竜也語り

2005年03月28日(月) 黎明前(11)

☆雑誌☆


●「ポテchan」1997年〜ワガママなところが似てるかも!?〜

『それが答えだ!』が放映中のもの。写真は射抜くようにカメラを見つめているが、セクシーな感じではなく、どちらかと言えば“粋がったガキ”という感じだ(笑)。

ロケの宿泊の様子を話している。このドラマのロケは山梨県で行われたものであり、当然竜也くんも山梨に毎週通っていたそうで…結構これは大変だったかも。「夜、寝る部屋は男子6人でいっしょの部屋なんです。……とくに楽しいのはおフロ!温泉なんです。広くてすごくいいおフロですよ。」と、これはさながら修学旅行のノリですな。
役柄の演也と自分を重ねて「性格はキツイんだけど、やさしいところもある男の子なんです。でも、おぼっちゃんだからちょっとワガママ。ワガママなところが少しボクに似てるかも(笑)」と分析。そして最後は『身毒丸』ロンドン公演の決意で締めている。「オーディションに受かってから、武田さんの『身毒丸』をビデオで見ました。……武田さんが演じた『身毒丸』という形は、もう完成されていると思うので、それを生かしながら、ボク自身の個性も出せたらいいなと思ってます。」 とても優等生なお言葉でした(笑)。


●「JUNON」1997年10月号〜「未来に自身あり」の15歳は、5537人から選ばれた逸材。〜

写真は芝生の上でサッカーボールを持って立っている全身写真。サッカーボール…小道具としてよく使われる。やはり竜也くん=サッカーボールなんでしょうか…。もし「ベストサッカーボール賞(?)」なんて賞があったら間違いなく竜也くんは受賞することでしょう(笑)。そしてこの大きな写真の横に小さな写真が何枚か載っているのだが、こちらの写真達の方がよっぽど面白いのだ。
まず『身毒丸』オーディション風景の写真。撫子役の女優さんと絡んでいるところをパチリ。竜也くんは真剣に演技をしていると思うのだが、何かすこしおかしい…何だろ?と考えてみたら、その原因は竜也くんの眉毛のせいではないかと思う。剃ってあって薄いのだ…(汗)。でも表情はオーディションを受けている子には見えない。オーディションというよりは稽古中と言った方がしっくりするような感じだ。そしてもう1枚のツボの写真。これは1歳の時の写真だそうで、クリームシチューか何かお召し上がりになっているのでしょうか…。口の周りから鼻の頭までクリームでべちゃべちゃーーッ!! どうすんのよっ、これっ!? って感じの写真(笑)。竜也くん本人はいたってご機嫌のようで…クリームまみれの顔でニコニコ…。でもスプーンを握っている手がぼちゃぼちゃしていて、可愛い、可愛い!「お兄ちゃんとその友達に育てられたようなもの(笑)」 だそうだ。

「『身毒丸』のオーディションでも、自分が選ばれる予感がした。1次予選からスタートして最終審査まで全部で5段階くらいあったんですけど、回を重ねることに不思議と自信が出てきたから。」 オーディションをやっている最中に既に演じる快感と舞台に立つ予感らしきものを天才というアンテナが受信したのだろうか…。舞台に呼ばれた人なのねぇ。
昔から人前とか人の先頭に立って行動するのが好きだったと言っている。「僕、サッカー部なんですけど、部長を決める投票で1位に選ばれたのに、先生から“オマエは絶対ダメだ”って言われた(笑)。」と自ら悪ガキであると認め(笑)、先生も諦めているのか自分に何も言ってくれないのが寂しいと本音(?)を暴露。蜷川さんには信頼を得ている竜也くんも学校の先生にはちょっと…。でも学生生活なんてほんの一瞬のもの。俳優として仕事をする時間の方が比べようのないくらい長いものになるのだから、そんなことは屁のカッパ。



2005年03月26日(土) テレビ「スチュワート・リトル2」コメント

今日は竜也ファンの方達はWOWOWで放映された「ロミジュリ」の余韻に浸っていることでしょうが、このブログは少し遅れているので、今頃私は「スチュワート・リトル2」を見ました。本編はまだちょっとしか見ていませんけど(汗)。ストーリーの感想はいつか「黎明前」で書くことにして、と言っても実は私はネズミが苦手…。しかもあのスチュワートくん…結構リアルじゃないですか?毛並みなんか本物ぽくて…。そのネズミくんに竜也くんのちょっとコミカルに作った声。私にとってはちょっとしたミステリーだった(笑)。

さて竜也くんのコメント。顔が少し若くなった感じがした…かな。
スチュワートが転げ落ちた時に出す「あっ…イタイ…こう…ダー…」(←何やら長嶋茂男さんが言いそうな…)というこんな感じの声やちょっとした息遣いの方が絶叫よりも難しかった…というよなことを話していたと思う。何となく竜也くん早口で聞き取りにくかったです…。
ところでこの映画が公開される時、アフレコの様子がテレビで放送されたことがあったが、竜也くんは体を横にゆさゆさ揺らしながら台詞を喋っていて…落ち着きがなかったように見えた(笑)。

番組の最後、「竜也くん直筆サイン入りDVDプレゼント」の紹介があり、実際に竜也くんはサインを書いていた。ちょっとおもしろいペンの持ち方をしていたような…。あの持ち方は手に力が入らず、何枚もサインをする場合は疲れなくていいのかもしれない(笑)。
さてさて竜也くんがベタベタに触ったあのDVD。もちろん応募するさぁ〜♪



2005年03月24日(木) 黎明前(10)

☆雑誌☆

●「ポポロ」1997年11月号〜僕、女の人の後ろ姿にホレちゃんですよ〜

「裸の美少年たち。熱い、はじけるBODYにクラクラ!」と言う特集の竜也くん編(笑)。
タイトルのわりには大したことのない写真が一枚。上半身だけ裸で草の上に座っているもの。この写真を見ただけではクラクラしませんなぁ…。

Q&A
Q.好きなタイプの女の子は?
A.後ろ姿のバランスのいい人。
Q.今、やってみたいことは?
A.冒険(スタンド・バイミーみたいなこと)。
Q.最近、怒ったことって?
A.イタズラ電話が多い!やめてください。
Q.ハマッているものは何?
A.マンガ「はじめの一歩」にハマッてます。
Q.将来の目標は?
A.人を感動させるような役者になりたい。

これだけ〜。


●「POTATO」1997年9月号〜シンデレラボーイ、イギリスで誕生!?〜

「身毒丸・ロンドン公演」の記者会見の時の記事だと思う。蜷川さんと白石さんに挟まれて笑顔の竜也くん。この頃、まだ蜷川さんと身長が殆んど同じである。背…伸びたのねぇ。白石さんが少しお若い!

