* たいよう暦*
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2004年04月30日(金) 思い出

思い出があるから悲しみも深いけれど、思い出があるから生きていけるんだろうか。
そんなことを考えながら、一日が過ぎていきました。


2004年04月29日(木) おわかれ

12月10日生まれの小さな小さな友人は、やさしい春の日射しがさしこむ部屋の、花柄の小さな棺の中で待っていてくれました。

近々郵送するはずだった彼女へのプレゼントの絵本を友人に渡すと、静かな声で、読んできかせてあげてくれました。
「ほんと、絵本みせるとじっとみよるんよね」
何度も何度も涙をぬぐいながら、小さな小さな友人の話をしつづけてくれた二人。
何度も棺をのぞきこんでいる私に、
「もうすごく冷たくなってるんやけどね。さわったって」
と言ってくれました。
眠っているかのような彼女をびっくりさせないように、そっと手をのばしました。
ほんとうは来月か再来月に頬ずりするはずだったほっぺたに・・・。
肌はつるつるで、ふっくらとしていて、ぷくぷくしていました。
びっくりするぐらい冷たかったけれど、その冷たささえなかったら眠っているとしか思えないぷくぷくしたほっぺただった。

出棺の喪主の挨拶の時、友人は右手のてのひらを、しっかりと小さな小さな友人の乗った車の扉にあてていました。
友人の手のひらから、その中の棺へ、その中の棺から、友人へ、間違いなく何かが流れているのが見えたような気がしました。

「生まれてから139日、精一杯生きてくれました。生きることをあきらめない子でした」
声をふりしぼり語る友人の言葉に、139日という数字の短さに、その時間に私たちに残してくれた思い出の数々に、涙があふれてとまりませんでした。

「大変な時に、たくさんの人が祈ってくれました。あの時助かったのは、医療の力ではなくて、たくさんの祈りの力だと思っています。どうもありがとう」

最後に何度も名前を呼びながら、頬ずりして抱きしめていた友人二人の姿が忘れられません。
こんなにも悲しみと嗚咽にみちているのに、びっくりするほど晴れ渡った春の一日でした。

あたたかい陽射しの中を、ゆっくりと小さな小さな友人を乗せた車は出発していきました。
どうかどうか。
どうかどうか。安らかに・・・。
車が見えなくなるまで、見送りました。

これから、私たちに、なにができるだろう。
これから、私たちは、どうすればいいんだろう。
できることは、少ないけれど、小さな小さな友人のために、そして、二人の友人のために、なにかできることはないだろうか。
春の陽射しの中で、じっと考えていました。
まだ、答えはみつかっていません・・・。

小さな小さな友人。
139日間、どうも、ありがとう。
たくさんのことを、あなたから教えてもらいました。
どうも、ありがとう。
どうか、どうか、安らかに・・・・。


2004年04月28日(水) 伝えること

胸の痛い一日でした。
ふとした隙間に、ため息が漏れてしまいます。
ため息をつくと、少しだけ胸の痛みがとれるような気がしましたが、それは気のせいなんだって、次のため息をつく前に気づきます。

なにかの拍子に、涙がどんどんあふれてきます。
でも、まだ、流しはしません。
涙を流すべき人がいるのだから、私なんかが
流しちゃだめだと、思っていました。

「いいんちゃうか、泣きたい時は泣けば。
 悲しいんだから。悲しみに比較はないで」

向かい合って座っていた人が言いました。
そうか。流していいのか。
深夜のファミレスで、どんどん涙が流れました。

「でも、俺は’つらい’って言葉は使わないようにしようと思う。だって・・・」

向かい合って座っていた人も、目にいっぱい涙を浮かべていました。
私たちの’つらさ’と、二人の’つらさ’。
比較なんてできないけれど、でも、同じ’つらさ’や’悲しみ’を感じているのだと思います。

「二人によろしく伝えてな」
明日行きたくても行けないその人は、ファミレスの前で、すごい思いのつまった目で私を見ました。
その思い、間違いなく明日伝えなくては・・・。
二人にまっすぐ届けよう。


