もう。パニックに襲われそうになるが、落ち着くこと。困ったことは起こらない。いつも幸せだ。感謝だ。自分を信じて生きていこう。明るく楽しく優しく堂々と生きていこう。
目がかすんで頭がぼけて新聞が読めない。それなら読めるようになるまで読まなくていい。困ったことは起こらない。それで自分を責めたりしてはいけない。読めないならかわいそうだと思っていたわらないといけない。ゆっくり休もう。自己啓発も少し休もう。全力で寛いで休もう。自虐をやめて明るく楽しく優しく堂々と生きよう。
今こそ休もう。何か新しい活動を始めたりするときではない。それはいいことだが、今は自分のためにやめておいたほうが良い。今は何もできなくても良い。自分を責めるのが一番良くない。私は何も悪くない。ゆっくり休むことだ。
ゆっくり休もう。睡眠を十分とろう。しっかり休もう。適度な運動をしよう。余り考えまい。自虐的にならず、明るく楽しく優しく堂々と生きていこう。今は一切の活動を休んでよい。本も読まなくて良い。元気が出たらまた読んだら良い。ゆっくり休もう。真面目になろう。
自虐をやめて明るく楽しく優しく堂々と生きよう。大分疲れている。元気が回復するまでゆっくりしよう。人生第二章だ。新しい正直で善良で真面目な自分。明るく楽しく優しい自分。真面目で働き者で人と仲良くできる自分。きっとなれる。そういう自分なのだ。
自虐をやめて明るく楽しく優しく堂々と生きよう。ゆっくり休もう。最初から飛ばさないでゆっくり休めばよかった。という風に自分を責めるのはやめよう。何も悪くない。具合が悪いのだからゆっくり休もう。



2006年11月11日(土) コロナホテル

今日は岡山の新規就農のイベントに行ってくる。電車が遅れて戻ってきた。こういうときに限ってこうだ。やめて日中関係の講演会にしようかなとも思う。疲れている。その上ぼけている。ボケは二か月治らない。グチはやめよう。きっと良くなる。ぼけたままでも構わない。きっといい事が起こる。私は素晴らしい人間だ。二兎を追うものは一兎を得ずという。いろんなことに興味を持ちすぎるのか。明るく楽しく優しく生きていこう。ぼけても生きていける。眠れなくても苦しくないのはいい点だ。義人になる。第二章が始まった。私は立派に生きていく。
岡山の相談会に行ってきた。倉敷のブースに割り振られたが、戸惑うばかりで頭が混乱して何もしゃべれなかった。興味のないことには頭が働かない。それから早く出て天王寺の日中講演会に行ってきた。面白かった。頭がぼけているので半分くらいしかわからなかった。でもいい。ぼけていた方が楽だ。帰りの電車で不良が乗ってきて気分が悪くなった。不良は思ったことを言い、行動する。恐くて仕方がない。暴力を振るうんじゃないかと思う。びくびくすることはない。びくびく生きても一生だし、堂々と生きても一生だ。私の人生は第二章だ。今までの人生とは別のものにしたい。
自虐はやめよう。それだけで良くなる。



2006年11月10日(金)

昨日は一時半に目が覚めて一睡もできなかった。やっぱり二日続けて飲んではいけない。脳の具合はまあまあだ。慣れてきているのだろう。眠れない中、引越しのことを考えた。家賃の安いところに移ったほうがいいのかと。もしこのまま復帰できなくて6割になったら家賃は払えない。空恐ろしくなってくる。そうなったらそうなったときだ。何とかなるだろう。別のところに移りたいとは前から考えていた。明るく楽しく優しく生きていこう。暗くネガティブに深刻に考えまい。芥川龍之介が人生最初の作家であったことは不幸だったかもしれない。人生はもっと明るく楽しい。柴崎友香のように生きて行きたい。休めることは幸せだ。ありがとう。自分を神の様に尊重しよう。自分のことを始終これだけ考えてくれるのは自分しかいないのだ。
道徳的におかしいことは止めよう。義人になるということだ。道徳的にいつも間違ったことを選択しているうちに考えがおかしくなった。改めることは遅すぎることはない。義人になろう。悔い改めよう。
この間のカウンセリングは噛みあわなかった。彼のコメントが見当はずれかつ不快に感じた。いつもと同じはずなのに私のほうがおかしかったのだろう。自虐はやめて明るく楽しく生きよう。優しく。
眠れなかった割にはおかしくならない。強くなったのか。道徳的に生きる、明るく楽しくというモットーが、心を軽くしたのか。新聞もまあまあ読める。アメリカで大きな動きがあったことがよくわかる。興味の問題もある。ベトナムの話なんか全く興味がないので読まない。興味が絞られてきた。やがて元気になれば広がるだろう。こんな日もこんな日なりに幸せで楽しい。今日ほど感謝したい日はない。こうして生かされてあることを感謝したい。誰も恨む気にならない。成長したのだ。
昼に近づくと少し気分が落ち込む。どうしてだろう。私の脳と体全身全霊はきっと必死で生きている。全力で生きているのだ。のんびり過ごしているだけでも。それで疲れてくるのだ。どっと疲れる。世間のハイテンションに当てられて昼ごろ疲れが出る。仕方のないことだ。穏やかに過ごそう。
ああ人よ、私を嫌ったり、馬鹿にしたりしないでくれと望む。人を嫌ったり、馬鹿にするものは同じ目に遭うのだろう。もう二度としないだろう。こんな思いをするくらいなら。母親との関係もうまく行っていない。親兄弟くらいしか頼るものはいないのに。明るく楽しく優しく生きることにしよう。暗く深刻にならないで。人を嫌ったりするのは悲しいことだ。道徳的に正しい方をいつも選ぼう。当たり前のことだ。自虐はやめよう。そうすればきっと道は開ける。今気分が極端に落ち込まないのは考え方が正しいからだ。正しい考え方ができるようになったからだ。成長したのだ。
私はきっと立ち直る。義人になるのだ。道徳的に正しいことがやっぱり間違いない。それができればうまく行く。それは簡単にできる。義人になるのだ。
私は誰からも嫌われていない。義人になった。順調に回復している。どんどん良くなる。
少し眠れた。良かった。今が底だろう。幸せだ。ありがとう。明るく楽しく優しく生きよう。むしろ何もしないほうがいい。休むとはそういうことだ。自虐をやめて自分を神のように尊重しよう。自分はそんなに優れていなくてもいいじゃないか。何でしゃしゃり出ないといけないのか。わからない。自分を虐待するものに依存するな。これからの人生は第二章だ。全く新しい人間だ。幸せを感じて生きていこう。明るく楽しく優しく義人として生きて行こう。
私は素晴らしい。よく頑張っている。自分を尊重するのだ。仏陀とかキリストは人類全体を愛してくれる。それを信じることだ。人は弱いものだ。何かを信じずにはいられない。自分の力をはるかに超えた世界で生きているのだ。愛と、神に支えられて生きているのだ。愛に生きよう。倫理的に生きよう。
今日は相当ぼけていた。最近はずっとそうだ。でもぼけていてもいいのだ。細かいところがわからなくてもいいのだ。うつも来るところまできた。でもこれから良くなる一方だ。
鶏肉の料理を作った。おでんばかりでうんざりしたからだ。非常に上出来でおいしかった。決してぼけてはいない。活字も読めるようになった。必ず良くなる。
楽しい。嬉しい。幸せだ。ありがとう。自虐をやめて明るく楽しく優しく生きよう。



