なか杉こうの日記
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みんみんと毎日、夜もセミが鳴いている。 携帯で送られてくるウェザーメールに 「日本の夏のBGMには欠かせない蝉の声・・・」とあったので吹き出してしまった。ウェザーメールの文は、いつもうまいなーと思う。ウィットが入っていて、若いひと受けするような感じで。 昨日はケーブルテレビで「鉄塔武蔵野線」を途中から見た。以前文庫本で途中まで読んだが、なんとなく「おたくっぽい」感じがして、読むのをやめていつだったかBOOKOFF行きになってしまった本。 映画はそれなりに情緒があってカメラの映像も美しいが、なんと言っても鉄塔をNo.1まで追いかけてゆく話なのだ。
鉄塔にはオス、メスあって・・・と本で読んでからわたしは電車の窓からじいっと鉄塔を眺めることがある。鉄塔が山を越えてだんだん小さくなって続いてゆく様子を見て、子どものころは「鉄塔はどこまでゆくのだろう」と思った。
しかし鉄塔は鉄塔で、あの無機的な感じ。あれのみを見ていると何となく頭が痛くなってくる。そのせいか、映画自体はそんなに好き、というわけではない。
しかし。最後の場面で流れてきた歌にはひきつけられた。SAJA DREAM。(サヤ・ドリーム) 誰が歌っているの、と画面を見たらおおたか静流(しずる)さんとあった。で、調べたが自分のウォークマンには配信できないことがわかったので、CDを注文した。
小学生の頃は、家の近くの山のてっぺんに鉄塔があり、その下や周囲で近所の子どもらとよく、あそんだ。妹がマーブルチョコを握って鉄塔の前で写した写真が残っている。(小学三年のわたしが撮ったのである)
鉄塔の下はたしか草は生えていなかったなあ。そこに行くまではうちから坂を上り、住宅街の横の崖をのぼり、小さなトンネルを抜けていくのだった。今なんていろいろ危険なことが多いから子どもなんて自分たちだけではとても行かないだろう。
そんな記憶が鉄塔にはある。
今日はパスポートを受け取りに横浜に行った。帰り、角にあった何となく西洋風のレストランに入り、サラダとお茶を注文した。サラダは予想通り、牛肉が添えてあって、やはりあちら風である。
しかしドレッシングが甘辛いというか、この手の味は好きでない。 角の席を用意してくれたので、外の舗道を見ていた。横浜の、背の高い木々が日をさえぎって心地よい。
本を読んだりしながら、でもあまり集中できずにサラダを食べハーブティーを飲んだ。
自分を付き合う、というのもなかなか神経を使う。今まで家族のことで頭が一杯で、あるいは環境に頭が一杯で、自分と付き合ってこなかった。
「同行二人」というのは、お遍路さんがたとえ一人で旅をしていても常に弘法大師様だったか、ついているので二人という意味だったと思うが、お大師さまならぬ、自分とつきあっているのが、今の自分である。
北山修最後の授業を半分ぐらい見た。 北山修さんは、以前じぶんがカウンセリングを学んでいたときに ちょくちょく本を見かけて、ああ、あの北山さんが精神医学の本を書いているのだな、フォーククルセダースから学者になぜ転向したのか、そのあたりなんだったのか、知りたいなーとずっと思っていた。
彼は、テレビでは本当のじぶんが歪められる、テレビから引っ込んだのではなく、元のじぶんに戻ったのだ、と言っていた。 たしかに、テレビは見る人のこころを一方的な方向に持っていきやすいものしか、映さない。それはいくつも、思い出がある。
しかし、書くこともある意味でそんな感じがする。いくつもの矛盾するものを集めて、どうにか集めて、書く。それとも本当の作家というのは、そんなことがないのだろうか・・・わからない。
* * *
昨日、つい最近までよく行っていた東海道ウォーキングツアーの写真を携帯に保存しているのを眺めていた。久々に見ると、なんとなく、辛気臭い感じがする。
* * *
朝起きて、仕事の嫌な面を考えていた。まことに考え出すとそれに固執して頭のなかが一杯になるのである。こんな風なので変わることがないのである。
まだ暗いうちからせみがみんみん鳴いている。十年前に生まれたせみかな。
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