なか杉こうの日記
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2006年10月28日(土) モーゼズおばあちゃん再び

Grandma Moses モーゼズおばあちゃんの本をアメリカのAmazon.comで検索していたら本の紹介に、「年老いて独学で絵を学びやがてそれが人気を得てシンデレラ的になった・・・」などと書いてあった。また、彼女の絵はfolk artと描写されている。

少しというか、全然違うようである。モーゼズおばあちゃんの絵は民俗的絵画と片付けられるものではない。なんというのかな、芸術である。神秘である。

たとえば今わたしの前の壁にかかっているWitchesと題するハロウィーンの絵。かぼちゃのだいだい。そらにはおぼろ月。燃えるような農家。もっこりした濃い緑の木々。そして、この空の色はなんであろう。紫か、グレーか、紺色か。もったりした色。同じ色で農家の屋根も塗られている。

なんというのかなあ、ゴッホにも通じるし、中世のブリューゲルにも通じるし、一見、デッサン力がないように見えながらそうではなく、次元を超えた世界を描いている。夢のようである。真実より真実である。現代アートである。

グラマ・モーゼズの絵を理解しない輩よ!あなたにはゴッホもゴーギャンもセザンヌもわからぬことであろう。ピカソなどもっとわからないだろう。そしてあの、ルソーの絵。


2006年10月22日(日) なんとなく。

年寄り介護の秘訣は基本的なこととして、「汚い」とかいう気持ちの前に
どうしたのか、どうしたらよいのか、を優先させることだ。あたりまえの
ことだけど。自分は子供じゃないのだから。

この日記のアクセスを見ると、Googleの検索リストのなかから見てくださる、というか来てくれる人がいるようだ。
不思議である。どんな感想を持ったのか知りたいような気もする・・・。


2006年10月21日(土) 今日のはなし

今日は高層ビルの上層階にある
本屋のレストランでオムライスを食べた。ガラス越しに
電車か通るのが見下ろせる。特別なガラスなのだろうか、
目がくらくらする。

テーブルも一人用の丸くてちいさいものだ。どうもこの本屋は
新しくて大型で有名だけれどあまり好きではない。
本が多すぎて。どんな人の関心にでもあわせようというのだろうか。

そこで新刊のハウツー本を二冊買った。どうもこんな本ばかり読んでいるみたい。


2006年10月20日(金) 無題

どうもよのなかに
適応できないのは
幾十年も前からそうだ
やたら人がうらやましくなる
なみだばかりでてくるのは
わがままなのだろうか
いいかげん・・・。


2006年10月13日(金) NHK「プロフェッショナル」感想

昨日NHKのプロフェッショナルで出版社の編集者の石原さんという方を紹介していた。編集者というのはたいへんだな、と思う半面、ああいう番組で紹介するのはどんなものかなと思った。

編集者というのは特異な存在である。テレビでは、作家とコンビでいくつものベストセラーを世に送り出したと言っていた。渡辺淳一、山田詠美、吉本ばなな、こういった人たちと信頼ある関係がある。

詠美さんとは十数年のつきあいで、夜中の一時二時まで飲みにつきあう。うーん、彼は彼でユニークですばらしいのだが、その生き方というのは独特で、こういった番組にはそぐわないような気がする。

たとえば、ヤクザの生き方を紹介するみたいな。あるいは芸術家でもいいや。

たとえば丸山健二氏などは編集者に頼るような作家の生き方を嫌う。作家はあくまで一人だと言っている。

ギャンブル好きなハードボイルド作家の筆が何かの理由で止まっている。石原さんは彼に葉書を出す。そのせいか、幾日かして、作家の筆がまた動き出す。その机の片端には石原さんからの葉書・・・。そこでテーマ音楽・・・。

このときにはさすがちょっとしらじらしい気がした。わざとらしいというか、作家ってこんな単純なものなの、というか。どうなのだろうか。


2006年10月09日(月) 「大和路・信濃路」

今日は用事に行くのに最初行くつもりでなく急に決めたものだから、そのあたりにある本を軽いのと思い、むかあしの堀辰雄「大和路・信濃路」という薄い岩波文庫をかばんに入れた。

これはたぶんわたしのきょうだいが高校の頃に買ったのを、本棚の隅の隅に、押入れにしまうことなく、処分することなくいれておいたものである。

今も、堀辰雄氏が大和路を歩んだ時と同じ十月。今日も空は高く晴れている。自分が二十年前にひとり奈良を歩いたときのことと重ね合わせる。

なぜこの人はこころにすうっと入ってくるような言葉遣い、イメージづくりができるのだろう。もちろん、こんなこと、自分が高校のとき教科書で「辛夷の花」を読んだときなど味わえるはずもなかった。

高校生にこのような作品を読ませて本当に理解できるのだろうか・・・。もちろんうわべは、大和路の穏やかさとか、ロマンとかわかるだろうが、それを感じる人間が、病で常にもしかして死を意識していたこととか、小説を書くための旅であることとか、人生をある程度経ないとわからないことも多いのではないかな。


2006年10月08日(日) ルート66

昨夜はテレビで中村雅俊がルート66を案内する番組をやっていた。
いいな、Route 66か。たしか自分が幼稚園ぐらいのとき、ルート66、ルート66と
歌だったかテレビだったかでやっていたのをうっすら覚えている。その当時はたしか海の彼方、どこかの国のすごい道、としか覚えていないけれど、今はすっかり50年代あるいはもっと以前の、「懐かしの道」になってしまっているらしい。

インターネットで検索しても、あるいは昨夜の番組で紹介していたところでも、ルート66に出て来る風景は去ること二十数年前、わたしがアメリカの南部(と言ってもいいと思うけど)にいた時に車で巡った場所そのものである。

Windmillでしょ、まっすぐ何もないところを走る埃だらけの道でしょ、平原にぽつんと建つ平屋のdiningというのかしら食堂でしょ。感激だったのは雅俊さんがTexasとNew Mexicoの境の道標に立つところだ。そこから右と左とは時差が一時間。

ルート66は地図で見るとテキサスのAmarilloを通っているらしい。Amarillo, Texasか。なんかグレイハウンドで通った気もする。

あの時は四時間も離れたところにある友人の家へ、バッグ一つでグレイハウンドに乗ったし、その停車場というのが、田舎のど真ん中で、入口に古い荷馬車の車輪なんかが飾りみたいに置かれていたりした。東洋の若い女の子がひとりでぶらっと入ってきたのだから、そこでハンバーガーとか食べいてたカウボーイハットのおっさんたちはじろり、と見るわね、皿を出しているおばさんもしかり。なんか冷たい目だったような気がする・・・。

まあ、考えてみればわたしの通った道はルート66ではないけれど、テレビで見るルート66の景色はとても懐かしい。ルート66をたどるツアーなんてないかな、と思って見てみたが、ラスベガス、グランドキャニオンと組み合わせたのならあるけど、そんな観光地は別に行きたくもないからね。


2006年10月04日(水) 四国八十八箇所遍路歩き

木曜夜の三チャンネルで四国八十八箇所の遍路の旅をやっている。五十代ぐらいのご夫婦が歩いて廻って、テレビでは歩き方、服装、遍路宿、宿坊の泊り方などを紹介している。とても面白い。というか、あんなふうにして歩きたいものだと思う。

昔から四国の八十八箇所は歩いて回りたかった。正直言ってちょっと辛気臭い感じもするが苦悩しているとき、人はそんなことは問題ではない。

このアライさん夫婦の奥さんというのが、ちょっと暗めでas a matter of factという感じで淡々と歩いていて、なんとなくいいものだ、と思う。


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