まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2012年12月28日(金) ■やはり、街角は脳を刺激してくれますね〜

《休みのお知らせ》

明日12月29日(土)〜1月9日(水)まで
休ませていただきます。
なお、「ことば探し」は、
31日(月)まで、アップしております。
よろしかったら、のぞいてみてくださいね。


来年もまた、よろしくお願いいたします。 <(_ _)>
楽しき年、あたたかき年、喜びの年にしていきましょう!




12月は、ウォーキングがほとんどできなったけど、
歩けば、いろいろなものと出合います。
ささやかなものだけど、そんな出会いが、
本当に脳を刺激してくれるので、
来年もあちこち歩き回りたいと思っています。

今年最後の今日は、そんな
街角からの紹介をしますね。
街角…やっぱり楽しいですね〜



まずは、こちら。
思わず、




「なになに、あれなに?」
と、足が止まってしまいました。
ほら、これ。









前の方にもいて(黄色の丸)、
2台のトラックの
後ろにつまれて、新宿方面に
立ち去っていきました。








セクシーで、
たくましい女性キャラクターで
相当目立っていましたが、
どこへ行くのでしょうね。
これは、何か有名なキャラクター
なのですか?
何をするものなんでしょう?
動くんでしょうか?




キャラクターには、全く疎いので、
ただ、見つめるばかりでした。
今頃、どこかで活躍しているでしょうか。
きっと、活躍してますね。




続いて、路地に入ると、
あるアパートの壁に目がいきました。









そして、
「おおっ、こんな
 工夫もありか…」
と、見つめてしまいました。
はい、これ。












これは、
うまくいくものなんでしょうか。
理論上は、うまくいきそうですが…
植物は、枯れかかりながらも、
なんとか生きていました。




しっかりね、と声をかけてきましたが、
今度行ったとき、どうなっているか、
チェックしてきます。
もっとも、この寒さで、
弱ってダメになるかもしれませんが…
植物の生命力に期待します。



そして、最後は、こちら。
どうしても食べてみたかった
こちらのたい焼きやさん、
「銀のあん」
新宿アルタの下にあります。








 
いろんな種類があるんですよ〜
ほら、こんな。











○焼きいもあん 180円
○黒胡麻くるみあん 180円
○チョコカスタード 180円
○あずき      150円
○カスタード    150円
○りんごカスタード 180円
○かりんとう黒鯛 200円  




で、ついに入って
食べてみることにしました。
いろんな種類があるので、
相当迷いましたね、
これだけあるとね。



そして、りんごカスタードに
してみました。
カスタード好きだし。
はい、これ。









カスタードの中に、煮リンゴが
さりげなく〜入っている感じ。
味は…そうだなぁ、
まあまあかな。

他の種類も興味があったので、
お店の方に聞いてみました。



「どのたい焼きが
 いちばん人気がありますか?」

すると、こんなお答え。

「やっぱり、あんこだね。
 やっぱり、たい焼きといったら、
 あんこなんだろうね」

(ちなみに2番目は、その日によって違うとか)



これを聞いて、あんこ強し、
やっぱりあんこだよね〜などと
あんこ好きの私は嬉しくなったのですが、
この日は、お土産にあんこは
買いませんでした。
だって、このお店の方が、



「期間限定の
 黒胡麻くるみあん
 おいしいよ〜」




と教えてくれたから。
ほら、こちら。








せっかくのおすすめだったので、
黒胡麻くるみあんを買って、
家で食べることにしました。
この日は、荷物がいっぱいだったので、
1匹だけ買って。



そして、家で食べてみると、
こんな。









店頭の写真より、くるみは
入っていなかったけど、
胡麻は濃厚な味で、おいしかったです。

確かにあんこがいちばんいいけど、
たま〜に、変わり種もいいかと
思ったしだいです。



そして、この店では、
こちらの「かりんとう黒鯛」が
有名だというので、今度行ったら、
食べてみたいと思っています。
まわりがかりんとうで
できているようです。







あ、いずれ全種類だな(笑)
楽しみに一匹ずつね。





来年も、街角で脳と体に刺激を
与えながら、ぼちぼちいきたいと思います。
来年も、よろしくお願いいたします。

今年も読んでいただき、
ほんとうにありがとうございました。
また、来年お会いしましょう。




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2012年12月27日(木) ■本からの話…世界の偉人たちから届いた10の言葉 すばらしい日本、トルコ

《お知らせ》

『そうだったのか!この違いがわかれば、
 きっと許せる「男女の違い105」』第13号」 
 をアップいたしました。↓
 ★http://www.kotobasagashi.net/danjyomerumaga.php


 今回のテーマは、
 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」
 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。
 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との
 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、
 一部ではありますが、見てみてくださいね。
 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>





昨日の続きになります。
この本からの紹介です。
とても感動する話ばかりなので、
ぜひ、読んでみてくださいね。

日本が、日本人が誇りに思えてきます。
そして、その心、姿勢をなくなさないように
しないとな、と思えてきます。
おすすめの一冊です。

とても読みやすいので、
本を読み慣れていない方にも
おすすめですよ〜


「世界の偉人たちから届いた10の言葉
日本への「ありがとう」」

波田野 毅著







「エルトゥールル号事件」より
(P103〜107から引用)


エルトゥールル号海難事故




1890年9月16日夜。
紀伊半島の南端、大島沖で
大海難事故がありました。
トルコの軍艦エルトゥールル号が
台風に遭遇し、座礁、沈没したのです。




荒れ狂う暴風雨の中、
大島の村民は一体となって
救援を開始します。

大島村は半農半漁の貧しい集落でした。
しかし70人近い遭遇者に対し、
村人は貴重な米を炊き出します。
さらに非常食のサツマイモや、
飼っている大切なニワトリまで
食べさせました。

衣類がない人のために、
ありったけの着物も集められました。
荒れ狂う海の恐ろしさと、
遭難した人間の気持ちを
誰よりも大島の村人は
知っていたのです。 

また後日、
トルコは治療にあたった医師らに対し、
治療費の請求を求めましたが、
「ひたすら術を施しただけで、
 そのようなものをあてに
 するものではない。
 お金なら遭難にあったトルコ人に
 あげていただきたい」と言って
受け取りませんでした。




日本では、
この海難事故に同情する声が高く、
多くの義援金が集まりました。
個人で義援金を集める
山田寅次郎という若者は、
全国を歩き回り寄付を集め、
トルコに渡ります。




トルコ側はとても感激し、
皇帝自ら寅次郎に会いました。
トルコからの要請により、
寅次郎はトルコにとどまり、
日本語教師となります。

この教え子のなかには、
将来、建国の父と呼ばれる、
初代トルコ大統領
ケマル・アタチェルクもいました。


これがエルトゥールル号事件です。
そしてこれは、
トルコの教科書にも載っているほど、
重要な出来事だったのです。




だからトルコ人は、ずっと日本人に
恩を感じていました。

そのため危ない思いをしてまでも、
飛行機を出し窮地を救ったてくれのです。

飛行機救出劇の10年後に、
トルコ大使だった
ネジャッティ・ウトカン氏が
述べたもの、それが第10の言葉です。



「エルトゥールル号遭難は
 トルコの教科書にも掲載され、
 私も幼いころに学校で学んだ。

 子どもでさえ
 知らない者はいないほど
 歴史上重要な出来事だ」




この事故は、生存者69名、
死亡者540名という
大惨事になりました。
亡くなった人を丁重に葬り、
生存者は日本の軍艦二隻で
トルコに送りました。

日本人の心からの献身的な行動を
トルコ国民は忘れませんでした。




さらに続きがあります。
1999年にトルコで大地震が発生しました。
被害はとても甚大です。

それを聞き、トルコ航空機で救出された
日本の商社マンや銀行マンが、
あの時の恩を忘れてはいけないと、
義援金を集めトルコに駆けつけました。



日本政府も、外務大臣や
レスキューチームが
翌日にはトルコ入りします。
救援隊や医療チームも次々と現地入りし、

「どの国よりも真っ先に
 手を差し伸べてくれた」
と、トルコの人々を
大変感激させました。




戦争を仕掛ければ、
相手からも弾丸が飛んできて、
報復合戦になります。
逆に
エルトゥールル号事件からの
一連のことは、善い行いには、
善いことが返ってくる、
と教えられます。
これは「善の連鎖」と
いえるものです。