2004年04月27日(火) 突然

つらいつらいしらせが、突然届いた。
あまりに突然で、言葉を失った。

「あぶない、応援してくれ」
「がんばれ、って、祈って」
携帯に届いたメール。
祈ることしかできない私たちは、たったひとつのことを信じて、心から祈った。
心が痛くなるぐらい、祈り続けた。
小さな小さな友人は、精一杯がんばり続けた。
一生懸命、一生懸命・・・いのちの’あかり’をともし続けようとがんばった・・・。

「いきる」こと、「あきらめない」こと。
「とびきりの笑顔」と「とびきりのしあわせ」を私たちに教えてくれた小さな小さな友人。
どうも、ありがとう。

あさって、あなたに会いにいきます。


2004年04月26日(月) ばたばた

GW前は、一気に物量が増えて、一気に仕事が増えます。

ばたばたばたばたばた。

でも、こんなに忙しいのも、キライでは、ない。


2004年04月25日(日)

今日は、初めての道を迷わず行って、迷わず帰ってこれた。

すんばらしい!


2004年04月24日(土) 春の気候

日射しがとっても強くて、日のあたるところを歩いていると汗ばむ陽気。
すっかり、初夏のよそおい。

お茶しようと入ったお店で、日陰のテラス席に案内された。
最初は涼しいなあと思っていたのだけれど、ちょうど夕方にさしかかる時間であったことも手伝って、日がかげりだすと急に温度が下がり、すっかり体が冷え切ってしまった。
まだまだ、春。
少し気をつけて感じてみれば、季節は正しく過ぎているようです。


2004年04月23日(金) 夜のドライブ

教習所で「夜間教習」があった時は恐怖でがちがちだったけれど、今は、夜のドライブがすき。

夜は、どこまでもつながっているような気がして、どこまでも行けるような気になるからかも、しれない。


2004年04月22日(木) 登山靴

最終候補ふたつまで、しぼりきれました。

ふう。
長い道のり。
あと、もうひといき。

相棒探しは、むずかしい。


2004年04月21日(水) 間違えた答え方

Q.去年はどこの山に登りましたか?
A.奥穂高です

Q.山小屋泊ですか?
A.いいえ、テント二泊です

Q.これから登ってみた山はありますか?
A.いつか○○○○○に登りたいと思っています

本日4回目の登山靴探しで行ったお店で出されたのは、こんな質問。
で、素直に答えた私に持ってこられたのは、総皮のめちゃくちゃ重い、真剣な登山が出来そうな靴。
ええ?!そんな真剣なやつ出されても・・・。もっと軽いやつでいいんですけど・・・。

どうやら、私の素直に答えたことが、誤解を生んだらしい。
普通の人は、初めての登山でテント泊はしないし、奥穂にも、登らない(らしい)。
だから、私の答えを聞いて、おじさんは私が「素人ではない」と判断したみたいなのだ!

おじさん、まだまだ人を見る目が甘いなあ〜。
素人ではない人は、
「北アルプスとか登られたんですか?」
「え?えーっと・・・奥穂です」
「・・・それも北アルプスですよ」
ってなトンチンカンなやりとりはしないハズ。
わたくし、ずぶの素人です。
もっと、軽いシューズを出してくれえ〜!


2004年04月20日(火) ちゃちゃ丸

飼い猫のちゃちゃ丸。
体重8キロの、超でかシャム猫だが、
その頭の良さと美しさは、他の追随を許さないわが家のアイドル!
のたりくたり、と眠っているのをなでていて、ふと、顔が汚れていることに気づいた。
毎日顔を丁寧に洗っているはずなのに、おかしいなあ〜とよくよく
見ると、

「・・・・!」

なんと白髪だった!
ちゃちゃ丸の顔は、シャム猫特有に焦げ茶色なのだが、そこにちらほら白髪がまじっているのである!