2006年11月09日(木) 心中天網島

z氏にもぼけていることを指摘された。気にしないことだ。うつでぼけている上に脳にダメージを受けたので目立つのだ。自虐的にならないようにしよう。きっと回復する。その間にも大きな気付きがあったからそういう機能面だけじゃない何かがあるのだ。何度もz氏の言葉を聞き逃してしまった。ボーっとしているといわれた。確かに何をやっても面白くない。究極だ。復帰できるのか。その意味で微妙だ。馬鹿に見えるんじゃないだろうか。心配しても仕方がない。じっくり養生することだ。今が一番疲れている。疲れていることがわかったことはいいのじゃないか。抗うつ剤が効かないくらい疲れている。今こそ休んでいいのだ。カウンセラーの復帰ものの本を読んでいるが、面白い。やっぱり必死で休ませようとしている。エネルギーが低下しているのだ。
脳がぼけていることはもうこれ以上考えまい。考えてもどうしようもないのだから考えない方がよい。自虐になる。今は幸せだ。ゆっくり休めるのだから。ありがとう。
脳の活発さがうつ状態を見えにくくしていたが、これからは堂々と休もう。まずptsdを治そう。それから脳のダメージから回復する。これが回復への道筋だ。
なんか治るような気がしてきた。自分が好むことをやるとスイッチが入って脳が働きだす。そういう時は脳は普通に作動している。そういうことを繰り返しているうちにスムーズに動くようになるだろう。今は脳が休んでいる。省エネモードになっているのだ。
脳がちょっと回復してきた。不思議だ。きっと回復するだろう。ある日突然回復する。今突然回復した。
新聞がちょっと読めるようになって来た。不思議だ。脳が急に回復した。z氏にあったのが良かったのか。文楽を見たのが良かったのか。気持ちの問題か。
この調子で行けば十分回復する。大丈夫だ。ptsdも治る。
昨日酒を飲んだのに調子が良い。目も脳も回復してきた。素晴らしいことだ。
明るく楽しく生きよう。優しく生きよう。私は聖人になった。明るく楽しく生きよう。楽しいな。
明るく楽しく生きよう。酒を飲んだのに具合が悪くならないのは初めてだ。素晴らしい。治ってきた。完全に治ってきた。良かった。
明るく楽しく生きよう。何もしなくてもいいのだ。休むことが肝心だ。
久宝寺緑地に行ってきた。大きな公園だが、何かホームレスの数が多いし、都会の公園だから何となくごみごみしていて落ち着かない。堺の公園のほうがずっといい。中央に幹線道路が通っていて、複雑なんで迷いそうになった。ちょっと焦った自分が可愛い。帰りの電車で面白いおばさん二人連れに会った。ずっとおせちの話をしている。笑いそうになった。そう悪い感じはしなかった。大阪のおばさんにしては上品だ。夕日がきれいといって二人で立ち上がって見ていた。ちょっと職場のおばさんに似ていて不気味だった。
きっと治る。明るく楽しく優しく生きる。義人になる。これだけで幸せになる。というかいつも幸せだ。ありがとう。
酒を飲んだ。おいしかった。5月から半年以上も調子が悪いんだ。あのキチガイのせいで。仕方がない。交通事故にあったと思うようにしよう。
楽しい。生きていることは楽しい。人生で一番楽しい。



2006年11月08日(水) 文楽

今日は文楽の日だ。どうしても気分が盛り上がらない。風邪のせいか。うつのせいか。嫌な思いをしそうな気がする。おばさんばかりだろう。気にすることはない。嫌な思いをしたらすぐ帰ろう。耐えることはない。
昨日はz氏にあったが、もうカウンセリングの体をなしていない。疲れすぎている。z氏にもエネルギーが低下しているとかボーっとしているとか言われた。脳がダメージを受けているのとうつと両方だ。でもこれからは良くなる。
文楽に行ってきた。さほど面白くなかった。隣の馬鹿みたいな男が嫌がらせをずっとしてきた。おかしいんじゃないのか。他の席はいくらでも空いているのに指定だからといって座らせてくれない。私は人に気を遣おうとか気に入られようとか全く思わなくなってきた。一切無駄だし、頭がおかしくなる最大の原因だし。心中天網島は面白くなかった。あの関西弁はやっぱり鼻につく。心中に感情移入できる時代の人はすごい。嫌な思いをしそうだと事前にわかっているのに行く。我慢強いのか。自虐なのか。これで頭がおかしくなるのだから世話はない。もう自虐は嫌だ。昨日の馬鹿女といい、今日のクソヤロウといい、気が狂いそうになる。明るく楽しく優しく生きよう。
脳がちゃんと動かないまま生きて行くというのは恐くもある。でも余計なことを考えないからいいかなとも思う。自虐はやめようとも思う。自虐をやめれば恐いものはなくなる。自己防衛の方法がわかるからだ。今まで自己防衛すらやっていなかった。その必要性すら認識していなかった。無防備な天使のような人間だった。だが、それは自虐だ。自虐をやめれば自分を簡単に守れる。自分を虐待する人間に依存しなくなる。
義人であること。聖人であること。自虐をやめればすごく楽になった。本当に楽になった。
幸せだ。酒がおいしかった。週の途中で酒を飲むのは楽しい。自虐はやめよう。