蜷川さんのコメント。「選考中にことごとくダメ出しをしても、ドンドンこちらの意図を読み取って吸収してしまう。オーディションを通じてグングン成長していく姿が手にとるようにわかった。」とほめっ放し。
それに対して竜也くんのコメント。「これをきっかけに舞台に力をいれていきたいです。」と何年も俳優をやっているようなことを言っている(笑)。


●「DUET」1997年12月号〜ロンドン滞在中の藤原竜也クン。現地からナマの声です!〜

ロンドン滞在中の竜也くんのレポート。
ホテルの部屋でバスローブを着て笑っている写真(シャワーを浴びた後?)とロンドンの街で、シルクハットにタキシード姿の紳士と腕を組んで写っている写真が載っている。その紳士より竜也くんの方がいくらか背が高いのだが、紳士の方に首を傾げて…その寄り添い方も顔も女の子と言っても通じそうなのだ。もしかしたらこの紳士は竜也くんのことを女の子と思っていたかも…いや、そんなことはないな(苦笑)。

“フィッシュ&チップス”はどうも余りお気に召さなかったらしい。あれ、私は結構イケルと思ったのだが…。
「ノドの調子を整えるために自分でハチミツレモンジュースを作って飲んでます」
「通りを歩いていて“キミ、公演すごくよかったぞ”って知らない人に、ほめられちゃって…」
英語、わかったのだろうか…?


●1997年 ミニ記事

〜藤原竜也くんへ質問〜
Q.「それが答えだ!」に出てみてどうでした?
A.いろんな体験ができたと思うし、すごく楽しかった!
Q.子供の頃になりたかった夢は?
A.ドラゴンボールの“孫悟空”
Q.憧れている男性と女性タレントを教えて下さい!
A.キムタクさんと森田剛くん。女の子は、朋ちゃん♪
Q.FANからもらってうれしい物は何ですか?
A.僕を元気、勇気づけてくれる手紙が1番うれしいです。

以上。
憧れている男性に挙げた2人の名前が意外だった。同じ事務所の先輩の名前はなく…。この頃は余り周囲に気を遣わなかったらしい…。



2005年03月22日(火) ノラ猫天狗になる

物事が予想以上に上手く運びある程度成功を収めると人間どうしても天狗になる。「いい気になるなよ」と自分で自分に言い聞かせてはみてもこれがなかなか難しい。背中につっかえ棒を当てた方がいいのではないか?と皮肉りたくなる程そっくり返って歩いている人間も実際に私は知っている(笑)。まぁそんな人間にしてしまうのはおっべかを使う周りの人間達にも責任の一端はあると思うが…。

さて天狗になるのは何も人間だけではないようだ。去年の暮れ辺りから我が家の近所に何処からかノラ猫が1匹迷い込んできた。トラとブチが混じったような雑種の本当に痩せこけた猫だった。我が家の近所は比較的生き物好きの人が多く、ノラ猫などには積極的に餌を与える人達だ。中には雨の日などわざわざ自分の家に連れて行き雨宿りをさせてあげている人もいる。なのでもちろんその猫がやって来た時も誰となく餌をあげていた。
その内皆その猫を「ブー」と呼ぶようになった。顔がブスだったからだ(笑)。最初の内はブーもひもじかったのであろう、何とかゴマをすって餌を貰おうとスリスリゴロゴロ自分の体を擦り付けてきた。とても人懐こく「ブ〜♪」と名前を呼べば飛んで来たし、頭を撫でてやればそれは嬉しそうにしていた。だんだん体も肥えてきて顔つきも可愛くなってきたので、おっ上手くいけばこれは何処かのご近所さんにもらわれていくかも知れないなと思っていた近頃、ちょっとブーの態度に変化が見えてきたのだ。近所のおばちゃんや母の説明によると、こちらが頭を撫でたり抱こうとすると「フワーッ!」と怒ると言うのだ。そのくせ餌が欲しい時には例のごとくスリスリしているらしい(笑)。どうも迷い込んで来た当時のひもじさが解消し、おまけに人間達もわりと可愛がってくれるので少しいい気になっているようだ(苦笑)。

構うと怒ると聞いているので私も最近はブーを見かけても手を出さない。時折目があうとブーは憎体な面構えで私を見ている。少し腹が立つので側まで行き「天狗になってるんじゃないよ。そんなことしているとその内痛い目にあうんだからね。」と言い聞かせてやった。「うるせー」と言わんばかりにブーは立ち上がり、つんと尻尾を立てて足取りも軽やかにその場を去った。フリフリと優美に動くお尻は「ちやほやする周りの人間が悪いんだろう?」と言っているようだった(笑)。



2005年03月20日(日) 黎明前(9)

☆ドラマ☆


●「それが答えだ!」Symphonie Nr.3 

「こんなひどい先生」
今回は演也が主役。
何だかんだ言いながらも白八木中でオーケストラ部の顧問を続けている成瀬。やっと生徒達にタクトを振った。しかしあまりのその演奏の酷さにタクトを投げつける成瀬。ビビる生徒達。見るに見かねて池田がまだ子供なのだから気長に教えて欲しいと諭してしまったのが悪かった。成瀬は“教える”という言葉に反応しここぞとばかりに早口で専門用語を並び立て生徒一人一人に捲くし立てる。その後の生徒達の演奏は不思議と少しだけ上手くなっていた(笑)。この時もちろん演也も注意を受ける。それもチェロが元凶と言わんばかりにけちょんけちょんにけなされた。演也は村長の息子である。親にもましてや他人にこれほどまでに遠慮のない注意を受けたのは恐らく生まれて初めてだったのだろう。ムッとふて腐れていた。深田恭子さん演じる和音だけは唯一バイオリンをまともに弾くことが出来る。和音に駆け寄り手取り足取り教える成瀬の姿を見る演也は愉快ではなさそうだ。練習が終わり下校途中、後ろから一緒に連れ立って歩いている成瀬と和音を気にして何度も振り返る演也はいじらしい。分り易い奴よのう…。

