なか杉こうの日記
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2006年06月26日(月) 人生てそんなもの

人生とはおもしろいもので
あなたが
いやでいやで
しょうがなかった人とは
別れる寸前には
なんでもなくなっている
いやの百乗とおもい
がまんしてがまんして
がまんが底辺というか
限界に達したとき
なにも感じなくなる
そのときに
運命が
ひょっと
人をいなくする
とあなたは
あれ、と思うだろう
その人がいようといまいと
変わらない人生の航路に
いることに気がつく
人生てそんなもの
人生てそんなもの
(くだらん歌です)


2006年06月25日(日) 仕事のはなし・その4

先日、熟年離婚の番組をテレビでやっていたが、その中で離婚を考えていた60代の主婦がカウンセリングを受けて今までのことを思い出したりしているうちに離婚を思いとどまり、今はご主人と「幸せ」に暮らしているというのがあった。

この女性はにこにこ夫の隣で笑っている。

どうも主人との多少の関係がいやで離婚まで考えたらしく、ちょっとしたコミュニケーションの取り方で今はうまく行くようになったらしい。

自分の仕事もこんな具合かもしれない。やめたいやめたいと思っていても、ひょんなことで人から認められる、あるいは周囲に良い関係の人が現れて日常がスムーズに行きだす、それだけでやめたいという気持ちが霧散する、ということもあるからだ。

ならば本質的なものではないのか、よくわからない・・・。


2006年06月24日(土)

ひとから
「かわいそうに」と言われることは
たいそうな屈辱である
わたしがその人に
自分の体験からすこしでもわかったことを
言いかけると
いいよ、気楽に行くからと
つき返す
しょせんこころに
縄張りを張って
ぴいんと跳ね返す
その縄張りは
たいしたものではないとしか思われないし
つまり大事なのは
なぜその人が
縄を張りたがるかだ
べつに自分の内面を見せたくないという
タイプではない
その縄はなんなのか
肩書きか
妙なポリシーか
縄のなかはよく見えているし
ただ縄を張りたがっている。
その縄にこだわるのは
自分だけにしてほしいから
ただ
近づかないで居る


2006年06月22日(木) 黒雲ももしかして。

きみは
ときおり
こころを
にごらせる

ずうっとむかしから
生まれて
まもないころから
黒くもが立ち込めると
どうしようもない

きみは
いろんなものである
ちいさなできごとで
さあっと
こころが暗黒になる

だから、なにもできない
でいる。

きみは
あらゆるものごとである
ささいなことでうつむく
そんなことが
幾重も幾重も
ファクスの
リボンシートのようにうすくうすく重なり
積もり

決して平気にはならないが
しかし
どうしているのだろう

今日夕刊に
大好きな犬との別れを想像して
悲しくなっていたのに
じっさい
犬がなくなったとき
そんなでもなかった
生前の楽しかった思い出が
いくつもいくつも蘇ったと書いた
ひとのことを思い出す

そんなでもなかった
そのひとことが
なぜかわたしを
愉快にする
そんなでもなかった
黒雲ももしかして。


2006年06月21日(水) 今を大事に

今ずいぶんと昭和30年代ぐらいがはやっているようである。
しかしながらうちではつい最近までそんな暮らしをしていた。
数年前に建て替える前までは、ちゃふ台を使っていたし、窓ガラスは
サッシなんかでなく、木の枠に曇りガラスがはめてあって
風が吹くとがらがら鳴った。
こんどの「サライ」という雑誌は男はつらいよ特集でその付録は
小学唱歌だ!驚いたね。
こうもブームが大きいとそれに背を向けたるのが自分である。
ひねくれ者というより、プライドが高すぎるのである。
今、を大事にしなくっちゃ。昔を懐かしがって無理に三十年代を
つくりだすのでなく。
ところであたしの使っている机は実は小学四年生のときに知人のおばさま
が買ってくれたものである。表面はつややかな木目が入っていて新品のようである、今も。大切にしている、というより、買うのがめんどうでただこうしてあるだけである。
うちの町のケーキ屋は、わたしが小さい頃からあって、店主のマダムは昔からあまり感じがよくない。しかしケーキはとてもシンプルでおいしく、安価。
先日雑誌に、この店は50年代に俳優のIとその弟が入ったとかなんとか書いてあった。
1950年代である。そりゃそうかもしれないね、彼らはこの町に住んでいたらしいからね。それにしても、この店の喫茶店がレトロ、ケーキもとってもレトロと書いてあった。レトロ?????どーいうことさ。あたしは今でもこの店のケーキが好きでそれはレトロなんて感じではぜんぜんない。レトロで片付ける鈍感さ!