和歌山県串本町では
亡くなった人をいたみ、
今でも5年ごとに慰霊祭が行われています。
慰霊塔や墓地の清掃も、地元の小学校で
現在まで、変わりなく続けられてきました。



エルトゥールル号事件
120年の節目となる、
2010年は
「トルコにおける日本年」
とされています。


            (ここまで引用)



「善の連鎖」いいですね…
なんだか、この話を読み、
胸がじーんと熱くなりました。

今まで、それほど興味がなかった
トルコという国でしたが、
この話と「善の連鎖」を知り、
興味を持ち、身近に感じ、
いつか行ってみたいと、
強く思うようになりました。
いつか、行きます。



この「善の連鎖」は、もちろん、
東日本大震災でも続きました。

◎トルコ支援救援隊33名をいち早く送り込み、
 そして、もっとも長く日本に残って支援活動
 してくれました。

◎トルコ政府は飲料水約18.5トンを宮城県に、
 豆およびツナの缶詰約68800個を福島県に、
 毛布約5000枚を世田谷区他の
 被災者受入れ3区に支援物資として提供

◎トルコの災害救助グループ「GEA」が来日し
 トルコの子供たちが製作した21500枚のカードと、
 2300点の絵画、2500個の玩具、
 日本の子供たちのため作った「友情の架け橋」
 というタイトルのビデオクリップが届けられた 

◎トルコ各団体が義援金3万ドルを
 在ニューヨーク日本国総領事館に送った




このような国と国のつながり、
人々のつながり、想いや行動を、
大切にしていかねばと思いました。
そして、トルコに何かあったら、
私なりにできることをしようと思いました。



《補足》


●なぜ、日本で、
 イラン救出ができなかったか


 自衛隊の海外派遣不可というルール
 日本航空も安全上臨時便は出せない
 と言う状況だったからだそうです。
 そんな窮地の中、
 トルコが救援飛行機を飛ばして
 くれたのです。
 本当に、本当に、
 ありがたいことでしたね。


●山田寅次郎について

 12年間、トルコに滞在し、
 日本とトルコの貿易の民間交流の礎となり、
 関係を発展させ、日本に戻ってからは、
 実業家として成功したようです。
 トルコを第2のふるさととして、
 慰霊碑の建立にも奔走したそうです。
 (詳細は→「トルコ大使館」


●日本の教科書に載っているか?

 エルトゥールル号事件のことは載って
 いないそうです。残念…



この話のもっと具体的な話は、
こちらのページで読んでみてくださいね。

「トルコ大使館」
「海にまつわるちょっと良い話」



今日は、こちらの本からの話を
紹介しました。
おすすめの本ですよ〜

「世界の偉人たちから届いた10の言葉
日本への「ありがとう」」

波田野 毅著







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2012年12月26日(水) ■本からの話…世界の偉人たちから届いた10の言葉 日本への「ありがとう」から

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 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」
 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。
 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との
 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、
 一部ではありますが、見てみてくださいね。
 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>





昨日は、失礼いたしました。
無事に、法事を終えることができました。

気がつけば、12月ももう少し。
早いなぁと感じております。
体調管理をしっかりしていきましょう。


さて、今日は、
昨日紹介する予定だった本を紹介します。
いい話集なので、どうしても紹介したくて。
今日から2回に分けて紹介しますね。
お正月休みにでも、ぜひ読んでみてくださいね。
こちらの本です。


「世界の偉人たちから届いた10の言葉
日本への「ありがとう」」

波田野 毅著







読むと、嬉しくなります(笑)
そして、グッときます。
そして、日本ってすばらしい、
日本人ってすばらしい、
でも、周りの国々も人々も
すばらしい、そう思えてきます。


この本には、
感動する話が10話書かれています。

◆アインシュタイン
 私は日本と日本人に魅せられています
◆ヘレン・ケラー
 ヘレンと日本人の友情
◆チャップリン
 世界の喜劇王の願い
◆エジソン
 発明王と「武士道」
◆ジョン・レノン
 松尾芭蕉とジョン・レノン
◆ゴッホ
 日本人になりたかった画家
◆ザビエル
 日本の道徳と文化に驚嘆
◆ガリレオ
 「地動説」に登場する「日本」
◆杉原千畝(ちうね)
 シンドラーを越えた正義の人
◆エルトゥールル号事件
 善の連鎖



どれもいい話なのですが、
今日は、この中から、
私も全く知らなかった話、



◆エルトゥールル号事件
 善の連鎖




を紹介します。
この話は、トルコと日本のつながりの本で、
トルコの教科書にも書かれているそうです。
(P97〜103から引用)



《日本への恩返し》

1985年、平和な日本では、
つくば科学万国博覧会が
茨城県つくば市で開催され
大変な人気を呼んでいました。

しかし、中東の地では、
イラン・イラク戦争が両国都市への
ミサイル攻撃などで一層激化していました。

そしてこの年の3月。
突然イラクのフセイン大統領が

「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ
 飛行機があれば撃墜する」
と発表したのです。


さあ、大変です。

日本人の技術者や商社員、
そしてその家族など大勢が
イランにいました。

脱出を図ろうとしますが、
各国の航空会社は自国民を
救出するのを優先し、
日本人ははじきだされてしまいます。

また他の国は
救援機を緊急に手配しますが、
日本は対応が遅れました。
現地に残された日本人は、200名以上。
予告時刻まであと数時間です。




このままでは
取り残されてしまう
と、絶望感がただよったとき、
真っ赤な垂直飛翼に、
「三日月と星」の
トルコ国旗があざやかな
旅客機が飛んできたのです。

タイムリミット
1時間15分前でした。
日本人を乗せ、
大きな喜びとともに、
飛行機は旅立ちました。




この救援機がやってくる少し前のことです。
トルコのオザル首相は日本人の友に答えました。



「わかった。
 飛行機の手配をしよう。
 われわれトルコ人は、
 日本人に恩返しをしなければ
 いけないからね」




こういって、救援機を飛ばす決意をしました。
オザル首相の指示によってトルコ航空では
即座にこの危険なフライトをしてくれる
パイロットを募りました。



「日本人を救出するために
 イランに飛んでくれないか?」

すると、
なんとその場にいた全員が
志願したのです。

さらなるトルコ人たちの
善意があります。
この自国の救援機に
乗れなかったトルコ人たちは、
危険きわまりないイランの地を、
3日かけて陸路で脱出したのです。




日本人を優先的に脱出させて、
自らは危ない状況で脱出したことに対して、
非難するトルコ国民は、
誰一人いませんでした。


日本人は、なぜいきなり
トルコ航空機がやってきてくれたのか、
誰も知りませんでした。

そして、なぜこれほどまでに
トルコの人々は、
日本人を救おうと思ったのでしょうか?

それは、その時から約100年前に起こった
大きな事件が原因だったのです。


(ここまで引用)



なぜ、トルコの人々を日本人を
助けてくれたのか…
その話は、本当に感動するものでした。
この続きは、明日書きますね。



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2012年12月25日(火) ■お休みしています

《お知らせ》

本日、法事のため、臨時のお休みを
いただきます。
せっかく来ていただいたのにすいません。
明日は、アップいたします。
どうぞ、よろしくお願いいたします。<(_ _)>



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2012年12月21日(金) ■クリスマスに話したいいい話、その8…多くを持っているということはどんなこと?