ある日二日酔いの成瀬を自転車の後ろに乗せ学校に向っていた池田だが、バランスを崩し転倒して足を捻挫してしまう。そこで成瀬は急遽体育の授業を担当することになるが、そのジャージ姿は滑稽なことこの上ない。生徒達はくすくす笑っていたが演也一人だけは成瀬を睨んでいた。バスケをやっている時の演也は水を得た魚だ。兎に角イキイキとしている(笑)。
さてまたまたオケ部の練習。和音の件でヤキモチの気持ちもあったのだろう、演也の反抗は増している。「何言ってんのかわかんねーよ」「誰か通訳してくれるぅ〜?」とまぁ小憎たらしい(笑)。成瀬も負けていなかったが…。この2人のシーンは結構迫力があった。そしていざ演奏へと…その瞬間「チェロは邪魔だ」と成瀬は演也にチェロを弾くことを許さない。演也を除いた11人の演奏が始まる。皆が楽器を弾いている中演也は一人チェロを抱えたままそこでじっと座っているしかないわけで、悔しそうだけどそれ以上に寂しそうに俯いている演也。これはかなり可哀想…。こういうやり方は教育の一貫としてはいかがなものでしょうか…。案の定演也はチェロと楽譜をぶっ倒し音楽室を飛び出してしまったようだった。

次の日演也の復讐が始まる。体育の授業中成瀬と自分2人だけでバスケットの試合をやろうと言い出したのだ。「せんせ〜、一緒にやってくれよ」と挑発する演也と対峙する成瀬。アラ、演也の方が背が高いのね。もちろん物心付いた時から音楽漬けだった成瀬はバスケットなどやったことがあろうはずもなく…成瀬のドリブルはもう悲惨で…あれなら私でも取れるぞ…。当然のことながら成瀬は演也にこてんぱにやられてしまった。床の上でのびている成瀬に向って「いくら有名なマエストロで好き勝手にやってきたか知らないけど、このボールは先生の思い通りにならないようですね!」と超生意気な捨て台詞を吐いて去って行った。しかし一理ある…。

翌日授業をサボり和音のことを思い浮かべながら校庭のベンチに寝そべっている演也。(←このアップは美少年だった!)そんな時体育館からボールをつく音がする。不思議そうに演也が覗くと、そこにシュートの練習をしている成瀬の姿が。「ばっかじゃないの」「意地になってやることじゃぁねぇだろう」とシラけて見ていた演也だったがそれでも何度も挑戦している成瀬の姿に気持ちが動いたか、今度は演也が成瀬にシュートのやり方を熱く教える。そしてシュート!…でも惜しいところで入らなかった。がっくりと肩を落とす二人。「先生には無理なんだよ。オレに音楽が出来ないように先生にはバスケが出来ない。それでいいじゃねぇかよ」妙に大人びたことを言って出て行こうとする演也を無理矢理成瀬は音楽室へ連れって行った。ピアノの前に演也を座らせ二本の指で2つだけの音を取り鍵盤をたたくように指示する成瀬。「オレは別に部に戻る気はないからね」と反抗的だがそれでも演也は素直にたたいた(笑)。そこに成瀬が並びピアノを弾いていく…きれいな音楽になっていく。はっとして成瀬を見る演也。成瀬はお構いなしにまっすぐ前を見てピアノを弾いている。その内に演也のへの字に曲がった口元の口角がみるみるうちに上がっていき、目の中に宿っていた敵意は消えていた。最後は微笑みながら頭を動かしてリズムを取り、嬉しそうに時折成瀬を見ながらピアノを弾いている。もう最初とその表情は別人だ。憎憎しい悪ガキが素直な可愛い少年に一変した(笑)。この場面は最高!この表情が変化する過程は見事。上手かった。これからの竜也くんを予感させるような場面だった。
曲が終わり照れ臭そうに眉間に皺を寄せ上を向いている成瀬だったが2人の間は確実に縮まったようだ。いつの間にかこの曲に引き寄せられ音楽室に集まってきた生徒達も加わり練習に。演也は少し成瀬を睨んだがチェロを抱え自分の位置についた。

***今回のつぼ***
・見ている方が恥ずかしくなる悲惨な成瀬のドリブル。面白すぎるよ、三上さん…。
・シブイいい男と可愛らしい少年。そんな2人が並んでピアノを弾く姿が絵にならないはずがなく…。久々に巻き戻し攻撃をやっちまった…。



2005年03月18日(金) 記事「朝日新聞」〜特別の思い〜

15日の朝日新聞の夕刊にNYで先日行われた竜也くんの記事が小さく載っている。写真も小さいが口元をキュッと結んでかなり理知的なお顔。

初めて知ったことだが、三島由紀夫は生前「弱法師」のNYでの上演を望んでいたが、その夢果たせず失意のうちに帰国したらしい。だから竜也くんもこの舞台をNYで上演できることに特別な思いがあるとか。何時ぞや蜷川さんが言っていた「(竜也くんは)俳優として大きなもの(重いものだったかな?)を背負っているということなんだよね。」という言葉がふと頭をよぎった。
「その時(18歳の時)にもっていた、新鮮で何も知らずに飛び込んでいく力は失われているかもしれないが、過去に築いたものをすべて崩していくのが蜷川さんの演出。僕もそのようにしたい。」 この言葉…私、大人の男を竜也くんに感じてしまいました…(汗)。確かに今、竜也くんは「弱法師・初演」の頃とは俳優として違う段階に入っていると思う。なのできっと過去の俊徳とはまた違ったものになるのでしょう。1つの力を失っても、またそれに変わって別のパワーが生まれてくるもの。さて23歳の俊徳はどんなふうになるのでしょうか…。ワクワク、ワクワク♪



2005年03月17日(木) 雑誌「お日柄もよく…(76)&(5)」

●(76)弱点克服!?

