こんな一日でした。
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宮城に戻って、制作中心の生活になってから、発表の機会が非常に増えた。発表の機会だけではない。制作の依頼も増えたし、地元のさまざまな方から、取材をいただくことも増えた。秋なので、発表の予定が続く。 以前は、〆切というと追われるような気持ちで、つらくなるのが常だった。今もつらくなくはないけれど、追われている気持ちの中で、緊張を保っている感じがする。つらい、という気持ちに逃げ込んだりしないで、やらねば、という思いを保てている気がするのだ。 あとは、もう少し成長して「やらねば」なんて思うことなく、ただただ制作することにだけ、すううっと集中できるようになれればいいのだろうな。
しかし、搬入というのは体力仕事。うおりゃ〜っ!とかけ声かけていかないと、怪我だってするものだ。美しい術と書いて美術だけれど、けっこう腕まくりにねじりはちまき、それが本当だったりする。
明日、あさっては高校時代の友達にモデルを頼み、塑像で彼女の首を造る予定。
「変わらないね」と、昔の友達に会うと嬉しくてそう言ってしまうけど、本当は変わっているはずなんだ。昔の友達と、現行の友情を保つためには、変わらない部分と同じくらい「変わった」ところを知らなければいけないと思う。
宮城に戻ってから、昔の友人に会うことも多い。そんな時、どうしても懐かしい話ばかりを繰りかえしてしまって、一通り過去を話すと、その後、やりきれないような沈黙が流れたりする。 「また会おうね」なんて言って、別れる。本当に会いたい気持ちでそう言うんだけど、あの沈黙が心に残って、もの悲しくなったりもする。
とある日、個性的な顔立ちの小学校からの友人にモデルを頼み、首を造った。彼女にはその間、ビデオを鑑賞してもらう。私は、時々「もうちょっと右」とか言って、あとは制作する。 これが、なかなか良かった。沈黙も問題にならないし、昔話より、近況を聞くより、変わらない彼女と、今の彼女を知ることが出来た。モデルをする、ということも結構イベントだから、友達にも楽しんでもらえる。作品も出来る。
君を理解したいとか、大事に思っているとか、いっしょにいると楽しいね、なんて、会話やもてなしの中で確認しあうようなつきあいは、私はすっかりやりたくなくなって久しい。 見て、造る。それが、私の一番の誠意ある対峙の仕方だと思っている。それを、理解してくれるなら、きっと友人は、今の私の友達なのだと思う。
秋に、宮城県芸術祭がある。初めて今年、出品することになったので、そのための下図をやっと今日描きあげた。
今回の絵は、ほとんど墨で仕上げたいと思っているので、しっかりと下図を決めておこうと思っていた。 本来の墨の仕事というのは、意識的でありつつ、即興性を含んだものでなくてはならない、とは思うのだが、今の私には、120号という大きさを、そのようにバシッと決めるなんて、不可能だろうと思う。 だから、せめて、ちゃんと紙と墨の美しさを活かせるよう、不用意な筆をおかぬよう、計画を練らないといけないと判断。しっかりと小下図を作った。
この、かっちり決めた小下図を、どれだけ自由な筆の緩急、墨の濃淡で活き活きと自由にさせるか、本画ではそれが課題。搬入は月末。集中、集中。
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