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 今回のテーマは、
 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」
 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。
 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との
 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、
 一部ではありますが、見てみてくださいね。
 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>




今日は、この本からの紹介です。


「こころのチキンスープ8
 探しものは何ですか」








心に残るいい話、感動する話が多いので、
ぜひ、読んでみてくださいね。
おすすめの本ですよ。

心がふっとあたたかく、
あるいは、楽になりますよ〜
今日は、この話になります。




「小さなリース」
(P15〜21〜引用)


あと2週間でクリスマスというときに、
私は望みもしなかった場所にいました。
病院で、手術後の回復を待っていたのです。(略)

私は、左の脇腹に走る傷みを何週間もほおっておき、
いよいよひどくなってから病院に行きました。
医者が、レントゲン写真を見ながら言いました。
「胆石ですね。
 紐でつないだら、ネックレスになりそうだ。
 すぐに手術をしなくては」

「こんな時期に入院なんて困ります」
と言いはったものの、
私もさすがに脇腹の激痛には勝てずに、
しぶしぶ手術台にのったのでした。(略)



手術後まる2日うつらうつら眠り続けてから、
私はやっと目を開けました。
意識がはっきりしてくると、
目を見張りました。

なんと、病室がクリスマスシーズンの
お花屋さんさながらになっていたのです。
窓辺には、赤いポインセチアの鉢や、
その他のいろんなお花がところ狭しと
並べられていました。
それから、開封されるのを待ちかまえている
お見舞いカードの束。

ベッド脇の台には、
小さなクリスマスツリーまであって、
子どもたちが作ったオーナメントが飾られています。

そして、洗面台の上の棚には、
インディアナに住む両親が送ってくれた
1ダースの赤いバラと、近所の人から
贈られたキャンドルつきのユールログ
(クリスマスイブに炉に入れて燃やす薪)
私は、これほどみんなから愛され
心配してもらっていることを知って、
胸が熱くなりました。
ひょっとして、クリスマスどきに
入院するのもそんなに悪くはないかもしれない、
と思いました。



夫によれば、友人たちが食事を運んでくれ、
4人の子どもたちの面倒も見るからと
申し出てくれたそうですし。(略)

息子のアダムがどうしているか心配になりました。
アダムは障害をもって生まれ、5歳でやっと
歩けるようになったのです。

あの子は、あのほそっこい足で氷や
雪の上を動き回れるのかしら?
学校でそり遊びをするときは、
誰かに面倒を見てもらっているかしら?

「またお花よ!」
という声で、私は我に返りました。
看護婦さんが、きれいな花束を抱きかかえてきたのです。
彼女は私にカードを手渡し、その花束を窓際の
ポインセチアのあいだに置きました。(略)



私がお見舞いカードを
読んでいると、
「わぁ、そのお花好き」
という声がしました。
見上げると、カーテンが開いて、
隣のベッドの女性が顔を
のぞかせました。




私のルームメートは、
40を少し過ぎたダウン症の小柄な女性でした。
目は茶色で、ショートヘアの巻き毛には
白髪が混じっています。

彼女が着ている入院患者用の寝間着は、
一番上の紐がほどけていて、
下を向くと背中がむき出しになりました。
私は、点滴につながれていて、
その紐を結び直してあげることが
できませんでした。



彼女は、私のお花を、まるで
子どものような感嘆のまなざしで
ながめました。




「私はボニーよ、あなたは?」
「ジンジャー」

と言うと、彼女は天井を向いて白目をむきだし、
唇を噛み合わせました。

「先生があたしの足を治してくれるの。
 明日、しゅじゅつするのよ」

私はジンジャーと夕食まで
おしゃべりをしました。

彼女は自分のいる施設のことを話してくれ、
どうしてもクリスマスパーティまでには
帰りたいと言いました。
家族のことはひとことも言わなかったので、
私もあえて尋ねませんでした。(略)

その晩、
私のところには何人かの見舞客がありました。
その中に、息子のアダムもいました。



ジンジャーは、みんなに陽気に話しかけ、
私のお花がきれいだと言いました。
でも、そのあいだも、ほとんど
アダムの方ばかりを見ていました。
そして、みんなが帰った後、
ちょうどお花のときと同じように、
何度も

「わあ、アダム好き」
を繰り返すのでした。




翌朝、ジンジャーは手術室に行き、
私は看護婦さんに付き添われて、
ちょっとだけ廊下を歩いてみました。
ふたたび歩けるのはいい気分です。



病室まで戻り、
ドアを開けて入ったときです。
私は、部屋の両側があまりの対照を
なしていることに驚きました。



ジンジャーのベッドはきちんと整えられ、
その主の帰りを待っていましたが、
そこには、カードもお花もなければ、
見舞客もいませんでした。
それにきひかえ、私の側はお花であふれ返り、
お見舞いのカードの山がみんなに
どれほど大事に思われているかを
知らせてくれています。

ジンジャーは、誰からも、
お花やカードをもらっていなかったんだわ。
そういえば、誰もお見舞いに来なかったし…
アダムもいつかこんな日がくるのかしら?
でも、私はすぐにそんな考えを
頭から追い払いました。



そうだ、と私は決心しました。
彼女に何か分けてあげよう。




私は窓際に行って、赤いキャンドルを立てた
聖なる小枝のリースを手に取りました。
でも、これはクリスマスの食卓の真ん中に
置いたらぴったりだわ、と
思い出し元に戻しました。

ポインセチアはどうかしら?
この深紅の花を玄関に置いたら、
あの古い家もパッと華やぐでしょうね。

もちろん、両親からの赤いバラは
あげられません。
だって、今年のクリスマスには、
両親に会えないことがわかっているのですもの。

いいわけは次から次へと浮かんできました。
この花はしおれかかっているからダメ、
これをあげてしまったら、
あの人が気を悪くするかもしれないし、
あれは退院してから使える…



結局、分けてあげられるものは、
何一つありませんでした。




それから、私はベッドに戻り、
こう決心することで自分の後ろめたい
気持ちを紛らわせました。
明日の朝になって、
売店が開いたら、
ジンジャーのためにお花を注文しようと。


手術が終わり、
ジンジャーが戻ってくると、
ボランティアの女の子が彼女に、
赤いリボンのついた
小さなクリスマスのリースを
届けに来ました。

彼女はそれを、
ベッド脇の殺風景な白い壁に、
掛けました。


その夜は、
私のところにまたお見舞いの
人たちがきました。
手術を終えたばかりだというのに、
ジンジャーは一人一人に挨拶して、
自分のクリスマスリースを
嬉しそうに見せました。




翌日、朝食がすむと看護婦さんが来て、
ジンジャーに退院を告げました。

「ホームからのお迎えの車が
 もうすぐ来るわよ」

ジンジャーは、
クリスマスパーティまでに
帰るれることになったのです。

私は彼女のために嬉しく思いましたが、
病院の売店があと2時間は
開かないことに気づくと、
自責の念にかられました。

もう一度、私は病室のお花を見渡しました。
どれかひとつあげられないかしら。

看護婦さんが車椅子を運んできました。
ジンジャーは身の回りの品をまとめ、
クローゼットからコートを取り出しました。


「あなたと知り合えてとても楽しかったわ、
 ジンジャー」



その言葉は本当でした。
でも、私は自分のせっかくの思いつきを
実行に移せなかったことに心がとがめました。

ジンジャーがコートを着、
車椅子に乗るのを看護婦さんが手伝いました。

それから、壁から小さなリースをはずして、
ジンジャーに渡しました。



二人がドアの方に
行きかけたとき、
ジンジャーが言いました。

「待って!」

車椅子から立ち上がり、
足を引きずりながら
私のベッドまで
ゆっくりと歩いてきます。

彼女は右手を差し出し、
私の膝の上に小さなリースを
そっと置きました。

「メリークリスマス」
と彼女は言いました。

「あなたはとてもいい人だわ」
それから、
私をぎゅっと抱きしめました。
「ありがとう」
私はつぶやきました。




彼女が車椅子に戻ってドアに向かうあいだ、
私は何も言えませんでした。

涙に曇る目で、
その小さなリースを見つめました。
ジンジャーにとって
たった一つの贈り物だったのに……
それを私にくれたのだわ。




彼女のベッドの方を見ると、
またふたたび空っぽで殺風景になっていました。
ジンジャーが乗ったエレベーターのドアが
閉まる音が聞こえました。



そのとき、
私にはわかったのでした。
彼女の方が、私よりも
ずっとずっと多くを
持っていたのだと。



ボニー・シェパード
(ここまで引用)



心に多くを持っている…
それがどんなことか、
考えさせられました。

今のような世の中だからこそ、
心豊かでありたいと思います。
そう思っても、ケチくさい自分、
欲深い、損得を考える自分がいて、
なかなか思ったようにはいきませんが、
できることはしていきたいと思っています。
それが、うんと小さなことでも。



いいお話満載の本なので、
ぜひ、読んでみてくださいね。

「こころのチキンスープ8
 探しものは何ですか」






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2012年12月20日(木) ■クリスマスに話したいいい話、その7…なぜ、無休営業5000日をやることになったのか?