写真はもも辺りから上の写真。腕を組んで笑っているのか、いないのか…といった感じの微妙な表情。

「やっぱり春はいいですね!」 冒頭の竜也くんが言っているように本当に春はいい。訳もなくウキウキしてくる(汗)。特に竜也くんは大仕事である舞台『ロミジュリ』を成功させ、「食べたいものを食べ、飲みたいだけ飲んで、寝たいだけ寝る。」だそうで…こんな生活送ってみたいものだ。
さて、竜也くんはこの仕事を始めてから人前で上手く話すコツみたいなことを聞かれることが多いそうだが、実は竜也くんは芝居以外では人前で話すことが苦手(笑)。台本の読み合わせすら苦手…なんて話しているが、へぇ、台本もダメなんだとこれはちょっと意外だった。蜷川さんは稽古初日から立ち稽古を始めるらしいが、もしかしたらそのやり方に慣れてしまって、体を動かしながら台詞を言わないとちょっと照れみたいなものを感じてしまうのでしょうか…?
という訳で、話は先日の「読売演劇大賞」のプレゼンターを務めたことへ。この時も竜也くんはスピーチをしたが、もうヘロヘロで大汗かいて急いで壇上から降りてしまったとのこと。でもこれでは役者として恥ずかしいので今年は弱点克服を目指すと話しているが、この間のNYの会見はかなり堂々としていたように見受けられたんだけどねぇ…。ひょっとすると竜也くんは相手が大きくなればなるほど実力を発揮出来るタイプなのかも?? 決して本人はそんなつもりはなくても、それなりの相手の時は力を抜いている、と言うか自然に抜けてしまうような…。スポーツ選手でもこんなタイプの人がいるよね(笑)。


●(5)休日

「実は今、リフレッシュ期間なんです。久しぶりにちょっと長めの休みがもらえたんですよ。」 あったあったこんな時。『身毒丸・ファイナル』の舞台が終わってから『いら夏』の連ドラが始まるまで、まともに拝めたのは『SABU』だけだったような…。確かに激しく竜也飢えの状態の時期が…あった…。
休暇中の竜也くんは本を読んだり、歯医者に行ったり、半身浴(笑)をしたりの毎日。半身浴は女の子みたいでちょっと恥ずかしいと竜也くんは言っております。そして何を思ったのか知らないが手品の練習をし始めたそうだ。そこで何が手品グッズを手に入れたいともくらんでいたところ、たまたま散歩途中道で見かけた露店で紙でできたペラペラの紙人形を見つけた。何やら「ジャンプ!」と命令すると、その人形は糸も付いていないのにジャンプをし、他にも色々と自由に動き回るらしい…(汗)。「これだ!」とひらめいた竜也くんはその場でそれを1000円でお買い上げ。しかし袋を開けたらしっかり糸が入っていた(笑)。しかも全然動かない…ってあたりまえでしょ。手品はね、手先が器用でないと出来ないの。
この人形だけでは飽き足らず、消えると書いてあるが全く消えないボールなんかも買ったらしい…。「皆さんも、露店で手品グッズを買うときは気をつけて下さい(笑)。」…買いませんから!(笑)

ちなみに写真はキリッとした顔で写っていて、記事の内容とギャップがありすぎ(笑)。



2005年03月16日(水) 黎明前(8)

☆雑誌☆


●「明星」1997年11月号〜15歳。大海へ出る。〜

写真は海でボディーボード(?)に乗っている大きな写真。動いている瞬間を写したらしく少しピンボケ状態。結構水しぶきが上がっているのだが、恐らくこれはかなり浅瀬、と言うか殆んど浜辺すれすれの所で撮ったのだろうな…。後は湘南の辻堂(?)と言う駅のホームでパチリとやったものや、バスからボードを肩にかけ降りてくるところとか、浜辺で竜也くんの友達5人と写したスナップ写真が載っている。

「それが答えだ!」の収録と「身毒丸」の稽古の合間に1日だけの休みに訪れたようだ。
この頃竜也くんにとって一番大切なのは友情。お互い好き勝手なことを言っている。
「知り合いの女の子に竜也と僕で撮ったプリクラを見せたら、そのコが“あ、藤原軍団なんだ”って言ったことがあった。竜也は秩父で凄い有名人ですよ。」と友人の1人。するとそれを聞いた竜也くんがちょっとムッとして
「僕は、僕がつるむ仲間を作っているんじゃない。僕はみんなが好きだからみんなと遊んでいるだけ。軍団とか言われるとすごくムカ尽きます。」だと。

最後に友人が「竜也が芸能界に入って応援の気持ちが強いけど、僕らのたっちゃんじゃなくなっていくのが少し寂しい。」としんみり。しかし竜也くんは、芸能界に入ったって僕は僕で何も変わらない、友達とは今のまんま付き合って行きたい、とピシャリ。
デビューして7年経った現在でも、彼はこの言葉を忘れていないような気がする。



●「明星」1997年10月号〜オタマジャクシちゃん12匹の十八番は交響曲『爆笑、爆睡、爆H!?』〜

「それが答えだ!」のロケ地で取材したもの。生徒役の12人がお互いの内申書を付け合うという企画。
竜也くん演じる演也のコーナー。写真はバスの中で缶ジュースを片手に持ち、口を大きく開けて少しおちゃらけた笑顔を見せているのだが…これが結構ワザトらしく…(汗)。恐らくカメラの前でこの表情のままかなりの時間ポーズを取らされたのではないかと…。
その横のプロレスの技(?)をかけている笑顔の小さな写真の方が、ず〜っと可愛い!