「ちゃちゃ丸が、ふけたぁ〜」

ひええええ。
これは、親に皺が増えた、や、親の白髪が多くなった、よりもある意味ショックが大きかった。
親と違い、いつまでも変わらぬ姿であるだけに、彼の年齢を感じたことはなかったからだ。
よくよく数えてみると・・・10才を越している!
今日、彼の白髪を見るまでは、その「老い」を忘れていた。

「ちゃちゃ丸ぅ〜!元気でいてなぁ〜!」

まだ。
いや、もっともっと。
いつまでも、元気でいてもらわなくちゃ、困る。
10年ともに暮らし、10年同じように時を重ねてきた。
家族、であり。癒し、であり。
人間よりも、いのち短い動物であるけれど。
人間より、先に死ぬのがかわいそうだから、という人もいるけれど。
それでも、わが家は、つねに動物と共に暮らしてきた。
教えられたことは、たくさん、ある。
まだ、ちゃちゃ丸に教えてもらわなきゃならないことも、たくさん、ある。

「ちゃちゃ丸、長生きしてや〜」

知ってか知らずか、のったりくったり眠り続けるちゃちゃ丸。
「老いる」のは、どうか、ゆっくりで。
まだ、しばらく。
いや、もっともっと。
そばで長生きしてね。


2004年04月19日(月) 菜の花

きのう、すごくきれいな菜の花の横を通った。

「あ、菜の花や」
「あっ、すごーい!きれいやね〜」
「・・・春パスタ、食べたいなあ」

きれいな黄色の菜の花を見て、菜の花の入った春パスタを思い出すなんて・・・?!
花より団子?!

そしてそのまま、「夜は絶対ごはん派」な人が、おいし洋食屋さんで夕食に「春パスタ」をばくばくたいらげていた。
ごはん派なその人が、夕飯にパスタを注文しているのを見たのは初めてだった。
よっぽど、おいしかったんだろうな。
それにしても、珍しいことも、あるものだ。

そんなこんなで、今日は、雨。
この雨は、あの人のせいだよ。


2004年04月18日(日) 玉砕

本日、三度目の挑戦の登山靴探しです。

「かたい」「いたい」「きつい」
という感想しか出なかった、前2回。
今度こそ!という意気込みで出かけたものの、なにか質問されるのが(全く答えられないので)怖くて棚に近づけない。

「・・・・・・」

じいっと見ていても、仕方ない。
自分を奮い立たせて、ひとつ、手にとってみる。
ああ。色がいやだな〜。
デザインの悪さや色の悪さに、腰がひけてしまう。
しかし、登山はデザインではないのである!
機能重視なのである!
仕方ない、色には目をつぶり、まずは手に取ったものを履いてみる。

「・・・・・・・」

かたい。
やっぱり、こんな感想しかでないよお。
この状態で、自分にあってるかどうかなんか、わかんないよお。

「どんなのをお探しですか」

ああ!恐怖の質問がやってきた!

「えーっと、えーっと、軽い登山に行く時に履いて、スノーシューにも履きたいです」
「じゃあ、これかこれ履いてみたらどうですか」
ふう。一問クリア。
しかし、まだ気は許せない。

「・・・・・・・」
これも、固い。

「履き心地はどうですか?」

きた!この質問が怖いのだ。

「・・・・・かたいですね」
「・・・・・(苦笑)。履き心地とか」
「・・・・・快適では、ないですよね」
「・・・・・(苦笑)」

ああ。
このやりとりが怖くて、棚に近づけなかったのにい。やっぱり今日も、同じ繰り返しだぁ。(ため息)

「とりあえず、それ履いて、しばらく歩いてみはったら?店内を歩き回ってください」
「・・・・はい」

がきーん、がきーん。
うっ。私の歩き方、間違いなく、あやしい。

「もっと、リラックスして!」
違うおじさんに、笑顔でアドバイスされてしまった。

「あっ、はい」

がきーん、がきーん・・・・

・・・・歩き回ること、5分。

「さて、どうですか?」
「・・・・・・ワカリマセン」

凍りつく、空気。
ひえーん、ごめんなさーい、だって、ほんとわかんないんですもんっっっっっ。

「じゃ、今度はこれ履いてみましょう」
「・・・・はい」
うなだれて、従う私。
「ほら、さっきと比べて、どうですか?」

・・・・・・?!?!?
もう、パニック。
え?さっきと比べて?
え?うう?

「楽ですか?きついですか?」
「・・・・・あまりかわらない気がします」
「・・・・・うーん、きゅうくつとか?」
「いや、えーっと・・・・」
沈黙。
「・・・・ワカリマセン」

こんなにわからないなんて、私の足には、神経が通っていないんだろうか?
それとも、他のみんなには、なんてことない質問なんだろうか?