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 今回のテーマは、
 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」
 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。
 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との
 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、
 一部ではありますが、見てみてくださいね。
 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>





今日は、昨日からの続きになります。
こちらの本からの紹介です。


「80点コロッケ」
『上柳昌彦のお早うGood Day!』 (編集)







山田さんは、
なぜ、そんなにも頑張るのか?
実は、一つの「きっかけ」があったようで、
今日は、その話です。



《無休営業5000日の大衆食堂》
(P36〜41から引用)



山田さんは、「自分の店を持ちたい」
そんな目標を持って料理の世界に入りました。
その夢が実現したのは、
30歳を少し過ぎた、1973年のことです。

最初はメニューがラーメンだけの
小さなお店だったといいます。
それでも一国一城の主。
毎日必死で働いて、
いつしかメニューも増えていきました。


ところが、
自分の店を始めて15年ほどが
経ったときです。
少し頑張りすぎたためか、
腰を痛めてしまい入院生活を
余儀なくされたのです。




当初はすぐに退院するはずでしたが、
予想に反して治療が
長引いてしまったといいます。

結局、入院生活は半年に
及んでしまいました。
入院中、いっこうによくならない病状に、
最後に自ら命を絶とうか?
そんな思いがよぎるほど
追い詰められたそうです。

「この先、私はどうすればいいのか…」

病室のベッドの上で、
自問自答を繰り返す毎日。



そして最後の最後に
たどり着いた結論は…

「安くてボリュームのある料理を
 毎日たくさんの人に提供したい。
 そんな店を自分が厨房に立って
 やり続けたい」
ということでした。
山田さんが店主として
小さなラーメン屋さんを
はじめたとき第一に考えた
純粋な思いだったのです。




ようやく痛みも引いて退院したとき、
山田さんは心に決めました。



今後はお客さんを
がっかりさせるようなことが
あってはいけない。
いつ来ても安くて
ボリュームのある料理が
食べられるように、
もう今後は何があっても
「店は休まない」。

そして、
普通はさげたりしまったりで
営業のあるなしを知らせる
「暖簾」を、しまうのは
やめようと考えたのです。




そして再開した店の営業。
最初の区切りとなった1000日は、
気がつかないままに過ぎていたそうです。

連続営業2000日は、
2000年の一月。
ミレニアムという言葉とともに、
2000日並んだことで地元のマスコミに
取り上げられたといいます。

こうして続けながら3000日、
4000日が過ぎて…
いつの間にか積み重ねた日数は、
5000日となっていたのです。



13年と8ヶ月。
これまで続けてこられた
秘訣は何だったか? 




何か特別なことをしていたのか?
そんな質問に山田さんは、
そんなものはないと言い切ります。 

もちろん風邪もひけないし、
ケガもできない。
プレッシャーはあるけれど、
いつものように
「いつもの1日」を
無事に過ごすことだけを
心がけていると山田さんは言います。

特別なことは何もない、
そんな「いつも」の積み重ねの中で、
大きな記録が生まれるのだと
感じているからです。
(略)



ああ、毎日同じでつまんない。
なんか面白いことないかなぁ…
そんなボヤキがでるようじゃ、
積み重ねることで生まれる
「大記録」は実現しないのです。

今日も朝10時。
5000と38日目。
大衆食堂「たつみ」の
営業が始まります。
(2008年5月12日放送)


(ここまで引用)



そして、この「たつみ」は、
なんと、なんと、
現在でもまだ記録を伸ばし続け…

6666日も過ぎたのですよ〜
ほら、この山田さんの笑顔
みてください。
しかも、山田さんが持っている
ボリュームある定食もすごい!(笑)
(どうやって食べるんでしょう…)

「大衆食堂「たつみ」【函館】」

(北海道ニュースより)



すごいですね〜
「いつも」の積み重ねの中で、
「いつも」を積み重ねれば、
いつか大記録になっていくのですね〜
今年10月の記事ですから、今日も日々、
記録を伸ばしていると思います。

ああ、毎日同じでつまんない。
なんか面白いことないかなぁ…
なんて、ぼやいていては、
いけないのですね。




私も、「いつも」を続けよう、
「ことば探し」も「ぼちぼち日記」も
いつも通りに続けていこう、
そうすれば、きっと、
日本一の本の登録サイトになると、
信じて頑張ります(笑)
どうぞ、これからも
よろしくお願いいたします。



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2012年12月19日(水) ■クリスマスに話したいいい話、その6…無休営業5000日の大衆食堂

《お知らせ》

■『そうだったのか!この違いがわかれば、
 きっと許せる「男女の違い105」』第13号」 
 をアップいたしました。↓
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 今回のテーマは、
 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」
 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると
 嬉しいです…そういうわけにはいかないところも
 あるとは思いますが(苦笑)
 一部ですが、一読してみてくださいね。
 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>





今日は、こちらの本からの紹介になります。
クリスマスというより、年末年始に向けての、
お話になるかな。
どうぞ、よろしくです。


「80点コロッケ」
『上柳昌彦のお早うGood Day!』 (編集)







この本は、ご存じの方も多いと思うのですが、
ラジオ、ニッポン放送の朝の番組、
「上柳昌彦のお早うGood Day!」で、
(現在は、終了しています)
話されていた感動の話をまとめてあります。
身近ないい話が多く、読みやすくコンパクトに
まとまっているので、すぐに読めてしまうと思います。

師走ともなると、気持ちも焦りがちになり、
何をやっているのかわからなくなりがちですが、
この本を読むと、立ち止まって、
「待てよ、もう少しじっくりゆっくりいこう」
という気持ちになります。
ぜひ、読んでみてくださいね。




《無休営業5000日の大衆食堂》
(P36〜41から引用)



北海道函館市のJR函館駅。
その駅から市営の路面電車に乗って7分ほどで、
「宝来町」の停留所に到着します。
そこから歩いて数分のところに
一軒の大衆食堂があります。
一般のお宅に並んで、
静かにたたずむように
のれんが風に揺れています。



看板を見れば、
店の名前はひらがなで
「たつみ」
「心の味の店」
とあります。




見たところ特に変わったことのない、
普通の「大衆食堂」に見えます。
店内に入っても、その印象は変わりません。
カウンター席と小上がりに4卓のテーブル。
さげられたメニューには、
「から揚げ」をはじめたした定食や、
ラーメン、函館らしく「海鮮丼」などが
並んでいます。

ちなみに一番種類の多い定食は、
どれも700円でおつりがくる値段で、
都心に比べればずいぶん安い値段です。



実はこの大衆食堂「たつみ」、
ここまでの説明ではちょっとわからない、
一つの大きな特徴があるんです。

その特徴とは、
入り口にさげられた暖簾になります。
「たつみ」の文字が
白く染め抜かれたそれは、
「さげられたまま」なんです。

いつ見ても
店の入り口に出されていて、
中にしまわれることがないんです。




夜の11時、店が終わった後でも、
さげられることがありません。
これはべつに店主が不精だからではありません。
「たつみ」には、休みがないんです。



よく店の広告で
年中無休の文字を見かけることが
ありますが、年末年始をはじめ、
年に何回かは休むのが普通です。
でも「たつみ」では、
大晦日や元日も、
お盆休みもなく、
365日文字通り「年中無休」
で店を開けています。