仲間がつけた演也の内申書は…
・「秘技!ひとりアキレス腱固め、ウェ〜っ」と自分にプロレス技をかけ悶絶するなど、1歩間違えればアブナイ人ギリギリ。
・「怒っているのかと思ったら、急に“それ何センチ?”とかわけわかんないことを言ってくる」
・「なかなかギャグがキレている」
総評…急激なハイテンション化とマニアックな笑いで、現場の暴れん坊将軍。
…と、何だかあまり竜也くんのイメージとは…。

もちろん竜也くんが他の生徒達の内申書をつけているのだが、それは切りがないの省きます。
小さな写真が沢山載っていて、その中の演也を捜すのが面白い。可愛い表情の写真から、何か楽器を弾く時のスティックみたいな物を鼻の穴に突っ込んでいる写真もある…(苦笑)。但し、色気のある写真は一枚もなし!!



2005年03月14日(月) 愚姉の慈悲

どうも私は普通の人が歩くであろう道とは少しずれた所を行っているように思える。別に数奇な運命を生きているわけではない。それでも「どうして私はこうなるのか??」と感じることが時折ある。結局私は少数派と言われる方に属する人間のようだ。

先日弟が同僚の女性と結婚した。さて別にここまではどうってことのない話。とは言っても5歳年の離れている弟に先を越される姉というのも…この時点でもう少数派になるのかも知れないが(苦笑)。さて、彼は結構歳の離れた嫁さんをもらった。その歳の差11歳。よって彼女と私は16歳の年齢差ということになる。話に聞くと彼女のお母さんは随分と早婚だったそうで。そんなお母さんの年齢を聞いて私は愕然とした。なんと私と6歳しか違わないのだ。どう?義妹よりその母親と同年代の姉なんてそうはいないでしょ?しかしさすがの私もこれには凹んだ…。
私の友人は未だに独身でいる連中が比較的多くいる(←これを類は友を呼ぶ、と言うのだろう)。なので弟に先を越された者も中にはいるわけで。彼女達の一人があっけらかんと言った。「私だって同じじゃない♪」…いやいや貴方とは微妙に違うのですよ。貴方の弟さんが結婚した時は貴方だってまだ20代だったでしょう。そしてそのままその流れで現在に至っているわけで…嫁さんだってもう免疫ができているわけですよ。でもウチの場合はいきなり亭主になる男の実家に私がデーンと構えているわけで…まともな神経の持ち主だったら大抵はビビるで!

私は自覚のない人間なので何だかんだ言っていても独身でいることを余り後悔したことはなかった。しかし今回だけは少し後悔した。弟に非常に申し訳ないと思ったのだ(笑)。披露宴を秋頃行いと本人達は希望しているが、あるものならその時にレンタルハズバンドでも借りたいよ(笑)。先方の親族に対して弟が何となく肩身の狭い思いをするんでないかぇ。「今の人はもう結婚しなくてもねぇ〜。」などと理解を示すようなことを口では言っていても、それはあくまでも建前の話。本音のところはまだまだ未婚者は半人前という考えが払拭しきれていないのだ。特に年配の人達の間ではね。結婚有無の選択の自由が職業選択の自由のような至極当然の概念になるまで、少なくともあと50年はかかるであろう。

彼女は2〜3回私達の家の方に遊びに来た。ジェネレーションギャップを感じるのではないかと最初は心配したが、幸いなことに彼女も酒豪であった(笑)。酒飲みは酒を介せばすぐ打ち解けるもので、まぁこれは酒飲みの唯一の特権かもしれない。
弟が彼女に言う、私の部屋が面白いから見せてもらえと。彼の言う“面白い”とは私の部屋が竜也ワールドになっていることを指しているわけなのだが、私はまだ自分の部屋を彼女に披露していない。結局毎回はぐらかしている。弟よ、これを私が小姑根性を出して意地悪をしていると取ったら心外だ。これは少数派の私が少しでも一般的な姉さんを演じてお前に恥をかかせないように(?)してやろうという姉の慈悲からきているのだ。まだまだ先は長い。慌てることはないのだ。化けの皮はゆっくりと剥がしていけばいい。


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まだ4月に入っていないので表紙を一番上にして、本日早速竜也くんの卓上カレンダーを会社のデスクに飾った。正直少し勇気を必要としたし、はっきり言って浮いている…。でも真面目に仕事せなきゃアカン!と決意も新たに出発できた(笑)。



2005年03月12日(土) 黎明前(7)

☆雑誌☆

●「明星」1997年9月号〜完ペキをめざす男・藤原竜也は、今日もまた、水泳をサボる…?〜

「それが答えだ!」の収録時のもの。写真は外で膝を抱えて座っている笑顔の写真とその他小さな写真が2枚載っている。1枚はドラマの一場面でチェロを弾いているところの写真である。まじめな顔をして弾いている(笑)。もう1枚は身に付けている物達を写したのだろうか…指輪とネックレスと何故か愛猫・さくらちゃんの写真が2枚。このさくらちゃんの写真、その猫ちゃんの形に沿って切り抜いてあって…(笑)。これをジョキジョキ切っている竜也くんの姿を想像すると口元が緩む。これを見る限り相当可愛がっているのではないかと感じる。

記事の内容は得意なことと苦手なことについて。“スポーツが得意で、サッカーではフォワードで見方を引っ張り、クラスでもまとめ役をかってでちゃう”とここまではいいのだが、苦手なことに関して「水泳ダメなんですよ。夏の体育はイヤですね。25m泳げればいい方じゃないかな。仮病を使って、サボることもあります。」だと。竜也くんは本当に水泳は苦手らしい。以前何かに書いてあったが、「新・星の金貨」の第1回の海のシーン。竜也くん自ら船から海に飛び込むシーンがあったが、その撮影時に竜也くんはアップアップしており、思わずスタッフから「大丈夫ですか〜?」と声をかけられたとか…。運動神経バツグンでも水泳というのは少し勝手が違うのですかね。
この他に、今自分は反抗期で母親に怒鳴ったこと、Tシャツの買い物のことなど話しているが、記者の“ニコニコしながらペラペラしゃべる竜也くん”と言う言葉に、何となくこの取材の光景が絵に浮かんだ(笑)。