2006年11月07日(火)

今日は割と元気だ。脳がぼけているけど日一日と回復している。幸せが少し感じられる。ありがとうと感謝できる。脳がぼけているということは本なんか読まなくていいということだ。サラリーマンが本なんか読むか。パキシルが効いてきたのでf症候群はもうほとんどいい。これは大きな試練だったのだ。あのままスムーズには行かなかったのだ。あのババアのことは本当に考えない方がいい。真面目に考えることはそれが自虐だ。愛を求めているのだ。でも嫌なことがあるだろう。それで何で怒られないといけないだろう。自虐はやめるというきっぱりとした態度が必要だ。明るく楽しく生きて生きたい。優しく。
明るく楽しく優しく生きる。自虐は一切やめる。これだけだ。これだけで幸せ、感謝しますということになる。幸せは感じ方だ。いつでも幸せだ。人の機嫌を取ろうとすると地獄だ。あのババアの機嫌を取ると必死だった。周囲の人間の機嫌を取ろうと必死だった。でも機嫌をとる必要はない。明るく楽しく優しく生きればいいだけだ。自虐をやめることだ。人との関係が困難なのはどうしたら機嫌が取れるかを考えたからだ。そんなことは絶対に不可能で自分の意志を表示することが大事なんじゃないか。全ての人に気に入られるとか機嫌を取るなんて、自虐以外の何者でもない。自虐は絶対にやめる。人間は花として生まれてくる。目立って目立って、輝くのが花だ。自虐して目立たないようにじっとしているなんて馬鹿だ。全ての人に気に入られたいために何もできなくてうつになるなんて馬鹿だ。明るく楽しく優しく生きるだけでいいのだ。妬みから攻撃されたら反撃したらいいだけだ。人の機嫌を取ることじゃなくて自分がどうしたいかだ。あんなキチガイがどうしているのかとかどうしてあんな風になってしまったのかなんて全くどうでもいいじゃないか。義人であることだけが答だ。
今日は掃除がはかどった。キッチンをやってトイレをやって風呂をやった。脳がこんな状態で本が読めないから、こんな仕事がちょうどいい。私は何も悪くなっていない。昔から今まですごく善良で純情で働き者だ。誠実で真面目だ。
自虐をやめて明るく楽しく優しく生きれば全てうまく行くようになった。パキシルの威力はすごい。
今は今でいいんじゃないかと思う。ここまで傷ついたのは偶然でもあり、必然でもあったかもしれない。でも私は大丈夫だ。自虐などしない。許さない。自分を虐待する奴を理解しようとしたり、依存したり、受け入れたり、なだめようとしたり、仲良くしようとしたりするのは本当にばかげた自虐行為、自傷行為だ。
z氏と会った。いつでも優しいのは彼だけだ。隣の席の馬鹿女が聞き耳を立てているのが見え見えで腹が立って不愉快になった。自分を虐待する奴の機嫌を取ったりはしない。カウンセリングも馬鹿みたいな行為だろう。他人から見たら。でもあのレイプされた女性カメラマンのように実際救われる人もいる。優しく話を聞いてくれる人もいれば、携帯をぱちぱちやったり嫌がらせしたり、聞き耳を立てたりする奴もいる。人間を信じるのは限定的ということだ。
少し寝た。やっぱり疲れている。脳がダメージを受けたかどうかは別として、それ以前から相当疲れていたのだ。もうごまかせないところまで来ている。
うつは休めばいいらしい。これ以上どうやったら休めるのかというくらい休んでいる。でも休んだ方がいい。闘病に疲れた。よっぽど疲れていたんだなと思う。本当にかわいそうだ。自分がかわいそうだ。よくやっている。自虐は一切やめることだ。
何もかも忘れてゆっくり休んでいいよ。新しく正しいことを覚えたらいいのだ。
疲れた。義人になることだ。女にはほとほとうんざりうする。消えてくれと真剣に思う。