だから、このことを
お客さんにもちゃんとPRしようと、
決して暖簾をしまわないでいるわけです。



その甲斐があって、
「いつ行っても必ずやっている食堂」、
そんな「たつみ」のウワサは地元の住民や
近所の学生さん、さらには観光客や
ツーリングのオートバイライダー、
そしてトラックやタクシーの運転手の
間にも広まっています。
だから、函館ではちょっとした「有名店」




年末年始もここなら必ずやっていると、
意外なほどたくさんのお客さんがきてくれるそうで、
たとえ元旦でも、店は開けたものの
席はガラガラ、なんてことにはならないのだそうです。
味の評判がいいのはいうまでもありません。



そうして営業を続けてきた
今年(2008年)の
4月4日、ついに「大きな記録」が
作られました。
休まずに営業した日数が、
なんと連続5000日に
達したのです。 

1994年の7月から数えて
13年と8ヶ月。
「たつみ」と書かれた暖簾は、
ただの一度もしまわれることは
なかったのです。




記録達成の当日、お客さんに感謝を表すために、
いつもは500円の店自慢の塩ラーメンを
特別に50円に値下げして、
いっしょにビールもふるまったそうです。



この店を切り盛りするのは、
ご主人の山田征勝さんと実のお姉さん、
山田さんの三番目のお嬢さんの3人です。




もちろん、5000日も休みなしで営業を
続けてきた間には、大変なこともありました。

本来なら休まないといけない、
そんな「場面」にも遭遇しています。

その一つが、山田さんのお子さんの「結婚式」です。
これまで5000日の間に、お二人のお子さんが
結婚していますが、普通ならお店を休んで、
その日は「晴れの門出」をお祝いするのが
一般的でしょう。



でも山田さんは違いました。
いずれもわざわざ午前中に式をしてもらい、
少し営業を遅らせて、午後からちゃんと
店を開けたといいます。




でもなぜ、そんなにも頑張るのか?
実は、一つの「きっかけ」があったと
山田さんは教えてくれました。

(ここまで引用)



このような記事を読むと、

「自分の信念を貫いて、
 本当に頑張っている人がいるんだ、
 日々頑張っている人がいるんだ、
 自分もやらないとな」

と、思えてきて、力がもらえます。




人を動かす原動力はそれぞれ違うと思いますが、
原動力となるものを見つけ、それを力とし、
自分が動いていく…
人がどう言おうと、
人がどう思おうと。
すごいことだなぁ、思います。

なんで、山田さんはそんなに頑張るのか、
どんな原動力があったのか、
どんな思いで店をやってるか、
そして今は、どうなっているかなど、
明日、書きますね。



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2012年12月18日(火) ■クリスマスに話したいいい話、その5…小さな村の村長が見せたかったものは?

今日は、こちらの本からのお話紹介です。
ちょっといい話が100ほど、おさめられています。


「ちょっといい話」
佐藤 光浩著





やや古い話が多い「いい話」集ですが、
短めで読みやすいので、すぐに読み切れ、
穏やかな気持ちを取り戻すことができると思います。

これからの季節に読むにはいいですし、
気持ちがざわざわするとき、
落ち込んでいるときなどにも、
読んでみてくださいね。
今日は、この本の中から、

「ああ、よかった、よかった、
 無駄だと言われることもあるけど、
 これは、今も本当に役立っていて、
 そして、村を変えたんだね」


と、とても嬉しく思った話です。 




小さな村の村長が見せたかった、
夢のような光景
《奇跡の井戸水》

(89番目の話より)



日本はこれまで、多くの
開発途上国にODA(政府開発援助)を供与し、
経済や社会の発展、生活の向上に役立てるための
資金や技術の提供を行ってきました。

しかし、ただ援助をして生活を支援するだけでは、
本当の発展は望めません。



1996年、
当時の駐セネガル大使のもとに、
手紙が届けられます。
それは、9年前に深井戸を掘って
給水施設を無償援助した、
小さな村の村長からでした。




その村は、ずっと昔から
放牧をして暮らしていました。
しかし、水資源が不足しているため、
貯めておいた雨水がなくなると、
男性は家畜を連れて水を求める長い旅に出てしまい、
残された女性と子どもは、村に一つしかない
浅い井戸の水でしのがなければなりませんでした。

ところが1970年代に、
その井戸も枯渇。

彼女たちは8キロ離れた隣村まで
水をもらいにいくのですが、
そこの水が汚れていたため、
多くの子どもたちが病に倒れてしまったのです。



1983年、
日本の技術者が村を訪れます。
そして、地下130メートルの
深井戸が掘られ、
3カ所の共同水くみ場と
4カ所の家畜用水飼い場も
設置されました。




村民はもちろん、
家畜にもたっぷりと水を
与えられるようになったのです。
それは夢のような出来事だったといいます。



しかし、大使が実際に
村を訪れてみると、
もっと夢のような状況が
広がっていたのです。




共同水くみ場の蛇口は、
子どもたちが水を無駄遣いしないよう、
夜間になると水道管理人が
しっかりと鍵をかけて閉鎖。

さらに村民たちが水道の使用料を出し合い、
集まったお金をポンプ保守技師の給与や
部品の調達、燃料費などに利用していました。

さらに、
ストックされたお金が大きくなると、
パイプの延長工事を行い、
学校や保健所に水を引き、
さらに野菜畑や果樹園にも延ばし、
収穫量を増やしていました。

若者たちの仕事も増え、
さらに貯水池をつくって、
魚の養殖をしようという計画まで
あるというのです。




ずっと放牧生活を続け、
自然の成り行きに身を任せてきた村民たち。
しかし、井戸ができてから、
村民たちが生活を向上させようと
知恵を出し合い、
努力するようになりました。



そう、
村長が大使に見せたかったのは、
井戸からあふれ続ける水でもなければ、
喜んでいる村民たちの姿でもありません。
自分たちの努力の成果を
見てもらいたかったのです。



(ここまで引用)




セネガル大使も、この光景をみて、
感動し、とても嬉しかったでしょうね。
この話は、大使によって広がったと
思われますので、そう思います。

また、この深井戸を掘った方も、
この話を聞いたら、嬉しかったでしょうね。
やった甲斐がありましたね。

国によっては、深井戸を掘って、
争いになってしまうこともあるとか…
セネガルの村は、本当によかったと思いました。
村長の力もあったと思いますし、
村民の頑張りもあったと思います。

今は、魚の養殖をしているんでしょうか。
この後の話がわかれば、また書きますね。





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2012年12月15日(土) ■クリスマスに話したいいい話、その4…秘密のサンタ、恩人に会いに行く

さて、今週〜来週は、
クリスマスに読んで欲しい本や心に残った話、
感動した話など紹介していきますね。

今日は、前回の「秘密のサンタ」の
補足その2で、続きになります。



ラリーさんは、
1995年に匿名で取材に応じたことが
あったそうですが、彼も本人も一切表舞台に
出ようとしなかったし、家族も
出ようとはしなかったそうです。



そして、ラリーさんは、
多くの人に感謝されるにつれて、
どうしても、レストランにいた
男性に会いたいと
思うようになってきます。




そして、ついに、
1999年12月
会いに行くのです。

ミシシッピ州のトゥペロという
小さな町に住んでいる男性に
会いにいったのです。




どうしても、
会いたかったのでしょうね。
自分の恩人ですから…



その方は、
テッド・ホーンさんと言う方でした。
そして、そのテッドさんに、
お礼を言ったあと、
ラリーさんはこう言ったのです。

「あなたがいなかったら、
 今の私はなかった。
 あなたがしてくれたことを、
 いつか私も他の人たちに
 したいと思っていました。
 お金がなくて悪いことをしようと
 思った時もありましたが、
 この20ドルのことを思い出し、
 思いとどまることができました」