●「TV kids」1997年〜大切なものは友達。地元では“悪ガキグループ”の一員なんだ(笑)〜

これも「それが答えだ!」の収録時のもの。写真は後ろの鉄棒を逆手に持って小首を傾げて笑顔でハイポーズ!という感じのものだ。その他に「身毒丸」の稽古で着ている浴衣の写真が載っている。「稽古場がめちゃ暑いんですよ」と言う竜也くんの汗が染み込んだ一着である(笑)。その下に「それが答えだ!」のワンシーンが。深田恭子さんとのツーショットで、何故か演也は「知らね〜よ〜」って感じでわざと無視をしているよな表情である。この写真の上に竜也くんのコメントが出ており、「ぼくの恋愛経験?そんなのいーじゃないですかぁ(笑)」…どうも肝心なことはデビュー当時からはぐらかしていたらしい(笑)。

約6000人の中からオーディションで選ばれたことに関して本人はいたってクールである。「学校ではあまり騒がれなかったな。フツーでしたね」「ドラマの仕事が決まった時“あっそうなんですか”って言ったら、マネージャーさんが“もっと喜んでくれないと寂しい…”ってなげいたくらい(笑)」 まぁこの時はまだほんの序の口ですから…。
後半話は地元の友人達の話に移る。「仲のいい友達は10数人いて、周りから見ればきっと“悪ガキグループ”じゃないかな?短髪で金髪とかいて怖いもん(笑)」 その悪ガキグループで各1枚ずつ宝くじを買ったらしい。当たった時の使い道は「香水屋さん」開店の資金にする???そうで…。理由は渋谷辺りで香水を売ることはカッコいいことだから、とよくわからないもの…。ちなみに当時の竜也くんの持っていた香水は、「Wing」と言うコンビニでよく売っているものと、お姉さんに貰ったシャネルの“くっさいヤツ”だそうです(笑)。


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今日Daから卓上カレンダーが届いた。特典の生写真が変形版ポストカードに変わっていた。最初この“変形ポストカード”とは一体どれを指しているのか分らなかった…。



2005年03月10日(木) 日本へ全員集合〜!!

昨日の竜也くんの「近代能楽集」の記者会見はNYのリンカーンセンターで行われたようだ。いつの間にNYへ行ったんだい…?それも竜也くんは英語で挨拶をしたらしい。聞きたかった…竜也くんの英語…。

さてここからは私の戯言。
日本人は“国際的”という言葉から“日本の外へ出る”というイメージを持つ人が多いようだ。現地へ行って現地の人間達と混じって英語で仕事をする。これが国際派ということになるのだ。ビジネスの世界ではそうだろう。ビジネス界の共通言語は英語であるので、世界へ打って出るには英語を使いこなせなければお話にならない。しかし芸術の分野では私は必ずしもそうではないと思う。芸術から受ける感動は言葉の壁などはるかに越えてやって来るのだ。実際言語を司る脳だけでなく、何だか分らないが身体中が感動し鳥肌が立った…そんな経験は誰にでもあるのではないかと思う。

“世界で通用する俳優” これを日本人は特に「ハリウッド」や「ブロードウェイ」で製作される作品に出演し、そしてそこで認められる俳優と定義つける人が多いと思う。確かにそれも国際スターだ。でも私は竜也くんにはもっとスゴイ国際的なスターになってくれたら嬉しいなと思うのだ。それは…世界中の舞台ファンを日本に足を運ばせることなのだ。
「オレ様の舞台を生で観たかったら、日本へ来いっ!埼玉へ来いっ!新潟へ来いっ!ちなみに大楽は仙台だぞ〜」みたいなね。製作発表も日本語。「オレの話を聞きたい?それじゃぁ今からオレが日本語で捲くし立てるから、しっかり通訳してくれよ。微妙なニュアンスも正確に伝えてね」と、各国の記者がその国の名うての通訳を従えてやって来るのだ。まぁ竜也くんのことだから、こんな偉そうなことは決して思わないだろうが(汗)。
チケ取りも大変だぞ。あんたら日本語を勉強して6時間ぶっ続けで国際電話をしてチケットを取れぃ〜。私は負けないよ(笑)。
そして東京を始めとする竜也くん縁のある日本の劇場は、欧米はもちろん、アフリカや中東やアジア…そして日本の人間達で一杯になるのだ。その観客達は竜也くんの日本語で演じられるシェイクスピアを観劇しうっとりする…。これぞ究極の国際的な俳優!!と私は思うわけなのだ♪国際派の尺度はあくまで観客で測るわけで。いくら外国で演っても観客が日本人はかりではね(苦笑)。

さぁ「近代能楽集・NY公演」 興奮しますな。もしかしたらその足掛かりになるかもしれないのだ。
以上、戯言終わり。失礼致しました…。



2005年03月09日(水) おっ!



「近代能楽集・NY公演」の製作発表が行われたようだ。私のPCは調子が悪く音声が聞えないのだが、下に字幕(?)が出ていた…。「自信があります」とか「期待しています」の文字が出て、もうゾクゾクしてしまった。久しぶりに今の竜也くんを見たが、髪の毛の長さも丁度よくいい感じでちょっと安心した。また伸び放題になっているかも…なんて少し心配していたのだ(汗)。
明日の早朝に放映されるようなので、ビデオセットをお忘れなく〜。

ちなみにTBS,早朝の「ニュースバード」と言う番組内のようだ。Daの公式より。



2005年03月08日(火) 黎明前(6)

☆ドラマ☆


●「それが答えだ!」Symphonie Nr.2

「学校がキライな子」
人前で謝罪することに耐えられない成瀬は復帰のチャンスであった国際フィルの仕事を断ってしまった。さすがに貯金も底をつき、偶然にもマネージャーの梶尾は白八木中学の音楽教師の仕事を取ってきた。子供嫌いの成瀬は始めは渋っていたが梶尾が契約金の前金を借金返済に充ててしまったため引き受けざるおえなかった。