 「ゲド戦記」もアニメなんかになっちゃって・・・。あれは青年の成長の物語である。きわめて精神的なものである。それと、無意識の世界。アニメなんかにはいちばんなりにくい物語である。「戦記」とはおそらく自分自身との戦いである。


2006年06月18日(日) Always三丁目の夕日

Always三丁目の夕日を見た。いろんなところでぐっとなみだが出てきてしまうね。
ちいさなちいさなストーリーなのだけれど。
薬師丸ひろ子はとてもやさしいお母さん。子役のふたりがほんとにむかしの子供でいいね。
「あれ」と思ったところが二つあって、そのひとつは、子供たちが幾人もフラフープで遊んでいたところだ。フラフープというのはわたしが幼稚園だか小学一年生ぐらいだったか、その頃にはやって近所の子供でラッキーにも買ってもらえたこが回していた。うちは母親が「あれを回すと体によくない」と言って買ってくれなかった。
 しかしそんなどの子も買ってもらえるようなおもちゃではなかった。そもそも、あの五十年代、六十年代の初め頃はちょっとしたおもちゃでもどの子でも買えるというものではなく、ラッキーな子供がひとりぐらい買ってもらえたのを「いいな、貸して、貸して」と言ってまわりの子たちが借りたような気がする。だっこちゃんもそうだったし。
 ましてクリスマスのプレゼントなんか。サンタが持ってくるなんてハイカラな発想はきっと上流家庭のうちでないとなかったのではないかな。
 それと、六子ちゃんは年末にきっぷをプレゼントされて青森に帰るけれど、あの汽車ががらがらというのも信じられない。年末は帰省で満杯だと思うのだが。
 それと、路地を歩くおかみさんたちが、着物に割烹着姿が多いけど、足はぞうりやサンダルを履いている。あのころ、はだしに下駄履きが多かったのではないかしら。
 今思い出したのだが、あの映画には風呂のシーンがないね。風呂のあるうちからは、夕刻になると細い煙突からゆらゆら煙が昇って火花がパチン、パチンとはじけている。魚を焼く煙も流れてくる・・・、という典型的な風景がなかった。
 でもわたしのなみだを流させるくらい、なにかあたたかい映画だった。配役がとてもよかった。


2006年06月17日(土) し残したこと。

ある日がばりと起きて
ずいぶん
し残したことが
多いと
気づく
しのこしたことが
大きく画面に
クロースアップされて
出てくる
それは
しなくちゃならないとか
したいとか
そんなことではなく
単に
大切なこと
らしい。
ぎむ、でもある
し残したことが
饅頭のように膨らんで
はっきりと。


2006年06月11日(日) 仕事のはなし・その3

英訳の仕事をうちに持ってきてやっている。わからない言葉をインターネットや辞書でしらべ、まるでかたつむりのごとくである。一度読んで多少想像でもいいから流れでざーっと書くと、その流れがいい、ということもある。

しかしこの日本語はやはりあいまいである。わかった人が書いているのだが、あくまでフィーリングだ。英語は具体的、具体的な単語、描写が必要だ。

内容の理解→文づくり→英文として理解できる文にする→動詞の使い方が正しいか。→冠詞の使い方が正しいか。という順序でやっている。

しかし英語そのものは、じぶんはやはり単純な構造のものしか書けない。しかしともかく日数が限られているので「やるっきゃない」という感じである。

職場でこの翻訳作業をやろうとしてもいろんな用事が入って集中できない。だからうちでやる。他の人はいいな、職場の仕事のみやってりゃいいのだからな、と思う。こうした地味な仕事はなかなか評価されることがない。


2006年06月10日(土) おかしい。

こどもがどんどん危うくなって、これは動物でもしない、人類存続の本能から逸脱する、異常なことである。
秋田県の男の子を殺害したあの女の供述は聞いていていらいらさせられる。なぜテレビニュースはその言葉をそのまま流すのだろう。聞いていると一見、同情をさそうような言葉でもある。それ以前に女児をなくしたとき、テレビのチカラだかに出演していて、その時も体が麻痺してしまって・・・などといっていたが、あの言葉はよく、カウンセリングでクライエントが自分の心情を述べるのとよく似ている。