ワカラナイワカラナイワカラナイ。

結局、あやしい動きと、「ワカリマセン」を繰り返して、ぐったり疲れて、店をでた。
完全に、玉砕。
うう。きょうこそは!と思っていたのになあ。
一体、私が登山靴を手にいれることができる日はくるんだろうか・・・・!

不安不安不安・・・・。


2004年04月17日(土) 散歩

たくさん、日の光をあびて。
たくさん、花を眺めて。
たくさん、鳥の鳴き声をきいて。

風にふかれて。
ぶらぶら歩き。

なにもしない、近所を散歩するだけの休日。
そんな休日も、好きになりました。


2004年04月16日(金) 道案内

「すみません。○○って、どこですか」

制服を着て、会社の周りを歩いていると、この時期ぴかぴかのスーツを着た人によく呼び止められます。

「・・・ごめんなさい。わかりません」
「えっ、わからないですか。このヘンの方ですよね?」

制服を着て、手ぶらで歩いていると、この近辺のプロ!と見えてしまうらしい。
そんな私に拒否されると、すごくダメージが大きいらしい。
一様にみなさん、ががーんという顔になる。

でも、意地悪で言ってるわけじゃ、ないのです。
私が人に道案内できるのは、ほんとうに数限られた場所しかないんだぁー。
時間に遅れそうになっていたり、ほんとうにきょろきょろして困っている人をみると、助けてあげたくなるけれど、助けてあげられないんだぁー。
何年も同じ会社に通っているのに、この間大きい郵便局まで行くのに私自身道に迷ってしまったぐらいなんだもーん。

なんて。
初対面の人に説明できるわけもなく。

「ごめんなさい。ほんとにわかんないです。あ、あの方に聞いてみたらどうですか?」
なんて、ビルの警備員さんとかを紹介してみたりする毎日。

会社近くを制服でうろうろする時は、どうもこそこそしてしまうこの時期です。


2004年04月15日(木) おめでとう

4月は、めでたいことが続きます。

今日は、私の姉貴分の、お誕生日。

おたんじょうび、おめでとーっ。
すてきな、一年が始まりますように・・・!


2004年04月14日(水) 数値化できないもの

「目標管理」と「賞与評定」と「能力評定」ってのを出すシーズンです。

このみっつで、今後一年間の給与が決まるわけですが、はっきり言ってまあ、建前。
数値化されて、実績がはっきり出る男性とは違い、私たち事務職の場合は、評価がむずかしい。
むずかしいのに、出そうとするから、ゆがみも出る。
ゆがみをみこんで適当なことにするから、もっと適当になる。

どっちにしろ、そんな適当なら書く意味がないような気もするんですが、そうも言ってられません。
ふむ。
会社勤めってのは、建前もきちんと使えねばならない、大変なものですな。


2004年04月13日(火) 元気

「なんか辛いことでもあったんか。いつもと様子が違うぞ」

と、心配されてしまった。
後先考えて行動するつもりで返事をしたら、思わぬ返事。

いやいや、ダイジョウブ。
なんにも辛いことなんか、ないよー。
私は、元気です。

(今までと違って、ちょっと、後先考えてみただけやねんけどなあ〜。
そんな心配されるとは・・・・。)


2004年04月12日(月) 理由はないんだけれど・・・

今日は、仕事に身が入りませんでした。

ま、そんな日も、ある。
ということで、
明日は心を入れ替えてがんばりまーす。


2004年04月11日(日) 別宅

私には、別宅が3軒ばかりある。
どれもこれもが居心地のいい、第二の我が家。

そのうちの一軒からお誘いがあり、久しぶりに泊まりにいった。
わいわい食べる夕食。
わいわい話すお菓子とテレビつきの夜更かし。
暗くなってから急にしだす話。
にぎやかな声とともに食べる朝食。