さて白八木中の音楽教師となった初日、成瀬はオーケストラ部の生徒達に紹介されるが、はなからやる気のない成瀬は挨拶代わりに「ねこふんじゃった」を小馬鹿に弾いて見せて池田達を唖然とさせる。成瀬のねらいは学校側から自分を辞めさせることにあった。そうすれば向こうの都合ということで契約金を返さなくて済むという調子のいい考えからだ。そんな成瀬は生徒達に音楽を教えることはせず、グランドを走らせたり兎跳びをさせて、自分はグランドの隅にあるベンチに寝転んで本を読んでいるというありさまだった。ある日ランニング中にバイオリン担当の揺司が貧血をおこして倒れてしまう。大事にはならなかったが、この時成瀬は一応心配そうに体を起こした。そこは人間だった…(汗)。

こんな事が重なるうちに生徒達は嫌気をさして練習をボイコットするようになる。たみえの店でたむろっていたり、河原で魚を獲って焼いたりと…。3年生全員(と言っても12人しかいないのだが)で何でも一緒に行動をしている生徒達を見ると、物語とわかっていても心が和む。私が通っていた中学ではあんな団結はなかったよなぁ…。
その中で揺司だけは違っていた。成瀬の指揮するオケのCDを聴き、感動した揺司は音楽をやりたいのだ。勉強や運動はからきし駄目だけど、音楽が上手くなったら違う自分になれるのではないかと…。そんな揺司に成瀬は「本当に上手くなりたいのだったら、3歳に戻って練習するしかない。」と何とも乾いたことを言う…。そりゃそうかも知れないけど…。

でも揺司はへこたれなかった。次の日グランドを1人で走る揺司の姿が。「バイオリンを上手く弾けるようになる…」この思いに揺司のこれからの人生がかかっているのだ。ここで引いたら本当に心身とももやしっ子になってしまう。そんな揺司の姿を見つめる成瀬の頭に以前言われた「あなたに音楽を教える資格などないっ!」という声がこだまする。
その夜自宅に帰った成瀬は何故か謡司のためにバイオリンの楽譜に手直しを入れている。いくらか楽しそうだった。そして次に日も誰もいない音楽室で無心に楽譜を直す成瀬。揺司のためだ。そこに揺司が1人でやってくる。
「3歳に戻れないけど、僕音楽やりたいんです!」
揺司は頑張った。自分の壁を破ったのだ。手直しをした楽譜を揺司に向って投げ、いつの間にか成瀬は真剣に揺司にバイオリンの弾き方を教えていた。

□2話の演也□
今回のスポットは揺司であったのでそんなに出番はなし。
グランドを走ったり、兎跳びをしている時、生徒達は一塊になって映るのだが、演也は背が高いのですぐわかる。「これは何の意味があるんだよぉっ!?」と威勢はよかった…。

クラスの中でも演也は悪ガキの方なので、先頭に立って練習をさぼろうとするクチだ。こっそりと逃げ出すところを池田に見つかり、襟首をつかまれ強引に引き戻されている姿は、これぞ“悪ガキの青春”!(笑)

どうやって手に入れたのか…たみえが持っていたアダルトビデオを自慢気に皆に見せる演也の姿は…ノーコメント…。

***第2話のつぼ***
・河原で生徒達が練習をさぼって獲った魚を焼いて皆で食べているシーン。自分の魚をパクと一口食べて、それを隣の女の子にパクと食べさせてる演也。こういうことやってる方が可愛いよ。
・粋がって何だかんだと文句は言っても、結局音楽室で自分のポジションに素直に座っている演也…。



2005年03月06日(日) 住めば都…?

先日愛知県の幾つかの市が合併し、その際新しいその市の名前の案となっていた「南(?)セントレア市」と言うものが住民達によって却下された。私はその市の住民でも何でもないが、「あたりまえじゃん」 これが正直な感想だった。姉妹都市となっている何処かの国の町の名前にちなんで命名されたものらしいが、よくもまぁこんな的外れの名前を付けたものだと変に感心した。会社でも町でも少数の上の人達が考えることというのは、どうも下々の人間達とかけ離れているようだ。カタカナ表記なんてものは1つ使い方を間違えると非常に滑稽なものになるのである。

さて我が町も3つの市が合併するという話が持ち上がり、随分と煮詰まったものとなっていた。しかしここでもつまづいたのは合併された後の新しい市の名前だ。3つの内のどれか1つの市の名前をそのまま使うという選択を避け、全く新しい名前が作り出された。発表された案は「武南市」というものだった。この名前を初めて耳にした時、「えーっ、やじゃぁーーっ!」と瞬間的に引いた。まぁ「セントレア」よりは強烈ではないと思うが、でもどうしても受け入れることが出来なかったのだ。じゃぁどんな名前がいいのよ?と問われても、これと言って思いつかない。よくよく考えてみると、「武南」という名前が気に入らないと言うよりは、これまで使い慣れた市の名前が消えることが嫌なのだ。恐らくそれぞれの市の人達がこれと同じような思いだったのではないかと思う。結局この合併話も新名称がネックとなり沙汰やみとなってしまった。
私はこの町では所謂よそ者である。中学2年の時にこの町に越して来た。だからもうとっくにこちらに住んでいる期間の方が長くなっているのだが、やはり子供時代を過ごした場所というのは格別な思いがある訳で…どうしてもこの町が好きになれなかった。我が家の近所はそんなよそ者が多く住んでおり、よくこの町は好きではないなどと話をしていたものだ。ところがどうしたことか、この名前に対する執着は…。たかが市の名前が変わるだけではないか。それも自分が嫌がっていた愛着も何もないはずの町の名前がちょっと変わるだけではないか。…どうも私は長い間ここに住んでいるうちに、この町に対する愛国心みたいなものが自分の中に芽生えていたようである。愛国とは不思議なもので、どんなに自国を嫌い、またその国民性を嫌っている人間でも、他国の人間が自国の悪口を言おうものなら、その嫌いなはずの自国民と一緒になってオラが国を庇うものなのである(苦笑)。これって結局時分の国に愛着がある証拠なんでないの…?

