言の葉孝

2011年04月21日(木) 「死にたい」に対する受け答え(3)「生き方」

 僕は生きろ、死ぬな、とは言いません。
 別に死にたければそのまま恨みつらみを重ねて死ぬまで待つのも、いっそのことビルの上から飛び降りてしまうも自由です。
 ただ、生きるなら、生きるなりのことはしなければならない、というのが昨日までの話でした。

 この不況の折、日本では毎年3万人もの自殺者が出ます。不謹慎な比較ですが、今回の東日本大震災の死者がおよそ1万人ということですから、これはえらい数字です。
 ですが、この数字は、実はポジティブな見方もできるのです。

 昨日までの話で、僕は「誰かを責めるなら、その分生き抜く手段を考えろ」と主張しました。
 仕事に未来の展望がないなら転職を考えるべきで、国に絶望しているのならいっそ他国に渡るのもいい。
 そして生きるためだけに取れる選択肢としては、実は犯罪も含まれています。

 お金を持っていないのなら、持っている人から奪えばいい。ごく単純な発想です。
 窃盗、詐欺、脅迫、やり方ならいくらでもあります。
 しかも特典もあって、もし、失敗して警察に捕まっても、刑務所に入れられることで最低限の衣食住は保障される!
 そりゃ不便はいろいろあるでしょうが、慣れれば意外と快適かもしれません。
 
 こんないいことずくめの方法なのに、自殺した3万人は生きるに困るにあたってその方法を取らなかった(まあ貧困だけが自殺の理由ではないですが)。人を困らせたり、悲しませたりするより、自分の命一つ消えればいい、という選択をしたという見方をすると、3万人という数字にも若干救いが見出せるのかもしれません。

 何がいいたいかというと、「生きる」ことが第一目的の動物にはない考え方があるということです。それが「生き方」ですね。
 平凡に生きたい。危険でもいいから波乱に富んだ人生を送りたい。人に迷惑はかけたくない。

 いろいろな生き方があると思います。それは時によって、単純に「生きる」よりも優先するべきものである場合があるのです。
 自殺者のいくらかは、そんな死に方なのかもしれません。

 僕は昔のスポ根漫画はあまり好きではありません。それは何故かはまた今度の話題においておくとして、その代表的存在である「巨人の星」の根幹に、今をときめく坂本竜馬の名言として、こんな言葉が引用されています。
 
「いつ死ぬかわからないが、いつも目的のため坂道を登っていく。死ぬ時はたとえどぶの中でも前のめりで死にたい」

 実のところ、この言葉は「巨人の星」の原作者・梶原一騎が創作したものらしいのですが、坂本竜馬も「生きる」ことだけ考えていれば、日本のために動くべきではなかったことは確かです。
 しかし、動かずして、彼は彼足りえたでしょうか?

 「生きる」だけではない、「生き方」もあります。
 後悔ばかりで長生きするより、スパッと悔いなく生きて死ぬほうが幸せなこともあるのです。

 さあ、「死にたい」といっている方、
 あるいは「こんなに行きにくい世の中はおかしい」という方、

 愚痴を吐き散らし、責任を追及して、周りが変わるのを待つ間に、自分が「生きる」こと、そして、自分の「生き方」を考え直してみてはいかがでしょうか?

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2011年04月19日(火) 「死にたい」に対する受け答え(2)疑問に対するいくつかの答え

 昨日までで、「死にたい」と思っている理由であるいくつかの問題には答えが出ています。

>「どうすればいいのかわからない。苦しい状況が打開できる方法がない。そんならいっそ死にたい」

 現状で状況を打開する希望がないのなら、現状を変えるしかないのです。
 昨日の僕のコメントでも僕は転職を勧めていますね。実際、月収10万円以下だって、普通にフルタイムのアルバイトをすればクリアできると思うのですよ。選んでる仕事が悪いだけで。


>「被災地の方々が援助を受けているのに、同じく苦しんでいる非正規労働者に援助がないのはおかしい」

 それは国にとって被災地の復興は重要な意味があるからです。今回の地震で産業に受けた被害は甚大です。海岸とかだと漁業ですね。いつまでも漁業ができなければ国としてもかなり困る。だから、働く候補の人や建物の復興を援助するのです。
 しかし、ある程度復興したら、支援は打ち切られるでしょう。今からでも自分が食べていける手段を探しておかないと、打ち切られた時に、非常に困ることになります。
 被災者の方には大変厳しい言葉になると思いますが、支援されることは当たり前のことではないのです。支援を受けている今のうちに自分が生き抜く方法を探さなければ。