2006年11月06日(月) 月曜

月曜に会社に行かなくていいのは嬉しい。感謝だ。明るく楽しく生きていこう。自虐をやめて明るく楽しく。昨日の田舎に泊まろうを見てそう思った。媚びるのとは違う。ご機嫌を取るのではない。明るく楽しく生きるのだ。暗く不平不満で誰かを恨み、誰にでも攻撃的だったら嫌だろう。明るく楽しく優しく。これが普通だろう。ちょっと前まで普通だったのに。義人であるという答しかない。女にからまれる。わずらわしい。恐怖だ。明るく楽しく優しい。義人である。自虐をやめる。これで十分解決できる。
ぼけたせいか心なしか落ち着いてきた。色々考えなくなった。自虐しなくなった。自虐自傷。やらなくなったせいか落ち着いてきた。今朝目覚めたとき思った。あれこれ考えて苦しまない。躁状態のような舞い上がった気持ちにはならないが落ち着いた普通の気分だ。これがいいんじゃないか。
自虐をやめて明るく生きよう。ぼけてきたのであれこれ考えない。考えないので邪推されることはない。絡まれることはない。これはいい変化じゃないだろうか。
自虐をやめて明るく生きよう。文章を読むのも書くのも苦痛になってきた。それならそれでいい。楽な方を選ぼう。
人と争うこともない。平和な気分だ。自虐は止めた。劣等感、悪徳裁判官は追放。自分を愛する。簡単なことだ。明るく楽しく優しく生きよう。
明るく楽しく優しく生きよう。簡単なことだ。元々そういう人間だ。自虐はやめよう。それだけできっと変われる。悪は全て自虐だ。
パキシルを飲んだ。きっと良くなる。悪いことはしない。悔い改めた。
下園氏の本を読んでいたら何となく読める。目がかすみ、頭が痛くなるが読めないことはない。これくらいだったら読んでもいいかな。でも表を散歩していた方がいいかもしれない。
やっぱり調子が悪い。昨日よりはましだ。幸せだ。ありがとう。うつがひどくなった。でもうつはきっと治る。休養だ。
でも一ヶ月前よりだいぶ良くなった。自分をコントロールできるようになった。自虐を止めた。明るく楽しく生きるということはなかなか大変なことだ。あの女のことだが、本当に気にしないほうがいい。何を言おうが全く関係ないし、あんなキチガイをどうにかできるわけがない。私の答は義人になることだけだ。肉屋の店員とか全くわからない。義人になるしかない。人にとやかく言われないようにするしかない。
自虐をやめよう。休養することだ。うつが底についた。これからどんどん良くなる。
故のない暴力から身を守るためには義人になるしかない。あんなババアなんか全く気にすることはない。色んなビデオを見たのが悪かったような気もするし、わからない。今更そんなことをいっても仕方がない。とにかく敵に回さないことだ。
義人であること、自虐しないこと。明るく楽しき優しく生きよう。真面目に働くためには義人になるしかない。義人になるのは誰の許可も要らないし、簡単なことだ。明るく楽しく優しき生きる。ただそれだけだ。
自虐しないこと。良い人を傷つけないこと。大事な人を傷つけないこと。虐待しないこと。z氏にも機嫌を取らないとかじゃなくて素直に明るく楽しく話すこと。差別しないこと。機嫌を取ることと、明るく楽しくいきること、優しくすることは違う。
少し眠れた。やっぱり眠かったんだ。ぼけているかもしれないが落ち着くようになった。悪のことが浮かんでこない。自虐をやめるということが自然にできるような気がする。ババアやブスを見るとパニックに陥る。何かされるんじゃないかと思う。恐くなる。そうすると本当に攻撃してくる。でも今は平気だ。何もしない。何をされても防御できる。自虐的だから防御できないのだ。自虐的でなければどんな攻撃でも撃退できる。自虐的でないことと明るく楽しく、優しく生きる。たったこれだけだ。簡単じゃないか。ぼけてても弱ってても全く構わない。無理することもない。楽にできる。これですごい効果が雪崩のように起きる。幸せ、感謝、これだ。自虐のスイッチを無事に切れたような気がする。
自虐をやめよう。明るく楽しく優しく生きて生きたい。ぼけた状態でパキシルを飲んでもはっきりした効果が感じられない。むしろ怒りっぽく攻撃的になる。スーパーでくそみたいなババアに嫌がらせをされた。本当にひどいところだ。相手にしないほうがいい。完全におかしい。自虐をやめると自分をいくらでも守れるようになる。自虐で自分を守ることはできない。明るく楽しく優しく生きて生きたい。幸せだ。感謝だ。
成功したいなら短気を起こさないことだ。信長のような短気は結局失敗する。家康のように気長でないといけない。自虐をやめよう。
自虐をやめよう。風邪を引いたみたいだ。やっぱり出かけるべきではなかったか。自虐だ。自虐と意識しなくても自虐をやっている。途中で引き返すべきだったのに。自虐だ。自虐をやめよう。劣等感を捨てよう。悪徳裁判官を捨てよう。自分を愛そう。幸せだ。今おでんを作っている。楽しい。感謝だ。
仕事をしないのは自虐行為だ。自傷行為だ。明らかだ。やっとわかった。人付き合いをしないのも女と付き合わないのも自虐行為だ。やっと気付いた。これからは自虐は絶対にしない。
自虐をやめると元気が出てくる。自分で自分のエネルギーを奪うようなことをしていたらだめでしょう。漸くそれがわかった。幸せだ。感謝、感謝。
明るく楽しく優しく生きよう。不幸せなことなんかないのだ。不幸になれなくなってしまった。ずっと幸せだ。
自虐をやめて明るく楽しく優しく生きよう。確かに楽ではないが暗く自虐に耽っているより絶対いい。