私もそろそろ素直になろう。いくらここが「日本一住みずらい県」に属していても、中途半端に都会に近いばかりにかえって垢抜けず、珍妙な風が町中に吹いていようとも、私はこの町の名前が消えることを受け入れることが出来なかったのだ。「住めば都」と言うではないか。



2005年03月04日(金) 雑誌「お日柄もよく…(75)&(4) 」

●(75)花粉症?

今回の写真は小さな写真が5枚タイプのもの。上から2番目のベランダのような所で写した1枚が一番好きかな…。

竜也くんは鼻炎の持ち主。テレビに出演中の時でもよく鼻をすすったり軽くこすったりしている(笑)。舞台上でもたまにやっている…。でも花粉症の持ち主ではないらしい。しかし今年の花粉量は例年の何十倍という噂に加え、「ロミジュリ」の長い地方公演のため、部屋の掃除を怠っている結果埃がたまっている…。という訳で今はちょっとだけ花粉症に怯えているとのこと。窓を開け掃除をしたら大量の花粉も入ってくるからどうするのが一番賢いか悩んでいるらしいが、そんな能書きを言っていないで早く掃除をしましょう(笑)。
そして「ロミジュリ」終了の報告。全69公演と話しているが、公演期間が長かった割りには思ったより公演数は特別多くはなかったのね。 「22歳の今しかできない役だったなどと考えると、とても感慨深いです。もし、再演させていただく機会があったとしても、この初々しい気持ちというか、そういうことって再現できなくて……」 これまでのインタビューを見ていると、どうも竜也くんはこのロミオを今回限りで封印したいようだ。今回が最初で最後という思いをいつも抱きながら演じていたのかも…。どうか事務所の方達、竜也くんのこんな気持ちを汲んであげて下さい…。


●(4)20歳(ハタチ)

写真は小さな写真がこれも5枚。この中の1枚の写真はクールに微笑んでいて…美形だわ…。

20歳になる寸前のもの。「もうすぐボクも20歳になります。なんか感慨深いものがありますね。19歳になったときは特に何も思わなかったんですけど、やっぱり“ハタチ”というのは特別な感じがします。」と珍しく(?)真面目モード。更に「18歳になった時は『車の免許が取れる』とか『パチンコができる』とか、そういうことがうれしかったんですが…。今回はちょっと違うかな。今までできなかったような役ができるようになるのかなとか、読んでも意味の分らなかった脚本が理解できるようになるのかなとか、そういうことがとても楽しみです。」 喜びの対象が遊びのことから仕事のことへと2年間で変化したようだ。これぞ20歳の自覚!と言うか、少し成長しすぎ…(?) そして両親に対する感謝の気持ちも述べている。
後半は竜也くんの20歳の誕生日の前日に放映された『SABU』のことについて。「ドラマ『SABU』も放映されるので、そちらもよろしくお願いしますね。」 この竜也くんの宣伝文句(?)が妙に可笑しかった。



2005年03月02日(水) 黎明前(5)

☆雑誌☆


●「POTATO」1997年12月号〜僕なりの身毒丸を演じてきます!〜

これは「POTATO」の記事なので写真集「twenty-ONE」を見て頂ければどんな写真が載っているのかお分りになると思う。身毒丸の稽古の小さな写真が何枚か載っている。この竜也くんの表情を見ると、とてもそれまで普通の中学生だったとは思えない。これじゃあ5000人以上の中から選ばれるわけだよ…。稽古の始めに役者全員でストレッチをしたそうだが、竜也くん、カ、カタイ!…そうです。

竜也語録。
前半は真面目に舞台の話をしているのだが…
「今日ね、朝テレビを見てたら、CMで感動しちゃいましたよ。」「CMに限らないけど、15秒で人を感動させることができたら天才だ!」←ごもっとも。名言です…。
テレビは感動モノが好きで、当時のお気に入りは「嗚呼、バラ色の珍生」。そこでこの番組に出たら誰に会いたいかという質問に「歴代のネコちゃん。ルルちゃん、ララちゃん(と、ネコの名前が続く…)で、今5匹目なんですけど、今までのネコちゃんたちに会いたいな。」と、話があちこちに飛ぶ…。そして最後、「(好きな女性のタイプは)年上の女性、お姉さん系に弱くて。やさしくて、さりげなく気を遣ってくれる大人の女性がいいですね。華原朋美さんとかいいですね。」と年上キラー炸裂。しかし年上の女性が華原朋美さんなんだからねぇ…。私は何も言えません…。


●「KINDAI」1997年12月号〜本日快晴。気分はサイコー!!〜

これも「身毒丸」の稽古中のもの。この写真は全て好きである。特にどこかの工事現場(?)のような所に座っている写真は、女の子ように内股に膝をつけて(笑)満面の笑顔がもうサイコー!もし私に絵心があったら、絶対にこの笑顔が描きますね。そしてもう1枚の立っている写真。少し小首を傾げてこれもスマイル〜。これは絶対に年上の女性を参らせる確信犯と見たぞ。もし私が彼と同じ15歳であったら、きっとこういうタイプの男の子は苦手だと思う…。これじゃぁどうしたって年上ウケするでしょう(笑)。

さて記事の中で稽古中にダンスのシーンでボキボキと凄い音がして動けなくなったことを話している。この時「カラシ塗った湿布を背中に1分間も貼られ、死にましたよぉ〜。マネジャーさんなんか、ケラケラ笑ってるし、でもそれで治っちゃった。」と明るく話している。この時点ではあの伝説の「身毒丸・ロンドン」の千秋楽の壮絶な戦いを彼は知る由もない。
この後「ユー・アー・ウェルカム。マイ・ネーム・イズ・タツヤ・フジワラ。アーハ〜ン、フレンド、フレンド、って言えばいいんですよね。」「秋ですねえ。なんかいいですね、秋って。でも僕、春も好きなんですよ。じゃあ1年中好きってことですね。僕、今、すごく幸せなんですよ。幸せっていいですよね(笑)」と続く。しかしこんなふざけたコメントも、なぜか切なくなる不思議な切り抜きなのだ…。


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