どれもが、すでに自分の習慣の一部になっている。

家族と過ごす時間も好きだけれど、
別宅で過ごす時間も好き。
心のそこからくつろげる別宅があること。
これ、私の財産のひとつ。


2004年04月10日(土) 腕前

友人に子供が生まれた時、自分でほれぼれしたことがある。

「私は、赤ちゃんや子供の扱いがうまい」

抱っこなんてお手の物。
おしめをかえたり、遊び相手になったり、離乳食を食べさせたり、天才的にうまかった。
なんで普通のOLやってるんだろう。幼稚園や保育園の先生が天職だったんじゃないだろうか・・・と思ったことも、何度かある。
新米ママや、子供の多い集まりでは重宝される腕前であった。

「おかーさん、私、ほんま子供の扱いうまいで〜。天才ちゃうか」

日頃、ほんとにあんたって子は!と注意されることの多い母に自慢してみた。
人間、一つぐらい才能ってものがあるのよ〜ふふふーん〜なんてノリで。

ところが、母。とっても冷静に一言コメント。
「そりゃ、きたえられているもんね」

・・・?
意味がわからん。

「筋金入りでしょ。7つ離れた妹の面倒みてきたんだから」

・・・・!
ああ〜!忘れていた!
あまりに妹が大きく育ち過ぎていたから、すっかり忘れていた!
そう!我が家には、私と7つ離れた妹がいたのであった!

小学校一年生の夏休み、妹が生まれた。
それからは、私にはお人形なんて必要なかった。
だって、妹をお人形がわりにすればよかったんだもの。
時には、泣き喚き、時には、よだれだらけにされるとんでもない生きたお人形だったけれど、私にとっても、その当時の私の同級生にとっても、すこぶるすばらしいお人形。
ミルクもおしめも抱っこも、全部その「生きたお人形遊び」で学んだのであった。

天性の才能だと思っていたのに、実は、経験から来る学習した能力なのだった。
なあんだ。私って、天才だと思っていたのに〜・・・。

それにしても、天才だと思いこんでいた自分のうぬぼれの強さにびっくりするとともに、妹の面倒を見た(みさされた?)こともすっかり忘れている自分の記憶力にも驚いた。
私って、大丈夫かいな・・・?

この鍛えられた腕前は、どこにいっても重宝される。
ありがとう、妹よ。
これ、すべてあなたのおかげ。


2004年04月09日(金) 先生

小学校一年生、二年生と受け持ってもらった先生とは、今でも年賀状だけですがお付き合いがあります。

一年間あったこと、それを思わず報告したくなる相手が、今でもその先生なのです。

生まれて初めて出会った「学校の先生」が、「先生」であったことを嬉しく思う。

今日は小さな友人の入学式。
彼女にも、そんな素敵な出会いが待っていますように。


2004年04月08日(木) 下駄

思いもかけないことを、半分下駄を預けられたような形になってしまった。

下駄を預けられたのが、半分でよかった、と思うのは、ちょっと逃げ・・・だろうなあ。
半分でも、下駄は、下駄。
私に預けられたものだもんなあ。
ベストをつくします。


2004年04月07日(水) 散りゆく桜

満開の桜の木の下でお花見をしてきた人達と、とある場所にむかいました。
歩いている途中川べりを通りかかると、なにかが大量に流れています。
あれ?とよくよくのぞいてみると、流れているのは、桜の花びら。
川べりに咲く満開の桜が風に吹かれる度に、川面が桜の花びらでうまります。

もうすぐ、桜の季節が終わってしまうんだなあ・・・


2004年04月06日(火) おめでとう

今日は、小さな友人のお誕生日でした。

生まれてから、731日目を迎えた彼女。
おめでとう。
すくすく、育ってね。


2004年04月05日(月) 実習生

「プレゼント用に包んでください」
と言うと、
「えっ」
と言われてしまった。
胸元を見ると、実習生と書かれた名札をつけている。
私も思わず、
「えっ」

彼、きっと、プレゼント用なんて初めてだったんだろうな。
「えっ(そっ・・・そんなむずかしいことをっ!?!)」
彼の名札を見た瞬間、彼の状況がわかってしまった私。
「えっ(先輩がやるんじゃなくて、あなたがするの?!)」
お互い同じ「えっ」でも、内容は全然違う。