2006年11月05日(日) 日曜

今日は三連休の最終日。毎日が日曜の私には変わりないが。皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は元気です。昨日の晩は酒が進んでご機嫌だった。池上曽根の催し物も良かった。幸せ。今日は3時くらいまで眠れて幸せ。自虐はやめよう。それと悪はやめよう。私が転校したときいじめられた理由と私が現在適応障害的になっているのとは同じ理由のようだ。悪を容認する態度は受け入れられない。そういう人間は芸能の世界に行ったりする。芸の世界に善悪とか倫理道徳はないからだ。私も長いことそういう世界に片足を突っ込んできた。水商売の世界でも芸能と言えなくもない。あの世界の女は女を演じているのだ。理想の女を。悪はやめて義人になろう。自虐をやめよう。何で攻撃されないといけないのかわからない。私が一体どんな悪いことをしたのか。私は多分、倫理的でないのだろう。仕事をサボるとか。人付き合いをしないとか。でも攻撃されないといけないほどのものか。あのキチガイババアは本当に真剣に私を攻撃してきた。私は理由がわからないから、耐えるしかなかった。そして病気になった。とにかく義人になろう。いじめられるようなことはやめよう。いじめられる方も悪いという議論があったが、悪いというのではなく、要領が悪いとか、弱いとか言うべきだろう。善悪から言うといじめる方が悪い。だから義人になるしかない。私は過去に悪いことをした。それを悔い改めることが大事だ。悔い改めたら、前に向かって進むことだ。後ろ向きに悔やんでいても仕方がない。悪を行わないことは簡単なことだ。自虐をやめることだ。私が行ってきた悪は全て自虐だ。自虐をやめれば悪は自動的に止む。キチガイババアに暴力を振るわれることはなくなる。姉が私に行ってきたことは暴力である。あいつは本当に私を馬鹿にしきって嫌い、攻撃し続けた。それは虐待である。私が自虐という悪を行うのに対して言葉の暴力を浴びせ続けた。私は虐待されることは嫌だ。楽しくない。自虐はもう嫌だ。自分が幸せになることがしたい。小さな幸せを感じよう。今健康でいられる幸せを味わおう。自虐をやめよう。劣等感、悪徳裁判官を追放しよう。
私はいじめられるのはうんざりだ。優しくされたい。自分で自分をいじめるのはやめよう。自分をいじめる人間に近づいたり、仲良くしたり、容認したり、媚びたりするのはやめよう。悪いことをするのはやめよう。芸術に惹かれるのはわかる。でも現実の世界は違う。仕事ができなくなってしまう。それこそ自虐だ。できもしないことを自分に強いることが自虐だ。できもしないことを自分に強いたのが失敗の始まりだ。もう脳細胞が痛んで何もできなくなってしまっている。せめて残りの人生は自分に優しく、自分を愛して、自分を大事に生きていこう。義人になるとは自虐をやめる、それだけだ。
女を恐がったり、嫌ったりするのはやめよう。全く意味のないことだ。優しくしよう。弱い生き物だ。自分とよく似ている。
女はもう恐くない。自虐をやめれば恐くなくなった。女だって人間なんだから人間のルールを守らなければならない。自分が義人でいる限り攻撃することはできない。媚びたりご機嫌を取ったりする必要はないのだ。
自虐はやめよう。政治は難しい。よく考えたら恐ろしいことをやっている。人の上に立って普通の生活をしている人のことを決めたり、変えたりする。議論する。その言葉は一体なんだろう。商業でも芸能でもない。政治家というのは恐ろしいものだ。
小説の真似事をやってみて色んなことがわかった。やってみてよかった。傷ついたこともいっぱいあったけど、わかったこともいっぱいあった。
自虐をやめれば楽になる。楽になる方法はそれだ。幸せだ。幸せだ。生きていられるのは幸せだ。自虐はやめよう。自虐をやめれば楽になる。私は女が恐くなくなった。嫌いでもなくなった。差別もしない。目の敵にされる必要はない。休養しよう。今こそ休養しよう。自虐をやめよう。義人になるとはそういうことだ。
自虐をやめよう。これから一か月これだけ気をつけよう。忘れないように。色々言ってもできないから、これだけ。義人になる。これは同じことだ。幸せということと感謝しているということ。これだけで良い。といっても三つだが。三つくらい覚えられるだろう。覚えられないなら自虐をやめるだけでもいい。自虐をやめるのだ。誰もいじめていない。自分で自分の首を絞めているだけだ。
幸せだ。ありがとう。私を生かしてくれている全てに感謝。どーんと生きていこう。どんな状況になっても怯えずに勇気を出して生きて行こう。自虐をやめれば楽になる。あれこれ考えずにこれだけやっていこう。
自虐をやめよう。自分を尊重しよう。愛そう。幸せだ。ありがとう。嬉しい、楽しい。自分を愛そう。自虐をやめよう。職場で生きていくためには自分を出さないといけない。そうすると変な奴と衝突する。すると落ち込む。私の作戦は義人であることだけだ。絶対に文句は言わせない。自虐をやめて義人であることだ。芸術家だって政治家だって商人だって、義人だ。誰が悪者になりたいものか。悪い人はいないのに悪い人間と間違えられる。
義人になること、自虐をやめることが私の唯一の答だ。この答は間違っていないようだ。図書館に行ってもスーパーに行っても間違っていないことが証明される。
ずいぶん良くなった。苦しい戦いだった。自分との戦い。自虐をやめた。義人になった。何で戦わないといけないのかわからない。何で喧嘩売ってくるのかわからない。私は普通にしているだけなのに何でそんなに攻撃してくるのかわからない。どんだけ攻撃的なんだ。本当に恐くなった。これはいくら頑張っても勝てないと。というかどうして戦わないといけないのかわからなくなった。そしてうつになった。もうそれは終わりだ。私は回復した。女なんか恐くない。何で恐がる必要がある。義人であること。戦うまでもない。色情狂が興奮して襲い掛かってきても大丈夫だ。自虐はやめた。
パキシルを飲んだ。楽になるだろう。今日はゆっくりしよう。
人の悪口は言わない。最近は毒舌はやめた。悪人は疲れるからやめた。本気にして攻撃してくる。訳がわからない。義人になる。自虐的にならない。幸せを感じる。ありがとうを言う。
少し寝た。風邪を引いてからどうも調子が悪い。調子が悪くても幸せだ。ありがとう。人のことはどうでも良い。自虐はやめた。ゆっくり休もう。私は良い人間に戻ろう。悪いことをしてもいい結果が出るわけはない。自虐はやめた。劣等感、悪徳裁判官は追放した。どんどん良くなる。
大仙公園に行ってきた。休日は人が多い。だいぶ歩いた。百舌鳥八幡を探したがよくわからなかったのでまた今度にしよう。帰りに電車がなかなか来ないので腰が痛くなった。不平不満になるが。でも幸せだ。ありがとう。むしろ前頭葉を使いすぎなのだ。悪いことに。だから少し休ませた方がよい。性的なことが若い頃から頭を占めてきたのだ。それに変態性欲的なことをやったので、というか視覚刺激で頭がおかしくなっている。これはしかし悔い改めることで許されている。今日はずいぶん具合が悪いんだなとわかった。ずっと軽いパニック状態だった。こんなことは余りない。私は女性的なので優しくされたいと思っている。でも世の中には女性的な男性はいくらでもいる。ゲーテだってそうだ。むしろ女性的なことを誇りに思う。芸術的感性に優れている。共感性にも優れている。愛がわかる。優しくされたいと思うのは男としてはどうもおかしく映るのだろう。でももう気にしない。これでいいのだ。今更どうこうしようとか苛立ったりしない方がいい。ありのままの自分でいい。焦るからおかしなことや悪事を働いてしまう。変なビデオを見てしまう。自然でも見ていたほうがいい。自虐的になるな。今日はゆっくり休もう。本当に疲れている。人より安定しない人生だがもっと不安定な人だっていっぱいいる。気にしないことだ。自分を大事にしよう。自分を尊重しよう。自虐をやめよう。義人になろう。
誰のせいとかじゃなくて調子が悪くても幸せだ。感謝しています。誰かのせいにしたり、恨んだり憎んだりはしない。当然だ。自分を尊重する。誰にも馬鹿にされたりしていない。自虐をやめる。義人になる。
今日は疲れた。ゆっくり休もう。前頭葉を無駄に使っている。エロなこととかに使ってきたためにえらいことになっている。真面目になろう。義人になろう。自虐をやめよう。でもこれからどんどん良くなる。パキシルでどんどん良くなる。悪いことを止める。悪いことは全て自虐行為だ。人を差別したり憎んだりすることも自虐行為だ。義人であることだけが正しい答だ。
嬉しい。楽しい。感謝している。ありがとう。真面目な人間だったのにどうしてしまったのか。今からでも遅くないから真面目になろう。自虐という悪事をやめよう。自分を大事にしよう。
お前は素晴らしい。自虐という悪事さえしなければ素晴らしい人間で社会に貢献できる。人に信頼され、愛される。
書き続けてきた日記。中学生の頃からだから、もう30年以上にもなる。信じられない。良かったのか悪かったのかわからない。自分を悪くしたかもしれない。真実を知ることがそんなに重要だろうか。幸せになることのほうが大事だ。今、幸せだ。ありがとう。私を生かしてくれてありがとう。幸せになろう。一所懸命働いて幸せになろう。虐待はもううんざりだ。自虐はもう絶対嫌だ。
調子が悪いとパニックになるが、悪くてもいいのだ。良くないといけないという思い込みがいけない。悪くても大丈夫だ。悪くても自分だ。大事にしよう。
大丈夫だ。幸せだ。ありがとう。どんどん良くなる。私はもう大丈夫だ。聖人になった。悔い改めた。自虐は止めた。自虐は止めた。素晴らしいことだ。悪いことはしない。
私は悪いことはしない。自虐は止めた。悪事は全て自虐だ。自虐の喜びだ。絶対にやめよう。やめると決めたら絶対にやめよう。
明るく楽しき生きよう。簡単なことだ。悩み苦しみ、ネガティブな気持ち、自虐の気持ちはもう一切合財完全に捨てよう。明るく楽しく天国言葉を言って生きていこう。今初めてそう思った。嬉しい、楽しい、幸せ、ありがとう、ツイテル、感謝してます。許します。あんなババアがどうしたこうしたなんかあほらしいじゃないか。貴重な人生をそんなことに無駄遣いするなんて。この人生は一度しかない貴重なものだ。両親や先祖に感謝しないといけない貴重極まりない時間なのだ。一人に一度きりの貴重な時間だ。明るく楽しく生きていかないでどうする。あんなババアの嫌がらせなんか関係ないじゃないか。明るく楽しく生きていこう。自虐はやめよう。ネガティブはやめよう。
明るく楽しく生きていこう。b校の最初のときもひどかった。あのnはおかしい。いきなりそばに座ってきたのでものすごく恐くて、離れたら、根にもたれてひどかった。おかしいんじゃないのか。明るく楽しく生きていこう。家族はいなくても明るく楽しく生きていこう。それは一人さんの教えと完全に一致する。商人だろうがサラリーマンだろうが同じことだ。明るく楽しくただそれだけだ。自虐は絶対永久にだめ。私は善良な人間だ。何で虐待されないといけないのか。明るく楽しく生きていこう。