 対して非正規労働者の場合は、貧困にあえぐ非正規労働者が発生することで停滞する経済なんてないからでしょう。助けるのに社会としてそれほどの意味を感じていないのです。
 ただし、消費者がいなければ経済は成り立ちませんから、危機となれば助けることもするかもしれません。


>「生活保護を申請しても、役人に却下され、結果餓死してしまうなんて社会はどうかしてる」

 生活保護も、人間が生きるために取れる手段の一つです。主張の繰り返しになりますが、「本当に生活が苦しいのに生活保護が受けられない、これはオカシイ」という論法はあまり意味がありません。
 「なぜ受けられないのか」「どうすれば受けられるのか?」と、いうことをこれを考えなければ。
 世の中には『生活保護ビジネス』というものも存在します。ホームレスに住所を与えて、生活保護を申請させ、受け取ったお金を搾取するというタチの悪いお金儲けですが、生活保護というシステムをうまく利用しているという見方もできます。


 これらの答えに対して僕の主張は一貫しています。
 責任は何も解決しません。自分がどれだけ正しくて、誰をどれだけ責めようとも、誰も食わせてくれないのです。
 そうしているうちに生き抜く手段を考えなければ、ほんとうにのたれ死ぬ日が来てしまうかもしれないのです。

 よく考えれば、人間以外の動物に善悪は存在しませんね。それは、正しいことなのか悪いことなのかという概念が、食べ物を得るのに何の役にも立たないことの証明ではないでしょうか。

(まだ続く)


2011年04月18日(月) 「死にたい」に対する受け答え(1)責任は何も解決しない

 「小説家になろう」には活動報告、というシステムがあります。まあブログみたいなものなのですが、その活動報告で最近「死にたい」と連呼する方がおられました。
 その事情も全部活動報告で書かれていました。

 曰く「自分は薄給(月収10万円以下)の非正規労働者である」
 曰く「どれだけ働いてもこれ以上の月収は見込めない」
 曰く「この状況を打開するにはプロの作家になりでもしないかぎりは無理」
 曰く「正社員になるのもむずかしい」
 曰く「どうすればいいのかわからない。苦しい状況が打開できる方法がない。そんならいっそ死にたい」
 曰く「被災地の方々が援助を受けているのに、同じく苦しんでいる非正規労働者に援助がないのはおかしい」
 曰く「生活保護を申請しても、役人に却下され、結果餓死してしまうなんて社会はどうかしてる」

ちなみに、「死にたい」といっていた活動報告に対する僕のコメントを全文コピペすると(ハンドルネームの部分は「貴兄」としています)、

『あんまり毎日「死にたい」なんて言ってると、本当に人が死ぬことになりますよ。(貴兄さんに限らず)
言葉ってそういうものです。

それに日記とかにそういう愚痴っぽいことを書くと、自分で読んだときにさらに暗い気持ちになっちゃいますから、それも気をつけたほうがいいですね。
でも書くことがストレス発散になるというのなら、内容が変わるように行動しなくちゃいけませんよね。

どうでしょう? 今の仕事で正社員にもなれないし、これ以上の給料が見込めないというのなら、仕事が変えられるように転職活動されては? どんなに忙しくても小説はかけますよ。(←毎日5時起き+深夜過ぎ帰り+土曜日出勤の人)
上手く行こうが行くまいが、転職活動が小説の肥やしになるかもしれませんし。
ちなみに賞を取ってすぐ小説で飯を食えるわけじゃないですしね(本気で言ってるとは思っていませんが)。賞を受賞しても「仕事はやめないほうがいいですよ」って言われるそうですよ。

どんなに訴えても基本的に誰も助けてくれません。誰の責任であってもです。
野生の動物で、食う手段をなくした動物は食えずに普通に死んでいきます。だれも助けてはくれません。
人間も動物です。食う手段をなくせばのたれ死ぬのです。

と、まあ恵まれている立場にいて、貴兄の実際の状況がよく分かってない自分が言っても説得力ないですけどね。
言霊を信じている自分としては、あんまり人を暗い気持ちにさせる文章には見過ごせないものがありまして。』