つい、共感しなくては、と思うところが、危険なところだ。おかしい、おかしい。ゼッタイにおかしい。この人はおかしい、と思う。

数年前文京区でお受験に落ちて、受かった子供を殺害した女がいたが、そのときはこんな「○○くんにはほんとうに悪かった、合掌したい」などという言葉はなかった。または放送されなかった。

ひとの境遇が自分とくらべて良く見えるから、という理由だけで人を殺す。おかしい、おかしい。

理由がなんであれ、こんかいの「動機」になるには、あまりにも、おかしい・・・。


2006年06月07日(水) 【詩】努力

やっとこさ
はいずるようにして
図書カードを
いちまい、買った
うさぎの絵も、いりません
ましてや
赤い袋なぞ。
すっきりとした
カードだけが
わたしの唯一残された
正気を示している。
人にあげよう、
せめてもの
人との
つながりを
保とうとする
小さな努力である


2006年06月04日(日) 鉄塔

送電線の鉄塔がある。どこにでも日本全国山の上などにそびえているのだと思う。数年前に、この鉄塔をテーマにした文庫本の小説を買った。児童文学だった。

鉄塔にはオス、メスがある。ぶらさがっている「がい子」というものの形によって著者がそう名づけたらしい。鉄塔に魅せられた少年がどこまでも鉄塔を伝って歩いてゆく、というような筋書きだったが、とても「凝る」小説で途中で止めてしまった。

その文庫本の帯に、その年の夏だったかに映画が公開予定とあった。表紙には写真も載っていた。しかしそれ以後、その映画についての噂は聞かない。全く聞かない。またその小説本もまったく目にしない。どうしたのだろう。

子供の頃、うちの近くの山の上にこの鉄塔がたっていて、子供らはよくハイキングコースになっていた細道をたどってこの鉄塔のある場所までのぼり、鉄塔の下の四角い空き地で遊んだ。いもうとがマーブルチョコを食べている写真がアルバムのどこかにあると思う。

考えてみればどうでもよい鉄塔であるが電車でどこまでも送電線が続いているのをみると、なんとなく感慨深い。子供の頃とおくまで電車に揺られていくと、丘を越え川を越えてつながっている送電線は、一体どこまでいくのだろう、と不思議に思ったものだった。

しかし、あの小説の映画化はどうしたのだろう。ときどき思い出す。


2006年06月03日(土) 「山の旅」大正・昭和編

今度読み始めたのは岩波文庫「山の旅」大正・昭和編である。以前に買って途中でやめたものだが、また最初から読み出したらそのすがすがしさに心奪われる思いである。

槇有恒著「アイガー東山稜の初登攀」。とてもうつくしい光景がいくつもある。登攀の途中、二千メートル下の村から、彼らの登攀の成功を祈って村人たちが花火を上げる。それがちいさくまっすぐな線となって昇っているところ。

四人が力を出し合いながら崖を上る。ひとりのフュレルがかついでいた6メートルの棒を落としそうになるが、はっしと抱きとめ、左腕に血を流しながらそれを支えるところ。

最後の記述はなみだが出るくらい、好きである。

「二週間ほどの後、私はグリンデルヴァルトを後にした。人々が見送ってくれて、何時までもハンケチや帽子を振っている。電車が丘の端を廻ったとき、アイガーの全容が、まざまざと聳えた。これこそ、二ヶ年の間、明け暮れ無言の友であった。思えば星降る夜半の氷に光る姿よ。さらば、永久に若きアイガー。われは定めなき道に。ただ、行く限り汝が幻を憧れ追うであろう。
 
 そして、幸深くあれ、心厚き人々のグリンデルヴァルトよ、そは、私の第二の故郷。いつかは、また、春に帰える燕のように喜びの羽ばたき軽く飛びかえって、その温い懐に抱かれて物語ろう。」

 山登りの本はめったに読まないが好きである。高校の頃、英語のリーダーにヒラリー卿のテンジンとのエベレスト登頂の話が載っていた。ヒラリー卿が書いたそのままかどうかわからないが、とても面白く好きだった。

 また、大学の頃家庭教師していた高校生の英語の教科書に「ハイジ」の一節が載っていて、それはわたしが小さい頃読んだ子供向けの「アルプスの少女」よりもさらに雄大でうつくしい夕焼けの描写だった。原文(といっても英語に訳されたもの)を読もうと本を買ったが、そのままどこかにしまってしまった・・・。


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