と。
そして、テッドさんに
28年ぶりの恩返しをしたのです。




ラリーさんは、そのお礼にと、
テッドさんに1万ドルを渡します。

テッドさんは、断りましたが、
「今あるのは、あなたのおかげだ」
と、言って渡します。

すると、テッドさんは、
受け取ったお金を、なんと、
近所の病気で困っている人たちや
生活に苦しい人たちのために
使ったということです。
テッドさんも、やはり、
すごい人だったのですね。 

テッドさんは、その後、
「あの20ドルのことを覚えていて、
 それが秘密のサンタ活動に
 つながったのは
 うれしいことだし、
 すばらしいことだと思う」
と、話していました。 




ラリーさんは、その後も、
活動を続けます。



2001年同時多発テロがおこると、
クリスマスにはニューヨークに行き、
ホームレスや職を失った人を中心に
2万5千ドル配りました。

2005年には、
ハリケーンで壊滅的な被害を被った
ミシシッピ州を中心に
7万5千ドルを配りました。




そして、2006年、
ついに彼は、
身元を明かします。
重い食道ガンを患い、
死期をさとったからです。
ラリーさんには、世界中に
「思いやりを持つこと」
を伝えたかったのです。




この反響は大きく、2日間で
7000通もの手紙やメールが
彼のもとに届きました。
その多くは、
「自分も秘密のサンタになりたい」
というものでした。
日本、イギリス、ドイツ、中国など、
世界各国から。



2006年のクリスマスも
彼は病気を押してサンタの
活動を行いました。
そして、2007年1月12日、
58歳という若さで、
静かに息を引き取りました。 

27年間で700万にの人たちに
150万ドル配ったそうです。




生前、ラリーさんは、
「シークレットサンタ協会」を
設立していました。
「会員資格は少なくとも1回他人への
 親切な行為を行うこと」

現在でも申し込みが多いそうです。
そして、クリスマスになると、
あちこちの街で、秘密のサンタたちが、
活動しているそうです。

(※アンビリバボーの過去のVTRと、
 HP上の記事を参考にしました)



27年間もこの活動を続けていた
ラリーさん、そしてそれを支え続けた家族、
本当にすごいことだなぁと思います。

ラリーさんのこの活動にあやかって、
私も、クリスマス前には、
必ず、誰かに親切な行為をして、
シークレットサンタ協会の会員になる
資格を得たいと思います。



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2012年12月14日(金) ■クリスマスに話したいいい話、その3…秘密のサンタの謎

昨日は、本当に失礼いたしました。<(_ _)>
やはり、師走ですね。
12月は、こんなことが少し続きそうです。
どぞ、よろしくお願いいたします。


さて、今週〜来週は、
クリスマスに読んで欲しい本や心に残った話、
感動した話など紹介していきますね。

今日は、前回の「秘密のサンタ」の補足です。
この本を読んでいたら、例えば、



レストランで、サイフがなくなったとしたら、
サイフが見つからないといけないけど、
どんな状況だったんだろう、とか、
ラリーさんは、その後、
レストラン男性に会いにいったのかな?
とか、奥さんは、知っていたのかな?
その後、どうなっているのかな?




などなど、疑問を持ったので、
いろいろと調べて見たのです。
すると、いろいろなことがわかり、
しかも、この本に書いてある以上の
すばらしいことがわかったのです。
本当に、すごい話でしたので、
紹介したいと思いました。



さて、秘密のサンタさんは、
ラリー・スチュワートさんという方で、
重い食道ガンを患ったため、

「他の誰かを助けることこそが、
 私たちの生きる目的なのだ」
「アメリカのあらゆる街に
 サンタが訪れるように」 

ということを伝えるために
素性を明かしたことは昨日話しました。





実は、ラリーさん、事業で成功したから、
お金を配っていたわけではないのです。
そうではなくて、
自分が会社を首になり、
うんと惨めなときから、
12月に街角で恵まれない人々に対して
20ドルの現金を配る活動を始めたのです。
決して、お金があったから、ではないのです。
さて、それでは、どんな状況だったのか?




ラリーさんは、
1948年にミシシッピー州で
生まれましたが、幼い頃に両親を亡くし、
生活保護を受けながら貧しい暮らしをしており、
1ドルでも多く稼ぐために必至に
働いたそうです。

そして、ついに23歳で化粧品販売の会社を
設立しますが、その年の11月に倒産してしまいます。
ラリーさんは、ほとんどホームレス状態になります。
お金もなくなり、空腹状態のときに、やけになり、
レストランに入り、思い切り食べてしまいます。
しかし、お金はありません。

これはまずい、ととっさに、
ポケットの中を探すフリをして、
「お金を落とした」と言ったのです。


普通なら、そんな言い訳が通じるはずもなく、
無銭飲食で警察に突き出されるところでしたが、
レストランの男性
(経営者と紹介されていることもあります)
ラリーさんの足下から、

「落ちてましたよ」

と、20ドル札をひろってくれたフリをして、
ラリーさんに手渡してくれたのです。
このおかげで、ラリーさんは
無銭飲食で捕まることもなく、
食事代を払うことができたのです。




このとき、ラリーさんは、内心、
よかったと思い支払いをすませます。

そして、この時の20ドルの残りで、
カンザスシティに移り住み、
警備関係の会社を起こし、懸命に働きます。
そして、この警備会社がうまくいき、
結婚もし、子どもも生まれ
幸せな生活を送ります。



しかし、1977年、
27歳のとき不況で、
再び会社が倒産。




このときもまた、食事代にも困るほどなり、
銀行強盗でもしようかと考えます。
銀行でお金を要求しようとすると、
少女が窓口でお金を預けていて、
それが20ドル札だったのです。



この20ドル札を見たラリーさんは、
レストランで20ドル札を
受け取ったことを思い出します。

「こんなことはしてはいけない」

と、今度はセールスマンとして、
一生懸命に働きます。




しかし、なんと、今度は、
会社の経営が思わしくないことを理由に、
突然解雇されてしまうのです。

またしても、お金に困ります。
このとき、どうしようかと考えつつ、
道の売店に立ち寄り、ポップコーンを頼むと、
店の中の女性は、間違って違う商品とおつりを
ラリーさんに渡します。
みると、女性の顔は、とても暗いのです。



ラリーさんは、この表情をみて、
「お金にとても困っている」と感じ、
おつりの中から、20ドル札を彼女に
クリスマスプレゼントだと言って渡します。

このときの彼女の嬉しそうな顔、
そして、運命の20ドルが、
その後のラリーさんの運命を
決定づけたのでした。




「秘密のサンタ」の
誕生のときでした。 

この後、ラリーさんは、
銀行に行くと、貯金を引き出し、
白いオーバーオールに
赤い服とベレー帽と
サングラスいう姿になり、
困っているような人や
貧しい人に20ドル札を
「クリスマスプレゼントです、どうぞ」
と、言って手渡していったのです。 




自分もお金に困っていましたが、
もっと困っている人たちがいることを、
ラリーさんは身をもって知り、
この活動を続けることになります。

20ドルは、大金ではありませんが、
自分がその20ドルで救われように、
お金に困っている人、貧しい人たちにとっては、
本当に助かるお金でした。



1980年。
ラリーさんは、友人と会社を興します。
今度は、長距離電話の会社で、
ここでラリーさんは、懸命に働き、
財をなしていきます。

不思議なことに、
この活動をすればするほど、
会社の業績はあがり、
ラリーさんの生活は、豊かになって
いったということです。




この間も、毎年12月には、街角に立ちます。
そして、この「秘密のサンタ」は
誰だろうと、街でも噂になるようになります。
しかし、誰かは、誰にも分からないのでした。

この当時に、写メでも撮れれば、
すぐに身元が分かったでしょうね(笑)


もちろん、家族にも秘密にしていました。
ところが、この「秘密のサンタ」活動を
始めてから8年後、
お金を配っているときに、
妻に声をかけられて、
見つかってしまいました。




このとき、妻はこの活動を
許してくれないだろうと、
思ったそうですが、妻は、

「困っている人を助けることは素晴らしいことよ。
 節約して、多くの人を助けられるように
 一緒に頑張りましょう」


と応援してくれたそうです。
このときの、妻のことばは、
ラリーさんにとって、最高の
「クリスマスプレゼント」に
なったそうですよ。




それ以後は、家族もこの活動を陰から
支え続けます。



そして、ついにラリーさんは、
あのレストランの男性に
会いに行ったのです。
すると、この男性…
この方も、すごい人だったんですね。
本当に、驚きました!