 死にたいといっている人間に対して、結構大胆なことを言いました。この人の場合は「死にたい」とか書いているのは、愚痴を言うのと同じストレス発散だと思ったからなのですが。
 ただ、酒を飲みながら愚痴を言うならともかく、ブログとかにそういうくらい気持ちを書き込むのはやめておいたほうがいいと僕は思っています。暗い気持ちを載せた言葉を残しておくことで自分を含む、その言葉を読む人をさらに暗いところに引き込んでしまうからです。

 少し、話がそれてしまいました。今日の話は『愚痴は日記に書くべきではない』というものではありません。
 今日の本題は上記コメントの以下の部分。
 
『どんなに訴えても基本的に誰も助けてくれません。誰の責任であってもです。
野生の動物で、食う手段をなくした動物は食えずに普通に死んでいきます。だれも助けてはくれません。
人間も動物です。食う手段をなくせばのたれ死ぬのです。』

 というところです。

 僕は難しいものの考え方が嫌いで、その問題を考えるために、トポロジー的に、より単純な形に問題を考えることがよくあります。
 今回のもそれで「食えないくらいに薄給の人は、どう生きていけばいいのか」という問題に対し「そもそも動物って食う手段がなければのたれ死ぬことになるんだよな」とかんがえました。

 その考え方でいくと、食い扶持を稼げなくなった人は単純に考えれば死ぬことになります。
 でも今の人間の世は、簡単に死なないようにできている、というか、『犯罪を犯さない善良な市民である限り、これを死なせないように保護、保障するのは国家の責任だ』という風潮になっています。
 誤解を与えないように言っておきますが「食えなくなった人が死ぬのは当たり前だ」と言っているのではありません。それに近いことは言っていますが。
 ただ「自分に助けの手が伸びないのはオカシイ」「こんなに自分の生活が苦しいのは○○(国、政府、周りの環境)が悪いからだ」というのは、あまりよくないことだと思っています。

 責任、という言葉がありますが、僕はこの言葉が何かの問題を解決したのを見たことがありません。
 ただ、前へ進むためのちょうどよいプレッシャーであったり、憎しみや怒りの矛先を誰かに向けてストレスを発散するためだけの概念でしかないと思っています。
 だから、自分の生死に関わるところで、これが誰の責任かと問うのは悪いかどうかという以前に恐ろしく不毛な行為なのです。
 実際、「こんなに自分の生活が苦しいのは○○(国、政府、周りの環境)が悪いからだ」といって、本当に国が悪かったとして、国が「ごめんなさい」って謝ってお金をくれるわけではありません。
 それに「お前が悪いんだ。俺が苦しいのはお前のせいなんだ」って言われて援助する人もあまりいないと思いますしね。

 本当に困っているのなら、本当に生きて生きたいのなら、媚を売ってでも自分は助けるに値する人間であるとアピールして助けてもらうことが肝心なんだと思うのです。

(続く)


2011年04月10日(日) 原発と街の共生(その2):リスク承知の原発運営

 自分は、電気がなければ生きていけない人間なので、原発の存在は支持します。なんなら僕の住む大阪府阪南市に原発を建ててもらって結構だと思っています(あくまでも個人的にですが)。

 そういう観点から原発が必要だという前提でお話しすると、原発はどう転んでも、もう絶対安全とは言えないため、これからの原発と人が共生するためには新たな方向を示さなければならないと思います。
 リスクを承知の上での方向性です。
 
 前から思っていたのですが、この原発問題は米軍基地の問題に「日本人にとってなくては欲しいものだけれど、地元に建てられるのは困る」という点で大いに通じるところがあります。
 米軍基地に関しては、沖縄県は米軍から少なくないお金を基地として日本の領土を使用する代金をもらっていると聞きます。
 少なくとも福島の原発の地域は「助成金」があり、原発から雇用をもらっていたという経緯もあるらしいですね。それで納得できないなら、絶対に受け入れるべきではなかったし、妥協したのならば今回の騒ぎに関して理不尽なところ以外は東電を非難できないはずなのです。