包装紙を引っ張り出してきた彼。
手が、ちょっとぎこちない。
見ているこちらも、どきどきしてきた。
なかなか、いい位置が決まらない。

うーん。
うーん、うーん。
うーん、うーん、うーん・・・。

人の倍ぐらいかかって、なんとかできあがりました。
ちょっといがんだりしているけれど、丁寧にやっているので、そのいがみもあまり気になりません。
「大変お待たせいたしました。どうぞ」
笑顔がやっと出て、渡してくれた彼。
「どうも、ありがとう」
肩の力が抜けて、やっと笑顔をかえせた私。

はっと気づけば、同じように緊張して私たちを見ていた先輩達がいた。
彼らの顔にも、笑顔が浮かんだ。

こうやって、見守ってくれている先輩がいると、彼もどんどんのびて成長していくだろうな。
がんばれ、実習生!
負けるな、実習生!
じっと君のことを見守ってくれる先輩達に、いつ気づくのかな。
いい職場だね。


2004年04月04日(日) 花見宴会

今日は、毎年続いている”とあるあつまり”のお花見の日でした。

雨でも晴れでも風でも寒くても、
桜あるかぎり必ずとりおこなわれる宴会。

今年は、例年になく前日の夜中からの雨。
そして、激しい寒(かん)の戻り。
それでも、雨の降っている間はいつも行くたこ焼きやさんに避難して、晴れ間をのぞくのを待ち。
午後4時に雨がやんでから、寒空の中公園まででかけ、小一時間ほど桜をみながらブルーシートの上ですごしました。

今は、一斉にメールで連絡をとっているこの花見宴会の案内。
昔は、全て電話連絡でした。
それも、携帯なんか持っていなかったから、家の電話。
誰かのお母さんと話しこむ、なんてこともありました。
友人の家族と言葉をかわすうちに、友人の意外な一面が見えたり。
こういう家庭だったんだ、と思ったり。
それが、次第に、個人の携帯に電話をかけるようになり、そのうち、メールのやりとりになりました。
便利な反面、少しさびしくも、ある。
もう、友人の家族がどんな声だったか、忘れてしまった。
友人のむこうにすけてみえていた「家庭」というものが見えなくなって、「個人」とのむすびつきになってしまったなあ。
これが、世の中の流れってものなんですかね・・・。

一年に一回しか会わない友人もいるし、会ったこともない人も会えるし、いつもの顔ぶれもそろうし。
会えなくても近況を知れるし、来年会う楽しみがあるし。

おじいさん、おばあさんになっても、集まりたいな、と思う”とあるあつまり”のお花見宴会。
”大阪事務局長”というお役目を、今年も無事はたせました。

無事、終了。
たのしかった。
また、来年、会いましょう。


2004年04月03日(土) 特別ルール

我が家には、我が家の決まりごとがいろいろあります。
その中のひとつに・・・
「夕飯時間を過ぎたら、セルフサービス」

つまり、通常の家族の夕飯時間が過ぎたら、母業はもう休業。
時間外に帰ってきてごはんをよそうのも、お味噌汁をあっためるのも、洗い物も、自分のことは自分でしなさい(父以外は)という決まりです。

ところが、そんな我が家の夕飯時のお約束にも、ひとつだけ例外があります。
「餃子の時は、そのかぎりではない」

家族みんなが好きな、手作り餃子。
あまりのおいしさに「焼き加減もぜひプロ(母)の手で!」という強い家族の要望で生まれた特別ルール(笑)。
餃子の時だけは、どんなに遅く帰っても、シェフ自らが焼いて下さいます。

かりっかりに焼けたきつね色の皮と、にらとひき肉のかおり。
市販のものではでない、「我が家の味」と「プロの焼き加減」。
特別ルールの恩恵を受けて、餃子のおいしさは倍増します。
「特別ルール」も含めて、それが、我が家の餃子の味。
なかなか自慢の味ですが、なにせシェフの味ですので、自分で再現して人に披露することはまだできません。

今日は餃子パーティーで、「よそのうちの餃子」をいただきました。
「よそのうちの餃子」これがまた、おいしかった。
披露してくれた方は、笑顔で’そのおうちの味’をみなに提供していた。
「自分の家の味」を自分のものにしている人がうらやましいな。
私も、「自分の家の味」を自信を持って人に披露できるようになりたい。
その人の自信にあふれた手つきと笑顔からそう思った夜でした。