この話の続きは、明日書きますね。
どぞ、よろしくです。



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2012年12月13日(木) ■臨時のお休みしています。

せっかく来ていただいたのに、すいませんっ!
本日、急な用事が入り、休ませていただきます。
やはり、12月…師走ですね〜


明日は、確実にアップいたします。
どぞ、よろしくお願いいたします。




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2012年12月12日(水) ■クリスマスに話したいいい話、その2…秘密のサンタ

今日も、クリスマスに読んで欲しい本や
心に残った話、感動した話など紹介していきますね。
気に入ったお話、本がありましたら、
ぜひ、ぜひ、読んでみてくださいね。


今日も、昨日と同じ本からの紹介になります。
この本には、感動する話が、
100集められています。
一つひとつの話に、思いが込められている上、
年代を超えて紹介されているので、
いろいろな感動秘話を一気に読めます。
ぜひ、読んでみてくださいね。




「ちょっといい話」






さて、今日の話はこちらです。


「秘密のサンタ」より
(P104〜105から引用)




アメリカのミズーリ州カンザスシティには、
12月に街角で恵まれない人々に対して
現金を配る男性がいました。




その活動は26年も続けられたのですが、
男性が身元を隠していたため、
どこの誰かはわかりませんでした。
そのため、彼は、



「秘密のサンタ」
と、呼ばれていました。
しかし、2006年11月、
彼は突然素性を明かします。




「秘密のサンタ」の正体は、
同州に住む58歳の実業家。
重い食道ガンを患い、
人に親切にするという
自分の信念を広めようと、
正体を明らかにしたのでした。




彼には職を失い、
車の中で寝泊まりしていた時期がありました。
そして、やけになってレストランでお腹いっぱい朝食を
とったうえで、サイフをなくしたと嘘をついて、
ごまかそうとしたことがあったそうです。



普通なら、そんな嘘は通用しないでしょう。
しかし、そのレストランの経営者は、
彼を責めることをしませんでした。

それどころか、
あなたが落としたお金があったと言って、
彼に20ドル札を差し出したのです。
彼は、相手をうまく騙せたと思ったのですが、
よく考えてみると、それがレストランの
経営者の優しさであったことに気づきます。




その後、
彼はケーブルテレビの事業で大成功を収め、
裕福な暮らしを手に入れます。
しかし、そのレストランでの経験を
忘れることはありませんでした。



そして、1979年、
ドライブインの女性従業員に
20ドルを手渡したことをきっかけに、
恵まれない人にお金を配るという
活動を始めたのです。

2007年1月、
彼はガンによる合併症により
亡くなりました。
それまでに配ったお金は
総額130万ドル
(約1億5000万円)にも
及んだそうです。




しかし、「秘密のサンタ」は
2007年の12月にも街角に現れ、
人々にお金を配りました。

実は、彼が臨終する際、
友人の一人が「秘密のサンタ」を引き継ぐことを
約束し、誓い通りに活動をはじめたのです。



また「他の誰かを助けることこそが、
私たちの生きる目的なのだ」と語り、

「アメリカのあらゆる街に
 サンタが訪れるように」

と願い続けた彼の意思は、
多くの篤志家の心を捉えました。
そして、
「秘密のサンタ」はミズーリ州のみならず、
カリフォルニアやアリゾナなどにも登場。
活動は全米に広がっているそうです。



            (ここまで引用)



この話は、大分以前に、
「奇跡体験アンビリバボー」でも
紹介されたことがあるので、
知っている方もいると思いますが、
本当にすごい人がいるなぁ、
私も何かできることをしようと、
思わせてくれる話でした。

しかし、この本の内容だと、
ちょっとわからないことが多いし、
疑問もわいてくることがあり、調べて見ると、
いろいろなことがわかりました。



日本の新聞でも、
このことが報じられていました。

四国新聞社の記事(2007年1月14日)
「「秘密のサンタ」が死去」




ラリー・スチュワートさんと
言う方だったようです。




そして、ラリーさんは、
成功したから、この活動を始めたわけでなく、
成功に至るまで、何度も挫折しつつも、
この活動を続けていたことがわかりました。

また、レストラン経営者ではなく、
レストランの男性従業員であったこと、
その時の状況、なぜ、20ドルだったのか、

さらに、その後、ラリーさんは、
この男性に会いにいったこと、
なぜ、ドライブインの女性に20ドルを
渡したか…などが、わかってきました。




そして、その話が、
もっと、もっと感動的だったのです。
この話は、明日書きますね。



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2012年12月11日(火) ■クリスマスに話したいいい話、その1…サンタへの手紙

今日は、すっかり遅くなってしまいすいませんっ。
朝から、締め切りに追われて、遅くなってしまいました。
やっぱり、12月は、バタバタとしますね。
でも、この時期に忙しいのは、
本当に幸いだと思って頑張っています(笑)


さて、今週〜来週は、
クリスマスに読んで欲しい本や
心に残った話、感動した話など
紹介していきますね。
気に入ったお話、本がありましたら、
ぜひ、ぜひ、読んでみてくださいね。



まず、今日は、こちらの本からの
お話を紹介します。


「ちょっといい話 」






今日は、富山県であった実話です。
クリスマスに、こんなことがあったら、
本当にステキだなぁと思いました。



「サンタへの手紙」より
(P102〜130から引用)



富山県にある幼稚園で、
サンタクロースに宛てた手紙を
書くことになりました。

子どもたちは、
思い思いにお願い事を書き、
幼稚園が用意したトナカイのポストに
入れていきます。



そんな中、一人の女の子が
お願い事を決められず、
手紙を家に持ち帰ることになりました。

家でうーんと悩んだ結果、
女の子は手紙に

「ペンダントをください」

と書き、それをポストに投函します。




ただ、女の子は大きな間違いをして
しまいました。
トナカイのポストではなく、
本物の郵便ポストに手紙を
入れてしまったのです。



しかし、話はそれだけでは終わりません。
女の子はかなり心配症だったようで、
本当にサンタさんに手紙が届いたのか、
気になってしかたありません。



そして女の子は、
毎日のようにサンタさんに宛てた手紙を、
本物の郵便ポストに入れ続けました。




切手も貼っていないその手紙が、
サンタさんに届くことはない…
はずでした。



ところが、
クリスマスイブの当日、
女の子の家に
サンタクロースは訪れました。
そして、たくさんの手紙を
くれたことへのお礼を述べ、
ペンダントを
プレゼントしてくれたのです。




実はこの手紙は、
この地域を担当する郵便局に集配され、
大切に保管されていました。



毎日届くサンタさん宛の手紙を見て、
この郵便局の人たちは、差出人として書かれた
名前から、女の子の身元を探し回ります。

住所と名前が判明し、
局長が女の子のお母さんに連絡。
そして、プレゼントを届けることになったのです。

郵便局の人たちの粋な計らいが、
少女の夢を実現させたのでした。


          (ここまで、引用)



きっと、この女の子は、
この日のことを一生忘れないでしょうね。
一生懸命、手紙をだしてよかったですね。


明日も、クリスマス関連のお話です。
どうぞ、お楽しみに…






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2012年12月05日(水) ■九州の旅15…この美しさをみてください〜