 あとは滑走路みたいに、人口島とか、人里はなれた山の中とか(山梨の原子力研究所などは大体そのようなところのようで)、とにかく人里から離すことが考えられます。

 人工島などは良いと思いますよ。
 僕が考えるに、洗面器のような形をした土台をつくって、周りの海面より底を低くするのです。丁度風呂場に半分沈めた洗面器みたいな構造にするわけですね。
 そうすれば、いざというときに少ない動力で大量の海水を発電所内に流し込み、且つ、外の海への放射性物質漏れの危険性も少なくできます。
 ただ、この構造だと対水圧なども考えなければなりませんし、水はけは最悪なので、暴風雨などの対策もしなければなりませんが。それにあまり人里から離すと作った電気を送電するのが大変そうですしね。

 絶対にしておかなければならないことが、もう一つ。
 今回のように放射性物質が漏れたときのための、教育や訓練、ノウハウを構築しておかなければならないということです。
 いくら、先にリスクに見合ったものを原発の立つ地域に支払ったとしても、コトを不必要に大きくして良いという話にはなりません。今回のような醜態は絶対に演じてはならないのです。

 今回の福島は残念でしたが、よい実例となりました。いま何が問題となっているのか、その中で、今のマニュアルに見落としがないか、今運用中の原発も、これから建てる原発も考えていかなければなりません。


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2011年04月09日(土) 原発と街の共生(その1):「ウソだった」というのは本当。「騙された」というのはウソ。

 斉藤和義氏が、原発反対ソングを配信したり、披露したりしている、というニュースが話題になっています。
 本題に入る前に一つだけ。
 この記事は、電気会社や政府を擁護する気はさらさらないですし、斉藤和義氏の行動を批判するものではないことをご承知下さい。
 
 あんまりそういう声を実際に聞いたことがないので、そう言ってる人はあまりいないのかもしれませんが、「原発は安全という言葉に騙された」という人に対して一言申し上げておきたいのです。

 「原発は安全」はまさにウソだったわけですが、みなさん別に騙されてたわけじゃないでしょう。
 今までも「原発は安全」なんて政府や電気会社の人以外で誰か言ってたでしょうか?
 「絶対大丈夫」なんて誰が信じていたでしょうか?
 
 リスクを見ない振りして、与えられたメリットを享受しておきながら、それを安全神話が崩れてから「騙された」「裏切られた」って騒ぐのは自分のことを棚に上げてることになると思います。自分も自分自身を騙してたことになるのですし。

 これはいろんなことに通じることなのですが、どうも近頃の日本は「保証」や「安全」に対して不健全なまでに他人に依存する傾向があるように感じます。いくら失敗したら責任追及できる立場になるからといって、甘いことをいう人を支持したり依存したりするのは止めませんか。
 「できます! 実現します!」なんて声高に叫んでいたところで、裏で「できると思いますなんて曖昧なことを言えない」って気持ちがあるに決まっているではありませんか。
 
 それでも支持するというのなら、それが外れたときに、自分もデメリットをかぶるつもりでやるべきです。
 ギャンブルは人を滅ぼしますが、それでも決断はいつでもギャンブル的な要素を孕んでいるのです。自分の決断には自分で責任を持たなければなりません。これは人間の原則だと思います。
 絶対の保証など有り得ません。個人単位ならともかく、企業単位、責任というものは取りきれるものじゃない。結局外して苦しいのは自分なのです。

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2011年04月05日(火) 僕がアートを見る目がないと自覚する理由

 僕が、文芸作品以外の美術品に触れる機会というのは実は、新聞の紙面が主です。
 日経新聞の朝刊の文化面には「十選」シリーズというものがありまして、美術品に造詣の深い文化人があるテーマに沿って、アート十作品を選び出し、解説するというコーナーがあります。
 僕が欠かさずスクラップしているコーナーの一つです。

 例えばこの間まで連載していたのは 東京ステーションギャラリー館長 冨田章氏による「偽装された自画像 十選」シリーズです。
 3月30日付の記事ではルーベンスの「4人の哲学者」という絵に触れ、