2006年11月04日(土) 三連休

世間は三連休らしい。楽しい。幸せだ。昨日は三時くらいに目が覚めたようだが、苦しくはなかった。脳がダメージを受けているからか。順調に回復している。パキシルもよく効いているし、ぼけているが、順調に回復している。怒りは無用だ。自虐はやめる。明るい気持ちになる。義人になる。あの職場の女どもでも優しくしてやればうまく行ったかもしれない。恐がらせてもろくなことをしない。優しい人間ということを理解されない。義人であればいつでも誰でも優しくできる。もちろん自分にやさしくできる。自分を尊重できないと人に優しくできない。劣等感、完ぺき主義、悪徳裁判官、を追放する。自分を尊重する。虐待しない。自分を虐待する人間と付き合わない。虐待を誘発しない。
ああ幸せだ。朝食がおいしかった。コーヒーがおいしかった。
義人であること。幸せだ。コーヒーがおいしかったのでもういっぱい飲もう。洗濯も終わったし、どこかへ出かけよう。やっぱり脳が少しおかしい。でも気にしない。幸せとはそういうことではない。本が読めなかったとしても幸せにはなれる。義人になろう。性的なことではなく人間的な優しさが大事だ。犯罪じみたところはなくそう。大学を出たときはもうやる気をなくしていた。もう過去は振り返らない。良い人生だ。幸せだった。幸せなことがたくさんあった。今も幸せだ。偉くなっても金持ちになっても幸せでない人はたくさんいる。
幸せだ。義人になることにした。遅すぎることはない。これからが本当の人生だ。聖人になる。悔い改める。悪い点はどんどん改善する。
幸せだ。何も困ったことがない。良い天気だ。幸せだ。
劣等感、悪徳裁判官を追放した。自虐もやめた。差別もやめた。虐待する奴に依存することもやめた。義人であること。聖人であること。悔い改めること。自虐をやめること。
小さな幸せを味わうこと。小さな幸せの積み重ねが大きな幸せになる。昼くらいになると少し具合が悪くなる。でも幸せだ。小さな幸せを感じよう。
戦争は前世紀の遺物だ。もうやめたほうが良い。先進国のすべきことではない。核武装論などやめたほうが良い。楽しいこと、平和なことが求められている。戦争など誰も望んでいない。
幸せだ。私は粗野で無知かもしれない。洗練されていて知的だと思っていたが、暴力的で野蛮かもしれない。もっと平和的になろう。もっと優しくなろう。
自虐はやめよう。根本的な変革だ。悪い点を改善しよう。
池上曽根の催し物に行ってきた。年寄りばっかりだった。でも穏やかで良かった。安全な感じがした。人間も年を取ると感覚も鈍くなって、穏やかになる。今日も無事過ごせた。幸せだ。脳もゆっくり回復している。一時的なものだ。緩やかに回復する。むしろこういう状態のほうが穏やかで平和だ。風邪が残っているのでハイキングは避けた。順調に回復している。自分を虐待するものに依存するな。自虐をするな。義人であれ。聖人であれ。全く新たに人生をやり直そうと思った。悔い改めようと。何でもめないといけないのかわからない。悪事はやめた。善人というか、普通の人間になろう。それが義人ということだ。劣等感、悪徳裁判官を追放しよう。自虐をやめよう。
ああ幸せだ。酒を飲んだ。おいしかった。ていうか死ね。私をいじめる奴は死ね。何で仲良くしないといけないのか全くわからない。以上終わり。
幸せだ。酒をたらふく飲んだ。おいしかった。