とってもおいしかった。
ごちそうさま、でした。


2004年04月02日(金) 新入社員

会社には、当然’カラー’というものがあります。
社風と言い換えてもいいでしょう。
社員の採用の時には、いわゆる’社風にあった人’を人事部が採用するわけです。

私たちが採用された頃、合併の話なんてかけらも出ていませんでしたので、それぞれの会社がそれぞれ採用をとり行っていました。
4月1日に、その二社の新入社員が、一社の新入社員として入社式に臨んだわけです。

同業種でも、会社によって、驚くほど社風が違います。
それが、異業種ともなれば「驚くほど社風が違う」ではすまないぐらい、いろんなことが違いすぎます。
そんな二社が採用した私たち。
一口に’新入社員’といっても、かなり、てんでばらばら。

てんでばらばらな私たちは、社会人一年生なので、社会人とはこんないろんな層が集まるのか、なんて呑気に構えていましたが、そのてんでばらばらさの根元は、採用元が社風の全く違う会社であるというところにありました。
苦労したのは、そのてんでばらばらを一カ所に集め、バランスを考えてチーム分けをし、研修内容を考えた人事部の人々でしょう。
あまりに違う個性をひとつにまとめていたんですから・・。

全員で毎日顔をつきあわせ、2週間の研修期間を終えるころには、てんでばらばらなりにも、なにかひとつのカラーというものができあがっていたように思います。
2週間の研修を終えた後は、それぞれ部署に配属。
そして、この私たち新入社員’あるひとつのカラー’が、「子はかすがい」という言葉のように、まったく関係のなかった二つの会社の橋渡しとしての役割を担うことになるのです。

’かすがい’だった私たち。
’かすがい’だったことを、少しほこりに思う。
’かすがい’の役目も、なかなか楽しかった。


2004年04月01日(木) 入社式

実は、私。
内定をもらった会社と、4月1日に入社した会社が違います。

正式内定をもらった10月から入社するまでの半年の間に、なんと、会社がつぶれてしまったんですねー。
いやはやいやはや。
正確に言えば、「吸収合併」なんですが、吸収された側の採用だったので、ま、早い話が「つぶれた」。
これは、なかなか人の体験しないおもしろい出来事だった・・・と今だから言えるけれど、当時はそれこそ、ふってわいたような災難だと思っていました。

面接も試験もクリアして。
内定がもらえるので「逆指名」という手続きをとることになったとき。
当時なにかと話題の多かった会社なので、就職課の先生に相談しました。

「つぶれないかどうか、心配です」
「大丈夫。バックにあんな大きな銀行がついているんだから絶対つぶれない!」

きっぱり言い切った先生。
なるほどね。と、最後の不安がぬぐいさられ、素直に手続きをした私。
質問はしたけれど、まさか本当につぶれるとはその当時は思ってもいなかった。

数ヶ月後に発表された吸収合併の話。
動揺して、就職課の先生のところにかけこみました。

「つぶれちゃいましたよ!どうしましょう!」
「つぶれたわけじゃない。名前がかわっただけだ。
 協和埼玉銀行が、あさひ銀行になったようなものだと思いなさい」
・・・・先生。それは違うと思うんですけど・・・。
・・・・先生。それはいいわけじゃないですか・・・。
いろいろわきあがる言葉はあったけれど、結局は先生に言えずに終わってしまいました。

「つぶれたわけじゃない。名前がかわっただけだ」だからか、採用が取り消されることもなく、無事4月1日入社式をむかえました。

4月1日合併初日に、入社した私たち。
合併後初の、新入社員。いわゆる、一期生です。
4月1日に、いきなり違う会社が同じ会社としてスタートすることになった会社。

今は、ひとつの会社として、整然と業務が執り行われていますが、あの当時はいろんなことで、てんやわんや。
それこそ、ひとつの事を決めたり、行事があったりするたびに、いろいろなことがおこっていました。
4月1日が来ると、そういう雑然としていた当時を、なんだかなつかしく思い出します。


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