「この4人はそれぞれルーベンスと、ルーベンスの関係者であること」

「この絵を書き上げたとき、この4人のうち2人は亡くなっており、そのことが一緒に書かれている4輪のチューリップのうち2輪が花を閉じていることに表されていること」

「X線写真で確かめたところ、ルーベンスは自分の絵には初め帽子を描いていたが、描きなおした後があることが判明したこと」

「この頃、ルーベンスは頭髪の薄さが気になっており、自画像には帽子がかぶせられていることが多いこと」

 などが解説されています。このことから筆者の結論は「2人の死に追悼の意を表して絵から帽子を外した」というものです。

 深いですな。美術品というものは。
 何の解説もなければ、ただの4人のオッサンが描かれているだけで、上手いとは思うだけの絵なのですが、こういう背景をしると、まじまじと眺めたくなってしまいます。

 しかし、絵というものはそんなものなのでしょうか。
 絵や写真は、小説や映画と違って物語が見えにくいものです。ルーベンスもまさかX線写真に撮られるとは思っていなかったでしょうし、2本だけしか花の開いていないチューリップに関して何らかの寓意を感じることはできても、ルーベンスに関する知識がない限り、やはり「上手に書いた4人のオッサンの絵」にしか見えないこの絵が何のために存在しているのか見えません。

 実際、アートは好きなほうだと思うのですが、気まぐれに画廊などを除いても、綺麗だとは思っても、それ以上にピンとくるものを感じません。

 ぱっと見で綺麗だったり、あっと驚くような構図で見た目で楽しめる絵というのは確かに存在しますが、それ以上に分析したり、背景を知らない限り楽しめない絵があるような気がします。
 ただ、画家やアートに造詣の深い人たちが見ると多分、違うのでしょうね。素人目には地味な絵でも構図の撮り方、モチーフの選び方、筆遣いとか、微妙な表現から驚くほどに込められた感情を読み取って、絵に価値を見出してしまう。

 だから、アートを楽しむことはできても、見る目がないと自分が思うのはそのような訳です。

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2011年04月03日(日) 『そうさく畑65』に参加してまいりました

 今日の日記といえばコレしかない。
 僕の同人誌即売会デビュー戦!
 かねてより大騒ぎしていた『そうさく畑65』です。

 大分はやめに時間を見積もって出たので遅刻はしませんでした。出すのが一冊だけなので、ブース設営も簡単なものです。
 しかし……周りを見てみると、イラストのきれいなサークルさんたちばかりで、どうしてもコピー本(自分でプリントアウトして作った本)一冊だけの僕たちは見劣りしてしまうというか……。

 そして本の値段。一応空気を読むつもりで決めてませんでしたが、一冊500円のつもりでいました。しかし、周りのオフセット本(印刷所でキレイに製本した本)が100〜300円で売ってるのを見て、結局300円にしました。

 そして、イベント開始。ぞろぞろと回りだす一般参加の方々。なかなかお客さんこねぇかな、と思ってたらあっさり、一冊売れました。
 僕とリープさん、ガッチリ握手。
 各話のあらすじを書いた裏表紙がよかったのか、見本を置くためのスペースである「図書館スペース」でも割りと手にとってもらえる確率は高かったような。

 それから交代でイベントを見て回りました。
 『そうさく畑』はオリジナルの作品だけを取り扱っているイベントなので、活気は比較的大人しめです。話もキャラ話ではなく、どっちかというと「どうやって書いたんですか?」的な会話が多いようです。
 また、「個人的原画展」なるものもやってまして、イラストや漫画を描いてる人たちがブースについているついたてに原画を貼り付けて見せているところなんか、華やかでした。

 イベントは意外と短く、11時半に始まり3時半には終わります。終わった時点で、本の売り上げは7冊分。
 文芸ってあんまり人気ないのかなー。と思いつつ、もう少し売り方はあったかもしれません。表紙に絵でもつければ話は違っていたのかもしれませんが。
 でもあんまり安易にイラストとかに頼りたくないし(というか描きたくてもかけない)、売るために作品で媚びるのは絶対ご免。かといって読んでくれる人が増えなきゃ意味ないですし。難しいジレンマです。

 もう一人、この間mixiの『そうさく畑』のコミュニティでサークルの宣伝もしつつ、メンバー募集もしてる旨を書いたら、さっそく応じてくださった人がおられまして。
 その方と終了後は今後のお話をしておりました。元々はアニメの批評などを中心に活動されていたのですが、このたび自分で創作することにも挑戦してみたい、とのことなのです。
 これでメンバーは4名。ちゃくちゃくと人数が増えますなぁ。