2006年11月03日(金) 文化の日

昨日はしんどかった。今朝というべきか、一時頃目覚めて眠れなかった。不安が強まった。でも大丈夫だ。ネガティブなことは書かないのだった。人は優しいのだ。昨日そう思った。私は粗野で乱暴なところがある。もっと優しくしよう。良心を取り戻そう。自虐をやめよう。自虐をやめて、良心を取り戻せば大丈夫だ。過去の罪は反省し、悔い改める。これからは良心に反することはしない。悪は私の本性に反する。人と仲良くしよう。人は優しいのだ。町を歩いていて普通の日と、通りすがりの人でも他人とは思えない。親しみを感じる。悪は私の本性ではない。良心に従って義人になって生きよう。一所懸命働いて生きよう。私は理解されている。人は優しい。私が悪人の振りをしなければいいのだ。
自虐をやめよう。虐待を誘発するようなこともやめよう。虐待する人間に近づくのもやめよう、仲良くしたり、媚びたりするのもやめよう。良心を取り戻して、気高く生きよう。何で悪の道に入らないといけないのかわからない。まともな人間になろう。休みの原因になったのはhとのトラブルだった。私はあいつが嫌いでそれが態度に出たのだ。それに報復して私にいじめを始めた。それで病気になった。これで最後だ。維持することは不可能だろう。もう我慢の限界だ。
悔い改めよう。悪いところはどんどん直していこう。今まで自分を直そうと思ったことはない。今度こそ自分を直そう。悪いところがあることは確かだ。色々悪いことが起こった。でも私は必ず立ち直る。悪いことはもう二度としない。頑張れそうになった。脳にダメージを受けても大丈夫だ。
きっとうまく行く。立ち直れる。良いことが雪崩のように起きる。ツイテル。嬉しい。楽しい。幸せ。ありがとう。感謝してます。許します。自分を責めるのではなく、悪いと思ったことはどんどん改めていこう。これだけ悪いところがいっぱいあるということは改善点がたくさんあるということだ。それだけ良くなる余地が大きいということだ。嬉しい。
良くなろう。きっと良くなる。きっと良くなる。私は自分の悪いところに気付いた。どんどん直していけばいいのだ。どんどん良くなる。
自虐をやめよう。悪いことをするのをやめよう。人を憎むのをやめよう。人と争うのはやめよう。優しい者でいる。つつましくあれ、人の先に立つな。
きっと良くなる。良心を取り戻そう。自虐はやめる。まともになろう。
パキシルとデパスを飲んだら少し眠れた。救われた。やっぱり脳がダメージを受けて、何もする気がしない。そういうネガティブなことは書くまい。今がどん底でこれからどんどん良くなってくるのだ。
頭の働きが鈍くなっているがそれはそれでいいのではないか。何も困らないし、悪いことを考えなくなった。小さな幸せを見つけよう。今日はパキシルとデパスで少し眠れた。久宝寺界隈を散歩できた。帰りの電車で小さい女の子を見ることができた。ビオレなどの買い物ができた。人が恐くなかった。トラブルが一切なかった。今日も無事一日暮らすことができた。朝元気がなかったが、何とか乗り切った。何も困ったことはない。幸せだ。皆親切で優しい。困ったことは何もない。
小さな幸せ。コーヒーを淹れて飲んだ。おいしかった。今日も一日無事暮れた。かつてなく落ち着いている。どんどん良くなっている。脳のダメージは大騒ぎする必要はなく回復している。パキシルはよく効いて安定している。
名古屋の干潟のテレビが面白かった。
小さな幸せ。大根の煮物がおいしかった。うどんの番組が面白かった。うどんの番組は人生の真実が描かれていて感動した。生きる力になった。
この日記に書き込むだけが私のコミュニケーションだ。今はそれでいいのだ。今他人と接するのは危険だ。自虐になる。穏やかに人を避けて暮らすことも時には必要だ。
義人になることだ。遅すぎることはない。悪の道から抜け出すのだ。悪なんか何もならない。胸が悪くなる。私は元々善良だ。自虐はもうやめよう。偽悪はもうやめよう。
風呂は良い湯だった。ビオレをあけて使ったら具合が良かった。風呂も掃除したらもっといいのだ。改善点発見。これが悪い点を改善することだ。今日も何とか一日乗り切った。結構高度な自分との戦いを毎日やっているのだ。遊んでいるのでも怠けているのでもない。頑張っているのだ。これ以上は頑張れない。小さな幸せを見つけていこう。パキシルと脳の状態とのアンバランスはのんびりやることで保っていこう。なぜかすぐパニックに襲われやすくなった。脳が思ったように動かないので恐いのだろう。のんびりやればいいのだ。小さな幸せを見つけながらのんびりやろう。義人になることにしたのだ。



2006年11月02日(木) 11月

もう11月か。早いものだ。浮世のことはみんな忘れた。抗うつ剤を夜飲んだらどうも具合が悪い。睡眠薬と相性が悪いのか、頭が痛いし、なかなか寝付けない。自分も動物的な粗野な面もあるし、欲望もある。人がそうだからといって非難はできない。欲望はあっていいと柴村さんも言っていた。そうだと思う。一人さんも欲望があったからお金儲けできたのだ。今調子が悪いが、パニックに陥らないようにしよう。休み始めた頃の状態がベストだとは今は思わない。躁状態だったのだ。今のほうが安定している。少し、ハッピーで少し、嬉しい、少し楽しい、少しラッキー。いっぱい感謝している。いっぱいありがとう。いっぱい許します。パキシルは二日に一回でもいいくらいだ。
バランスの取れた義人になりたい。悔い改めて聖人になりたい。それしか生きる道はない。悪いことをして得するだろうか。自分をいじめて得するだろうか。自分を虐待する奴に媚びて得するだろうか。仲よくできるだろうか。劣等感と悪徳裁判官から自由になろう。死を必要以上におそれない。
最初の頃のような高揚はない。でも今はこれでいいのだ。義人となって誠実に生きる。間違ったことをしない。自分をいじめない。自分をいじめる奴に媚びない。自分をいじめる奴と仲良くしない。
自分をいじめなくなってからどんどん良くなっている。自分をいじめる奴に媚びなくなってからどんどん良くなっている。これからもどんどん良くなる。もっともっと良くなる。
今日は久宝寺公園と平野郷めぐりでもしようか。大阪の街中だが、ウォーキングもできる。
脳がちょっとおかしいので不安になり、パニックになりやすい。対人関係も不安になりやすい。でも気にすることはない。今はそういう状態だということを意識して少し注意すればよいだけだ。
ちょっと調子が悪い。だが気にする必要はない。波があるのだ。誰も恨む気はない。風邪は少し残っている。誰も悪い人はいない。
ちょっと調子が悪いけど、こんなものだ。低空飛行だ。悪くなることもないからこれでいいのだ。安定飛行、安全運転だ。
私は何も悪くない。どんどん良くなっている。これからもどんどん良くなる。
私は悪くない。堂々としていれば良い。何より義人となったのだ。これは大きい。私が迫害を受けたり、いじめられたりする原因の100%はこれだからこれさえ気をつければ何も恐がる必要はない。何で自分で自分をいじめたり、自分をいじめる奴に媚びたり、仲良くしたりしないといけないのだ。絶対にやめよう。何でhやkやiと仲良くしないといけないのだ。z氏も同じことだ。何で仲良くしないといけないのか。
今日は散髪に行ってきた。何か親切にしてくれる半面恐い気がした。怖いという感情は不適切だろう。世の中は私が考えているより、優しく親切であるという感じを持った。
すっかり昼間の町に慣れてしまった。変な目で見られている感じもしない。楽しい。パキシルの威力はすごい。前頭葉が回復するのは間もないだろう。いったんそうやって衰えた方が真の気付きが訪れて良かった。義人聖人になろうと思ったのも一人さんの教えに気付いたのもその後だから。庶民の気持ちがとてもわかる。義人になるとは無理して良いことをするとか募金するとかそういうことではない。普通に働くことだ。妻子を養うことだ。社会に貢献することだ。どうしてそこをすっ飛ばしてボランティアとか考えるのか。間違っていると一人さんは言った。世の中はそう恐くない。悪くないと感じた。人は親切で善良だ。そうでない奴もいるだろう。でもそんな奴は誰からも相手にされない。私も相手にしないだけの話だ。どうしてそこで悩む必要があるだろう。私も幸せになりたい。私は義人だから幸せになる権利がある。悔い改めた以上、私にも幸せになる権利があるのだ。
前頭葉はやがて治るだろう。私は蘇るだろう。復帰するだろう。何も問題ないだろう。
本当に楽しい。酒を飲んだ。明日は休みだからだ。楽しい。楽しい。脳が衰えても関係ない。