《お知らせ》

6.7日は、お休みさせていただきますっ。
 この時期は、なにかとバタバタとしますね。
 来週は、クリスマスにおすすめの本などを紹介します。

『そうだったのか!この違いがわかれば、
 きっと許せる「男女の違い105」』第12号」

 をアップいたしました。 
 今回のテーマは「セックスに関する3つの違い」
 生理的な違い、脳的な違い、感性の違いなどを取り上げています。
 この違いを知ると、パートナーの気持ちを受け入れられるかも…
 一部ではありますが読んでみてくださいね。
 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>↓
 ★http://www.kotobasagashi.net/danjyomerumaga.php

「今日のことば」11月の人気ベスト5」
 本サイトにアップいたしました。↓
 ★http://www.kotobasagashi.net/kotoba/vest5.php
 今回は「叶」という字の話で、願いを叶えることばでした。
 ぜひ、見てみてくださいね。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。






本日で、九州の旅話も終わりになります。
おつきあいいただきまして、ありがとうございます。

今日は、伝えきれなかったちょっとした話、
紹介したい美しい写真などの紹介です。
見どころいっぱいでしたからねっ。



まずは、高千穂野
「天岩戸神社」の
この灯籠。









この灯籠の頭、相当気になりました。
だって、見てください。
このように頭から、
葉っぱが育っていたんです、元気に。
しかも、全部の灯籠が同じように。









で、どうしても気になったので、
説明してくれた神職さんに聞いてみたのです。
すると、こう教えてくれました。



「灯籠のこけの上に、
 鳥が糞をして種を落とし、
 それが育つんですよね、
 けっこう大きく育ちますよ、
 1メートル以上とか。
 それ以上大きくなれないとわかると、
 枯れていきますが、元気に育ちますね〜
 この辺りは、気が充満してますから、
 育つんでしょうね」




と、教えてくれました。
「天岩戸神社」へ、行きましたら、
ぜひ、見てみてください。
なかなか愛敬があり、かわいいです。
気をもらっているのですね〜



続いて、
同じく高千穂野の
「がまだせ市場」









「がまだせ」とは、高千穂地域の方言で
「頑張ろう」との意味だそうですが、
ここで、本当に頑張っていたものを
見つけました。
はい、こちら。









なんとも、
勇ましく頑張っていました。
私たちが行ったときには、
ハロウィーンが終わってはいましたが、
まだまだ、ハロウィーンで、
日本酒販売頑張っていました。




目に力が入っているたぬきで、
「こんちは、ごくろうさま、しっかりね」
と、思わず声をかけてきました。



同じく高千穂で、私がいちばん、
パワーを感じたところ。
パワーと言うより、
すがすがしい、神々しさかな。












太陽の光のコントラストが見事で、
ああ、確かに、太陽の神様、
天照大神様が好きな場所だったかも、
などと思えたのでした。




続いて、
阿蘇の美しい山並み。
白煙と雲が混じり合って、
なんとも幻想的でした。









この場所は、黒川温泉から湯布院に向かう
途中にあるのですが、山並みがすごいです。
この辺り、ゆっくりと回ってみたいと思いました。



そして、最後はこちら。
飛行機から、
こんな風景がみえました。











やっぱり、富士山!
やっぱり、高いのですね〜
本当に、美しい光景で、
思わず手を合わせました。




ということで、九州の旅は、
楽しく無事に終わったのでした。
おつきあいいただき、ありがとうございました。<(_ _)>
また、行きたいですね〜
というより、また、絶対にいきます。

6.7日と二日間、お休みいたしますが、
来週は、今年私が読んで、心に残った話、
いい話などを紹介する予定です。
どうぞ、よろしくです。





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2012年12月04日(火) ■九州の旅14…阿蘇と巣鴨は、こんなものつながり(嬉)

引き続き、九州旅行の話になります。
あと2回ほど、九州旅行の話になります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。<(_ _)>



今日は、阿蘇と巣鴨のつながりです。
あったんですね〜つながりが…
そして、それは、私にとって、
たいそう嬉しいつながりでした。




なぜ、そのつながりがわかったか…
実は、阿蘇観光していたときに、
ソフトクリームがおいしいという
はちみつやさんがあると聞いて行ってみたのです。
ここです。








「阿蘇みつばち牧場」
店内にいっぱいに
はちみつが売られ、
その一角のカウンターに、
おいしいと教えてもらった
ソフトクリームがありました。




そこで、カウンターに座り、
ソフトクリームを頼むと、そのカウンターの
先にいた、男性が話かけてきたのです。



「どこからいらっしゃったのですか?」
「えっと、ばらばらで…
 神奈川、東京、茨城からです」
「今日は、おみやげを買いにきたのですか?」
「いえ、ソフトクリームがおいしいと
 聞いてきたので…それを食べに」
「ソフトクリームにもはちみつが入って
 ますから、美味しいんですよ」



ということで、早速ソフトクリームを頼み、
食べていると、さらにこう聞いてきたのです。



「東京の方は、どちらから?」
「巣鴨です」
「え、巣鴨?
 じゃ、うちの支店がありますよ。
 ご存じですか?」 




と、いうのです。
そういえば、はちみつのお店確かにあったと
思いだし、こう答えると、



「ああ、はちみつの店あります、あります」
「その店、うちの店なんですよ。
 熊本に本店があり、巣鴨に支店をだして
 いるんです」




と、教えてくれたのです。
なるほど、そう言われてみれば、
巣鴨のはちみつ屋さんで、
売っていた商品が並んでいました。



実はこの店で売っている、
はちみつの「マヌカ蜜」は、
ピロリ菌を押さえる効果があるとかで、
店頭で紹介していたので、
1度行ってみたことがあるのです。




そのころ、私はピロリ菌保持者だったので…
(今は、薬を飲み退治しました!)
お値段が高かったので、
「マヌカ蜜」買わないできましたが、
1度入ったことがあったのでした。
そこで、入ったことがあることを伝えると、
さらに、こんなことを言ったのです。



「僕も時々巣鴨に顔をだしているので、
 ぜひ、立ち寄ってみてください。
 そして、さきほど、
 「いきなり団子」の話を
 していましたが、
 その「いきなり団子」、
 この店で売ってますので、
 ぜひ、買いに来てください」

「えっ、はちみつ屋さんで、
 いきなり団子を売っているのですか?」
「そうなんです、これが美味しいんです。
 蜂蜜がはいっていて…」




と、教えてくれたのです。



「いきなり団子」とは、
さつまいもとあんこが
はいっているおまんじゅうのことで、
実は、私が大好きなんですね。
すでに、道の駅で買い込み、
食べてもいたし。




その「いきなり団子」を
巣鴨支店で売っているというのです。
私は、1度は行ってみたけど、
それには気づかずで。



そこで、戻ってきてから、早速、
巣鴨支店に行ってみたのです。
すると、確かに確かに、
売っていました。













ほら、これが、
巣鴨店の「いきなり団子」
店頭で、ふかしていて、
熱々を食べられるのです、
店内で。お茶付きで。












ちなみに、こちらが、
道の駅で食べた「いきなり団子」








どちらも美味しかったですが、
はちみつ屋さんのほうが、
さつまいもがあつく、
しっとり感がありました。




男性の方にも、
「いきなり団子を食べたくなったら
 巣鴨店の方に行ってくださいね」
と、すすめられたし、
確かに美味しかったので、
これからは、巣鴨店で買おうと決めました(笑)



そうそう、
なぜ、この「いきなり団子」が、
このはちみつ屋さん売られているかというと、
いきなり団子は、熊本の郷土菓子だから、
のようです。
今は、都内をはじめ、あちこちで見かけますが、
もともとは阿蘇地方でよく食べられていたのです。
それで、こうして巣鴨でも売られている、
というわけです。




なお、この店のソフトクリームも、
巣鴨店で食べることができます。
こちらもおいしいので、ぜひ、
巣鴨に来たときには、立ち寄って
食べてみてくださいね。

巣鴨地蔵通商店街、
JR巣鴨駅寄りの、
「高岩寺」の手前にありますから。

というわけで、私は、これから、
「いきなり団子」をいつでも
食べられるようになりました。
嬉しいです。



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