 ひとまず、一つの戦いが終わりました。
 次は既刊で6月にもう一つ、『Comic CommuniCation 15』というイベントに出て、8月か9月に新刊を携えてまたイベントに出撃したいと思っております。

 実は、メンバーはすでに4名。まだゲスト扱いですが、さらに書き手が2名候補が挙がっているのです。

 初心者の方もいるので、今回の課題は「イメージ縛り」にしようと思っているのです。
 写真か絵を選び、その写真や絵に沿った物語を書く、という企画でして。

 なぜ、そのような企画にするかというと、絵や写真のどこを見て、何を感じて話を作るかという意味で、感受性や観察眼を養う、という目的があるのです。
 さらに、本にはアイキャッチが増えて自然と華やかになる。(←安易)
 でも写真とか絵は売り物になるので版権には気をつけなきゃいけないですけどね。

 おれたちの たたかいは まだ はじまったばかりだ!(←それは打ち切りのフレーズじゃないのか/汗)

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追伸:
 『コトダマ』の在庫がけっこうできたわけなのですけど、誰か欲しい人はいますか? 送料+300円で送付させていただきますが。


2011年04月02日(土) 頑張れ『エンピツ』

 3月末にサイトの日記CGIとして活用している『エンピツ』で不具合がありました。どうしても投稿ができないのです。
 一応、『エンピツ』側の説明としては、「震災等でメンテナンスできなくなってもしばらくは運用に問題ないようにプログラムを改修したら、それが原因で投稿機能が落ちちゃった(てへっ)」とかいう本末転倒なオチが付いていたのですが。

 しかし『エンピツ』としては、もうそろそろサービス停止してもおかしくない雰囲気ではあります。
 mixiなどが次々と機能を更新するのに対して、『エンピツ』は2003年以来そういう動きを見せません。いや、機能としてはあれで完成しているといって良い。余計なことをしないのもサービスです。
 ただ、メンテナンスはするべきですよ。トップページに、ウリみたいな形で「若き天才ドライバー山口礼さんが綴るエンピツ日記」とうたっておきながら、その日記が途絶えて久しく、今やリンク切れしているのはイメージがよくないのではないかと思います。

 ただほとんど広告を載せないという美点のため、課金に頼らざるを得ず、結果、他のブログサービスやmixiにユーザーを浚(さら)われて、今残るのはもう財源となりえないのに、有料扱いしなければならない半永久使用ユーザーばかり。
 ビジネスモデルとしては失敗といえるでしょうね、『エンピツ』は。

 それでも!
 
 『エンピツ』は稀有かつ秀逸な日記CGIなのです。
 シンプルな構成にブログとは比べ物にならない軽さ。カスタマイズはかなり自由で、有料会員であればログも取れる。4000円弱で半永久的に、その有料サービスが受けられるし、邪魔な広告も出ない。もちろんタグも付けられる。
 秀逸なのがindex機能で、プルダウンで好きな月、あるいは全ての日記の目次が出てくる。タイトルつきで、求める記事が探しやすいのは非常にありがたい。これは他のサービスには見られない大きな特徴です。逆にカレンダーのリンクがありませんが、要りません。

 こういう機能があるので、文字数制限はあるものの、小説等をアップロードするにも使いやすいですしね。
 1902年の日付から使用でき、日付も指定できるので、日記に使いながらも、小説発表の場に使えるスペースも十分です。

 僕としては頑張れエンピツ、と言いたい。なんとかビジネスとして成立するよう、今の機能を残しつつリニューアル改修を行い、かつてのユーザーを取り戻して欲しいものです。

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【重要課題】
[ ]『文机』のホームページ作り
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[ ]新しい旅の企画を考える

【期限付き課題】
[ ]『そうさく65』参加(4/3)⇒スペース決定。2丁目6番地
 [○]文芸誌『コトダマ』作成(4/2)
  [○]印刷の方針を決めること⇒自力印刷とした
  [○]文芸誌『コトダマ』用企画原稿作成⇒書き上げた
  [○]『コトダマ』表紙作成⇒作成完了
  [○]『コトダマ』目次作成⇒作成完了
  [○]『コトダマ』奥付作成⇒作成完了
[ ]基本情報技術者試験(4/17)
 [○]申し込み(1/17 10時 〜 2/22 20時)⇒申し込んだ
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【告知事項】