2006年11月01日(水) 11月

今日からもう11月か。早いものだ。今朝ババアの夢で目が覚めた。数十歳若返っていた。気持ち悪い。風邪を引いた。昨日、病院でクーラーをがんがんかけられたからだ。犯罪だこれは。今朝寝覚めが割りと良かった。最近こういうことが多い。やっと治ってきた。貴重な一日と思う。朝起きて会社に行かなくて良い。これはありがたい。本当にありがたいと思う。どこそこに出かけたいとか思わない。これだけで幸せだ。少し、ついてる。少し嬉しい、少し楽しい。少し幸せ。これが一番良い。有頂天というわけではなく少しうれしいというのが良い。小さな幸せ。最高のしあわせじゃないと満足できないのは、何か麻痺している。私は素晴らしい。悪徳裁判官が困った困ったといっても何も困っていない。私を今はすごく愛している。大事にしている。すごく変わってきた。
パニックからだいぶ落ち着いてきた。大人になった。義人になった。人に見られても何も思わない。卑屈にもならない。良くなった。パキシルは2日に一度でもいいくらいだ。よく効く。自分をいじめない。自分を虐待する奴と決別する。依存しない。機嫌を取らない。仲良くしない。誰とでも仲良くできると思うな。
自分はとても良くなっている。どんどん良くなる。全く変わった。すごく気分が良くはないが悪くはない。最近はこういうのが多い。盛り上がらない。面白くないのは脳がダメージを受けているからか。でもゆっくり回復するだろう。義人になったからだ。義人は元気がないのだ。
今日も昼くらいになると元気がなくなった。いつものことだ。パニックに陥らないように。困ったことは起こらないのだ。映画に行くか、公園にでも出かけよう。布団かぶって寝ていても良い。
自分を虐待する人間は機嫌を取る必要はないし、仲良くすることはできない。我慢することも不可能だ。離れるしかないだろう。虐待を止めさせることも多分できない。経験上。劣等感にとらわれたかわいそうな人間なのだ。私もかつてはそうだった。悪徳裁判官が心の中に住み着いているのだ。
いつも犯罪者のように怯えて人を信用できず、おどおどしていると人は疑わしく思って、ぎこちなくなる。義人の気持ちになって、人を信用して心を開いているとそういう態度になる。自分で自分をいじめないことだ。
今日はmovix堺に「トンマッコル」を見に行った。面白かった。平日なのに人が多かったので不思議に思ったが、料金の安い映画の日と気付いた。映画は桃源郷じみた集落に朝鮮戦争時に韓国軍、北朝鮮軍、アメリカ人兵士が迷い込む話でわかりやすかった。戦争は本当に嫌だ。でも映画は暴力シーンとか戦争シーンが多くて、あまり良くなかった。反戦も楽ではない。この間見た少年兵の話も嫌だった。帰りにネルシャツと秋物のズボンを買った。今日は何とか無事に過ごせた。前頭葉中心にぼけた感じが残る。でもだんだん良くなっている。あと1,2ヶ月で良くなるだろう。少しくらいぼけていても日常生活には困らない。
自分をいじめてはいけない。自分をいじめる人間に媚びる必要はない。機嫌を取る必要はない。仲良くする必要はない。これだけ気をつけているとすごく気が楽だ。自分を虐待する奴と仲良くしようと長年悩んでいた。どうしたらうまくやっていけるかと。自ら悪になればいいんじゃないかと思って、悪になったこともあった。馬鹿だ。悔い改めた。義人になろう。聖人になろう。悪と仲良くしなければいいのだ。自分をいじめる奴と仲良くしなければいいのだ。誰からも好かれるなんてありえない。自分を虐待する奴と仲良くしなくていいというのは本当に楽だ。全ての問題が解決したような気がする。劣等感や悪徳裁判官も追放した。楽だ。もう怯えることはない。不安とか妄想もなくなってくれるといい。
自分をいじめるものの機嫌を取る必要はない。自分をいじめるものと仲良くする必要はない。自分で自分をいじめてはいけない。これだけですごく楽になった。
すごく楽になった。自分をいじめる奴の機嫌を取らなくていい、仲良くしなくていいんだったらこんな楽なことはない。何だってできるじゃないか。
完ぺき主義じゃなくていいじゃないか。自分いじめはそこから来るらしい。今日も良い一日だった。


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