神戸で行われる『そうさく畑65』に参加します。

スペース:2丁目6番地

サークル名:
関西社会人文芸サークル『文机(ふづくえ)』

販売物情報:
文芸誌『コトダマ(創刊号)』
短編小説2編と企画として「はじめまして」をテーマにさらに2編を掲載しています。(内容等の詳細は下記URL参照)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/104302/diary.html


2011年04月01日(金) サイト運営が停止して1年半が経ちました

 2009年8月25日に自サイト『SOUFARCLY』の更新を停止してもう一年半以上になります。とっくに終わった企画にリンクを張っているのが痛々しいです……。その間何もしてないかというと、そうでもなく、日記は頻度は下がっているものの、この通り続いていますし、掲載する小説もないではありません。(実際『小説家になろう』で更新しているわけですしね)
 先週の日曜日だって、せめてトップのコメントを『そうさく畑65』の告知コメントに変えておこうとしたのですが、やはり途中で頓挫しました。

 なぜ更新しないかというとパワーが足りないからです。
 『エンピツ』等の日記CGIや、mixi、『小説家になろう』はフォームに投稿する文章をコピペするだけの作業なのですが、サイトを更新しようと思うと、HTMLを書き換えたり、FTPで上げたりしなければなりません。新しい小説を描いて更新しようものなら、その目次ページやフォーマットを作るのにも一苦労です。
 
 さらに小説を更新したら、登録してある検索サイトに更新報告に回ったり……別にしなくて良いんですけど折角書いたのだからたくさんの人に見てもらいたいですしね。
 まあ、オマケにこのごろ掲示板は停止のままだし、リンクもかなりの数のサイトが止まってる。だから少しはサイト整備を……と思ったところで思考停止するのですな。

 『小説家になろう』を始めたのも、サイトの更新にとってはよくなかったのかもしれません。
 あそこにはネット小説を読みたい人が集まってきているので、投稿したら必ず読みに来てくれる人がいるのです。投稿するだけで更新情報がアップデートされるので、宣伝の必要もありませんしね。

 ただ、自サイトも良いところはあって、『小説家になろう』では目次のレイアウトは限定されるのですが、自サイトでは自由です。『魔法使い達の夢』シリーズ等、超長編だと、ずらっと盾に並ぶことになるし、長いタイトルになると改行されてしまいますし。

 アイコンもあまり作らないほうが良いのかもしれない。
 小説のフォーマットも統一できないかな、折角作ったバナーはもったいないけど、テキストにしておいたほうが後々新しい小説を加えやすいですし。

 チキさんのサイトはそういう意味で、お洒落な見た目に対してすごくシンプルで参考になります。なんかすごく更新しやすそうなんだもの。
 絵のかけない小説作家のホームページってヒサンなのが多いのですよ。良い作品を書くのにザンネンなところもいっぱいあって。

 4月中に方式を何とか考えよう。『文机』サイトの構築もあるし、背景、バナー、レイアウトを変えるくらいでフォーマットは同じにすれば「小説を更新しやすいサイト」になるはず。

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【重要課題】
[ ]『文机』のホームページ作り
[ ]『SOUFARCLY』の更新

【非重要課題】
[ ]部屋片付ける
[○]iPodどうしよう⇒新しいの買った
[ ]正月中に増えた体重減らす(60kg以下)
[ ]新しい旅の企画を考える

【期限付き課題】
[ ]『そうさく65』参加(4/3)⇒スペース決定。2丁目6番地
 [○]文芸誌『コトダマ』作成(4/2)
  [○]印刷の方針を決めること⇒自力印刷とした
  [○]文芸誌『コトダマ』用企画原稿作成⇒書き上げた
  [○]『コトダマ』表紙作成⇒作成完了
  [○]『コトダマ』目次作成⇒作成完了
  [○]『コトダマ』奥付作成⇒作成完了
[ ]基本情報技術者試験(4/17)
 [○]申し込み(1/17 10時 〜 2/22 20時)⇒申し込んだ
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【告知事項】

神戸で行われる『そうさく畑65』に参加します。

スペース:2丁目6番地

サークル名:
関西社会人文芸サークル『文机(ふづくえ)』

販売物情報:
文芸誌『コトダマ(創刊号)』
短編小説2編と企画として「はじめまして」をテーマにさらに2編を掲載しています。(内容等の詳細は下記URL参照)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/104302/diary.html

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